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北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方〈1〉 »

運命が引き起こす奇跡

 過日、ロンドン在住の作家・黒木亮さんからメールが届いた。自著「冬の喝采」が、近く文庫本になるという。

 黒木さんは、大手邦銀をはじめ、総合商社や証券会社などで国際プロジェクト金融を手掛け、アフリカから中東、アジアなどを縦横に駆け巡った経験を持つ。それに裏打ちされた「巨大投資銀行」「エネルギー」といった作品は、多くの読者を魅了してきた。

 英国に住んでいた数年前、黒木さんの仕事場を訪れたことがある。ロンドン北部の住宅街。いかにも作家らしく、仕事部屋は資料や本であふれ、どこに腰を下ろそうかと迷うほどだった。

 そして、その部屋で、まさに運命の奇跡とでも言うべき、「あの話」を黒木さんから聞いたのである。古いスクラップ・ブックやアルバムを眺めながら。

 私と同世代の方は、マラソンの瀬古利彦選手を覚えていると思う。

 早稲田大学在学中に華々しくデビューし、五輪にも2度出場した。その瀬古選手と同じ時期に、早大競走部に在籍したのが、金山雅之選手(黒木さんの本名)である。金山選手は箱根駅伝も走った。「花の2区」を走った瀬古選手からタスキを受け取って3区を走り、4区へタスキを引き継ぐ。翌年は8区を走った。エンジ色のランニング・シャツに、白字で大きな「W」。それが、若き日の黒木さんだった。

 自伝小説「冬の喝采」は、そんなランナー・金山の物語だ。北海道の田舎町で本格的に走り始めた高校時代から早大時代まで、金山選手は来る日も来る日も走る。ケガで走れなくても、頭の中にあるのは、走ることだけである。単調でもあるけれど、その凡庸たる日々を積み重ねた者だけが非凡さを獲得し、道を切り開くのだ。それを痛感させられるような日々が、ページをめくるたび、これもかこれでもかと続いていく。

 北海道の高校を卒業した金山選手は、早大へ進学した。
 その入学手続きの際、実の両親と信じて疑わなかった父母は、実は養父母だったことを知った。生後7カ月のとき、養子に出されたのだという。上京してきた養父に真実を聞かされた金山選手は、少し外出し、気分を鎮めてアパートに戻った。すると、養父はシュークリームの箱を差し出す。それを見た金山選手は箱を部屋の隅に叩きつけた。

 自分はこれからも何も変わらないと思っているのに、父が自分に媚びようとする。それに腹が立った。人生はもう戻らないのだ。自分が前向きになっているのに、父さん、あなたが変わってどうするのだ?

 やがて、金山選手はアパートの部屋で48歳の養父に向かって、こう言った。

「これからも僕の親は、父さんと母さんだけだから......よろしくお願いします」

 大学卒業後、大手邦銀に入った金山さんは1988年、ロンドン支店に赴任した。日本から遠く離れた異国で万が一のことがあったら、実の父母も悲しむかもしれない。そんなことを考えながら、金山さんは戸籍を手掛かりにして、実の両親に初めて手紙を書く。あて先は「北海道岩見沢市」だった。

 すぐに母から返事が届いた。封を開けると、ランナーのモノクロ写真が何枚も入っている。自分を写したものではない。一番大きな写真は、昭和20年代の箱根駅伝の写真だった。「M」の文字の入ったランニング・シャツを着た若者が、懸命に走っている。
それこそが、金山選手の父の、若き日の姿だった。金山選手の父も、箱根駅伝の選手だったのである。

 明治大学の選手として、父は4年間に4度出場した。金山選手が走った3区と8区は、父も走っている。しかも大学4年のときは、2人とも8区を走り、ともに区間6位・チーム3位だったというのだ。

 それを知った瞬間、私は震えた。

 それからしばらくが過ぎた1996年。英国の永住権を取った金山さんは久々に郷里、北海道を訪れた。そして、初めて両親に会いに行く。迷った末、岩見沢駅から電話をかけた。やがて、69歳になっていた実父が車で迎えに来た。母はちょうど外出しているという。

 自宅に着いた2人は、あぐらをかいて向かい合った。互いに話題を探しながら、話を繋ぐ。生後7カ月で別れた父子に親子の歴史はなく、陸上競技だけが共通の話題だった。半世紀近くを経て、顔を合わせた2人の箱根駅伝ランナー。ともに中村清氏(故人)に師事した経験もあった。それでも、会話はぎこちなく、言葉は時に途切れがちだったという。

 そこへ電話が鳴った。立ち上がった実父は受話器を取るなり、たんたんとした口調を一変させ、急に大声になった。そして、電話の向こうの母に言った。

「おい、今、雅之がきてるんだわ! 早くタクシーに乗って帰って来い!」

 小説「冬の喝采」は、その場面で終わる。息子を手放すとき、布団をかぶり、声を押し殺して泣き続けたという母とは、その日、どんな話をしたのだろう。

 「運命が引き起こす奇跡と、努力は無限の力を生み出すこと。その2つを書きたかった」と言う黒木さんは、母とのその後を尋ねる私に、その様子を丁寧に教えてくれた。

 小説には出てこない、その後の場面を知って、不覚にも私は再び泣いた。

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高田さま

「小説には出てこない、その後の場面を知って、不覚にも私は再び泣いた。」

黒木亮さんの「冬の喝采」を買って読もうと思いますが、「その後の場面」はここでは語られないのでしょうか?とても気になります。


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高田昌幸(たかだ・まさゆき )

-----<経歴>-----

1960年、高知県生まれ。
1986年、北海道の地方紙入社。経済部、社会部、東京政治経済部、ロンドン支局などで取材。
1996年、取材班の一員として「北海道庁公費乱用の一連の報道」で新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。
2004年、取材班代表として「北海道警の裏金問題取材」で新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。「記者会見・記者室の完全開放を求める会」世話人。

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