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2011年12月23日

高野孟の遊戯自在録033

 長らくご愛読頂いた本録ですが、11月以降は、「まぐまぐ!」上での有料メルマガ「高野孟のTHE JOURNAL」配信開始に伴い、装いも新たに「閑中忙記」および「房総田舎暮らし徒然の記」という形で継続しています。大変恐縮ですが、同メルマガのご購読手続きをして頂いた上で引き続きご愛読下さい。よろしくお願いします。たかの

2011年10月21日

高野尖報:NPOに寄付をすると税金が返ってくる?! ── 寄付税制とNPO法の改正の意義

 私は神奈川県知事認可のNPO法人「神奈川馬の道ネットワーク」の理事長を務めていて、このほどその関係者向けに、6月の国会で与野党一致で採決された市民公益税制改正の意味について、とりわけ従来は極めて難しかった「認定NPO法人」の資格取得が大幅に緩められたことについて、分かりやすく説明してほしいとの要請があって、今日その原稿を送った。この問題については、8月のJFNラジオ「ON THE WAY ジャーナル/高野孟のラジオ万華鏡」で法改正の仕掛け人である岸本周平衆議院議員をゲストに招いて詳しく論じているが、その画期性についてはまだ一般によく知られていないようなので、「NPOに寄付をすると税金が返ってくる?!」と題したその原稿をここにも再掲する。

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2011年9月20日

高野尖報:"脱原発"から後退りする?野田首相 ----国連原発会合での演説案の奇怪

 共同通信19日発によると、「野田佳彦首相が22日にニューヨークの国連本部で開かれる『原発の安全性と核の安全保障に関するハイレベル会合』で行う演説案全容が18日、判明した。東京電力福島第1原発事故を受け『原発の安全性を最高水準に高める』と表明、同時に『安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保は引き続き必要だ』と直ちに『脱原発依存』へ移行しない立場を明確にする。事故原因を徹底検証し、結果は国際社会への全面開示を約束する」という。

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2011年9月17日

高野孟の遊戯自在録032

9月1日(木

 鴨川自然王国の「里山帰農塾」の通算第39回、今年度第3回が9月17〜19日に開講するので、メールのやりとりでその打ち合わせ。今回のテーマは「地域コミュニティで暮らす」ということで、私の5年目に入った鴨川暮らしの体験に基づいて「コミュニティとは何か」を講義してほしいとのこと。東日本大震災の復興を考えても、結局のところ、国が何をしてくれるかと上からの施策を待っていてもどうにもならず、それをどうだこうだ批判しているよりも、地域の共同体が下から知恵を結集して何とかするしか仕様がない。東北の現実は、国よりも自治体やそれを支える地域のほうが問題解決能力があり、それが発揮されることをむしろ妨げているのが国による一律的な規制やその背景にある不毛な平等主義ではないかと思えてくる。例えば、仮設住宅を作るのに、当初、国が各県各市町村で一定の基準を満たすように作れと命令したことが、各地の実状に応じた対応にとって大変な妨げになったと聞いた。この国はそのような馬鹿馬鹿しさで満ちている。
★鴨川自然王国/里山帰農塾:http://www.k-sizenohkoku.com/

9月2日(金)

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 野田内閣の組閣人事のニュースを聴きながら、今日は丸1日、刃物類の手入れ。鉈は、大中小3種類は私が知り合いの高知県南国市の鍛冶屋「トヨクニ」で自分で鍛造した----とは言っても格好だけで、プレス機械で叩きながら軟鉄本体に鋼を焼き締める作業をちょっとだけ体験させて貰ったというだけで、後はプロが刃を叩き柄を付けて仕上げて送ってくれるだけなのだが----ものがメイン。他に、もっとゴツい山林用と細身の竹割り用などがあるので、鉈だけで5本も6本もある。何カ月に1度は全体を点検して、錆を取ったり刃を研いたりして、いつもベストの状態にしておかなくてはならない。写真は自製の鉈の3兄弟。

9月3日(土)

 朝7時に北海道放送の中村美彦キャスターのラジオに電話出演。野田内閣について原稿執筆。そのあと道具小屋に籠もって道具の整理作業。

9月4日(日)

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 先月末に館山の田中惣一商店で買ったノコギリがビニールのチャチなケースに入っていたのが気に入らなくて、半日かけてケースを製作した。こういうケースを、板切れを貼り合わせて、カチッと填まるようちょっとした仕掛けを施して、柿渋、弁柄、漆、くるみなど植物油といった伝統塗料を適当に組み合わせて塗り上げるのが、私の趣味の1つ。今回は、柿渋を1回だけ塗った上に荏の油を板に沁み込むほどたっぷり塗って磨き、最後にニスを薄く塗った。左にあるのは、以前に作った稲刈釜のケースでこれは柿渋と弁柄を混ぜて塗ってある。

9月5日(月)

 午後に出て、麻布の事務所で打ち合わせの後、サントリーホールでソプラノの中丸三千繪のモノオペラ。プーランクの「人間の声」50分、三枝成彰の「悲嘆」90分を一夜で歌い遂げる中丸の迫力に圧倒された。

9月6日(火)

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 朝の東海ラジオは野田新首相の党・内閣人事はまずまずで、「輿石幹事長」は小沢もビックリのズバリ内角高め直球ではないかというお話。10時から釜沼北の棚田クラブの脱穀作業。本来4日の日曜日に会員参加のイベントとして予定していたのが、台風の影響による雨で延期となった。急な変更でしかもウィークデーなので都会人会員の参加は無理なので、地元会員の米国人C君夫妻、陶芸家のM君、家族を都会に残して単身赴任で農業を目指しているI君、それに私が参加。3時間ほどで2反歩余りの会員用田んぼの脱穀を終え、指導者である4人の爺様の1人Sさん宅に運び、乾燥機に投入した。夕方涼しくなってから、春に植えた野芝の伸び放題を刈り込む作業に着手。

9月7日(水)

 13時半から引き続きSさん宅で、籾摺。昨日乾燥機に入れた籾を、今度は籾摺機に流し込んで、玄米状態で流れ出てくるものを30キロ袋に詰めるのが全自動で行われるので、人力が必要なのは袋の口を縛って積み上げるだけ。30キロ袋で28袋、840キロ、ということは14俵、ということは反当り7俵で、出来のよかった昨年よりやや少ないが、まずまずの収量である。21組の会員に分けると1組当たり40キロの配分となる。年会費が3万円なので、単純に計算すれば10キロ=7500円の米ということになるが、田植え・稲刈りはじめ月1回程度のイベントで遊ばせて貰い、その度に何十人分の昼食を用意してくれて、またイベントの合間には爺様方がいろいろな準備作業や田んぼの手入れを怠らない訳だから、高くないどころか、ボランティアで世話してくれている爺様方に感謝しなければならない。夕方、家の芝刈り続行。

9月8日(木)

 明後日、雑誌の取材が来るので、家内は家中、私は散らかり放題の書斎の大掃除。午後から原稿を書き始めたが、夕方、なでしこジャパンの試合を観戦しながらビールを飲み始めてしまったので完結せず。

9月9日(金

 早朝から原稿書き続行。終わってから大掃除の続きで、芝刈り、畑の雑草取り、道具小屋の片づけなど外回りの整備を行う。昼から「9・11」10周年関連の記事をまとめて読み、論点を整理した。夕方車で横浜に出て「NPO神奈川馬の道ネットワーク」の年次総会に出、理事長として挨拶と司会を果たし、21時過ぎに帰宅。

9月10日(土)

 トステム・グループのPR誌の「お宅拝見」という感じの取材で、編集者、ライター、カメラウーマンが来訪、2時間ほど家で過ごしてから13時過ぎに一緒に鴨川自然王国へ。今日は王国会員プラス早稲田の高野ゼミ現役&OBによる稲刈りで、学生15人ほどで4時間でほぼ1
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反歩を刈った。例年通り、今年も鎌で指を切る奴がいて、スタッフが近くの病院に運んで2針縫って貰って来た。始まる前に、(1)鎌は鞘がないから持ち歩く時は気を付けろ(だから私はケースを自製している=9月4日参照)、(2)腰に差すと転んだ時に腹や尻に刺さるぞ、(3)稲を刈る時は勢いをつけて叩き切ろうとしたり力を入れて水平に引いたりしないで(水平に引くと勢い余って足に刺さる)、そーっと差し込んで左手で掴んだ稲束の後ろに当てて斜め上に引き上げれば何も力を入れなくともサクッと切れる、(4)左手で稲を束ねる時は親指を下にせず小指を下にしろ(親指は独立して動くからうっかり下に伸ばすと鎌に当たって切りやすい)----などと懇切丁寧に説明するのだが、そもそも今の若者は"刃物教育"を受けていないから扱いが巧くない。私ら子供の頃は、誰もが肥後守を持ち歩いて近所の大工の息子から研ぎ方まで教わったし、小学校4年くらいからは「海軍のおじさん」と呼んでいた母方の叔父にハイキングやキャンプに連れて行かれて米軍お下がりの大型ジャックナイフで何から何まで自分で細工することを教えられたものだ。町村信孝が文科大臣の時に学校でナイフによる傷害事件が起きて「学校に刃物を持ち込むな」という通達を出したので、私は「逆だ。学校で刃物の扱いを教えろ」と猛然たる抗議文を送った。町村は昭和19年生まれの「一休会」のメンバーである。

 夜は焚き火を囲んでバーベキューの大宴会。ほどほどで軽4輪を運転して帰った。

9月11日(日)

 昼前の高速バスで千葉市に行き、民主党千葉県連の政治スクールの記念講演。早稲田の大隈塾社会人コースの卒業生で今年春に大手食品会社を辞めて佐倉市議選に民主党から立候補、初当選した高木大輔君からの依頼なので、喜んで行った。県議・市議中心の100人ほどの方々に、「民主党政権3年目の課題」について講じた。

9月12日(月)

 東京FM系JFNの全国ラジオの収録は自民党の異端児=河野太郎さんがゲスト。「核燃料サイクルは破綻している。即刻、計画を取りやめろ」という持論を40分間、思い切り語って貰った。明快で気持ちよかった。東京泊。

9月13日(火)

 東海ラジオは、野田首相が「安全な原発は再稼働」と言うがどういう基準で安全というのか、私の基準だと再稼働を検討してもいいものは数基しかなく、再稼働は実質的に不可能で、その意味ですでに原発は終わっている、という話をした。午後から大阪へ行き、日本政策金融公庫の大阪西支店の講演。19時半に心斎橋の「若松」で何年かぶりに愚弟=津村喬と一杯飲んで近況を報告し合った。今は京都に住んで、相変わらず「気功」で頑張っているようだ。大阪泊。

9月14日(水)

 新幹線の車内誌『ひととき』9月号に「主に食文化の視点から世界各地を取材」しているというフォト・ジャーナリスト=森枝卓士が、こんなことを書いている。「『とりあえずビール』が嫌いだ。そんな消極的な理由でビールを選ぶなんて、ビールに失礼ではないか。
『××ビールが飲みたい』ということでなければ。それが酒飲みの矜持ではないか」と。な〜にを言っているんだ。「とりあえずビール」というのは、上着を腕に抱えていても背中を汗が流れ落ちるような暑い日の夕方に、ようやく店に飛び込んで、「あ、つまみは後でゆっくり頼むから、取るものも取り敢えず先にビールを持って来てよ」という、もう午後の内から夕方のこの1杯のことばかり夢想していたビール好きが、もう多くの言葉を費やすのももどかしいという
気持で発する切羽詰まった省略形なのだ。飲み屋に行って「うーん、冷酒にしようかな、芋焼酎のロックにしようかな、まあ取り敢えずビールにしておこうか」なんて迷う奴がいると思ってこんなことを書いたのだとしたら、貴方こそ酒飲みの心理が分かっていない。人様に向かって「酒飲みの矜持」とか言うのは10年か20年早いんじゃないの。
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 帰宅すると、彼岸花が出始めていた。萩も今が盛りだし、ツルバナの実も
赤く熟れて鳥についばまれるのを待っている。残暑が厳し
いながらも初秋の気配が広
がってきた。▲

