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2008年1月27日

君はオオカミになれるか?

 姜戎『神なるオオカミ』(講談社)が凄い。小説というものを余り読まない(というより読む暇がない)私だが、タイトルに強烈に惹かれたのと、中国全土で昨秋までに240万部、海賊版を含めると3000万部近くが売られ、25の言語に翻訳されて世界中でも読まれているというその評判が気になって、邦訳で上下巻計1000ページ超える大著を2日ほどで一気に読み、幕切れのクライマックスでは不覚にも身を震わせて泣いた。

 文化大革命の時期には、都市部の頭でっかちの青年・学生を叩き直すために地方の農村に送り込んで過酷な労働に従事させる所謂「下放」が盛んに行われ、1600万人もの若者が辛酸を嘗めたが、著者の分身である主人公の漢族青年=陳陣は、内モンゴル辺境の高原で昔ながらの遊牧生活を営むモンゴル族の中に飛び込んでいく。そこでの11年間の生活を通じて彼が思い知るのは、オオカミを頂点として、一方では野ネズミ、野ウサギ、タルバガン、黄羊などの野生動物、他方では主要な生産手段であり価値の源泉である羊と牛、それらを防護・管理するための馬と犬などの家畜が、大草原を舞台に織りなす「生態系」と言ってしまっては余りに奇麗事すぎる食うか食われるかの壮絶な闘争であり、遊牧民たる人間もまたその狭間で食ったり食われたりしながら生きるしかないという赤裸々な現実である。

 遊牧民は知恵の限りを尽くして大事な家畜を守ろうとするけれども、地勢、天候、風向き、植生ばかりか家畜や人間の心理まで読み込んで戦略と戦術を駆使して最終的な目的を達成するオオカミの軍略にはかなわない。それでいてオオカミはただ単に凶暴一本槍なのではなくて、野生動物や家畜や人間と共存しなければならないギリギリの限度も心得ていて、それによって酷薄な環境の下で草原の自然は辛うじて守られている。故にオオカミは、草原の循環的なロジックの核であり、だからこそ神なのである。しかし、その辺境にもやがて支配的な農耕民のロジックが押し寄せてきて、オオカミは無惨に殺され、草原動物は片端から食われ、そのために草原は荒れ果て、従って家畜は遊牧されずに囲い込まれ、遊牧民の数千年の生活文化は破壊されていく。

 昼夜を分かたぬ羊飼いの仕事に携わりながら、しかし羊油ランプの下で読書と思索を怠らない主人公がやがて行き着いていくのは、中国は穏和な農耕民族の国であってそれを時折外部から侵略して破壊したのがモンゴルはじめ遊牧民族であるという中国史の通念の虚偽性である。中華民族の始祖とされる伝説的な炎帝と黄帝がそもそも西北の遊牧民族の勇将であり、中原に出て半農半牧生活を営んだ。漢族が遊牧民を軽蔑しているのは祖先を忘れ本分を見失っているためであり、漢族もまた遊牧民の出身なのだ。以後、今日に至る中国の歴史は、遊牧民族と農耕民族の対立と統一の歴史であり、中国人が肥沃な農耕環境の中で羊性を強めて軟弱になってくると、天が遊牧民族の狼性を解き放ってその荒々しい血液を輸血するということが繰り返されてきた。近代中国の立ち遅れも羊性に傾きすぎたためであり、今こそ勇猛進取の狼性を取り戻さなければならない。

 このような中国史の転倒は、岡田英弘『世界史の誕生』が提起してすでに我々にはお馴染みのものだが、それが何百万、一千万の中国人の間に広まっているというのは驚きである。さて、あなたはオオカミ的に生きるのか羊的に生きるのか。1905年にニホンオオカミを絶滅させてしまった日本人に狼性は残っているのだろうか。▲

2008年1月16日

東京・横浜の災害危険度、圧倒的に世界No.1だと!

