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和歌山毒物カレー事件 死刑判決に異議あり
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和歌山毒物カレー事件 死刑判決に異議あり

 1998年に4人が死亡した和歌山市の毒物カレー事件の裁判で殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた林真須美被告の上告審判決が21日、最高裁第3小法廷で行われた。林被告は無実を訴え続けてきたが、那須弘平裁判長は「まったく反省していない」と一蹴し、上告を棄却した。同小法廷の判断により、林被告の死刑が確定した。

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 林真須美被告は最後まで容疑を否認し続け、彼女がなぜ夏祭りのカレーにヒ素を入れたのかという動機は最後まで解明されないまま、裁判は終結した。また、ヒ素の科学鑑定の結果を含む状況証拠は約1700点にものぼったが、彼女が真犯人であることを示す確たる証拠は一つもなかった。

 批判を承知であえて言えば、本人が容疑を否認し、確たる証拠はない。そして動機もない。このような状況で死刑判決が確定してよいのだろうか。

 私は、1審、2審が死刑判決を下したときも、裁判所はその動機を解明する役割があると考えていた。高裁までで動機の解明ができなかったのなら、最高裁は高裁へ判決を差し戻し、動機を解明する努力をすべきだった。

 ここで気になるのが、5月からはじまる裁判員制度との関係だ。そもそも裁判員制度が導入された理由は、検察・警察・裁判所がなれあっているのではないかという批判があったからだが、そこで民間人が裁判に参加することになった。だが、民間人が裁判員になった場合、仕事や日々の生活があるので何十回も裁判に参加することはできない。そのため、判決までのスピードが早まるだろうと指摘されている。

 たしかに、和歌山毒物カレー事件では裁判に時間がかかった。逮捕から1審判決まで3年以上かかり、計95回もの公判が開かれている。裁判で生活しているわけではない民間人からすれば、これでは生活ができなくなってしまう可能性がある。

 今回、動機不明・状況証拠のみで上告棄却されたことも、そこに理由があるのではないか。つまり、裁判長は裁判員制度を視野に入れ、裁判を迅速化したいという狙いがあったと私は考えている。だが、動機不明の死刑判決が下されたまま裁判員制度がはじまれば、「動機なんて解明しなくてもいい、スピードアップが大事なんだ」ということになりはしないか。最悪の場合、裁判を短くするために事件のある一点だけに審理を絞り、全容解明を行わなくなるのではないか。これは危険なことである。極端に言えば、「犯人さえ決まればいい」ということになりかねない。

 和歌山毒物カレー事件はあまりにもセンセーショナルな事件であったため、このような問題点を指摘する人はあまりいなかった。だが、私はあえて問題提起したい。この判決は問題ありだ。

構成:《THE JOURNAL》運営事務局

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» 日本の「報道の自由」は世界33位って本当?〜あなたの評価では何番目? 送信元 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)
CNNによると、【民主主義と報道の自由を守る運動を進める米NGOフリーダム・ハウスは1日、世界各国における報道の自由についての年次報告書を発表】したとい... [詳しくはこちら]

» 林真須美 送信元 忠如庵
 死刑が確定しましたね。  あたアホかと思われるでしょうが、私は反対です。  本人が一貫して容疑を認めておらず、証拠も状況証拠の積み重ね、動機も、本人が認... [詳しくはこちら]

コメント (15)

わたしはかねがね殺人事件の動機は被差別がトリガーだと思っていますので殺されない為に平等を広めたいとおもいます

死刑判決が出ても最後まで本人が認めていない事件等に関しては死刑執行が行われず獄中死させるのが問題だと思います。それは真犯人が出てきたら取り返しのつかない事になると言う頭があるのではないでしょうか?今回のカレー事件でも死刑執行はなく、獄中死するまで入れておくケースの様に思います。袴田事件なんかその象徴じゃないですか。

