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2010年10月18日

NHK記者の捜査情報漏洩事件は「前代未聞」ではない

 少し前、NHKスポーツ担当記者による捜査情報漏洩問題をめぐって、またまた報道のあり方が問題になった。すべての報道に目を通しているわけではないが、問題が明らかになった直後、「記者のモラルが低下した」とか、「記者教育の見直しが必要だ」とか、そんな『反省』が各紙にあふれていた。NHKの発表によると、当の記者は情報漏洩の動機として、「取材相手との関係を築きたくて」「賭博問題で相撲協会関係者の取材がしにくくなったので」といった趣旨のことを述べているという。

 取材相手との関係を築くために、なぜ、捜査情報を、いわば「手土産」として持参しなければならなかったのか。取材者と取材相手との適正な距離。それを長年、自ら問うことをしなかった報道各社の歪んだ体質が、このNHK記者の告白には凝縮されている。

 NHK問題をめぐる報道を目にしながら、少なくない数の記者たちは、ある種の「居心地の悪さ」や「違和感」を感じていたはずである。取材で得た情報などを外部に漏らしてしまう、こうした出来事は時々、過去から現在に至るまで、記者たちの周囲で連綿と起きてきたからだ。

 「頻繁に」とは言わない。しかし、「取材情報の漏洩など聞いたことがない」「今回のNHK問題は前代未聞だ」と、真に(真に、である)公言できる記者など滅多にいないはずだ。自らが手を染めた経験はゼロであっても、ある程度のキャリアを積んだ記者なら「見聞き」の経験はゼロではあるまいと思う。

 私は報道の仕事に携わって、25年余りになる。その私も少なからず、この業界の多様な人々から、「見聞き」した経験がある。

 例えば...。

 選挙の終盤情勢を探る世論調査の生データが特定の陣営に流出した(記者がデータを手渡した)。政治家の不祥事を探る社会部記者から取材の目的を聞き出した政治部記者が当の政治家にその内容を伝えた。捜査当局を担当する社会部記者が、取材で得た情報を当局に伝えた。原発関連の記事が紙面化される前に、その紙面を電力会社幹部に見せた...。

 特定の報道会社や記者個人をやり玉に挙げるのが目的ではないから、詳細は書かない。しかし、そんな話はあちこちにあったし、今もある。

 最近は、自民党政権時代、政治家の取材メモが官邸に吸い上げられていたことが話題になった。政治記者に限った話ではない。事件記者と警察・検察の関係も似たようなものだと思う。

 ある記者から少し前、鈴木宗男氏が逮捕された時の取材状況を聞いた。鈴木氏をめぐって種々の"疑惑"が取り沙汰されていた2002年の春から初夏にかけて、その記者は東京地検特捜部を担当していた。しかし、なかなか特捜部幹部に食い込めない。

 そうした時、特捜部幹部の自宅近くの小さな公園で、夜、幹部と会った記者は、こんな趣旨のことを言われたのだという。

「なかなか、いいネタがない。何か、いい材料はないか。少し、そっちでも探ってくれないか。もちろん、便宜は図る」

 便宜とは、捜査が動くとき、それを他メディアより早く報道させる(=リークする)という意味だ。その記者が思わず、「それはミッションですね?」と問い返すと、特捜幹部は「ミッションだ」と応じた、という。

 自分が伝えた情報が、実際の特捜の捜査にどう利用されたのか、されなかったのか、それは正確には分からない。しかし、その後、ある日の締め切り前に、特捜幹部からこの記者に連絡があり、ある箇所に家宅捜索に入る旨を伝えてきた。「これで1本スクープが書ける」と小躍りしたことを、この記者は今、深く悔いている。

 事件に関する情報をメディアから捜査当局に伝えることを「持ち込みネタ」という。ふつうは報道各社の固有名詞を取って、「●●ネタ」「××ネタ」などと呼ぶ。そんな習わしがある。

