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2007年7月 8日

私が一番好きな宮澤さんのエピソード

●田原氏による講義のまとめ

 大隈塾2003年前期の授業で一番感動した、と多くの学生たちが感想文に書いていた。改めて、マスコミの功罪、私もマスコミの一員として特に罪の部分を痛切に感じた。

 というのは、学生たちのほとんどが、実は宮澤喜一という政治家の名前は知っていたと。総理大臣、大蔵大臣を歴任した人だと。しかし宮澤氏は政治家としては力量のない、実行力もない人だ。つまり政治家としては一流とはいえない、と考えていた。

 ところが、宮澤氏の話を聞いた学生たちは、宮澤氏はまさに戦後史の生き証人であり、戦後日本の重要なターニングポイントでとても重要な役割を果たしてきた。しかも、その一つひとつを鮮明に覚え、簡明に説明をしてくれたと。そこで、いかにマスコミが作った宮澤像が虚像であったか。そんなことを学生たちに教えられた。これはとても重大な指摘であった。

 まさに今、情報化社会の中で、情報が氾濫し、誰もが情報をより正確により的確に、より深くとらえていると思っているが、それは誤解である。つまり、情報化社会というのはある意味では、虚像がどんどん増幅していく社会でもあるのだ。その恐ろしさを、私白身がこの授業で思い知らされたのだった。

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2007年7月 7日

《追悼・宮澤喜一氏》宮澤元首相の最終講義 in 早稲田大学(3)

※この講義は2003年に行われたものです。

首相である自分でも不艮債権問題は解決できなかった。
  予見する力があっても、賛同が得られなければ実現できない。

田中愛治:バブルが崩壊した91年から93年にかけて、宮澤さんはいち早く不良債権の処理が大きな問題になるとお考えになって、日銀の三重野総裁(※1)に不良債権の処理のために公的資金導入の話をつけていたということがいわれています。日本はその時に不良債権処理をしていたら、今のような経済危機には陥っていなかったと思いますが、ご本人としてはいかがお考えでしょうか。

宮澤:92年の8月に株が暴落をし始めました。私は、この暴落には困ってくることがある、金融機関の不良債権が累積しているからだと考え、何とかこの株式市場について対応しなければならないと、自分一人で思った。

 しかし、それは公にいうことはできないので、日銀総裁とだけはご相談をしました。そして、「どうも自分としては、何とかしなければならないと思っているんだけれども、もしものときは」といいましたら、日銀総裁は「それはよくわかっております」というふうなお話であった。それは軽井沢と東京との間の電話でのことでございました。したがって、そういう対策として何かをしなければならないということは、日銀総裁も当時思ってくれておったわけです。

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2007年6月30日

《追悼・宮澤喜一氏》宮澤元首相の最終講義 in 早稲田大学(2)

※この講義は2003年に行われたものです

九二年の段階で不良債権問題の深刻化を予見。
  しかし、大蔵省からも銀行からも実業界からも猛反対された。

田原:そこで伺いたいんですが、バブルが弾けました。今おっしゃったように、銀行がお金を貸している担保の土地の値段が下がるんだから、不良債権になる。宮澤さんが総理大臣の92年夏のことです。そのとき宮澤さんは、バブルが弾けて一番の問題は、銀行の不良債権だとおっしゃっていた。銀行の不良債権処理のためには、政府は公的資金を投入する用意がある、とおっしゃった。このときに手をつけておけば、今のような大変なことにならなかったんですよ。これに対して銀行も大蔵省も財界も、全部反対した。だから、ついにできなかったと。これ、どうしてみんな反対したんですか。

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2007年6月29日

《追悼・宮澤喜一氏》宮澤元首相の最終講義 in 早稲田大学(1)

戦後政治の保守本流を歩んだ自民党元議員、宮澤喜一元首相が28日午後1時16分、老衰のため都内の自宅でご逝去されました。87歳でした。

「ハト派」「経済政策の専門家」「英語の達人」「戦後政治の証人」など、多くの異名を持っていた宮澤さんは「戦後政治家最高の知性」ともいわれ、晩年は保守派リベラルの論客としてテレビや雑誌のインタビューなどで積極的に発言し、憲法9条の改正には慎重な姿勢を貫きました。

