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金権政治は悪なのか?(後編)

 アメリカの大統領選挙では、自分が集めたカネの額を公表している。しかも、その多くは個人献金である。ところが、日本では個人献金が少ないので、政治家は企業からカネをもらうしかない。しかし、企業の社長にとって、献金したにもかかわらず会社に何も得るものがなかったら背任行為である。一方、献金によって得るものがあれば贈賄になってしまう。日本で政治献金をする人は、賄賂と背任の狭間で活動をしている。

 献金を集めることが難しいがために、カネの心配の少ない世襲政治家がどんどん増えてきた。そのためなのか、世襲政治家の多くが汚職とは無縁だが、大きな目標はない。

 昔の自民党がよかったなどと言うつもりはない。しかし、歴代の首相には、池田勇人の「所得倍増」、佐藤栄作の「沖縄返還」、田中角栄の「列島改造」など、「日本をこうするんだ!」というビジョンがあった。

 世襲政治家はそのような目標がなくても首相になれてしまう。これが日本の政治をどんどんダメにしている。

(構成:THE JOURNAL運営事務局)

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この一覧は、次のエントリーを参照しています: 金権政治は悪なのか?(後編):

» 「説明責任」って何ですか? 送信元 phrase monsters
観察 このフレーズを言う人のほとんどは、「訳を聞こうじゃないか」 と言う意味では言っていないと思う。 省略(忘れた) 考察 周りに居る一... [詳しくはこちら]

» 政治家には子供はいない。後継者がいるだけだ! 送信元 mochizuki(望月孝夫)の Many Monkus!
 国家の対立や利害を調整して国家全体を統合すると伴に、国家の意思決定を行い、これを実現する作用にまつわる権力の獲得と維持をめぐる争いおよび権力の行使に関係... [詳しくはこちら]

コメント (10)

あえて与党の議員職の旨みを選択せず、国民の為に悪者を見抜いて、あえていじめられ野党側で権力を揺さぶる志士に、今おおいに期待してるッス。
がんばれー骨はひろってやるー

日本では税金から政党に給付金が出される。これについて批判もあるが、私は、個人の政治献金が少ない(ということは国民の政治参加意識が低い)ので、やむを得ない過渡的措置として間接的に税金から出しているのだと理解している。腐敗に繋がりやすい企業献金を止めさせ、さらに税金による給付も少なくしていくには、企業経営者も含め個人が政治信念に基づいて献金する風土を創っていくしか手がない。

「これも法の不備? or 財界癒着政党の陰謀かな?」
ある政党に“貧者の一灯”の寄付をしようとしたのですが、ネットバンキングでの寄付はできませんでした。
政治資金規制法で匿名寄付が許されないことから“本人確認”が必要で、郵送で振込用紙が送られてきました。
したがって、日本ではアメリカの大統領選挙のように個人の少額の寄付の積み重ねで政治に反映させることは“仕組上”できにくいのですね。
腐敗し、たるみ、腐りきった与党政治家を見るときに、たとえ1,000円でも支持する野党のために献金したいという人は私だけではないと思うのですが。
投票所に行くことはもとより、個人献金も民意を反映させる大切な手段です。
なぜ、アメリカでできることが日本ではできないのでしょうか?
考えすぎかもしれませんが..これも財界癒着政党のサボタージュによる法の不備、もしくは陰謀かな? などと考えてしまいます。

「個人献金及びインターネットの利用に関して・・・」

政権与党は、インターネットの政治利用に関して後ろ向きのようです。
未だに告示後のウェブ上における政治家のPRは違反です。
献金に関してもネットバンキングできない日本は、とてもオバマのような人材が生まれる土壌ではありません。
私は、個人献金を年2回だけ、ごく小額ですがしています。ご指摘の通り、振込み用紙によるもので、面倒この上ありません。
総理ご自身が、ネット上でマガジンを出されているのに、可笑しいですよね。
自身の政治信条をあまねく知らせ、献金を仰ぐ事は、現在の日本においては、ごく普通の事に思われます。
それとも、財界からウン十億円の献金を受けている政権党には、個人献金が広がると、野党議員が潤って困るのでしょうか。
幸い、政権交代が起きれば、鳩山幹事長がIT議連をたちあげている民主党の事、変わるかもしれませんね。
だだ、インターネット投票に関しては、寝たきりの方やお身体が不自由の為、投票所に行けない方に限って行うべきかと・・・。
イージス艦の軍事機密を流失させてしまう位、セキュリティに鈍感な政府では、不正の温床になってしまうのでは、と心配です。
なお、田原氏の2世3世議員の温床となっている現在の政治状況と比較して、金権政治のほうがマシという論点には、まったくもって、批評する気にもなりません。
なぜなら、2世3世議員を大量生産してきたのは、自民党であり、野党では公募が多く、たまたま自民党出身の野党議員が2世3世なだけです。
あいかわらず政治=自民党という頭しかないのですね。
これまで、さんざん野党を批判し、自民党をヨイショしてきて、いよいよ自身の拠ってたつ土台が崩落寸前だから焦る気持ちも分かりますが、昔の金権政治の自民党はよかったなんて、ノスタルジーに浸っているようでは、「ジャーナリストとして、どうなんだ」と、いいたくなります。

