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2009年6月30日

出版界を揺さぶるグーグル問題

 先週は『創』の校了の時期で忙しくて他のことは何もできなかったのですが、先週の「週刊誌を読む」がきょうアップされたのですか。すみませんねえ。東京新聞には月曜に載るのですが、北海道新聞は水曜なので、創ブログには水曜にアップしてるのですが、今後は不定期でなくこちらにも水曜にアップするようにします(でも今回の「週刊誌を読む」はあまりこういう場で議論になるような話でないので掲載期間短くていいです)。それから足利事件の報道検証についてもフォロー記事を書くべしとのご意見があったので、近々やりましょう。

 さて、きょう書くのは、グーグル騒動についてです。えーっと、誰かこの問題について書いてないのかと思ったら、先週、マル激で神保さんが解説してたんですね。わかりやすい解説だと思います。ただ出版界が「蜂の巣をつついたような騒ぎ」になっているというのは少しオーバーですが。

 この騒動、深刻に受け止められているのは確かです。6月21日の毎日新聞で作家の桐野夏生さんが「グーグル問題に思う 小説断片化への不安」と題して書いていました。文学者らしい視点で、感心しました。本当はこの問題、こんなふうにいろいろな作家の方々が自分の意見を表明していくと、もっと面白い議論になると思うのですが、現実はというと、なかなかそうでもありません。きょうも勉強会に参加して、今帰ったところなのですが、参加している顔ぶれが大体決まってるんですね。業界団体関係者です。

 そもそも、何がどうなっているのかよくわからないという人がほとんどです。私も驚いたんですが、まずアメリカでグーグルが著作物を無断で全部スキャンしていたというのでアメリカの作家組合や出版社が提訴して、今和解手続きに入っているのですが、これ、日本にはない集団訴訟(クラスアクション)という仕組みで、その和解が裁判の直接の当事者だけでなく他の利害関係者にも適用される。ベルヌ条約に加盟している全世界の国に適用されてしまうとかいう、とんでもない話なんですね。つまり日本の著作者や出版社も、拒否手続きをしない限り、この和解案に巻き込まれるというのです。そこから離脱するにはオプトアウトという手続きが必要で、しかもその期限が最初は5月5日と勝手に設定されていたんです。しかもオプトアウトしようにも、まずネット上の手続きが難しくて、意思がありながらできない人も大勢いるというのです。

 これはあんまりだというので結局、期限が9月4日まで延長されたのですが、それまでにオプトアウトしないと、へたをすると日本の著作物もグーグルによってデジタル化され、場合によっては公開されるというわけです。しかも、グーグルは当面公開するのは絶版になっている著作物だけと言っているのですが、ある出版社が調べたら、今でも売っている本も絶版とみなされていたというのです。つまり著作物が絶版か市場流通してるかどうかはグーグルが一方的に判断することになっているのです。

 そもそも著作物の流通というのは国によってシステムが違うし、出版文化それぞれが違うわけです。だからグーグルという私企業によって、全世界の著作物が管理されていくというのはどう考えても乱暴なんですが、そこはあのストリートビューなんて無茶苦茶なものを強引にやってしまうグーグルですから。

 で、日本の著作権者や出版社も否応なく、この騒動に巻き込まれ、いったいどう対応すべきかカンカンがくがくの議論になっているのです。といっても議論をしているのは日本文藝家協会とか日本ペンクラブ、それに書協といった業界団体で、多くの著作者は、何がどうなっているのかわからずただあっけにとられているだけ、というのが実情のようです。

 業界団体の対応もまた千差万別というほど分裂しています。文藝家協会は、和解案を受け入れた上でデータ削除も含む権利主張をしていこうという考えですが、中小出版社の団体である流通対策協議会などは「まずオプトアウトすべき」という意見です。