 昨年から「サイバー大学」(吉村作治学長:http://www.cyber-u.ac.jp/)で「世界地図の読み方」という講座を担当していて、受講生からいろいろな意見や情報が掲示板に寄せられるが、その中に「東京は世界でダントツトップの災害危険度だというドイツの保険会社のデータがある」という話があって、本当か?と思って調べてみると、何と「内閣府・防災情報のページ」にその元データが収録され、また消防庁のホームページにもそれを元にして書き直した図が掲載されていた。

munchen2.jpg

 それによると、災害危険度、災害への脆弱性、危険にさらされる経済的価値の3指標による世界の大都市災害リスク度ランキングで、東京・横浜は710.0点でダントツの世界No.1で、第2位サンフランシスコの167.0、第3位ロサンゼルスの100.0を遙かに引き離している。第4位は大阪・神戸・京都で92.0、以下は図表を参照のこと。ミュンヘン再保険会社が88年3月に発表したデータで、中央防災会議の首都直下地震対策専門調査会の89年10月の防災力向上提言に(委員の間に異論があることを留保しつつも)参考資料として引用されている。

 異論といっても、「我々がこんなに一所懸命に対策を検討しているのにそんなはずはない。根拠を精査すべきだ」ということなのだが、その後「精査」したり反論を用意した形跡はないし、消防庁のホームページにも同じ図が出ているので、「こういう見方も外国にはあることを国民に知らせておいた方がいい」というのが政府の立場だと思われる。

 ちなみにミュンヘン再保険会社の言う「災害危険度」は地震のことだけを言っているのでなく、台風、水害、その他火山災害、山林火災、寒害なども考慮しているので、地震専門家が「そんなはずはない」と色をなしても余り意味がない。「脆弱性」は住宅の構造特性、住宅密度、年の安全対策水準から算定されていて、恐らくこの住宅構造と密度が圧倒的に劣悪なことが得点を大きく押し上げた要因だと推測される。


 それにしても、このデータは当時新聞などに報道されたのかな? こんなデータがあって、よくぞ東京に暮らしていられるもんだと思うほどである。まあ私が安房鴨川に引っ越した理由の1つは、東京大地震で死ぬのは嫌だというにあったから、今更ながらに「正しい選択だった」と胸をなで下ろす思いだが(すいません、自分らだけ助かろうとしていて)、実際、同専門家会議の予測でも、東京湾北部でM7.3の地震が起きれば、建物の全壊・消失85万軒、死者1万1000人、避難者700万人(うち避難生活者460万人)、経済被害112兆円……という大惨事となるのは必定で、その場合もしかし、房総半島のウチのあたりは震度5弱か5強くらいだから、地盤が「地滑り防止区域」内なので家が傾くことくらいはあったとしても命を失うことはなさそうなのだ。

 首都圏にお住まいのみなさん、誰もが私のように“圏外”に引っ越すというわけにはいかないとしても、このデータをよくよく睨んで、いざという時の対処法を考えるべきだと思う。


 専門家会議の説明資料「首都直下型地震/想定される被害とその対策」にアクセするには、「内閣府・防災情報のページ」http://www.bousai.go.jp/から「共通情報」→「防災に関連する組織」→「中央防災会議」→「第13回議事録」→「説明資料1」と辿る。▲

2008年1月15日

成人式で暴れる若者もいなくなって……

 数年前には成人式で騒いだり暴れたりする若者がけっこういたが、今年はそれも影を潜めて、カラオケ店のガラス戸を蹴破ったとか、酔っぱらい運転で通行人を引っかけたとかいう話が出た程度だった。主催する自治体がメンツにかけて事前規制を強化したことも功を奏したのだろうが、もともと今時の若者に本気でオトナ社会に反逆しようという気などさらさらないからだろう。

 読売新聞14日付文化欄「王子とニート/“反抗”にあこがれぬ若者」は、夜の渋谷で道行く男子十数人にハンカチ王子やハニカミ王子をどう思うかを聞いたところ、「あの活躍はすごい」「同世代の誇り」「励みになる」といった答えばかりで、彼らを悪く言う者は1人もいなかった、と書いている。イケメンで優等生、しかも野球なりゴルフなりの領域で第一級の実力を発揮しているとなれば、女性や親たちが褒め称えるのは当たり前だが、同世代の男子までが憧れを抱くというのはどういうわけなのか。

