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2006年1月29日

今日のサンプロ「ホリエモン」総特集はなかなか面白かった」!

 今日のサンプロは全編、ホリエモン事件で2時間ブッ通し。考え得るベストの顔ぶれでなかなか面白かった。注目点を5つ、挙げておく。

(1)野口の死は自殺だったのか他殺だったのか?
 ライブドアが操縦した投資事業組合を仕切っていたエイチ・エス証券の野口英昭副社長が1月18日、沖縄のカプセルホテルで“怪死”したことについて、番組に出演した宮崎学は「自殺としか考えられない」と言い、それに対して電話でライブ出演した須田慎一郎は、前日の朝まで生テレビでの発言と同様、依然として他殺の疑いがあると主張した。宮崎は、番組前に少し話を聞いたところでは、彼が親しい沖縄の新聞の事件記者たちが、現場を踏んだ感触を含めあらゆる状況を総合して、自殺と断定できると一様に語っていることに自殺説の根拠を置いていて、『週刊文春』2月2日号がトップ記事「野口“怪死”と堀江の“闇”/本当に自殺なのか」で他殺説を強く臭わせていることについても「他殺説は東京発で出ているだけで、現地では誰も言っていない」と語っていた。

 須田は「那覇警察署長が再捜査の意思を表明しており、警察庁がそれを指示したという話もある」と指摘したが、宮崎は「署長がそう言ったとしても、現場の捜査官は一体何を再捜査するのかと言っている。また警察庁がそういう指示を出したことについて確認は取れていない」と述べた。これはこれから解明されるべき1つのポイントである。

 私自身は7割方自殺説だが、自殺にみせかけて殺すというのは闇世界の常套手段であるから、他殺説も残ると思うが、遺体も焼かれてしまった今では解明は難しいと思っている。メールの遺書でもどこかに残っていれば別だけれども。

(2)なぜ東京地検特捜部が乗り出して来たのか?
 田原が「なぜ東京地検特捜部がいきなり乗り出してきたのか」と与謝野馨=経済財政・金融担当大臣に問うた。これは当然の疑問で、特捜というのは基本的に権力犯罪を取り締まるのが仕事である。と言うと、「検察は正義の味方」と勘違いする人が多いが、飛んでもない、政治家の腐敗や官僚の汚職など権力内部の退廃を放置すると権力の維持そのものが危うくなるのでそれを切除する“権力の番人”が特捜である。ホリエモンはそれほど大物か、証券監視委員会が調べて検察に告発して初めて検察が動くのが筋ではないか、ということである。

 それに対する与謝野の答えは、「証券監視委員会は3年以上前からライブドアのやり方に問題ありと見て、膨大な材料を収集していたものの、どこで法律違反として問えるかは簡単なことではなく、ずっと監視していた。昨年秋に至って、証券監視委員会と検察が『ここで行ける』という判断で一致して事件化に踏み切ったのであって、いきなり検察が(監視委の頭越しに)出てきたのではない」という趣旨のことを述べた。これは、監視委の担当大臣の口を通じて初めて確認されたニュースである。

(3)証券監視委員会を“3条委員会”にして陣容を徹底強化すべきではないのか?
 それにしても、証券監視委員会は余りに無力ではないのか。与謝野が言ったように、平成9年以来、金融ビッグバン、事前規制から事後チェックへの原則転換を通じて世界標準への適合を進めてきた訳だが、そうであればなおさら、市場に対する監視体制を強化しなければ自由は放埒に堕落する。米国のSEC(証券取引委員会)は3000人からのスタッフを抱えて市場に目を光らせるが、日本のそれは550人。人数を増強することもさることながら、金融庁の下にある証券監視委員会を“3条委員会”として独立させて機能を発揮させるべきだという意見が、田原や永沢徹弁護士から出た。与謝野は、担当大臣らしく反応して、同委員会は今でも独立性が高いのでことさら組織いじりをする必要はなく、人員を増やし法改正をして権限を強めれば十分との考えを表明したが、公明党の高木洋介広報局長は番組後のトイレで「3条委員会にするのがいいと思う」と言っていた。これについては「インサイダー」でもう少し詳しく論じよう。

(4)ホリエモンはなぜ日本経団連に入れたのか?
 田原が諸井虔に「日本経団連はなぜ堀江の入会を認めたのか。審査はないのか。その時は気が付かなかったのか」と問い詰めたのに対し、諸井は「怪しいとは思っても、あんまりやかましいことを言ったら会員がどんどん減っていっちゃうから」と答えた。これには場内爆笑で、経団連だからといってマトモな企業ばかりではないと財界リーダーが認めたようなものだ。