 そんなふうに分裂した著作権者を見て、こいつらは何もわかっていない、と罵倒するネット社会の事情通もいたりして、とにかく百家争鳴状態。

 アメリカの裁判にどうして日本が自動的に巻き込まれるの!とその点には多くが反発しているのですが、でもこんなふうに国境を超えて世界中がいきなりつながってしまうのが、ネット社会の特性なんでしょうね。しかも、著作物が紙中心からデジタル中心の時代に移行するというのは、いずれやってくるわけで、日本の出版界でも、拒否をするだけでなく、グーグルの案に代わる対策を考えるべきだという意見も出ています。つまりいずれグーグルが世界中の「知」や「情報」を管理しようとしてくるのは明らかだから、それに対抗しうるシステムを作るべきではないか、というわけです。

 いや、私も専門家というわけでなく、研究会に行くたびに、「え、そうなの?」と驚くことばかりです。我々の親しんできた著作物、「本」がこれからどうなるのか、これは決して出版業界団体だけの問題ではありません。

 で、私の所属する(というか一応、言論表現委員会副委員長という立場なんですが)日本ペンクラブでも明日、この問題でシンポジウムを行います。ぜひ多くの人が来て下さい。今、何が起ころうとしているのか知るだけでも大切なことです。予約不要、誰でも参加できます。ということで最後は告知をしてきょうのところはおしまいに。

■日本出版学会/日本ペンクラブ 合同シンポジウム
グーグルブック検索和解協定を検証する
~出版流通・表現の自由・国際比較の観点から~

【開催主旨】
 米国でのグーグルブック検索訴訟の和解案が,世界中の著作権者や出版社の間で大きな議論を巻き起こしています。日本でも出版社や著作権者が早急な判断を迫られたことから,さまざまな見解や態度表明がなされ,日本ペンクラブでも4月24日付で和解案に対して懸念する主旨の声明を発表しました。過熱的状況を背景に国内外での混乱や対応に食い違いが生じた理由として,米国内での著作権訴訟が日本に影響及ぼす法的背景,「フェアユース」概念,日本にはない「集団訴訟」,ネットビジネスで採用されている「オブトアウト方式」による許諾,言論表現や出版商習慣の違いなど,国際間での理解や知識・情報不足があげられます。
 日本ペンクラブと日本出版学会は共同で,グーグルブック検索和解協定を検証するパネルディスカッションを開催します。そこでは出版流通・表現の自由・国際比較の観点から討議し,今後の議論のための知識と理解を深める機会になればと考えます。

パネリスト:
 三浦 正広(国士舘大学)
  「日米における著作権法の違い・フェアユースについて」
 原 若葉(弁護士)
  「集団訴訟・ベルヌ条約について」
 植村 八潮(東京電機大学出版局 日本出版学会副会長)
  「日米における出版流通や出版契約慣行の違いについて」
 山田 健太(専修大学 日本ペンクラブ言論表現委員会委員長)=司会
  「グーグル協定概要・表現の自由の立場からの問題提起」
(今後の状況次第で変更する場合もあります)

日 時:平成21年6月30日(火) 午後6時-8時30分
参加費:会員(ペン・出版学会)/学生 500円  非会員/その他 1000円
会 場:東京電機大学(神田キャンパス) 7号館 丹羽ホール
    101-8457 東京都千代田区神田錦町2-2
    http://atom.dendai.ac.jp:80/info/access/kanda_map.html
交 通:JR 御茶ノ水駅・神田各駅より徒歩10分
    地下鉄 新御茶ノ水駅・小川駅・淡路町各駅より徒歩3~5分
問合せ:日本ペンクラブ事務局
Tel.(03)5614-5391  Fax.(03)5695-7686  http://www.japanpen.or.jp
日本出版学会事務局
    info@shuppan.jp  Tel.(03)5684-8891  Fax.(03)5684-8892

2009年6月29日

週刊誌を読む:メディア側の都合で変更 テレビ欄並び順、説明なく

 なるほどそうだったのか。『週刊現代』6月27日号「テレビ番組欄『並び順』変更の舞台裏」を読んでそう思った。

 この春、三月三十日付から、関東の朝日新聞、日経新聞、日刊スポーツのテレビ欄の並び順が変更された。それまでチャンネルの若い順に掲載されていたのが、テレビ朝日とテレビ東京が中央寄りに移動したのである。

 どうしてそうなったかわからなかったのだが、二〇一一年の地上デジタル放送完全移行をにらんでの措置なのだという。地デジ化に伴って二桁のチャンネル番号がなくなり、テレビ朝日は「5」に、テレビ東京は「7」になるというのだ。

