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世界人権宣言、その年、南アフリカでは ── サッカー界の哲人 リリアン・テュラムとの対話

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↑ サッカー界の哲人 リリアン・テュラム

 サッカーのワールドカップ(W杯)が、たけなわである。これを書いている今、テレビでは「ブラジル vs チリ」戦が中継されている。29日夜は、ベスト8を賭けた日本代表の試合もある。私自身は、サッカーに特段の造詣があるわけではないが、日本が勝てば、やはりそれなりにうれしい。

 W杯と言えば、フランス代表のDFだったリリアン・テュラムのことを思い出す。サッカー好きなら、必ず記憶していると思う。1994年に代表選手となり、2008年に引退するまで、フランスの黄金期を牽引した。ジダンらとともに一時代を築き、確か、代表としての出場記録も持っているはずだ。

 テュラムはフランスの海外県、カリブ海のグアドループ諸島の出身である。多くの黒人サッカー選手がそうであるように、テュラムの一家も貧しく、島での生活は困窮を極めた。9歳の時、母に連れられてパリの郊外に移り住んだが、暮らしぶりは簡単には好転しなかったという。選手として大成した後は、テュラムは、社会問題にも積極発言をすることで知られ、「サッカー界の哲人」「賢人」とも言われていた。

 もう3年以上も前の2007年1月のことだが、そのテュラムにインタビューしたことがある。

 その前年、ドイツで開かれたW杯で、フランスはイタリアと決勝を戦い、敗れた。フランス代表の主将だったジネディーヌ・ジダンが試合中、自分に「暴言」を浴びせたイタリア選手に頭突きを食らわせて退場処分となった、あの試合である。30億人が生中継で頭突きを目撃したと言われ、「9・11テロ以来、メディアで最も取り上げられた事件」(仏紙)と言われた。レッド・カードを食らい、ピッチを去るジダン。その彼に、寄り添うようにしていたのが、テュラムである。

 テュラムが所属していたFCバルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウ。そこで、彼は雄弁だった。テーマは、サッカーではなかった。もとより、私はサッカーに詳しくない。聞きたかったのは、頭突き事件の背後にある「黒人」や「移民」のことだった。

「......たぶん、僕たち黒人以外にはなかなか理解してもらえないことって、山のようにある。僕たち黒人はしっかり記憶しようと思っていることでも、それ以外の人々はたいして注意を払っていないことが山のようにあるんだ。いいかい? 例えば、世界人権宣言って知っているよね? 国連が1948年に制定した。日本でもきっと教科書に載っているだろう? すべて人のは人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見などによって、どんな差別も受けない。そういうことが書かれているよね」

「それ自体の意味を否定するわけじゃないけど、その同じ年、世界では何があったか知っているかい? アフリカでは何があったか知っているかい? 今度のW杯は南アフリカ共和国である。世界人権宣言が出された年、その南アフリカ共和国では、あの悪名高い人種隔離政策、アパルトヘイトが法制化されたんだ」

 恥ずかしながら、そんなことは全く知らなかった。もちろん、世界人権宣言もアパルトヘイトも知っている。しかし、それが同じ年のことだったとは。
 テュラムはフランス革命のことも話した。1789年にあった、市民革命。歴史の教科書には必ず載っているし、知識としては、たぶん、中学生か高校生のころから私の頭に刻まれている。

「......そのフランス革命のときの人権宣言も知っているよね? 自由、平等、博愛。確かに、あれは世界史的な大事件だった。でも、その人権宣言がでた年、僕たちの先祖である黒人は、奴隷貿易の対象だった。そのころ、奴隷貿易はピークだったんだ。そのころ奴隷が集められ、船に乗せられた西アフリカの場所に行ったことがあるけれど、フランス革命のことは知っていても、あの奴隷貿易の基地の場所を知っている人は、日本にも欧米にも、ほとんどいないと思う」

「同じような例はほかにもいっぱいあって、例えば、1931年にはパリで、世界植民地博覧会っていうのがあって、そこでは黒人が展示品だったんだよ。いいかい? 生きた黒人が展示されたんだ。たった、70年くらい前の話さ。この意味が分かるかい?」

 約束の時間が来ても、テュラムは話を止めない。後の予定を次々とキャンセルしながら、身ぶり手ぶりの話は続く。
 
「......僕の故郷の島では、母親たちの世代はずっと、白人と結婚することが夢だった。白人と結婚すれば、それだけ子供は肌の色が白くなる。僕の子供もあるとき、白人に生まれていれば良かったと言ったことがあるんだ。一度だけね。そのとき、僕は妻と一緒に、彼と向き合って、じっくり、本当にじっくり話した。どうしてそう思うのかい、って。頭越しに怒りはしなかった」