また、田原氏が塾頭を務める「早稲田大学 大隈塾」にはゲスト講師として講義を行ったこともありました。戦後の日本政治を知り尽くした宮澤さんの講義には、終了後の感想文で「大隈塾の授業で一番感動した」と多くの学生が書いていたそうです。

今回の「タハラ・インタラクティブ」では、2003年に宮澤喜一さんと田原総一朗さんが早稲田大学・大隈塾で行った宮澤さんの最終講義をお届けします。

「戦後復興」「プラザ合意」「バブル崩壊」など、日本のターニングポイントをつねにキーパーソンとして活躍してきた宮澤さんは、学生たちに何を語ったのでしょうか。また、日本の未来についてどのように考えていたのでしょうか。

(文責:《ざ・こもんず》運営事務局/出典:『田原総一朗の早大講義録―政治・経済のカラクリ』アスコム

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2007年6月 6日

田原総一朗はこう語った(6)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

どうして誇り高く生きていられるのか?

学生3:貴重なお話、ありがとうございました。私も、大学に入るにあたってちょっと親とけんかして、生活費と学費の一部を自分で支払ってます。ときどき、そのお金を得るのにすごく手一杯になってしまって、極端にいえば生きるだけで手一杯なときがあります。そうすると、やっぱり、誇り高く生きようとか、勉強しようと思っていても、見えやすい権力とか地位のある身分とかに惹かれてしまう部分もあって……。田原さんのようにどうしてそんなに権力を恐れすに誇り高く生きていられるのか、ジャーナリストとしてということももちろんありますけれども、一人の人間として、どんなふうに誇りを高く持って生きていらっしゃるのかをぜひお伺いしたいと思います。

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2007年6月 3日

田原総一朗はこう語った(5)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

ねらって、ねらって、まだうまくいかない約2名
 
 その東京12チャンネルを辞めたこともまた、世間に波風を立てたことが原因なんです。そしてこれも、今の私に大いに役に立っている。

 12チャンネルに勤めながら、『原子力戦争』という本を書きました。(きっかけは)原子力船「むつ」の問題(※1)で、取材に行ったんです。

 反対派の集会に行ったら、「むつがもし風か何かでひっくり返ったら青森県は第2の広島ですよ」と、反対派はいう。ずいぶんいい加減なことをいうなあ、と私は思う。だから今度は、推進派へ行った。これがまたひどい。「あんた方は放射線というのは体に有毒だと思うんでしょう。違います。あんた方は風邪ひくとラジウム温泉(※2)へ行くじゃないですか。あれは放射線ですよ」。これもいい加減な論です。

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2007年6月 1日

田原総一朗はこう語った(4)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

ほかの人が企画できない企画を考える

 実は私は東京12チャンネルには、ドキュメンタリーをやりたいから入ったんです。人間が描きたいから。でも12チャンネルは番外地ですから、スポンサーがつきません。ところが、これもまた12チャンネルの面白いところです。私はまず、企画をつくる。それから、私がスポンサーになりそうな企業に直接電話して、営業と編成の人を連れていって、スポンサーになってくれと頼む。全部、このパターンでした。私はディレクターですよ。ディレクターは番組をつくっていればいいんじゃない。つまり、スポンサーを口説いて乗ってもらう。12チャンネルというのはいい加減で、スポンサーがつけばなんでもOKなんです。だからスポンサーを口説いて、そして番組をつくった。

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2007年5月25日

田原総一朗はこう語った(3)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

2日後に番組ができるテレビってすばらしい
 
 ただ問題は、私はもともと科学をやりたかったのではなくて、大江健三郎や石原慎太郎のような小説を書きたかった。もっと社会現象、人間を描きたいと。それで、会社に企画を出すんだけど、岩波映画に映画の企画を出すと、会議が20回も30回もあって、なかなか決まらない。会議なんてやるのはろくなもんじゃない。あれは責任をみんなになすりつけるためのものなんです。もっというと、会議をやるたびに私の特徴がどんどんなくなってきて、お坊さんの頭みたいになっちゃうんですね。

