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2011年1月22日

「認知症と長寿社会 笑顔のままで」 信濃毎日新聞取材班(講談社現代新書)

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 「更埴市」は長野県北部にあった市の名前である。近隣自治体と合併し、今は「千曲市」という。遠い遠い、30年ほど前の学生時代のことだが、このあたりを訪ねたことがある。ゼミ合宿だったか、サークルの合宿だったか。典型的な日本の田舎、地方都市だったような、おぼろげな記憶がある。

 姨捨山(正式名・冠着山)は、その千曲市にある。知っての通り、姨捨山には「姨捨伝説」が残る。

 年老いた母を捨てに山を登る息子。自分の息子が帰り道に道に迷わぬよう、背負われた母は登りの道すがら、手を伸ばして木の枝を順順に折っていく。それを見て、息子は母を棄てられなくなった--。そんな伝説だ。

 本書は、その姨捨山近くに住む老夫婦の話から始まる。夫86歳、妻79歳。「老老」世帯の暮らしは、ただでさえ、しんどい。そこに「介護」が加わったら、いったい、どうなるか。しかも妻は認知症である。意味不明なことを話し、徘徊もする。夫が誰なのか、時にはそれも分からない。それどころか、自分がだれなのかも分かっていないかもしれない--。

 私が小学校6年生の時、一緒に暮らし板ていた祖母が死んだ。その祖母も認知症だった。第二次大戦で死んだ息子の名前を呼んでは「さっきまで清茂がここにおった」などと言い、清茂の分の夕食を用意してないと言っては、私の母を責めていた。そんな記憶がある。そして、あれだけ苦労して祖母の面倒を見て、毎日ため息をついていた母が、その祖母の死後、しばらくたって、辛かったはずの介護が実はどれだけ自分を支えていたかを語ったことがある。

 当時はその意味が分からなかった。小さい子供であったから、分かるはずもないのだが、本書を読み終えた今は、母の言った意味が分かるような気もする。

 本書は、新聞協会賞などジャーナリズム関係の賞を多数手にした、信濃毎日新聞の連載をまとめた1冊である。だれもが避けられぬ長寿社会。そして、かつては長い間、タブー視されていた認知症。この重い課題に真正面から取り組んだ。連載時から大評判だったので、ときどき、記事のコピーを読んではいた。しかし、こうして1冊にまとまると、また違った迫力がある。

 読み始めたのは、通勤の電車の中だった。途中で落涙し、読み進めなくなる箇所もあった。各ページに事実が詰まっている。1行1行が重い。つくりが丁寧で、時間と労力を存分に費やしたことが良く分かる。

 新聞はダメだ、既存メディアはダメだ、最近はそんな単純な批判が多い。しかし、本書のような良質のルポルタージュを読むと、そういった「新聞批判」を逆に空しく感じるだろう。「新聞だから悪い」とか、そんな単純な話ではないのである。何をテーマに、どう取材するか、どう伝えるか。報道においては、それが全てであり、本書はその見事な回答でもある。

 写真もすばらしい。とりわけ、237ページと257ページ。この2枚の写真は、すべてを物語っている。この写真を見ると、郷里に暮らす、自分の年老いた父と母のことを思い出し、また落涙しそうになる。

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※この記事は「『ニュースの現場で考えること』の書棚」より転載しました

2011年1月18日

「ジャーナリズムの原則」 ビル・コヴァッチほか著 (日本経済評論社)

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 「調査報道」が重要だと言われて久しい。しかし、「調査報道」とは何か。経験を積んだ記者であっても、その答えは千差万別である。

 昨年の今頃は、民主党の小沢一郎氏の政治資金をめぐる報道が、列島を席巻していた。その急先鋒の一つだった全国紙の担当デスクは、小沢疑惑報道を「調査報道の成果だ」として誇っていたが、しかし、検察捜査の終焉とともに報道は沙汰やみになった。確かに、検察捜査とは別の観点からの報道もあったのかもしれないが、検察の捜査の盛り上がりに寄り添うようにした報道は、少なくとも私には大きな違和感があった。なぜ、その大手紙の「小沢氏に対する調査報道」は終わったのか? 結局、虎の威を借る狐のような風情である。

 私は全く与しないが、「あす逮捕へ」という捜査情報を他社より先に書くことを調査報道だという人もいる。捜査員に取材して、独自ネタとして書くのだからそれは調査報道だ、という理屈である。日本では長年、起訴前の捜査段階における途中経過情報を他社に先駆けて報じることが重要だとされてきた(=組織内で高く評価されてきた)。

