
『オフレコ!別冊[最高権力の研究]小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!』
2007年1月に、『オフレコ!別冊[最高権力の研究]小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!』が発売されました。
今回の「タハラ・インタラクティブ」は、『オフレコ!』責任編集長である田原氏による巻頭言を転載します。
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小泉純一郎のすべてをお膳立てした男、それが秘書・飯島勲だ
飯島勲さんは、私が会った15人目の首席総理秘書官である。
最初に会ったのは田中角栄の秘書、早坂茂三だった。その後、池田勇人、岸信介、佐藤栄作の秘書官にも会ったが、現役ではなかったから15人には数えていない。
つまり田中角栄政権以後、私は首相秘書官の全員と会ったわけだが、歴代首相の秘書官と飯島さんには大きな違いがあった。
歴代首相の秘書官というのは、私が以前から知り合っていた人を除き、みな居丈高で、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
考えてみれば、これは当然だろう。というのは、首相秘書官には二つの大きな役割がある。
一つは、情報や人脈を持っているとか巨大組織を押さえているというように、総理大臣にとって役立つ人物をキャッチして会わせることだ。
もう一つは、反対に、総理大臣に会わせてもメリットがない人物を総理から遠ざけ、総理をガードする役割だ。
ところで、総理大臣に近づく人間の多くは、自分を売り込みたいか、何か頼み事をしたい。このどちらかの場合がほとんどで、なんとしても会わせたいと秘書が思う人物など、そういるものではない。
だから、首相秘書官は、総理大臣をガードしなければという思いが全面に出て、威圧的な姿勢を強めることになる。
しかし、小泉純一郎首相に面会するため官邸を訪れ、初めて会った飯島さんには、そんな近寄りがたい雰囲気はまったく感じられなかった。
初対面のときから、きわめて前向きというか積極的に、私の言うことを聞こうとした。むしろ、私の話を引き出そうとするかのように、自分からどんどん質問を浴びせてきたのである。
これは、今まで会った首相秘書官とはひと味もふた味も違う。私は、飯島勲という人物に大きな関心を抱いたのだった。
首相の発言をじつに的確に細やかに解説してくれた
小泉内閣の5年5ヵ月で私が飯島秘書官と会った回数は、おそらく30回を超えているだろう。
もちろん、小泉首相に言いたいことがあれば飯島さんに電話したし、小泉首相と面会するときは飯島さんにも会っている。
当然ながら私は、総理大臣に自分を売り込むつもりなどないし、頼み事をしたこともない。会いにいったのは、たいてい何か文句があるときだ。
私は、小泉政治を直截に批判し、抜け落ちている点を率直に指摘した。たとえば中国問題では、アジアどころか世界でも有数の大国である日本と中国が、隣り合っていながら首脳会談を開くことができないのは、大問題だというように。あるいは教育改革、公務員制度改革、憲法改正などについても意見を述べ、議論した。
首相と会わず、飯島さんとだけ話す機会も少なからずあった。会うとたいてい、1時間近く話し込むことになった。首相と議論した際のやり取りについて、改めて飯島氏と議論することもあった。
たとえば小泉首相が、私の意見に対して「わかった、わかった」とか「うん、それはおもしろい」と短く答え、別の話題に移ってしまうようなことがある。
すると私は「わかった」とはどういう意味か、「おもしろい」とは何がどうおもしろいのかと、飯島さんに聞く。彼はそのつど、じつに的確に、また細やかに解説してくれた。
印象的だったのは、小泉首相と飯島秘書官のコミユニケーションのよさである。あるテーマについて前半部分を飯島さんに話し、日をおいて後半部分を小泉さんに話すと、それで話が通じてしまうことが何度もあった。
長期政権・高支持率の秘密は「三種の神器」にあり
