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« 多民族共生国家への夢を若い世代に託したい
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将来の日本国民を養成する新しい人材育成制度を »

少子高齢化の暗雲をはね除ける移民1000万人構想

 人口は国家と経済と社会を構成する基本的要素である。その人口が減少の一途をたどれば、国家は衰退し、経済は縮小し、社会は成り立たなくなる。これは自明の理だ。

 日本は未体験の人口減少期に入り、人口危機の重圧が社会全体を覆っている。特に、このままでは負担が重くなる一方の少子化世代(ゼロ歳から30歳まで)の未来に暗雲が垂れ込めている。少子高齢化がもたらした閉塞状況を打開し、未来への展望を開くために我々は何をなすべきか。それは青少年の共感を呼ぶ「日本の未来像」を示すことだ。

 一国の人口推移は、人の「出生」と「死亡」と「国際移動」の三つの要因によって決まる。出生者が死亡者を下回る人口減少問題に直面して、政府は少子化対策すなわち出生率の向上に全力で取り組んでいる。子育て支援のための予算も随分つぎ込んでいる。しかし、これを続けていけば、はたして日本人口は増加に向かうのだろうか。

 少子化の時代が訪れるのは高度文明国の宿命だと考えている。日本だけでなく世界各国とも、教育の充実、都市化の進行、女性の地位向上、個人の生き方の多様化など、文明の発達とともに少子化社会に入っている。成熟した文明社会の日本では、少子化時代がしばらく続くと考えるのが自然だ。仮に日本の少子化対策が成功を収め、出生率が飛躍的に高まり、人口が増加に転じる時が来るとしても、それは生まれる人の数も死ぬ人の数も少なくなった「少産少死」の時代以降の遠い先であろう。

 したがって、かなりの長期間にわたって、人口危機を和らげる特効薬と考えられる国の政策は、人の「国際移動」に焦点をしぼって、外国から移民を受け入れる以外にないのである。しかもこれは効き目が早い。

 私は、前述のとおり、50年間で1000万人の移民を迎えることを提案している。少子化と高齢化の人口問題に「移民立国」で対処し、日本の中に世界の「人材」を取り入れるものである。異なる民族がまじわることで、新たな文化と創造力とエネルギーを生み出し、日本を生き生きした国にしようというものだ。これは、日本の未来を担う少子化世代に希望を与える国家ビジョンではないか。

 多数の移民を受け入れた欧州では、生活習慣や宗教の違いによるトラブル発生など、国民と移民の社会統合に悪戦苦闘している。フランス、ドイツなどで起きている移民の問題点を持ち出し、「日本は移民を受け入れるべきではない」という意見もある。しかし、もう日本人だけでは経済と社会を運営できない事態に立ち至ったことを直視すべきだ。人口ピラミッドの崩壊が何をもたらすかに目をつぶり、無為無策のまま国力の衰微を速め、子や孫の世代を奈落の底に沈ませていいのか。

 例えば、人口激減に見舞われている農林業地帯では、耕作放棄地が拡大し、日本人が営々と守り続けてきた水田と森林の荒廃が進んでいる。食料・資源の確保のみならず、国土・環境の保全を図る見地からも、存亡の危機にある農山村社会を再生させる的確な手を打たなければならない。

 現在、300万の農業人口のうち、180万は65歳以上だから、あと20年もすればほぼ半減する。今でも食料自給率は4割前後にすぎないのに、将来の食料生産はいったいどうなるのか。林業の世界にいたっては、国土の6割が森林面積であるのに、9万人ほどしか就業者がいないと聞いている。歴史遺産の森林を荒れ放題にしていいのか。それがもとで川や海や空気を汚染させてもいいのか。水産業も同じで、海に囲まれ、水産物資源に恵まれているのに、就業者数も漁獲量も減り続けている。人口減の直撃を受けている第1次産業をどう立て直すか。日本が直面する喫緊の課題である。

 大不況に人口減少が重なる国家的危機の時代を迎えた日本は、国運をかけて、世界規模で行われている人材獲得競争に打って出るべきだ。欧州の失敗を他山の石とし、日本の伝統と精神風土に根ざした移民政策を確立し、移民開国に舵を切る時だ。