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2007年5月18日

田原総一朗はこう語った(2)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

テレビ番組の初企画が賞を取る
 
 撮影助手を降ろされて、仕事は何もない。ほされました。4月に入社して、5月に仕事がなくなった。ちょうどいいことに、60年安保闘争(※1)なんです。仕事がないから、毎日、国会の周りのデモに参加しました。6月15日も行きました。行って、帰ってきたら、学生が殺された。樺美智子さんですね。また行った。そしたら、警官が催涙弾を撃っていたんで、目がショボショボする。国会の中では学生が座り込んでいました。1960年の安保条約が国会を通った夜も、国会の周りで座り込んでいました。

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2007年5月13日

田原総一朗はこう語った(1)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

田原総一朗さんが塾頭となって指揮をとる「大隈塾」では、政界・財界を中心に各界で活躍するリーダーを毎回お招きし、討論を主体とした授業をおこなっています。
※2006年度 講師一覧

講義のテーマはその時の社会情勢から講師自身の人生論まで幅広く、講師と学生による真剣な討論が毎週のように繰り広げられています。

本日は、その大隈塾で2006年11月に行われた田原さんによる講義「田原総一朗流 再チャレンジ人生」の模様をお届けします。

※出典:『誇りの持てる働き方』ダイヤモンド社

挫折ばかりだった学生時代からジャーナリストとしての現在に至るまでを熱っぽく語る田原さん。田原さんが学生に伝えたいこととは何か?

全6回にわたって「タハラ流人生論」をお届けします!
(文責:《ざ・こもんず》運営事務局)

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2006年6月22日

ネクスト・リーダー・プログラムのゲストに竹中平蔵さんを迎えて

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昨日は大隈塾の社会人コース、ネクスト・リーダー・プログラムの授業があった。

ゲスト講師は竹中平蔵さんで、学部の大隈塾授業には何度かあったが、現職の大臣がきて講義をするのは初めてだった。

竹中さんは国会が閉じてリラックスしていたのか、小泉内閣や小泉さんのいろんな「実はあのときは……」という話がたくさんあった。

もちろん、メインは経済財政諮問会議でどうやって日本経済を立て直したのか、その舞台裏というか、総理との二人三脚でのリーダーシップのとり方にあった。それだけでも充分な内容だったが、不良債権の処理、郵政の民営化の次のアジェンダは、「人材力を画期的に高めていくこと」ということだったのには、少なからず驚いた。私が大隈塾を始めて運営している理念と同じだったからだ。

もっとも、話の上手な竹中さんだけに、リップサービスもあるかもしれないが。

2006年4月14日

大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム 特別講座(3月15日(水)早稲田大学 国際会議場にて)


『大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム 特別講座1』(映像配信は終了しました)
320×240
2分12秒(20.1MB)


『大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム 特別講座2』(映像配信は終了しました)
320×240
1分59秒(11.4MB)
いずれも2006年3月15日(水)撮影

「松井証券社長・松井道夫さんが田原総一朗氏が塾長をつとめる大隈塾で公開特別講演をおこないました。今回の田原インタラクティブはその模様をダイジェストにしてお届けします。」

 政府は「株を買え」と言う。しかし本当にいいのだろうか?実は株式市場は危険なんじゃないか?松井社長は日本市場を心臓に例え、その現状を「心筋梗塞」と評した。では心臓が「心停止」したら一体どうなるのか?日本にある100万もの法人は命運を共にすることになる。心停止には至らずとも一蓮托生の日本丸に「とんでもない変化」が起こることは間違いない。

 現在の情報革命は国家、企業、人の在り方を根底から覆してしまう。それは産業革命以上の大変化といってもよいかもしれない。それまで社会の主たる構成要素であった組織に個がとってかわる。ITによるネットワーク化は無数の個に強大な力を与えた。このことは既成概念が通用しなくなることを意味する。コングロマリット、あるいは事業の多角化によるリスクヘッジにしても然りである。その変化に対して当事者である松井社長は評論家の如く、警鐘を鳴らすだけではなく、自ら率先垂範、問題解決をしていってほしいものである。

