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2010年9月23日

大阪地検の不祥事に三井環さんが「告発」と「審査申立」

 特捜検事の逮捕という前代未聞の検察スキャンダルだが、証拠改竄はこれまでも行われてきたのだろう。今回は裁判でずさんな捜査が明らかになった直後だけに、罪を個人に負わせてとかげのしっぽ切りですまそうというのが検察庁の思惑なのだろうが、果たしてこれをどこまで追及できるかがジャーナリズムや市民に問われているといえる。

 そんななか、検察裏金問題告発の三井環・元大阪高検公安部長が、ひとつの問題提起を行った。9月22日付で大阪地検の7人の検事の「告発状」を検事総長に提出。また、村木厚子厚労省局長逮捕時の最高検・大阪高検・同地検の検察官9人について、その適格性を問う「審査申立」を10月1日付で起こさんと申立人を募っている。

 明日24日に三井さんらは都内文京区民センターで集会を開き、この問題を訴えるという。

 18:45~21:00.開催で、三井さんのほかにジャーナリストの青木理さん、エコノミストの植草一秀さんらが発言する。詳細は、主催者のアジア記者クラブのホームページを参照のこと。 http://apc.cup.com/

■告発状(クリックすると拡大します)
shinoda100923.jpg

■審査申立書(クリックすると拡大します)
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2010年9月17日

田代まさしさん4度めの逮捕には思わず絶句した。

 マーシーこと田代まさしさんの逮捕には思わず言葉を失った。だって、この1年くらい仕事も順調に増え、音楽活動も始めていた。しかも1カ月ほど前には『帰ってこいマーシー』という激励本も出て、記者会見までやっていたのだから。

 7月29日のその会見には私も発言したのだが、奇しくもこんな話をしたのだった。「最近は田代さんと会う機会もだんだん減ってきたけれど、これは田代さんの仕事や生活が順調に行き出したため。もう一時期のようなサポートがいらなくなったためなんです」と。

 「刑務所は地獄だった」と言っていた田代さんの薬物依存との闘いについては創出版刊『審判』をご覧いただきたいが、その闘いも一定の成果をあげ、薬物依存からの脱却は軌道に乗ったし...と、会見での発言はそういう趣旨だったのだが、まさかその時、再び薬物に手を染めていたとは......。しかも、約1カ月ぶりに会ったその時、「あれ、また痩せました?」と聞いたら、本人は「いや体重はその後減ってないから」と否定していたのだった。一時、激やせしたのは胆のうの手術を行い、その後も食事制限をしていたからだが、それにしても昨日の逮捕直後の容貌を見た人はびっくりしたに違いない。激やせというレベルを超えていたからだ。逮捕による絶望感と憔悴が表情に出ていたのだろう。

 逮捕騒動に暮れた昨日は、夕方から田代さんが居住していた妹さんのマンションに行っていた。本人以外で一番ショックを受けたのは妹さんたちのはずで、ちょっと心配にもなったし、報道陣がマンションに張り付いて出入りができない状態だったから、それを何とかしようという目的もあった。

 妹さん2人とも話したのだが、今回の薬物については本当に「何故なの?」という感じだ。理由がわからない。仕事も生活も一応は順調で、周囲にもたくさんの応援する人たちが集まっていた。この2年3カ月は、本当に大変なことの連続で、出所直後は名前を聞いただけで前科がわかってしまうから携帯電話の契約も部屋の契約もできないような状況だった。そういうマイナスからの再スタートを切って、少しずつ理解者が増えていったのに、今回、それが全て無駄になってしまったわけだ。妹さんたちも私も、思わず「脱力」という感じだった。

 妹さんの携帯にはひっきりなしに電話が入り、「変な気を起こしてはだめだよ」と心配した知人の激励を受けていた。妹さんは時には号泣。「お世話になった人たちに会わせる顔もないし、それを思うと死にたいような気持ち」とも言っていた。恐らく留置場の田代さんも「死にたい気持ち」になっているはずだ。置かれた状況を考えると、今回は気をつけないと本当に自殺してしまう怖れもあると思う。

 今回は改めて薬物依存の怖ろしさを思い知らされた。たぶん本人だって頭の中では、今度手を染めたらもう帰るところがなくなってしまうことはわかっていたはずなのだ。それが理性ではやめられないのが依存症の怖さだ。この2年3カ月で大変な思いで勝ちとったものを一瞬にしてゼロにしてしまった。しかも、今度は「やり直すから」と言ったって、応援してくれる人はそういないだろう。そんなことわかっているはずなのに、それでもやめられなかったわけだ。
 
 田代さんが生活していたマンションは妹さん家族の居住地だったのだが、昨日はそのマンションにマスコミが張り付き、建物が特定できるような映像をテレビで映すわ、近隣住民に取材をするわ、出入りする人を誰何するわ...。妹さんとその家族は被害者なのに、その彼らをさらに痛めつけるようなメディア・スクラムぶり。ワイドショーなどスタジオでキャスターが正義を振りかざして逮捕された人間を断罪するのだが、現場でのこの無神経さには本当にあきれた。

 しかもお粗末なことに、実は夕方、捜査員6人が田代さんの部屋に入り、家宅捜索と妹さんたちの事情聴取を行ったのだが、正面にしか張り付いていない報道陣はいっさい気づかない。いったい何のためにマンション前に群がっていたのだろうか。

 前回の田代さんの裁判には私も証人として出廷したのだが、今度の法廷では、薬物依存対策についてもっと突っ込んだ議論をしてほしい。これだけ日本社会に薬物が浸透している現在、刑罰を科すだけでそれを防ごうというやり方では薬物防止ができないことはもう明らかだ。ドラッグコートのある米国のシステムや考え方を日本も近年、少しずつ取り入れているようなのだが、本当はもっと本格的な薬物対策を講じなければならない時期に日本が至っていることは明らかなのだ。

