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2010年8月15日

タコつぼ化したジャーナリズム ── 特定記者クラブへの過剰配置が取材態勢の硬直化を招く

 今年の初めごろ、「事件報道の量的抑制が必要だ」という拙文を自身のブログに書き、それをThe Journal にも転載してもらったことがある。また、少し前には小欄の「事件原稿の書き方を変えよ」の (1) (2) においても、日本の事件報道が、いかに非常に古くさいか、社会の要請に合致していないかを簡単に記した。(繰り返しになるが)私に言わせれば、日本の事件報道が古くさいのは、【1】記者の配置=警察・検察記者クラブへの人員の過剰配置【2】記者の目線=捜査当局と二人三脚になった犯人捜し・容疑者バッシング【3】原稿の書き方=本来は明示すべき捜査側の情報源を曖昧模糊とした「関係者」と記す慣習がある という3つの問題を放置してきたことに原因がある。

 このうち、【1】の「記者の配置」は、事件報道にとどまらず、いまの報道全体に共通する大きな問題を孕んでいる。

 日本の新聞社やテレビ局、通信社では、外勤の取材記者はたいてい、「記者クラブ」に所属する。全国紙の地方支局勤務であれば、県政記者クラブ、拠点都市の市政記者クラブ、経済記者クラブ、警察記者クラブなどに籍を置き、実際に記者室に席も置く。中央取材であれば、各省庁の記者クラブや政党の記者クラブ、警視庁クラブ、経済関係の記者クラブなどその数も種類も格段に多くなる。記者クラブに所属せず、自由自在に動き回る記者のことを、報道業界では「遊軍記者」と呼ぶが、遊軍記者は主にベテランの領域であり、しかもベテラン記者すべてが遊軍記者になるわけではない。従って、外勤の取材記者が、どこの記者クラブにも所属していないという事例は、日本では滅多にないはずだ。

 記者クラブ自体の問題点については、既に何度も何度も指摘しているし、今回は取り上げない。しかし、記者クラブ自体の配置、および各社による記者クラブへの記者の配置も、戦後長らく不変のままであると知ったら、一般市民の方々は大いに驚くのではないだろうか。

 当たり前の話だが、世の中は目まぐるしく変遷している。戦後65年、日本社会のありようは劇的に変化した。そうした中で、記者クラブの配置は昭和30年代とさして変わらず、記者の配置比率も大して変化していない。筆者の経験や実感、同業他社の諸先輩などから聞いた話を総合すれば、昔も今も、地方都市においては、「県政」「県庁所在地の市政」「警察」が3大記者クラブである。全国紙ではたいていの場合、新人記者は地方支局に配属される。その際、この3大記者クラブを一つも経験しなかった記者は、間違いなくゼロだ。それどころか、多くの新人記者はこの3大記者クラブをすべて経験しているだろうと思う。

 で、ここからが本題なのだが、例えば、「警察記者クラブへの記者の配置」について考えてみよう。事件報道を担当するのは、日本の場合、ほぼ全員が警察記者クラブの所属記者だ。そして(組織の大小等によって多少の例外はあるが)、たいていの場合、警察記者クラブ所属の記者は「警察だけ」を担当する。なぜなら、検察は検察担当記者がおり、刑事裁判は裁判担当記者がいるからだ。社会部における警察担当記者と司法担当記者の割合は、どこの新聞社・通信社もだいたい「7:3」か「8:2」である。「5:5」は、まずない。そして、この比率は戦後何十年もの間、全く変わっていない。裁判員裁判が始まり、報道業界内において裁判重視が喧伝されるようになった後も、この比率に劇的な変化はないはずだ。

 記者は職業であるから、まず記事を書かねばならない。書かねば、給料はもらえない。では、警察担当記者は何を書くか? 何を置いても、警察担当記者は警察の扱う事件を書く。警察記者クラブに籍と席を置く以上、それが当たり前だったし、当然のこととされてきた。長い長い刑事司法のプロセスにおいて、警察が担当するのは、「捜査・逮捕・送検」という前半の一部分に過ぎないのだけれども、配置された記者の数が多いのだから、警察を舞台に激しい取材合戦が起きるのは、当然と言えば当然である。

