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田原総一朗はこう語った(6)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

どうして誇り高く生きていられるのか?

学生3:貴重なお話、ありがとうございました。私も、大学に入るにあたってちょっと親とけんかして、生活費と学費の一部を自分で支払ってます。ときどき、そのお金を得るのにすごく手一杯になってしまって、極端にいえば生きるだけで手一杯なときがあります。そうすると、やっぱり、誇り高く生きようとか、勉強しようと思っていても、見えやすい権力とか地位のある身分とかに惹かれてしまう部分もあって……。田原さんのようにどうしてそんなに権力を恐れすに誇り高く生きていられるのか、ジャーナリストとしてということももちろんありますけれども、一人の人間として、どんなふうに誇りを高く持って生きていらっしゃるのかをぜひお伺いしたいと思います。

田原:そんなに褒められても困るんですけど(笑)、これは、堀紘一さんが授業でいったことですが、向上心は持つべきです。絶対持つべきです。向上心というのは、会社で偉くなることとはほとんど関係ない。自分がやりたいことをいかにやり遂げるかということですね。 それからもう一つ、堀さんのいった「粗にして野だが卑ではない」と。この「卑ではない」というのが一番大事です。早稲田大学は「粗にして野」ですよ。慶応義塾大学のほうがそのへんはしゃれてますよね。でも、粗にして野でも、「卑ではない」という部分を持っていなければいけない。卑というのは、たとえばお追従、お世辞を使わない。ジャーナリストの中でも、政治家にお世辞をいう人がいます。あるいはお世辞だけじゃなくて、何かいろいろと働いてあげる。そういうことをやっといて何かを得る。これは卑ですよ。それから、たとえば会社でも偉くなるときに、他人の悪□をいったり、他人を陥れて出世していく。これ、実は多いんです。これは卑です。「粗にして野だが卑ではない」。早稲田に来た人ならそれだけは身につけてほしい。

岸井:私もそれに賛成。社会に出てからも、「卑ではない」を身につけられるし、「卑ではない」がどんどん進歩していくこともあるかとは思うけれど、「卑ではない」はほとんど学生時代に決まる。いろんな人を見ていると、卑にならないという一線を守れるかどうか、これは社会に出てからではだいたい遅い。そこは、よく知っておいたほうがいいと思う。

交渉力や人を引きつける話し方は、努力で獲得できるか?

学生4:先生は、企画力があったからこそ成功できたとおっしゃいました。そのための交渉力というか、人を引きつけるような話し方というのは、小さいときからあったのか、それとも、長年の経験を積んでいってさらにパワーアップしていったのかなと疑問に思いました。交渉力などは努力次第でどうにかなるものなのでしょうか。

田原:努力だと思う。相手が根負けするまで交渉することです。これは私の例じゃなくて、もう亡くなった日下雄一さんという「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系列の討論番組)のプロデューサーの話です。

 昭和天皇がご病気だったころ、世の中はみんな自粛ムードになって、街のネオンサインもつけないし、音楽も流さない状態になった。歌舞音曲の自粛、といってました。

 その自粛の最中に、もうそろそろ危ないといわれたときに、私は日下さんに、「朝まで生テレビ!」で今、天皇をやるべきだといった。昭和天皇の戦争責任をやろうじゃないかと。周囲は「エ-ッ? こんなときに」と。当たり前ですよね、それこそこれはタブー中のタブーです。それでも、日下さんはとても偉かった。テレビ朝日の報道局長に、天皇の問題をやりたいといった。「ばかもん! できるわけないだろう!」と断られた。日下さんは僕と違って押しが強くないから、「わかりました」と引き下がってきた。彼の偉いところは、翌日また局長のところへ行くんです。「天皇をやりたいんですが」「ばかもん!」、また下がってくる。でもまた翌日行く。本当なんですよ。これを毎日、二ヵ月続けるんです。そうすると、相手も「いつまでこれをやられるんだろう」と思うものなんです。

 それで、2ヶ月の最後のころ、私が参加した。相手は相当まいってるんです。そこで私は、「何でだめなんだ」。「こんなときにやったら大顰蹙を買う」「誰が顰蹙するんだ」「それはもうあちこちだ」「じゃあ、顰蹙を買わないようにすればいいか」と、ますやるわけです。