2010年9月 6日

テレビの追悼企画が触れられない梨元勝さんの「自主規制」批判

 「ザ・ジャーナル」の執筆者でもあった梨元勝さんの突然の死去については、この間、様々な論評がなされた。狭い芸能界でアンチ梨元も当然いたわけだから、梨元さんの仕事の評価については賛否両論あった。私も東京新聞のコラムで論評し、3日の毎日新聞夕刊の「特殊ワイド」でも長めのコメントをした。賛否の評価はともあれ、梨元さんの仕事について語ることは、日本の芸能マスコミの一時代を語ることにもなるわけだが、そういう俯瞰的な検証は『創』次号でやることにして、ここで少しこの間の様々な論評についてコメントしておきたい。

 東京新聞8月29日付「週刊誌を読む」に私が書いた原稿は以下の通りだ。テレビのワイドショーで梨元追悼企画を放送していたのを見て、そこで触れられなかった一面をぜひ書いておきたいと思った。それは、梨元さんが一貫して、テレビの「自主規制」を批判していたという事実だ。テレビではその点には決して言及できないのが明らかだからだ。以下、東京新聞でのコメントだ。

△  ▼  △

 芸能レポーター梨元勝さんの死は衝撃だった。七月下旬に入院先の病院でお会いして一カ月もたっておらず、まさかこんなに早く亡くなるとは思いもよらなかったからだ。

 芸能絡みの事件の取材現場ではいつも梨元さんと顔を合わせたから、おつきあいは結構長い。ワイドショーは追悼特集を流したが、そこで決して触れられなかった話を書こう。

 梨元さんは何度もレギュラー番組を変わったのだが、そのかなりの部分はテレビ局の自主規制に抗議しての降板だった。特にジャニーズ事務所のテレビ界支配については一貫して批判を続けてきた。

 がんとの闘病が始まってから続けていた『週刊文春』の連載の9月2日号ではこう語っている。「芸能ニュースを取材してきた私ですが、ここ数年、ワイドショーに出演する回数がめっきり減りました。なぜならば、テレビ局側の自主規制で、私の発言を制限することが増えているからです」「有名タレントを大勢抱えているプロダクションの機嫌を損ねると、自分のところのテレビ局の番組に人気タレントを出してもらえなくなるかもしれない。もしくは人気タレントが出演しているCMのクライアントから圧力がかかるかもしれない。そういう"自主規制"です」

 梨元さんのすごいのは、そんなふうにテレビ局に抗議して降板した裏事情を、活字媒体でその都度明らかにしたことだ。普通はそんなことをすればテレビ界から永久追放されてしまうのだが、それでも最後までテレビの仕事を続けられたのは、梨元さんの力と認知度によるものだろう。

 しかし、そうはいっても一時に比べてテレビの仕事はなくなり、自分で立ち上げた携帯サイトがメインの媒体になっていた。そこでの芸能ニュースの発信は、闘病中の病室からも欠かさず行っていた。まさに最期まで芸能レポーターに徹して亡くなったのだ。

 「たかが芸能、されど芸能」が梨元さんの口癖だった。政治などより芸能を一段低く見る偏見には常に反論してきた。マスメディアを覆う「強いものには従う」自主規制に一貫して抗してきた梨元さんのジャーナリスト魂に、私はいつも敬意の念を表してきた。

△  ▼  △

 その後出た毎日新聞9月3日付の「特集ワイド」は梨元さんについてのかなり大きな記事で、私は東京新聞で書いたのとほぼ同じスタンスから梨元さんを評価するコメントをした。でも、その記事には「梨元さんだってプライバシー侵害をやっていたじゃないか」という批判的コメントも載っている。

 それも真実だろう。テレビを批判しながらテレビの要求にも応じていたからこそ、梨元さんはワイドショーの寵児にもなれたわけで、頑なに原理原則にこだわっていたらテレビの仕事などやっていられなかっただろう。

 ただ、梨元さんの「恐縮です」に象徴される、取材対象との距離の取り方については、私はもう少し丁寧に論じる必要があると思っている。

 先週発売の『週刊朝日』9月10日号は、梨元さんの娘さんのインタビューを掲載していた。実は6月に肺がんであることが判明した時点で、梨元さんの余命はそう長くないことが、少なくとも奥さんや娘さんには医者から告げられていたらしい。宣告から3カ月もたたずに他界してしまうというのがガンの恐ろしいところだが、梨元さんもガンが他の病気と違うことは認識し、自分の芸能レポーターとしての半生をまとめる出版の仕事にもかかっていた。梨元さんにはせめてもう半年、自分自身と芸能マスコミの歴史について振り返り、語り尽くす時間を与えてあげてほしかったと思う。

Profile

篠田博之(しのだ・ひろゆき)

-----<経歴>-----

1951年茨城県生まれ。
一橋大卒。
1979年より月刊『創』編集者。
81年より編集長。 82年同誌休刊に伴い、創出版を設立して雑誌発行を続ける。
現在は編集長兼経営者。
日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長、東京経済大学大学院講師など兼務。
東京新聞、北海道新聞などにコラム「週刊誌を読む」連載。
メディア批評のほかに、犯罪、死刑問題などについても新聞・テレビでしばしば発言。
著書『生涯編集者』(創出版)、『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)。共著は多数

BookMarks

創出版
http://www.tsukuru.co.jp/

最新号
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-----<著書>-----


『生涯編集者──月刊「創」奮戦記』
2012年6月、創出版



『ドキュメント死刑囚』
2008年8月、筑摩書房

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