 それで、どうして特定の新聞だけ、それに対応した並び順に今、変更したかというと、紙面中央に移動するというメリットが生じるテレ朝、テレ東の系列紙がいち早く変更に踏み切ったという、大変わかりやすい事情なのであった。

 そして『週刊現代』のこの記事は、テレビ欄の変更で、視聴率に実際どんな影響が出たかも検証している。結論は「変更直後に視聴率は激変」。変更をはさんだ前後の週でフジテレビの全日の平均視聴率がダウンし、テレ朝がアップしているのだという。

 記事中でテレビ局関係者がこうコメントしている。「視聴者は人気番組について、今さらテレビ欄で放送日時の確認はしませんが、深夜番組などはテレビ欄の番組紹介を読んで興味を持つ人がいるんだろうと思います」

 この記事は「影響があった」という結論なのだが、ただ考えてみれば変更したのがちょうど番組改編期でもあり、何のせいで視聴率が変わったか特定するのは難しい。それよりも、メディア側の都合で特定の新聞のテレビ欄が変更され、しかもそれが読者にほとんど説明されないという、そっちの方が私には気になったのだった。

 さて『フライデー』が6月26日号から誌面を刷新した。表紙に「フライデーは変わります!」と大書、署名記事を増やすなどしたのである。翌週7月3日号の表紙に「リニューアル号完売御礼!」と書いているから刷新号は売れたらしい。この誌面刷新については次回論評しよう。


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※『週刊誌を読む』は「創」編集長・篠田が毎週、東京新聞に連載(北海道新聞・中国新聞も転載)しているコラムです。

【バックナンバー】 http://www.tsukuru.co.jp/shukanshi_blog/

2009年6月18日

週刊誌を読む:足利事件、責任追及を マスコミ報道の検証必要

 十七年半も無実の罪で囚われていた足利事件の菅谷利和さんのケースは本当に悲惨だ。

 週刊誌各誌がこの問題を取り上げているなかで『週刊現代』6月27日号「足利事件冤罪を作った『警察官・検事・裁判官』の実名」が出色だ。当時の捜査官や検事、裁判官らの実名を太字で掲げ、全員に直撃取材を敢行。「ノーコメント」と逃げ回る様子をそのまま記事にしているのだ。

 こういう個人の責任追及はもっと行われてよいと思う。官僚もそうだが、警察官や裁判官など国家権力を行使する人間の責任の重さはもっと自覚されてしかるべきだ。

 責任を省みるという意味では、事件当時のマスコミ報道の検証もせねばならない。「当局発表そのままに菅谷さんを『有罪報道』してきたのもメディアなのだが、そうした過去を省みる姿勢は、今のところ皆無である」と、新聞・TVを厳しく批判したのは『週刊文春』6月18日号だ。じゃあ週刊誌はどうなの?と突っ込みを入れたい気にもなるが、これ自体は正論だ。

 『週刊文春』といえば、二週にわたって報じられた日経新聞の劇画連載中止事件が興味深い。「日経新聞初の劇画連載」と五月三十日に鳴り物入りでスタートした小池一夫氏の劇画連載が、何と一回で中止となった。実は六月四日発売の『週刊文春』6月11日号が「日経に劇画新連載小池一夫 第二の小室で訴えられる」という記事を掲載、その日に連載中止が発表されたのだった。

 『週刊文春』の記事は、劇画界の重鎮・小池氏が、自分の著作物の独占的使用権をある実業家に数億円で譲ったのに、それと別に日経の新連載を始めたとして、これを「権利の二重売買」であり、昨年の小室哲哉氏の著作権二重譲渡と同じだと報じたものだ。

 この記事が日経の連載中止のきっかけになったのは明らかだが、『週刊文春』はさらに翌週の6月18日号で「小誌スクープで連載中止」と銘打ち、続報を掲載している。

 気になるのは、連載中止について、日経新聞が読者に詳しい説明を行っていないことだ。説明責任というのは、マスメディアにとって極めて大事なことだと思うのだが。


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※『週刊誌を読む』は「創」編集長・篠田が毎週、東京新聞に連載(北海道新聞・中国新聞も転載)しているコラムです。

