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2011年4月 6日

被災地の心 ── 決め手は人のつながり

 アクセシブル盛岡の代表だった石川先生(淑徳大学コミュニティ政策学部)が、千葉から岩手県を周っている。

 被災地によっては、陸前高田町や陸中山田、大槌などのように町そのものが無くなってしまった地域もある。

 頼れるはずの行政が無くなってしまったところや同じ被災地でも支援や復興ボランティアが機能しているところもあれば、そうでないところもある。

 その決め手は「人と人との繋がり」があるかどうか、人のつながりのあるところにはどんどん人が入って必要な手助けや支援が届いているという。

 実際、宮城県では南三陸町のように町の機能が回復するまで一時的に集団避難という方式を受け入れ、すでに今月3日から移動が始まったところもある。

 ところが、岩手の人は動こうとしない人が多いと石川さんが言った。もともと地元のつながり意識が強く、他所へ行くことや今回も災害ボランティアでさえ受け入れるのを苦手とする人たちだ。両者の行動の違いを県民性の違いとして昨日新聞が取り上げていたそうだ。

「まだ、家族が見つからないのにここを離れていいのか」「自分たちだけが、避難所から出てしまっていいのか」

 被災地を回った石川さんが岩手で目や耳にした様子だ。

 一方で、被災地にとどまる医療ボランティアの疲労も極限に達しているところがある。

 せっかく地震や津波から命を守られたにもかかわらず、毛布にくるまり冷たい床に寝て、風呂もなく一日2食の配給を待つ避難所。釜石や大船渡など、町が半分残ったところに住む人たちは、ライフラインが閉ざされたままの自宅にとどまっている被災者も多い。

 国交省(観光庁)は被災者支援の為にすでに先月25日には、「宿泊施設における県域を越えた被災者の受け入れ態勢について」という表題で十数万人を受け入れられるだけの宿泊施設を確保し、移動費用も国が負担するとしている。
http://www.mlit.go.jp/kankocho/news06_000092.html

 ところが、地元自治体が申請しない限り、この利用が進められないルールになっている。まず被災者が地元自治体に名乗り出て、自治体が取りまとめて県に申請して利用できるルールになっている。

 このように遠巻きに構えていているだけでいていいのか、観光産業はこの一大事に大きな不信を招くことになると私は思う。

 もちろん先の被災者の心情を無視して移動させることなどできるはずはない。しかし、子供や小さな子を抱えた家族がもう一月もプライバシーも何もない状態に置かれたままでいるのは耐え難い話ではないのか。まして、医師も心配する被災地の環境の中にいつまでもとどめておいてよいのだろうか。町ごと津波に流され、自治体が機能していない場所では、こうした情報がきちんと住民まで伝わっているとはとても思えない。本人が名乗りをあげない限り、被災地が動かない限り、自ら動こうとしないこのルールはおかしい。

「どうしていいのか自分にもわからない。それぞれの被災地ですべて違うように思うから」と石川さんは言う。

 大きなお世話と思われようと、いろいろな人が地域に入って自分の目で見て足らないところを埋め、被災地の人とともに困っているところを助けるという行動がとにかく必要だろとうという石川さんの意見に私も賛同する。

 瓦礫の撤去などの自ら志願したという災害ボランティアが全国から続々と集まっている。すでに復興に向け歩みだしたところもある一方で、じっと辛抱したままでいる人たちもいる。

 私たちもいち早く復興につながるような支援がいかにできるか考え行動するが、まずは一人でも多くの人にこの制度が使えることを伝え、地元の医師らとも相談の上、自治体へ手を挙げてもらいたい。なぜなら、被災からひと月になろうとしているが、これから先の方がはるかに多くの時間が残っているからだ。

※私がお世話になった福島県相馬市の災害ボランティアセンターのブログでは、日々の様子がわかります。
http://d.hatena.ne.jp/somasaigai

2011年4月 3日

3週間が経過した被災地支援のこれから

 国交省・観光庁を通して大手旅行会社のイベントコンベンション等、大型団体旅行を扱える技能を有するスタッフを被災地の避難所やボランティアセンターに派遣することはできないか。

 一部を除く被災地では緊急性の高い一次医療から次のステップに移行している。
未だ避難所やライフラインの絶たれた病院、高齢者施設などにいる人の大型移動を医療従事者や行政の災害ボランティアセンターが検討している。

 現時点でこれらのコーディネイトを行っているのは、被災地の医療関係者や自治体職員らであり、この手間を本来業務である医療行為や被災地行政にまわしてもらいたい。

 地域医療の医師たち間では、「安房スキーム」とか「鴨川モデル」と呼ばれる医療ニーズの高い要介護者や患者らを施設まるごと引越しさせるという手法をもっと広域の被災地で展開できないか検討されている。

 千葉県鴨川市の亀田病院が同市内にある「かんぽの宿」を借り上げ、茨城の老人保健施設を職員ごと引っ越し、つまり高齢者施設丸ごと移転というようなことが、あちこちの被災地で必要となっている。

