國貞陽一著『寿 [kotobuki] 魂』を読んで懐かしかった!
國貞陽一さんという未知の方から『寿 [kotobuki] 魂』という本を贈って頂いた。何気なく開くと第1章が「発火点『エストニア・ロック・サマー』」で、私の名前も出てくる。えっ、あの「寿」か! うぉー、懐かしい! まだ頑張っているのを知って嬉しかった。
「寿」は、沖縄出身のギタリスト=宮城善光(ナーグシクヨシミツ)が作ったオキナワン・ロックのバンドで、彼が85年に東京の音楽専門学校でナビィというサックスを吹く女の子と出会って参加を求め、やがて彼女がメイン・ヴォーカルを務めるようになって、今も年100回ほどのライブを中心に息の長い活動を続けているのだという。まだ彼らがほとんど無名に近かった91年、旧ソ連支配下(と言ってももう独立直前)のエストニアのロック・サマーに京大理工学部出身のテクノバンド「ボ・ガンボス」と共に“日本代表”として私が引率して連れて行ったのだ。
私は、愚弟=津村喬の手引きで88年頃からエストニアの独立運動にコミットして、取材と支援を兼ねて年に1回程度、エストニアはじめバルト3国に通っていた。KGBの厳しい監視下で、少人数の集会1つ開くことも、エストニア語をしゃべることすらも、禁じられている中で、ユーリ・マカロフという山っ気たっぷりの青年が組織者となって首都タリン郊外の巨大な野外音楽堂で「ロック・サマー」を開いて、その時だけは堂々とエストニア語で歌を唄ってそこに独立と民主化への願望を滲ませるという試みを始めた。私は89年7月の第2回ロック・サマーを取材し、さらにその年8月にはバルト3国の首都を100万人が手を繋いで独立と民主化への願いを表現した「人間の鎖」も取材してその模様をドキュメンタリーにして放送した。欧米からそこそこの有名バンドも駆けつけて、3日間延べ30万人の聴衆を集めて大いに盛り上がった後の宴で、ユーリが「来年は日本からバンドを出してよ」と言う。それで、帰国してすぐに当時ソニー・ミュージックの社長だったマルさんこと丸山茂雄さんに相談して、ボ・ガンボスともう1つスターリン(名前が受けるだろうということで)を参加させる準備を開始したが、翌90年は旧ソ連との緊張が高まってロック・サマーが中止になってしまった。それで91年の第3回で、もう一度巻き直して、ボ・ガンボスと寿という取り合わせで行ったのである。寿はまだデビュー間もない頃で、元気いっぱい、弾けるような歌でたちまち会場の人気者となってしまった。
その時のことをINSIDER No.256(91年8月1日号)で次のように報告した。
●エストニアの首都ターリンで7月19〜21日開かれた“ロック・サマー1991”には、日本から「ボ・ガンボス」(エピック・ソニー)と「寿」(レコード未デビュー)の2バンドが初参加、3日間累計で25万人(推定)の聴衆から大喝采を浴びる成功を収めました。88年、89年に続いて第3回になるこのフェスティバルには、15カ国から32バンドが集まり、一杯に詰まれば15万人入るというメイン・ステージ、森の中のサブ会場であるグリーン・ステージ、それにビア・ガーデンになっているビア・ステージの3カ所で、それぞれ1〜1時間半の演奏を繰り広げました。日本以外の主な顔ぶれは、ボリス・グレベンシコフ(ロシア)、セクセピル(ハンガリー)、レニングラード・カウボーイズ(フィンランド)、カオマ(ブラジル)、ファビュラス・サンダーバーズ(アメリカ)、ハート・ルージュ(カナダ)、ザ・ストゥラングラーズ(イギリス)といったところで、一番最後はエストニアの人気フォーク・グループである“イエロー・サブマリン-G”が「今は苦しいけれど……」という歌を唱って締めました。89年の前回は、ちょうどエストニアの人々が50年に及ぶソ連の占領・支配から脱する光明をようやく見い出した段階で、このような催しを自由に開けること自体への歓喜が会場に満ちていたのですが、2年経った今では自由はもう当たり前になっていて、シラケとは言わないまでも、聴衆の動員も盛り上がりの度合いも、一昨年に比べるといまひとつという感じがしました。とはいえ、これがソ連で最大の、しかも初めての純民間の自立したロック・コンサートであって、主催者が企図したとおり「東西の音楽の掛け橋」の役目を果たしたことは疑いもありません。音楽が世の中を動かしている——というとちょっと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも、音楽が世の中のうねりと一緒になって息づいているのを全身で感じ取れるというのも、そう滅多に経験できることではなくて、そういう意味では、日本から行った2つのバンドも大変な刺激を受けて帰って来たようです。ボ・ガンボスのリーダーであるドントの手記が『朝日ジャーナル』に、インタビューが『週刊プレイボーイ』に近く出る予定ですのでご覧下さい。またテレビでは東海TV中心のネットで8月20日に放映予定です。
私がエストニアのロック・サマーに首を突っ込んだのは翌92年までで、その時は「東京スカ・パラダイス」のブンチャカブンチャカ・バンドを連れて行った。楽しい思い出だ。▲