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2006年6月29日

岩城宏之さん追悼・続

 6月14日付本欄の岩城宏之さんへ追悼の中で触れた「戦友」について、少し補足を。

軍部が問題にしたのは、全体に哀愁を帯びたメロディで兵を鼓舞するところがないということと、歌詞の中の「軍律きびしい中なれど これが見捨てて置かりょうか」が、「命令ナクシテミダリニ負傷者ノ看護スベカラズ」という軍律に違反していることだったようだ。そのため、昭和に入ってこの「軍律きびしい中なれど」が「硝煙渦卷く中なれど」と改編され、さらに太平洋戦争時代には歌うこと自体が禁じられた。が、多くの将兵は辛いときにはこれを歌って自らを慰めた。他方、戦後GHQは「軍国調の歌詞」だとしてこれを嫌い、真下の生まれ故郷である丹後・大江町の良正院門前にある「ここはお国を何百里」と掘った石碑を破壊するよう要求したが、時の住職が体を張って阻止した。右からは厭戦歌と言われ、左からは軍歌と言われた歴史があるわけで、とすると林光が編曲者と名乗るのを避けたのは、左翼仲間から「何だ、軍歌なんて編曲して」と言われたからかもしれない。

歌詞全文は以下の通り。

ここはお国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下

思えばかなし昨日まで 真先駈けて突進し
敵を散々懲らしたる 勇士はここに眠れるか

ああ戦の最中に 隣りに居ったこの友の
俄かにはたと倒れしを 我はおもわず駆け寄って

軍律きびしい中なれど これが見捨てて置かりょうか
「しっかりせよ」と抱き起し 仮繃帯も弾丸の中

折から起る突貫に 友はようよう顔あげて
「お国の為だかまわずに 後れてくれな」と目に涙

あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
「それじゃ行くよ」と別れたが 永の別れとなったのか

戦すんで日が暮れて さがしにもどる心では 
どうぞ生きて居てくれよ ものなど言えと願うたに

空しく冷えて魂は くにへ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと 動いて居るも情なや

思えば去年船出して お国が見えずなった時
玄海灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて

それより後は一本の 煙草も二人わけてのみ
ついた手紙も見せ合うて 身の上話くりかえし

肩を抱いては口ぐせに どうせ命はないものよ
死んだら骨を頼むぞと 言いかわしたる二人仲

思いもよらず我一人 不思議に命ながらえて
赤い夕日の満州に 友の塚穴掘ろうとは

くまなく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙

筆の運びはつたないが 行燈のかげで親達の
読まるる心おもいやり 思わずおとす一雫

2006年6月25日

宿沢広朗さんが亡くなった……

 ラグビー元日本代表監督/三井住友銀行専務の宿沢広朗(ひろあき)さんが亡くなった。新しく立ち上げた法人顧客向けのプロジェクトについて、前週に同行頭取と打合せをして意欲満々だったというのに、その週末に赤城山で山歩きをしていて突然の心筋梗塞で帰らぬ人となった。まだ55歳。私は、日本ラグビーを何とかするには、宿沢=日本ラグビー協会会長、日本代表監督=清宮克幸(前早大監督、現サントリー監督)という早大コンビで行くしかないと思っていたので、落胆が大きい。22日に築地・本願寺で行われた葬儀に参列して、宿沢さん個人の過去の思い出のためというより、日本ラグビー界全体の行く末を想って、涙が滲んだ。最後にお目にかかったのは3年ほど前だったろうか、一杯飲んでラグビー談義をして、帰りに早稲田ラグビー部のえんじと黒のストライプの公式ネクタイをプレゼントして頂いた。以来、私の「サンデー・プロジェクト」出演日がたまたま早稲田の勝負所の試合に当たる時は、そのネクタイをして出演し、番組終了後そのまま競技場に応援に駆けつけることにしている。▲

2006年6月18日

事務局でキャンドルナイト&ワールドカップ

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撮影:《ざ・こもんず》運営事務局(2006.6.18)