 しかも、「警察」と「司法」の各担当は、社内においては分業だから、「逮捕原稿」を書く記者と、「裁判原稿」「判決原稿」を書く記者は、たいていの場合、別人である。取材が「クラブ主義」のタコつぼに陥っており、「テーマ主義」になっていないのだ。冤罪事件が起きても、報道各社から真摯な反省が出て来ないのは、この「分業」=「タコつぼ」にも大きな理由があるのだろうと思う。

 昭和20年代、30年代の社会が騒然としていた時代、「事件」には報道すべき事柄が多々あったのかもしれない。実際、犯罪に関する各種の統計を見ても、当時の凶悪事件や重大事件の多さは、現代の比ではない。「いやいや、そんなことはないでしょう。秋葉原の無差別殺人のような事件は昔はなかった」と反論する方もいるかもしれないが、無差別殺人や動機無き殺人、猟奇的事件などは昭和初期や戦後直後は、それこそ掃いて捨てるほどあった。メディアが今ほど発達していなかったので、全国区で報道されていないか、われわれが単に忘れているか、その程度のことでしかない。

 しかし、時代は変わるし、実際に変わった。今の時代、選挙前などの世論調査を見れば、多くの人々は「雇用」や「社会保障」などに強い関心を抱いていることが分かる。

 それなのに、例えば、「労働事件」は、ほとんどストレートニュースにならない。コンビニでの、万引きと大差ないような「強盗」は、発生や逮捕段階で報道されるのに、賃金未払いはその発生時点では、なかなかニュースにならない。派遣切りの問題も、やはり、それだけではなかなかニュースにならない。労働基準監督局・署には、多くの事案が持ち込まれているはずだが、個別事案はなかなか報道されない。それはどうしてか。理由は一色ではないだろうけれども、実は、労基局・署に記者クラブがなく、日常的に記者を配置していないことも大きな理由ではないかと筆者は感じている(新たな記者クラブを作れと言っているわけではない)。

 たまたま警察記者クラブと事件報道を引き合いに出したが、取材態勢の硬直化はこの分野に限ったことではなく、あらゆる分野を覆っている。

 「逮捕記事を書いた記者が判決記事を書くのが、本来の姿では?」でも書いたが、社会全体を大きな教室だとしよう。
 天井からは雨が降っている。雨は気象現象だから、豪雨になることもあれば、小雨のときもある。強風を伴うこともあれば、風のない雨も降る。窓際だけが雨のときもあれば、教室の後ろだけが雨の時もある。しかし、その雨を受ける漏斗は、位置も大きさもほとんど変わっていない。何十年か前のあるとき、一番雨の多い場所に、それに見合った大きさの漏斗を設置したけれど、いまもそのままである。
 最近になって、漏斗と繋がったホースは、あっちをこっちへ繋いだり、こっちをあっちへ繋げてみたりと多少いじってはみたものの、漏斗はやっぱり、そのままである。しかも、漏斗の細い部分を持つ人々は頭を上げて天井を向いたままで、足下にどれだけ水が溜まったか、床の水流がどう変化しているかが、ほとんど見ていない...。

 雨は情報、漏斗は記者クラブとそこに所属する記者、ホースは報道各社内の組織、足下の水流は読者である。

Profile

高田昌幸(たかだ・まさゆき )

-----<経歴>-----

1960年、高知県生まれ。
1986年、北海道の地方紙入社。経済部、社会部、東京政治経済部、ロンドン支局などで取材。
1996年、取材班の一員として「北海道庁公費乱用の一連の報道」で新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。
2004年、取材班代表として「北海道警の裏金問題取材」で新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。「記者会見・記者室の完全開放を求める会」世話人。

-----<リンク>-----

■ニュースの現場で考えること

■「ニュースの現場で考えること」の書棚

■記者会見・記者室の完全開放を求める会

■市民の目フォーラム北海道「北海道警察VS北海道新聞」

■木をみて森もみる(エッセイ)

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