 オトナ社会への反抗を歌った尾崎豊がデビューしたのは83年。今の男子学生に尾崎がステージで絶唱する映像を見せても、「こんなに熱く歌って気持ち悪い」という反応が返ってくる。「上の世代に反抗する意味ってあるんですか」「社会に抵抗するのは時間の無駄。ただ、自分の力を出せばいい」と。「冷めている」というよりも、男子が素直で気配りが利いて、他人との関係を荒立てないで生きていこうとする「少女化現象」に陥っているのではないか、と。

 日本経済新聞同日付「春秋」欄は、評論家=酒井信の近著『平成人』を採り上げている。平成育ちの若者は「段差のないフラットな人間関係を生きてきた世代であり、親・教師・先輩にも友達感覚で接する。携帯電話やメール、ネット上での匿名掲示板も関係のフラット化を後押しする。昭和の若者が社会に不安をぶつけつつそれと和解することでオトナへと成長し、社会の側もまた彼らの不安に答えることで深化してきた。ところが平成育ちは、疑問や不満をオトナたちにぶつけて挑みかかるよりも、友達同士で傷をなめ合うことで不安を解消していないか」と酒井は見る。そしてそれでは解消しきれなかった時に、本来なら社会を創造的に破壊し進化させるべき若者の怒りのエネルギーは脇っちょにハミ出して、キレてそのへんの猫を殺すとか、スポーツジムで銃を乱射するとかいったふうに霧散するのだが、それは社会がそのエネルギーを引き出しながら吸収していく術を失っているからなのか、それとも若者が馬鹿なだけなのか。

 同日付朝日新聞の予告によると、同紙の20日からの連載小説は島田雅彦の「徒然王子」。宮廷から夜逃げした王子とジリ貧芸人が旅をして世捨て人やホープレスなど現代社会の暗部と交わりつつ自らの無意識と向き合うファンタジーだそうで、作者の言葉がなかなか挑発的。「私はまだ恐ろしいものや美しいものをたくさん隠しています。面白いだけでは物足りないクールな読者のために、それらをすべてさらけ出します。毎日、最低2つは笑える教訓と決めゼリフを盛り込みます。プロを甘く見てはいけません」だと。こういう風に気負ったときの島田は面白いよね。久しぶりに、あんまり読むことのない新聞小説を読んで、王子とニートの関係を考えてみることにしようか。▲

2008年1月 2日

2008年の世界と日本

(1)帝国の黄昏の中での米大統領選挙

 2008年は、アメリカ帝国の黄昏が誰の目にも明らかなほどに深まって行く年となるだろう。私は06年9月に出版した『滅びゆくアメリカ帝国』の終章で、いささか先走り気味に「我々が目撃しているのは、米国が世界史上最強の軍事・経済帝国として絶頂を極めた(かに思われた)その瞬間に、崩壊への予兆に囲まれて立ちすくむという、まさに絵に描いたような弁証法的な展開である」と書いたが、その予兆が予兆にとどまらなくなって、米国人を含めて世界中の誰もが息を詰めるようにしてこの帝国の立ちすくみを見つめざるを得なくなるのが、今年である。『NEWSWEEK』新年合併号の特集「2008年の世界を読む」の巻頭論文でファリード・ザカリア国際版編集長は「“ポスト・アメリカ時代”の世界は、そこまで来ているのだ」と書いているが、それがどこまで来ているのかが確かめられなければならない。

 イラクとアフガニスタンの戦争は出口が見えない。それは、米軍を何万人か増派してどんな作戦を行えばいいか、すでにほとんど腰が引けている同盟国の軍隊を押し止めてどこに配置するかといった軍事戦術的なレベルの話では全くなくて、テロリスト退治ごときを理由に数千年の歴史と文明を持つ国家・社会を爆弾で破壊すればどんなことになってしまうのかという想像力の致命的な欠如、それゆえに米国の指導者と国民が陥っている一種の集団的ヒステリー症状を治療することは出来るのか出来ないのか、出来なければ破滅であり、出来るとすれば世界にとって大迷惑でしかない“唯一超大国”を“超”のつかない、しかし十分に最大最強の“大国”に軟着陸させることであるけれども、米国がそれを自分から進んで行うことが出来るのか、そうではなくて全世界の憐れみに満ちた強制介護を受けて無理矢理そうせざるを得なくなっていくのか——という、帝国末期の終末医療の問題である。上記ザカリアは述べている。