2011年8月31日

高野孟の遊戯自在録031

8月10日(水)

 9時から釜沼北の棚田クラブの草刈りということで、張り切って出掛けたが、集合場所に来ていたのは会員で東京からの移住者であるIさんだけで、指導者である4人の爺様方は誰もいない。2人で「あれ?日にちを間違えたかな」と言いながら連絡をとると、部落の婆様が昨日だかに亡くなって、葬儀社に頼らない昔ながらの村の葬式をやるのでてんやわんやになって、今日は出られない、昨日のうちに会員の皆さんに連絡するのを忘れていた、誠に申し訳ないとのこと。昔ながらの村の葬式って民俗学的に興味あるよね、とか言いながらIさんと2人で田んぼ周りの草刈りをした。まったく、村の暮らしには窺い知れぬ深いものがある。

8月11日(木)

 近くのホームセンター=コメリで一寸角の木杭を長中短交えて買ってきて、既に敷設した新しい水源(8月9日付参照)からのパイプを支持するための杭打ちを開始。これはなかなか手間がかかりおいそれとはいかない。

8月12日(金)

 午前中、東隣地斜面で前に草刈りしておいた部分の枯れ草を燃やす。膨大な量なので、山火事にならないよう風向きを考えながら火力をコントロールする。午後はパソコンに張り付いて仕事。

8月13日(土)

 3分の1世紀を超える付き合いのジャーナリスト仲間とその奥様、計5人が鴨川来訪。元インサイダー同人で今はINSIDELINEを主宰している歳川隆雄夫妻、報道写真家の山本皓一夫妻、前日刊ゲンダイ記者で今はBS11の役員兼キャスター、鴨川の海辺に別荘マンションを
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持っている二木啓孝で、16時頃に二木の車で我が家に到着、一服してから天津小湊の魚料理店「なが島」へ。ここは、前にも書いたことがあると思うが、外房随一の魚料理の名店で、皆さん大満足。車で5分の二木のマンションに移動して海の夜景を見ながらの2次会で日本酒を飲んでヘロヘロ。二木はそこに泊まり、歳川・山本両夫妻は我が家と近くの「青少年研修センター」に分宿した。

8月14日(日)

 歳川・山本両夫妻と共に我が家のベランダで朝食を摂っているうちに二木が到着して合流、11:30に出て鴨川・曽呂地区にあるスペイン料理屋へ。前にも書いたと思うが、え!こん
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なところに何が?と思うような田んぼの中にある一軒家で、立体造形アーティストの岡部さんご夫婦が金土日のみ予約制で開いている。地元の魚介類、自家栽培のトマトはじめ有機野菜を用いた本格スペイン料理で、特にお勧めはイカ墨のパエリア。皆さん大満足で、グルメ志向の歳川も「都内にいくつかスペイン料理屋があるが、こんなのは初めて」と絶賛してくれた。帰路途上にある故・水田三喜男元蔵相の生家に立ち寄り、昔の茅葺き日本家屋とはどういうものかというレクチャーを受けてすっかり感心して、そこで皆さんとお別れした。

8月15日(月)

 南に面した庭にミニ小川を作る作業を開始した。これについては、ある程度完了したところで報告する。午前はその作業で、午後は読書と資料整理。

8月16日(火)

 午前中、小川作りを続行。午後は原稿書きと読書。

8月17日(水)

 今日も朝から小川作り。午後は原稿書き。

8月18日(木)

 一念発起して、書斎の床に山積みになっている新聞・雑誌の切り抜きなど資料を抜本的に整理して、捨てるものが7割、残したものをきちんと分類してファイルするという、丸1日掛かり(朝5時から夜9時まで)の大作業に取り組んだ。3カ月に1度ほどこうやって身辺を整理すると、やらなければならないことが浮かび上がって来て、よーし、本でも1冊書こうかという気になってくる。

8月19日(金)

 久々に雨が嬉しい。小川作りと原稿、読書。

8月20日(土)

 終日、小川作りに没頭。

8月21日(日)

 本日、7月半ばから断続的に続けてきた「第3水源」から約200メートルの配管工事と、それに伴う「ミニ小川」工事が一応完成した。
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 そもそも我が家の上水の水源は3つあって、元々のメインである第1水源は、ここへ引っ越して以来使っている近所の農家Sさん所有の西隣地の森の中の湧き水。これはなかなか優れた水源で、正常時には1分間1.5リットル以上の水量があるので、それを基準として砂による浄化装置を設け、それを貯水用の8トンタンクに導いて使っている。が、この水源は昨年夏の渇水時には枯れかけたし、今年も空梅雨のせいか水量が落ちるなど、水量にムラがあり、ヒヤヒヤさせられることも少なくない。そういう場合の補助的な第2水源として、第1水源近くの堰堤から漏れ出ている水があって、それをパイプで繋いで使うこともあるが、これは濁りがやや強くて、非常時以外は余り使いたくない。そこで今夏は、新たな第3水源として、東隣地の排水溝の脇から出ている水量豊富な湧水を引っ張ることにした。水源一帯の放置されて藪化した草地を草刈り機で切り開いて、次にその手前の荒れ果てた森に人の通れる道を作り、そこを通じて延々200メートル余りパイプを敷いて浄化装置にまで繋いだことは、本録7月24日、8月4日、同9日でも書いた。

 それで様子を見ていたところ、最初のうちは第3水源の豊富な水量のおかげで8トンタンクはたちまち満水となりオーバーフローが勢いよく流れ出て、まことに満足すべき状態だったが、ふと気が付くとオーバーフローが止まっている。調べると、第3水源からのパイプの継ぎ手が途中で外れて漏れてしまっている。「あ、繋ぎ方が緩かったか」と繋ぎ直すが、また半日か1日の内に同じことが別の継ぎ手のところで起きる。それで気が付いたことは、第3水源の水量が多い上に、森の道を出て我が敷地内に入ってからの落差が大きいために水圧が高すぎて、浄化装置の適正処理能力(1.5リットル/分)に合わせてバルブを絞ると、どこかの継ぎ手が弾けるように外れてしまうのではないか、と。

 200メートルすなわち4メートルの20ミリ水管を50本繋いでいて、ということは継ぎ手が50カ所あるので、どこが外れたか草地の斜面を登り森の道を抜けて東隣地の藪の中にある水源まで一々探査して繋ぎ直すのは容易なことではない。もちろん、全部のパイプの継ぎ手を接着剤で固定して地中に埋設してしまうという手もあるのだが、そうすると何か変更が生じて繋ぎ直す場合や事故が起きてメンテナンスが必要になった場合に、いちいちパイプを掘り起こして切断しなければならず、かえって不便になる。そこで、敷地内に入ってからしばらくのところに分岐を設けて、半分ないし3分の2に減水・減圧した分を上水タンクに流し、半分ないし3分の1を分岐に流して、それを主水源として南斜面にビオトープ小川を作ることを思い付いた。

 ビオトープ風に池や川を作るには、下に遮水シートを敷いて上から土を被せ石を置くなどする方式と、手近に粘土があればそれを撞き叩いて固める叩き粘土方式とがある。我が敷地は、50年前までは棚田だったところで、初めから田んぼに適したこの地域特有の重粘土の土質だから、叩き粘土方式が合っている。

 分岐から30メートルほどパイプを引っ張って、南の緩やか斜面の中程にある榎の根元あたりから水が流れ出るようにして、それを小川の起点とした。パイプから流れ落ちる水の勢いで地面に穴が開かないよう、石をいくつか置くと、翌日にはもうその石の下にサワガニの親子が棲み着いていた。そこから先は、鍬で掘ってチョロチョロ小川を作っていくのだが、ただ溝を掘っただけでは自然の起伏や穴ボコがあり、草や葛の根や石があちこちに突出したりもしていて、そこからたちまち水漏れしてしまうので、まずは大雑把にカケヤで地面の粘土を叩いて水の道筋をつけながら、底と縁の土を手作業で固めていく。これは根気の要る仕事で、指で水の流れる底や縁を1センチ刻みで探って、指先がブスッと潜ってしまう柔らかいところは上から粘土を詰めて、拳で叩いて締めて、根っこの切れ端や石が出ているところは取り除いて穴を粘土で埋めて、最終的には親指でどこを押してもほとんど凹まない程度にまで固めていく。一度や二度やっても、見落としがあるし、また時間の経過とともに水の流れで思わぬところに穴が開いたりするので、五度六度、十度とそれを繰り返して、次第に水漏れのない水路を作り上げていく。

パイプの出口をその榎の近くに持ってきたのは、理由があって、実はその榎の根元に元々からの自然の水源があって、昔はもっと豊富に出ていたのかもしれないが、今は雨が降った後にはチョロチョロ流れ出てその辺りがちょっとした湿地帯になるが、晴れが続くと出なくなってしまうというところがある。その湿地帯に傾斜を付けて水を導き、パイプから出た水による小川と合流させて水量を補うことができるのではないかと考えたからである。こういう自然の湧き水は、放っておいて出て来た水の行き場がないままにしておくと、だんだん枯れてしまう。行き場を作ってやって、常に水を一方向に引っ張るようにしてやると、地中の水の路がクセが付いて、いつも出るようになる。これは本当に面白い現象で、男女の仲に喩えるべきか、いつも引っ張ってやればこちらに向いてくるが、それを怠ると土中の水路が浮気を起こしてどこかに分散して思うところに集中しなくなる。巧く行くかどうか分からないが、これまで数日観察したと
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ころでは、このところ断続的に雨が降っていることもあるが、この自然水源も水を出し続けている。写真左は「小川」のスタート地点で、中央上の榎の幹の手前に分岐されたパイプの出口があり左側を流れ落ちてくる。榎の幹の右下あたりに自然水源がありそこから引いた水が右側を流れて合流する。

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 小川の出口は、ベランダ横の側溝で、そこに竹の半割を伝った水が石の上に落ちて側溝に流れ込む「掛け流し」の仕掛けを作った。ご近所の皆さんが「庭先に水が掛け流しで出ているとは、これまた贅沢なことで」と羨ましがってくれるのが嬉しい。それはそうで、水源を見つける、そこからパイプを200メートルも引く、水が多すぎるから分岐して調節する、粘土を固めて小川を作る、それを掛け流しで側溝に落とす、その側溝をビオトープとして活用してクレソンを育てる----といったことは都会ではいくら金を出しても実現できない。金で買えない幸せがあるというのが里山である。

 これから1カ月ほど経つ内に、パイプと天然の両水源からなる小川と掛け流しと側溝とを丁寧にメンテしていくと次第に落ち着いてきて、水漏れの心配も少なくなるだろうから、そうしたら途中に水生植物が付きやすい小さな池や、小鳥が好きな瀬や砂地の部分を作って変化をつけていくことにしよう。側溝には、毎年カエルやトウキョウサンショウウオが産卵するので、適度の水深と水質を確保しなければならない。

8月22日(月)

 このところ新聞・雑誌などで熱中症対策で適度に塩を補給しろとか、そういう意味で塩入り飴が売れているとかいった記事が目につくので、「塩とは何か」について、従来から考えを積み重ねてきたことを書いておこうと思い立って、「塩と海と人」と題して明け方から書き始めたら、どんどん長くなって、夕方までかかってしまった。長いので3回に分けてINSIDER及びThe Journalに載せることにしたが、「総理大臣が交代しようかというこの時期に、こんな暢気なことを書いていていいのか!と言われそうなので、いや分かっているけど敢えてやってるんだという意味で「高野閑話」という冠を付けた。これまで「高野論説」(editorial)と「高野尖報」(flash)という冠があったが、これを付け加えて、私がINSIDER及びThe Journalに書く原稿はたぶんこの3つのどれかに分類されることになるだろう。閑話は英語ではidle talkかな。それ以外にThe Journal上の本稿「遊戯自在録」である。