《ざ・こもんず》運営事務局で地味に(本来ハデではないですが)キャンドルナイト...予定どおり午後8時頃から電気を消してみたものの、あまりに暗すぎてコンテンツ作業不能のため一時断念。

しかし、窓越しに外を見ると、いつもの明かりが灯っていないところがチラホラ。

このイベントが浸透している事を再確認する。

1時間後の午後9時スギにキャンドルナイト再開。(写真はこの時撮影)

気になるのは《ざ・こもんず》コラムニストの玉木さんの記事。(2006.6.16)

ところが実際、ワールドカップ「日本対クロアチア」の試合スタート時間は午後10時スギ。(でんきを消して、は午後10時までなので)

まだ現在試合中ですが、とにもかくにも無事両方こなせたワケで、一安心。

TVで、ドイツのケルン大聖堂では「ロウソクに火を灯して願いをこめる」というシーンを放送していましたが、このワールドカップとキャンドルナイトの組み合わせ、さほど遠からずの関係だと思いませんか?

by 《ざ・こもんず》運営事務局スタッフ

サンプロ出演予定

高野孟氏、7月のサンプロ出演予定日です。

2006年7月2、9、30日

要チェック!!

by 《ざ・こもんず》運営事務局

2006年6月14日

岩城宏之さんが亡くなった……

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《ざ・こもんず》運営事務局より謹んで哀悼の意を表します。
※写真はhttp://www.sanspo.com/より拝借いたしました。

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『ベートーヴェンの1番から9番までを一晩で振るマラソン2004』

 日本を代表する世界レベルの指揮者である岩城宏之さんが13日、亡くなった。87年に頸椎後縦靱帯骨化症という難病で大手術、その後も胃と咽頭と肺の癌で計30回近い手術を繰り返しながら、決して弱音や愚痴を吐くこともなく、音楽活動はもちろんエッセイストとしての執筆活動を旺盛に続け、プライベートな場でもいつもジョークというか、フランス小話のような軽妙な語り口で自分の失敗談などを面白おかしく話して周りを飽きさせることがなかった。

 最後の指揮となったのは、5月24日、東京・紀尾井ホールでの「東京混声合唱団創立50周年」記念コンサートで、六本木男声合唱団(六男)の仲間たちや家族と共に聴きに行っていた私は、岩城さんの番になった時に車椅子で出て来られたのを見て少なからず驚き、実を言うと、いずれ別れの日があることを密かに覚悟したのだった。コンサート終了後、岩城さんは、自分が長年、音楽監督を務めた東京混声合唱団の打ち上げには顔を出さずに、六男が用意したパーティの会場に直行して、私がそこに着いた時には奥様の木村かをりさんと2人でもう料理の並んだテーブルに座っていた。どの新聞の訃報にもその肩書きは出ていないが、実は岩城さんは六男の終身名誉指揮者でもあるのだ。私が隣に座ると、岩城さんは「声が出なくて、しゃべるのがつらいんだ」と言いながらも、ついさっき指揮してきたばかりの軍歌というよりも厭戦歌である「戦友」(真下飛泉作詞、三善和気作曲)——ここはお国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下…という、あれだ——のことを楽しそうに話された。

 「あの『戦友』は、とてもいい編曲だけど、誰の編曲なんですか」と私は訊いた。「あれ、林光なんだよ」。林は東京混声合唱団と関わりが深く、たくさんの委嘱作品を提供していて、この日の演奏会でも自作品などを数曲指揮している。なのに、今日のプログラムでは編曲者として名前が出ていない。「あの曲を“反戦歌”として歌うことに右翼が反発するという時代があったんだ。実は私もビクターでこの曲を録音してEPで出したことがある。その時は大変で、スタジオまでビクターのトップが来て、こんな曲は出さない方がいいというようなことを言う。出したんだが、会社では一切宣伝も何もしないから、全然売れなかった。それで私は、そのレコードを自分でまとめ買いして、毎年8月に知り合いに配った。あ、君にも今度1枚あげるよ」

