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2007年2月25日

飯島勲とは何者か?

2007年1月、『オフレコ!別冊[最高権力の研究]小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!』が発売されました。

小泉政権と安倍政権で徹底的に違うところは?
小泉再登板は果たしてあるのか?

今回の「タハラ・インタラクティブ」では、小泉政権のキーパーソン・飯島勲氏について語ります!

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(4分44秒)

『オフレコ!別冊[最高権力の研究]小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!』
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(文責:《ざ・こもんず》運営事務局)

2007年2月21日

23日(金)深夜は「朝まで生テレビ! ~田原総一朗 vs 12人の女たち!!~」

朝生予告!!

「石原慎太郎に対抗馬を出せない女たちにエラそうなことを言う資格はない!!」
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(1分40秒)

2月23日(金)深夜の「朝まで生テレビ!」は、田原総一朗さんが12人の女性を相手に激論!!

柳沢発言、都知事選、少子化問題・・ 
このような問題に12人の女性政治家・文化人らはどう考えているのでしょうか?

田原総一朗が徹底追及します!


2月23日(金)深夜25:20~28:20
【司会】
田原 総一朗

【進行】
長野智子 渡辺宜嗣

【パネリスト】
片山さつき(自民党・衆議院議員、党広報局長)
古屋範子(公明党・衆議院議員、党政調副会長)
小宮山洋子(民主党・衆議院議員、党男女共同参画担当大臣代理)
福島みずほ(社民党・参議院議員、党首)
雨宮処凛(作家)
アレズ・ファクレジャハニ(東京外大大学院研究生、イラン)
大高未貴(ジャーナリスト)
荻原博子(経済ジャーナリスト)
小沢遼子(評論家)
櫛渕万里(NPOピースボート共同代表)
坪谷郁子(東京インターナショナルスクール代表)
遙洋子 (タレント・作家)

2007年2月19日

いま「改憲」して何が変わるのか?

好評発売中!
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『憂国論』(朝日新聞社・刊)

■田原総一朗の蔵出しコラム!!
本日の「タハラ・インタラクティブ」は、2006年9月に発売された『憂国論』から珠玉のコラムを配信します!

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いま「改憲」して何が変わるのか?

 2005年春、自民党と民主党が、それぞれの憲法草案のまとめの作業に入っている。表現は異なるが、いずれも現在の憲法を変更しようとしているのである。

 そこで、否応なく護憲か改憲かという話になるのだが、メディアに登場する識者たちの発言や論争などを見ていると、いずれの識者もいささか誤解をしているように思える。

 護憲というと、社民党の土井たか子や共産党の不破哲三などの顔を思い浮かべる人が少なくないだろうが、実は国民の多くの「護憲」は、土井や不破たちの「護憲」とはまったく違うのである。

 土井や不破たちは、自衛隊が存在することに反対で、日米安保条約にも、沖縄に米軍基地があることにも、全面的に反対している。もちろん、自衛隊のイラク派遣にも反対だ。つまり、たんなる「護憲」ではなく、本当はこうした「違憲行為」が犯せない、「非武装中立」からはみ出せない憲法に変えるべきだと考えているのだろう。

 だが、少なからぬ国民の「護憲」はもっと素直である。この点について、改憲を唱える人々も誤解しているように思える。

 国民の多くは、現在の憲法を実に使い勝手のいい、まことに重宝な憲法だととらえている。

 自衛隊の存在は認める。非武装中立ではこの国が維持できないことは百も承知している。日米安保条約も安全保障のために欠かせない条約で、組む相手がソ連や中国でなく、アメリカだったことは正解だと思っている。沖縄に米軍基地があることを、沖縄県民にはまことに申し訳ないが、やむを得ないと、困惑はしながらも認めている。

 そして、アフガン戦争に協力するのも、自衛隊をサマワに派遣するのも、すっきりしないが、国益のためにやむを得ないととらえている。憲法第9条がありながら、これほど伸縮自在に使える便利な憲法なのだから、何もいま「改憲」しなくてもよいと考えているのである。自民党も同じとらえ方だった。だからこそ「改憲」を本気には考えてこなかったのだろう。

 おそらく現憲法のままでも国連安保理の決議があれば、武力行使さえしなければ、反対はあるだろうが、「参加する」で通用するはずである。

 そのときは、たぶん「参加」ではなく「協力」という言葉が使われるのだろう。PKO法のときも「武力行使」は否定して「武器の使用」という言葉が使われた。サマワに自衛隊を派遣するときも「非戦闘地域」という前提がついている。だが、この程度の面倒臭さがあったほうが、国民に関心をもたせられていいのではないか。