(5)自民党はホリエモンをなぜあれほど持ち上げたのか?
 田原が与謝野に「なぜ自民党はホリエモンをあれほど持ち上げたのか」と尋ねたのに対し、与謝野は「いや、安倍さんや当時政調会長で党3役の一人だった私は反対だと言った。だから公認にならなかった。(小泉・武部・竹中は)ああいう選挙だったから熱狂の中で間違えたのだと思う」と言った。他方、諸井は「(武部や竹中は)堀江の生き方を認めたんだ。若い人はもっと思い切ってやりなさいよというメッセージだった」と救いの手を差し伸べた。確かに、あの時は誰もがホリエモンに「胡散臭さ」は感じていたかもしれないが「怪しい」とは思っておらず、「どうして気が付かなかったんだ」と責めるだけでは酷だろう。それでは逆に、ホリエモンが挑戦しようとした旧体制の既得権益擁護の老人たちが「それ見たことか」と大復活するのを助けることになる。

 だから私は番組末尾で逢沢一郎自民党幹事長代理に「ホリエモン事件と小泉改革を切り離したいという気持ちは分かるが、私は逆だと思っていて、これは小泉改革の深刻な危機だと捉えるべきだと思う。小泉改革を支持してきた若い世代がこれで萎縮して、旧体制の爺さんたちが蘇ってくることになったのでは何にもならないじゃないか」という趣旨のことを述べたが、時間切れで逢沢の答えは聞けなかった。▲

2006年1月28日

旅から旅への暮らしだが、楽しみは温泉

 1月も後半になると新春講演会などの依頼が多く、旅から旅への日々となる。20日には、《ざ・こもんず》サポーター企業である山形市の(株)アルファ・コム主催による「地域活性化への道」セミナーと称した、実は《ざ・こもんず》サポーター企業拡大を目指したイベントが開かれ、私と、《ざ・こもんず》プロジェクトのコア・メンバーである岩崎学(株)オルタナレッジ社長とが1時間ずつスピーチした。福岡や熊本のサポーター企業のリーダーたちも応援に駆けつけた。会場は予定の150人を超える人々で満員で、「山形県で20社」限定というサポーター企業の獲得目標は遠からず達成されるだろう。当日の様子は、アルファ・コムのホームページに出ている。→http://www.alpha-com.cc/seminar/seminar_top.html

 岩崎さんはつい数ヶ月前までライブドア副社長。私を含め皆さんの関心は「ホリエモンはどうなる?」に集中したが、彼はITマーケティングの専門家で、同社の金融やM&Aの部門とは全く無関係で、何も知らない。私が最初に会ったとき、「あの会社はホリエモンのおもちゃですから」と言っていたから、むしろそういうことに嫌気がさしてライブドアを辞めて自分の会社を興したというのが本当だろう。

 せっかく大雪の中を山形まで行くので、前日午後に東京を出て赤湯で下車、長井市の菅野芳秀さんを訪ねた。

 菅野さんは養鶏農家を営む一方、長井市の全世帯を巻き込んだ生ゴミ・リサイクルのシステム「レインボー・プラン」を実現して全国で名を知られた地域リーダー。明治大学農学部時代に学生運動で暴れて、三里塚闘争裁判の被告。レインボー・プランの経験を書いた『土はいのちのみなもと/生ゴミはよみがえる』(講談社、02年刊)という素晴らしい著書がある。昨年の早稲田大学「大隈塾」の講師にも来て貰ったところ大好評で、感動した学生が3組10数人も長井市まで彼に会いに行ったほどだ。

 私は「ちょっと一杯飲もうよ」と連絡しただけだったのに、長井市の地域興しグループ「2050」のみなさんが町営温泉の広間に待ち構えていて、私が短いスピーチをしてそれから宴会・懇談という段取りがしっかり組まれていた。大いに歓談した後、夜中に入った天然温泉の露天風呂がよかった。山形も積雪2メートルという記録的な大雪で、その夜も横殴りのような吹雪が吹きつける中、雪景色を眺めながらゆっくり浸かる温泉は至上のものだった。菅野さんのプロフィルとレインボー・プランの概要は、農文協・ルーラルネット「食と農の応援団」名簿で見ることが出来る。→http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/247.html

 24日は福島県いわき市の七十七銀行支店の講演会で日帰り。26日は岐阜県下呂市の萩原町商工会の新春の集まりで講演。終了後、地元の商工会、経営者協会、漁協、観光協会の幹部の皆さんと猪鍋で一杯飲んで、下呂温泉の宿に帰ってまた温泉。夜中と早朝と朝食後と3回も入ってふやけてしまった。翌27日は名古屋・京都経由で滋賀県の草津で滋賀県市議会議員の研修会で講演。19時前に東京駅に着いて、帝国ホテルで開かれた朝日賞・大佛次郎賞のパーティにちょっとだけ顔を出して指揮者の岩城宏之さんご夫妻に受賞のお祝いの気持ちを伝えて、すぐに飛び出して麻布十番での元インサイダー社員=三上君を偲ぶ会に駆けつけた。三上君は、インサイダーがテレビの番組やドキュメンタリー取材を盛んにやっていた頃に入ってきた映像ディレクターで、12月押し迫って急死した。1年間かけて取材した盲目のバイオリニストのドキュメンタリーを、BS朝日向けに1週間泊まり込みで編集して、明日が放映という日の朝、1人暮らしの自室で倒れているのが発見された。テレビ局が少ない予算で下請けをこき使って辛うじて成り立っているテレビ界の実態を絵に描いたような残酷死だった。《ざ・こもんず》の映像部門を手伝って貰う話をしていたところだったのに、残念だった。▲