「アメリカ自身は自衛の行動のつもりでも、世界の国々の目には、人類史上最強の大国が檻の中の猛獣のように周囲に手当たり次第に突っかかっているように見えている。こうした行動の根にあるのは恐怖の感情だ。アメリカ人は、周囲に出現した新しい世界に怯えはじめた。しかもアメリカの政治指導者は、国内に蔓延するヒステリーを鎮めるどころか、その正反対のことをしてきた」

 11月4日投票の大統領選挙で1つだけ確実なことは、ブッシュが選ばれることはないということで、それは世界にとって幸せなことである。しかし、彼に代わって別の大統領が登場すればすべての問題が自動的に解決に向かうと考えるのは間違いである。民主党の最有力候補ヒラリー・クリントンは、最大の課題は「イラク戦争の終結」であり「自分が政権を獲ったら60日以内にイラクからの撤兵を開始」し、主要国や周辺国に国連を加えた「地域安定化グループ」という枠組みを設定してイラク国内の安定化を図ると主張している。彼女はブッシュの単独行動主義を批判して多国間協調主義を採るべきだと言っていて、これは大きな転換のように見えるが、無益な戦争を起こして罪のないイラク人70万人と米兵4000人の命を奪ったことへの自らの罪を切開することのないまま多国主義を唱えても、それはただの責任の拡散であり、誰も本気で相手にしないだろう。ヒラリーは、イランに関しては「厳しい外交政策をとるべきで、“アメとムチ”の両方の政策が必要だ」と言い、「米国の安全を守るために必要な場合は単独主義も選択肢として残る」とも言っている。ヒラリーであれ他の誰であれ、簡単にブッシュになれるところに米国の病の深さがあるのであって、それは、そもそも冷戦の終わりを「旧ソ連に勝利した」「これからは米国が唯一の超大国だ」と捉えた時代認識の根本的な誤りにまで遡って総括することなしには克服することは出来ない。

 早くも過熱気味と言われる大統領選は、1月3日のアイオワ州から2月5日のスーパーチューズデーにかけての予備選・党員集会で大まかな構図が見えてくるが、それにしてもそこで競われているのは主として「誰が頼りになりそうか」というテレビ映りのイメージであって、帝国の終末についての真剣な議論は皆無である。

(2)サブプライム問題をきっかけとしたドル支配の動揺
 
 帝国は金融・通貨面からも終末を迎えつつある。経済週刊誌の08年予測特集はいずれもそのことを真っ先に取り上げていて、例えば『日経ビジネス』臨時増刊「徹底予測2008」の佐藤吉弥編集長による巻頭論文は、「ドル基軸の終焉——。2008年は後世から見れば『歴史的に大きな転換局面』と位置づけられる年になるだろう。世界の経済覇権秩序が大変革に向け蠢動をはじめる年だ」という書き出しで始まる。大変革とは何かと言えば、「ドル不信・ドル忌避」の動きであり、「米国一極集中経済の崩壊」の静かなる進行である。

 サブプライム問題が浮上する以前から、その兆候は表れていた。通貨ユーロの流通量は07年3月末でドル換算8200億ドルで、米ドルの7800億ドルを上回っているし、ユーロ建て債券の発行残高も7兆6000億ドルで、ドル建ての1.25倍に達している。ブッシュの7年間にドルはユーロに対して40%も下落しており、それ自体がほとんどがドル建てで取引される原油の高騰をもたらす要因の1つとなっている。世界の外貨準備5.6兆ドルに占めるユーロの比率は、同じ7年間に19%から25%に増え、ドルは71%から65%に減った。このようなドルの長期低落傾向にもかかわらず「米国中心の経済秩序がその体裁を維持してきたのは、米国発の先端金融技術によりマーケットを創造し、世界の投資資金を呼び込む“打ち出の小槌”の機能が大きなテコになってきたからだ」(佐藤)。実際、米国で生み出された“金融工学”は電子的な手品のようなもので、サブプライム(普通なら融資対象にならない人のための、という意味)ローンのようなものも束にして化粧箱に入れて「高利回りの商品」として世界中に売り飛ばしてきた。基軸通貨国が世界最大の経常赤字を垂れ流しながら、それによる資金不足を海外からの資本流入で埋め合わせることで浪費的贅沢を維持する形は「帝国循環」と呼ばれるが、その帝国の特権に安住してそれを乱用し、詐欺まがいのことにまで手を出してきたことがバレてしまえば、循環そのものが変調を来すのは当然のことである。ユーロは登場して5年にして早くも、事実上、第2の基軸通貨の地位を占めはじめており、もはや米国は唯一基軸通貨国の特権をむさぼり続けることは出来なくなっているというのに、米国自身はそのことの重大さに気付いていない“裸の王様”状態にある。世界のドル離れとユーロへのシフトは08年を通じて加速し、ドル暴落がいつ起きてもおかしくない事態が進むだろう。『週刊エコノミスト』の迎春合併号の特集タイトルはややセンセーショナルに、「サブプライムがとどめ、米国没落で始まる世界恐慌」である。