 スタッフと一緒にというのがポイントで、ただでさえ傷つき不安を抱える被災地の患者らには住み慣れた町を離れることは一層の不安を煽る場合もある。当然、健康状態への悪影響が懸念されるが、そこを和らげるために普段から慣れた病院や施設のスタッフも一緒に引っ越し先へ来てくれるというのが大きな安心材料になるという。スタッフが一緒に行けるのは彼らもまた被災者であるというからだ。

 有り余る救援物資の移動や配送管理に力を発揮したのはヤマト便や佐川急便などの物流のプロである。同様に人の移動を専門とするプロは旅行会社の大型団体を扱う旅行手配担当である。彼らの力を借りれば、ホテルの借り上げから、施設の引っ越しに必要となる大量のバスなどの手配、人材の確保等、人を移動させるマネジメントは、もっとスムースに行われるはずだ。

 原発問題がある限り、外国人旅行者の来日や大型会議、イベントはしばらく期待できない。当然、これらを担当していた旅行業マンはキャンセル対応に追われているくらいで、火急の業務をかかえるものはいないだろう。

 この訪日観光振興予算を復興支援としてふりかえ、一時避難にせよ長期避難にせよ、いったん被災地から離れることを希望する人の大量移動を考えるべきではないだろうか。

 すでに震災から3週間が経過し、プライバシーの無い避難所のストレスはピークに達している。自宅崩壊を免れた人の中にも、未だ風呂にさえ入れない人たちがたくさんいるという。こうした人々を旅館やホテルで一時的にでも休ませることはできものか。滞在がダメなら入浴だけでも避難所からの日帰りでできないのか。

 まだまだ不足している被災地では医療人材や行政マンも披露のピークに来ている。ホテルの借り上げや、バスの手配などにこうした人が当たるというのはとうてい妥当とは言えないわけで、観光産業、旅行業界の復興支援として可能なことではないか。

 観光庁から旅行業界、観光産業界へ、被災地の医療や被災者ケアのための協力へ働きかけを大至急お願いしたい。

2011年4月 1日

被災地に希望

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↑ 被災地

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↑ 家に刺さった船

 週末、被災した福島県を周った。ここは地震、津波に加えて原発の放射能汚染が復興の妨げとなり問題を複雑にしている。

 私は杉並区の移動サービス団体「もびーる」のボランティア運転手として、他県の社会福祉協議会(社協)から派遣された応援職員を数か所の避難所に送り届ける役目を引き受けた。

 被災地周辺の自治体では、震災の直後から災害ボランティアセンターを立ち上がりはじめていた。東京ボランティアセンターが全国社会福祉協議会と連携して、組織的に職員を被災地へ送り込むコーディネイトをしている。自治体の福祉サービスを補完する組織である社協の職員が交代で全国から駆けつけ、被災地のボランティアセンターの立ち上げに尽力している。

 職員の中には、阪神淡路大震災や中越沖地震の際に活躍した経験者もいて、混乱が残る今回の被災地では、市の職員や市民ボランティアと協力しながら冷静にリーダーシップを発揮していた。

 私が送った田村市や相馬市などは、今も地震、津波、原発事故の三重苦の中にある。被害の少なかった二本松市は、被災地からの受け入れ自治体として忙しい。

 避難所に入るとすぐに茫然としたままの大人たちを見かけた。未だに何をしていいのかわからないのかもしれない。言葉を失った。

 しばらくして冷静さを取り戻してから避難所を見渡すと、小さな子供たちには小さな笑顔が戻っていた。そして、体操着で働く中高生の姿を目した。他の被災地だったと思うがテレビで中学生たちが紹介されたシーンに似ていた。

 津波の現場は、とても現実の世界には思えなかった。延々と続く瓦礫の中、家族の行方を捜しているのか、一人立ち尽くしている老人とすれ違う。あたり一面、見渡す限りの瓦礫の中にぽつんぽつんと重機が置かれている。黙々と仕事を続けている復興支援の人たちもいたが、これからいったいどれほどの時間がかかるのか、途方もない現実におかれていることを知る。

 ここ相馬市の避難所では、受付業務や清掃活動を子供たちが自主的にはじめたそうだ。

 ショックからか動けなくなったお年寄りの世話や自分たちよりもっと小さな子供たちの面倒をみている。まだあどけなさが残る中高生たちだが、避難所の運営に大きな役割を果たしているのがわかる。聞けば彼らもまた家族を失った被災者だという。

 心の痛みに耐える大人の傍で働く子供たちに希望の光、生きる力を見た。

 難を免れた私たちは、できることのすべてを被災復興の為に尽くしたいと思う。

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↑ 避難所の千羽鶴

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↑ 生きる力

Profile

篠塚恭一(しのづか・きょういち )

-----<経歴>-----

1961年:千葉市生れ。
1991年:(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。
1995年:超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。
2006年:内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。
現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。

BookMarks

あ・える倶楽部
http://www.aelclub.com/

-----<著書>-----


介護旅行にでかけませんか──トラベルヘルパーがおしえる旅の夢のかなえかた(講談社)

問診による経営診断のすすめ方(共著)

大人の脳活性訓練ガイド(入門編)監修

トラベルヘルパー養成講座・教本
 
介護旅行でいきましょう(時事通信・連載)
 
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