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2007年7月20日

マスコミにいじめられる安倍政権

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(2分38秒)

参院選挙まであと残りわずかになりましたが、安倍政権への逆風はいまだやむ気配がありません。7月13日の時事通信の調査では支持率が25.9%まで下落し、政府与党は危機感をつのらせています。

《ざ・こもんず》では現在の自民党大逆風の状況を分析してもらうため、田原氏に直撃インタビューを決行!

田原氏は現在の状況が「安倍イジメの構造になってきた」と分析します!

(文責:《ざ・こもんず》運営事務局)

2007年7月 8日

私が一番好きな宮澤さんのエピソード

●田原氏による講義のまとめ

 大隈塾2003年前期の授業で一番感動した、と多くの学生たちが感想文に書いていた。改めて、マスコミの功罪、私もマスコミの一員として特に罪の部分を痛切に感じた。

 というのは、学生たちのほとんどが、実は宮澤喜一という政治家の名前は知っていたと。総理大臣、大蔵大臣を歴任した人だと。しかし宮澤氏は政治家としては力量のない、実行力もない人だ。つまり政治家としては一流とはいえない、と考えていた。

 ところが、宮澤氏の話を聞いた学生たちは、宮澤氏はまさに戦後史の生き証人であり、戦後日本の重要なターニングポイントでとても重要な役割を果たしてきた。しかも、その一つひとつを鮮明に覚え、簡明に説明をしてくれたと。そこで、いかにマスコミが作った宮澤像が虚像であったか。そんなことを学生たちに教えられた。これはとても重大な指摘であった。

 まさに今、情報化社会の中で、情報が氾濫し、誰もが情報をより正確により的確に、より深くとらえていると思っているが、それは誤解である。つまり、情報化社会というのはある意味では、虚像がどんどん増幅していく社会でもあるのだ。その恐ろしさを、私白身がこの授業で思い知らされたのだった。

 一方、宮澤氏は自身の政治哲学を、「日本を間違った方向に行かせないこと」と語った。これは、学生にはピンとこなかったようだ。宮澤氏は、太平洋戦争は間違っていたと。負けるに決まっている戦争に日本は突入してしまったことを、彼は痛烈なまでに責任を感じているのだ。だから、世界のリーダーになる、清廉潔白でありたい、という空虚な哲学ではなく、二度とあのような愚かな政治決断をしない、日本を間違わせない、という哲学を抱くようになったのだ。

 そんな宮澤氏のいくつものエピソードの中で、私が一番好きなエピソードがある。戦争中、東京の空襲で宮澤氏の自宅が焼けてしまった。全焼してしまった。そこへ、ある新聞記者が尋ねていった。宮澤さんは、焼けた家の庭で、一人でウイスキーを飲んでいた。それを見た新聞記者は感動した、と。当時、ウイスキーは敵性飲料とされていた。

 このエピソードの意味は、学生諸君、読者諸氏のそれぞれ感じたままに委ねるとする。

『田原総一朗の早大講義録―政治・経済のカラクリ』
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2007年7月 7日

《追悼・宮澤喜一氏》宮澤元首相の最終講義 in 早稲田大学(3)

※この講義は2003年に行われたものです。

首相である自分でも不艮債権問題は解決できなかった。
  予見する力があっても、賛同が得られなければ実現できない。

田中愛治:バブルが崩壊した91年から93年にかけて、宮澤さんはいち早く不良債権の処理が大きな問題になるとお考えになって、日銀の三重野総裁(※1)に不良債権の処理のために公的資金導入の話をつけていたということがいわれています。日本はその時に不良債権処理をしていたら、今のような経済危機には陥っていなかったと思いますが、ご本人としてはいかがお考えでしょうか。

宮澤:92年の8月に株が暴落をし始めました。私は、この暴落には困ってくることがある、金融機関の不良債権が累積しているからだと考え、何とかこの株式市場について対応しなければならないと、自分一人で思った。

 しかし、それは公にいうことはできないので、日銀総裁とだけはご相談をしました。そして、「どうも自分としては、何とかしなければならないと思っているんだけれども、もしものときは」といいましたら、日銀総裁は「それはよくわかっております」というふうなお話であった。それは軽井沢と東京との間の電話でのことでございました。したがって、そういう対策として何かをしなければならないということは、日銀総裁も当時思ってくれておったわけです。