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  さて、塩の話だが、要点は、塩を摂ることは塩化ナトリウムを摂ることと同義ではなく、生命の母である海水の組成に出来るだけ近い多様なミネラル類を塩化ナトリウムと共に摂ることでなければならないはずで、それには私の知る限り、沖縄の「ぬちまーす」が世界で一番だという
にある。
★ぬちまーす:http://www.nutima-su.jp/

8月23日(火)

 朝の東海ラジオは、なぜ菅直人首相が辞めなければならないのか、私は理解不能であるという話をした。菅がいいというのではなく、立候補者が菅よりマシだという理由が分からないということである。

 Ko君が草刈りの手伝いに来てくれて、敷地上半分が綺麗になったので、水パイプのラインの要所に杭を打ち込んでパイプを固定する作業を行った。

8月24日(水)

 元大阪読売社会部の大記者=斎藤喬さんが昨日亡くなったという報せが届いた。肝不全だった。元々底なしの酒飲みで、10年前に読売を定年退職後、立命館大学などで若いジャーナリストの育成に情熱を傾けていたが、その間にどんどん酒量が増えて、休みの日など朝から飲んで明るいうちにウィスキーを1本空けてしまうほどで、夕方会った時にはすでに泥酔に近い状態ということもあり、「こんな飲み
方をしていたら、いずれ...」と覚悟をしてはいたが、ショックが大きい。

 紛らわすためもあって、20日付日経土曜版の「家族で一日楽しめる道の駅」人気ランキングで東日本第3位に館山市の「南房パラダイス」が挙げられていたのを思い出して、もっと手近な道の駅はいくつか常用しているが「ここは行ったことなかったねえ。近くにこんな素晴らしいところがあったとは」と、家内と出かけた。が、嘘ばっかり。「国内最大級の屋内型動植物園を併設、熱帯の草花や鳥を観賞できる。レストラン、売店は海鮮料理や南国フルーツのスイーツが充実」という日経の宣伝文句も、確かに熱帯・亜熱帯植物を集めた温室の数々は大したものだけれども暑くて夏に行くものではないし、海鮮料理のはずのレストランは週末のみ営業で閉まっていて、喫茶部のまずいカレーを食う羽目に。このくらいの"外れ"も珍しいというくらいの最低の体験で、マスコミのランキングなど信じてはいけないことを思い知った。

8月25日(木)

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 夕方から、三浦半島の乗馬クラブ「クリエ三浦」で、私が代表を務めるNPO神奈川馬の道ネットワークの幹事会が開かれるので、家から車で出て、20分ほどで金谷港着、14:20発の東京湾フェリーに乗って40分で久里浜へ。時間が余るので、港の脇のカインズでしばらく時間を過ごして現地へ向かう。帰りは久里浜19:10発の最終フェリーに間に合って20:15帰宅。久々にこのフェリーに乗った。横浜に住んで鴨川に通っている頃はしょっちゅうで、車の誘導係のおじさんと顔馴染みになるほどだったが、今は東京へ出ると言えばアクアライン経由なので、すっかりご無沙汰になってしまった。写真は久里浜港に入る「かなや丸」。この超アナログ感がいいですね。

8月26日(金)

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 13:00過ぎに車で出て品川経由、大阪へ。18:00から高槻市の葬儀場で斎藤喬さんの通夜。焼香が終わった後のお経が続いている間にチョロッと抜け出して、大阪ミナミ・法善寺横丁の「美加佐」へ。ここは大阪随一だと言って斎藤記者が十数年前に私を連れて行ってくれて、以来私が、自分はもちろん家内や友人まで連れて、通ってきた店。斎藤さんの通夜に飲むところはここしかない。8時過ぎに店に行くと、おかみさんも親父もも、「どうしたんですか、こんな時間にお一人で?」と。大体は5時か6時に誰かと一緒に行くから、そう言われても仕方ない。「いや、今日は斎藤記者のお通夜だったのよ」「えっ!亡くなったの?」ということで、親父と献杯を重ねた。大阪泊。

8月27日(土)

 朝5時起き。ジャーナル原稿、今日午後の名古屋「栄中日文化センター」講座のレジュメを執筆・送信。さらに今日の斎藤記者の告別式に出られないので、求められていた弔辞を手持ちのデジカメ=CANON G9のビデオ機能で4分半ほどのメッセージにして撮ってMacに落として、DVDにコピーして、それを高槻市の葬儀場に届けてから名古屋に向かった。ビデオ弔辞の内容はおよそ次の通り。

▼もう3分の1世紀を超えていますよね、最初に斎藤さんと知り合ってから。私が週刊誌の取材で大阪の闇社会を探るといった仕事で大阪に来ていて、「そういう話は読売の斎藤記者だよ」と紹介されたのでした。それから、まあよく飲みましたね。......最後は1年ちょっと前、法善寺横丁だったと思います。でも、飲み始めてから15分もしたら、もう椅子の上で眠ってしまって。それを見て、「ああ、誘わないほうがよかったのかな」と。私と会えば酒になってしまう。まさか斎藤さんとコーヒーかクリームパフェでしゃべってるなんて考えられませんから。その頃は毎週、大阪に来ていたんですが、何となく誘いそびれて...。それっきりになってしまいました。コーヒーでもいいから会えばよかったのか。今は何とも複雑な気持ちです。

▼私もジャーナリスト生活を40数年続けてきて、この世界にたくさんの知人や仲間がいますが、その中で特
別な存在が2人いて、1人は師匠と呼べる人、これももう亡くなりましたが。もう1人が兄貴と呼べる、3歳上の斎藤さんでした。この2人に共通するのは、ジャーナリストの心意気----「全世界を、1人で引き受ける」という気概です。世界のどこで何が起きても、日本のどこで何が起きても、自分の目でそれを見極めて、その意味を問い詰めて、そしてジャーナリストと出来ること、書けることは何かを決める。そのことを2人から学びました。しかし、毎日毎日をそのように張り詰めて生きるのはしんどいことで、だからその神経の緊張を一時ほぐすために少々の酒が必要だったのでしょう。

▼もうそちらに行ったんですから、2度と死ぬことはない訳ですから、好きなだけ酒を飲んで下さい。...いずれ私もそちらに行きます。...そうしたら、斎藤さんは、天国の入り口で私を迎えて、「おお、よく来たね。待ってたよ」と言うんでしょう。...「天国にも提灯横丁があってねえ。いい店があるんだよ」てなことを言うんでしょうね。...それまでしばらくのお別れです。さようなら。

 名古屋の講座は、何で菅ではダメなのか。今出ている候補者で官僚体制と戦えるのか、脱原発路線は後退しないのかなど、この代表選それ自体のバカラしさについて語った。

 18:30過ぎ帰宅。前日から孫が来ていて「ジイジ〜、待ってたよ〜」とか言われてメロメロ。

8月28日(日)

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 孫を含め家族3世代で参加している「釜沼北棚田」の稲刈り。今年は空梅雨が祟って生育期に水が不足気味で、作柄が心配されたが、まあまあ昨年並みの収量にはなりそうだし、放射能は心配ないという検査結果が出ている。27組の家族連れ約50人と言っても幼児もいるので実働40人ほどで9時半から手刈りで刈り始めて、13時までかかって予定の4枚の田んぼのうち3枚とちょっとくらい。数日前に雨が降って田がぬかるんでいるので効率が悪い。後は爺様たちが機械で刈ることになる。村の公民館に移ってバア様たち手作りの鶏の混ぜ御飯で昼食。8月15日に4歳の誕生日を迎えたばかりの孫は張り切っていたのだが、前夜から風邪っぽく微熱があるので早期リタイアして家で昼寝していた。しかし、「晩ご飯はどこへ行こうか」と言うと即座に「池田。お魚と白いご飯」と、ハッキリしている。池田は、本録には何も出て来るが、鴨川市内にある魚料理の名店で、ご飯はもちろん地元の長狭米を使っているので、魚もご飯もおいしい。アジの塩焼き、イクラ、タコの唐揚げでご飯も茶碗一杯平らげたので、これなら風邪も治るだろう。「また来るからねー」と去って行った。

8月29日(月)

 朝、涼しい内から、まずは昨日、私、家内、婿が使った稲刈鎌3本や地下足袋の手入れ。鎌はもう1度洗って研いで油を塗ってケースに収める。もっと大型の草刈鎌は雑草刈りにしょっちゅう使うが、小型でシャープな稲刈鎌は年に1度、私専用のは9月に入って自然王国の稲刈もあるので2〜3度使って1年間お休みだから、来年取り出した時に「あれ?錆びてしまった」というのではお話にならないので、丁寧にケアする。

 次にベランダ脇の側溝の泥を渫って水の流れをよくする作業。8月21日の項で述べた、ビオトープ小川の出口の掛け流しがこの側溝に流れ込む。これまでは、雨が多いと水が溜まり、そうでないとカラカラに
creson.jpg乾いてしまうという繰り返しだったが、掛け流しの水がたとえチョロチョロでも常時流れ込むとなると、この側溝自体が1つのビオトープとなる。まず手始めに、半分死にかけていたクレソンを生き返らせた。クレソンは夏には弱く、秋になるとどんどん増えて大きくなる。

午後は、寝室南面の窓の外に置いてあるゴーヤの緑のカーテンの
蔓が伸びすぎて垂れ下がって絡み合ってしまっているのを、上に竹棒を継ぎ足して、もつれを解いて伸びやすいようにしてやるのに2時間を費やした。さらに夕方は、今春に高田造園が植えた野芝が伸び放題になっているので、まずベランダ東側のメイン芝庭の部分の刈り込みに着手。結局、終日外にいて、民主党代表選の様子は居間から聞こえるテレビの音声でフォローした。結果? まあ「海江田にならなくてよかった」のひと言に尽きる。

8月30日(火)

Ko君が手伝いに来てくれる日なので、今日は、敷地の柿の木が榎と抱き合ってしまって昨年も一昨年も実りが悪かったので、榎を切り倒して柿を解放する作業に取り組む。柿と言っても渋柿だが、「柿酢」を作るにはたくさん実らないと困るのだ。榎は多分25〜30年もので直径30センチほどの中くらいの太さで、根元から切り倒してしまえば簡単だが、それでは柿の枝が折れてしまう。長いはしごをかけてノコギリで丁寧に榎の枝を切り落として、幹だけにしてからチェーンソーで幹を倒した。落とした枝の葉先を払って薪になりやすいよう始末して、2人で2時間の作業だった。昼食前に、チェーンソーの分解掃除と刃の目立て。心を込めてやると30分ほどかかるが、これをやっておくと次に使う時に気持ちよく作業できる。

 午後はKo君は奥の方の草刈、私は芝刈を続行。芝面の地形が
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入り組んでいる上、周りに微細な植栽もあるので、大型の手押し芝刈機でバーッと刈る訳にはいかず、手持ちの電動バリカンと手動バリカンで刈りながら、雑草を除いていくので時間がかかる。除草剤を使わないので、雑草を1本1本抜くのは手間だが、このメイン芝面に関しては、ずっと手入れしてしてきたので、ほとんど雑草も生えない。端の方に行くと雑草が少し進出してくるが、高田造園の高田さんによると、「ゴルフ場じゃないから、適度に雑草が混じっていいんですよ」とのことだから、選択的に雑草を残しながら刈り上げる。刈り終わると、大小2つのクマデを使い分けてサッチ(芝の枯葉の堆積)を掻き出して、根の方まで酸素と日光が届くようにしてやる。写真左は東側から見た芝面とその向こうのベランダ。芝面の右は前からあった高麗芝、左はそれを半分剥がして高田造園が植えた野芝。

