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2011年6月19日

日石・土田爆弾事件「40年目の真実」に関する話題

『40年目の真実 ── 日石・土田爆弾事件』(創出版)
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 40年間も迷宮入りになっていた1971年の日石・土田爆弾事件の実行犯が名乗り出た本『40年目の真実』(創出版刊)が、地方紙などで大きく取り上げられ、話題になっている。共同通信の配信によるものだが、記事には書名も版元名も載っていなかったため、ネットで「書名は何か」と書いている人もいる。ここでその共同の記事と、ヤフーニュースにアップされた著者インタビューを紹介しておこう。

 詳しくは本を読んでもらうのが一番だが、一時は捜査が真犯人の身辺まで迫りながら、関係ない元活動家らを逮捕したことで冤罪事件が作られ、その無実の人たちを自白のみで起訴した。それによって真犯人周辺への捜査が打ち切りになり、真相解明は40年間、この本が出るまで闇の中に閉ざされたわけだ。警察が冤罪を作り上げる構造や、それによって真相がどんなふうに闇に葬られるか、さらに見込み捜査で進められる公安捜査の実態など、この本はいろいろなことが読み取れる興味深い内容だ。

 ヤフーニュースにアップされた著者インタビューは、月刊『創』4月号に掲載された記事の全文で、「間もなく出版」などとと書かれているが、これはもちろん既に発売している『40年目の真実』のことだ。下記へアクセスすれば全文が読める。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110608-00000301-tsukuru-soci

 共同通信の配信内容は、地方紙によっては相当大きな記事になっている。一問一答のインタビューに応じているのは本の中で「川原」という組織名で登場する爆弾事件の実行責任者だ。こんなふうにマスコミに登場するのは事件以来初めてのことだ。

■「戦旗派が実行」書籍出版  40年前の土田邸爆破事件 
 東京都豊島区の土田国保(つちだ・くにやす)・警視庁警務部長(当時)宅で1971年12月、小包が爆発し妻が死亡した土田邸爆破事件は、過激派の戦旗派元活動家の男らが起こしたとの内容の書籍を、同派関係者が28日までに出版した。

 男は共同通信の取材に「リーダーとして関与した」と説明し、同年10月に日本石油本社ビル地下郵便局で小包が爆発した日石事件も「自分たちが実行した」と話した。

 両事件では、赤軍派系の活動家とされた男性ら11人が73年に殺人罪などで起訴されたが、85年12月までに全員の無罪が確定した。警視庁幹部は「警察としては結論が出ている事件で再検証する考えはない」としている。

 同派関係者や男によると、戦旗派の「非公然部門」として男女6人が、71年夏ごろから東京都世田谷区のアジトで生活。山梨県のゴルフ場で盗んだ除草剤と砂糖を混ぜるなどして爆弾を作った。

 日石事件は当時の警察庁長官らを狙ったが、メンバーの女性が郵便局に届けた直後に暴発。土田邸の爆弾は東京・秋葉原で購入したマイクロスイッチを使って改良し、小包として郵送した。

 動機は、70年12月に東京都板橋区の交番を襲撃した犯人が射殺された際、土田部長が「正当な職務行為」と発言したためとしている。

 男は、家族の死傷は想定外だったとする一方で「当時は正しいと思っていたが、今は自分の中で整理が付かない」とも説明。事件について語った理由は「時効が成立し、真相を記録に残そうと考えたため」としている。

 戦旗派は60年安保闘争の中核だった共産主義者同盟(ブント)の分派で、69年に赤軍派と分裂。80年代に度々ゲリラ事件を起こした。

 非公然部門が爆弾作った 戦旗派元活動家の男との一問一答は次の通り。

──土田邸爆破事件と日石事件は誰の犯行か。
 戦旗派の非公然部門が実行した。リーダーの自分を含む男女6人が、除草剤と砂糖を混合して小包爆弾を作った。

──土田警務部長を狙った理由は。
 ちょうど1年前に起きた交番襲撃事件で、警官が活動家を射殺した際に「正当な職務行為」と発言したからだ。

──妻子が死傷した結果をどう思うか。
 家族が小包を開けたのは想定外だった。爆弾の威力がそれほど強力だとは思わなかった。当時は正しいと思っていたが、今は自分の中で整理が付かない。

