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« 年明け早々、怒りモード。総務省記者クラブ問題で
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A3(エー・スリー)森達也著 (集英社インターナショナル) »

既存メディアは本当に「敵」になるのか

 読売新聞の記者だった山口正紀氏が「メディアが市民の敵になる」(現代人文社)という書籍を出版したのは、2004年8月のことだ。新聞が当局依存の報道に激しく傾斜し、いわば勝手に読者・市民から離れていく様を論じた1冊である。

 当時、内容以上に衝撃を感じたのは、そのタイトルだった。山口氏はメディアの行く末を危惧し、警鐘を鳴らそうとの意味合いを込めたのだと思う。私自身もすでに、「報道の当局寄り」「政財官への過度の依存」に危機感を抱いてはいたが、「敵になる」は刺激が強すぎるように思えた。

 それから7年ほどになる。実際は、山口氏の見通しが正しかった。氏が案じた「行く末」は、ものの見事に現実になった。その懸念以上に、である。

 昨年は「マスゴミの横暴を許さない」という集会やデモが、東京をはじめ各地であった。デモを実際に見た私の記者仲間は「あれは小沢一郎支持の人たちの集まり。広がりはないよ」と言っていた。私は、それらの行動を遠い札幌からウエブ上で眺めていただけだから、「広がり云々」の部分は分からない。しかし、私が新聞記者になった25年前、「反マスコミ」のデモが起きようとは、思いもしなかったことは確かである。

 そして、昨年末からの総務省記者クラブでの、一連のやりとりがある。フリーランサーによる動画撮影を認めるか否か。それをめぐって、記者クラブ側と非記者クラブ側が応酬を続けている。その経過は、私も世話人を務める「記者会見と記者室の完全開放を求める会」のHPに記されているから、ここでは触れない。

 非記者クラブ側の参加者として、動画中継を実行したのは、フリーランスライターで、同会呼び掛け人の1人でもある畠山理仁氏だ。その畠山氏のツイッター(@hatakezo)などによると、総務省記者クラブ側から連絡があり、(1)フリーの動画撮影はひき続き認めない (2)記者クラブ問題について大臣会見で繰り返し質問がなされることは極めて遺憾 (3)議事(記者会見)の円滑な運営に協力いただけない場合は記者会見への参加を認めない ── との"通告"があったという。

 総務省記者クラブ側の対応について、私が感じたことは当欄で前回、「年明け早々、怒りモード。総務省記者クラブ問題で」で書いた。今回の"通告"についても、思うことは基本的に変わらない。

 これも何度も書いていることだが、そもそも、記者クラブが抱える問題点は、ずいぶん前から論点は出尽くしていた。改革の方向は、10年以上も前に刊行された「記者クラブ 市民とともに歩む記者クラブ」(「現代ジャーナリズム研究会」編、柏書房、1996年)において、網羅されている。新聞労連も1994年に「提言・記者クラブ改革」を公表し、2002年に「21世紀の記者クラブ改革にあたって ── 私たちはこう考える」を発表している。いずれも記者会見と記者クラブのオープン化を掲げており、現在の論点もこの時と何ら変わっていない。

 記者クラブ問題が実に長きにわたって放置されてきたのは、「本気ではなかった」ことが最も大きい。昨年春に新聞労連が主催したシンポジウムで、私は「もし労連が本気で開放を考えているなら、この問題で加盟単組にストを呼び掛けることだ。それぐらいの腹が固まっているのか」と問い掛けた。労働組合の連合体という、いわば「安全地帯」に立って、そこから美しい宣言を唱えているだけでは何も変わらない、という意味だ。そのへんのことは、自分のブログでも何年も前から何度か書いてきた(例えば<「きれいごと」と「闘い」>)。

 もっとも、記者クラブ問題が放置されてきたもっと大きな理由がある。「二重構造」だ。

 日本新聞協会は、記者クラブを「ジャーナリストたちによって構成される『取材・報道のための自主的な組織』」(記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解)と定義付けている。しかしながら、そこに所属する記者それぞれは単なるサラリーパーソンに過ぎず、自らの所属する新聞社や放送局内では何の決定権も持っていない。そういう意味での「二重構造」である。