学生:宮澤さんは、不良債権の処理に政府が介入しなければならないと、実際に介入する何年も前から思いつかれたわけですが、どうすればそのような先見の明か養えるのですか。

宮澤:誰でも済んだことを話すときは、先見の明かあるようにいうものですよ。私があのときそう思ったのは確かだけれども、しかし、みんなが反対してもなぜ、一人ででも総理大臣がやれなかったのかといわれると、私はどうも何ともいいようがありませんな。総理大臣じゃないかと、自分がいったことをそのとおりできなかったのは意気地がないじゃないかと。そういわれれば、そうでございますというほかはないのですね。

 ただ、関係者が全員賛成でないときに一つの政策を行うということは、実際上できないことですね。だって、たった一人ですよ。あとは大蔵省も銀行も財界も自民党もすべて反対だったのですから。ですから、私はそうりっ意味で、どうも自分の思ったことができなくて残念だったと。しかしあのとき、ほかに不良債権の処理をやれる方法はなかったな、と今でも思っています。

学生:一国の政治を担うとき、どのような政治哲学をもって政治にあたってこられたのか。その理念、哲学といったものをお聞きしたいと思います。

宮澤:私の場合は、決して十分だと思っていないのですが、日本を間違った方向に行かせたくないと。ある意味では、消極的なものですね。どうしてもっといいほうにどんどんもっていくことを考えないのかとおっしゃるかもしれないが、告白をすれば、積極的なことよりは、どうかそういう間違いだけは起こしたくないと、そういう気持ちに支配されていました。

田原:間違った方向って、どんな方向ですか。

宮澤:それは、やっぱり自分が考えて、そいつはちょっと国の将来のためによくないなといったようなことが、世の中にはいくつかありますから。

田原:できれば、そのいつくかのなかの1つか2つ、伺いたいんですが。

宮澤:いや、それはちょっとなかなかいえない。突然そこだけを取り出していうと誤解を生みますから、なかなかいえませんけれども、将来日本が平和国家として歩き続けるためには、今ここでそうすると障害になるなといったような種類のことが、例えば「間違ったこと」ですね。

日米同盟は主従関係ではない。
  価値観の共有によって日本の繁栄が生まれた。

学生:日本の外交は、基本的には対米追従型で、独立国として成り立っていないのではないかなと、私は思っています。そこで、日本はこの50年、外交、それから経済、軍事において、果たして独立国なのか。形式的ではなくて実質的に独立国なのかどうなのか、ぜひお伺いしたいと思います。

宮澤:日本はアメリカと同盟関係にあります。日米安保条約は軍事的な性格のものですけれども、その基本になるのはやっぱり価値観だと私は思っているんです。つまり、価値観が日本とアメリカは基本的に同じだと。同じ価値観に基づいて考え、行動することができるので、そういう国と同盟関係を結んだんだと。こういうふうに考えるべきだと私は思っているんですね。価値観の違う国と同盟関係を結べといわれても、結ぶわけにはいかない。基本的に価値観が同じだとすれば、ほぼその時々の選択が同じ方向をとるということは、これは一般的にいえることだろうと思います。

 しかも、そういう両国の間での衝突が起こらないように、お互いに配慮するということも大事なことであって、そういう意味で同じ価値観に基づいて戦後何十年、ここまで生きてきたというふうに私は思うんです。そこまではよろしい。

 あなたのお尋ねは、しかしそうであってもだ、自分の国の安全というものを、よその国の力に頼るということは本当の独立ではないではないか、ということでしょう。そうであれば、昔ならともかく、今の時代に自分の力だけで独立をまっとうするという国は現実としてないわけであって、NATO(※2)を見てもわかるように、みんなお互いに気持ちの合った国同士が助け合っていくということで、それぞれ独立が保たれている。そこまでは、お返事してもいいだろうと思うんです。この日米安保体制というのは、われわれが生きてきた時代には大変いいものであった。日本のためにもなったし、アメリカと価値観も同じゅうしてきた。私は、これでよかったんだと思います。