 こうしたことは、事件報道に限らない。「当局の行うことを、当局の許す範囲で、当局の発表前に書く」という取材のありようは、ある意味、従軍記者の発想に極めて近い。

 では、調査報道とは、いったい何か。この問いに対する回答を、過去の知の集積である書物から得ようとした場合、大きな困惑を感じるだろう。ないのである。ない。日本には「調査報道」を真正面から論じた、ちゃんとした書物がない。朝日新聞のリクルート事件報道を仕切った山本博氏の著作「追及 体験的調査報道」などはある。昨年は、菅生事件を扱った「消えた警官」も出た。しかし、これらは、調査報道に携わった記者たちの体験談であり(もちろん貴重なことにかとに変わりはない)、調査報道総体をきちんと分析し、体系立て、その問題点や実践の諸条件を論じたものではない。

 「ジャーナリズムの原則」の第6章は、そんな不完全燃焼の気持ちを和らげてくれるはずだ。本書は、記者の仕事に携わる人なら、だれもが読むべき1冊である。米国のジャーナリズム関係の団体が徹底した討論を重ね、その成果として出版された。残念ながら絶版ではあるが(新版は翻訳されていない)、私は手元に2冊置いてきた。1冊は線引きや書き込みでぼろぼろだ(もう1冊は保存用である)。

 第6章は「権力の監視と声なき市民の代弁」は、調査報道に関する記述である。「ジャーナリストは権力にたいする独立した監視役という役割を果たさなければならない」というこの根本原則について、本書はこう記している。

 「この原則はしばしば、ジャーナリストのあいだでさえも、『満ち足りた者を責める』という意味に誤解されている。さらに監視の原則は、現代のジャーナリズムにおいて乱用され、公共奉仕よりも読者に迎合することをい目的とした見せかけの監視役気取りによって脅かされている。おそらくもっと深刻なのは、この監視の役割が新しい種類の企業統合によって脅かされていることである。それによってメディアが監視役の責任を果たす上で求められている独立性が損なわれるかもしれない」

 また第6章では、調査報道を3つに分類している。そのひとつが「調査に関する報道」である。これは捜査当局などが調査・捜査する内容を、それらを情報源として報じる形態を指す。日本の現状の事件報道に近い。しかし、本書はそうした人々(=当局側)は、往々にして、予算欲しさや世論形成等々を目的として、記者に対して積極的に協力するのだと明言する。そして、捜査員らによって利用される可能性が高く、報道機関は権力の監視役ではなく道具になり下がる危険が高い、と。

 翻訳特有の、もって回ったような表現は多いが、私はこの一節だけでも相当な歯ごたえを感じる。多角的な取材と議論の材料になる。思索と刺激をもたらしてくれる。もちろん、第6章だけでなく、全編について、である。

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※この記事は「『ニュースの現場で考えること』の書棚」より転載しました

2011年1月13日

A3(エー・スリー)森達也著 (集英社インターナショナル)

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A3【エー・スリー】 森達也 著

 「オウム真理教事件」から、もう10数年になる。あの地下鉄サリン事件の日、私はちょうど旅行中だった。明確な記憶は薄れたが、空港のロビーでテレビに見入っていたことは覚えている。確か、福岡空港だった。その後、日本を覆い尽くした風潮については、ここで私が書くまでもない。

 本書「A3」は、「A」「A2」に続いてオウム真理教を扱っている。前2作と同様、オウム真理教や麻原彰晃(本名・松本智津夫)にできうる限り接近し、本書は出来上がっている。だからといって、(当たり前のことだが)、森氏はオウム真理教やその事件を擁護しているわけではない。オウムに限らず、異質なものを排除しようとし、その理屈付けを「常識」へと昇華させていく、その社会のおかしさを突いているのである。

 「A3」を読むと、メディアが伝えるのは、「社会全体がすでに合意していること」だと分かる。それが言い過ぎであれば、「まだ合意には至っていないが、納得したい内容」と言い換えてもいい。分かっていることを伝える・拡大する、体勢が納得したい理由付けを伝える・拡大する。それがメディアの本質であると、森氏は言っている。

