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岩城宏之さんが亡くなった……

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《ざ・こもんず》運営事務局より謹んで哀悼の意を表します。
※写真はhttp://www.sanspo.com/より拝借いたしました。

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『ベートーヴェンの1番から9番までを一晩で振るマラソン2004』

 日本を代表する世界レベルの指揮者である岩城宏之さんが13日、亡くなった。87年に頸椎後縦靱帯骨化症という難病で大手術、その後も胃と咽頭と肺の癌で計30回近い手術を繰り返しながら、決して弱音や愚痴を吐くこともなく、音楽活動はもちろんエッセイストとしての執筆活動を旺盛に続け、プライベートな場でもいつもジョークというか、フランス小話のような軽妙な語り口で自分の失敗談などを面白おかしく話して周りを飽きさせることがなかった。

 最後の指揮となったのは、5月24日、東京・紀尾井ホールでの「東京混声合唱団創立50周年」記念コンサートで、六本木男声合唱団(六男)の仲間たちや家族と共に聴きに行っていた私は、岩城さんの番になった時に車椅子で出て来られたのを見て少なからず驚き、実を言うと、いずれ別れの日があることを密かに覚悟したのだった。コンサート終了後、岩城さんは、自分が長年、音楽監督を務めた東京混声合唱団の打ち上げには顔を出さずに、六男が用意したパーティの会場に直行して、私がそこに着いた時には奥様の木村かをりさんと2人でもう料理の並んだテーブルに座っていた。どの新聞の訃報にもその肩書きは出ていないが、実は岩城さんは六男の終身名誉指揮者でもあるのだ。私が隣に座ると、岩城さんは「声が出なくて、しゃべるのがつらいんだ」と言いながらも、ついさっき指揮してきたばかりの軍歌というよりも厭戦歌である「戦友」(真下飛泉作詞、三善和気作曲)——ここはお国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下…という、あれだ——のことを楽しそうに話された。

 「あの『戦友』は、とてもいい編曲だけど、誰の編曲なんですか」と私は訊いた。「あれ、林光なんだよ」。林は東京混声合唱団と関わりが深く、たくさんの委嘱作品を提供していて、この日の演奏会でも自作品などを数曲指揮している。なのに、今日のプログラムでは編曲者として名前が出ていない。「あの曲を“反戦歌”として歌うことに右翼が反発するという時代があったんだ。実は私もビクターでこの曲を録音してEPで出したことがある。その時は大変で、スタジオまでビクターのトップが来て、こんな曲は出さない方がいいというようなことを言う。出したんだが、会社では一切宣伝も何もしないから、全然売れなかった。それで私は、そのレコードを自分でまとめ買いして、毎年8月に知り合いに配った。あ、君にも今度1枚あげるよ」

 「戦友」は、一応分類上は軍歌とされているが、日露戦争の悲惨な現実を伝え聞いた作詞者が倒れた戦友へのレクイエムとして書いて明治38年に発表した唱歌だ。その前年には与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」」が出ている。軍部は人々がこれを歌うのを嫌い、戦後になっても右翼がこの唄を目の敵にしたので、林は編曲者として名前を出すのを避け、ビクター幹部もレコーディングに難色を示したのだろう。

 私は、その数日前に藤田嗣治の生誕120周年を記念する東京国立近代美術館の展覧会を見たばかりだったので、藤田が戦時中、従軍画家としてたくさんの絵を描いて、戦後になってそのことで“戦犯”扱いされることになったけれども、実際に絵を見てみれば、戦争賛美や戦意高揚の絵など1枚もなく、「戦場は地獄である」という想念しか浮かばないような作品ばかりであり、そういう意味では「戦争協力者」呼ばわりされてずいぶん不本意だったろう、「戦友」の作詞者もこれを「軍歌」と呼ばれて「違うんだよなあ」と思っているに違いない、というような話をした。

 岩城さんご夫妻とは、知人を介して5〜6年前に知り合い、その知人の自宅や軽井沢の別荘でよくご一緒した。03年の大晦日に三枝成彰がプロデュースして、何人かの指揮者が交代でベートーベンの交響曲を1番から9番まで通しで演奏するという試みがあり、岩城さんはそのうち3曲を振ったのだが、終わった後、「どうせやるなら、全部一人でやりたい」と言い出して三枝をびっくりさせた。04年の夏にお目にかかった時に「(お体は)大丈夫ですか」と訊ねると、「こんなことは世界で誰もやったことがない。自分もしばらく前だったら出来なかったろうし、この先二度と出来ないかもしれない。今だから出来る。もう毎日、ベートーベンのスコアと睨めっこだよ」と意欲満々だった。その年の大晦日、偉業を達成。昨年の暮れに体調不良にも関わらず楽屋にドクターを待機させての2回目の挑戦で鬼気迫る演奏で大成功。今年の暮れも3回目をやるつもりで、亡くなる3日前までスコアを枕元に置いて勉強を続けていたという。いくつになっても子供のような好奇心をもって新しいことに挑み続けた岩城さん、今は安らかにお休み下さい。あ、「戦友」のレコード、かをりさんにお願いして1枚頂きます。家宝にします。▲

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Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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