 移民1000万人は一応の目安で、50年かけて今の英国、フランス、ドイツ並みの「10人に1人が移民」の移民国家へ移行しようというものである。それを確固とした移民政策を打ち立てて達成する。受け入れ態勢と移民の社会適応の進捗状況を勘案のうえ、年次受け入れ計画を立て、秩序正しく入れていく。その場合、移民受け入れ計画は国会の承認事項とし、特定の国の人または民族にかたよった移民の受け入れは行わないことを鉄則とする。

 国民を代表する国会が移民政策の決定に関与するのは当然だ。世界各国の国民・民族を公平に入れる移民政策をとれば、外交上・安全保障上の利益にかなうだけでなく、多民族の国民統合を比較的容易に成し遂げられるだろう。

 大量の移民を受け入れるに当たっては、世界に開かれた透明で公正な移民受け入れ基準を定める必要がある。例えば、英国、カナダなどで導入されているポイント審査制を参考に、日本語能力、学歴、職歴、年収など具体的な審査項目を定め、公表する。

 日本の歴史において明治維新のときが第1の開国だと言われるが、明治時代には外国人はほとんど入っていない。江戸幕府が鎖国政策をとっていたからいかにも開国のように映るが、メインはたかだか500人ほどの「お雇い外国人」を欧米先進国から招聘しただけだ。今まさに日本国の大計を立てる案件として浮上した「移民1000万人構想」は、外国人材の受け入れという意味では、有史以来の日本開国を目指すものである。

 日本列島の中で1200年以上の長きにわたって同じ文化を共有する者ばかりで暮らしてきた日本人が、異なる民族と親密な人間関係を結ぶのは容易ではないだろう。気心の知れない外国人とつき合うよりも日本人同志でいるほうが気が楽だと思っている人々はまだ多いと推測される。私も心情的には、日本人が大半を占める「小さくてまとまりのある日本」が好きだ。

 しかし、グローバリゼーションの大波と人口崩壊の危機が迫る時代に生きる日本人は、もはや「日本人だけの世界」に閉じこもって安穏に暮らすことはできないと肝に銘じるべきだ。「移民歓迎」と「共生社会」の旗を掲げ、異なる民族と正々堂々と向き合い、「外国人と共に生きる世界」を築くしか生き延びる道はない。

 法務省入国管理局の役人時代、私は不法外国人などから「鬼のようにこわい人」とおそれられていたという話だ。そんな入国管理一辺倒の人間が、いきなり50年間で1000万人の移民受け入れをと言い出したのだから驚かれた人もいるかもしれない。一方で、出入国管理秩序を守るため厳格な入国管理を行ってきた元行政官の提言ということで、実際的な政策だと真剣に受け止められた面もあるようだ。「なるほどそういう考えもあるのか。現実みがある」といった感想も寄せられている。

 「『小さな日本』の立場から『大きな日本』の立場に変わった」ことが研究者のあいだで話題になっていると、私をよく知る山脇啓造明治大学教授から言われた。確かに未曾有の規模の移民受け入れを公言している。しかし、50年間で1000万人の移民を入れても、総人口は3000万人も減ることに留意すべきだ。私の基本的立場は「小さな日本」に軸足を置いたものである。50年後の日本国民に美しい自然環境と安定した社会を遺すことを国家目標とし、少なくともこの50年間は人口が減少していく社会を甘受すべきだと考えている。世界の先頭を切って人口減少時代の国のグランドデザインを描き、日本が世界のモデル国となってほしいとの思いに変わりない。

 21世紀の世界においては、主として人口の増加に起因する飢餓、資源の枯渇、環境破壊など、人類の命運にかかわる問題がいちだんと深刻になると予測される。そのような中で、人口の減少を肯定し、「小さな社会」を目指す日本の国づくりは、地球文明のあるべき姿を先取りした画期的な取り組みと国際社会から評価されるだろう。

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http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

坂中英徳氏のブログに関しまして、先ほどまでシステムトラブルによりコメントの投稿ができない状態となっておりましたが、現在は復旧しております。

ご迷惑をおかけいたしました。

お詫び申し上げます。

以前コメント出来なかったので、よろんずコメント欄に投稿しました。したがって、記事がだぶりますが、改めて投稿させていただきます。

---------------------------

この主張にはかなり危険な要素があるし、その前提が間違っている。まず前提として間違っている点を挙げる。

>その人口が減少の一途をたどれば、国家は衰退し、経済は縮小し、社会は成り立たなくなる。これは自明の理だ。

全く自明の理ではない。人口が国家の力の源泉であるなら、どうして中国やインド、そしてアフリカの人口大国がいままで大国になり得なかったのか。過去に於いて、男子の数がそのまま兵力になっていた時代でさえ、これらの人口大国は常に欧米の餌食にしかならなかった。この歴史の事実を見るだけで、人口が減れば国家が成り立たないのが自明の理だとは言えないはずである。