2006年1月18日

毎日新聞の「大隈塾」記事・その後

 1月11日の本ブログで同日付「毎日新聞」で早稲田大学の「大隈塾」が採り上げられていることを紹介した。後日談が2つ。

(1)ゼミ生から寄せられた感想

 この記事について、大隈塾演習を04年度に履修して現在米国留学中の学生から感想が寄せられた。なかなか鋭いので、本人の了解を得て転載する。なお本人が直接、毎日新聞に対して同様の趣旨をメールで送ったところ、すぐに書いた記者本人から懇切丁寧な反論と弁明が届いたという。こういう対応は偉いよね。ところで、この学生の意見を理解するには、私の短い要約だけ読んでいてもダメで、元の記事の全文を読まなければならない。まだ読んでいない方はこちらへ。

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 04年度に大隈塾ゼミを履修していました、古屋宏樹です。現在アメリカ留学中につき、ゼミの飲みやラグビー等参加できず、ご無沙汰しておりまして恐縮しています。毎日新聞の「大隈塾」についての記事を読んで感じるものがありましたので、感想をお送りしたいと思いました。

 個人的には、丹羽さんの講演を聞いて、多くの感銘をうけ、ゼミもたぶん丹羽さんの話を中心とした志望理由を提出し合格したので、ああいう引用のされ方を見ると正直良い気がしません。90分の授業の中で、丹羽さんは非常に多岐にわたって、示唆の富む人生感を語ってくださいました。そもそもリーダー論も、「みんなが右向け右で、一斉に残業して、一斉に出世する必要はなく、家庭を重視するものがいてもいいのでは」という形で前置きがあって、「それでもリーダーになりたい者は」という形で話に入っていたように記憶しております。

 読んだ感想として、連載の性格上からも、始めに結論ありきで、そこの結論にそぐう形で上手いところだけ拾ったなという印象を受けました。格差社会に疑問を投げかけるという形で、たまたまリーダー養成を主眼とおく大隈塾が格好の題材になったような気がします。どなたのことかわかりませんが、引用にある政経学部の学生の方についても、大隈塾とは完全に関係ない帰国子女としての生い立ちを書かれています。格差社会というのを強調するために、大隈塾を扱いながらしながら、そこの部分だけまったく別物の、家庭環境の違いによる格差について言及している節があるかと思います。

 将来報道機関に就職することを希望する自分に取って、こういった記事を書かないように気をつけなければという反面教師として読みました。完全に虚偽の事実を書く事は問答無用で悪いことなのですが、事実のなかから自分の主張に都合のよいものだけをパッチワークして記述し、一定の事実を書かないこともまた、悪いことだと考えています。また、自分は社会学を専攻しているため、レポートで社会問題に触れることが多いのですが、こういったようなことをレポートでしないように心がけねばなと痛感しました。何か主張をするということは、出来事の多様性を自分なりに解釈するということで、その過程で多様性の一面しか見えなくなってしまいがちなので、気をつけねばと痛感した次第です。

 大隈塾は非常に人生観に影響を受ける授業であったので、大変感謝しています。このような記事が今後の後輩に対する授業に悪影響を与える事を若干懸念しています。先生方には、引き続きこの授業と演習がより良いものになるよう、ご指導していただけることお願いします。

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(2)16日付毎日でもう一度採り上げてくれたのはいいが…

 私もコメントしているように、山種証券の元社長が財務担当副総長になったことと大隈塾の成り立ちは何の関係もなく、記者の事実誤認である。大学側(大隈塾がその傘下にあるオープン教育センター)がその旨事前にクレームを付けたが訂正が間に合わずそのまま記事が出てしまった。その償いということなのだろう、16日付同紙20面の「教育の森」欄の「存続の危機、改革急ぐ大学」の記事で、11日付の記事の要旨を再録した上で、大阪経済大学と早稲田大学の努力を採り上げ、早稲田については次のように書いている。

「早大は奥島孝康前総長のもと02年度、学部や学生の垣根を取り払い、全学から受講生を募る『オープン教育』を始めた。白井克彦現総長も熱心に推進する。『大隈塾』はその目玉講座だ。早大OBでジャーナリストの田原総一朗氏が奥島前総長と懇談した際にアイデアが生まれた。塾頭の田原氏の人脈で一流ゲストが招かれる。受講定員は220人前後。一方、受講者の中から論文と面接で選ばれた学生20人によるゼミ「大隈塾演習」は、政治経済学部の高野孟客員教授が担当する。(以下略)」

 これで、大隈塾を始めたのは奥島前総長と田原氏であるという点は正確になった。が、高野が政治経済学部の客員というのは事実誤認で、オープン教育センターの客員。訂正という形でなく別の記事で補足するという上手なやり方で大学側と折り合いを付けようとしたのだろうけれど、そこでまた間違えちゃうんだからね。大学側はまた訂正を申し入れている。訂正の訂正が出るのかな。まあ肩書きなんてどうでもいいんだけどね。それにしても、肩書きは必ず本人もしくは当事者に確認するのが記者のイロハだが、そういうことが出来ない記者が増えているのは嘆かわしい。

2006年1月17日

伝説のロックバンド「アナーキー」がBOXで蘇る!


