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2010年5月29日

見逃される「外出」という希望 ── 公的介護制度のはざまで

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 東京・渋谷の狭いオフィスでスタッフと一緒に弁当を食べるのを楽しみに訪れてくれる人がいる。「また、来れてよかった」。当たり前のようなことに涙ぐむその人に、若いスタッフは胸を詰まらせ、どうしていいか分からない。

 道一本隔てたビルに引越せば家賃を下げることができたが、ぎりぎりで思いとどまった。車いすを使う人が寄れなくなってしまうからだった。

 障がいを持つ人を対象とする福祉制度には、外出して人と会うことなどをサポートする仕組みがある。ところが、高齢者の場合はこうした考え方への共感が少ない。公的介護保険が始まって10年、「住み慣れた町でいつまでも」という考え方は確かに正しい。しかし、それですべてよいのかといえば、わたしはうなずけない。

 高齢で介護が必要となった人にとっても「外出」は強い希望である。ベッドに縛ることや、部屋に鍵を掛けることが問題なら、住んでいる地域でしか介護サービスが提供されないのは、地域に拘束しているようなものではないだろうか。

 友人を訪ねることも、歌舞伎や相撲を見に行くことも、お墓参りさえままならない。人生のゴールに近づいた人たちが、わずかな望みさえあきらめざるを得ないこの国の豊かさとは何なのか、と何度も考えさせられた。

 初詣では孫にお年玉をやりたい。雪が溶ければ梅や桜。お盆や夏休みは離れて暮らす家族が顔を会わす。行楽の秋は紅葉狩り。こうした生活文化を日本人の多くが大事にしてきた。介護が必要になったからといって変わるものではない。それどころか、壁と天井ばかり見ていれば、よほど強い願いとなるだろう。

 制度の揚げ足を取るつもりはない。日本は社会保障の国民負担が少ない。増税も保険の負担増も好む者などいない。だから今は、自己負担するしかない。ただ、そのことが足かせとなって本人も家族もなかなか言い出せない。

 「出掛けたい場所、連れて行ってあげたい場所はどこ?」--。そんな言葉を飲み込まざるを得ない介護スタッフの目の前にある壁は厚く高い。

2010年5月17日

無関心や誤解が交通の障壁に ── バリアフリー法施行から10年

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 「そういうの増えると困るんだよね」。介護旅行を仕事とするわたしを知った航空会社の役員は、不快感をあらわにしてそうつぶやいた。

 バリアフリー旅行は手間のかかる仕事だ。サービスの現場出も特別な対応を必要とする。だから、いつも笑顔で協力してくれている現場スタッフへ感謝の言葉を述べたのだが、役員の反応は冷たかった。

 関心がないまま、実情を知らないために生じる誤解もある。「万一」を心配する声がそれだ。

 トラベルヘルパーが仕事をする際は、①本人の希望②家族の同意③主治医の許可--という3条件を満たすようにしている。ただ、③で分かるように、介護旅行を利用する高齢者はたいてい身近に医療との接点を持っており、健康に無頓着な人よりはるかに自分の体をよく知っているのだ。だから、無理や危険を冒すことはなく、「万一」のリスクは健常者より低いのではないかとさえ思う。事実、この15年、介護旅行の現場で大事に至るような出来事はなかった。

 航空会社が懸念するように、病人が出て緊急着陸すれば甚大な損失が出るのは分かる。しかし、それは体の不自由な人に限らない。

 一方の鉄道会社は、障害者割引による予約の際に障害者手帳の原本提示が求められる。新幹線などには車いす対応の座席や個室があるが、利用者が増えたこともあり、予約は必須だ。しかし、本人はそのために出掛けることが大変なのだ。

 代理の第三者が障害者手帳のような重要書類を預かるのは適切でない。窓口でコピー対応をお願いしてきたが、受理されたり、されなかったりあいまいな対応が続いた。それが最近は一切認めないことになった。納得がいかず、問うと「不正が行われる可能性がある」との説明だった。しかし、乗車時にも障害者手帳の提示を求めるのだから、やはりよく分からない。

 介護保険制度が始まった同じ年、高齢者や障がい者が交通機関の利用をしやすくすることを促す交通バリアフリー法が制定された。それから10年。ソフト面にはまだ問題山積だ。

2010年5月 9日

爪切りとありがとう ── リハビリの気持ちを支える旅

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 足のつめを切りながら、痛くないかと顔をのぞくと「ありがとう、ございます」。少し照れくさそうに先生は言った。

 一つ終えると、また「ありがとう、ございます」。少し言葉に不自由が残るその人は元医師。長く伸びたつめは、指先を巻く程だった。

 熊本から天草経由で鹿児島に入った。到着が遅かったので、昨夜は気づかないでいた。朝焼けの桜島の美しさに感激しながら、靴下を履かせようとした時に邪魔をしたので持参したつめ切りを使った。介護現場だったら大目玉を食ったかもしれない。当時は医療行為として禁止されていたからだ。しかし、トラベルヘルパーは不自然なことはできるだけその場で解決する。他人のつめを切ることなど考えてもいなかったが、行動に不自由のある人の手足になろうと努力するうち、相手の体が自分の体のように思えてくることがある。

 介護が必要になるまではマラソン、水泳、山登りとい鉄道旅行が趣味だったという行動的な先生。根っからの仕事人間、何をしても中途半端を嫌う性格が、リハビリではあだとなった。頑張り過ぎて転倒し、要介護となってしまったのだった。

 今は「ありがとうございます」が口癖のようだ。宮崎から高千穂へ向かう列車の中、昔から「ありがとう」を言ったのか訪ねてみた。先生は首を大きく横に振り「女房には、いっぺんも言わんかった」と笑った。今ではその奥さまが医院を継ぎ、家計を支える大黒柱。感謝でいっぱいという。

 夕暮れの阿蘇を見ながら、「昔、あそこから登ったことがある」と教えてくれた。ルートに入れた天草はマラソンで走った地だった。

 失うものばかりを数えた時期もあった。大分の別府は発症を知らされた時のやりきれない気持ちを抱え、たどり着いた町だという。当てもなくさまよう旅人に、タクシー運転手の親切が身に凍みた。家族にも話せない時期だった。

 今は、周囲の励ましを支えに通うプールが楽しみだ。思うように動かない体もプールの中では独り歩きができる。そして旅もリハビリに通う気持ちを前向きに支えている。

Profile

篠塚恭一(しのづか・きょういち )

-----<経歴>-----

1961年:千葉市生れ。
1991年:(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。
1995年:超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。
2006年:内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。
現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。

BookMarks

あ・える倶楽部
http://www.aelclub.com/

-----<著書>-----


介護旅行にでかけませんか──トラベルヘルパーがおしえる旅の夢のかなえかた(講談社)

問診による経営診断のすすめ方(共著)

大人の脳活性訓練ガイド(入門編)監修

トラベルヘルパー養成講座・教本
 
介護旅行でいきましょう(時事通信・連載)
 
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