田中康夫が現職で県知事選に敗れ、村井仁が当選した裏で村井陣営に多額の金がまわったらしく、一昨日、村井の秘書が調べられて自殺し口を閉じ、村井はおらしらねえといっている、自民党の金と自殺はずーと暗い暗黒政党のナンバーワンに流れているー次はどこにながれゆくー

結局、有権者の側が甘いのでは、と思うしかないです。週刊文春で上杉隆氏が指摘する様に、「後援会を継いで、小渕優子氏がタダで1億円余りを得た」とか、「赤城徳彦氏が国会が開催されていた事も知らずに、国会議事堂にふらりと訪ねた」とかありますが、私は
何か『この議員、変だな』と思い、別の人に投票しようとは思わなかったのか、と思います。
「候補者に金が潤沢に有る」だけ
では、理由に成らない様な・・・。

その位、つい最近まで日本は「お気楽」な状況だったのではないでしょうか。

同じ世襲国会議員の船田元氏は、
9年前に落選しましたが、破った相手候補の水島裕子氏や所属していた、民主党も執着心がいまいちなので、2003年の選挙では選挙区を奪回、2005年の選挙でも再選して、あっけなく水島氏は落選・引退、民主党は別の候補者からやり直しと言う破目に成りました。
こうなると、公認した民主党の方
に問題が有る様な気がします。

金が無ければ選挙が出来ない事は
言うまでもありませんが、結局
良かれ悪しかれ「執着心」「意気込み」であり、有権者がどう判断するかは誰にも解らないと思います。

「世襲議員」はあくまで他人です。親戚が凄い人だからで、彼等
が「最低限の能力・知識を施されているだろう」と言う思い込みは棄てる事です。

「ストーカー」程ではありませんが、結局各候補者を「問い詰める」しか、方法が無いと思います。

一番の悩みは、どんな主義・主張であれ、立候補者が「議会制民主主義を何処まで理解しているか」で、「候補者としても失格」であり「立候補を辞退させる」目安が解り難い事です・・・。

現在の与党の衆議院が、「儀式」
っぽくて、「2/3があるから良いや・・・」と堕落していますから
ねえ・・・。

その延長線で、「一院制」の議論
が出て来たので、始末に終えません。

金権選挙は基本的には悪だ。政策の善し悪しで投票するのではなく、「金をくれる人」に投票しようとする有権者が増えるだけで、政策で勝負する人間を政治から遠ざけている。政治家が階級社会化しないためには、まともな人間を政治に送り込もうとする人たちが立ち上がるしかないのだ。

投票は利他精神の発露であるべき
 力のある人は、いかなる困難な状況下でも、自らの人生を切り開いていく。
 力のない人は、周りが「そんなに厳しくはない」と感じる状況であっても、挫折し、立ち上がれない。
 「公=周りの人間」の役割は、力のない人の「今」を支え、「未来」への希望を与えることで、「力のある人」へと脱皮してもらうことである。この方針は普遍的であるべきである。
 「力のある人」の割合が多くなり、したがって「力のない人」を、無理なく支えられるのが成熟した社会である。
 さて、田原氏の論点は、「ビジョンなき政治家が増えるくらいなら、金権であれ何であれビジョンのある政治家にでてきてもらったほうがマシだ」ということと推察する。
 選挙民が「ビジョンのない政治家」を選んでいる実情がある。残念ながら多くの選挙民は「ビジョンのない政治家」は、「野菜を置いていない八百屋さん」であることに気付いていない。
 選挙民が、「政治とは何ぞや」を理解し直すこと抜きに、政治家像を語っても無駄である。
 政治とは、家族や御近所といった小さな「公」の延長線上にある「大きな公」の方針ないし行動を指す。大型船の操縦士は小型船の操縦ができるだけでなく、大型船特有の操船の困難さを理解し、練達していく必要がある。
 大型船の操縦法を知らない大多数の選挙民が、政治家という大型船の船長ないし乗組員を選ぶのだから、選挙民に分かりやすい、身近で普遍的かつシンプルな選択基準を、例えば小学生の段階から繰り返し教育する必要がある。
 そのような基準とは何か。
 「投票とは、仲間10人を見回して、自分には一見不利かもしれないけれど、他の9人にとって益となるようなことをしてくれる人を選ぶこと。自分には有利でも、他の多くの人を犠牲にするような人は決して選ばないこと。」これに尽きると思う。
政策を選ぶのではない。政策という服を着た人格を選ぶのである。
 人は追い込まれれば助けて欲しいと思う。社会で何らかの失敗をした人は、どうしても自分に有利なことをしてくれそうな人を選ぶ。しかしそれでは個人も社会も成熟しない。
 だから大人ほど切羽詰っていない幼いときから、「公は弱者を救うためにある」ことを刷り込んでいく必要がある。それが高い精神性を持った、自立した個人を育てることにつながる。そして彼らがより成熟した社会を作り上げていってくれるであろう。
 「ゆるぎない強者」など存在しえないダイナミックな21世紀の日本に、世界に生きている私たちは、このような根本的かつ普遍的な事実を、子供たちに伝えていく必要性があると、強く感じる。