──事件後の動きは。
 上層部が非公然部門の解散を決め、6人は海外へ渡ったり、配置換えや追放になったりした。爆弾の材料は処分した。

──今になって犯行を認めたのはなぜか。
 時効が成立し、真相を記録に残そうと考えた。

※日石事件と土田邸事件
1971年10月18日、東京都港区の日本石油本社ビル地下郵便局で当時の後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)・警察庁長官と今井栄文(いまい・よしふみ)・新東京国際空港公団総裁宛ての二つの小包が爆発し、職員1人が重傷。同年12月18日には東京都豊島区の当時の土田国保(つちだ・くにやす)・警視庁警務部長宅で、歳暮を装い郵送された小包が爆発、開けようとした妻民子(たみこ)さん=当時(47)=が死亡、四男が重傷を負った。

※戦旗派
早大の学生活動家だった故荒岱介(あら・たいすけ)氏が最高責任者を務めた新左翼組織。70年安保闘争や成田空港建設反対闘争に取り組み、1980年代には飛行弾などを使ったゲリラ事件を度々起こした。日本共産党から分離して58年に結成された共産主義者同盟(ブント)の分派で、後に日本赤軍や連合赤軍となる赤軍派と69年に分裂した。

2011年6月17日

鈴木邦男×雨宮処凛 6月24日夜トークセッション

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 最近は原発反対デモに毎回足を運んでいるという鈴木邦男さんと雨宮処凛さんの、それぞれの出版記念を兼ねたトークセッションを6月24日夜、ジュンク堂新宿店で行います。
雨宮さんは格差・貧困問題のシンボル的存在で、その3年間の取り組みをつづった『ドキュメント雨宮☆革命』を先頃創出版より上梓。最近は震災・原発問題でも新聞その他でおおいに発言しています。

 一方の鈴木邦男さんは、かつては新右翼の論客と言われましたが、最近はむしろリベラリストないしアナーキストのイメージ。「靖国」「ザ・コーヴ」など右翼団体の抗議に脅えて映画が上映中止になるといった事件では身を挺して現場に割って入るといった、他の言論人ではなかなかありえない行動で知られています。間もなく『創』の連載をまとめた『新・言論の覚悟』が出版されるのですが、「言論の覚悟」というのはまさに鈴木さんの思いを集約した言葉。全ての著書に自分の住所と電話番号を明記し、反論や抗議は受けて立つという覚悟を示しています。実際、アパートが何者かに放火されたり、これまで何度も危険な目にあってきました。

 24日のトークセッションは、そんな2人の出版を記念し、「ニッポンはどうなる?」というテーマで話し合うものです。今の2人のホットなテーマである原発反対運動についても議論がなされるはずです。

 ジュンク堂の喫茶コーナーで行われるトークで、会場と2人の距離も近く、2人とフランクな質疑応答やサイン会も行われます。なかなかない機会ですので、ぜひ足を運んで下さい。確実に席を確保したい人はジュンク堂に電話予約をお願いします。電話03-5363-1300(7階カウンターにて予約)。入場料は1ドリンク付きで1000円です。

 2人のプロフィールなど詳しくはこちらへアクセスください。
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html#20110624shinjuku

 なお鈴木邦男さんについては、7月6日(水)夜、阿佐が谷ロフトAにても出版記念トークを開催。こちらも森達也さんなどが出演する豪華な内容です。論客多数出演で楽しい会にしたいのでぜひおいでください。詳しくは下記へアクセスください。
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/

Profile

篠田博之(しのだ・ひろゆき)

-----<経歴>-----

1951年茨城県生まれ。
一橋大卒。
1979年より月刊『創』編集者。
81年より編集長。 82年同誌休刊に伴い、創出版を設立して雑誌発行を続ける。
現在は編集長兼経営者。
日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長、東京経済大学大学院講師など兼務。
東京新聞、北海道新聞などにコラム「週刊誌を読む」連載。
メディア批評のほかに、犯罪、死刑問題などについても新聞・テレビでしばしば発言。
著書『生涯編集者』(創出版)、『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)。共著は多数

BookMarks

創出版
http://www.tsukuru.co.jp/

最新号
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-----<著書>-----


『生涯編集者──月刊「創」奮戦記』
2012年6月、創出版



『ドキュメント死刑囚』
2008年8月、筑摩書房

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