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2009年6月13日

最近明らかになった連続幼女殺害事件・宮崎勤死刑囚の「遺言」

 発売中の月刊『創』7月号で詳しく書いたが、昨年6月に処刑された宮崎勤死刑囚の「遺言」が、つい最近明らかになった。昨年4月4日付で宮崎死刑囚が書いた文書を母親に預けておいたものだ。「肌身離さず持っていて!」とあるから、宮崎死刑囚も大事なものだという認識で託したのだろう。

 中見は、友人知人に預けたもの、拘置所に預けたものを細かく箇条書きしたものだ。普通に考えれば、自分の身に何かあった時のために書きとめたもので、遺族はそれを「遺言」と呼んだ。ちなみに、物を預けたのが一番多い知人は私だった。

 この文書がいささか衝撃的なのは、宮崎死刑囚は生前、刑確定後も死刑判決を受け入れておらず、自分には関係ないことだと語っていたからだ。そう主張しながらも、死刑執行に備えて遺言を残していたとすれば、彼が内心では死刑について少しずつ考えるようになっていたことの証しといえる。

 ただ、よくわからないのは、拘置所に預けたものを書いたリストの表題が「出所時に、どうしても宅下げしたいもの」とあることだ。宮崎死刑囚は一貫して自分は無罪だと主張し、再審請求も望んでいた。だからこの文書は、いつか罪が晴れて「出所時」が訪れることを考えていたとも受け取れる。

 この文書を、遺族は「遺言」と受け止めたが、宮崎死刑囚が自分の死をどこまで覚悟していたかは、にわかに判定できないものだ。いろいろな可能性を想定して、いざという場合のために書き残したということなのだろう。

 ただ、こんなふうに自分が処刑される可能性を具体的に想定していたことは、彼と12年間接してきた私にとっては、衝撃的であった。

 確かに死刑確定後は死刑に言及する機会が増えたから、それ以前よりも彼がその問題に向き合うことが増えたのは理解できるのだが、「遺言」を残すという具体的なところまで彼が考えていたことは、今回の文書で初めて明らかになったといえる。

 宮崎死刑囚は、最後まで理解することが難しい人物だった。統合失調症だという見方と「詐病」だという見方とが相半ばした。彼が自分の「死」についてどう考えているかは、何度も尋ねたが、明快な答えは得られなかった。

 『創』7月号の記事「確定死刑囚は『死』とどう向きあうのか」は、確定したばかりの林眞須美死刑囚や、奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚など、私が長年接してきた死刑囚たちの近況を明らかにしながら、彼らが「死」をどう考えているか書いたものだ。

 ぜひ読んでいただいて意見や感想を寄せてほしい。

2009年6月11日

週刊誌を読む:後味悪い草なぎさん復帰 会見で特定メディア排除

 「THE JOURNAL」に参加させてもらって約1カ月になる。自分の書いたことに賛否様々な意見をいただくのは、匿名言論を相手に議論する大きなハンデという問題はあるとしても、言論に携わる者にとっては貴重なトレーニングの場だと思っている。後で書きこまれた意見を見て、自分の書き方の至らなさを反省することもしばしばだが、特に北野誠さんについて書いたものについては、ちょっとコメントしておきたい。

 それと、その議論の途中で、筆者も次のトピを立ち上げたし…と書いてる人がいたが、あれは私が次のをアップしたわけでなく、毎週東京新聞などに書いているコラム「週刊誌を読む」が自動的に転載されていくものだ。今回の草なぎ会見の話もそうで、以前関連したテーマをオリジナル原稿としてアップしている。

 さて、北野問題は「そう複雑ではないと思う」というタイトルのせいもあって、私がたいした問題ではないと言っているかに受け取った方もいたようだが、そうではない。タレントが全番組をいきなり降板させられ、しかも事務所は説明責任を果たさないというのは大変な問題だ。ただ私の原稿は、週刊誌が書いていたことをたぶん真相はこうではないかと解説しただけで、自分で取材したわけでもないので、なるべく主観を排そうとしたものだ。