 日本の新聞社やテレビ局は1990年末以降、保守化・官僚化の度合いを一段と強め、「事なかれ主義」が蔓延してしまった。現場記者と上司、組織上層部との「良い意味でのぶつかり合い」は、現場から凄まじい勢いで姿を消した。そのような状況下では、新聞協会が公式に「記者クラブは自主的組織」と謳ったところで、「自主」が具現化する可能性が極めて低いのは自明である。クラブ所属の記者が、会社の方針に抗して行動する意志や権限を持っていない限り、記者クラブ問題で自由に行動できるはずがない。

 今回の総務大臣会見の動画撮影についても、現場記者の間には、賛成意見が少なくないと思う。しかしながら、彼ら・彼女らは、記者クラブの組織運営について何かの決定を下す最終的な権限を持っていない。会社に戻れば、単なる1社員に過ぎず、報道システムの根幹を揺るがすような問題に「イエス」「ノー」を下すような立場ではないのである。だから、報道各社が「記者クラブの問題は記者クラブが判断すべき」という主張を行うのであれば、それは欺瞞でしかない。それらは各社の幹部・上層部しか決定できないからだ。

 前回の「年明け早々、怒りモード。総務省記者クラブ問題で」では、総務省記者クラブに代表させる形で、現場の記者たちに、いわば「奮起せよ」という意味合いの文章を書いた。確かに、現場記者には腹が無いように映る。
 しかし、クラブに関する決定権を各社の幹部が握っている以上、本当に動くべきは幹部である。大手メディア会社の幹部は、もういいかげん、この問題に決着を付けるために「決断」をしなければならないと思う。総務省記者クラブに限らず、各記者クラブの現場では今、そして今後はさらに、若い記者たちが「開放」圧力にさらされる。前線に兵隊を送り出している指揮官には、判断をきちんと下す責任があるはずだ。そうでないと、前線の記者は板挟みである。

 それに何より、会見にフリー記者や雑誌記者が大勢参加するようになったとしても、「問題」など何も生じはしない。仮に、多少の混乱があったとしても、それは改善当初の、一時的なドタバタに過ぎないであろうし、そもそも既存メディアが質の良い報道を目指すのであれば、多様な取材者の中で揉まれることに、いったい何の問題があるというのだろうか?

 既存メディアの記事の大半が悪い内容であり、フリー記者らが書く記事の大半は良い内容だ、といったことは有り得ない。だれが取材・報道しようと、良いものは良く、悪いものは悪い。そんなことは当たり前である。記者クラブ所属記者による素晴らしい(本当の意味での)スクープも少なくないし、非クラブ加盟記者もそうした記事をたくさん生んできた。

 日本の既存メディアは、当局に寄り添う度合いをいっそう強め、日々取材力を劣化させている。メディア問題の核心はその取材力の回復であり、「何をどう取材するか」「どういう立ち位置で報道するか」という点にこそある。記者会見や記者室の問題は、メディアが抱える病気の何分の一か、何十分の一でしかない。それが私の実感である。

 だからこそ、こんな、いわば入り口でごちゃごちゃやっている場合ではないのだ。立場の異なる人々と揉まれることは、文字通り、「切磋琢磨」に通じる。

 フリーランス記者を本当に「敵」にするのか、良い意味での「ライバル」とみるのか。山口正紀さんがかつて言ったように、市民を本当に「敵」にするのか。既存メディアはいま、その分水嶺に立っている。