 ユーロだけではない。12月4日にカタールの首都ドーハで開かれた湾岸協力会議(GCC)6カ国首脳会議は、形の上では自国通貨のドル・ペグを維持することにはしたものの、それぞれに自国通貨を切り上げてドル下落と連動した国内インフレを抑制する策を採り、実質的にドル・ペグ離脱に踏み出した。その先に見えているのは、2010年に予定されているGCCの域内共通通貨の発行で、いずれにせよドル・ペグはその時までの命である。その直後、9日にはブラジル、ベネズエラ、パラグアイなど南米7カ国の首脳が集まって「ザ・バンク・オブ・ザ・サウス」設立に調印した。地域開発の資金供給が表向きの目的ではあるが、本当のところはドル危機に備えた金融的自立のための牙城である。そのように世界中がドル危機に備えてユーロ・シフトや地域通貨協力を進めているというのに、独り日本は「アメリカの世紀」がいつまでも続くかの幻想に立ってドル債を買い続けている。財務省は最近ようやく「ドルが基軸通貨の座を失う可能性はあるか。日本への影響は」というテーマの“極秘レポート”の作成に着手した(18日付日経)というが、極秘でも何でもないドル危機の切迫について今頃になって「可能性はあるか」などと問うているところに、日本の知的退廃が現れている。

 サブプライム問題は、実体経済の面では、米景気を冷え込ませる。単に10年余り続いてきた住宅建設ブームが去るというだけでなく、住宅の値上がりを前提にそれを担保にホームエクイティ・ローンと呼ばれる消費者ローンを借りて家具、家電、車など高額商品やレジャーに費消するという家計レベルの過剰債務・過剰消費の体質もまた立ちゆかなくなるからである。それに追い打ちをかけるのが原油高=ドル安、それに引きずられての商品高騰によるインフレ圧力で、08年の米国は景気後退下の物価上昇というスタグフレーション局面を迎えることになろう。それでさらに金利を下げれば、投資資金はなおさら米国離れして原油や商品の先物市場に流れ込むというやっかいな事態である。

(3)北京五輪後の中国にバブル崩壊は来るのか?

 03年以来の金融引き締め策にもかかわらず、07年に実質12%近い成長を遂げ“資産バブル”の様相を示している中国経済が、08年前半をこのまま暴走気味に過ごせば、8月の北京五輪後に何らかの程度、反動に見舞われるのを避けることは難しい。それが分かりきっているからこそ、12月3日から3日間開かれた党・政府合同の中央経済工作会議は、改めて急成長の過熱への転化防止と物価上昇の構造インフレへの転化防止に全力を挙げる方針を打ち出した。これに基づいて、人民銀行が25日、預金準備率を14.5%という史上最高水準にまで引き上げて、引き締めへの決意を示し、27日には中国外国為替取引センターが人民元の基準値を1ドル=7.3079元という最高値に導いてインフレとの対決姿勢を鮮やかにした。