 そういった、奔流のような社会の趨勢に抗うものが必要であり、かつ、それが仮に可能だとすれば、その手立ては「愚直な質問の積み重ね」しかない、と思う。分かったふりをしない。分かったつもりにならない。常套句を用いて世事を理解したつもりにならない。そういった愚直さである。それは何も、取材・報道の現場に限った話ではない。

 熊本日日新聞による「オウム真理教とムラの論理」(朝日文庫)も、愚直さを感じる良書である。

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※この記事は「『ニュースの現場で考えること』の書棚」より転載しました

2011年1月10日

既存メディアは本当に「敵」になるのか

 読売新聞の記者だった山口正紀氏が「メディアが市民の敵になる」(現代人文社)という書籍を出版したのは、2004年8月のことだ。新聞が当局依存の報道に激しく傾斜し、いわば勝手に読者・市民から離れていく様を論じた1冊である。

 当時、内容以上に衝撃を感じたのは、そのタイトルだった。山口氏はメディアの行く末を危惧し、警鐘を鳴らそうとの意味合いを込めたのだと思う。私自身もすでに、「報道の当局寄り」「政財官への過度の依存」に危機感を抱いてはいたが、「敵になる」は刺激が強すぎるように思えた。

 それから7年ほどになる。実際は、山口氏の見通しが正しかった。氏が案じた「行く末」は、ものの見事に現実になった。その懸念以上に、である。

 昨年は「マスゴミの横暴を許さない」という集会やデモが、東京をはじめ各地であった。デモを実際に見た私の記者仲間は「あれは小沢一郎支持の人たちの集まり。広がりはないよ」と言っていた。私は、それらの行動を遠い札幌からウエブ上で眺めていただけだから、「広がり云々」の部分は分からない。しかし、私が新聞記者になった25年前、「反マスコミ」のデモが起きようとは、思いもしなかったことは確かである。

 そして、昨年末からの総務省記者クラブでの、一連のやりとりがある。フリーランサーによる動画撮影を認めるか否か。それをめぐって、記者クラブ側と非記者クラブ側が応酬を続けている。その経過は、私も世話人を務める「記者会見と記者室の完全開放を求める会」のHPに記されているから、ここでは触れない。

 非記者クラブ側の参加者として、動画中継を実行したのは、フリーランスライターで、同会呼び掛け人の1人でもある畠山理仁氏だ。その畠山氏のツイッター(@hatakezo)などによると、総務省記者クラブ側から連絡があり、(1)フリーの動画撮影はひき続き認めない (2)記者クラブ問題について大臣会見で繰り返し質問がなされることは極めて遺憾 (3)議事(記者会見)の円滑な運営に協力いただけない場合は記者会見への参加を認めない ── との"通告"があったという。

 総務省記者クラブ側の対応について、私が感じたことは当欄で前回、「年明け早々、怒りモード。総務省記者クラブ問題で」で書いた。今回の"通告"についても、思うことは基本的に変わらない。

 これも何度も書いていることだが、そもそも、記者クラブが抱える問題点は、ずいぶん前から論点は出尽くしていた。改革の方向は、10年以上も前に刊行された「記者クラブ 市民とともに歩む記者クラブ」(「現代ジャーナリズム研究会」編、柏書房、1996年)において、網羅されている。新聞労連も1994年に「提言・記者クラブ改革」を公表し、2002年に「21世紀の記者クラブ改革にあたって ── 私たちはこう考える」を発表している。いずれも記者会見と記者クラブのオープン化を掲げており、現在の論点もこの時と何ら変わっていない。

 記者クラブ問題が実に長きにわたって放置されてきたのは、「本気ではなかった」ことが最も大きい。昨年春に新聞労連が主催したシンポジウムで、私は「もし労連が本気で開放を考えているなら、この問題で加盟単組にストを呼び掛けることだ。それぐらいの腹が固まっているのか」と問い掛けた。労働組合の連合体という、いわば「安全地帯」に立って、そこから美しい宣言を唱えているだけでは何も変わらない、という意味だ。そのへんのことは、自分のブログでも何年も前から何度か書いてきた(例えば<「きれいごと」と「闘い」>)。

 もっとも、記者クラブ問題が放置されてきたもっと大きな理由がある。「二重構造」だ。

 日本新聞協会は、記者クラブを「ジャーナリストたちによって構成される『取材・報道のための自主的な組織』」(記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解)と定義付けている。しかしながら、そこに所属する記者それぞれは単なるサラリーパーソンに過ぎず、自らの所属する新聞社や放送局内では何の決定権も持っていない。そういう意味での「二重構造」である。