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既存の新聞テレビが、戦前戦中の大本営発表に等しい劣化状況が現在の政治の混乱を招いている最大の要因であることは間違いないだろうけど、高田様は本気でこのマスゴミ幹部連中が動くとお思いなのだろうか。
ズバリ、動くわけがない。
所詮、マスゴミ幹部は既得権益集団であり、それを手放すなんてあり得ないからだ。それは今後幹部になる連中にも言えることだろう。
もう、本気で変えるためには、すでに不買不視運動を全国規模で展開するしかない状況まで来ていると言っても過言ではない。
戦争を体験した世代は大本営発表の悪辣さを痛感したのではなかったのか。
戦後世代もそう教えられたのではなかったのか。
それなのにどうして今、70年前とまったく同じ歴史を繰り返しているのか。
答えは単純。
日本人は70年前から十年一日で、結局は戦前戦中の「戦争万歳」で歓喜を上げていた時分と何も変わってなどいないから、新聞テレビを鵜呑みにする悪しき習慣が全然抜けていないのである。
だから、裏取りもせず推測と憶測のオンパレード放送で簡単に騙されてしまう国民性を何とかしないと変わるわけがない。
振込詐欺が横行できる社会である限り、何も変わらない。


確かにマスゴミは酷い。これがまともに見えるのは頭がどうかしているか洗脳されてしまっているかのどちらかだと思うのだが、結局、こういうマスゴミにしているのは国民の責任なのだ。
今現在、国民の大多数はテレビ新聞が騒いだことに対して顛末を求めない。顛末に無関心だからマスゴミが捏造偏向のオンパレードになるのである。
だから是正するためには、国民一人一人が少なくとも自分が世間話にしたネタに関しては顛末を求めないといけない。
顛末を求めないなら無関心を貫かなければならない。
それができていないから、文字通り因果応報なのだ。
原因だけに気勢をあげておいて、結果を蔑ろにするから、事実にすら到達しない国民が大量生産されて、既得権益集団だけに都合がいい劣悪社会状況に陥っているのだ。
ガキの頃、「何かを変えたければ自分を変えないといけない」なんて言う大人が、よくいたけど、そういった連中が、もうすぐ現役を引退する年代になり、既に引退した年代になった今、社会に文句を言っている姿を見ると、悪しき慣習に囚われていることに自覚がない自分を変えたらどうかと真剣に思う。

大手マスコミ11社+2通信社の職員はルビコン川をとっくに渡ったと認識しているでしょう
暴力団にいい人がいると同じ論になります
大手マスコミの外にいる人々は(国民)彼らに共通認識をパワーに変えて対抗すべきです
この認識は(ホリエモン、ラジオ買収騒動)の際、確信に至りました
一般社会の業界ライバル社、職員同士の距離感と明らかに違う言動を見聞きするに及んで(大学、同期、同窓、出身地等を頼ってマスコミのおいしい既得権益の守る異常仲間意識の確認、例、猿のグルーミング行為?)万引き仲間にしない人間はいない説と同様にマスコミ職員は皆、同認識を持っている
記者クラブはおいしい既得権益を守るオオモトの仕組み
これが解体されるとマスコミ業界先人が行政と共に築いたマスコミと行政が、立法府の上に位置する変形民主主義国家のおいしい既得権益を守っれなくなり下剋上となる故、激しく、しぶとい抵抗がつづく

 「記者(彼ら・彼女)らは、記者クラブの組織運営について何かの決定を下す最終的な権限を持っていない。・・・それらは各社の幹部・上層部しか決定できないからだ」

 その通りです。会社の会議でも、役場でも、開かれた議論を、と促されて、部下が意見を述べても、それをボトムアップしないと、単なるガス抜き、あるいは「多様な意見があったね」で終わってしまいます。改革の根源的な問題については、上層部しか判断できません。
 既成のメディアが当局の横並び談合記事で報道のリークたれ流しがつづくなら、メデァア不信が募り、ネットなりにニーズが増す事態が生まれるでしょう。
 真実を伝える、その使命が弱くなると、フランスのネット新聞「メディアパルト」のように、購読者もそちらにシフトするかもしれません。大統領献金疑惑、特ダネ連発で、創刊当時8千部の購読者が、2年後4万5千人の読者を獲得してます。内閣や特定の勢力に影響を受けない情報発信が高い価値をもつ情報のはずです。
 近い将来、知識層のニーズを満たすネット新聞の台頭が予測されます。記者クラブの透明化と同時に、そのような変化で既成メディアも変わらざるをえないかもしれません。