 それとこの処理をめぐる松竹芸能と朝日放送の過剰な自主規制の問題と、最終的にそれに従うという道を選んだ北野さんについての論評は、実はなかなか難しい。私自身も、そうかこういう意見もあるんだ、と思ったのは、例えば日刊サイゾーに載っていた芸能記者・本多圭さんのコメント。本多さんはバーニングの周防社長の批判記事を書いては何度も訴えられてきた。いわば周防社長と文字通り体を張って闘ってきた人なのだが、今回の問題については北野さんに比較的厳しい論評をしているのだ。

 まあ、基本は、バーニングやジャニーズ事務所が、こんなふうに芸能界のみならずテレビなどのメディア界を支配している、しかも道理の通らぬ現実がまかりとおっていながら、きちんとそれを批判するジャーナリズム機能が働いていないという問題だと思う。

 これは大きな問題なのだが、とりあえず今週月曜の東京新聞「週刊誌を読む」に書いたジャニーズ事務所のメディア支配についての記事を関連としてご覧いただきたい。たぶんこういう批判がそのまま掲載されるのは、一般紙だからこそで、テレビなどではこういう発言をしたとたん、批判をした方が飛ばされるのが現実だ。

*  *  *  *  *  *  *

■週刊誌を読む:後味悪い草なぎさん復帰 会見で特定メディア排除

 5月28日、フジテレビで会見を行い、SMAPの草なぎ剛さんが芸能生活復帰を果たした。歓迎ムードを過剰に煽るテレビと対照的に、週刊誌ではこの復帰会見に批判の嵐が吹き荒れている。

 ジャニーズ事務所が週刊誌や東スポなど、これまで批判的な記事を書いてきたメディアや、前回の謝罪会見でもめたNHKを会見から排除したというのだ。

 『週刊文春』6月11日号は、グラビア記事でこう書いている。

「この日、小誌は草彅が復帰会見を開くという情報をキャッチ。早速ジャニーズ事務所に場所と時間を問い合わせたのだが、返ってきたのは驚愕の答えだった。
『記者会見の話は、こちらでは何も聞いておりません』
そんなはずはないと再度確認すると、しばらく待たされた後に、
『対応できる者が外出していて、わかりません。こちらでは何も把握していませんので』
と繰り返すのみだった」

 そういう対応の末に特定のメディアを排除したまま、記者会見は行われたのだった。

『FLASH』も6月16日号でこの会見を批判。同誌の場合は「受付で会見場への立ち入りを断られた」とし、芸能関係者のこういうコメントを載せている。「事務所のいつものやり方ですよ。批判的な記事を書いたらこうなるよ、と」

 ジャニーズ事務所は批判的記事を書いた媒体をリストにし、事務所への取材だけでなく、所属タレントが出演する番組などへの取材も拒否するという徹底したやり方をとっていると言われる。しかも、その「敵性媒体」には、ジャーナリズム系の雑誌の大半が含まれているという。

 私は草なぎ逮捕は警察の勇み足だと思うし、復帰は歓迎だが、しかしこの会見をめぐる騒動にはイヤーな思いがした。そもそも今回の問題は、一般紙も大きく報道した社会的な事件だ。事務所の都合で特定の媒体を会見から排除するなどあっていいはずがない。

 こんなことがまかりとおっているのも、ジャニーズ事務所の機嫌をそこねてはドラマやバラエティが成立しないと、同事務所の意向に平身低頭するテレビなどのメディア側の姿勢があるからだ。

 情けない話である。

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※『週刊誌を読む』は「創」編集長・篠田が毎週、東京新聞に連載(北海道新聞・中国新聞も転載)しているコラムです。

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2009年6月 8日

週刊誌を読む:インフル騒動、検証続々 政府・マスコミ批判も

 『SPA!』6月2日号のコラムで神足裕司さんがこう書いている。「タバコの煙がもうもうと立ちこめる新幹線で2時間あまりを過ごしてきた乗客が、新大阪駅で一斉にマスクを着け始めたのには、異様さを通り越して笑いそうになった」