 「戦友」は、一応分類上は軍歌とされているが、日露戦争の悲惨な現実を伝え聞いた作詞者が倒れた戦友へのレクイエムとして書いて明治38年に発表した唱歌だ。その前年には与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」」が出ている。軍部は人々がこれを歌うのを嫌い、戦後になっても右翼がこの唄を目の敵にしたので、林は編曲者として名前を出すのを避け、ビクター幹部もレコーディングに難色を示したのだろう。

 私は、その数日前に藤田嗣治の生誕120周年を記念する東京国立近代美術館の展覧会を見たばかりだったので、藤田が戦時中、従軍画家としてたくさんの絵を描いて、戦後になってそのことで“戦犯”扱いされることになったけれども、実際に絵を見てみれば、戦争賛美や戦意高揚の絵など1枚もなく、「戦場は地獄である」という想念しか浮かばないような作品ばかりであり、そういう意味では「戦争協力者」呼ばわりされてずいぶん不本意だったろう、「戦友」の作詞者もこれを「軍歌」と呼ばれて「違うんだよなあ」と思っているに違いない、というような話をした。

 岩城さんご夫妻とは、知人を介して5〜6年前に知り合い、その知人の自宅や軽井沢の別荘でよくご一緒した。03年の大晦日に三枝成彰がプロデュースして、何人かの指揮者が交代でベートーベンの交響曲を1番から9番まで通しで演奏するという試みがあり、岩城さんはそのうち3曲を振ったのだが、終わった後、「どうせやるなら、全部一人でやりたい」と言い出して三枝をびっくりさせた。04年の夏にお目にかかった時に「(お体は)大丈夫ですか」と訊ねると、「こんなことは世界で誰もやったことがない。自分もしばらく前だったら出来なかったろうし、この先二度と出来ないかもしれない。今だから出来る。もう毎日、ベートーベンのスコアと睨めっこだよ」と意欲満々だった。その年の大晦日、偉業を達成。昨年の暮れに体調不良にも関わらず楽屋にドクターを待機させての2回目の挑戦で鬼気迫る演奏で大成功。今年の暮れも3回目をやるつもりで、亡くなる3日前までスコアを枕元に置いて勉強を続けていたという。いくつになっても子供のような好奇心をもって新しいことに挑み続けた岩城さん、今は安らかにお休み下さい。あ、「戦友」のレコード、かをりさんにお願いして1枚頂きます。家宝にします。▲

2006年6月13日

でんきを消して、スローな夜を。6月21日20時〜

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 今年も6月17〜21日、「でんきを消して、スローな夜を」を合い言葉に、「100万人のキャンドルナイト」が行われる。18日(日)には、東京タワー、六本木ヒルズはじめ全国の主要施設約3万3000カ所が消灯し、東京タワー下の芝・増上寺ではカウントダウンのイベントが行われる。21日(水)夏至の日には、今年は恐らく700万人を超えるであろう参加者が、それぞれ家庭でオフィスで旅先で、20時から22時まで、一斉に電気を消して、ローソクを立てて子供に絵本を読んだり、恋人同士でワインを傾けたり、独り静かに物思いにふけったり、思い思いのことをして過ごす。

 この運動は、01年に米国でブッシュ政権のエネルギー政策に抗議して起こった自主停電ムーブメントに学んで、これを「キャンドルナイト」の名の下に日本でもやろうと、辻信一=明治学院大学教授(ナマケモノ倶楽部世話人)、藤田和芳=大地を守る会会長らが呼びかけて03年から始まったもので、ただ電気を消すだけでそれぞれが豊かな時間を味わうというだけの、まことに静かな社会運動。高野は毎年、呼びかけ人に名を連ねていて、今年は「闇が光より明るいという新鮮な驚きを一人でも多くの人に届けよう」というメッセージを書き送った。また《ざ・こもんず》として賛同金を届けた。これらは下記の「キャンドルナイト」ホームページに掲載される。

http://www.candle-night.org/

 読者の皆さんも、同ホームページで概要を把握の上、工夫を凝らしてご参加下さい。▲

2006年6月12日

7月10〜17日モンゴル“オペラと乗馬”ツァー、追加募集中!