>少子高齢化がもたらした閉塞状況を打開し、未来への展望を開くために我々は何をなすべきか。それは青少年の共感を呼ぶ「日本の未来像」を示すことだ。

問題は人口ピラミッドのゆがみであり、高齢化社会になることだが、これは本質的に1000万人の移民受け入れで解決するわけではなく、むしろ社会のゆがみをさらに拡大する要因となる。詳細は後述する。

>しかし、これを続けていけば、はたして日本人口は増加に向かうのだろうか。

確かに解決しなければならない問題だが、移民受け入れは解決にならない。詳細は後述。

> したがって、かなりの長期間にわたって、人口危機を和らげる特効薬と考えられる国の政策は、人の「国際移動」に焦点をしぼって、外国から移民を受け入れる以外にないのである。しかもこれは効き目が早い。

まず少子高齢化社会が解決出来ないと決めつける根拠はない。方法は様々あるだろうし、現実にフランスや北欧諸国などでは積極的な政策で人口減にブレーキがかかっている。

> 私は、前述のとおり、50年間で1000万人の移民を迎えることを提案している。少子化と高齢化の人口問題に「移民立国」で対処し、日本の中に世界の「人材」を取り入れるものである。異なる民族がまじわることで、新たな文化と創造力とエネルギーを生み出し、日本を生き生きした国にしようというものだ。これは、日本の未来を担う少子化世代に希望を与える国家ビジョンではないか。

氏の提案では国家を破壊する。もちろん、自然な外国人の受け入れや帰化を防ぐ必要はないし、もともと、この島国の人間達も遠い昔様々な外国から渡ってきた人たちの子孫であり、また数百年、数十年にわたってごく自然に日本に住み着き、日本人となった人たちも多い。それはいわば自然増であり、1000万もの移民を政策として受け入れるのとは大きく違う。

まず受け入れる民族として考えられるのは隣の人口大国中国からであろう。今でさえ多くの不法滞在中国人が様々な問題を起こし、密航や偽装結婚で日本に入り込み、国から引き継いできた反日教育を子供達に施し、そして彼らだけの集団を作る。これが世界で大きな問題になっていることを無視してはならない。また、50年もの間に入ってきた彼らは、当然日本人よりも出生率が高く、結局彼らのみが増え、日本人の人口増が却って抑制される可能性が高い。すなわち、人口ピラミッドがますますいびつな形になるし、50年後、累計1000万の移住者はその出生率の高さから2000万ではきかない数に増えているだろう。一方、減少する本来の日本人の人口の5分の一以上を移民が占める状態が受け入れられるのだろうか。

もちろん、人種差別で中国人を排撃すべしと言うのではない。自ら日本を愛し、日本人として生きようと決心している中国人も多いだろう。だから、それは自然増に任せておけばよい。

だが、彼らが根強い反日教育で洗脳され、日本国内で人口の5分の1にもなるゲットーを作る危険性を考えたことがあるのだろうか。現実に、これは単なる杞憂ではない。私のブログttp://takaojisan.blog13.fc2.com/にも詳しく書いてあるが、中国は他国との協調をしない国であり、また政策として反日政策を採り続け、歴史を捏造し思想言論の自由を封じかつ強烈な日本憎悪思想を教育し続けている国である。そのような刷り込み教育を受けた大量の中国人が現実に周辺国に大量に流入し、その国の根底を揺るがしている例は枚挙にいとまがない。チベット、トルキスタン、内蒙古は言うに及ばず、現在ではミャンマー、ネパール、ブータンなどが彼らの浸食にあっている。

彼らが日本に住めば日本に敬意を払い価値観を自然に受け入れるだろうと考えてはならない。むろん、本人の理性で、本人の意思でそうなる中国人はいるだろうが、中国の国策としての道具として人民を使う手段は今に始まったことではない。

> 多数の移民を受け入れた欧州では、生活習慣や宗教の違いによるトラブル発生など、国民と移民の社会統合に悪戦苦闘している。フランス、ドイツなどで起きている移民の問題点を持ち出し、「日本は移民を受け入れるべきではない」という意見もある。