アナーキーBOXセット『内祝』
ANARCHY OFFICIAL WEB SITE

 1980年に衝撃のデビューを果たしてたちまちロック界を席巻した伝説のパンク系ロックバンド「アナーキー」が、何と!映像DVD3枚、音楽CD13枚、BOOK1冊の巨大な“26周年・完全版BOX”となって蘇る。タイトルは意味不明だが『内祝』、サブタイトルは「受身は弱者の成れの果て、股を開いて何を待つ!」、発売2月21日、価格2万5001円。

 国鉄労働者が着る菜っ葉服をまとって髪を逆立てたリーダー/ヴォーカルの仲野シゲルの、世間に向かって叩きつけるようなストレートなメッセージと凶暴なサウンドは、闘い疲れて沈滞していた全共闘世代から高校生・中学生までを熱狂させ、ファースト・アルバムはロックでは異例の13万枚を売り上げたものの、過激な歌詞が問題になって発売中止となるというノッケからのスキャンダラスがらみ。それから5年間を疾風怒濤で駆け抜けるけれども、85年にメンバーの1人のマリ(ギター)が障害事件を引き起こして活動中止に追い込まれる。1年後、残った4人で「ザ・ロック・バンド」として再生、2枚の名アルバムを残すが、翌年にはそれぞれが別の道を歩み始める。7年間の沈黙の後、突如、“新生アナーキー”として復活し、4年間に4枚のアルバムを出すがまたも活動中止。さすがにアナーキーももう終わったと誰もが思い込んでいた昨年、デビュー以来のプロデューサーである小林千恵さんが原初の5人のメンバーに「25周年だし」と招集をかける。25年間を集大成したBOXを作りたい、だけどそれだけでは面白くないから、1曲でいいから新作を作ってオリジナル・メンバーで20年ぶりに演ってみない?と。しかしメンバーの腰は重い。2度3度と離合集散を繰り返したアナーキーへのそれぞれに愛憎半ばと言っていい想いは様々だし、何より肝心要のシゲルも40歳を超えて「物わかりのいいオッサン」になってしまって、歌詞が湧いてこない。それでも8カ月がかりの模索の挙げ句、1曲出来て、他のメンバーが「よーし、演ろう」という気になって記念すべき収録が実現した。そこまでのシゲルの苦闘、メンバー同士の葛藤、彼らを愛する支援者たちとの対話のプロセスを、アナーキーのデビュー当時、中学生の追っかけでその後映像作家になった太田達也が『バトル・ロワイヤル』を制作した深作組と協力して映像に収め、ドキュメンタリーとして編集した。

 13枚のCDは、問題のファースト・アルバムをはじめこの25年間のスタジオ収録の音源を(ということはライブ盤を除いて)すべて収録。3枚の映像DVDは、崔洋一監督の85年作品『旗をかかげろ』など初期の映像作品や後のミュージッククリップ、奇跡の復活を追った太田監督渾身の73分のドキュメンタリーなどが収められている。BOOKは、デビュー当時に出たオリジナル・メンバーの本音告白本『心の銃』の完全復刻版。

 私とシゲルの触れ合いは、1983年に新宿ゴールデン街のバーでの冗談話から誕生した草ラグビーチーム「ピンクエレファンツ」に、たぶん私がキャプテンをやっていた84年に彼が入団してきたのが始まり。何年間かは熱心に試合に出ていたが、その後来なくなって久しいけれども、個人的な付き合いは断続的ながらずっと続いていて、たまに酒を飲んだり、帯広に一緒に行って馬を乗り回したりしていた。昨年来の再々生プロセスでも、小林プロデューサーから「シゲルに何か言ってやってよ」という要請を受けて、彼が拠点の1つとしている山梨県の上九一色村の乗馬クラブで落ち合って馬に乗りながら話をしたりして、そのシーンはDVDに収められた太田監督のドキュメンタリーにも出てくるらしい。

 2月21日のBOXリリースが楽しみだ。みなさん、「ロックとは何だったか」を考えるよすがとしても、是非買って下さい。▲

BOX発売のプレスリリース(PDFファイル)

2006年1月15日

映画『るにん』について・続


「るにん」
2006年1月14日〜
シネマスクエアとうきゅう他

『週刊現代』1月28日号に「スペシャル対談/松坂慶子×奥田瑛二「オトナの性愛は激しく美しい」/流刑島での「究極の愛」を描く問題作「るにん」が公開」という記事が出ている。