<判断基準は明確>
「既存メディアは敵か?」の判断基準は私にとって全く簡単なものであり、結論を言えば「敵」です。
 民主主義の原則は主権者である国民だけが政治家の進退を決するということが現実に保障されているか否かにあると私は考えます。
 メディアが政治家の理念、政治姿勢、政策を批判するのは全く正当なことで、メディアの重要な社会的使命と考えます。
 しかし、日本の圧倒的多数のメディアが行っていることは、そうした報道ではありません。
 国家権力のうちの行政権、それも国民の身体的自由を奪うことを許されている検察という公権力の明らかな恣意的行使に対して全く無批判であるどころか、その先兵として、捜査を鼓舞するリーク情報を垂れ流すのはもとより、捏造映像まで創作して検察支援をしている現実です。
 戦前の翼賛報道と何処に違いがあるのでしょうか?
経済が発展し、それに応じて軍備の近代化を計る中国をいかにも日本侵略の準備をしているが如く報道し、国民の反中国感情を煽ることが、東アジアの平和と日本の安全に寄与しますか?
 諸外国との友好関係を交渉によって築くことこそ先の戦争での多大な犠牲の上で得た教訓ではないですか?
 どんな理屈をつけようが、国民により重税を課したり、戦場に駆り立てる政策のプロパガンダの一翼を担うメディアは国民の「敵」であると私は断言いたします。

学校教育(義務教育)の中で情報リテラシーの教科書を作成し授業で教える時期はとうにやって来ています。冷戦構造が崩壊し55年体制が崩壊してかなりの時間がたちますが、我々大人達は大きな価値観の枠組みが崩れた時代を生き抜く知恵を子供達に教える責任があります。子供達が自分の頭でモノを考え、自分で決定し、自分の責任で行動する力。そして集団で生きて行く上で皆で話し合ってひとつの大価値を作り上げてゆく力。最初からコレコレが正義だと決めつけることが出来ない時代を生き抜く力です。教科書の中で、新聞・テレビ・ラジオ・インターネットではどのように情報が作られ発信されているかの仕組みの学習、風評被害の問題、ある情報によって集団で人やモノが動いた時の恐ろしさ等。松本サリン事件、数々の冤罪事件、郵便不正事件における、如何にして村木さんは犯罪者にしたてあげられたか、西松偽装献金でっち上げ事件で如何にして小沢勢力は弾圧されたか等、具体例で教えてゆかなくてはなりません。もうそういう時期はとっくに迎えています。我々が時代の要請に応える制度を作ることに失敗すれば、その結果は次代にハッキリと影響します。記者クラブ問題等は本来はそういう時代に対応出来ないでいる小さな失敗例に、本当は過ぎません。何れ滅びるだけなのです。高田さんは、まさにその現場の中で時代に巻き込まれながら戦っているのです。我々も、各自の持ち場で出来ることをやってゆかなければなりません。

高田 様

最初に、今日デモに出かけました。予想よりも多くの人が参加していました。女性の方々の菅氏、仙氏に対する批判の厳しさには、びっくりしました。女性のほうが、言葉が軽い不誠実さに対しては、男性よりも厳しいことを実感,だいぶあおられてきました。すがすがしいいいデモでした。

報道の原点は、「何時、どこで,何があったか」であると、認識しています。どんな圧力にも屈することなく、国民に真実を報道するから、記事に生命力が溢れ、読む人の心を揺さぶるのではないか。

残念ながらご指摘のように、アメリカ、官僚、大企業、与党政治家に擦り寄らなければ、報道機関の存続生命に危険が及ぶとなれば、なりふり構わず、既得権益集団に迎合し既得権益を確保しようとするのは当たり前の帰結でしょうか。