 当局の問題認識と決意は疑いの余地がないが、問題は大きく2つあって、1つは、個々の政策は正しくとも制度的な整備が遅れているために思ったような効果が上げられない場合が少なくない。例えば、社会保障制度が確立していないために、自分の将来は自分で守るしかないという心情が強いので、金を掴んだ者、銀行から金を借りられた者は当局がどう言おうと株と不動産の投資に狂奔し、それで得たもので日本産の高級果実を買い漁ったりするという形で、資産バブルと消費者物価上昇が連動してしまい、それを止めるのはなかなか難しい。あるいは、人民元を切り上げても、資本市場が未整備で、特に資本輸出が強く規制されているために、外貨が滞留して過剰流動性が解消できない。もう1つは、そうした問題が国内要因だけでなく、グローバルな環境の変化に直接繋がって起きていることであるため、一国的には解決しがたい性格を持っていることである。中国国内の過剰貯蓄は、全世界的な過剰流動性が各種ファンドを通じて中国に流れ込んでくることで余計にコントロールしがたいものとなっている。また物価上昇も、原油や穀物の国際価格上昇によるところが大きく、これも中国だけでどうにか出来ることではない。そのため、08年の引き締め政策が成功して五輪後の経済を軟着陸に導くことが出来るかどうかは、全く予測の限りではない。

 最大の注目点は、米国の景気後退が避けられそうにない時に、その米国への輸出を中心に急成長を維持してきた中国もまた減速するのかどうかである。一方では、米国が後退しても中国はじめ新興国の勢いは止まらないから世界経済の先行きは心配ないと見る「デカップリング(分離)」論があるが、他方『週刊エコノミスト』はそれを否定する米中経済「カップリング(一体)」論に立っていて、そのために米中共倒れによる世界経済後退を予想している。確かに、中国の2900億ドル近い対米輸出が減り、その分中国の世界最大1兆5000億ドルの外貨準備の大半が米国債購入となって環流するという構造が壊れれば、世界は破滅的な影響を受けるけれども、それがいきなり壊れるなどということが起きるわけがなく、「世界恐慌」というどぎついタイトルは明らかに行き過ぎである。

 12月の福田首相の訪中を受けて、4月には胡錦涛主席が来日する。小泉時代に対話断絶にまで至った両国関係がともかくも普通の状態に戻るのは歓迎すべきことではあるが、7月洞爺湖サミットの本当の主役は実は中国であることを考えると、その程度で満足していいはずがなく、日本が米国と共に環境後進国の汚名を着せられるのを防ぐべく日本独自の目標設定を明確にする一方、中国の環境問題改善のための戦略的協力関係の構築にイニシアティブを発揮して、世界にとって最大の難問である中国の環境問題に解決策を与えられるのは日本だ!と言い切るくらいの気合いが求められるのではないか。

 ロシアではプーチン大統領が任期満了を迎えるが、ポスト・プーチンはやはりプーチンで、彼は大統領から首相に“降格”されて実権を維持する。全く異例の不格好さだが、旧KGB・党官僚の利権漁りで改革の成果がズタズタにされることを防ぐには、こうでもするしかなかったのだろう。上に述べたように、米国では冷戦という名の“第3次世界大戦”で旧ソ連を負かしてやったという捉え方がブッシュ父以来行き渡っているが、それは間違いで、米保守派のディミトリ・シムズが最新の『フォリン・アフェアズ』で言うとおり「ロシアは敗北したのでなく自ら転換した」のであり、そのことへの自信がプーチンの圧倒的人気の背景となっている。転換とは、超大国から大国への軟着陸のことで、その点をむしろこれから米国は学ばなければならない。そうでないと、「上海協力機構」を通じて中国、インド、イランなどと大ユーラシアの連携を形成して米国の崩れゆく覇権に代案を提示しつつあるロシアの戦略性に米国は対応することが出来ないだろう。

(4)「堂々の政権交代」が実現できるか、日本

 日本は、選挙を通じての正々堂々の政権交代が実現出来るかもしれない年である。小選挙区制の導入をめぐって自民党が分裂、戦後38年間の自民党一党支配が終焉して細川改革政権が誕生した93年から15年間もの回り道を経て、ようやく自分たちの一票で目の前で政権が変わるのを目撃する機会が訪れてきたことの重みを国民は大切にする必要がある。

