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田原総一朗はこう語った(5)──田原総一朗流 再チャレンジ人生

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『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)

ねらって、ねらって、まだうまくいかない約2名
 
 その東京12チャンネルを辞めたこともまた、世間に波風を立てたことが原因なんです。そしてこれも、今の私に大いに役に立っている。

 12チャンネルに勤めながら、『原子力戦争』という本を書きました。(きっかけは)原子力船「むつ」の問題(※1)で、取材に行ったんです。

 反対派の集会に行ったら、「むつがもし風か何かでひっくり返ったら青森県は第2の広島ですよ」と、反対派はいう。ずいぶんいい加減なことをいうなあ、と私は思う。だから今度は、推進派へ行った。これがまたひどい。「あんた方は放射線というのは体に有毒だと思うんでしょう。違います。あんた方は風邪ひくとラジウム温泉(※2)へ行くじゃないですか。あれは放射線ですよ」。これもいい加減な論です。

 こんなに推進派も反対派もいい加減なことばかりいっていると原子力がかわいそうだ、ところで、原子力っていったいなんたろうということを、『展望』(筑摩書房)という雑誌に連載した。調べていくと、原子力反対運動を抑え込むために、広告会社の一番大きい電通がいろいろやってるわけです。それを書いたら、電通が12チャンネルの番組から2つばかり、スポンサーを降ろしてしまった。つまり、田原に連載をやめさせるか、会社を辞めさせるか、どっちかを選べといった。12チャンネルは極めて素直な会社ですから、私に、連載をやめるか、会社を辞めるか、どっちかだと電通にいわれたと、そのままいう。ほとんど躊躇なく会社を辞めました。

 その後、物書きをやったりしたんですが、このときに今度は、岩波映画の科学が役に立った。

 ちょうどパソコンができたころでした。パソコンという名前じゃなくて、マイコン。私は、「マイコンウォーズ」という記事を『文藝春秋』に連載して、本にしました。このときにアメリカまで行ってビル・ゲイツ(※3)に会いました。これも変な話で、西和彦という早稲田出身の、一時はマイクロソフトの副社長をやった西君に会いに行こうと思ってマイクロソフトの本社の玄関へ行ったら、Tシャツを着たアルバイトみたいな男がいた。西和彦に会いたいといったら、わかったと連れていってくれた。西和彦が、彼がビル・ゲイツだと(会場笑)。

 そういうことが、いろいろありました。だから取材というのは、面白い。目指せばほとんど成功します。私の今までの体験では、ねらって、ねらって、うまくいかないのは約2名しかいない。一人は、金正日(※4)。まだ会えない。会いたいんです、どうしても。もう一人は天皇陛下。3度断られました。

そのほかの人たちには、ほとんど会えます。フセイン(※5)に会おうと思ってバグダッドに行ったこともあります。OKだったんですが、行ったら、「田原さんの報道はCIAがキャッチしてる。もし田原さんとフセインが会ったら、そこへアメリカがピンポイント爆撃、ボーンと来る。2人とも死んじゃう」と。死んでもいいから会いたいといったんだけど、そういうわけにはいかないという。そのかわり、ナンバーツー、副大統領とこれから何時間でもインタビューしてくれと。やりましたよ。だから、相当のところまでは行けます。できるもんです、何でも。

そういうことで現在に至っています。何度もいいますが、一流にいるとだめです。だから、大隈塾のみなさんには、一流の会社に入ることを目指すばかりでなく自分の力で、一流の人生を送ってもらいたいと思います。

■質疑応答 「現世を忘れぬ久遠の理想」夢は自分が切り開く

世の中のタブーをどうとらえるか?

学生1:ほかの局ができないことをやるということをおっしゃってましたが、田原さんは世の中のタブーみたいなものにどんどん突っ込んでいく感じがするんです。田原さんは世の中のタブーをどうとらえてるんですか。

田原:日本にはタブーはありません。憲法で言論の自由、表現の自由は保障されていますよね。結社も自由。宗教も自由、全部自由ですから、タブーはないです。だけど、世の中にはタブーがあるようなことをいう人が多いのも事実で、それは自分でタブーをつくっているだけ。あるいは会社がつくっているだけ。要するに、たとえばテレビ局は、うるさい団体から文句をいわれるのがいやだから、やめてくれというだけです。

社会的地位の高い人に質問するとき意識すべきことは?