既得権益に擦り寄れば擦り寄るほどに、その記事の論調は、既得権益に対する追従、おべんちゃら記事になるのは避けられないことでしょう。したがって、新聞の購読は、記事の硬直化にあわせて減少の道を歩んでいます。

ついに限度に近づいてきたのでしょうか。学校で偏向新聞を採用するとか、新聞購読税控除など、国民無視の新聞救済の話題でにぎやかです。

小沢氏の主張する「記者クラブの開放」などは、既成マスコミの自由化促進につながり、死活問題ということでしょう。

また、行財政改革、特別会計の一般会計化は、官僚の既存組織の維持、天下りシステムの温存に対する大いなる危険思想であり、なんとしても排除しなければ、官僚帝国が破壊してしまうのです。

さらに、二大政党が現実化すれば、極左、極右が活躍できる場がなくなってしまい、小沢氏の二大政党制は、極左、極右の人たちにとって死活問題なのでしょう。

そこに同じ仲間でありながら、小沢氏を徹底的に野党の力を借りてでも排除しようとする強弁的行動に、つながっている理由があるのではないでしょうか。

極左、極右が現実的に政治的力を絶対的確保すると、この国の民主主義は、壊滅的打撃を受けるのは必然的流れです。このような観点から、報道の自由化が阻害され、インターネット報道の制限が現実的に取られるようになれば、この国の言論の自由の危機につながります。

なんとしても阻止すべく立ち上がらなければならないのですが、マスコミでは、高田様など少数勢力であるのは、残念なことです。何とか打開しなければいけないことだと個人的に強く認識しています。

twitterでは狸の化かし合いの様な情報戦争が始まった。

難しい事は良くわかりませんが
例えで言うと、土佐藩の上士と下士みたいなものでしょうか。

高田さん
愚かな報道各社は経営の安定を自己努力ではなく政府に求めているのではないでしょうか?

自分らの権益を守り新規の事業参入を阻むクロスメディア(クロスオーナーシップ)・記者クラブ・再販価格維持制度

莫大な財源となりうる先進諸国と比較した場合あまりに低額な電波使用料に非課税で経費扱いの広告費

そこにあるのは、競争を排除し既得権益を守り抜こうと必死なマスメディアの醜い姿だけで、マスコミは国民の敵に”なる”ではなく”なった”と言った方が正しいでしょう。

クロスオーナシップの弊害はとっくの昔に表れていて、マスコミに都合の悪い問題については報道しない=国民の知る機会を奪って来ました。
経営状態が悪化すればするほど政府への依存度は高まり鈴木宗男・佐藤優⇒ホリエモン⇒小沢一郎と報道を政争や自己防衛の為に使う頻度が高まり時系列的に荒っぽく露骨になっています。ホリエモンはTBS買収問題等・小沢一郎はメディア改革を唱えています。
あまり好きではありませんでしたが麻生太郎も広告非課税を検討し始めたとたんにバッシングされ始めたようです。
麻生が広告非課税を検討していたとか小沢がメディア改革を考えているとか電波オークション導入による大幅増収などは報道される事も無く一般の国民は知る術もなかった事です。
因みに、今マスコミが応援している菅・仙内閣はメディア改革の旗はとっくに下ろしています。

マスコミは既に国民の”敵”なのです。正確にいえば自分たちの利権を犯そうとする者たちに対しては容赦なく牙を剥き利権を守る為に特権的カルテルを形成しています。そんなマスコミに公正な報道など期待すべくもないのです。

しかし、今までは知る術もなかった情報がネットによりダイレクトに視聴者に届くようになりました。今後マスコミの実態はネットで晒され続け不信はますます増え近い将来マスコミ改革は必ず俎上に上がると思います。