「知っての通り、僕が母親と兄弟たちとパリ郊外のフォンテンブローに移住してきたころは、貧しくて貧しくて。部屋は狭くて机もなくて、団地の階段を机代わりにしていた。パリの郊外って言えば、どういうところか分かるだろ? 僕は幸い、サッカーがうまくて、プロになれて、収入がたくさんあって、いい暮らしができるようになった。でも、息子はこの先、どうなるんだろうと思うことがある。そして、ほかの子供たちはどうだろうってね」

 パリ郊外の高層住宅にはアフリカや中東からの移民2世・3世が多く住み、時に大規模な暴動を引き起こす。就職などで差別を受けていることへの反発を背景に、群集と警官隊が衝突することも珍しくない。

 テュラムは2005年に暴動が起きた際、サルコジ内相(現大統領)に執務室で会った。当時、サルコジ内相は暴動を前にして、ドイツの掃除機ブランドの名を引き合いに出し、「郊外のくずどもはケルヒャーで吸い取ってやる」と繰り返していた。「僕も暴力には賛成しない。でも、なぜ郊外の若者が群れると思いますか」。それだけを言うために、だ。

 テュラムも、その若者たちと似た道を歩んだ。彼が住んだ郊外の高層住宅は、多数の移民が住む典型的な地域だった。母と子供5人。生活は貧しく、住居は家族6人には狭すぎた。

「友だちも呼べないし、友だちの家にも行けない。行く場所がないんだ。だから、階段に集まって話したり、階段を机代わりに勉強したり。その勉強相手が妻なんだよ」

 カフェに入る金がなく、何時間も街を歩き続けた。学校では黒人にだけ、あだ名が付けられた。テュラムの場合は「黒い牛」。その名で呼ばれるたびに悔しくて泣いた。サッカーチームの友人に招かれ、初めて白人の家を訪れた時は、別世界があることを知った。17歳でプロ選手になると、黒人選手は特に激しいブーイングを浴びることを知った。得点を挙げても、観客は「黒人はサルだ」として、一斉にサルのまねをしながら奇声を発する。それがテュラムの見た、西欧社会の現実だった。

 フランスが優勝した1998年のW杯フランス大会では、肌の色が異なる選手たちが華麗なパス回しを披露し、ボールは数十秒で世界を1周する、と言われた。その代表チームは民族統合の象徴と称賛されもした。

「でも、サッカーの試合に勝ったくらいで社会の現実が変わるわけがない。当たり前だよね。サッカーで勝つよりも、もっと本質的な問題がある。僕らは、それを知らなければならないんだ」

 テュラムは賢かった。哲学者や経済学者の名前は次々と出てくる。政治、教育、社会、経済の話まで、視線は縦横無尽である。それに何より楽観的で前向きだった。少なくとも、そう思わせる気迫にあふれていた。

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こんはんわ。

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......たぶん、僕たち黒人以外にはなかなか理解してもらえないことって、山のようにある。僕たち黒人はしっかり記憶しようと思っていることでも、それ以外の人々はたいして注意を払っていないことが山のようにあるんだ。
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黒人という言葉を「沖縄の人」に置き換えても意味が通る。

それを経験する機会が無い私は想像力を働かせるしかない。

最低限の努力はしようと思う。

まずジャブからスタート
高田さん御苦労さま
新聞とは違う反応やや戸惑う
かも、
スローだが着実に伝わる媒体では?
国民はそんなにバカでは有りません、見抜いている人々は結構多いですよ、ただ行動となると?
やっぱりいい時代に育っているからハングリー精神不足かな
ストレートパンチもお願いいたします
相手は強敵ですが着実に効いています

 ジャーナリズムって何なんだろうと考えることの多くなる昨今ですが、高田さんの今回のコラムがひとつの答えなんであろうと思います。
 情報が溢れかえる世の中で、現象の表層を伝えるだけでなく、物事の本質や背景に様々な角度から切り込み、読者にいろいろな考え方、物事の捉まえかたを提示することである。
 マスコミが大本営発表を各社一律に報道するようになってから久しいが、あんな表層情報は一社あれば十分である。まして、電通指導の偏向報道など害以外のなにものでもない。
 子供にNHK、大手新聞のニュースは殆どが嘘だから信じないようにと教える親としては、自分の無力を嘆くしかないが、良質の報道をする方を少しでも多く探していきたい。
 今後とも裏読みをするということでなく、物事の本質に迫る記事を期待しています。

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高田昌幸(たかだ・まさゆき )

-----<経歴>-----

1960年、高知県生まれ。
1986年、北海道の地方紙入社。経済部、社会部、東京政治経済部、ロンドン支局などで取材。
1996年、取材班の一員として「北海道庁公費乱用の一連の報道」で新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。
2004年、取材班代表として「北海道警の裏金問題取材」で新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。「記者会見・記者室の完全開放を求める会」世話人。

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