学生2:取材のことでお伺いしたいことがあるのですが、人に質問するときに、これだけは意識したほうがいいということがあれば教えていただきたいんです。特に政治家や社長などの社会的地位の高い人に質問するときには、どんなことを意識したほうがいいんでしょうか。

田原:ますやるべきことは、その人についてのあらゆるデータ、資料を読む。つまり、まずはその人に関する情報を集めて、分析する。たとえば、私がテレビ朝日系列の「サンデープロジェクト」で政治家からいろいろと聞き出す。ときには相手が、私に何かこうフッと聞きます。そこで私が詰まったら、あ、この程度か。田原はこの程度しか知らないんだったら、全部しゃべることはないなと、相手は思うんです。つまり、こちらが知ってるレベルでしか相手は答えません。たとえば、(自民党の)中川秀直幹事長に質問するときに、今、中川さんの抱えてる問題についてこっちが知ってるレベルでしか(中川さんは)答えない。だから本当は、中川さんよりも私のほうが知ってなければいけないぐらいだと思う。相手に話を聞く前にできる限り取材する。知るのが一つ。

 それから、本当に自分が聞きたいことを聞く。「サンデープロジェクト」のスタッフに、今度どういうことを聞くか並べてくれというと、スタッフが質問項目を準備してくれる。それを見てよくいうことは、「これじゃあまるで新聞記者の記者会見じゃないか。君はいったい何を聞きたいんだと。たとえば、田中康夫さんに一番何を聞きたいんだと。田中康夫さんは、長野県知事としてたくさんいいことをやっている。だけど、先日の知事選挙(2006年8月6日)に負けた。今度の(村井仁)知事は、田中康夫さんのやったことを全部やめるといっている。どうしていいことをやった田中康夫さんがクビになって、別の知事を長野県民は選ぶんだということを聞いたわけ。そのためには、田中康夫さんが何をやったかを全部調べて、今度の知事がそれを元に戻そうとしてることを全部調べてある。その上で、聞く。そのためにも、こちらがいかに取材をしてるかというのが一番大事です。
 岸井さん、ほかに加えることはありますか?

岸井成格(早稲田大学客員教授):つけ加えることはもうないです。とにかく相手のことをとことん調べてインタビューに行くということですね。それをどのくらい相手に見せるかは別です。だけど、さっき田原さんがいわれたとおり、相手は相手が知ってるレベルしか絶対に答えない。インタビューされていて、この来た人間がどの程度知って来てるのか、知らずに来てるのかというのはすぐわかりますからね。

 あと、あえて加えれば、やはり礼儀はものすごく大事でしょうね。取材の対象によっていろいろ違いますけれど、最低限の敬意というか、礼儀というのがないと、最初から話にならなくなるということはあるんじゃないですか。

~(6)へ続く~

※1 原子力むつの問題
むつは、1969年に進水した日本初の原子動力船。74年9月1日、青森県尻屋沖の試験海域で出力臨海試験中、放射線漏れを観測し、実験を中止。これがマスコミに報道されると、地元の青森県、むつ市、青森県漁連は、「むつ」の安全性を疑い、定係港の大湊港への帰港に反対した。同10月14日、政府、青森県、むつ市、青森県漁連の4者問で「原子力船『むつ』の定係港入港及び定係港の撤去に関する合意協定書」が締結され、翌15日に定係港に帰港した。

※2 ラジウム温泉
ラドン元素、トロン元素などの放射性元素を一定量以上含む温泉。放射能泉。

※3 ビル・ゲイツ
1955年、アメリカのシアトル生まれ。ハーバード大学中退。マイクロソフト社の共同創業者、現在マイクロソフト社会長だが、2008年7月をもって経営の第一線から退くことを表明している。アメリカのフ
オーブス誌の2006年版世界長者番付では、資産総額は推定560億ドル、個人資産13年連続世界一。ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を設立し、発展途上国や研究機関に多額の寄付を行なっている。

※4 金正日
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の最高指導者。1942年2月16日、建国の英雄・金日成の長男として生まれる。74年、金日成の後継者に決定、97年に朝鮮労働党総書記、98年に国防委員会委員長に再選され最高指導者となり、朝鮮人民軍最高司令官も兼務し、独裁体制を敷いている。

※5フセイン
サダム・フセイン。 24年間にわたって独裁政権を敷いた元イラク大統領。 1937年、イラク・ティクリットに生まれる。57年、バース党(アラプ復興社会党)に入党。79年7月、大統領就任。革命指導評議会議長、国軍最高司令官も兼任し、80~88年のイラン・イラク戦争、90年のクウェート侵攻、91年の湾岸戦争等を指揮する。94年より首相兼任。2003年、イラク戦争が勃発、回12月、米軍により身柄を拘束される。06年末、イラク高等法廷上訴審による死刑判決確定の4日後に刑執行。

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コメント (1)

田原さんSAID/テレビ局は、うるさい団体から文句をいわれるのがいやだから/ 
これのせいでコメンテーターの表現が自主規制保身になり 視聴者はタブーを見つけてしまう テレビで言えない事が社会のタブーになるな

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Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

→ブック・こもんず←


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