 それでもなお突っ込んでいえば、しかしもっと純粋に、弱くても何でも自分の力を持って独立をまっとうすべきであろうという議論になれば、それはこれからみなさんが何十年後まで生きていかれて、社会をリードしていかれる、そのみなさん方の時代になって、日本という国をどう考えるか。他人の傘の下に入って自分の安全をまっとうしているというのは、それは、独立とはいわないと。仮にナショナリズム(※3)と呼ばせていただきますけれども、そういうナショナリズムの高揚があって、それから日本の周辺の国々の動向、自分の置かれている立場を考えると、そういう意見も起こってくる。そのときに、国民がどういう判断をされるかということは、これはこれからの問題だというほかありません。

 私はそういう場合にもなお、断じてそのような考えを持ってはならないといおうとしているのではありません。日米安保体制というものは、1951年から始まりましたから、今年で52年目でしょうか。ここまではほぼ日本の国も繁栄したし、いい国になったと私は思っている。国の安全もまっとうしてきた、ここまではよかったと思っています。しかしさて、これから何十年という時代の日本について、私は今、何かをいおうとしているわけではありません。

学生:今の日本では、憲法の問題や防衛の問題や経済の問題、いろいろ問題があるなかで、宮澤さんは特にどの問題に危機を感じておられますか。

宮澤:難しいお尋ねですけれども、私はこれから何十年という日本を考えていって、一番注意してつき合っていかなければならないのは中国だろうと思います。といいますのは、隣国の中国がこれから先どうなっていくのかというのは、こちらから何かができるかということではないものですから、これは非常にわれわれとしては注意をしていかなければならない。絶えず念頭に置いていかなければならない大事な一つの条件だろうと思います。

田原:宮澤さんととても仲のいい、アメリカのキッシンジャー(※4)がよくいっている言葉がある。ゴルバチョフ(※5)がソ連を共産主義から民主主義に変えようとした。そこで、ソ連は正しいやり方をした。つまり、政治を変えてから経済を変えると。政治を民主的にして経済を変えた。失敗しちゃった。中国は、理屈からいえばムチャクチャなことをした。政治はそのままで経済を自由化した。結果的に成功した。

 そこでキッシンジャーは、「ロシア人は正直すぎた。中国人は、ヒューマニズムや正しいとか間違っているということは、ほとんど考慮に入れない冷徹な政治家である」と、こういうことをキッシンジャーはいっています。だから、いいですか、宮澤さんはそういう中国がどう変わるか、何をするか今一つ見当がつかない、ということをおっしゃっているわけですよ。

国は企業とは違って利益を追求する団体ではない。
  コストを負担するのは当然だが、無駄があってはならない。

学生:先ほどおっしゃったように、政府の目標は利益を出すことではない、社会の安定と成長を実現することであるというのは確かだと私も思うんです。しかしこれからは、政府にもコスト感覚を持って業務を行うことが求められているのではないかと思います。政府の内部に、もっと民間企業のような競争原理、コスト感覚を導入することについて、宮澤先生のお考えをお聞かせください。

宮澤:わかりました。2つのことは言葉が似ているんですけど、私はその2つは違うことだと思うんですね。つまり、企業というのは利益を生むことが目的であると。むろん、社会に貢献するとかいろいろなことが副次的にありますけれども、基本的には利益を追求するということです。

 私かいおうとしたことは、それに対して国というものの基本的な目的は、そういう金銭的な利益を追求することではない。おっしゃっているように、繁栄であるとか平和であるとか自由であるとか、国民生活においてそうしたものを実現していくのが国の目的であって、そのためには金銭的に国が損をすることも当然ある。そこが国と企業の違いであるということを申し上げました。そこで、しかしそうではあっても、国の一つひとつの政策はエコノミカリーに行わなければならない。これは方法論として、私は当たり前のことだと思うんですね。

 つまり、今あなたのおっしゃっていることは、国は確かに利益を目的とする共同体ではないけれども、それにしても無駄ばかりしているじゃないかと。確かにそのとおりで、私も、無駄があってはならない、その目的を追求するための方法は無駄のない方法であらなければならないと、こう申し上げたつもりです。

田原:もっと議論をしたいと思うのですが、時間が来ました。一つ、みなさんに申し上げたいのは、宮澤さんは戦争に負けた経験を持っていらっしゃる。つまり、大学を卒業して大蔵省に入って、国の役人、行政府の一員として敗戦を経験した。ああいうばかばかしい戦争はやるべきではないと、これが宮澤さんの政治目的の一番の中心になっていると思います。ああいうバカバカしい悲惨な戦争をやるべきではない、そういう国にはしたくないということでやってこられて、宮澤さんはそれをずっと守ってこられた。ただ、新しい時代になって新しい世代が、これは戦争も知らないし、いろんな苦労も知らない世代が、さあどういう世の中をつくっていくのか。宮澤さんは、これについてとやかくいうつもりはないと。宮澤さんはとやかくいわないとおっしゃっていますが、私はとやかくいうつもりでおります。終わります。