 関西で新型インフルエンザが確認された頃の光景だ。その後、感染は首都圏にも拡大した。その一カ月の騒動を検証し、政府の対応を批判する記事を各週刊誌が掲載している。

 『週刊現代』6月6日号のコラムで大橋巨泉さんは「日本は騒ぎすぎだと思う」と書いている。大橋さんは5月10日、一番緊張感が高まっていた時に日本を出て渡仏。ところが誰一人マスクをかけておらず、新聞・テレビもほとんど報じていない。日本とのギャップに驚いたという。

 『アエラ』6月1日号で北大大学院の教授がこうコメントしている。「恐らく、公表されている感染者数の何倍もの人が感染しているはずだ。だからと言って深刻になる必要はない。その多くに症状が出ていないからだ。早く季節性のインフルエンザとして対応すべきだ」

 同誌の特集には、薬局でマスクが売り切れたことを受けて「完売なら作ればいい」という記事も掲載されている。ネットで様々な人たちが提案した「手作りマスク」の紹介だ。台所の三角コーナーに被せる「不織布のゴミ袋」を利用したもの、コーヒーフィルターで作ったマスク等々。笑ってしまうのが生理用ナプキンで作ったマスクだ。「素材を人に気付かれないかと挙動不審になるのは難点」と書かれている。

 『週刊文春』6月4日号は、マスコミの当初の過剰な対応も俎上に載せている。例えば神戸高校の取材に現れた某紙記者三人は「先端の出っ張った高機能のマスクと、医療用の透明のゴーグルを装着」していた。他紙の記者が「細菌テロの取材かと思いましたよ」とコメントしている。

 感染が秋以降ひどくなるという報道もあり、今後どうなるかわからない。前出『アエラ』記事の末尾で北大大学院教授はこう述べている。「インフルエンザウイルスは根絶できないんだから、人類は共存する方策を検討すべきなんだ」

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2009年6月 4日

北野誠降板事件の真相はたぶんそう複雑ではないと思う

 こんなに頻繁に書き込むつもりなかったんだけど、『創』は「創価学会系の雑誌ではないか」なんてとんでもない誤りが書き込まれたりしていたので、「それは違います」と言うために再度書き込むことにした(汗)。書いた人はたぶん『潮』と勘違いしたか、「創」という文字が創価学会を連想させたという、他愛のない誤解なのだろうが、こういうのはきちんと訂正しておかないと、それを今度は本当のことのように引用したりする人がいるからだ。くわばらくわばら。

 ちなみに、発売中の「創」6月号ではちょうど雑誌ジャーナリズムの特集をやっていて、「創」がどうやって今にいたったかという話も書いているので、それを本屋さんでちょっとだけ見ていただければと思う。

 さて、それだけでは何なので、先頃一度書き込んだ北野誠降板事件について、よくわからないという人が多いようなので、ちょっと解説しておこうと思う。余計なお世話だけど。
レギュラー番組を全部降板という深刻な事態なので、たぶんよほどの事があったのだろう、あるいは北野さんは余程大変なことをしゃべったに違いないと思う人が多いのだと思う。でも、これたぶんそう複雑な話ではない、と思う。

 まず北野さんはものすごい真相を語ったとかいうことではなくて、問題になったのは、いわば悪口、毒舌。『週刊朝日』が幾つか事例をあげていたけど、「政治家Hと女優Aはヤッテル」といった噂話、ゴシップで、これを放送では匿名で、イベントでは実名をあげたりして話すというのが、彼の「芸」だったというわけだ。たぶんウラがとれたものでなく、彼が業界内で耳にした噂なんだろう。こういう芸風もあっていいと思うし、内輪のライブで「これはテレビでは話せないけど」と言って内幕話をするというのは珍しいことではない。

 それを、こんなことを言っていたと、メモにとるか録音して、事務所や音事協に送りつけていた、しかも何年もそれをやっていた人がいたというわけ。こういう人も確かに、時々いるよね。特にネットが普及してからは、イベントで「これはオフレコだけど」なんて言っても翌日にはネットに書かれていたなんてのは日常茶飯事。だから発言する人は、そういうのを覚悟して話さないとならないわけだ。