0か1ではなくて、0と1の間を許して、皆が公平だと感じられる政治を目指しましょうと言って、この法律はできたと思います。そう言う趣旨なのに、実際は違う方を向いている様に感じているから皆怒っているのではないでしょうか。
素人考えで済みません。

田原総一郎様

 金にまつわる問題を考える上で、ロスチャイルドやロックフェラーなどの大富豪を生み出し、国際政治にも多大な影響を与えており、また、「契約の民」といわれるユダヤ民族の、次に引用すような格言は、貴重な資料になると、私は思量します:

>― 「ユダヤ格言集」より間接的な引用始め ―

 体は心に依存している。心は財布に依存している。
 お金は悪でも呪いでもない。それは人を祝福するものである。
 人を傷つけるものは三つある。悩み、諍い、空の財布。其のうち空の財布が最も人を傷つける。
 聖書は光を投げかけ、金は暖かさを投げかける。
 金貨が鳴れば悪口が静まる。

 成功の扉をあけるためには、押すか引くかしなければならない。

 金によって開かない門はない。

 大金持ちに子供はいない。相続人がいるだけだ。

 客と魚は三日もすると悪臭がする。

― 引用終り ―<

 ユダヤ民族が、神との約束事を記した“トーラー(律法→旧約聖書)”を、日本政府(立法府・司法府・行政府)が、国民との約束事を記した“日本国憲法”に置き代えて「憲法は光を投げかけ、金は暖かさを投げかける」として、類推解釈をすることができます。

また、“大金持ち”と“大政治家”を置き換えれば、「大政治家には子供はいない。後継者がいるだけだ」として、類推解釈をすることができます。

さらに、「客と魚は三日もすると悪臭がする」は、政治活動に資す金銭や物品の提供と収受に関係して「中庸な利益がなければ、長期間に亘ってよい状態を保持できない」と拡張解釈をすることができます。

 ここで、いわゆる「金権政治」とは、金銭の力によって支配してゆこうとする政治であり、強い経済力をもつ者によって支配される政治のことを指すが、一方、法に基づく正義の力によって支配してゆこうとする政治は、強い権力をもつ者によって支配される政治であり、何れにしても政治に金がかかるのは必然的な現象であるから、要は、何者が、何時、何処から、何(金銭や物品)を、如何いう名目で、何故(政治活動に資すため)に集めて費やすかについて、政権の獲得と維持をめぐり争う段階(端的には選挙運動)と、政権の行使に関係する段階〈端的には当選後の議員活動)での資金の勘定は区別して考え、適切に管理・規正すべきであると、私は思量します。

尚、政権の獲得と維持をめぐり争う政治活動(端的には選挙運動)に資す金銭や物品には一切公金は投入せずに規制もせず法律の範囲で許容される随意の行為とし、一方、政権の行使に関係する政治活動〈端的には当選後の議員活動)に資す金銭や物品はすべて国会議員・国務大臣・副大臣・政務次官など公務員の報酬や交通費、調査費、報告費などの名目で支給する公金で賄うという、公正な原則を設けるのが、汚職を防止する有効な対策になると、現実を見ない机上の理想主義の視点から、私は思量します。

 政治活動に資す金銭や物品についは「自由・公正・明朗」の原則を尊重し、「政治と金」にまつわる現象は、多次元の説明変数が絡み合って織り成す社会問題であり、政治上・道義上の中庸は、勘定的な目的および主効果ならびに交互作用を確実な分析・解析・説明ができる情報を明朗に記載して公表する収入と支出の報告書を基に、其々の国民が自分の頭で論理的に考えて、合理的な結論をだすべきであり、政治家と提供者の結びつきの強弱や金額の多寡を感情的に論う「マスゴミ」の垂れ流しはゴキブリの繁殖を助長するだけで、汚職の防止に対しては有害無益だと、私は思量します。

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Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

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