~講義のまとめに続く~


※1 三重野総裁
三重野康(みえの・やすし)。24年大分県生まれ。47年東京大学法学部卒業後、日本銀行人行。松本支店長、総務部長、営業局長、理事、副総裁を歴任し、89~94年、第26代日本銀行総裁を務める。急激な金融引き締め政策でバブル崩壊の原因をつくったとして、批判する声も多い。

※2 NATO
北大西洋条約機構。冷戦が激化した49年、西ヨーロッパ10カ国とアメリカ、カナダでつくった集団安全保障体制。冷戦後は旧東側のハンガリー、チェコ、ポーランドの加盟を承認し、地域紛争を含めた危機管理型の安全保障機構へと性格を変えている。

※3 ナショナリズム
国民主義、国家主義、民族主義などと訳される。近代国家の確立期には国民主義、20世紀前半にはファシズムの原因ともなった国家主義、戦後は植民地の独立を促した民族主義へと形を変えてきた。日本では90年代以降、小林よしのり氏、石原慎太郎氏など、右寄りの論客の活動が活発になり、多くの国民に影響を与えている。

※4 キッシンジャー
Henry A.Kissinger 23年ドイツ生まれ。38年にアメリカに移住。ハーバード大学院卒業。69年ニクゾン大統領補佐官に就任。71年国家安全保障問題担当として極秘裏に訪中し、72年ニクソン大統領の訪中を実現させた。フォード大統領のもとでは国務長官を務め、77年辞任。73年にはノーベル平和賞を受賞している。

※5 ゴルバチョフ
31年生まれ。85年ソ連共産党書記長に就任。ペレストロイカ、グラスノスチ、民主化、新思考外交など数々の改革を実践。90年にはソ連初代大統領に就任。91年、保守派によるクーデターに遭遇し宿敵エリツィンによって救出されたが、エリツィンらがソ連邦を解体したため地位を失う。冷戦終結のきっかけをつくった功績からノーベル平和賞を受賞。


『田原総一朗の早大講義録―政治・経済のカラクリ』
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2007年7月 5日

自民の議席は44から47議席の間

 今度の参議院選挙での自民党の獲得議席は、44から47議席の間ではないかと思う。

 44議席というのは、1998年の橋本内閣での参議院選挙の結果で、これが「惨敗」と酷評されて橋本龍太郎首相は退陣した。

 ならば、そうした惨敗を喫すれば安倍晋三首相も辞任、内閣総辞職かというと、これもないだろう。惨敗しても、安倍首相は「参議院選挙は中間評価だ」といって政権の座に居続けるだろう。というのは、参議院選挙の責任者は総理総裁ではなく、参議院会長、あるいは参議院幹事長にある。前者は青木幹雄氏で、後者は片山虎之助氏であり、たとえ負けてもこの二人がそれぞれの役職を辞任するとは考えにくい。だったら私も、ということで安倍総理も留任する。

 しかし、それで自民党内が治まるものでもない。私は、8月か9月に大きな動きが日本の政界に起こると思っている。

2007年7月 4日

久間防衛相の辞任と参議院選挙

 前任者の小泉首相は、自分の内閣の閣僚を選ぶにあたって、冷徹なほど厳しく検討をした。いわゆる「身体検査」で、小泉さんの人事は「サプライズ人事」といわれているが、ただのビックリ仰天人事ではなく、飯島秘書官といっしょに非常に入念に検査をして、その身体検査を通った人だけが小泉内閣での大臣になっていった。

 その意味では、安倍首相はトップとして危機管理が甘かったというよりほかない。

 ただし、今回の久間防衛大臣の辞任が参議院選挙に影響するかというと、私はそれほどの影響はないと見ている。というのは、今のメディアは安倍首相が何をやっても批判する。おそらく久間大臣が辞めなくても、安倍首相を叩くだろうし、辞めさせても「遅きに失した」と叩いている。国民はそんなメディアを見抜いているし、すでにどの党に、誰に投票するかは決めているだろうからだ。

Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

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