 一見すると景気が良さそうにも思える日本に危機感を持ち、近い将来、日本市場に大きな変化が起きる。しかし、その大変化が何なのか、まったく予想ができないのが現時点の限界である。

 ライブドアが強制捜査を受けたことをきっかけに東京証券所には売り注文が殺到。その結果、東証は全面取引停止を招くという、前代未聞の事態を引き起こした。その後、東証は取引の強制停止を判断する基準である約定処理件数をこれまでの400万件から450万件に引き上げたのだが、海外に目を向けてみれば、アメリカのナスダックでは1日で1億数千万件を処理しているという現実もある。なぜ、日米間でこれほどまでに巨大な差が存在するのだろうか?その主たる原因は技術力の違いではなくガバナンスのあり方の違いである。

 松井証券社長としての20年間を振り返って考えるに、これまでに行った正しかった経営判断の決断とは、全て「捨てる」決断であり、間違っていた決断は全て「加える」決断であった。自由化を前に松井証券はオンライン証券化を決断、その結果、全ての営業マンを捨てることになった。しかし、このとき捨てることができたから、松井証券は第二の創業を迎えることができた。新しい時代に必要なのは捨てることの決断です。

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2006年3月16日

「大隈塾で見えた!日本の教育、ここが危ない!」


『読売新聞『教育ルネッサンス』の取材1』(映像配信は終了しました)
320×240
3分11秒(36.6MB)


『読売新聞『教育ルネッサンス』の取材2』(映像配信は終了しました)
320×240
2分36秒(28.7MB)


『読売新聞『教育ルネッサンス』の取材3』(映像配信は終了しました)
320×240
2分57秒(34.6MB)


『読売新聞『教育ルネッサンス』の取材4』(映像配信は終了しました)
320×240
4分39秒(53MB)
全て2006年2月15日(水)収録

「日本の教育ここが間違っている!」読売新聞『教育ルネサンス』のインタビュー答えて。

 読売新聞の『教育ルネサンス』という特集で大隈塾が取り上げられた。そのときの読売新聞記者との取材のもようをお見せします。大隈塾から見えてきた日本の大学や学生たちの問題点、また、今、日本の社会が必要としている人材とはどんな人物なのか、そして、そのような人材を育成するために必要な大学教育とはどんなものなのか。田原総一朗の縦横無尽に教育論を語ります。

読売:なぜ大隈塾を開きたかったのですか?
田原:まず、哲学が必要だと思った。つまり僕の言う哲学は生きるとは何かということなんです。今の教育では小学校から大学まで『生きるとは何か』について、まったく教えない。知識や人に優しくということは教える。ところが、生きるということはどういうこと何だと教える必要はないという。

今の教育の一番の欠陥は、小学校あるいは幼稚園から最終目的が東大をはじめ一流大学に入ること。そのために私立の幼稚園に争って入る。しまいには殺人事件までおきている。大学が教育の最終目標だということは間違っていて、大学は人生の出発点でなければならない。ところが今の教育では大学が終着駅になっている。大学に入ってきた多くの学生が、何をするかを考えないでどんな会社に入るかを考える。これは完全にブランド志向です。学んだことと関係ないブランドだけの会社を希望している。つまり大学が終着駅となっていてこれからどう切り開いていくかということがなくなってしまった。だからニートやフリーターが出てくる。大学で自分はどう生きるんだ、何がしたいんだ、一体生きるって何なんだということを考える場を作りたい。それが大隈塾をつくった最大の理由です。

とにかく早稲田になぜ入りたいかというのは、いい会社に入れるということがある。しかしほとんどが定年を迎えたわたしの同期達は口々に「失敗した。もうちょっと欲張ればよかった」と嘆いている。今は豊かな時代であるから定年した彼らは本当に自分がやりたかったことをやり始めている。絵を描いたり、中国語を勉強して中国の歴史を調べたりといろいろある。とは言っても人生は好きなこと探しというのも間違い。