 7月10日(月)〜17日(月)、ジンギス・ハーン戴冠800周年で一段と盛り上がるモンゴルの国民的祭典「ナーダム」参観を中心とするツァーを高野が団長となって実施します。定員15名ですが、当初参加予定者が個々の事情で不参加となったため、まだ5〜6名ほど余裕があります。《ざ・こもんず》講読会員の皆さんの中で「一度モンゴルに行ってみたかった!」「ナーダムを見たい!」という方は奮ってご参加下さい。

 これは、高野のほか三枝成彰、林真理子、矢内廣らが98年に始めた「モンゴル・オペラ・ツァー」の6回目に当たるもので、その経緯については高野個人ホームページ「高野孟の極私的情報曼荼羅」(http://www.smn.co.jp/takano/)から「モンゴル填り込み日記」をご参照下さい。

 今回は、ウランバートルでナーダムの3大イベントである子供の大草原競馬大会、モンゴル相撲全国選手権、弓技大会を参観の後、郊外の景勝地テレルジのゲル村で2泊して草原で乗馬その他を楽しみ、またウランバートルに帰って曲馬団、オペラ「ジンギス・ハーン」、バレエ「仏陀」を鑑賞、夜はロックのライブハウスやディスコ探訪といった盛りだくさんのメニューです。

●日程:7月10日(月)〜17日(月)
10日(月)成田17:00発→ウランバートル22:10着、グランドホテル泊
11日(火)ナーダム参観、同上泊
12日(水)郊外テレルジ、乗馬等、ゲル村泊
13日(木)郊外テレルジ、乗馬等、同上泊
14日(金)市内観光、サーカス曲馬団観劇、グランドホテル泊
15日(土)市内観光、オペラ「ジンギス・ハーン」観劇、同上泊
16日(日)バレエ「仏陀」観劇、国立オペラ座出演者と懇親パーティ、同上泊
17日(月)ウランバートル11:15発→成田16:00着、解散

●費用:25万6,000円
これに含まれるのは、往復航空運賃、空港税、食事代(11日朝食から16日夕食まで、但しパーティ代は別途)、観劇代です。含まれないものは16日懇親パーティ(1人約30ドル)、テレルジで伝統音楽家を招いての野外音楽会(同約20ドル)、乗馬代などです。

●問い合わせ・申し込み先:(株)創樹社 山川 泉
携帯:090-7832-3812
電話:03-3499-0217
FAX:03-3498-7458
〒150-0001 渋谷区神宮前5-47-10

2006年6月11日

いよいよW杯、私は中田英の“爆発度”に注目!

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http://dacapo.magazine.co.jp/index.jsp
 
 さあ、いよいよW杯、眠れぬ夜が続く。私は、今発売中の『ダカーポ』のW杯特集でコメントを求められたので、ただ一点、中田英の“爆発”に注目するという趣旨のことを述べた。

《ダカーポへのコメント》
 勝負は時の運ですから予想しても意味がないですが、願望としては、オーストラリアとクロアチアに勝って決勝進出、それで初戦敗退か、ベスト8進出か、というのが。精一杯のところでしょう。中田英が“爆発”するかどうかに注目しています。彼にとって3回目のW杯ですが、最初は彼の天才ぶりが日本代表のレベルとマッチせずに浮いてしまって空回り、次は何とかみんなに合わせようとして気をつかって萎縮気味、それで今度は、彼が大人になったということもあり、日本代表のレベルが上がったということもあって、彼が思いっきりのびのびやって、それに他が付いていくという形が作れれば、ベスト8入りまでは行くんじゃないでしょうか。

 10日付『スポーツ報知』の1面は「神の切り札、中田弾/守備的MF異例攻撃側で練習、シュート80発」という記事。開会式前日の8日、ジーコ・ジャパンは合宿先のボンでこの日も練習、「(ジーコは)中盤より後ろの選手をハーフコートに集め……オーストラリア対策として戦術の細部を確認し、指示を出す。だが、ボランチのはずの中田英は不在。グラウンドの逆サイドにいた攻撃陣に交じり、シュート練習を行っていた」。ジーコは中田英に「全幅の信頼を置く」が、「そのエースに最も期待するのは守備ではなく攻撃。オーストラリア戦で中田英の一発が飛び出せば、日本は一気に波に乗るはずだ」。