これに対する対策を一切述べずに移民作を主張するのでは説得力が皆無である。なにしろ、大規模移民以外の方法で人口増を実現する方法が無いと決めつける根拠がない。試行錯誤はあろうが、現実にフランスや北欧諸国などでは人口増に転じている例もある。日本独自の方法でそれを模索すべきではないのか。

また、日本の人口が果たして少なすぎるのかどうかは全く別の問題であり、かつて日本の適正人口は5000万と言われていたこともあるし、実際、大量の移民をブラジルやペルーに送り出していたこともあった。

適切な人口がどの程度かは正確には分からないが、少ない人口でインフラを集中出来、国民の生活レベルを上げ、ひいては一人あたりの購買力を上げることも可能だ。

減に、中国人平均の一年の購買額は9万円程度、日本人は220万円を超えている。

人口が少なくても、総額での購買力は、一人一人にコストを集中することで上げられる。

つまり、人口と購買力は比例しない。経済力も比例しない。世界の2%しかいない日本人が世界第2位の経済大国を創り上げ、世界でトップクラスの技術立国となり、世界トップクラスの先進国になった。これは、国民の数が適切であり、教育やインフラ投下などがきわめて効果的に行われてきた為だ。

なぜ未だに中国、インドが途上国であり、さんざん欧米に蹂躙されてきたかの理由を考えてみるべきなのだ。人口さえ増えれば国力が上がるなどは余りに安易であり、危険である。

> 例えば、人口激減に見舞われている農林業地帯では、

農業、林業も大規模化機械化が可能であり、むしろ、もっと従事者人口を減らして効率を上げる方法を考えるべきなのだ。徒に人間を増やせばよいというものでない。

> 現在、300万の農業人口のうち、180万は65歳以上だから

労働力不足は存在しない。現実に今でも大量の失業者がおり、大量の不法滞在者が仕事をしている現実を無視してはならない。肉体労働は機械が取って代わり、事務、開発などはコンピューターがやる時代、20年、10年前と比べて一人あたりの生産性が如何に上がったかを無視することが出来るだろうか。農業も大型企業化を進めれば効率が上がり、省力化できる。今の農業労働力不足は、日本農業に魅力が無く、若い人間が離農するからだ。これを解決しないでただ海外から入れればよいと言うのは、本末転倒と言わざるを得ない。


>移民受け入れ計画は国会の承認事項とし、特定の国の人または民族にかたよった移民の受け入れは行わないことを鉄則とする。

これこそ、世界から不公平と言われるだけのこと。移民の必要性が多い国もあれば少ない国もある。要するに相手次第であり、この相手国の需要を日本の法律で決めるなど出来ない。現実に決めても、それが相手国の不満を生むだけだ。


>外交上・安全保障上の利益にかなうだけでなく、多民族の国民統合を比較的容易に成し遂げられるだろう。

現実に多民族国家がそれを理由に安定している例があるなら挙げてみて欲しい。アメリカの最大の問題は民族の和解ではなかったのか。世界各国各地で悲惨な内戦を引き起こしているのは民族対立ではないのか。

>例えば、英国、カナダなどで導入されているポイント審査制を参考に、日本語能力、学歴、職歴、年収など具体的な審査項目を定め、公表する。

これは自然増に適応すれば済むこと。

> 「移民1000万人構想」は、外国人材の受け入れという意味では、有史以来の日本開国を目指すものである。

その必要性はない。世界の多民族国家も、歴史の必然性で自然にそうなっただけであり、政策的に民族移動をしたわけではない。むしろ、現在シベリアやチベットなどに政策で大勢の中国人が移住し、急速に漢民族化が行われている。ロシアでは露骨にその締め出しにかかっているくらいだ。チベットやトルキスタン、内モンゴルでは民族浄化が行われている。

50年後、日本人口の5分の一以上が政策的に反日意識を植え込まれた中国人とその子孫にしめられることが何を意味するか、今主張している筆者が見届けられるわけではあるまい。政策的に反日思想云々は考えすぎだと言うのは自由だが、現実に中国が今やっていることを見、世界中に中国人ゲットーが出来ていて、世界でも犯罪の温床になっていると危機感を持たれている。中国人だけに門戸を開くわけではない、と言うのは勝手だが、需要と供給の関係からすればそれはあり得ない。