 で、そういう「ご注進」が、それはギャグ、芸風だから、という話で終わらなかったのは、音事協でも力を持つ芸能界のドンと言われる人に絡んだ「毒舌」があったからだろうと言われている。週刊誌も曖昧な書き方ながら、それがバーニングプロの周防郁雄社長だろうと噂されていることは書いている。

 その具体的な中身だけど、『週刊朝日』では「ある音事協関係者」がこうコメントしている。「録音テープが最近、どういうわけかバーニングプロダクションにも送られてきて、バーニングやキョンキョン(小泉今日子)を中傷する発言が、芸能界のドンといわれる周防郁雄社長を激怒させたそうです」

 『週刊新潮』では「バーニングの社長はヤクザみたいなもんやから」と北野さんが言っていたとも書いている。このヤクザ云々は、周防社長が一番嫌がる話で、こういうことが書いてある記事に対してはこれまでも猛抗議や提訴をしてきたのがこの人だ。実は『創』もかつて抗議も提訴もやられている。

 外部のマスコミにそうなのだから、音事協加盟社の所属タレントが言っていたと聞いたら、当然ながら激しい抗議はなされるわけだ。意味深なのが北野さんと事務所社長の謝罪会見で、安倍こういう一節があることだ。「北野の不適切な発言によりまして、対象者の方々に多大な迷惑をかけました。ここに深くおわびを申し上げます。特に、本来仲間であるはずのタレントや関係者に関する発言があったことは許すわけにはいきません」

 で、結局、所属事務所の松竹芸能と朝日放送が困りはてて、北野さんに詰め腹を切らせた。……というのが、週刊誌などが遠まわしの書き方ながら言っていることだ。

 そもそも北野さんの毒舌そのものが何かを取材して告発したといったものでなく、毒舌の「芸」としてやっていることなのだから、裏がとれているのかとつきつめられたら困ってしまうだろう。

 それが、いや芸としてやっているのだからマジで怒っても困るという言い訳で終わればよかったのだろうけど、そうはいかなくなった。

 北野さんと事務所社長は会見を行い、不適切な発言があったことを謝罪したのだが、その会見で発言の中身をあかすわけにいかない、というのも、言われた方が本気で怒っていたら当然でしょう。だから、この騒動は、そう異常な話ではない。

 これも会見で意味深だったのが、「芸能プロダクションに関する発言はあったのか」という質問に対して北野さん本人が否定したのだけれど、サンケイの「会見詳報」によると、こう書かれている。質問があった後、「質問者を凝視し、北野さんはしばらくして返答した。北野さん『…ありません』」。記事をまとめた人の主観がどの程度入っているか不明だが、「宗教団体についての発言はあったのか」という質問には即「全くありません」と答えているから、同じ否定でも違っていたというのである。

 バーニング圧力説も会見で本人が否定した、と言われているのだが、まあ質問されたら否定するしかないでしょう。事務所側は、外部の圧力によるのでなく、自主的判断で決めたと言っているわけだし。

 恐らく北野さん自身は、こんな形で事態を収めれば、毒舌を売りにしてきた自分の芸風が成立しなくなると考え、ケツをまくってしまうことも一時は考えたに違いない。でもその結果、松竹芸能をやめるばかりか、芸能界で風圧にさらされることもあることを考え、結局、涙の謝罪という道を選んだのだと思う。

 以上、これまでの報道を総合しての、私の解説である。

2009年6月 1日

草なぎ復帰会見でのジャニーズ事務所の対応を東スポが批判

 6月1日放送のフジテレビ「SMAP×SMAP」で草なぎ(なぎという字がワープロで出てこないので平仮名で代用)事件後、初めてSMAP5人が顔を揃える。5月28日に行われた収録前に囲みの会見が行われ、情報番組などで翌日一斉に放送されたのだが、この会見に東京スポーツが異議あり!の報道を行っている(29日売りの30日付)。見出しは「NHKも本紙も締め出し!!草なぎ“復帰会見”の異常」。

 記事によると、この会見からジャニーズ事務所側は、東スポなど特定の媒体を排除したという。NHKは前回、謝罪会見の時の放送をめぐって事務所ともめたせいだが、東スポなどを排除したのは、これまで同紙がジャニーズ事務所批判を行ってきたからだろう。