 そう、私が夢想する展開はまさにこれ。オーストラリア戦で中田英が中盤でボールを受けてサイドに振って自分がゴール前に駆け込んで自分で先取点を取れば、それで一気に流れが出来る。もちろん誰が先取点を取ってもいいのだが、彼が真っ先に取ると「流れが出来る」とぃうところが最重要ポイントだろう。

 『AERA』6月19日号で伊東武彦は、ジーコが自分の選手時代の感覚とマッチするが故に最も寵愛しているのは中村俊輔で、だから彼を攻撃的MFの定位置から動かさないのだと書き、さらに中田英は豊富な経験を買われてはいるが、本来のポジションでないボランチで起用されていると言っているが、私は、ジーコが中田英に守備よりも攻撃を期待していて、後方からの展開力や飛び出しなど思い切ったプレーでチーム全体を牽引することを求めているという『スポーツ報知』の中田=“攻撃的ボランチ”説に賛成だ。▲

2006年6月 5日

昨日のサンプロはなかなか面白かった!

 昨日のサンプロの注目点、その1。村上ファンドを巡る議論の中で、佐山展生=一橋大学大学院教授が「村上ファンドの投資の仕方がニッポン放送から変わってきた」と言ったが、それがどういう意味か、聞いていたほとんどの人は分からなかったと思う。実は、後の財部誠一の質問がその解説になっていたのだが、その関連性も分かりにくかったかもしれない。少し補足しながら改めて言うと、こういうことだ。

 村上ファンドが30億円程度の運用規模だった時代には、株価が安いが資産を持っている企業に狙いをつけて株を買い進め、覆面を脱いで大株主として経営にモノ申すというやり方は、収益を上げることの出来る投資モデルだったし、また社会的にも積極的・建設的な意味を持っていた。3日付日経3面の「変質した村上ファンド」という囲み記事が言っていたように、それを通じて村上ファンドは「利益を社内に溜め込み、株主への配分も、将来への投資もしない上場企業の経営姿勢が、いかに株主の利益を損ねているかをあぶり出し」、その意味で「日本の企業統治に規律を与える希望の星」とさえ評価されたのである。

 ところが、それで行けるのは、財部によると、運用規模300億円が限度で、村上ファンドがさらに世界中から資金の預託を受けて3000〜4000億円にまで膨らんでしまった時には、それだけの巨額の資金を投じて株価と資産のギャップをこじ開けて大きな収益を上げることが出来るような対象企業は日本市場に存在しなくなって、運用が出来なくなってしまった。反面、米国の機関投資家など大口出資者の要求はますます厳しく、焦った村上は、放送、鉄道など典型的な規制産業であるがゆえにそのギャップが大きいニッポン放送や阪神に手を染める。ところがそれらの産業では、公共性の名の下に政府の規制と裏腹の保護が被せられているが故にそのギャップが甚だしいのであって、規制と保護そのものを何とかしない限り、一企業の経営姿勢を変えればすぐに株価が上がるというものではない。だから、村上が阪神への役員派遣を要求し、しかし彼が頼んで歩いたプロ経営者からは断られ、最後は村上ファンドの役員ばかり7人を送り込むと言わざるを得なくなった時には、すでに彼の戦略は完全に破綻していたのである。

 昨日のサンプロの注目点、その2。安倍晋三が出て、「福田、麻生、谷垣は靖国に行かないと言っているが」と問われて、「戦争に命を捧げた方々にお参りするのは当然のことで、それを理由に中国が首脳会談も開かないなどというのはおかしい」という趣旨のことを言った。それで私は質問して、(1)靖国に、一般国民にせよ政治家にせよ、参拝すること自体には、中国も含め誰も反対していないし、次期総裁候補4人の間でも何ら争点ではない、(2)中国も国内批判者も「A級戦犯が合祀されているところに日本のトップ指導者が行くのは止めてくれ」ということだけを言っているのであり、それに応えて、麻生は「分祀」と言い、福田は「別の追悼施設を」と言っていて、これこそが争点だ、(3)安倍の案はどうなんだ——と訊ねた。が、司会の田原さんは「ちょっと待って」とさえぎって、別の切り口で質問した。