 そういう事件は、家宅捜索や被疑者逮捕などの強制捜査の段階で、他社より先に「強制捜査着手」の情報を伝えてもらう。それが、一般的なしきたりだった。捜査の途中経過情報を他社より早く書くことが、スクープだと(業界内で)信じられていた時代。それがあまりにも長く続きすぎた。だから、記者は岡っ引きになってでも、当局にすり寄ろうとしてきた。捜査情報を一刻も早くことが、「できる記者」として評価される道であり、社内での栄達につながっていたからだ。

 しかし、もうそんな時代ではない。そんなことが許されるはずもない。

 私が被告になっている「道警裏金本訴訟」で、私の代理人を務めている清水勉弁護士(東京)は、NHK問題の発覚後、こんなメールを送ってきた。

「......大きな事件の家宅捜索では、警察官が集団になって建物に入っていくところを、マスコミのカメラマンが取り囲んで撮影している。もちろん、マスコミのカメラマンたちがたまたま近くを通りかかったら家宅捜索の現場だったので撮影した、などということではない。捜査当局が事前にマスコミ各社に、いつどこでガサ入れをする、という告知をしているから、マスコミ各社は特定の日時に特定の場所に入って撮影でき、全社揃って絵入りの報道ができるのだ。
マスコミの記者は公務員ではない。国家公務員や地方公務員のような守秘義務がないのだから、本当に重要な捜査情報なら事前に告知するほうがどうかしている。事前告知は、情報漏えいのリスクよりも、報道で目立ちたいというメリットを優先している証拠だ。情報漏えいを問題にするのなら、マスコミに事前告知した警察官こそ問題にすべきだ。それをしないのなら、情報漏えいと言っても、大した問題ではないということだ。
マスコミはどこもこの点を視聴者・読者に説明していない。この点を問題にしないのは、警察とマスコミが一体となっていることを当然の前提として、その裏切り者としてNHK記者の行動を問題にしているということにならないか......」

 取材先、とくに相手の権限が強大であればあるほど、相手にすり寄る傾向は強まるように思う。

 社会部であれ、政治部であれ、経済部であれ、いや何部の記者であれ、取材相手にすり寄ることでしか「良好な関係」を築けないのだとしたら、そういう関係は「いびつ」であると言うほかはない。しかも、すり寄る時に手持ちの情報を「手土産」として差し出すであれば、もう言葉はない。取材相手にすり寄るのは、取材力の弱さの裏返しでもある。昨今のメディアの凋落は、その現実が次第に露呈しているプロセスでもある。
 
 私は2005年、「報道する側 問われる距離感」という記事を書いたことがあるが、あれから5年たち、報道の現場は加速度的に混沌の度合いが増している。何をどうすれば、報道に対する信頼が回復できるのか、もう、よく分からない。

 唯一、その道があるとすれば、報道は観察者に徹すべきであり、自らがプレーヤーにならない、という大原則を再確認することから始めるしかないように思う。取材者も社会の構成員であるから、(実際の報道がされようとされまいと)取材行為を通じて、世の中の動きに影響は与える。しかし、積極的に当局にすり寄り、その媒介に自らが得た情報を使うのは、全く違った話である。

Profile

高田昌幸(たかだ・まさゆき )

-----<経歴>-----

1960年、高知県生まれ。
1986年、北海道の地方紙入社。経済部、社会部、東京政治経済部、ロンドン支局などで取材。
1996年、取材班の一員として「北海道庁公費乱用の一連の報道」で新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。
2004年、取材班代表として「北海道警の裏金問題取材」で新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。「記者会見・記者室の完全開放を求める会」世話人。

-----<リンク>-----

■ニュースの現場で考えること

■「ニュースの現場で考えること」の書棚

■記者会見・記者室の完全開放を求める会

■市民の目フォーラム北海道「北海道警察VS北海道新聞」

■木をみて森もみる(エッセイ)

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