奥田 主人公の豊菊は、過酷な島に流されて、苦しみ喘ぎながら生きるために身体を売る。でも彼女は、男たちに愛を注ぐ菩薩のような存在でもあるわけです。そうした女性を、五感と肉体をもってガッチリと表現できる女優は、日本には松坂さんしかいないと最初から思っていました。

松坂 光栄です。初めて脚本を読んだ時、私、いままでいただいた本の中でいちばん嬉しいと思った。この役を私にくださったことに、すごく感激したんです。豊菊は吉原に反発して火をつけているわけですから、一人の女性として、そして一人の人間として扱ってもらえない悲しみや怒りを強く持っていたんだと思います。

奥田 そうだね。

松坂 でも、やはり身体を売ることでしか、島では生きる術がない。あんなに嫌だったのに、吉原と同じことをしなくちゃいけない。必死に今日を生き抜いて、明日も生きようとするんだけど、心の底では「自分は地べたを這いずり回る虫けらみたいな人間だ」と思っている……。

 奥田は対談の最後の方で愛についてこう言う。「いまの若い人たちにいちばん足りないのが、真実の愛だと思うんです。肉体の結びつきで安価な愛を獲得したと錯覚しているわけ。本当はコツコツ高め合って、愛の持つ強さをお互いに確認して、初めて恋人になるんじゃないの? それがいまは観覧車に乗るみたいにセックスして、20代とかで肉体がリタイアしちゃう感覚がある。自分の五感が打ち震える悦び——つまり本当のエクスタシーを知らないままにね。オトナの性愛はもっと美しく、激しいものです。お前ら、この映画を見て感性をシンクロさせろよ、と言いたいです」。そうね、若い人たちこそ、この映画を見るべきだ。▲

2月4日から「山田脩二の軌跡/写真、瓦、炭…展」が開かれる!

 一昨日は、淡路島に行って山田脩二さんに会ってきた。半生記を綴った著書『カメラマンからカワラマンへ』(筑摩書房、96年刊)のタイトル通り、フリーのプロ写真家として旺盛な活動に、写真集『日本村1969−1979』(三省堂、79年)を最後に終止符を打ち、25年前に突然、淡路島の西淡町(現南あわじ市)津井という瓦づくりの村に家族ぐるみ移住して瓦師(カワラマン)を名乗って、安藤忠雄とのコラボレーションによる「淡路夢舞台」の国際会議場はじめ作品を次々に世に問うた奇才にして変人。12月に早大理工学部の石山修武教授の21世紀農村研究会で知り合ったばかりだが、その時山田さんが自分のことを語りながらスライドで映し出した淡路の瓦、特に戦前に焼かれて廃屋の屋根で放置されている古瓦の美しさに魅了されてしまい、12〜13日関西で2つの夜の会合があった合間を縫って訪れたのだ。


↑山田さんの写真を真似して撮った古瓦の波

 JR舞子駅で降りて高速バスに乗り換えると20分余りで「夢舞台」のウェスティンホテルに着く。そこで山田さんと落ち合って、まずその隣の「国際会議場」の瓦屋根と茶室周辺の回廊に敷き詰められた瓦の床を見学。それから山田さんの車で、村々にまだ辛うじて残る瓦葺きの民家や廃屋を見て回り、津井の高台にあるお宅にお邪魔して、これも瓦の囲炉裏で昼1時半から酒を酌み交わしていろいろお話を伺った。かつては津井を中心に350軒ほどあった地場の瓦工場が、とりわけ阪神・淡路大震災後はますます廃業が増えて今では3分の1以下に減ってしまったこと、瓦葺きの家がいとも安易にプレハブ住宅に建て替えられて懐かしい風景が失われつつあること、古瓦を保存して公民館や交番の屋根に活用しようと働きかけても行政の動きは鈍く、あの美しい瓦が産業廃棄物として捨てられていくこと……等々。


↑村のあちこちにこうして朽ちていく小屋がある

「それにしても、あの古瓦の写真を見せてあれほど感動してくれる人も珍しいよ。それだけの感性があるんだな」
「いやあ、胸がドキドキするほど綺麗でした」
「感動する人はいても、それで本当にここまで見に来ようという人はなおさら少ない。忙しいだろうに、時間を作って淡路に来てくれて、あんたは偉い!」
「面白い!と思ったら、まず現場に行くというのが僕らの職業的習性ですからね。それに、もっと現実的な問題として、いま安房鴨川の山林に家を建てようとしてるので、その屋根にあの古瓦を使うことは出来ないかという思いがあったので」
「うーん、家1軒分は集めるのが難しいかもしれないな。一部とか半分とかなら何とかなるかもしれない」