和歌山毒物カレー事件は確かに問題を含んでいることは間違いないが、何時か決着をつけなければならない。問題はこうだ。この不確かな証拠それも状況証拠において
この事件に現在の裁判制度の疑わしきは被告人に有利の法理を裁判官が適用する勇気、その無罪判決を国民が受け入れる勇気があるかどうかということだ。視点を変えれば、マスコミが作り上げてきた犯人像を再びマスコミにより無罪像を構築出来るかということだ。がまずそれはありえない。例えマスコミがその法理の適用の妥当性を流布しても、今度はマスコミにより国民は植え付けられた犯人像を壊し無罪判決を受け入れるほどの勇気は無い。もっともマスコミ自身無罪判決を認める蛮勇は無い。乱暴に言えば決定的証拠の無い死刑判決は国民総意のリンチにならざるをえない。ならざるえないとは、今更過去の誤解や誤報など検証したところで意味を成さない程に刻は過ぎている。いくら積み上げても状況は状況はでしかありえないが、裁判は必ず決着しなければ何事も収まらない、いわば世の中が動かなくなるということだ。いくら法の整備を行えども裁判は必ず誤った判断を含んだままでも結論を出さなければならないことを宿命とするシステムなのだ。これは裁判とはこのような矛盾を含むシステムであることを国民に十分教育してこなかった結果でもあり、国民も裁判は自分と無関係、言い換えれば人権や国家権力と十分向かい合ってこなかったツケでもある。その責任の一端はいうまでも無くマスコミにある。裁判は必ず誤った判断を皆無に出来ないことを肝に銘じることなく、これを監視する意図も無くお上に白紙委任状を出したままだ。
西松事件に見るマスコミ特にジヤーナリストは目に余る。今まで幾多の冤罪を見逃してきたか、指折り数えればがキリが無かろう。
結論としてこの死刑判決は法という名のは国民総意のリンチにならざるをえないのだ。
今また「小沢大悪人像」の構築に忙しい。

状況証拠とは便利な言葉で恰も証拠があるかのように錯覚をしてしまう。でも突き詰めてみればらしい以外の何ものでもない。

動機がなく、自白が無く、物的証拠もない。

アバウトな「らしい」で死刑にしてしまう司法制度とは、一種のリンチであり人民裁判と同レベルにあるのではないかと思う。

彼女が犯人でない可能性も残しながら、疑わしきは罰する死刑制度をこのまま温存して行くのだろうか。

田原さんのおっしゃるとおりだと思います。裁判員制度を導入するということはつまり、これまでの真実追及を旨をしてきた精密司法を捨て、「犯人さえ決まればいい」という制度を選んでしまったということです。ほとんど国民的な議論もないままに。

この事件、裁判の公平で言えば無罪判決が妥当だ。
だが実際は有罪であり死刑が確定した。
社会秩序維持、社会不安の排除を優先する高度な判断の結果であろう。
機構を維持する為の必要悪であると解釈するのが妥当でしょう。

確かに犯行の動機を知りたい、解明したいと思うでしょうが、無罪を訴えている被告人が答えるわけがないと思います。期待するだけ無理です。なにしろ被告人は「無罪を勝ち取ってカレー屋をやりたい」などと遺族の気持ちを逆なでして平気な人間ですからね。

田原氏はどれだけ、この裁判を見続け、この問題を語っているのか。田中角栄元首相のブレーンだった元通産事務次官のK氏のエネルギー戦略を下地にしたロッキード事件陰謀論に与し、ロッキード事件丸紅ルート公判を少しかじった程度で田中角栄無罪論を展開したことにきちんと論理的な説明を立花隆氏らに行ったのか。まったく行っていない。米国の公文書から、ロッキード事件の陰謀説を完全に否定した徳本栄一郎氏に対しても何も反論できずにいる。朝生でもよく見られるように、思いこんだら変に筋を曲げない独りよがりの性格を直して、きちんと提示された事実(裁判記録)を精査した上で語ってほしい。この裁判を語る以前に、どれだけ司法の問題について勉強しているんですか。まともに事件取材をしたことがあるんですか。

匿名さん 2009年04月26日 01:50

田原氏の記事は来る裁判員制度への問題提起としては間違っていないと思うのです。

>この裁判を語る以前に、どれだけ司法の問題について勉強しているんですか。まともに事件取材をしたことがあるんですか。

以上は匿名さんの文章を引用させていただきましたが、この文章がまさに、これから裁判員になる方に当てはまらないでしょうか?