 明治憲法も昭和憲法も、国民が参加してつくった憲法ではない、だから国民の手で憲法をつくるべきだというのが、改憲論者の主張の柱の一本になっている。だが、国民の手でつくると、どこにどんな変化が生じるのか。

 私は、天皇を元首にしても象徴とほとんど変わりはないと思うし、集団的自衛権は憲法に入れるべき項目ではなく、内閣法制局の解釈の問題だと思う。アメリカ、ドイツ、フランスなど他の国々で何十回も改憲が行われているのに、日本だけが憲法を「不磨の大典」のようにとらえているのは大錯覚だという声もある。しかし、日本では解釈改憲という事実上の「改憲」を繰り返しているので、「改憲」の必要はなかったのである。

(2005・3・18/週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」より)

2007年2月16日

小泉純一郎のすべてをお膳立てした秘書・飯島勲

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『オフレコ!別冊[最高権力の研究]小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!』

2007年1月に、『オフレコ!別冊[最高権力の研究]小泉官邸の真実 飯島勲前秘書官が語る!』が発売されました。

今回の「タハラ・インタラクティブ」は、『オフレコ!』責任編集長である田原氏による巻頭言を転載します。

ぜひ、みんさまお買い求め下さい!!

小泉純一郎のすべてをお膳立てした男、それが秘書・飯島勲だ

 飯島勲さんは、私が会った15人目の首席総理秘書官である。

 最初に会ったのは田中角栄の秘書、早坂茂三だった。その後、池田勇人、岸信介、佐藤栄作の秘書官にも会ったが、現役ではなかったから15人には数えていない。
 
 つまり田中角栄政権以後、私は首相秘書官の全員と会ったわけだが、歴代首相の秘書官と飯島さんには大きな違いがあった。
 
 歴代首相の秘書官というのは、私が以前から知り合っていた人を除き、みな居丈高で、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。

 考えてみれば、これは当然だろう。というのは、首相秘書官には二つの大きな役割がある。
 
 一つは、情報や人脈を持っているとか巨大組織を押さえているというように、総理大臣にとって役立つ人物をキャッチして会わせることだ。

 もう一つは、反対に、総理大臣に会わせてもメリットがない人物を総理から遠ざけ、総理をガードする役割だ。

 ところで、総理大臣に近づく人間の多くは、自分を売り込みたいか、何か頼み事をしたい。このどちらかの場合がほとんどで、なんとしても会わせたいと秘書が思う人物など、そういるものではない。
 
 だから、首相秘書官は、総理大臣をガードしなければという思いが全面に出て、威圧的な姿勢を強めることになる。

 しかし、小泉純一郎首相に面会するため官邸を訪れ、初めて会った飯島さんには、そんな近寄りがたい雰囲気はまったく感じられなかった。
 
 初対面のときから、きわめて前向きというか積極的に、私の言うことを聞こうとした。むしろ、私の話を引き出そうとするかのように、自分からどんどん質問を浴びせてきたのである。
 
 これは、今まで会った首相秘書官とはひと味もふた味も違う。私は、飯島勲という人物に大きな関心を抱いたのだった。

首相の発言をじつに的確に細やかに解説してくれた

 小泉内閣の5年5ヵ月で私が飯島秘書官と会った回数は、おそらく30回を超えているだろう。
 
 もちろん、小泉首相に言いたいことがあれば飯島さんに電話したし、小泉首相と面会するときは飯島さんにも会っている。
 
 当然ながら私は、総理大臣に自分を売り込むつもりなどないし、頼み事をしたこともない。会いにいったのは、たいてい何か文句があるときだ。
 
 私は、小泉政治を直截に批判し、抜け落ちている点を率直に指摘した。たとえば中国問題では、アジアどころか世界でも有数の大国である日本と中国が、隣り合っていながら首脳会談を開くことができないのは、大問題だというように。あるいは教育改革、公務員制度改革、憲法改正などについても意見を述べ、議論した。

 
 首相と会わず、飯島さんとだけ話す機会も少なからずあった。会うとたいてい、1時間近く話し込むことになった。首相と議論した際のやり取りについて、改めて飯島氏と議論することもあった。
 