マスコミは、経営の安定を政府(国)に求めている時点で失格です。自らの経営努力により独立不羈の存在として立つ以外に信頼回復はあり得ないと思います。

<既存メディアは死ななきゃ直らない>
高橋様
はじめまして。「敵になるのか」ではなく既に戦前から「敵」であり、正確には「敵であり続けるのか」だと思います。
本来、先の大戦に敗れた時点で、新聞社は解散しなければならなかった。散々、大本営発表を無批判に流し続けたのだから。戦後はアメリカ様に依存し、見せ掛けの民主主義を演出してきた。それが実態でしょ。
我々は、民主主義独立国家のメディアだと思わされてきた。目くらましに気づかなかった。それは、壮大な詐欺でしょう。
インターネットのメディアリテラシーの確立で、未だ少数ではありますが、ナンチャッテ報道の実態に気づく国民が現れ、それは拡大の一途を辿っているのが現状です。
TPPを締結すべきのメディアスクラムは、戦前には戦争賛美で国民を死に追いやったメディアが、今度はアメリカ賛美で国民を経済的に死に追いやる行動です。
腐った商品は誰も買わない。
腐ったメディアは誰も信じない。
顧客を裏切り続けた既存メディアは、もはや生き残れないでしょう。
それでも、別に不便ではありません。TPPの締結により、職も食も奪われるより、健康に生きてゆけます。

既存メディアの記者と称する輩は戦後教育の申し子の優等生である。その輩がその母なる母体の国家を批判出来ようか。また、それら輩の人間的仲間関係も希薄である。なので何で集約されているかと言えば会社単位のクラブで集約されている。残念ながら未来はない。

既存メディアは「市民」には天敵であり大敵ですね。

勿論、その市民の中に既得権益側に属する数割の方が含まれるので「大多数の市民」であると言えますが・・・

本来、マスメディアは公平中立な報道が望ましい。しかし現実は既得権益を死守する為に存在し、この国に蔓延る無駄使いの温床の官僚主権政治を守ろうとする。

植草流で言えば、悪徳ペンダゴンの先鋒部隊です。

改革を目指す者を敵と判断すれば、守秘義務違反、誤報リーク、名誉毀損、マッチポンプ、ありとあらゆる手法で攻撃を繰り広げる。

それが自分達だけの【偽りの正義】であり、市民目線から言えば【悪行】なのです。

悲しいかな、市民にはそのマスメディアの持つ圧倒的発信力の前に騙され、洗脳され、間違った判断を繰り返す。

政局ではない物事では、良い人、面白い人に見せ、自分達が庶民の代表なのだと演じている。

そして誘導調査までして現れる支持率を盾に、自分達を正当化し、改革者を陥れる偽善者集団。

戦前から続いた大本営発表の洗脳を反省ではなく、手本としたかのような恥ずかしい行為を平然と行う。

現代は、ネットと言う新媒体を市民が手に入れたので、70年前の国民総白雉状態にはならない。真実を追究し、発信できる場所が広がっている。

市民運動が少しずつ、大きくなってきている。書き込み、デモ行進、チラシの配布、ネット中継。

後は、総理に成るべき人物がその立場で決断し、記者クラブ開放を宣言する事です。

上層部に逆らえない会社員の記者ではなく、自立した自らの判断で発信するジャーナリストが市民に向かって真実を報道できる国にする。

そんな改革への第一歩と今年は成って欲しい。そのためには小沢派議員が本気でマスコミと戦う決意が必要です。

朝ズバでの森ゆうこ議員のような真実を小沢派が、そして民主党議員が、さらには連立議員、テレビのコメンテーターも保身ではなく改革のために真実を語るべきなのです。


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Profile

高田昌幸(たかだ・まさゆき )

-----<経歴>-----

1960年、高知県生まれ。
1986年、北海道の地方紙入社。経済部、社会部、東京政治経済部、ロンドン支局などで取材。
1996年、取材班の一員として「北海道庁公費乱用の一連の報道」で新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。
2004年、取材班代表として「北海道警の裏金問題取材」で新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。「記者会見・記者室の完全開放を求める会」世話人。

-----<リンク>-----

■ニュースの現場で考えること

■「ニュースの現場で考えること」の書棚

■記者会見・記者室の完全開放を求める会

■市民の目フォーラム北海道「北海道警察VS北海道新聞」

■木をみて森もみる(エッセイ)

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