 話は尽きず、気がつけば3時。あわてて席を立ってバス停に駆けつけ、祇園で6時半に始まる宴会に間に合うよう京都に戻った。その祇園の宴会は、「国際孔球会」の新年会。「孔球」とは中国語でゴルフのこと。「国際」とは全く意味がなく、単に勢いで形容詞を付けただけ。何だと言うと、北川正泰=前三重県知事が知事を辞めて東京に自宅と事務所を構えたときに、「国会議員と知事の時代を通じて車でしか移動したことがなかったので地下鉄の乗り方が分からない」「知事時代はゴルフも封印していたので遊び方も分からない」とボヤくので、それじゃあと言って、私と成毛真(インスパイア社長/元日本マイクロソフト社長)が呼びかけて北川さんを囲む遊びの会を結成して、数カ月に1度、ゴルフをしたり地方に旨いものを食べに行ったりしている。で、新年会は豪勢に祇園でやってしまおうということで、10人ほどで京都に繰り出して、「つる居」で1次会、「一力」で2次会、それからまたどこだったかへ流れて(記憶不明)、そこには京都吉兆の若旦那=徳岡邦夫さんもなぜか合流したりして、まあ大騒ぎだった。

 さて、山田脩二さんは2月4日から3月19日まで、神戸の兵庫県立美術館で「山田脩二の軌跡/写真、瓦、炭…展」と題した個展を開く。これまた安藤忠雄が作った空間を縦横に使って、何万枚もの瓦を持ち込んで、茶室を3つも造って、自由闊達な演出を繰り広げる。これは楽しみなことで、出来るだけ早く観に行こうと思っている。関西在住の方はもちろん、期間中にこの方面に旅する機会がある方は是非覗いてみて頂きたい。

兵庫県立美術館 http://www.artm.pref.hyogo.jp/home1.html
神戸新聞の記事 http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/308.html

2006年1月11日

今日の「毎日新聞」に大隈塾&ゼミのことが…

 今日の「毎日新聞」朝刊第2面「縦並び社会」連載コラムで、田原総一朗が塾頭、私が“代貸”で早稲田大学でやっている「大隈塾」の話が出ている。

「……早稲田大に02年春、トップリーダーを養成する講座が生まれた。『大隈塾』。単位を与えるれっきとした授業だ。毎週替わるゲスト講師と学生が丁々発止、渡り合う。過去の講師は丹羽氏[宇一郎=伊藤忠会長]のほか小沢一郎=前民主党副代表、宮沢喜一=元首相、ユニクロを創業した柳井正氏……。定員の倍以上の500人強が毎年押しかけるため、志望理由を200字で書かせて選ぶ。落ちた理由を事務局に聞きに来る学生が絶えない。職員は『男子学生から涙ながらに抗議され、困り果てた』と言う。だが、講座は実は最初のステップにすぎない。受講生から論文と面接でさらに絞られた20人がゼミ形式の『大隈塾演習』に参加する。……大学へ転身した財界人は少なくない。早稲田大は、元山種証券社長が副総長として改革に取り組んだ。大隈塾はその中から生まれた。……」

山種証券の元社長が財務担当副総長となって精力的に財務の立て直しに取り組んでいるのは事実だが、それと大隈塾は何の関係もない。奥島孝康=前総長が「慶應に負けるな!」の掛け声の下、自ら強力なイニシアティブを発揮して改革を進める中で、奥島さんと田原さんが「早稲田らしい、次の世の中を担っていけるような人材を育てよう」ということで一致して始まったのが大隈塾である。ちなみに、この記事では触れられていないが、もう1つ、社会人向けの月1回3時間のゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」もあって、これも田原・高野・岸井が担当している。

 この春で授業は5期目、ゼミは4期目を迎える大隈塾は、このようにマスコミにも採り上げられたり、講義録が単行本シリーズで発売されたりしていることもあって、すっかり早稲田の看板授業になった。東大や慶應も受かったが、大隈塾に入りたくて早稲田に来た、という学生も毎年何人もいて、そういう奴が論文の出来が悪くて落ちると泣いたりするというのは本当だ。応募は昨春は600人以上で、それを3人の教授と客員教授である私の4人で分担して読んで判定する。どういう奴が落ちるかというと、いかにもお利口さんなことを書いている優等生タイプ。特に、大隈塾の募集パンフに書いてある趣旨をそのまま忠実に繰り返しているようなのは、少なくとも私は確実に落とす。自分の言葉で自分の問題意識をぶつけてくるようなのを採る。ここは大事なポイントですからね、もしこれを読んだ受験生は心しておくように。早稲田を受けて大隈塾を目指そうという子弟や親類の子がいる方は教えてやってください。

 ゼミは今年度は25人。大体、2倍程度の応募があるので、これは私が1人で読んで、ある程度絞って、私と助手の村田信之で面接して決める。ゼミでは、ほとんど毎週、私が担当して、毛沢東『矛盾論』はじめ今の学生では放っておいたら読まないようなものを読ませて、「戦略的に思考するとはどういうことか」を訓練する。その一環として、岸井成格=客員教授に年に3〜4回来て貰って「新聞の読み方」と「政治分析の方法」を講じて貰っている。後期の論文は昨年度も今年度も「私の人生戦略」である。世の中をどうするか、そのために自分はどう生きるか、客観と主観を表裏一体のものとしてダイナミックな戦略を(たとえ幼くても)描けるような構想力豊かな人間を育てたいと思ってやっている。ちなみに、ゼミでも時折講師を呼ぶが、来週の講師は毎年この時期恒例の早稲田ラグビー部の清宮克幸監督だ。

