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2006年7月21日

昭和天皇が「A級戦犯合祀」に怒っていたというのは本当だった!

 20日付の『日本経済新聞』が一面トップで報じ、他紙が同日夕刊で一斉に追随した「A級戦犯の靖国合祀に昭和天皇は不快感を抱いていて、それを理由に以後は靖国参拝を中止した」という報道は、私にとってなかなか感慨深い。このことを私は宮内庁筋への取材を通じてとっくの昔に知っていて、何年も前の「朝まで生TV」や「サンデー・プロジェクト」でその趣旨のことを発言したのだが、岡崎久彦らから「そんな事実はない」と反論を受け、また右翼や一部遺族会の皆さんから抗議のメールが殺到したり、2チャンネルなどでの書き込みで攻撃された。この人たちは今回の報道をどう受け止めたのだろうか。

 日経によると、昭和天皇は1988年4月、当時の宮内庁長官、故・富田朝彦氏に対して、靖国神社によるA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と語った。富田氏が昭和天皇との会話を日記や手帳に克明に書き留めており、その中からこの発言が見つかった。該当個所は次の通り。

「私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」

 翻訳すればこうだ。私は、78年にA級戦犯が靖国神社に合祀され、その上、日独伊同盟の推進者である松岡洋右元外相や白鳥敏夫元駐伊大使までもが合祀されたことをおかしいと思っている。前の宮司である筑波藤麿は、66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取っても、それを合祀するのに慎重に対処してくれたと聞いた。ところが、次の松平永芳宮司は、終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平慶民の長男でありながら、易々と合祀に踏み切った。松平慶民は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の本心だ。

 昭和天皇は戦後、3〜4年に1回の割で計8回、靖国に参拝しており、最後は75年11月。78年に松永が宮司になりすぐに合祀を強行したので、それ以来行っていない。現天皇も89年に即位して以来、一度も行っていない。天皇が行きたくない靖国神社なんて自己矛盾の極み。遊就館で上映している戦史ドキュメンタリー「私たちは忘れない」は「内閣総理大臣ならびに全閣僚、三権の長、そして天皇陛下がご参拝になられて、英霊の御霊は鎮まり、全国のご遺族のお気持ちは休まるのです」と言うけれども、天皇が参拝できないようにしたのは靖国側なのである。▲

2006年7月18日

ジンギス・ハーン800周年のモンゴルを満喫してきた!

 なかなか更新できなくて申し訳ありません。ドタバタして「インサイダー」の原稿を書くのが精一杯で、そのうちモンゴルに旅立ってしまって、インターネットはおろか電話もないようなところで過ごしていたので、すっかりご無沙汰してしまいました。

●モンゴルの音楽と乗馬を楽しむ旅

 モンゴルに行き始めたのは1998年。ウランバートルに国立オペラ劇場があるという話を聞いて、「へーえ、行ってみようよ」ということになって、モンゴル音楽に詳しい音楽制作会社=創樹社社長の山川泉氏を案内役に、作曲家の三枝成彰、作家の林真理子、ぴあ社長の矢内廣の各氏と共に行ったのが最初だった。800席ほどのこぢんまりした劇場で、それが50年以上前に抑留日本人捕虜の“強制労働”で建てられたものと聞いてビックリ。歌手も結構巧くて、モスクワやプラハで修業してイタリアで活躍して帰ってきたというような人もいて、またビックリ。「蝶々夫人」「トスカ」といった西洋の定番ものも演じるけれども、自前で創作した民族ものを大事にしていて、それがなかなかよくて、またまたビックリ。

 当時、日本では第2国立劇場が出来たものの、ハコだけ立派で、専属の歌手も合唱団も交響楽団もバレエ団もいない。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇などを連れてきてS席8万円とかでやっているのと「どっちが進んでいるのか、どっちが豊かなのか」と、一同大いに感動しつつ議論したのだった。