8月31日(水)

 台風の影響で雨のはずが、なかなか降りそうにないので、午前中に芝刈りを続行。これでベランダ東側のメイン芝庭については一応(第1回の)作業を終えた。まだ台所口前、門からのアプローチ脇、風呂場前、浄化槽周りの4カ所の芝生が手入れを待っている。

 昨日の「東京新聞」によると、海江田が第1回投票で1位となる公算が大きくなったことで仙谷由人が危機感を持ち、28日夜に鹿野と密かに接触、鹿野が第2回投票で前原に投票することには抵抗があると言ったのに対して、仙谷は「分かった。野田を2位にするよう、前原の票を野田に回してもいい」と言ったという。ホホーッ、なかなかの駆け引きをやるもんじゃないかと思い、仙谷本人に聞くと、何と、「全くの出鱈目、創作です。この間のマスコミ記事はリークと揣摩憶測とフィクションが殆どです。小沢史観のうえに、仙谷由人ミニ史観で書いています。マスコミの劣化はひどいものです。私は鹿野道彦さんには会っていません」だと。ひえーっ、聞いてみなければ分からないものだ。新聞を真に受けて、「東京新聞によれば、仙谷もなかなかしたたかで...」とか論評したりすれば大恥をかいてしまう。▲


2011年8月26日

高野尖報・首都直下型地震による「液状化」被害予測の恐ろしさ ── 封印された報告書を『AERA』が暴露

 東北大地震の後、(1)茨城沖〜茨城南部内陸を経由、(2)東海大地震からの連動、(3)独自の活断層の変動のいずれかの要因で、首都直下型の大地震が起こる可能性が高まっており、その場合に、中央防災会議の控えめな予測でも、死傷者22万人、建物の全壊・焼失85万棟、直後の避難所生活者460万人、経済被害総額112兆円という想像を絶する地獄絵が現出する可能性があることについては、本論説4月25日付でも述べてきたが、今週発売の『AERA』8月22日号の巻頭「封印された"東京湾炎上"」によると、それだけではない、臨海部の液状化で油や劇物が大量に海に流出して大爆発の連鎖が起きて東京湾封鎖という事態が起こりうる。そのことを、国土交通省関東地方整備局が組織した有識者委員会が2年間かけて検討し、2009年3月に「臨海部の地震被災影響検討委員会報告書」がまとめられたが、経済産業省などの圧力で公表が差し止められたという。

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2011年8月11日

高野孟の遊戯自在録030

8月1日(月)

 今日で早稲田は前期最後の授業。午後の大隈塾授業では、東北被災地の支援ボランティアについて議論したが、「行きたいと思うがどこで何が出来るのか分からない」「物見遊山になるのでは」「目的意識を持って行かないと意味がない」「慌てて現地に行くよりも根本的なことを勉強するのが先ではないか」等々の意見が少なからずあって驚いた。締めくくりに発言した私は、「行って下さい。テレビで現地の様子を見ているだけでは、五感のうち視覚と聴覚しか使っていない。それで物事を分かったような気になる人間を私は軽蔑する」と言った。私ら若い頃には、考えるより先に体が動いて、理屈は後から付いてくるのが当たり前だったが、今の若者はまず勉強してじっくり考えて、失敗しないような道筋が見つかれば行動に移してもいいかな、それも面倒くさいかな、といった思考回路を辿る者が多い。頭の先っぽで考えるのでなく、体全体で考えろと言うんですが...。

8月2日(火)

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 朝のラジオの後、終日読書。井上ひさし『吉里吉里人』下巻をようやく読了。玉木正之さんから贈られた『「大相撲八百長批判」を嗤う/幼稚な正義が伝統を破壊する』(飛鳥新社)が面白い。まったく、「幼稚な正義」が大相撲だけでなく日本をダメにしている。明治学院大学の中尾茂夫教授から頂いた『米ドルの内幕』(左右社)は「市場の原理」と「帝国の論理」の交点でアメリカという国の多面性を整理しようとする分かりやすいドル論。

8月3日(水)

 夕方、千葉駅行きの高速バスで出て、千葉刑務所近くの名門料亭「花長」で佐倉市の蕨和雄市長と懇談。大学同級生で製紙会社を退職後、今は佐倉で陶芸や農作業の傍ら社会福祉協議会の役に就いている森田尚武君も同席した。2月に佐倉商工会議所の講演会に行った時に、控え室に市長と森田が控え室に来てくれて、「一度そのうち...」という話になっていたのが、市長からのお声掛かりで実現した。蕨さんは75年早大商学部卒、東京銀行で香港、ニューヨーク勤務も体験した国際派銀行マンの出身で、94年に蕨産業を設立してゴルフ練習場やラベンダーランドなどを経営した実業家でもあるだけに、2007年に無所属で佐倉市長に当選してからは財政再建や福祉施設の充実に手腕を発揮、1期目のマニフェスト達成率が9割を超えるという実績をあげ、今春再選された。「長命を寿(ことほ)ぐ社会を作らないと。厚労省のように長命を厄介視していてはダメですよね」と言うと、「寿ぐとはいい言葉だ。それ頂きます」と言っていた。美味しい料理とお酒で、私の終バスぎりぎりまで話が尽きなかった。
★わらび和雄HP:http://www.warabikazuo.com/

 森田が「例の『西東』を今日、市長にお渡ししておいたよ」と。『西東』とは、早大文学部西洋哲学科と東洋哲学科のOB有志が7年前に創刊した同人誌で、その創刊号の巻頭特集で、西哲同級生で僧侶・歌人の福島泰樹が私をインタビューするという形で、50ページにも及ぶ対談記録「我カク戦ヘリ」が載っている。その号にはまた、私が別稿で「還暦を期して安房鴨川で"エセ山林地主"となるの記」を書き、森田も佐倉惣五郎伝説についての考察を寄稿している。とんだお目汚しで恥ずかしいが、まあ私がどんな人生波乱の末に鴨川に暮らしているかを理解して頂くにはこの1冊に勝るものはないだろう。「我カク戦ヘリ」の全文はここにある。

8月4日(木)

 朝、家内を高速バス停まで送って、そのまま水道用の金具を探しに君津のジョイフル本田へ。我が家から一番近いホームセンターはコメリだがここは店が小さく、車で15分かかるカインズ鴨川店は倍以上の店構えで大抵の用は足りるが、30分かかるジョイフルまで行けば他にないものもほぼ必ず見つかる。昼間は何をしなくとも倒れそうなほど暑いので、15時半まで待って、長中短の角杭20本と鎌、鋸、その他小道具を担いで山に登り、先日仮設置した水道管の補強工事に取り組む。水源と最終的な貯水タンクの間には大きな落差があり、現状でも問題なく水は通っているものの、途中には土手あり起伏ありで、塩ビの20ミリ菅は凹部ではたわんでしまう。水に勢いがあるうちは問題ないが、勢いがなくなった時が心配だし、たわんだ所に少しずつ泥が溜まる危険があるので、凹部には杭を打って菅を金具で止めて支え、凸部では土を削って上り傾斜を解消したりして、できるだけ水平もしくはやや下りの傾斜をつけながら繋いでいく。結構面倒な作業で、1時間半ほどで約半分を完了。次の部分は地面を大きく削る必要があり、それにはシャベルか鍬が必要で、それを下まで取りに戻ってまた上がってくるだけの元気がなかったので、今日はそこまでで終わり。

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 写真は、ほぼ出来上がった森の道とそこを通る水道管。藪状態の森を切り拓いて、他人の森だから大きな立木には手を着けられないが、倒木はチェーンソーで切って脇にどけ、雑木は草刈り機でなぎ倒し、飛び出している枝は鋸で切り、頭上を覆う蔓類は鎌で切り落として人が通れる森の道を作り、そこに水道パイプを這わせて、一寸角の杭に金具で固定して持ち上げたり、地面を鍬で削って凹ませたりして高低差を調整し、水源から森の道の出口までの約120メートルをほぼ水平もしくはやや下りになるようにする。森の道を出て我が敷地に入ってからの約80メートルは一気呵成の下りなのでほとんど支えなどは必要ない。

8月5日(金)

 朝5時から執筆。昼に娘と孫が来訪(7日のお祭に備えて)。孫が来るともうダメですね。ブランコを押せ、キックボードに乗るのが上手くなったから見てろ、ゴーヤとミニトマトを採りに行こう、カタツムリが逃げ出したから探せ、花火がやりたい等々で終日振り回される。

8月6日(土)

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 朝から懸案だった自転車の修理。(株)ユニバーサルトライクの前2輪・後1輪の3輪で、鴨川に引っ越してトヨタのBladeという車を買った時に、友人だった故・勝又基夫=千葉トヨペット社長が我が家に遊びに来て、家内が運転しないことを知ってプレゼントしてくれたもの。とはいえ家内は乗ることもなく、私は400メートル下のスーパーにも軽自動車で行くので、せっかくのトライクも軒先に放置されたまま後輪がパンク(?)したり金属部分に錆が出たりして気になっていた。別に、これに乗ってどこかへ行こうという訳でもないのだが、やはりモノは大切にしなければいけない。まず雑巾で綺麗に拭いて、チェーンなどに錆落し油をかけて金属ブラシで磨き、それから空気が抜けてペチャンコになっている後輪を外してチューブを点検すると、パンクはしていないが一部劣化しているし、バルブのゴムは完全に寿命が来ている。カインズに車で走って部品を買い揃えて交換した。昔の男の子はこういうことは全部自分でやったんだが、今の子供はどうなんだろう。孫が見に来て「何してんの?」と言うから、「自転車でも何でも、自分のドーグは大事にして、いつも自分できれいにしておくんだよ」と諭した。

 トライクは、仙台発のベンチャーで、前2輪を連動させる世界初のパラレルリンク機構を開発して米欧亜で国際特許を取得、05年に創業してたちまち東北経済連合会の「宮城県優れもの百選」に選ばれたり雑誌『サライ』の賞を授けられたりして話題になった。私のは、すでに今年4月に生産中止となった「スポーツタイプ」で、前輪16インチ×2・後輪22インチ、外装8段変速、前カゴ付き、重量29キロというもの。今はこの電動アシスト式のものが売れているらしい。我が家は敷地内も門から玄関口まで結構きつい傾斜があり、門を出てからも下の舗装道路まで約200メートルの砂利の坂道なので、家内が乗るとすれば電動アシストでないと無理かもしれない。田舎暮らしには車が必須で、今は家内も、下のスーパーで氷を買ってこい、車で7分のセブンイレブンで振込をするから連れて行けとお気楽に言っているが、私が先に逝ったらどうするのか、考えておかなければならない。

 20時に明日のお祭の助っ人に志願した早稲田の高野ゼミ現役2人、OB4人、引率の村田信之の計7人が近所の焼肉店「味家」に到着、「好きなだけ飲み食いしろ」とは言ったが、大盛りのドンブリ飯を3杯お代わりした奴がいたのにはビックリした。OBは、米紙東京支局、大手銀行、映像制作会社、日経BPに勤務で、3杯飯を食ったのは銀行員。明日が早いので21時半にお開きにして、彼ら7人は鴨川自然王国の山小屋に宿泊。

8月7日(日)