 日本の新聞社やテレビ局は1990年末以降、保守化・官僚化の度合いを一段と強め、「事なかれ主義」が蔓延してしまった。現場記者と上司、組織上層部との「良い意味でのぶつかり合い」は、現場から凄まじい勢いで姿を消した。そのような状況下では、新聞協会が公式に「記者クラブは自主的組織」と謳ったところで、「自主」が具現化する可能性が極めて低いのは自明である。クラブ所属の記者が、会社の方針に抗して行動する意志や権限を持っていない限り、記者クラブ問題で自由に行動できるはずがない。

 今回の総務大臣会見の動画撮影についても、現場記者の間には、賛成意見が少なくないと思う。しかしながら、彼ら・彼女らは、記者クラブの組織運営について何かの決定を下す最終的な権限を持っていない。会社に戻れば、単なる1社員に過ぎず、報道システムの根幹を揺るがすような問題に「イエス」「ノー」を下すような立場ではないのである。だから、報道各社が「記者クラブの問題は記者クラブが判断すべき」という主張を行うのであれば、それは欺瞞でしかない。それらは各社の幹部・上層部しか決定できないからだ。

 前回の「年明け早々、怒りモード。総務省記者クラブ問題で」では、総務省記者クラブに代表させる形で、現場の記者たちに、いわば「奮起せよ」という意味合いの文章を書いた。確かに、現場記者には腹が無いように映る。
 しかし、クラブに関する決定権を各社の幹部が握っている以上、本当に動くべきは幹部である。大手メディア会社の幹部は、もういいかげん、この問題に決着を付けるために「決断」をしなければならないと思う。総務省記者クラブに限らず、各記者クラブの現場では今、そして今後はさらに、若い記者たちが「開放」圧力にさらされる。前線に兵隊を送り出している指揮官には、判断をきちんと下す責任があるはずだ。そうでないと、前線の記者は板挟みである。

 それに何より、会見にフリー記者や雑誌記者が大勢参加するようになったとしても、「問題」など何も生じはしない。仮に、多少の混乱があったとしても、それは改善当初の、一時的なドタバタに過ぎないであろうし、そもそも既存メディアが質の良い報道を目指すのであれば、多様な取材者の中で揉まれることに、いったい何の問題があるというのだろうか?

 既存メディアの記事の大半が悪い内容であり、フリー記者らが書く記事の大半は良い内容だ、といったことは有り得ない。だれが取材・報道しようと、良いものは良く、悪いものは悪い。そんなことは当たり前である。記者クラブ所属記者による素晴らしい(本当の意味での)スクープも少なくないし、非クラブ加盟記者もそうした記事をたくさん生んできた。

 日本の既存メディアは、当局に寄り添う度合いをいっそう強め、日々取材力を劣化させている。メディア問題の核心はその取材力の回復であり、「何をどう取材するか」「どういう立ち位置で報道するか」という点にこそある。記者会見や記者室の問題は、メディアが抱える病気の何分の一か、何十分の一でしかない。それが私の実感である。

 だからこそ、こんな、いわば入り口でごちゃごちゃやっている場合ではないのだ。立場の異なる人々と揉まれることは、文字通り、「切磋琢磨」に通じる。

 フリーランス記者を本当に「敵」にするのか、良い意味での「ライバル」とみるのか。山口正紀さんがかつて言ったように、市民を本当に「敵」にするのか。既存メディアはいま、その分水嶺に立っている。

2011年1月 6日

年明け早々、怒りモード。総務省記者クラブ問題で

 2010年の振り返り総括でも書こうと思っているうち、2011年が明けてしまったが、昨年末(と言っても10日ほど前のこと)、久々に強い憤りを感じたことがあった。例によって、記者クラブ問題である。

 「記者会見・記者室の完全開放を求める会」のホームページに昨年末、「総務省記者クラブとの懇談会」、 「総務省記者クラブからの返答」という2つの記事がアップされた。当初は、記者クラブ側がフリーランス記者たちの意見を聞き、会見開放に向けての具体策を考えていく、そのための会合だと思っていた。ところが、そうではなかった。