「これから裁判員になる方」これは明日の自分自身かも知れず、私自身で言えばとても責任を取れる状態にはありません。

大谷氏の「裁判員制度にかけているもの」でも投稿させて頂きましたが、私も司法、法律の専門家ではありませんが、裁判に対する疑問は持っている一人です。これまでの多くの冤罪事件の根本には、警察、検察の「何が何でも犯人の逮捕」があると思います。それは当然として一般国民が望むべきことです。しかしそこの「警察、検察の威信」というものが差し挟み込むと、真実が歪められたり、覆い隠されたりすることになってしまう。そこが問題なのです。裁判での有罪か無罪かは、何が真実かを明らかにする事だと思います。ある理論を論破するべき問題ではないのです。時として「推定無罪」がどこかに置かれ、捜査、逮捕イコール犯罪人としてレッテルを張られ、全マスコミがそれに加担する。一般市民はマスコミを通じ、マスコミの顔としての論客の言葉を聞き、そのような情報の激流に流されざるを得ないという今日の状況を考えなくては成らないと思う。過去の総理大臣の逮捕、起訴は個人の金脈という問題追及という十分な下地の上に形成されて行った。当時の政治背景から言うと誠に好都合この上ないことであったと思う。「悪を追及する正義の英雄」かもしれないが、大いに利用されたことも事実なのである。裁判で争うのは何が事実かという事だと思う。すぐに始まる裁判員制度は、一般国民が「やらされる」のである。その一般国民が司法、法律の知識があるのか、これからも一般国民としての法律の知識(専門の)のない素朴とも言える疑問、問題に感じることの議論があってしかるべきと思う。それは、ジャーナリストは勿論問題をどんどん提起すべきであり国民全体の議論にする必要があります。専門知識が有るから疑問に思い、無いから疑問に思ってはいけないのだとしたら、「知らない者は口を聞くな」の論理になってしまう。「法の下に平等」と言うが法は誰を守るためにあるのか?今のこの国は決して国民を守るための法ではないと感じている。日本は平和憲法があるすばらしい国と思ってきたが、「海賊法」で日本の自衛隊が戦後初めて外国人に発砲し殺すことに成るかもしれない。芸能人が酔って裸に大騒ぎしている場合ではないのである。ゴールデンウイーク、定額給付金、高速1000円、ばらまき予算、お遊びの報道ラッシュ、その裏で何が進行しているのか良く眼と耳を研ぎ澄ましておくことだと思う日本人の馬鹿さかげんをこれ以上世界に曝さないためにも。

取調べの可視化、証拠の全開示、自白偏重の見直し、判検交流の撤廃
などに付け加えたい改善点。

マスコミの初期報道のあり方。
速報性を追求するあまり、リークの垂れ流しや憶測に基づく報道が多い。
コメンテーター諸氏も、「オピニオン・リーダー」の和訳が「世論形成者」であることを、もっと自覚して頂きたい。
明らかに「最初の定義者」効果が働いている。

そもそも、犯罪報道に速報性を求める意義は何だろう。
怪しい?人物を執拗に追いかけ回す取材は何のためか。
その情報を得ることで、読者や視聴者にはどんなメリットがあるのか。

野次馬根性に迎合して売上確保?
松本サリン事件の教訓は忘れられてしまったようだ。

田原さんのいう通り、裁判員制度のせいで審理が短くなってしまうのは問題。でも、裁判員制度が始まったら、95回も裁判やってられないだろうし、今回の判決がどうあろうと、現実的にはもっと審理は短くなっているとおもう。だから、今回の判決がどうというよりも、裁判員制度なんてものが最初から、おかしなものなのだろう。