小泉首相は5年5ヵ月の長きにわたって政権を維持し、しかも最後まで内閣支持率が50%前後から落ちなかった。
これは、もちろん小泉首相自身が近来まれに見る異才の持ち主であったためだが、じつは彼が得難い「三種の神器」を手にしていたからだと、私は考えている。
小泉首相の「三種の神器」の第一は、経済財政問題をすべて託すことができた竹中平蔵という人物の存在である。
竹中こそは、最初から最後まで小泉純一郎と心中する覚悟で経済問題を取り仕切り、首相が心から信頼した人物だった。
「三種の神器」の第二は、小泉首相の天敵といわれた亀井静香の存在である。小泉純一郎は自民党総裁選に勝つために亀井と政策協定を結び、亀井は本選で降りたと言う。こうして、予備選2位の橋本龍太郎と3位の亀井が組んで1位の小泉を倒す構図が崩れた。
しかし小泉首相は、その亀井静香を無視し、裏切った。そこで亀井は反小泉陣営の中心的な人物となった。その後、首相は亀井静香やその周囲の政治家たちに「抵抗勢力」との恪印を押し、党内での戦いを盛り上げていく。
民主党の菅直人が私にこぼしたことがある。自民党と戦っているのは民主党だ。でも、マスコミはグラウンドの巨人阪神戦には一向に関心を示さず、巨人ベンチ内のケンカばかり報道していると。
これが、小泉vs亀井の争いだ。ベンチのケンカは、グラウンドの試合よりはるかに生々しく、波乱に富んでいて、記事にしやすい。これに日本中の新聞とテレビが群がり、野党への興味を失った。
小泉首相は、亀井静香を天敵にすることで小泉政治を小泉劇場にし、国民の関心を自らに集中させたといえるだろう。
小泉「独裁政権」を支えた周到なお膳立て
そして、「三種の神器」の第三。これは、ほかならぬ首相秘書官・飯島勲の存在である。
小泉政治は独裁政治だったと、批判されることが多い。だが、私に言わせればこの批判は建前で、じつは最大の誉め言葉だ。
小泉首相は、つねに国民の支持だけを頼んで、自民党内の事情には一切配慮しなかった。国民にわかりやすい政治を目指すから、ブレることもない。国民には、首相の顔がよく見え、首相の意図や狙いがよくわかった。
しかし、小泉首相が「郵政民営化をやる」「道路公団を民営化する」「政治生命をかけ、殺されてもやる」と言い切ることができたのは、それ以前に周到なお膳立てが整っていたからである。
たとえば法律一つつくるにも、他の法律や制度との整合性を図る、資金的な枠組みを構築するなど、きわめて複雑なオペレーションが必要だ。昔から「法律は大蔵官僚以外にはつくることができない」といわれたのは、このためだ。
そのような作業は、小泉政権では「官邸主導」で行われたといわれる。じつは、これを陰で一手に取り仕切ったのが飯島秘書官だ。
彼は、秘書官や特命チームからなる官邸スタッフの指揮官として、首相が打ち出す政策をすべてお膳立てした。そう言っても過言ではないだろう。
もっとも、そんなお膳立ての部分は、首相官邸の外からは、まったく見えなかった。飯島さんは、5年5ヵ月のあいだ、それを見事に隠しおおせたわけである。
今だから聞きたい政権内部の生々しい事情
飯島さんは、小泉退陣から3カ月ほどして『小泉官邸秘録』
(日本経済新聞社)を著した。これは小泉政治を詳細に物語る重要な一次史料である。だが、この本でも飯島さんは、大切なお膳立てのいくつかを、あえて記していない。
私は首相秘書官を務めていた飯島さんに何度も会ったが、時間が足りなかったり、また、テーマがあまりにも生々しいために、問いそびれたことがしばしばあった。
小泉首相は、物事をとても率直に語るから、表面化すると騒ぎになりかねない局面も少なからずあったし、私との議論が押問答のようになってしまう場合もあった。その解説を飯島さんに詳しく求めると、私が小泉政権の内部を知りすぎてしまう。そんなときは、私は問うことを控えた。
だから、私のなかでは、飯島さんに聞きたいことが、うずたかく積み上がっていったのだ。
そこで飯島さんに、無理に無理を言い、数度にわたる長時間インタビューをお願いした。その場で私は、これまで我慢して問わずにいたことを、すべて問うた。
小泉政権の5年5ヵ月を語るとき、決して欠かすことのできない『オフレコ・別冊』ができあがったと、私は自負している。