 でも、こういう公共性の高い社会的事件の会見で批判的な媒体を排除するというのは、どう考えてもおかしい。草なぎ復帰が異例の早さで行われた背景には、マスコミ全体を覆った同情ムードがあったわけで、事務所としてはそれに水をさしたくないと思ったのだろう。これを東スポは「お帰りムード演出の茶番」と非難している。

 これまでもジャニーズ事務所は、批判的媒体は徹底的に排除してきた。映画「武士の一分」がヒットした時には、文藝春秋が原作の文春文庫の帯に主役キムタクの写真を使おうとしたら、それも拒否。『週刊文春』がジャニーズ事務所批判を行ってきたことへの報復だった。

 ジャニーズ事務所がいまやテレビ界や芸能マスコミを支配しているのは公然の秘密だが、どう考えても度が過ぎると思われる事例が少なくない。例えば以前『創』で江原啓之のスピリチュアルブームを検証するために、テレ朝の番組に取材申し入れをしたところ拒否にあった。後で関係者に事情を聞いてみると、その番組はジャニーズ事務所が関わっており(所属タレントが司会をしている)、事務所からこの媒体の取材は受けないというリストが渡されている。当然その中に『創』も含まれているのだが、ジャニーズ事務所に何の関係もない取材でも事務所の意向は絶対なのであった。

 ちなみに、そのリストには総合週刊誌など雑誌はほぼ全て含まれているという。一度ジャニーズ事務所から「敵」の烙印を押されると、取材拒否はもちろん、あらゆる局面で不利益を受けるという仕組みになっているわけだ。テレビ局はジャニーズ事務所に睨まれたらドラマのキャスティングなどできなくなるから、もう平身低頭だ。

 おかしいのは、かつて『創』がジャニーズ事務所のマスコミ支配の実態を連続して誌面化した時のことだ。ジャニーズ事務所から激しい抗議が来たのはもちろんのことだが、同事務所の言いなりになっていると記事で批判した芸能雑誌や出版社からも抗議が一斉に来た。ほとんどが横並びの同じような文面なのだが、思わず笑ってしまったのは、『創』の記事で批判どころか全く触れていない出版社からも同じ文面で抗議が来たことだ。事務所に言われて横並びで行動しているのは明らかで、この情けない状況がマスメディアの現実だ。若者向けのエンタテイメント雑誌も、ジャニーズ事務所の協力を得られるかどうかが死活問題なのだ。

 断っておくが、私は、あの草なぎ逮捕は不当だと思うし、逮捕が報道された途端に手のひらを返すようにCMや出演番組の中止が決まっていった状況を本当におかしいと思う。だから草なぎ復帰には賛成なのだ。でも、復帰できるとなった途端にまた同情ムードを過剰に演出するテレビ局のあり方や、会見から特定の媒体を排除するといった現実は、本当に情けないと思う。テレビ局などジャニーズ事務所と対立してはやっていけないというのはわかるが、ちょっとこの現実は度を越している。マスメディアは単なる私企業でなく、社会的性格を持っているはずなのだから、もう少し道理が通ってしかるべきだ。

 でも取材拒否にあいながら、ただ負けっぱなしになるのでなく、きちんと抗議の紙面を作るという東スポの姿勢は拍手ものだ。おかしいことをおかしいと言うことさえできなくなったら、言論報道の世界は真っ暗闇だが、残念ながら今のマスコミ界の現実は限りなくそれに近づいている。

Profile

篠田博之(しのだ・ひろゆき)

-----<経歴>-----

1951年茨城県生まれ。
一橋大卒。
1979年より月刊『創』編集者。
81年より編集長。 82年同誌休刊に伴い、創出版を設立して雑誌発行を続ける。
現在は編集長兼経営者。
日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長、東京経済大学大学院講師など兼務。
東京新聞、北海道新聞などにコラム「週刊誌を読む」連載。
メディア批評のほかに、犯罪、死刑問題などについても新聞・テレビでしばしば発言。
著書『生涯編集者』(創出版)、『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)。共著は多数

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創出版
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-----<著書>-----


『生涯編集者──月刊「創」奮戦記』
2012年6月、創出版



『ドキュメント死刑囚』
2008年8月、筑摩書房

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