 以来、ほぼ毎年のように、多いときには50人、今年のように少ないときで10人ほどでオペラやバレエや民族音楽を聴き、また数日は郊外のゲル村に泊まって乗馬を楽しむという旅を続けてきた。2001年には、やはり日本人捕虜が立てたウズベキスタンの首都タシケントのオペラ劇場にも足を伸ばし、この時には実際にその建設に携わった元捕虜の生き残りの2001年には、やはり日本人捕虜が立てたウズベキスタンの首都タシケントのオペラ劇場にも足を伸ばし、この時には実際にその建設に携わった元捕虜の生き残りの方々まで含めて100人で行った。このあたりの経緯は、高野個人ホームページの旅行記に詳しいので参照して頂きたい。

●オペラ、バレエ、そしてディスコ

 今回は、7月10日夕方の便で成田を出発、当日はウランバートルの宿に着いて寝るだけ。翌11日が年に1度の国民的なお祭り「ナーダム」の開会式で、今年はジンギス・ハーンの戴冠(ということはモンゴル帝国建国)800周年記念ということでとりわけ盛大な催しが行われ、それを国立競技場のスタンドで参観し、引き続き行われたモンゴル相撲と子供競馬の全国大会を観戦した。

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↑ナーダム開会式のチケット。聖なる山、虎、鷲がデザインされている。3000トゥルグルは約300円

 800年祭の全体についてはこの英語サイトを。http://www.mongolia800.mn/eng/

 12〜13両日はウランバートルから1時間ほど車で行ったテレルジという自然保護区の中にあるゲル村に泊まり、高山植物が咲き乱れる高原を馬で散策したり、羊を1頭捌いて石焼きにする遊牧民の伝統料理を味わったり、民族音楽の名手に来て貰って聳え立つ奇岩を背景に馬頭琴とオルティンドー(伝統歌謡)の野外コンサートを楽しんだりした。

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↑山の中腹にあるラマ教寺院まで馬でトレッキングした

 14日にウランバートルに戻って、午後に国立サーカス劇場で曲馬団の公演「イフ・シュテーン」を観劇した。「聖なる象徴」という意味で、古代モンゴルの王が権力の象徴たる金の鷹を逆臣に奪われるがシャーマンの魔法の力を借りて戦ってそれを取り戻すという物語で、フランスの騎馬オペラ団「ジンガロ」の芸術性・洗練性には遠く及ばないものの、モンゴル伝統の曲馬技をふんだんに織り込んだ活劇に観客は湧いた。夜は、市内にたくさんあるライブ・ミュージック&ディスコの1つ「リバー・サウンド」で国際的に活躍するポップス歌手ナランの歌を聴いてその後ディスコ・ダンスで一汗かいた。

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↑曲馬団の日本語リーフレット。日本語はほとんど意味不明だった。

 15日は朝から市内観光とショッピング、午後には国立図書館のアキム館長を訪ねてモンゴルのメディア事情について話を聞いた。彼は民主化と同時に90年に自分の新聞を創刊、歯に衣着せぬ権力批判を展開し、人民革命党(旧共産党)政権からも民主党政権からも弾圧され、計36回も逮捕・事情聴取され起訴までされたが節を曲げなかった反骨のジャーナリスト。その後、大学教授を務め今は図書館長という一種の閑職に填め込まれている。「モンゴルの新聞はじめメディアは、旧共産党系か民主党系かに二分されていて、広告主の企業もどちらかに二分されているので、私のように両方を批判し腐敗を糾弾すると、どこからも広告が入ってこない。この国にはまだ本当にフリーなメディアは存在しない。政治家を含む有名人のスキャンダルを書き立てるメディアはあるが、それらは証拠もなしに中傷的な噂を流すだけで、ジャーナリズムではない」「この国の最大の問題は、政治家・高官の間で賄賂が大流行していることで、これを正さなければ先に進めない。賄賂事件はしょっちゅう起きるが、それで刑務所に入った者は1人もいない。今年も税務長官が汚職で逮捕される大事件が起きたが、これも起訴されるかどうか分からない。まず法律を直さなければ」と語っていた。