 たとえば小泉首相が、私の意見に対して「わかった、わかった」とか「うん、それはおもしろい」と短く答え、別の話題に移ってしまうようなことがある。
 
 すると私は「わかった」とはどういう意味か、「おもしろい」とは何がどうおもしろいのかと、飯島さんに聞く。彼はそのつど、じつに的確に、また細やかに解説してくれた。
 
 印象的だったのは、小泉首相と飯島秘書官のコミユニケーションのよさである。あるテーマについて前半部分を飯島さんに話し、日をおいて後半部分を小泉さんに話すと、それで話が通じてしまうことが何度もあった。

長期政権・高支持率の秘密は「三種の神器」にあり

 小泉首相は5年5ヵ月の長きにわたって政権を維持し、しかも最後まで内閣支持率が50%前後から落ちなかった。
 
 これは、もちろん小泉首相自身が近来まれに見る異才の持ち主であったためだが、じつは彼が得難い「三種の神器」を手にしていたからだと、私は考えている。

 小泉首相の「三種の神器」の第一は、経済財政問題をすべて託すことができた竹中平蔵という人物の存在である。
 
 竹中こそは、最初から最後まで小泉純一郎と心中する覚悟で経済問題を取り仕切り、首相が心から信頼した人物だった。

 「三種の神器」の第二は、小泉首相の天敵といわれた亀井静香の存在である。小泉純一郎は自民党総裁選に勝つために亀井と政策協定を結び、亀井は本選で降りたと言う。こうして、予備選2位の橋本龍太郎と3位の亀井が組んで1位の小泉を倒す構図が崩れた。
 
 しかし小泉首相は、その亀井静香を無視し、裏切った。そこで亀井は反小泉陣営の中心的な人物となった。その後、首相は亀井静香やその周囲の政治家たちに「抵抗勢力」との恪印を押し、党内での戦いを盛り上げていく。
 
 民主党の菅直人が私にこぼしたことがある。自民党と戦っているのは民主党だ。でも、マスコミはグラウンドの巨人阪神戦には一向に関心を示さず、巨人ベンチ内のケンカばかり報道していると。
 
 これが、小泉vs亀井の争いだ。ベンチのケンカは、グラウンドの試合よりはるかに生々しく、波乱に富んでいて、記事にしやすい。これに日本中の新聞とテレビが群がり、野党への興味を失った。
 
 小泉首相は、亀井静香を天敵にすることで小泉政治を小泉劇場にし、国民の関心を自らに集中させたといえるだろう。

小泉「独裁政権」を支えた周到なお膳立て

 そして、「三種の神器」の第三。これは、ほかならぬ首相秘書官・飯島勲の存在である。

 小泉政治は独裁政治だったと、批判されることが多い。だが、私に言わせればこの批判は建前で、じつは最大の誉め言葉だ。
 
 小泉首相は、つねに国民の支持だけを頼んで、自民党内の事情には一切配慮しなかった。国民にわかりやすい政治を目指すから、ブレることもない。国民には、首相の顔がよく見え、首相の意図や狙いがよくわかった。
 
 しかし、小泉首相が「郵政民営化をやる」「道路公団を民営化する」「政治生命をかけ、殺されてもやる」と言い切ることができたのは、それ以前に周到なお膳立てが整っていたからである。
 
 たとえば法律一つつくるにも、他の法律や制度との整合性を図る、資金的な枠組みを構築するなど、きわめて複雑なオペレーションが必要だ。昔から「法律は大蔵官僚以外にはつくることができない」といわれたのは、このためだ。
 
 そのような作業は、小泉政権では「官邸主導」で行われたといわれる。じつは、これを陰で一手に取り仕切ったのが飯島秘書官だ。
 
 彼は、秘書官や特命チームからなる官邸スタッフの指揮官として、首相が打ち出す政策をすべてお膳立てした。そう言っても過言ではないだろう。
 
 もっとも、そんなお膳立ての部分は、首相官邸の外からは、まったく見えなかった。飯島さんは、5年5ヵ月のあいだ、それを見事に隠しおおせたわけである。

今だから聞きたい政権内部の生々しい事情

 飯島さんは、小泉退陣から3カ月ほどして『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)を著した。これは小泉政治を詳細に物語る重要な一次史料である。だが、この本でも飯島さんは、大切なお膳立てのいくつかを、あえて記していない。
 