 大山不動尊のお祭。鴨川市の旧大山村の中心にある大山不動尊は、その奥の山頂にある高蔵神社と併せて、神亀元年(724年)に良弁僧正が開いた、関東三大不動尊に数えられる由緒あるお寺で、毎年8月に行われる夏祭には、早朝に6地区=6神社からお神輿が出てお昼に不動尊境内に集結して賑やかに雨乞いの儀式を行い、夜は青年会が中心となってやはり6台の山車が旧大山小学校の校庭に集まり縁日が開かれ、花火も打ち上げられる。と言っても、ここでも高齢化の波は深刻で、とうの昔から6地区のうち3地区では、渡御者と呼ばれる担ぎ手が足りずに大人神輿は出せず、子供神輿だけが出るという有様だった。私の住む金束地区では、近くの航空自衛隊レーダー基地の屈強な隊員たちが、地元貢献活動の一環として毎年20人ほどが参加してくれて、ようやく渡御者が確保されてきたが、今年は大震災被災地への派遣があって「10人しか出せない」と知らせがあって、地区の長老たちは「神輿が出せるかどうか」と心配した。そこで私が大隈塾ゼミの学生やOBに声をかけたところ、現役2名とOB4名が手を上げて、村田先生引率で来てくれることになったのだ。

 今日は6時半に八雲神社集合、まずは御神酒で乾杯して、笛と太鼓のお囃子に乗って村の若衆が入れ替わりで唄う木遣りが響き渡り、白丁を着揃えた渡御者がそれに「さぁードッコイ!」などと合いの手を入れて調子を合わせ、ひと渡り盛り上がったところで7時過ぎにお
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神輿の出発。最初は田んぼの中の農道を静々と進む。村の各所に大注連縄が飾られて、お神輿がそれをくぐる度に有力者の家の玄関先・庭先に接待所が設けられていて、ビールや酒やジュース、スイカやトマトや鶏唐揚げや漬け物等々が振る舞われる。世話人は「お酒は水分補給になりませんからねー」と叫ぶが、どうしたってビールに手が伸びてしまうのは仕方ない。街道筋に出ると、蛇行したり揉んだり指したりと動きが段々激しくなって、10時過ぎに6カ
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所目の接待所に着く頃にはもう酒と汗にまみれてヘロヘロ状態。それでも頑張って(と言っても途中一部はお神輿をトラックに乗せ、渡御者は冷房付きのマイクロバスで移動という軟弱ぶりもあるのだが)11時前後に大山不動尊の仁王門前に6地区からのお神輿が集結、足利尊氏が寄進したという急な石段を順次境内まで担ぎ上げる。境内ではまたひとしきり激しく揉んだり指したりしながら、まずは山頂にある高蔵神社への階段下にお参りし
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て、次に不動尊の社殿にお神輿を突っ込んで揉み上げ、三三九度の手拍子を打って渡御を完了する。

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 それから地区ごとに境内にシートを敷いてビールとおにぎり弁当の昼食。「ビールが冷えていない!」と不満の声が湧き起こる。食べ終わるか終わらないうちに寝っ転がって昼寝する者が続出する(もちろん私も)。「さあ、時間だよ」とたたき起こされて、14時過ぎに出発、今度はトラックとバスを多用して残りの注連縄と接待所3カ所を一巡するのだが、その最中に雨がザーッと降ってきて、一時は道ばたの倉庫に避難しなければならないほどだった。「おおーっ、雨乞いが効いたなあ」と一同大喜び。実際、今年は空梅雨で田んぼが地割れを起こすなど稲の出来が心配になるほどだったので、雨乞いしてすぐに天が応えてくるとひとしお嬉しいのだ。

 16時、神社に帰り着いて解散。学生諸君は私の家によってシャワーを浴び、一杯飲んでから高速バスで帰京した。遠いところまで助っ人に来てくれてどうもありがとう。村人たちも皆さん感謝していました。学生諸君にとっても「村とは何か」を体感するいい機会となったと思う。

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 幸いに夜までに雨は上がり、山車行列は無事挙行することが出来た。私は孫を連れて縁日と花火を楽しんだ。何日も前から浴衣を着るのを楽しみにしていた孫は、露天でピカピカ光るネックレスと指輪をバアバに買って貰って上機嫌だった。

8月8日(月)

 今朝の朝日新聞の1面と3面、福島第一原発3号機のメルトダウンについての田辺文也=社会技術システム研究所所長(旧日本原子力研究所の元主任研究員)の分析は大事なことを指摘している。3号機で3月13日朝に6時間に及ぶ空焚きが起きてメルトダウンが始まり、それが翌14日の水素爆発を引き起こして溶融核燃料の一部がメルトスルーして圧力容器の底を破って格納容器に落ちたことは、東電・政府も後に認めたが、田辺説によると、その後21日に大量の水蒸気が発生し23日に黒煙が吐き出されたのは、格納容器下部で新たな爆発が起きて「再溶融」が始まったためだという。これについては、論説でも改めて採り上げたいが、要するに政府・東電は事故の深刻さを過少に印象づけようとして本当に起きていることを隠しているのではないかという疑惑がますます深まったということだ。

 16時からお祭の大注連縄など飾り付けの片づけ。こういう村の共同作業は、出ない家は3000円支払うというペナルティ・システムになっているが、ただでさえ働き手が少ない中で、出れば喜ばれる。今回は男性は70歳代が2人、60歳代が私を含め2人、50歳代以下が2人、女性が70歳代4人の参加で、作業は30分ほどで終わり、提灯、ぼんぼり、電線などを組の集会所の倉庫に収めると、早速、ビールと焼酎、鰻や天麩羅の入ったおつまみ弁当が出て、明るいうちから宴会が始まる。「もう帰るの? もっと飲もうよ〜」と叫んでいる人もいたが、19時で中締めとし退散した。

8月9日(火)

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 9時に下のガソリンスタンドのKaさんといつも手伝って貰っているKoさんが来て、水の濾過装置の清掃。何度も述べているが、我が家の上水は山の湧き水を使っていて、どうしても細かい粘土の粒子が混じる。それをKaさん考案並びに製作の砂の濾過装置を通して、牛乳運搬用の8トンタンクに貯めてポンプアップしてすべての水を賄っているが、年に2〜3回は掃除しないと粘土が溜まって濾過機能が落ちる。5本のパイプに下から石、ナイロンフィルター、砂が詰めてあるのを取りはずして中身をバケツに空けて水で洗浄してまた詰め直す。さらに今回は、旧来の第1水源とそれが不足しそうな時に使う補助的な第2水源に加えて、先日来作業を進めている新しい第3水源のパイプも接続して水量を増やすため、そのパイプの接続とバルブの取り付けを行った。水量が増えたと言っても、それをそのまま濾過装置に流し込むと中の砂が踊ってしまうので、1分間に1.5リットル程度の流入になるようバルブで調節する。これがなかなか面倒で、何しろ相手は自然の水源だから、いつも一定量で出ているとは限らず、うっかりしていると、水量が衰えたり、途中に泥が詰まったりして、タンクの貯水がなくなりかけて慌てたりする。昨夏は猛暑のせいで数日間とは言え水源が止まって困った。今年は第2水源が加わったのでその心配はなさそうだが、逆に水量が多すぎて濾過装置が悲鳴をあげないよう、小まめにチェックしなければならない。

 午後上京して、東京FM系JFNのラジオ番組収録。今回のゲストは岸本周平衆議院議員(民主党、和歌山1区)。東大法学部から大蔵省、途中で米プリンストン大学客員講師も務めたりしながら、48歳の時に辞めてトヨタに入社、当時、経団連会長や経財諮問委員会委員をしていた奥田碩会長のアドバイザーを務めた。その後、政治家を目指して故郷で05年立候補するが落選、09年総選挙で初当選した。私とは、役人の終わりからトヨタに行ったあたりから知り合いで、09年選挙の時には頼まれて応援ビデオに出演したりした。

 今回のテーマは、6月に全会一致で成立した「NPO法改正」。岸本さんが仕掛け人となって、自民党の加藤紘一が会長、民主党の鳩山由紀夫が顧問、辻元清美が幹事長、彼自身が事務局次長で「NPO議員連盟」が作られ、その人々による議員立法として、認定NPOの余りに狭い要件を緩和し、またNPOに寄付をするとその5割が寄付者に戻って来る税制優遇を盛り込んだ画期的な法改正が実現した。その詳しい中身は、JFNのホームページ→高野孟のラジオ万華鏡からPodcastして頂きたい。また近く岸本さんにザ・ジャーナルで本格的に論じてもらうつもりだ。
★高野孟のラジオ万華鏡:http://www2.jfn.co.jp/owj/tue/index.php →タイトルスペース下の「高野孟のラジオ万華鏡」の茶色文字をクリック


2011年8月 3日

高野孟の遊戯自在録029

7月20日(水)

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 鹿砦社の乾坤一擲の緊急出版、特別取材班編著『東電・原発おっかけマップ』が、取次から扱い拒否の措置を受けたと知らせがあった。ある意味で当然で、おっかけの名の通り原子
村の住人たちの名前、顔写真、住所、自宅の写真とそのアクセスマップまで出しているので、個人情報なんたらの今日では大手取次がビビるのは当然だろう。それを承知の上で敢えてこういう形で出した鹿砦社の蛮勇を称えるべきで、実際、同社HPによると、それでかえって注文が殺到、早晩品切れになる見通しという。お求めは同社HPからどうぞ。

 今日も断続的に激しい雨が降り、木々が喜んでいる。
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7月21日(木)

 大型台風の影響による断続的な大雨は去ったが、強風が続きアクアラインは通行止め。午後に浜松で講演の予定があるので、9時半の高速バスで出て12時過ぎに新幹線に乗るつもりにしていたが、アクアラインの海周りルートが止まると高速バスは千葉から湾岸線の陸周りルートに迂回するので、30分から1時間余計に時間がかかる。用心して8時半のバスに乗ったが、案の定、湾岸線も首都高速も渋滞で、3時間かかって11時半に東京駅着。無事講演には間に合った。

 東京まで戻って、溜池の焼き鳥「八っちゃん」に久方ぶりに。大震災後、初めてかな。「サンデー・プロジェクト」があった昨年3月までは、出演日前日は向かいの全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタル・ホテル)泊だったので、ここへよく来ていたが、番組がなくなって同ホテルに泊まることもなくなり、そもそも鴨川住まいになって都内で飲むことが少なくなって、ご無沙汰気味で申し訳ない。聞けば、八っちゃんの店が入っている3階建てのビルの外壁が崩落して前の歩道が通行止めになり3日間営業を中止したとかで、大震災の影響かと思えばそれとは関係なく、単にビルがぼろくて前々から危険だから直せと大家に要求していたのに大家がケチで先延ばしにしている内に事故になり、結局、八っちゃんに3日間の休業補償まで払うことになって、小さなケチが大きな損を呼ぶという典型となったという。赤坂の安宿に泊。

7月22日(金)

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 7時24分の新幹線で長野を経由して妙高市へ。私は縁あって妙高市の顧問と観光大使を拝命していて、1年に1度この時期に1泊2日で同市を訪れて現地を視察し、「妙高里山みらい塾」を開催することになっている。午前中に「道の駅あらい」と「妙高山麓直売センターとまと」を視察。道の駅あらいは、上信越自動車道の新井IC&PAに隣接する広大な敷地に、本部の情報館はじめ野菜直売所、日本海鮮魚センター、和洋中レストラン、ホテルなど17の施設が立ち並んで、全体の年商が20億
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円を超える全国有数の道の駅である。特に夏場は、長野県の人が日本海岸に海水浴に行って帰りに食事をして魚や野菜を買って行くというパターンが多いという。昼食後は、市が運営する都会人向けの農園付き賃貸別荘「クラインガルテン」とその横に新設された都市農村交流施設、そして市内にある「国際自然環境アウトドア専門学校」を見学した。

 引き続き、アパリゾート妙高パインバレーで高野講演会と意見交換会、「妙高里山未来塾」の年次総会、そして入村明(にゅうむらあきら)市長を交えての懇親会と、まあ盛りだくさんの1日だった。新潟市で3つの会議をこなして戻ってきた市長、開口一番「ねえ、菅総理はあと1年くらいやるんじゃないの?」と...。妙高は日本酒が旨いので、つい飲み過ぎて、バタンキューでアパリゾート泊。アパのホテルはどこも、あのおばさんの顔写真があちこちに貼りだしてある上に、ベッド脇に右翼雑誌が置いてあって、どうも寝心地がよくない。