 その清宮は同じく今日の毎日で「『小泉後』論」のインタビューを受けている。「政治記者のインタビューを受けるのは初めてです(笑い)」と言いながら、彼なりの指導者論を語っている。大阪の高校で頭に剃りを入れて与太っていた奴が、大監督、そしてNPO法人ワセダクラブと奥・井ノ上イラク子ども基金という2つの組織の創業者・経営者になるんだから、ラグビーの力は凄いですよね。

大隈塾 http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma.html
社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」 http://www.waseda.jp/extension/okumajyuku/
早稲田大学ラグビー蹴球部 http://www.wasedarugby.com/
ワセダクラブ http://www.wasedaclub.com/
奥・井ノ上イラク子ども基金 http://www.oku-inoue-fund.com/

2006年1月10日

映画『るにん』が遂に新宿でロードショー!

 私が映画に初出演した奥田瑛二監督の『るにん』が1月14日から東京・新宿のシネマスクエアとうきゅうでロードショー公開される。作品は約1年前に完成、東京国際映画祭はじめ欧米のいくつもの映画祭では上映され、賞をとったりもしていたのだが、一昨年から昨年にかけては日本映画の新作ラッシュだったそうで公開がかなわなかった。

 映画初出演はなかなかの体験で、3カットを撮るのに休憩や大道具の手直しを含めて3時間もかかり、その間、八丈島に流刑になった遊女の役で主演した松坂慶子さんを後ろから触りまくるという有り難い役柄。しかし出来上がった画面ではわずか30秒ほどで私の顔もよく見えず、人から「え? どこに出ていたの?」と言われるようなチョイ役ですので、お見逃しのないように!

 奥田監督とは「六本木男声合唱団(六男)」の仲間で、時々飲んだりする。ある日、明るいうちから麻布十番の蕎麦屋で板ワサと湯豆腐でダラダラと飲んでいる時に、奥田が急に真顔になって「アッ、そうだ、あの役は高野だ!」と言い出して、「何? 何の話よ」と言っているうちに巻き込まれてしまった。六男の仲間はいろいろ引っ張り出されていて、だいたい音楽は六男団長の三枝成彰(作曲家)だし、脚本の元になった原作は團紀彦(建築家)だし、他にも島田雅彦(作家)、浅葉克己(デザイナー)、藤原優(元ラグビー全日本)など多彩な人たちが画面に登場する。島田は結構セリフもあって(私はセリフなし)渋い役柄。藤原は脱走に失敗して籠に入れられて崖から突き落とされて処刑される可哀想な役目だ。

『るにん』の紹介は奥田のブログ(更新が遅れているけど)「瑛二独壇」(http://eijidokudan.blogzine.jp/dokudan/)の中にある。

シネマスクエアとうきゅうは、新宿歌舞伎町1-29-1 TOKYU MILANO 3F、TEL:03(3202)1189。

 もう1つ、奥田は画家としても有名で、1月9日〜16日、新宿の京王プラザホテルのロビーギャラリーで「聖なる囁樹(ささやき)II/奥田瑛二展」と題した個展を開く。毎日10:00am〜7:00pm(最終日〜4:00pm)。「“何だろう、これは?”その懐かしさに涙があふれる」のだそうだ。14日から16日の間に、歌舞伎町で『るにん』を観て、京王プラザで個展を覗くというのがベストでしょう。▲

2006年1月 9日

ごあいさつ

 ちょっと順逆になりましたが、このブログ開設に当たってご挨拶させて頂きます。

 《ざ・こもんず》上ではこれまで「高野孟の『インサイダー』」というブログを設け、インサイダーを無料公開してきましたが、インサイダーは最新記事を含め「『インサイダー』全バックナンバー検索」(タイトルは変わるかもしれません)に移し、それとは別にこのブログをまさに日記風に綴ることにしました。従来は、インサイダーの「FROM THE EDITOR」欄で身辺の出来事などを折に触れて書いていましたが、それでは余りプライベートなことや多くの読者に無関係かもしれないようなことは書けないし、思い切って私的なブログは独立させた方がいいだろうということです。と言っても、記事だか独り言だか分からないようなものも出てくるかと思いますが、とにかくよろしくお願いします。

 「『インサイダー』全バックナンバー検索」の方は、まだ「全バックナンバー検索」が出来るようになっていませんが、次第に過去の記事を取り込んで整備していく予定ですので、しばらくお時間を下さい。▲