「そんなことはできないに決まってる」「絶対100%顰蹙を買わなくする。もしも非難されたら、プロデューサーも私も辞める」という話になって、そういう話を10日ぐらいやる。それで、日下さんと相談して、天皇はやめたといいに行く。局長はほっとするわけです。当時は韓国でオリンピックがあった。だから「オリンピックと日本人」というタイトルでやることにしました、「それはいいね」と。「ただし、朝まで生テレビ!は生番組だ。生放送途中で何か起きても、あなた、何もできないよね」と。局長は不安そうな顔をして、「どうするつもりなんだ」と。「私はあなたをだますつもりだ。途中で内容を変える。あなたは知らなかったふりをしてくれ」という話をした。それをまた三日やりました。結果としては、「知らなかったことにしてくれ、ということも知らない」ということで落ち着きました。

 いよいよ本番です。最初の30分ぐらい「オリンピックと日本人」をやったんです。ちゃんと金メダリストも何人かパネリストとして来てもらった。途中で私が、「やっぱり話題が違うんじゃないか。こんな時期は2度とないんだから、今日は天皇問題をやろう。戦争責任までやろう。どうか?」といった。みんな、「賛成」。そこで、金メダリストには帰ってもらって、議題をオリンピックから変えました。

 ここからが面白いんです。コマーシャルが終わって、放送が始まったんだけど、誰もしゃべらない。テレビの生放送で堂々と天皇問題を論じるのは、日本で初めてだから、怖くて誰も議論しようとしない。私は一生懸命にパネリストたちに水を向け、質問をするんだけど、当たり障りのない短い答えしか返ってこない。しばらく経って、日下さんがたまりかねて、CMを入れた。スタジオに出てきて、「あんたたちがやりたいというからやったんじゃないか。あんたたち、まるで皇居マラソンじゃないか。皇居の周りばっかり走ってる。マラソンじゃないだろう? 中へ入りたいんだろう? やったんならきちんと責任持ってやるべきだ」といった。そこから、薄氷を踏むように天皇問題の核心に入っていきました。当然ながら、視聴率はとても高かった。

 テレビ局というのは結果よければすべてよしで、その年の大晦日の「朝生」は、今度は局からぜひ天皇でやってくれという。で、2度目の天皇問題で「朝まで生テレビ!」をやりました。これは、(その時点では)前代未聞の7%の視聴率を取りましたけれど、そういうものなんです。要するに、しつこさ。それから、自分にきちんとした覚悟があるかどうか。それとやっぱり、粗にして野だが卑ではない。絶対に卑しいことはしない。

 もう一つ。これも堀紘一さんがいっていたように、今は夢がない、展望がないという。だからいいんです。世の中に夢なんかあるわけない。世の中に夢があるというのは天国の話です。世の中が問題をいっぱい抱えているから、その問題をどうやって私がなくしてやろうかと奮い立つ。いじめが多ければ、いじめの問題にどう取り組めばいいのか。ジャーナリストになるのか、政治家になるのか、それとも学校の先生になるのか、いろいろありますね。そこから自分の進む道も出てくる。これが夢なんです。

 つまり、世の中に問題点がいっぱいあるからこそ、それを解決しようというのが夢になる。これがいってみれば国の強さにもなるんです。だから、夢というのはそこらへんに浮いているものではない。それは自分が持つものであり、自分が切り開くものなんですよ。ここを本当に大事にしてほしい。

 私が早稲田の校歌で一番好きな部分は、「現世を忘れぬ久遠の理想」という部分です。理想だけを追い求めると空理空論になるんです。現実だけだと「粗にして野だが卑ではない」の卑になってしまう。現実を踏まえながら、現実に根づきながら、自分の理想を追う。ここがやっぱり早稲田の学生、あるいは卒業生の基本的な精神だと私は思う。それが夢なんです。

 

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コメント (2)

卑弥呼になんで卑がつくのかこれは当て字か意味なし音かな (人間カイタあとは卑ぽくなるよなこの話題は卑だ)じゃあためれば卑から遠のく これは生理的な卑じゃ 

浄土真宗の経 現世利益和賛が早稲田の校歌に込まれていたのじゃ

「現世を忘れぬ久遠の理想」
これからも企画できることをついに発表します それは世界中で売りまくる車を今のような大排気量車はやめて 40年前にすでに完成していたトヨタパブりカのような省エネ車をさらに進化させ360CCエンジンでいくべきでしょう 田原さんトヨタのトップ知り合いですのでこれを強く推進企画してください そして私の取り分のギャラの90%は熱帯雨林保護に使う覚悟です

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Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

→ブック・こもんず←


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