 「総務省記者クラブからの返答」は、公表用だから随分マイルドな表現になっている。このやり取りを行ったフリーランス記者の渡部真さんによると、実際のやり取りはもっと激しかったようだ(口調や言葉遣いのことを言っているのではない。誤解のないように言っておくが、渡部さんは非常にまじめな、穏やかな人である。毎日の記者さんも同じような方だと聞いている)。

 読めば読むほど絶望的である。毎日新聞の記者はたまたま幹事社だったから矢面に立たされたのだろうが、「会見の動画撮影を認めない理由」はまったく理由になっていない。ええ加減にせよ、である。理由になっていない理由をここにも書きだしておく。

<毎日>総務省記者クラブの総会で、申し入れのあった動画撮影について各社の意向を確認したが、結論から言うと、今回の総会では動画撮影を認めるという結論に達しなかった。

【理由1】まず新聞協会の見解を確認したが、たしかに記者会見を開放しようという見解になっているものの、動画撮影について言及して認める方針は示されていない。新聞協会の見解を根拠に動画撮影をフリーランス・ジャーナリスト認めることはできない。

【理由2】総会の中で、撮影者の意図と関係なく、インターネットなどで公開した映像が、第三者によって二次使用されるリスクがあると指摘する意見があった。そこに映っている人の発言・質問などが、本人の意図した内容と異なって、一部だけ使われると全体の真意が伝わらないこともある。それを危惧する意見があった。

【理由3】やはり各社に持ち帰って本社の意向を確認しないと、記者クラブの担当者だけで決める事が出来ない。そのためには時間がかかる。

 記者クラブ問題に関する日本新聞協会の見解は、同協会のホームページで読むことができる。それを読んだ上で、上記の総務省記者クラブ幹事社(毎日)の言い分を読んでほしい。会社員記者かフリー記者か等を問わず、総務省記者クラブ側の言い分を「おかしいぞ」と思わぬ人は、記者ではない。これで(本心から)納得してしまうような人は、物事に疑問を持たぬという意味において記者には向いていない。

 昨年春、記者クラブ問題に関する新聞労連のシンポジウムでパネリストを務めた際、あるいはこの会見開放の会の立ち上げの際、私は「もしかしたら頑迷固陋なメディア各社もクラブ問題で動き始めるかもしれない」という、かすかな希望を持っていた。そして、動かぬのは各社の上層部であって、現場は開放に前向きだと思っていた。その思いは今も同じだ。

 しかし、である。「思っているだけ」では何も変わらぬのだよ。「おれは開放に賛成だ」と"思って"いるだけでは、それでおしまいである。

 総務省記者クラブの幹事社である毎日新聞の記者は「各社に持ち帰って本社の意向を確認しないと、記者クラブの担当者だけで決める事が出来ない。そのためには時間がかかる」と言ったそうだ。おそらく、あちこちの記者クラブでこんな言葉が交わされているのだと思う。そういう人に言いたい。新聞協会の「見解」に基づくなら、記者クラブは記者の「個人組織」である。記者個人としての意見・態度を表明できないのなら、そんな商売、やめてしまえ。「やらない理由」を一生懸命に述べるのは、保守化・官僚化が極まった組織の常ではあるが、それにしても、ひどすぎないか。

 「おれたちがせっかく前向きに考えているのに」という総務省記者クラブの記者たちの声が聞こえてきそうだ。ならば、本気でそれを成す為に行動すべきだ。「考えている」という言葉を弄び、良心派を装うことの罪の重さを思うべきだ。最近は何も活動できていないので申し訳ない限りだが、会見開放の会を立ち上げる時、それへの賛同を呼び掛けると、「この人なら」と思った既存メディアの「良心派」の記者たちが何人も、「行動はできない」「陰で応援する」といってきた。「陰で」など、応援にならない。

 結局、問題はそういうところにある。

Profile

高田昌幸(たかだ・まさゆき )

-----<経歴>-----

1960年、高知県生まれ。
1986年、北海道の地方紙入社。経済部、社会部、東京政治経済部、ロンドン支局などで取材。
1996年、取材班の一員として「北海道庁公費乱用の一連の報道」で新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。
2004年、取材班代表として「北海道警の裏金問題取材」で新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。「記者会見・記者室の完全開放を求める会」世話人。

-----<リンク>-----

■ニュースの現場で考えること

■「ニュースの現場で考えること」の書棚

■記者会見・記者室の完全開放を求める会

■市民の目フォーラム北海道「北海道警察VS北海道新聞」

■木をみて森もみる(エッセイ)

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