会社入って気に喰わないからすぐ辞める。しかしそれではいけない。例えば僕自身もそうだったが入った会社が気持ちよくない。これは誰しももっている感情である。ではそこでより楽しくするには自己実現するにはどうすればいいかということを考える。その職場が楽しくなればみんなハッピーになれるからね。そうなれば自分はその職場でさまざまなことができ、自分の注目や評価も上がる。続けていくうちにどこかに引き抜かれることだってあるかもしれない。つまりその場をいかに良くするかを懸命にやることによって会社の内外にアピールでき、自分がよりおもしろいところに行けるようになる。会社というのはここがイヤだと言って辞めたら成功しないと思う。他に引き抜かれるというキャリアアップという形で移るのはいい。前者のほうでフリーターやニートが生まれてくる要因の一つではないかと思う。

読売:リーダーとはどういうもだと、思いますか?
田原:伊藤忠会長の丹羽宇一郎さんと話をしていたとき、「伊藤忠は全部エリート社員にするんだ。」という話があった。僕は「全員、東大卒にでもするんですか?」と聞いたが、違うという。丹羽さんがいうエリートには3つの条件があるそうだ。

1つは自分で企画ができる。
2つ目はその企画を実現できる。
3つ目は失敗したら責任をとる。

僕はつまりこれがリーダーシップではないかと思う。リーダーシップとマネンジメントは違う。リーダーシップとは命を懸けるものであり、それにより人がついてくる。大隈塾ではそれを実現したい。

ただ、今でこそ違うが大隈塾が始まった頃は学生の雰囲気がひどかった。僕があいさつしても学生からは返事が返ってこない。僕がしゃべっているのに隣とおしゃべりしたり、パンを食べている学生もいたりした。(笑い)質問で手を挙げるのもまばら、こちらが質問してもはっきりと答えられないという状態だった。しかし、回を重ねるごとにそういったものはなくなり、質問時にはほとんどの学生が手を挙げ発言する。

学生に質問させることは話を聞いている理解している証拠となる、また質問のためにメモをとる。つまりメモをとる習慣がつく。そして毎回感想を書かせることをしている。感想を書くには頭で考え独自の意見を出すことになる。そのあとにいくつかのグループ分けディスカッションさせ発表会をする。また、大隈塾では政治家や著名人を講師に招くことがある。その話の中には学生が興味を持つことが必ずある。そのことによって世の中のことに対し見る目を持つことになる。

今の日本にはリーダーシップを持つ人間が少ないと思います。なぜなら、戦後リーダーシップは悪であったから。政治でも会社でも無難な人が必要とされた。明治初期にウイリアム・クラーク博士が札幌農学校滞在時(現北海道大学)に語った「青年よ、大志をいだけ」と言ったが、この「大志」が戦後は悪であった。というのも、戦争時の指導者が大東亜帝国なる大志を持ったために侵略戦争を起こしてしまった。そのため「大志」という言葉に悪いイメージがついてしまった。

つまり戦後の政治・社会を支えてきたリーダーシップ・大志を持たないというのが自民党の調和政治ということ。竹下以降ではその流れが強くなり、調和・マネンジメントの政治がずっと続いてきた。良いか悪いかは言えないが、それをこの間の選挙で小泉さんがリーダーシップを発揮したことにより終止符が打たれた。それが国民に受け入れられた。冷戦の間はリーダーシップ・大志を持つことは悪であったが、今世界の中で日本はどう生きるのかを本気で問わなけばならない。

またホリエモンの問題で多くがホリエモンは悪だというけれど、日本で談合をやっていない会社があるかと問いたい。ホリエモンより談合のほうが悪だ。かつて日本の商社は税金を払っていなかった。タックスヘブン(税金が無い、または税率が著しく低い国に投資すること)を使って税金を払ってこなかった。つまり国民としての最低の義務を果たしていなかった。大隈塾の学生にはそれを打ち破ってもらいたい。

早稲田の校歌にあるように現実だけではダメ、理想だけでもダメ。この両面を自分の中でうまくやっていくのか。これを主体性という。だから理想だけに生きているのがかつての日本の野党である。その反対が与党。現実だけであると腐敗と堕落。理想だけだと永遠の野党。現実をしりつつ理想を持つ者を育てるのが目標である。

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Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

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