7月23日(土)

 朝7時半出発、長野9時発の特急で名古屋へ。午後、中日文化センターで「菅首相は脱原発で突っ張れ!」という講義。急ぎ帰京して18時から二子玉川で、私が長年団長を務める草ラグビー団「ピンク・エレファンツ」の総会と宴会。来年秋には福岡で「第19回ゴールデンオールディーズ世界ラグビー祭」が開催される。35歳以上のラガーメンが世界中から集まって、「スクラムは押してはいけない」「60歳以上の選手にはタックルをしてはいけない」などの特別ルールで国際試合を楽しむフェスティバルで、2年に1回開かれている。日本はもちろんアジアで開かれるのは初めてで、「よ〜し、皆でこれに参加しよう!」ということになった。年齢層ごとにパンツの色が決まっていて、私は65〜69歳なので「金色」を穿かなければならない。

 そして再来年は、チーム創立30周年を迎えるので、我がピンク主催で仲間チームから100人ほどの中高年ラガーを招待してお祭をやる。ピンクもだいぶ高齢化して、単独で試合を組むのは難しくなってきたが、そうやって仲間チームと共にラグビーを"生涯スポーツ"としていくつになっても楽しもうという精神だけは変わらない。

7月24日(日)

 芝生の雑草取り、薪割り、"森の道"整備。森の道というのは、現在の我が家の唯一の水源である西側隣地の湧き水が、空梅雨のせいか今ひとつ水量が足りず不安なので、このほどK君の発案で東側隣地の排水溝横の無駄に地面に吸い込まれて行っている流れを活用して第2水源とし、そこから200メートル余りパイプを繋いで自然の落差を利用して貯水タンクまで引っ張ろうということになって、これは水量も豊富で濁りも少ないので、水が涸れる心配をしなくて済むようになるのではないかと大いに期待されるのだが、それにはまずその水源と我が敷地の間の荒れ果てた森を切り拓いて、パイプを敷設できるようにしなければならない。

 もちろんその森は誰だか知らない他人の所有のものだが、もう何十年も放置されたままの元は杉林で、杉の倒木が折り重なったところに雑木が生え、蔓ががんじがらめに巻き付いて、立ち入ることすらできない無惨な有様である。他人の森に無断で手を着けるのはもちろんルール違反だが、これほどまでに酷く放置された森のほんの一部を整備して水道パイプを通すくらい、喜ばれることはあっても怒られることはないんじゃないかという判断で、先日来、K君にも手伝って貰いながら少しずつ切り拓き始めている。草刈り機で足元の雑草や灌木を刈り、買ったばかりのナギナタ鎌(7月10日付本録の写真参照)で絡みつく蔓や蔦を払い落とし、チェーンソーで折り重なる倒木や張り出した枝を切断して脇に積み上げて行くのはなかなか難儀なことで、1時間で3メートルほどしか進まない。あと2〜3回やらないと、パイプが敷けるようにはならないだろう。

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 全身グショグショの汗の上に泥や木屑を浴びて、まあ凄まじい姿で山から下りて来ると、家内が「あーっ、そのまま入って来ないで、外で全部脱いで頂戴!」と金切り声を上げる。分かってますよ...。シャワーを浴びると、何と嬉しいことに、ゼミのOBで今春市会議員に当選したS君夫妻から秋田の地ビールが届いていた。「秋田・川反(かわばた)のあくらビール」の1リットル瓶2種類のセットで、5年連続で国際ビールコンベンションで金銀銅のいすれかの賞を獲っている逸品。飲んだ途端に「旨い!」と声が出るほどのビールに久々に出会った。これで森の中の苦闘が報われた。
★あくら麦酒醸造所:http://www.aqula.co.jp/

7月25日(月)

 早稲田デー。ゼミは「矛盾論」と続きと武谷三段階論に基づく「実体論」の講義。大隈塾授業は自民党の石破茂政調会長。田原さんが「この人が総裁になれば自民党は変わる」と大いに持ち上げながら学生たちに紹介したが、ご本人はボソッと「私は出戻りだから」と。出戻りは総裁になれないとか言っているから自民党は旧態を脱することができないのだ。ジャーナリズム大学院では、中国人留学生が2人いるので、中国新幹線事故の話題で盛り上がった。

7月26日(火)

 朝からK君と一緒に"森の道"整備作業。暑い。夕方から、ご近所の皆さんが「民宿平山」に集まって馬のタック君の歓迎会。日系ブラジル人のO君と日本人で以前にサンパウロのスラム街に住み着いてボランティアをしていた経験のあるSさんのカップルは、ジャーナリストの仕事をしながら農業と養蜂に取り組んでいるが、2人とも大の馬好きで、それが高じて先月末に与那国から1歳10カ月の与那国馬の子馬を連れてきてしまった。それで、前々から「鴨川で馬がいる暮らしを目指そう」と語り合ってきた両君をはじめ、加藤登紀子さんや天津の神主さんや市役所の職員や、いろいろな人々が集まってタック君とご対面し、その後民宿でバーベキュー宴会ということになったのだ。与那国馬は日本在来種の中でも小型で、あと1年して人を乗せられるようになっても体高はせいぜい130センチほど。それでも力は強いし耐久力もあり、体重80キロまでの人を乗せられる。主のO君はその日を目指して懸命に減量に取り組んでいる。
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7月27日(水)

 朝、涼しい内に1人で森の作業を続行。妙高市から「こそば亭」の日本古来種を用いた「こそば」が送られてきたので、早速賞味した。全国コンクールで第1位を得たりして評判がいいのだが、改良種に比べて収量が少なく粒も小さいので、到底注文に追いつかない状態だと聞いた。美味しいです。

7月28日(木)

 名古屋のANAホテルで日本政策金融公庫熱田支店の講演会。「日本再生の鍵は中小企業が握る」という話で、実際、後の懇親会では面白い中小企業の経営者に何人もお会いした。終わって19時半でまだ早いので、栄のカウンター割烹「むら鍬」まで足を伸ばして鮎と鱧で一杯、いや二杯、三杯...。同ホテル泊。

7月29日(金)

 10時東京着。そのまま上野の国立博物館で開催中の「空海と密教美術展」へ。これはなかなか凄い。有名な東寺講堂の立体曼荼羅21体のうち8体を運んで作ったミニ立体曼荼羅は、何やら不穏な空気が漂って胸騒ぎさえ感じた。

 15時からは一転、「五木ひろしチャリティーコンサート」で中のサンプラザホールへ。五木倶楽部主催で、大震災復興支援の趣旨にニトリなど4社が賛同して後援し、ニトリの似鳥昭雄社長から招待券を送られたので五木ひろしはあんまりだけど「スペシャルゲスト=松山千春」に惹かれて行った。第1部と第3部の五木の歌はどれを聴いても同じようだが、第2部の松山のしゃべりと歌は相変わらずの迫力だったし、彼ら2人がお互いの持ち歌を交換して歌ったのも面白かった。が、3時間20分はさすがに長くて、高速バスに乗る前に東京駅地下街でビールを一杯飲んで勢いをつけて帰った。

7月30日(土)

 朝から、降るのか降らないのか、空模様が気になる。というのも、4月から6月にかけて我が家の造園工事をやって貰った高田造園設計事務所の高田宏臣さんはじめ携わったスタッフ全員が家族連れでやってきて、15時からバーベキューの完成祝賀パーティをやることになっているのだ。スタッフとその奥さん方で12人、生まれたばかりの赤ん坊と幼稚園児くらいの子どもが合わせて5人、それに前日から来ているうちの孫一家3人と手伝いに来てくれた家内の妹、それに私ら2人で総計23人になるので、外で出来るのか、家の中でやらなければならないのかで、準備の仕様も大違いになる。

 昼過ぎに「少々の雨が降っても外でやろう」と腹を決めて、バーベキュー炉の上にCainzオリジナルの2.5メートル四方のテント(6980円)を張って、それと12人掛けのデッキチェア&テーブルの大型の傘が繋がるように配置して、大型クールボックス2つに氷を詰めて1つは缶ビールで、もう1つは、先日「旨い!」と叫んでしまった秋田のあくらビールを取り寄せて詰め込んだ。14時半に炭を点け始めているともうご一行が続々到着、子どもらはたちまちブランコに乗ったり庭というか山野を駆け回ったりして勝手に遊び始め、男たちは飲み始め、奥さんたちは屋内でテーブルを囲んでおしゃべりし、あとは何が何だか分からない大騒ぎの中で暗くなるまで宴が続いた。雨は1〜2度ザーッと降ることもあったがにわか雨で、テントが十分に役目を果たした。

 ちょうどタイミングよく、田原総一朗さんが毎年この時期に送って下さる琵琶湖の活き鮎が今朝届いたので、これは私がw型に竹串を打って塩をまぶして、炭火にじっくり当たるよう斜めに立てかけて焼いて好評だった。

 この様子は、高田さんのブログにも早速写真入りで紹介されている。
http://www.takadazouen.com/index.html →「作庭日記」

7月31日(日)

 孫が早起きなので、外で遊ぶ。昼は孫の意見で、車で10分ほどの蕎麦屋に行く。4歳前の子どもにしてはたぶん珍しい蕎麦好きで、ザル蕎麦を1枚分ほとんどツルツルと食べて「蕎麦湯を下さい」などと言っている。大人はカレー蕎麦、冷やしタヌキ蕎麦、天麩羅蕎麦などで、ほとんど定番化している。

 戻るとK君が来ていて、「裏の草刈りをやり始めたら草刈り機のハンドルが折れてしまった。何か他に手伝うことがありますか」と言うので、じゃあ、"森の道"を完成させて第2水源からパイプを敷く作業を完了しようということになり、チェーンソー、鉈、鋸など山道具を担いで森に上がる。30分ほどで森の道が貫通、パイプをタンクまで繋いだ。後は要所要所、木杭でパイプを支えて弛まないように造作しなければならないが、今日はもう暑くてバテたので後日にしようということに。

 夜は、これも孫のお気に入りの鴨川市中の魚料理屋「池田」に行った。ここの名物は金目鯛だが今日はちょっと出遅れて18時半だったので、もう売り切れ。こんなの見たことないと誰もがビックリする特製天丼を頼んだ。何がビックリって、海老や穴子や野菜の天麩羅1つ1つが超大型で、丼の2倍くらいの高さまで盛り上がっていて、ご飯まで届かないうちに天麩羅だけでお腹が一杯になってしまうほどなのだ。▲

2011年7月20日

高野孟の遊戯自在録028

7月10日(日)

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 土佐の和式刃物専門店「トヨクニ」からのメルマガで、「ナギ型造林鎌」を売り出していて、「草刈り機より断然早い!気持いい!安全!」とか謳われているのを見たら欲しくなって注文しておいたのが、今日届いた。刃渡り24センチのがっしりしたナギナタ型の片刃に120センチの長柄がついた無骨なもので、重量は女性向きの380グラム、男性用の420グラム/450グラムの3種があるが、私はためらうことなく450グラムを選んだ。

 平らな草原では草刈り機が威力を発揮するが、森や藪を切り拓く時には狭いところをかい潜ったり、よじ登ったりしてして進むのに、草刈り機は長くて重くて、扱いにくい。特に、頭上に覆い被さった枝や引っ絡まった蔦を払い落とすには草刈り機は不便で、空振りしてイライラしたりすることも多い。なので、これならばいいんじゃないか、と。

