田原総一朗はこう語った(4)──田原総一朗流 再チャレンジ人生
『誇りの持てる働き方 誇りの持てる生き方』(ダイヤモンド社)
┃ほかの人が企画できない企画を考える
実は私は東京12チャンネルには、ドキュメンタリーをやりたいから入ったんです。人間が描きたいから。でも12チャンネルは番外地ですから、スポンサーがつきません。ところが、これもまた12チャンネルの面白いところです。私はまず、企画をつくる。それから、私がスポンサーになりそうな企業に直接電話して、営業と編成の人を連れていって、スポンサーになってくれと頼む。全部、このパターンでした。私はディレクターですよ。ディレクターは番組をつくっていればいいんじゃない。つまり、スポンサーを口説いて乗ってもらう。12チャンネルというのはいい加減で、スポンサーがつけばなんでもOKなんです。だからスポンサーを口説いて、そして番組をつくった。
そのときに、ドキュメンタリー番組で一番有名だったのはNHKです。「日本の素顔」という番組があった。その次に「現代の映像」になった。吉田直哉とかいろんな有能なディレクターがそこから育った。日本テレビには牛山純一(※1)がいて「ノンフィクション劇場」というのをやってました。これは賞をいっぱい取ってます。TBSには今野勉とか村木良彦とか、いろんなディレクターがどんどん面白いドキュメンタリー番組をつくっていた。
この3局のドキュメンタリー番組と、どう勝負するか。ほかの多くの人は勝負なんかしない。12チャンネルの中で上手にやっていればいいと思っている。でも、そんな根性では視聴率は上がりません。私はスポンサーを口説くときに、視聴率を取るぞと。NHKとも日本テレビともTBSとも勝負して、視聴率で抜く。これ、ハッタリなんですね。抜くぞといってお金を出してもらって、抜かなかったら詐欺ですものね。
それで、企画をどうするか。つまり、NHKやTBSや日本テレビの人たちが企画できない企画を考える。そんなことができるのか。向こうのほうが成績優秀でテレビ局に入ってるんです。私は全部落ちたわけですからね。
そこで、本当の企画力では勝負できない。何をするか。企画には、とても危なくてできない番組というのがいっぱいあるわけです。NHKや日本テレビやTBSは、考えはしても、危ない、社会的な問題になると思うとやらない。だから私は、他局が危なくてできない番組をやろうと。これが今も生きてます。今もテレビ朝日でやってるのは、ほかの局のできない番組をやることです。
でも、ほかの局のできない番組というのは、スポンサーはいやがります。そこで私は、特に一番長くやった「ドキュメンタリー青春」のときに、この番組のスポンサーである東京ガスに対してプレゼンテーションをした。必ずオンエアの2日前に、スポンサー試写やるんです。広報担当の部長にも見せる。その前に提案理由をいう。これが大事なんです。なぜこの番組をやるか。「あなた方は一見危ないと思うでしょう。だけど、絶対大丈夫だ。危なくない。と同時に、この番組をやることによって東京ガスのイメージがグーンと上がる。必ず評判がいい」というんです。
でも、スポンサーもそんなことでは安心しない。そこで、次の仕掛けを出す。新聞や雑誌やいろいろなところで、テレビ番組の批評をする人たちがいる。専門家が約70~80人いるんですよ。彼ら全員に招待状を出して、事前の記者の試写をやる。また私が、提案理由をガンガンいうんです。そうすると、批評家って非常に素直な人で、ほとんどいったとおり書いてくれるんです。へその曲がったのはあんまりいない。
そうやって下地をつくってから、オンエアします。すると確実に視聴率が高い。問題番組だから、視聴者はテレビの向こうでハラハラしてる。二~三日経つと、朝日新聞、東京新聞、読売新聞、みんなが、いいよ、いいよ、と褒めてくれる。スポンサーは文句なしですよ。私は今でも、(1)視聴率が高い、(2)話題になる、(3)スポンサーが降りない、これがいいテレビ番組の基準だと思っています。これは12チャンネルでまさに培われた。
大学を卒業して初めからいい会社へ入ると、あまりいいことないんですよ。特に、前もいったかもしれませんが、学生って朝遅いでしょう? そうすると、「ALWAYS 三丁目の夕日」なんて映画があるけど、みんな夕日と朝日を間違えるんです。今、人気の高い会社は、どこも夕日なんです。課長、部長になるころは、真っ暗なんですね。
話を戻すと、番外地の12チャンネルに入ったというのがよかった。楽だった。スポンサー、大スポンサーを連れてきたら局は何も文句をいわない。スポンサーが降りなければ文句をいわない。スポンサーは、視聴率が高くて評判がよくて、さらに、どこからもクレームをいってこなければ問題ない。
毒のない番組をやっていたのでは、視聴率は高くなりませんし、評判にもなりません。そうなるとスポンサーは降ります。だから、問題になる、視聴率が高い、どんどん賛否両論出てくる、テレビはそれでいいんです。私にとって、12チャンネル時代が肥やしというか、栄養になった。
※1 牛山純一
テレビ制作者。 1930~97年。 1953年、日本テレビに入社、政治記者、報道番組、ドキュメンタリー番組を担当。71年、日本映像記録センターを設立、翌72年に日本テレビを退社してフリーで活動。民間放送局初の本格的ドキュメンタリー番組「ノンフィクション劇場」、全米写真家協会プロフェッショナル最高賞を受賞した「すばらしい世界旅行」、「知られざる世界」など多くのドキュメンタリー番組を制作した。
コメント (1)
田原さんSAID・/ スポンサーを口説いて乗ってもらう・/ これの50例の具体的セッシヨンセリフを本にすれば儲かるよな
投稿者: A亭 | 2007年6月 2日 23:14