 これはさえぎってほしくなかったんだけど、昨日の田原さんは、いろいろな計算があって、「安倍は別にゴリゴリの戦争肯定のタカ派ではない」という印象を作り出そうという演出を考えていたようで、私の質問で安倍のホンネがポロリと出るのを避けたかったのではないかと推測される。が、安倍は後で、「先ほど高野さんが言われたのは冷静なご意見で……」と、靖国参拝それ自体と、A級合祀の靖国に日本の政治指導者が行くのがどうかという問題とを、区別して論じるべきだという私の趣旨に賛意を示した。そうなら、「A級戦犯合祀のままの靖国に参拝するのは当然だ」とホンネをちゃんと言ってくれれば面白い論争になったのに。

 昨日のサンプロの注目点、その3。特集は、重村智計=早大教授のレポートで「韓国大統領選」。私も統一地方選挙の投票直前、ソウルに行っていてその知見に基づく予測を「インサイダー」のほうに書いたが、私と重村さんがちょっと違うのは、彼はこの敗北にもかかわらず盧武鉉大統領のウリ党はまだまだ可能性があって、同党の大統領候補の筆頭だった鄭東泳(チョンドンヨン)議長は引責辞任したものの、盧の子飼いである党内きっての左派=柳時敏(ユーシミン)保健相が台頭して若者たちの支持を集めて巻き返すかもしれないという見通し。私は柳は左過ぎてなかなか難しいし、それ以前に鄭東泳がウリ党の大勢を引き連れて党を割って出て、金大中(キムテジュン)派や無党派で人気のある高建(コゴン)元首相らを巻き込んで政界再編を仕掛け、その結果、ウリ党は左派だけになって先細りになる可能性が高いと見ている。▲

2006年6月 2日

W杯目前に読むのは川淵三郎の新著『虹を掴む』だ!

 川淵三郎キャプテンから新著『虹を掴む』(講談社、6月1日刊)が送られてきたので、今日予定していた仕事を中断して一気に読んだ。面白い。W杯を目前にして今の時期に読むのにこれくらい相応しい本はない。写真は、扉に書いて頂いたキャプテンのサイン。人柄のよく表れた、いい字を書くんだよね。見習わなくてはいけない。

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 「はじめに」を読んで初めて気が付いたのだが、キャプテンが自分のサッカー人生について自ら書いた本はこれまでなかったのだ。「Jリーグ開幕前から今に至るJリーグ、日本代表の舞台裏を初めて明らかにした日本サッカーの“歴史書”」という本の謳い文句は決して誇張ではない。特に歴代のジャパン監督の評価と、ジーコになってからのジャパンの変化についての下りはW杯観戦の参考になるはずで、開戦前に読むことをお勧めする。

 私が川淵さんに最初に会ったのは、Jリーグが開幕する2年ほど前、あるパーティの席上でのことで、彼は「サンデー・プロジェクト」をよく見ていて下さって、そのことがきっかけで話が弾んだのだったが、私が話題を変えてJリーグの準備状況について訪ねると、彼は面白いことを言った。その一言で私はそれまで(ラグビー派だもので)サッカーにはほとんど興味がなかったのに、一遍に“川淵ファン”になってしまい、以後、サッカーそのものというよりも、後に「Jリーグ百年構想」として定式化されるJリーグの理念の私設応援団となってしまったのだ。彼はこう言ったのだ。

 「高野さん、明治から100年、これまでの日本には“スポーツ”がなかったんですよ。Jリーグを以て、初めて日本で“スポーツ”が始まります」

 最初、私は何のことか分からずに、「はあ…とすると、今までは何があったんでしょう?」と寝ぼけたような反応をした。川淵さんはすかさず「“体育”です」と言った。たったこれだけの会話で、川淵さんという人物と、その人が生み出そうとしているJリーグの意味を理解するには十分だった。私は一瞬絶句して、「凄い。凄いですね!」と握手を求め、以後、今日までお付き合いさせて頂いている。