 総選挙のタイミングは、1月臨時国会会期末、3月末の予算案成立後、洞爺湖サミット後などがありうるし、またそこへ至る経緯によっても結果は左右されるが、いずれにせよ自公連立政権が衆議院の3分の2以上を再び確保することはあり得ず、(1)両党で過半数は維持したが3分の2には届かず、参院とのねじれが一層深刻になる、(2)自民党が過半数を確保できず公明党が引き続き連立参加すれば政権を維持できるが、公明党がどうするか迷う、(3)自公で過半数に達しないが、民主党も単独で過半数に達しない、(4)民主党が単独過半数を確保する——など、いろいろのケースがあり得、(4)でなかったとしても他のどのケースも選挙による政権交代への道筋となる。

 『週刊朝日』新春合併号の福岡政行=白鴎大学教授による「300選挙区当落予想」は、先の参院選の得票をベースに現時点で分析したものだが、それによると、自民党は現有306議席に対し選挙区・比例区合計206±25、公明党31:27±4、両党合計で340:239±31と、ほぼ100議席を減じ、その分がほぼすべて民主党に回り、現有113に対して214±30を得る。つまり民主党が最大限に獲った場合は単独過半数をわずかながら超える可能性がないではないが、相対第1党となる可能性は大いにあるということである。

 福岡も書いているように、福田政権になって官の横暴が再び大復活を遂げている中で、国民の間に「今のままではじり貧だ。失敗するかもしれないけど、一度、小沢自民党にやらせてみよう」という“ダメもと政権交代論”が広がっていて、それが各種世論調査での福田内閣支持率の急落、民主党への期待度上昇の大きな要因となっている。小沢が好きか嫌いか、民主党が正しいか正しくないか、という以前に、まず政権交代を見てみたいという願望が広がっているというのはまことに健全で、国民が今の日本政治の戦略的課題がどこにあるかを直覚的に捉えているということである。

 上述のように、93年の政治改革国会が小選挙区制を選択したのは、まさに選挙を通じての政権交代が当たり前であるような成熟先進国らしい政治風土を培うことなしにはこの国の民主主義は前進しようがないという国民的な合意があったからで、本来であれば、非自民の改革派8派による細川政権がそのまま結束を崩さずに新制度で総選挙を戦い、実際に勝ってみせることでその実を示すことが出来るはずだった。が、野党となった自民党の決死の攻撃と政権内部のゴタゴタで細川との後継の羽田の両政権はわずか10カ月しか存続せず、自社さ大連立政権という形で自民党の権力復帰を許してしまった。以後14年間、自らは過半数を獲る力は失った同党は、野党がバラバラのまま離合集散を繰り返す政党状況を巧みに利用して、社さはじめ小党を次々に蟻地獄に誘い込んで食い潰すという格好で権力に留まり続けてきた。その「自民党政権延命」の時代がようやくここで終わって、小選挙区制の本旨に沿った「2大政党型の政権交代」の時代が開かれようとしている。

 民主党が政権を獲って自民党を野党に追い込むことなしには、日本政治は前へ進めないというところに戦略課題があるのであって、参院とのねじれもまたその課題への接近過程で生じている副次的な矛盾にすぎない。ねじれに耐えきれないから大連立というのは、副次的課題に戦術次元で対処すべき問題を、(政権交代が起こらないという)主要な矛盾に戦略的次元で取り組むべき問題とすり替えてしまったという小沢の課題認識の誤りであり、民主党が微動もすることなく党首の誤りを元に引き戻したのは立派だったということになる。

 こうして、日本政治は08年に本当に面白い段階に突入する。民主党政権が出来れば、その中心課題は官との対決であり、それは単に官僚の怠惰と政官業癒着が目に余るという目先の話ではなく、明治以来の中央官僚主導の日本型発展途上国の物事の決定や金の配分のシステムを100年目にして破砕して、成熟先進国にふさわしい市民中心のシステムを構築することは自民党中心の政権では所詮無理であり、国民はそれを民主党に託さざるを得ないという理由からである。経済も外交も課題は山積みだが、08年は何よりも政治の年ということになろう。▲

2008年1月 1日

あけましておめでとうございます

hatsuhi.jpg
▲安房鴨川・大山不動尊からの初日の出

●もっと「ひどい年」になるのか、2008年?

