吹雪の遠野で馬に乗った!
11日、名古屋の栄中日文化センターでの講座を3時に終えて、新幹線を乗り継いで新花巻からまたローカル線で遠野に着いたのが夜10時前。軽く一杯飲んで寝て、翌日は「東北ツーリズム大学」3月講座の一環である市民公開講座で「里山暮らし/農と馬」というようなお話をし、午後は受講生の皆さんの活動報告にお付き合い。秋田県仙北郡で農家民宿を営む竹原まゆみさん、「緑旅遊」を合い言葉にグリーン・ツーリズムを推進する福島県会津坂下町の吉良成子さん、最盛期の約半分=200万人に観光客が減った鳴子町で振興事業に取り組む小泉慶雄さん、食文化を大事にした多彩な活動を繰り広げる宮城県東松島市の大江公子さん、自分たちの足で歩いて本物の食品を紹介するウェブ「まがりや.net」
(http://www.magariya.net/)を運営する盛岡市の工藤昌代さん、その他地元の遠野を含めて、興味深い報告が相次いだ。全部を聞いて、私と、もう1人のアドバイザーであるサービス・コンサルタントの福島規子さんが講評を述べて、そのまま本田敏秋遠野市長を交えて宴会に突入……。
13日ホテルで早起きして、二日酔い気味ながら「インサイダー」の原稿その他3〜4件の仕事を片付けて、朝食後、隣の遠野市立博物館に9時の開館時間に合わせて行ったら休館日。雪の中をトボトボ戻って、10時にチェックアウト、迎えに来てくれた岩間敬君の車で徳吉英一郎さん宅に向かった。徳吉さんは「NPO法人遠野山・里・暮らしネットワーク」を主宰しており、東北ツーリズム大学(http://www.tonotv.com/members/yamasatonet/)は彼が事務局長となって開いているものだ。奥さんの敏江さん共々、大の馬好きで、遠野市北部の山里で「馬のいる暮らし」を営んでいて、2頭の馬のうち奥さんの持ち馬の名前は何と「ジンガロ」。昨年のジンガロ日本公演には娘さんと3人で東京まで観劇に出かけたそうだ。
この日午前は、徳吉さんはツーリズム大学参加者を引率して「エコツァー実習/初春の遠野を歩く」を実施中なので、彼の弟分である27歳の地元農業青年・岩間敬君が私の面倒を見てくれることになった。これがまた飛んでもない面白い奴で、乗馬はもちろん名人だが、馬の飼育・調教、馬糞堆肥のコメ(「馬米」と書いてウマイというブランド!)や野菜(馬糞でほうれん草を育ててホースレンソウだと!)、大型馬を使った昔ながらのやり方による木材の切り出し、炭焼き、養蜂、古い馬蹄を活用した五徳の製造、曲り家の解体・修復、など何でも自分でやってしまう全方位型の山里の達人なのだ。高校を出て山梨や東京で馬の修業をした後、20歳の時に農家である遠野の実家に戻って、祖父や父親だけでなく村中の長老や職人を訪ね回って昔ながらの技を学び納屋に眠った古い道具を譲り受けて、それを自分なりに使いこなしてしまうのが凄い。
その敬君の案内で、昨日から降り止まない吹雪の中を馬で乗り出した。気温マイナス3度と言うが、風が強く体感温度はたぶんマイナス5度以下。たちまち手綱を握った指の先が痺れてくる。駒形神社の参道を下って街道に出ると、ところどころアスファルトの上に氷が張っていて怖い。私はこういう場面を北海道でさんざん経験しているから、「馬が股裂き状態で滑ると、関節を骨折して使い物にならなくなる場合があるから気を付けないと」などと言いながら、ゆっくりと進んだ。だいぶ下って、氷もなくなったので、敬君が「じゃあ、軽く走りましょうか」と言って駈け足を始めた途端に、ちょっとした日陰の気が付かないほど小さな氷で敬君の乗ったジンガロが滑って名人が馬もろとも転倒するアクシデント。幸い、馬の転び方が上手くて人も馬も怪我がなかった。河原に入ってようやく思い切り走って、1時間ほどで「遠野ふるさと村」に到着。馬を繋いで昼食を摂った後、南部曲り家が立ち並ぶ中を馬で巡った。何軒かには曲り家に馬が飼われていて、挨拶を交わし、それから、この雪では山の方を歩くのは無理なので、元の道を徳吉宅まで帰った。強い雪交じりの逆風を突いて駈けると、涙が氷柱になり鼻が凍傷で落ちるかと思うほどだった。
夜は、敬君が焼いた炭をくべた大きな火鉢を囲んで、鹿肉とキジ鍋で豪勢な宴会。近くにある巨大な競馬馬・乗用馬の育成施設「遠野馬の里」の育成・調教の現場チーフ・千葉祥一さんご一家も来て、酔い潰れるまで馬談義が続いた。▲
コメント (1)
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投稿者: 地衣 | 2006年3月20日 20:34