2006年1月 8日

誰もやりたくないポスト小泉とポスト清宮

 昨日は新年初の「サンデー・プロジェクト」で、メインの田原コーナーは、安倍晋三=官房長官、谷垣禎一=財務大臣、竹中平蔵=総務大臣の“ポスト小泉”有力候補3人衆の揃い踏み。他に麻生太郎、山崎拓が意欲を示し、福田康夫もダークホース視される中で、今日出演の3人が何を言うかが注目されたが、竹中はもちろん自分でやるつもりは全くなくて、番組でそうは口にしなかったが、安倍=総理・総裁、中川秀直=官房長官or幹事長の下で財務大臣くらいのポストを得て“小泉改革”を継続する役回りを果たせれば十分というスタンスが滲み出ていた。谷垣は、総裁選出馬がどうの言う前に、来年度予算の審議や、6月までとなっている「歳入歳出一体改革」案の策定など「やらなければならないことがあって、それらが次期政権の課題にも繋がる」という言い方でそれなりの意欲を表した。安倍も同様で、「しっかりと(官房長官として)実績を積んで、それを評価して貰いたい」と述べた。

 番組終了後、田原さんと話をしたが、彼も私も判断は一致していて、次は安倍だろう。小泉の意中もそうで、“小泉劇場”モードを引き継げるのは安倍以外になく、それで政策的に危うい部分は竹中が担保し、党内的軋轢は中川がカバーするという形を考えているのだろう。「竹中首相」説については、今日の日経朝刊で同社コラムニスト=田勢康弘が「まさか」とは思うが「このところ何代か、3カ月前に有力視された人物が首相になった例はない」のだから「寸前暗黒なのだ」と書いているが、竹中本人は安倍政権の事実上のNo.2として小泉改革の継承・発展を図る役目に徹しようとしていると考えてよい。

 が、“安倍政権”は短命に終わるだろうということでも、私と田原さんの意見は一致している。最大の理由は、安倍では中国・韓国との関係がますます悪化して日本外交が行き詰まってしまうに違いないからである。来年の参院選は、(1)元々6年前の参院選が小泉・田中真紀子コンビで勝ち過ぎだったことに加えて、(2)昨年総選挙で与党を勝たせ過ぎてしまったという有権者の“反省”ムードがあり、(3)消費税アップが事実上決まっている中での選挙となることから、放っておいても与党が後退する可能性が大きく、しかもアジア近隣外交の行き詰まりへの懸念が経済界を中心に国民に広がれば、安倍政権は発足10カ月にして早くも立ち往生することになりかねない。

 森喜郎=前首相の「安倍温存」論は、昨日のサンプロにスペシャル・コメンテーターで出ていた塩川正十郎=元財務相の解説では「人事はあんまり早く(やる、やると)言うと潰されるから駄目」という意味だというが、それだけでなく、ポスト小泉ではまず福田康夫をマウンドに送って中国・韓国との関係修復に全力を挙げ、それでも参院選で敗北して短命に終わる可能性があるので、その次に安倍を持ってくるという形で森派の天下を続けようという狙いがあるのだろう。森は、福田政権実現の鍵は中川秀直だと考えて福田支持を呼びかけたが、中川はきっぱりと「申し訳ないが私は安倍で行く」と断ったと言われる。

 誰がやっても小泉より巧くやれるはずがなく、しかも短命の予想。誰もやりたくなくて「次の次」を狙いたいのがポスト小泉候補たちの本音だが、次の総選挙では政権が民主党に移るかもしれず、そうなると次の次などないかもしれない。やはりチャンスは掴める時に掴まなければならない。

 サンプロが終わると六本木ヒルズ内のイタリア料理店で昼食。ゲストの政治家などが来ることもあるが、昨日は田原さん、私のほかは番組スタッフだけ。田原さんと私で、5日に亡くなった日下雄一=テレビ朝日報道局統括プロデューサーを偲んで献杯した。日下さんは、18年前に田原さんと共に「朝まで生テレビ」を作って終生、そのプロデューサーを務めた人。田原さんにとっては、昨年奥さんを亡くしたのに続く衝撃だったようだ。10年前に食道癌を手術して、昨年再発、再手術をしようと調べたら胸膜に転移していて手遅れだった。59歳。テレビ朝日定年退職まで25日間を残しての死だった。

 昼食の席を途中で抜けて、国立競技場でラグビー大學選手権決勝、早稲田vs関東学院戦を観戦。結果は早稲田が41対5で圧勝、ラグビー仲間と共に近くの寿司屋で祝勝会を開いて盛り上がった。5年前に監督を引き受けてから5年連続で決勝進出、31年ぶりの大学選手権2連覇に導いた偉大なる指導者=清宮克幸監督も、今年で任期満了。継投を望む声があるのは当然だが、サントリーから給料を貰いながら監督業に専念してきた恵まれた環境をいつまでも楽しむわけにはいかないのだろう。しかしこれもポスト小泉と同じで、誰がやっても清宮ほど巧くやれそうにない。清宮自身はサントリーの営業の仕事に戻りつつサントリー・ラグビー部の監督としてチーム立て直しに当たるのかもしれないが、他方ラグビーは来年が4年に1度のワールドカップの年。「ジャパンの監督に!」と期待するのは私だけではない。▲

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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