 どうもこの何年ものあいだ、心を込めて「おめでとう」と新年の挨拶を交わしたことがないように思いますが、2008年は「酷い年」と言われた07年を上回る「さらに酷い年」になるのではないかという予感が胸を塞ぎます。「酷い年」はラテン語で「アナス・ホリビリス」と言って、イギリスで王室スキャンダルが相次いだ1992年をエリザベス女王がそう呼んで流行語になったそうですが(24日付日経)、07年日本のそれは、閣僚の自殺や総理大臣の職務放棄、年金制度の信頼破綻、経済無策の中での格差拡大、食品偽装の横行など、政治や経済、制度と生活の基礎がズルズルと崩れていくような事態の連続で、王室スキャンダルなどより余程深刻と言えるでしょう。しかも、そのどれ1つとして好転する見込みが立たないままの年越しで、これでは明るい挨拶をしろというのが無理というものです。が、物事は行くところまで行き着けば反転せざるを得ないのが必定。07年に悪いことは出尽くして、08年前半それも春まではその後始末に足を取られるけれども、後半にかけては少しは良きことが垣間見えてくるという展開を期待することにしましょう。

 私個人で言えば、07年は酷いどころか希に見る良い年で、還暦を機に人生二毛作目のスタートを目指して進めてきた安房鴨川山中での田園住宅建築プロジェクトを、約2年遅れではありましたが完遂、5月に移住し、今は薪割り、薪置き場作り、道路整備、湧き水濾過供給システムの点検などに追われる毎日です。しかも、その新居に長女が帰ってきて8月に初孫を出産、首が据わるまでの5カ月間同居して、「爺(ジジ)」と呼ばれるこそばゆさに耐えつつも、人の命とか脳とか言葉とかについて改めて深く考えるきっかけをたくさん貰いました。田舎暮らしに関しては、08年早々から畑の土作り、現在は砂を詰めたパイプで行っている湧き水の浄化をビオトープの大きな池を作って自然濾過に委ねられないかという実験、ご近所の皆さんとの連携で馬を飼ってミニ乗馬クラブを開設する新事業の検討などが課題です。

 ブログ・ジャーナリズムの実験《ざ・こもんず》は、コンテンツ面も営業(サポーター企業募集)面も試行錯誤の連続ですが、年末にかけて新しい展開の芽がいくつも出てきて、08年にはブレークする気配です。テレビ朝日「サンデー・プロジェクト」(毎週月曜日10時)は来春で25年目に入り、3月には1000人規模の25周年記念大パーティ。4月からは少し出演回数を増やそうかなと思っています。大阪読売TV「情報ライブ・ミヤネ屋」(月金14時)は長野県も放映網に加わって、東京日本TVの直轄地である首都圏以外の全府県で全部もしくは一部が見られるようになり、さすがに日本TVもついに落城、4月からは3時間番組のうち頭1時間を放送することになりそうです。大阪発のコテコテ関西テーストの番組が全国制覇という珍しい出来事です。今年も私は火曜日担当のコメンテーターを続ける予定です。早稲田大学の超人気講座となった「大隈塾」は7年目を迎えて、200人授業とゼミを引き続き担当するほか、来年度から政治学科大学院に新設される「ジャーナリズム・コース」(我が国初のジャーナリズム大学院だそうですが)でも教鞭をとることになりそうです。

 どんな嫌な世の中になっても、自分の信ずるところに従って倦まず弛まず発言し続けることは、ジャーナリストの使命というより宿命ですが、それで世の中が思い通りに変わる訳もない。その時に、自分の足下から、例えば《ざ・こもんず》への仲間の結集、鴨川の地元に元気を取り戻すためのコミュニティ活動、大学での若い人たちとの接触を通じて彼らの人生観をフニャフニャにしてやるための挑発等々、手近なところで自分の出来ることを1つ1つやっていくことが大事で、それはもうジャーナリストとしてというよりも一市民もしくは社会事業家としての行動ということになるのでしょう。高校生の頃に座禅に通って、師から「一隅を照らす」という仏の教えを授けられました。「お前ら、世の中丸ごとひっくり返してやるかに大言壮語するばかりで、目の前で困っている人ひとりに光を与えることも出来はしない。このお堂の一隅も照らすことが出来ない者に世の中全部を照らすことなど出来るはずがない。喝!」と。その教えを思い返しつつ、心静かに「さらに酷い年」を乗り越えて行きたいと思います。▲

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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