 それから挨拶もそこそこに国立オペラ劇場に駆けつけて、オペラ「ジンギス・ハーン」を鑑賞。今ちょうど日本経済新聞の連載小説で堺屋太一氏が書いているあたり、モンゴルの一部族の長だったテムジンが各部族を統一して大民族会議によってハーン(大王)の称号を与えられるまでのお話で、主役ジンギス・ハーンに扮するのはバリトン歌手のトプシントゥクス。日本とモンゴルを往復しながら活動する日本人ソプラノ歌手の奥山由美さんも、敵に捕らえられたテムジンを助け出す羊飼いの娘の役で登場してアリアを歌った。私や山川氏は昨年もこれを観ているが、だいぶ演出や舞台装置も変えて迫力が増していた。このオペラを何とかして来年、日本に持ってきたいと山川氏と語り合っているところである。

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↑オペラ「ジンギス・ハーン」のチケット。座席指定が手書きなので時折トラブルが起きる。約1000円

 16日はまた観光とショッピング。ショッピングと言っても買う物は皆さん決まっていて、日蒙合弁Goviのショップでカシミア、食品市場メルクーリで岩塩、アンティック・ショップで遊牧民のナイフ、後は市内唯一最大のデパート5階のお土産売り場で民芸品の小物、といったところ。デパートは国営だったのが民営化されて、おしゃれな書籍・文具のショップが出来たりして、だいぶ洗練されてきた。午後には、モンゴル日本人会の主催で講演会が開かれ、私が「ポスト小泉で日本はどうなる?」という話をし、市橋康吉大使ご夫妻はじめ50人ほどの日本人や日本留学経験組のモンゴル人と質疑応答を行った。モンゴルに住む日本人は約300人で、その3分の2がウランバートルにいるという。それからまた国立オペラ劇場に行って、今度は創作バレエ「仏陀」を鑑賞。病に苦しむ女性が死んで、地獄の惨憺と天国の至福とを経験し、再び地上に派遣されて人は生きて善をなして天国に行くべきことを人々に伝えるという物語。ラマ教の神々の仏像によく見るような印相を巧みに使った演出が新鮮で面白かった。

 同夜8時からソウル・クラブという緑の公園の中にあるレストランに、今日のバレエや昨日のオペラの出演者、オペラ劇場の女性総裁やサーカス団の団長ら関係者を招いてお礼と懇親のパーティ。アルヒ(モンゴル・ウォッカ)を飲んでご機嫌になったテノール歌手がカンツォーネや「昴」など日本の歌を次々に歌って大いに盛り上がった。宿に帰って日本人だけでさらに宴会を続けて残ったアルヒ、焼酎、ウィスキーをすべて空にし、翌朝二日酔いで朦朧としながら空港に向かったのだった。

●9月に東京・千葉で「モンゴル音楽祭」が

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 さて、今年も我々のツァーのコーディネーターを務めてくれた山川泉氏が企画した「モンゴル音楽祭2006/天空の響き」が9月8日に東京「かつしかシンフォニーヒルズ(モーツァルトホール)で、11日には千葉市民会館大ホールで、それぞれ開かれる。我々が今回の旅で出会ったホーミー歌手のヤグワン、バリトン歌手のトプシントゥックス、ポップス歌手のナランのほか第1級の民謡歌手、馬頭琴奏者、舞踊家などが大挙して来日する。今回の旅の参加者たちは今から彼らとの再会を楽しみしている。

 東京公演はhttp://www.k-mil.gr.jp/program/symphony/2006/060908m.html

 千葉公演はhttp://www.f-cp.jp/topics/mongoru/mongoru.html

 また、10月14日には東急Bunkamuraオーチャードホールでモンゴル国立馬頭琴交響楽団のコンサートが開かれ、我々旧知の馬頭琴奏者たちも出演する。
 チケット情報はhttp://www.ints.co.jp/mongol/index.htm

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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