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2010年4月24日

若い気付きと楽しい主客転倒 ── バリアフリー"超後進国"だったころ

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 「わたしにつかまっていれば、大丈夫」。全盲の男性はそう言うと、介助役の若い女性の手を引き、悠々と歩き出した。

 長野冬季五輪(1998年)の開催より少し前。「もっと優しい旅への勉強会」という東京のボランティアサークルが、会場と周辺施設の調査を行った。五輪の盛り上がりに比べると、パラリンピックへの注目はまだ低かった。世界に認められる大会にしようと障がいを持つ人の旅を考える勝手連が動いたのだ。

 空の玄関口、成田空港でまず問題が起こった。下見に来た外国人選手が、自分が抱きかかえられなければ都心までのバスに乗車できないと分かり、「こんな屈辱を味わったことはない」と言い残し、帰国してしまったのだという。

 とはいえ、わたしたちは車いすを利用する人たちと一緒に東京から長野に向かった。長野新幹線は開通前。車いすで一般改札を通り抜けることができず、列車も簡単には乗り込めない。その都度、移乗行為が必要だった。あの外国人選手が見たらどう思っただろう。

 調査には地元の障がい者団体が案内を買って出てくれた。本番では、各国からの関係者を彼らが受け入れるのだから真剣だ。会場施設で驚いたのは、車いす用のトイレ。扉にのぞき穴(ドアスコープ)がついていたのだ。「万一のとき、中の様子が分かるようにしてある」という説明だった。「万一じゃなくてものぞけるのでは」との質問に関係者は答えに窮し、後に改善された。

 グループは善光寺に向かった。理解のある住職により、参拝用スロープなどの整備が進んでいた。国宝級の木造建築のイメージを損ねることなくバリアフリーに改造するには高い技術が必要だ。

 寺には「お戒壇巡り」という床下の真っ暗な回廊を巡る道場がある。中に掛かる「極楽の錠前」に触れることができると御本尊と縁が結ばれ、往生の際にはありがたいお迎えが来てくれるという。一同で参加した。

 すると、先程まで元気に視覚障害者を介助していたボランティアが、暗闇の恐怖に足がすくんでしまったのだ。主客転倒となった。

2010年4月19日

「時間がない」の重み ── トラベルヘルパーの心得知った旅

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 「わたしたちには時間がないのよ!」。国境を越えるバスの中でひどくしかられた。日本の伝統文化を海外に紹介する催しで東欧を訪れていたときのことだった。

 お茶、お花、舞踊などの日本文化の継承者の多くは高齢の人たちだ。品があり、立ち居振る舞いも美しく、控えめだが威厳のあるさまは、日本人が世界の尊敬を集める十分な説得力を持つ。

 そんな高齢者たちによる国際交流の合間、わずかな休みを過ごすためバスはチェコのプラハに向かっていた。国境の税関で、数名が土産物の払い戻し税の手続きに手間取ってしまった。

 わたしをしかった老婦人は言う。「こんなところでぐずぐずしてたら、プラハの夕日が見えなくなっちゃうでしょ。あの夕日を見せたくて主人を連れてきたのに、何をもたもたしてるの」

 旧海軍から外洋航路の航海士となったご主人。かつて日本に戻るのは半年に一度、家を守ることが婦人の役目だった。不安な夜は世界地図を広げ、子供たちに父のいる場所を示したという。

 「わたしは行ったことないけど、港のあるところはよくわかるの。ずっと一緒に旅していたから」

 いつもは明るく穏やかなご婦人だった。70歳を過ぎてからの夫婦連れ添っての旅。残された時間は限られ、何度も行けるものではなかった。

「あなたは、まだ若いからわからないの」。強く、しっかりとした口調は今も耳に残っている。

 その後、障がいを持ちながら旅に出ようとする人たちの存在を知った。それからは、そうした人々が先生となり、さまざまなことを気付かせてくれた。しかし、当時わたしはまだ若く、高齢になって行く人の気持ちなど知る由もなかった。

 しばらくして、婦人はいつものようにわたしを家に招待し、食事をふるまってくれた。国境での話を持ちかけたが「もう、忘れちゃったわ」と笑って視線をそらした。ご主人はその後、亡くなった。病床で「ああいう旅なら、もう一度くらい行ってもいい」と懐かしそうに言ってくれた、と聞かれされたのがうれしかった。

2010年4月 8日

カバンぐらいなら引き受ける ── トラベルヘルパーの原点

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 大きな牛乳瓶をぶら下げて、石畳を老婦人が歩いてくる。近くで朝市がたっていたのだという。「ほら、牛乳買えたわよ」。ここはスペインの田舎町。「指を指したら通じたみたい。オレンジもおいしそうだったら、ひとつ頂いてきたわ」。

 婦人と二人、石垣に腰掛け、バスの出発を待った。穏やかな笑顔の婦人は70代半ば過ぎ、内蔵に病気を抱えていた。

 担当から、特に体調に注意するよう引き継いだお客様だった。スペイン家具が大好きという夫に同行しての参加。その夫も膝が悪く、「今度転んだら歩けなくなると医者に告げられた」と挨拶された。心配した娘夫婦が同行することになっていたが、優しそうな娘婿は旅行直前に腕を骨折し、包帯姿で空港に現れた。大きな荷物を持つのはわたしの担当と覚悟した。

 マドリード空港でトラブルが起きた。二人分のスーツケースが預けた機内から出てこない。一つは両親に付き添った娘のものだった。ひとまず予定通りホテルに向かい、休むことにした。

 ロビーで鍵を配り始めると、娘がむせるように咳をし始めた。吸入器がスーツケースの中に入っていたためショックで持病の喘息の症状が出てきたらしいのだ。ホテルドクターを呼ぶが、すぐに病院へとの診断。異国で救急車のお世話になった。幸い大事には至らず、深夜にはスーツケースの所在もわかった。

 心配だったはずの老夫婦の方は穏やかに旅を続けていた。二人は渡航が自由化される前から海外に出掛けてきた旅のベテラン、"旅行客のプロ"だったのだ。

 「娘が迷惑をお掛けしましたね」と気遣う婦人に、「皆さんが一緒に旅が続けられることが何より」と伝えると、「わたし、旅行は大好きだけど、自分でカバンを持てなくなったらやめようと思うの」と呟いた。そのとき、「カバンくらい引き受けられる。大好きなことなら続けたらいい」。ふと、そう感じた。あの出来事からもう20年になる。

 行動に不自由がある人の手や足の代わりになることから始められる仕事。トラベルヘルパーを考えた原点だった。

Profile

篠塚恭一(しのづか・きょういち )

-----<経歴>-----

1961年:千葉市生れ。
1991年:(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。
1995年:超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。
2006年:内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。
現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。

BookMarks

あ・える倶楽部
http://www.aelclub.com/

-----<著書>-----


介護旅行にでかけませんか──トラベルヘルパーがおしえる旅の夢のかなえかた(講談社)

問診による経営診断のすすめ方(共著)

大人の脳活性訓練ガイド(入門編)監修

トラベルヘルパー養成講座・教本
 
介護旅行でいきましょう(時事通信・連載)
 
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