 トヨクニは、もう十数年も前に若手経営者のための講演で高知市に行った時に3代目の社長と知り合って、刃物フェチの私としては、昔ながらの本格和式刃物を手作りで製造しつつもネット通販を活用してアウトドア用など新しい需要も掘り起こしているその経営姿勢に感心して、その後何度か鍛冶工場を訪れて刃物打ちを体験させて貰ったりして、私の身の回りにはナイフ、釜、鉈、斧などトヨクニ製品がいろいろ揃っている。それがまた1つ増えた。
★トヨクニ:http://www.toyokuni.net/

7月11日(月)

 午前の早稲田での大隈塾高野ゼミでは、菅の脱原発と海江田の親原発の"矛盾"をどう捉えるかという話。午後の大隈塾授業では、大隈塾授業・ゼミのOBで現役の教育学部学生の税所篤快君の講義。彼は、高野ゼミの前期を終えてから忽然と消えてしまって「あいつどうしたのかな」と思っていたところ2年後にまた現れて、ゼミの後期を受講したいと。聞けば、バングラデシュに行っていきなりグラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁(06年ノーベル平和賞受賞者)の懐に飛び込んで、同国の貧しい農村で大学進学の機会に恵まれない高校生のためのパソコンとDVDを通じた予備校システムを実験的に構築。或る1つの村で、それがなければ到底大学受験の機会などありえない30人の高校生のうち18人が一流大学に現役合格するという目覚ましい成果をあげた。現在は、これをNPOとしてシステム化して、バングラデシュのみならず東南アジア各国に普及しようと図っている。7月初めには、米国に本拠を置くSIFE(Students In Free Enterprise=大学生が企画・実施する社会貢献事業に対する支援を行うことにより、優れたリーダーを養成することを目指すNPO)の日本大会で、税所君のプレゼンテーションが高い評価を受けて優勝し、日本代表として10月にクアラルンプールで開かれる世界大会に出場することになった。

 大隈塾の授業/ゼミはそもそも、次世代リーダーの育成が目的で、ということはつまり、「お前ら、月並みな就活なんかやめて、誰もやったことのないような事業をおっ始めて、面白い人生を送ろうよ」という趣旨である。その中から、本当にそのようにチャレンジする奴が現れて、授業の講師となって後輩たちに自分の挑戦について語るというのは、私が最初から企図している自己増殖的プログラムで、今回がその初めてのテスト・ケースとなった。
★SIFE Japan:http://www.sife.jp/

 18時半から新宿で、坂本順治監督、原田芳雄主演の「大鹿村騒動記」の試写会。監督からお誘いを受けたので駆けつけた。大鹿村は現存する南アルプス山麓の村で、江戸時代から続く「村歌舞伎」の伝統を守っている。その村歌舞伎の年に一度の公演を巡って、原田演じる鹿肉レストランのオーナーとそれを取り巻く人脈が織りなす、まあドタバタ喜劇と言っていい娯楽編。何と言っても、原田とその元妻の大楠道代の存在感と練達の演技が凄味があるし、石橋蓮司、岸辺一徳、松たか子、佐藤浩市、三國連太郎など脇役も豪華絢爛。これは当たるでしょう。
★大鹿村騒動記公式サイト:http://ohshika-movie.com/

7月12日(火)

 朝は東海ラジオ。昼は読書と原稿書き。夜はご近所の隣組「埋田組」の寄合で8月7日大山不動尊のお祭準備について打ち合わせ。私の属する金束地区のお神輿の担ぎ手(正しくは渡御者と言う)が不足で、お神輿を出せるかどうかの瀬戸際だと長老たちは悩んでいる。というのも、500〜600キロもあるけっこう重いお神輿で、常時40人、交代要員を含め60人ほどが必要だが、高齢化に伴い年々担ぎ手が減って、金束地区の場合は、近年は自衛隊の若者たち20人に応援を頼んできた。ところが今年は東北大震災での出動もあって「10人しか出せない」と言われてしまったのだ。大山不動尊を奉じる5地区のうち2地区は、もうずっと前からお神輿が出せなくなっていて、我が金束地区、鴨川自然王国が属する平塚地区とあともう1つ、3台しかお神輿が出ない状態が続いてきて、ここで金束も出ないとなると祭そのもののピンチとなる。「高野さん、いつも田植え・稲刈りに来る学生さんたちに声を掛けてくれない?」と言われて、帰って早速、ゼミの現役、OBOGの会のメーリングリストで招集をかけた。さて、何人集まるか。

7月13日(水)

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 昼過ぎのバスで上京して、今日は東京FM系JFNの番組収録。ゲストは弁護士で浜岡原発差止訴訟弁護団長の河合弘之さん。彼と大下英治の共著『脱原発』(青志社)を素材に
「原発はすぐ止めよう」「すぐに止めてもガス火力を増強すれば電力不足にはならない」などと大いに語り合った。

 終わって17時から淺草の蕎麦屋「十和田」で友人たちと会食。ほぼ同じ顔ぶれで時折やっている飲み会で、早めに十和田で一杯飲んで、19時半頃からすぐ近くのライブハウス「HUB淺草」に席を移して、私の高校同級生・ブラスバンド同期生でデキシーランドジャズの今や大御所のトランペッター=外山喜雄の演奏を楽しむという趣向。外山は、大震災による液状化で浦安の家が傾いて避難所生活をしていて、おまけに、悪いことは重なるもので、夫婦で東北被災地へ支援に行った時に奥さんが転んで手首を骨折してバンジョーが弾けない。今日は左手だけでピアノを叩いていた。それでも底抜けに明るいのが彼らで、今日も外山は「やっとこのごろ、トランペットの音が分かってきた」などと言う。高校1年生の時から吹き始めて52年間、本番がある日もない日も365日、必ず最低3時間は練習するという彼が、「やっとこのごろ」とはねえ。プロの道とはそういうものなんだね。家内と淺草泊。

7月14日(木)

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 家内は孫の世話を頼まれているとかで早く出て行って、私はホテルで原稿書き。外へ出ると昏倒しそうなほど暑い。15時から内神田の製紙会社で講演があり、「21世紀日本の課題」とタイトルが付いていたが、どんなタイトルでも最近は「原発を止めて世界初の自然エネルギー・水素エネルギー社会を実現しよう」という話しかしない。

 帰宅すると、幻冬舎から小出裕章=京都大学原子炉実験所助教の新著『原発はいらない』が届いていた。早速ウィスキーを舐めながら2時間で読了。やっぱり小出さんが一番分かりやすいし説得力がある。東北大の原子核工学科の学生だった時から40年余、原子力研究者でありながら"反原発"を貫いてきた、その人生を賭けた発言の重みだろう。

7月15日(金)

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 名古屋に日帰りで証券会社の投資家向けの講演会。投資家だろうと誰だろうと関係ない、今日もまた「原発を止めよう」だ。新幹線の往復で、鎌田實『なさけないけどあきらめない』(朝日新聞出版)を読んだ。チェルノブイリ現地に自分自身を含め医師団を94回も出して20年間関わってきた諏訪中央病院名誉院長が、「ぼくは、反省している。......原発の恐ろしさをよく知っているにもかかわらず、原発をすぐにやめろとは言わなかった」と痛切に語る。すぐに止めろと言わなかったのは「経済が悪くなると勝手に思い込んだからだ」。結局、原発は、カネと命のどちらが大事かという問題に行き着いていく。

7月16日(土)

 10時から鴨川自然王国「帰農塾」今年第2回の開講式。13時半から講義で、今回の全体テーマが「自給自足」ということなので、「火とは何か」「薪ストーブの勧め」について話した。火とは何か、エネルギーとは何かを考えるには、我々の祖先が少なくとも160万年前からエネルギーの主力として用いてきた薪というバイオマス燃料を自分で扱うのが一番だと。田淵義男によると、日本のエネルギー消費に占める薪の比率は0.2%だが、欧米では8%、北欧では15%で、いくら石炭や石油の時代になっても、それはそれとして伝統文化としての薪&ストーブはきちんと保持している。これは馬も同じで、自動車の時代が来ても、それはそれとして人類数万年の友である馬は暮らしの一部として残していて、例えばフランスでは人口6000万に対して850万の乗馬人口があってその7割は女性。バカンスには田舎を村から村へと馬でゆったりと旅するのが今も昔も人気の過ごし方である。経済効率オンリーで、石油や自動車に飛びついて薪や馬を簡単に投げ捨てるのが日本人である。田淵によると、日本ほどの森林量があるとエネルギーの10%まで薪で賄うことが可能なのだという。

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 写真は我が家の薪小屋。薪は割ってから最低でも1年半、出来れば3年寝かせてから燃やすと芯まで乾いて綺麗な炎が出る。我が家の焚き方だと、この一面の上下表裏で大体1年分ほどで、4面あるうちの3面が埋まっているから、3年分のストックがあることになる。冬に停電が来て毎日焚いてもまあ2年は大丈夫。しかし薪割りはなかなか大変で、道具もいる。手前の和式斧と鉞(まさかり)も確かトヨクニだったかな。洋式の緑色のは人から貰ったもの。その上の黄色い鉄棒のようなものはフィンランド製のログマティックという道具で、内側の重い鉄棒を片手で持ち上げてドスンと落とすと刃先が丸木を押し割っていく。斧を振り回すより力がいらず危なくもないということで、このところ薪割り族の間で人気の優れものである。チェーンソーは、その辺のホームセンターで売っているのではダメで、森林作業のプロ用のゼンリンという普通の倍近いお値段の高級品。冬でもほとんど一発でエンジンがかかるというのが売り物だ。結局、道具というのは、値段と性能は比例していて、安物を買って何度も買い換えるより初めからしっかりしたものを買って一生もので使うのが一番である。実を言うとこのチェーンソーも、10年間で日本製マキタ、ドイツ製STIHLに続いて3台目。もう買い換えることはないと思う。

7月17日(日)

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 今朝の朝日新聞「声」欄に「経団連会長の原発発言に疑問」という投書が載っている。経団連の米倉弘昌会長が"脱原発"への動きにお怒りのようだが、そもそも原発は大口需要家のために国が血税を注いで造ったもので、しかもそこから派生する仕事を受注して大いに潤ったのも経団連傘下の大資本と、それら企業から多額献金を受けた自民党ではないか。経団連が被害者顔で会見に臨み、原発停止で電力不足に陥ると企業は海外へ逃げざるを得ないという「脅迫」までおこなっているのはいかがなものか、と。

 その通りだ。あの陶製のタヌキの置物のような顔でウワゴトのように原発大事を言い募るのを見ていると胸が悪くなる。原発がないと電力が足りなくなるというのも、そうなると電気代が大幅に上がって企業がこぞって外へ出て行くというのも、はっきり言ってデマである。これは近く論説で採り上げよう。

 夜は帰農塾の交流会という名の宴会。今回は受講生が14名と近来にない多さで、中には、首都圏から能登半島の奥に移住してそこで地域興しに繋がる何かを始めるためにいろいろなところに顔を出して勉強しているという44歳男性、前々から農的生活に関心があり、加藤登紀子の本を読んで参加したという三重県四日市の31歳女性など、遠くから熱心に来て下さった方がいて感動する。

7月18日(月)

 休日だが、今年は授業が5月連休明けから始まって授業日数が足りないので、平常通りの早稲田デー。ゼミでは、毛沢東『矛盾論』を題材にして、物事をダイナミズムにおいて捉える思考方法をどう身につけるかを説いた。午後の大隈塾授業には福山哲郎官房副長官を招いて「日本のエネルギー政策」について講義と質疑応答。その中身もさることながら、枕で語った大震災発生の瞬間から3日間、一睡も出来なかった官邸での戦いの話が面白かった。ジャーナリズム大学院は、「今朝の日経新聞を読んでどんな問題意識を持ったか」を発表しあう授業。韓国人男子、中国人女子の留学生たちも積極的に発言してなかなか活発だった。