個人的にはこの件については、有罪(死刑妥当)という心証が強い。「確たる証拠がない」といっても、自白と犯行目撃がない、つまり直接証拠がないという意味にすぎず、情況証拠が司法上の確たる証拠といえないとは思わない。情況証拠にもいろいろなレベルがあり、限りなく犯行を裏付ける証拠がそろえば、有罪の判断を下すべきであって、情況証拠だけだから有罪に出来ないわけではないし、しないべきでもないとおもう。

ただ、もっと慎重であるべき(争点を広げて、より時間をかけて審理し、動機をおぼろげながらでも推定するなど)であったとはおもう。

正義(検察)と正義(弁護)を戦わせる場所が裁判所だと思う。
もう一つの正義(司法判断)に国民全体の普通からそれてきている事を懸念して、
直接裁判に参加してもらい、世間の正義ですと言いたいのかも知れない。

しかし考えてもみれば、いくら公判前手続きが有って、論点整理されていたとしても、
その整理のされ方によっては、大きく判断が偏る様な気もします。

選ばれるべきは裁判員ではなくて、最高裁の一番偉い裁判官の人だと思います。
話を小さくすれば、10人位の集まりだったらそこに居る皆で判断すれば良いけれど、

1億人以上の集まり故にそれは不可能なので、
国民がこの裁判官の人ならば任せられると言う信託を受けた人がなれば、
裁判員と言う人が選ばれなくても、大半の人が出た判決に対して納得する様な気もします。

素人の考え方ではありますが、そんな気がします。
国民の信託(正義)を受けたプロの人が遣った方が良い様な気がします。
生意気言って済みません。

「和歌山カレー事件」だけではありませんが、「推定無罪」の原則が機能していないことに不安を感じます。
「1000人の犯罪者を取り逃がしても、1人の無垢の民を救う」ことが近代刑事司法の大原則である筈。主権者である国民はこの大原則が全うされることによって、はじめて国家権力に刑罰権を認めているにすぎない。刑事の場合、立証責任は国家権力(検察)にあり(そのため捜査権がある)、弁護側は検察の示した証拠に合理的な疑いを示せばよいだけの筈である。
「和歌山カレー事件」の場合、ヒ素鑑定結果(不純物が一致されたとしているが、他のシロアリ駆除業者が所有する砒素との鑑定作業もされていない)、真須美被告をの挙動不審とした証言の曖昧さと判断の曖昧さ等、弁護側から多くの合理的な疑いが示されている。そのことについて検察側から立証されることはなく、最高裁まで「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」としている。どう考えても「推定無罪」とすべきこの事案を「推定有罪」としてしまうのが現在の司法の現状である。裁判所は、すでに国民が許可した司法権を逸脱しているとしかいいようがありません(正統性を失っている)。
さらに、問題なのが権力の監視役であるマスコミが全く機能していないということです。記者クラブ制度のもと、権力側の情報をただ垂れ流す国家権力の広報でしかなくなっている。それは、今回の「小沢代表の秘書逮捕」問題で、余りにあからさまに示された。
裁判員制度云々を言う前に、この「推定無罪」の原則が蹂躙されていることが大きな問題であると思う。マスコミがそして何より国民がこの「推定無罪」の原則を理解し、権力をチェックしていくということができなければ、司法制度をいくら変えても同じことではないだろうか。
裁判員制度についてさらに言えば、公判前整理で「疑わしき証拠」は採用されず、裁判の迅速化の名のもとに権力に有利な証拠のみが採用される可能性がある。
そうなると、「推定無罪」の原則など有名無実なものとなってしまう。

いちいち投稿する事では無いのかもしれませんが、インターネットの時代とはいえ、わざわざ書き込みが出来る層というのは、まだまだ限られています。
日本をよくしたいと思っている人は、もうとうの昔に自分の為に生きていない田原さん同様、問題もあるが今のところ、小沢ー郎しかいないということは、誰でもわかっている事です。
ジャーナリズムに命を捧げているのはわかリますが、まだまだ日本には田原さんの力が必要です。
お身体を大切に無理のない様にガンバッテ下さい。

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Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

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