 私は首相秘書官を務めていた飯島さんに何度も会ったが、時間が足りなかったり、また、テーマがあまりにも生々しいために、問いそびれたことがしばしばあった。
 
 小泉首相は、物事をとても率直に語るから、表面化すると騒ぎになりかねない局面も少なからずあったし、私との議論が押問答のようになってしまう場合もあった。その解説を飯島さんに詳しく求めると、私が小泉政権の内部を知りすぎてしまう。そんなときは、私は問うことを控えた。
 
 だから、私のなかでは、飯島さんに聞きたいことが、うずたかく積み上がっていったのだ。
 
 そこで飯島さんに、無理に無理を言い、数度にわたる長時間インタビューをお願いした。その場で私は、これまで我慢して問わずにいたことを、すべて問うた。

 小泉政権の5年5ヵ月を語るとき、決して欠かすことのできない『オフレコ・別冊』ができあがったと、私は自負している。

2007年2月 3日

柳沢大臣の失言

柳沢大臣の失言について、田原氏に聞いた。

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Profile

田原総一朗(たはら・そういちろう)

-----<経歴>-----

1934年、滋賀県彦根市生まれ。
早稲田大学文学部卒。
岩波映画製作所、テレビ東京を経て、77年フリーに。
テレビ東京時代の連続番組「ドキュメンタリー青春」で、取材対象者に肉薄する独特のインタビュー手法で注目を浴びる。
現在は政治・経済・メディア・IT等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)を受賞した。
2002年より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生や社会人の指導にあたっている。

-----<出演>-----

『朝まで生テレビ!』
(TV朝日、毎月最終金曜25時?)

『サンデープロジェクト』
(TV朝日、毎週日曜10時?)

BookMarks

田原総一朗 公式サイト
http://www.taharasoichiro.com/

田原総一朗のタブーに挑戦!(JFNラジオ番組)
http://www.jfn.co.jp/tahara/

株式会社アスコム
http://www.ascom-inc.jp/

朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

早稲田大学 大隈塾
http://www.waseda.jp/open/attention/ookuma/ookuma_curriculum_2005.html

早稲田大学 大隈塾ネクスト・リーダー・プログラム
http://www.waseda.jp/extension/okumajuku/index.html

-----<著書>-----


『市場浄化』
2006年10月、講談社


『テレビと権力』
2006年4月、講談社


『オフレコ!Vol.2』
2006年3月、アスコム


『国家と外交』
2005年11月、講談社、田中均共著


『日本の外交と経済』
2005年9月、ダイヤモンド社


『日本の戦後(上)』
2003年9月、講談社


『日本の戦後(下)』
2005年7月、講談社


『田原総一朗自選集 1?5巻』
2005年7?10月、アスコム

『オフレコ!Vol.1』
2005年7月、アスコム、季刊

『日本の戦争』
2004年12月、小学館文庫

『日本の政治?田中角栄・角栄以後』
2002年10月、講談社

『日本の生き方』
2004年11月、PHP研究所

『日本政治の表と裏がわかる本』
2003年5月、幻冬舎文庫

『連合赤軍とオウム?わが心のアルカイダ』
2004年9月、集英社

『「小泉の日本」を読む』
2005年2月、朝日新聞社

『面白い奴ほど仕事人間』
2000月12月、青春出版社

『日本のからくり21』
朝日新聞社

『愛国心』
2003年6月、講談社、共著

『わたしたちの愛』
2003年1月、講談社

『日本よ! 日本人よ!』
2002年11月、小学館

『田原総一朗の早大講義録(1)』
2003年9月、アスコム

『田原総一朗の早大講義録(2)』
2004年3月、アスコム

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(上)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『田原総一朗の早大「大隈塾」講義録 2005(下)』
2005年5月、ダイヤモンド社

『頭のない鯨?平成政治劇の真実』
2000年2月、朝日新聞社

『田原総一朗の闘うテレビ論』
1997年3月、文芸春秋

『メディア・ウォーズ』
1993年3月、講談社

『平成・日本の官僚』
1990年3月、文藝春秋

『警察官僚の時代』
1986年5月、講談社

『マイコン・ウォーズ』
1984年12月、文芸春秋

『原子力戦争』
1981年11月、講談社

-----<連載>-----

週刊朝日「田原総一朗のギロン堂」

SAPIO「大日本帝国下の民主主義」

プレジデント「権力の正体」

-----<映画>-----

『あらかじめ失われた恋人たちよ』
1971年、監督

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