 夜はホルモン焼でゼミの飲み会。ゼミ生でない者も混じって10人ほどで賑やかなことだった。東京駅で終バスに乗る前にコーヒーを飲む。バス停から家までわずか15分ほどだが、真っ暗な峠越えの山道を運転するので少しは醒まさなければならない。12時過ぎに無事帰宅。

7月19日(火)

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 台風の影響で久々の雨の恵み。6月に植栽を終えたばかりの雑木、下草、野芝が枯れないか、このところずっと心配で、家内と交代で水遣りに励んできたが、今日は緑が息づいている。庭木より深刻なのは田んぼで、このあたり一帯、どこもカラカラで地割れを起こしている。平地の田んぼはみな川からポンプで水を汲み上げているが、山の上の棚田は大変で、タンク車で水を注入してしのいでいる。今日明日の雨で一息つけるだろう。

 8月7日の大山不動尊のお神輿担ぎの助っ人は、ゼミ現役・OB7人が名乗りを上げてくれて、私を含めて8名の名簿を組長さんに届けた。「いやあ、自衛隊が減った分が埋められて大助かりだ」と喜んで貰えた。学生たちも、高速バス代4000円は自己負担、報酬なしで朝6時から午後4時までの重労働というのによく来てくれるよな。とはいえ、7名来るとなると、バスの座席予約、バス停までの送迎の車の手配、宿泊・食事の用意等々、こちらも準備が必要で、その手配で午前中を潰した。▲

2011年7月 9日

高野孟の遊戯自在録027

7月4日(月)

 早稲田・大隈塾授業の今日の講師は白木夏子=HUSUNA代表取締役。ロンドン大学で国際開発経済を学んだ後、国連人口基金ハノイ事務所、アジア開発銀行研究所でインターンを経験、投資ファンド会社勤務を経て09年に日本初の"Ethical Jeweller(倫理的な宝石店)"=HASUNAを起業した。エスィカルという言葉のちょっと変わった用法だが、フェア・トレードのフェアと似たような意味合いで、多くは途上国で行われているジュエリーの貴金属素材の採掘から生産・加工・デザイン・流通のすべての過程を可視化して、それに関わるすべての人々の幸福を最大化し、また環境への負の影響を最小化するよう仕組まれた、言わば宝石におけるフェア・トレードである。

 まだ10代の時にインドに滞在して、金鉱山の劣悪な環境の下で子どもらが嘘のような低賃金で働かせられているのを目撃して、「自分たちが何の気なしに身につけている装身具が、こんなところで掘られた金で作られているのか!」と衝撃を受け、それがきっかけとなってロンドンで開発問題を勉強した。曲折を経て27歳にして独立して会社を興し、2年後の今年3月、東京・南青山に本店ショップを開店、5月には大阪のデパート内にも出店した。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011年キャリアクリエイト部門を受賞した。

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 ご覧のように(写真はご自身のブログから無断借用)笑顔の美しいまだ(ギリギリ)20歳代のお嬢さんと言ってもいいような女性が、自分の夢(というか、学問にも体験にも裏付けられた信念)をしっかりと持って、それを世界を股にかけた逞しい行動力で、確実に実現しつつあるその生き方に、学生たちはほとんど唖然としていた。

7月5日(火)

 15時から東京・秋葉原のホールで木造住宅メーカーの提携先経営者向けの講演。大震災後、日本人はこの100年間の浮かれを反省して本来の暮らしぶりを取り戻すことを考え始めるはずで、そうなるとこの国の風土に合った木造住宅に住みたいと思う人が増えるだろう。ここへ呼ばれたからお世辞を言っているのではなく、私自身、とっくに房総の森の中に木の家を建てて薪ストーブを用いてシンプル&ナチュラル・ライフを実践している----というお話しをした。

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 夜は東京駅地下の居酒屋で、私が協力してこのほど出版された『3・11で現実化した"成長の限界"が日本を再生する』という本の打ち上げで、小学館の編集者2人と一杯。巻頭は浜矩子=同志社大学大学院教授の「成長神話の崩壊を超えて成熟国家としての再生へ」、2番目が私で「アメリカ型大量消費文明からの決別を」、以下7人の方々の論考が並んだオムニバス本。中身は面白いのだが、本はやっぱり、浜さんなら浜さんを「編著者」として立てて表紙に刷り込まないと売れないし、タイトルが長すぎるのは余計に売れないと注文を付けた。

7月6日(水)

地元紙に「今が見頃」と案内があったので、朝、車で7〜8分のところにある「大賀ハス」の蓮田を見に行った。ハスの大権威だった故・大賀一郎博士が昭和26年に千葉市の東大農学部農場で地下6メートルの泥炭層からハスの実を発掘、シカゴ大学で鑑定したところ約2000年前のものと判明した。博士が育てたところ、そのうち1粒が見事に発芽し翌年花が咲いた。以来、世界最古のハスとして県内・国内ばかりか世界各国に根分けされて珍重された。
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7月7日(木)

 午前中に待望の雨がかなり激しく降る。空梅雨で田んぼが干上がって皆困っていたが、これで少しは潤うだろう。

 夕方から近所の焼き肉屋で、鴨川自然王国の皆さんと一杯。医療用大麻の解禁に何か妙策はないかと相談した。

7月8日(金)

 5時に起きて朝風呂に浸かりながら新聞を読み始めて、出たらコーヒーと煙草、赤サインペンとカッター、それに今時だと蚊取線香を用意して、晴れていればベランダのテーブル、雨ならば網戸の内側の床で、新聞を広げるのがいつものペース。

 本日も不快な記事が多いが、その筆頭は、日経の「『健康損なう』警告写真/タバコの箱に19カ国が印刷/WHO、日本にも要請」。癌になった肺の写真などをパッケージの面積の半分以上にしろと。いい加減にしろよ。そんなに毒ならWHOは販売禁止を勧告すればいいではないか。どうしてそうしないのかの理由が分からない。酒のラベルには肝臓癌の写真を貼り付ければいいし、自動車のカタログには交通事故でグジャグジャになった死体の写真を表紙の面積の半分以上の大きさで載せればいいだろう。テレビの画面の下半分には「テレビの見過ぎは人間を白痴にする危険があります」と表示しなければ放送してはいけないことにし
よう。携帯電話の画面なら「使いすぎると電磁波があなたの脳細胞を破壊する危険があります」と常時テロップを入れたい。

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 7時から2時間かけて、先頃植えたばかりの野芝の北側部分を容赦なく侵略して来るスギナを退治し、作業小屋から小さな野菜畑にかけての雑草も一掃した。こういうことをやると、手の爪に泥が詰まって少々洗ったくらいでは落ちないが、そこで威力を発揮するのが、淺草・伝法院通の「かなや刷子」で売っている馬毛の爪刷子。田舎暮らしに必須の愛用品である。

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 11時に家を出て空港から札幌へ。北海道トラック協会青年部の講演で、震災後の日本の生き方と原発の行方について話した。とんぼ返りして22時半から新宿・歌舞伎町の居酒屋で前北海道新聞の高田昌幸記者が6月末を以てめでたく退社したお祝い。2004年に「北海道警の裏金問題」取材班を率いて警察の腐敗を徹底的に追及、その報道ぶりは新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を次々に受賞するほど評価を受けたが、同取材班による『警察幹部を逮捕せよ!』(旬報社)と『追及・北海道警"裏金"疑惑』(講談社)の2冊の本が名誉毀損に当たるとして道警が北海道新聞社と高田さんら2人の記者を告訴、昨秋札幌高裁で敗訴が確定した。社は、道知事、道議会与党の自公両党、道警など地方権力総ぐるみの圧力に早々に屈して戦いを回避したばかりでなく、2人の記者を左遷するなどして恭順の意を示した。

 高田さん、51歳。「綺麗さっぱり辞めて、まだ1週間。非常に快適な毎日です」と言うが、さあこれから第2のジャーナリスト人生をどう描くか。若いフリー記者たちや元日刊ゲンダイの二木啓孝らを交えた酒盛りは午前2時近くまで続いた。歌舞伎町の安ホテル泊り。.

7月9日(土)

 昨夜頂いた、間もなく店頭に並ぶ高田さんの新編著『希望』(旬報社)を読み始める。大震災の1年前から企画され取材も進んでいた、生きることの希望のありかを探るインタビュー集だが、大震災が起きたので締め切りを延ばしてその関連の5人を追加してそれを第1部に置いたので、インタビュー相手は63人、ページ数は400ページを超える大冊となった。1人1人の語り口は生々しくて重い。じっくりと読むべき本である。

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 11時から麻布十番でスタッフと打ち合わせのあと、別用で都内に泊まっていた家内を拾って帰る。途中、高速を下りて5分、家まで後10分という街道沿いにあるお気に入りの蕎麦屋「きのや」(前にも本録に何度か出て来ているが)に寄って昼食。ふと見ると店内の雑然たる飾り棚の一角に「白戸三平選集」や「カムイ外伝」が並び、店主と白戸さんが並んだ写真が貼ってある。白戸さんがこの近くに住んでいることは知っていたので、「よく来られるんですか」と訊ねると、「前はよくここにお仲間と一緒に酒を飲みに来てましたが、ここ何年かはもうすっかり...。だいぶお歳だし、息子さんも奥さんもいなくなって一人暮しで、あんまり外へも出ておられないのでは」とのことだった。私らが学生の頃には『ガロ』に連載された「カムイ伝」はバイブルのようで、白戸さんは、マルクスやサルトルや吉本隆明や羽仁五郎やボブ・ディラン等々と並んで、「聖者群」に列せられていた。私のちょうど一回り上だから、そろそろ80歳だと思うが、どんな晩年を迎えておられることだろうか。「カムイ伝」の読み方として優れているのは田中優子『カムイ伝講義』。白戸作品の総覧として恐れ入ってしまうのは......
★白戸三平ファンサイト:http://asa8.com/s/

Profile

高野 孟(たかの・はじめ)

-----<経歴>-----

1944年東京生まれ。
1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。
通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。
同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。
80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任し現在に至る。
94年に故・島桂次=元NHK会長と共に(株)ウェブキャスターを設立、日本初のインターネットによる日英両文のオンライン週刊誌『東京万華鏡』を創刊したほか、PC-VAN・NIFTY-Serve・MSN、富士通ブロードキャストその他電子メディアのコンテンツ創造、講談社・小学館・集英社その他出版社のウェブサイト開設、『インサイダー』のメルマガ化、などを次々に手掛け、インターネット・ジャーナリズムの先駆的開拓者と呼ばれた。
現在、それらの経験を活かして、独立系メディアの総合サイト《THE JOURNAL》に取り組んでいる。
2002年に早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」の授業「21世紀日本の構想」、ゼミ「インテリジェンスの技法」、社会人ゼミ「ネクスト・リーダーズ・プログラム」を担当している。

-----<出演>-----

『サンデープロジェクト』
(TV朝日系、日曜10:00~)

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日系、最終金曜25時頃~)

『たけしのTVタックル』
(TV朝日系、月曜日21:00~)

『情報ライブ ミヤネ屋』
(読売TV系、月~金曜21時~)

BookMarks

東京万華鏡:TOKYO KALEIDO SCOOP
http://www.smn.co.jp/

INSIDER:インサイダー
http://www.smn.co.jp/insider/

大阪高野塾
http://www.osaka-takano.com/

-----<著書>-----


『滅びゆくアメリカ帝国』
2006年9月、にんげん出版


『ニュースがすぐにわかる世界地図(2006年版)』
2005年、ポスト・サピオムック


『最新・世界地図の読み方』
1999年、講談社現代新書

『情報世界地図 98』
1997年、国際地学協会

『地球市民革命』
1993年、学研

『21世紀への世界時計』
1991年、集英社

『入門世界地図の読み方』
1982年、日本実業出版社

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