 私は、四半世紀近く前に新宿ゴールデン街で酒の勢いで始まった草ラグビーチームの一員で、今もその団長を務めている。その中で昔からチームメイトに語っていたのは、こういうことだった。

 「諸君、一度でいいからイギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドなど先進国のラグビークラブというものを見なければダメだ。田舎町でも町の真ん中にクラブがあって、フカフカの芝生のグランドが6面も8面もあって、そこで子供からトップチームまでが遊んだり練習したり試合したりしている。クラブにはコーチやトレーナーはもちろんドクターまでいて、子供たちは幼いときから一貫したプログラムに従って体を鍛え技術を身に付ける。トップチームの選手たちの第1の義務は子供たちの教育なのだ。日本はどうか。ラグビーでもサッカーでも野球でも、土のグランドで、小学校、中学校、高校とてんでんバラバラの指導のされ方をして、しかもやたらに長時間、体を痛めつけるような“軍事訓練”まがいのド根性物語が横行する。スポーツは地域社会の文化であり、子供の教育であり、大人たちみんなの楽しみなのだ。アメリカの野球だって同じだ。日本はまだ先進国じゃない。発展途上国なんだ」

 明治から100年余を経て、日本は経済の図体だけはでっかくなったけれども、政治も社会も文化もまだ中身は“お上”=官僚が支配する発展途上国で、その発想とシステムを克服しない限り成熟先進国としての発展はない、だから全面的な「改革」が必要なのだというのは、当時から(今も!)私の時代認識の基本にあることであったけれども、それがスポーツにおいても同じなのだということを、川淵さんは改めて教えてくれたのだった。

 日本の“スポーツ”は、形式的には、学校〜企業〜国家スポーツであり、そのそれぞれのレベルにおける対外的宣伝と対内的なアイデンティティ強化の道具として貶められていて、最終的にはオリンピックで日の丸・君が代、大いに国威発揚して一同、涙、涙、という具合に組織されてきた。内容的には、まさに“軍事訓練”の目的で始まった体育であり、そこでは誰もが同じことが同じスピードで出来るような集団的規律と一人だけ弱音を吐いて脱落したりすることを恥とするド根性を身に付けることが何よりも重視された。そのような日本のスポーツの体育への歪曲から解き放つことなしには、日本のスポーツはいつまでも世界と勝負する域には達しない。学校〜企業〜国家の道具であるスポーツを地域社会が自ら営み楽しむ市民の文化形態として発展させるのでなければ、この国は成熟社会に辿り着くことが出来ない。——そのように、ラグビーを通じて私が漠然と思っていたことが、まさに川淵理念に基づいてJリーグという形でこの国で実現しようとしていることを知って感激した。

 やがてJリーグ開幕。私は有り難いことにチェアマンから招待券を頂戴して、メインスタンドで観戦した。すぐ前の席には、玉木正之さんが息子と来ていて、息子が試合中に「お父さん、ラグビーの方が面白いね」と言い、玉木さんが慌てて「シーッ、黙れ!」と叱っていたのには笑った。写真は「タカノハジメ」の名前入りの記念すべきチケット。

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 私が特に印象的だったのは、開会式での「君が代」だった。TUBEの前田亘輝が一筋のスポットライト浴びながら芝生の上を歩いて小さな壇の上に立ち、いきなりアカペラで、小節の利いたロック調の君が代を朗々と歌った。後にチェアマンに「あの君が代が“体育の100年”へのアンチテーゼだったんですね」と言うと、彼は「アハハ」と笑った。

 この本にはその開会式の話も出てくる。読売のナベツネとの戦争の下りも面白い。私もインサイダーで何度も採り上げ、企業スポーツの鬼であるナベツネを批判した。ある時は川淵さんから「このインサイダーを関係者に配りたいんで500部買うから持ってきてくれ」と言われて、慌てて増刷して届けたこともあった。まあ、いろいろ思い出もあって、感慨深く読んだ。▲

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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