> しかし、グローバリゼーションの大波と人口崩壊の危機が迫る時代に生きる日本人は、もはや「日本人だけの世界」に閉じこもって安穏に暮らすことはできないと肝に銘じるべきだ。「移民歓迎」と「共生社会」の旗を掲げ、異なる民族と正々堂々と向き合い、「外国人と共に生きる世界」を築くしか生き延びる道はない。

しかし、世界では日本をうらやましく思っているとの本音もちらほら聞こえてくる。サルコジ氏だけではあるまい。

> 「『小さな日本』の立場から『大きな日本』の立場に変わった」ことが研究者のあいだで話題になっていると、私をよく知る山脇啓造明治大学教授から言われた。確かに未曾有の規模の移民受け入れを公言している。しかし、50年間で1000万人の移民を入れても、総人口は3000万人も減ることに留意すべきだ。

まさに、人口の民族分布の内、どの部分が減ってどの部分が増えるかを考えるべきであり、結果として中国の民族浄化作戦に手を貸すことになる。戦わずして日本を手に入れる事が出来るなら、中国がためらうはずがない。日本の意志だけで事が進むと考えるのは甘すぎる。日本人が減って中国人の出生率の高さから強固な反日意識を持った中国系日本人が数千万になると言うことは、どういう事か、1000万移住を主張される前に、きちんと説明していただきたい。

書き込もうと思いましたが、上の人が私がほとんど言いたいことを言ってくれましたので、一言だけ。
「現代の世界最大の問題はChina peril(支那禍)」
地球が丸ごとチベット化・東トルキスタン化・内モンゴル化しようとしているこの危機に、全人類が立ち上がれ!

坂中氏の論説は『移民政策』の方向なのかも知れない。
この論説は、移民を『政策の具』としていると非難されないだろうか。
その意味では、鬼の入管局長と変わる所があるのだろうか。

この論説以前に(カール・ポパーの言う意味で)日本を『開かれた社会』にすべきである。
『政策の具』として移民を扱えば、ネオナチズムが台頭するだろう。
『友愛』も一つのキーワードである。
移民の逆境を生き、(社会としての)日本に貢献できた人が、この問題を扱うべきである。


坂中さん

移民構想は、少子高齢化社会が現実となる日本にとって、真剣に議論するべき時期がかなり目前に迫って来ていると思います。

話される少子化世代の負担は、このままの状況で進むなら本当に計り知れないでしょうね。

医療・介護分野は致命的で、経済的に回復していなければ悲惨な状況となるでしょう。仮にお金持ちであったにせよ今よりも格段に落ちる介護状況になると思います。

農業を始めとした働き手の不足、そして納税者不足、購買力不足と明るい未来が見えてきません。

そんな意味での移民1000万人構想は議論する意味がある。

一方で、たかおじさんが説く『危険性』や『日本人の持っている感情』が、たやすく受け入れるものではないのも事実です。

そして何より、『政策』の大切さを無視した『政局』目的になる現実。

もし言い出せば『外国人地方参政権』同様、いやもっと酷いバッシング、「売国だ、危険な思想だ、民主党の本質が出て怖い・・・」
そんな言葉がネット上に溢れかえってしまうでしょう。

マスコミも、ここぞとばかりに民主党叩きが始まることになるだろう。


素人考えですが、民主党の少子化対策をより強化して、出生率を大幅に上げることが 本当に目指すべき道である。強化には今以上の財源が必要となるが専門家に考えてもらう。

もし移民政策を言い出すのは、民主党が衆参で安定多数を占め、国民生活を良くした後でなければ 言い出してはいけない。その頃には自民党は更に縮小しているだろう。

そうなった時こそマニフェストにかかげて民意を聞くのもいいのではないでしょうか?勿論さまざまな移民問題を解決できる法案を示した上で。


池田 虎正様 | 2010年1月 6日 06:07
 仰るとおりだと思います。
 足掛け15年海外に住んでつくづく思うのは、人間にとって国境とか、国家とか言うものは、平和で豊かに暮らしていく上では、邪魔者になってきているなということです。

 その意味で坂中さんの論考には、人を道具或いは生産手段としてしか見ていないところが、根底のところに潜んでいるのではないかと思われます。
 これは、少子化対策にも感じられるところなのですが、子供を生むか生まないかというのは、基本的には人々の意思で決められるべきことで、政府が援助するのは結構ですが、強制することでは有りません。

 移民受け入れとは逆に、我々中小企業は生き残りをかけて海外展開をせざるを得ないという切羽詰った状況もあります。
 1000万人の移民を受け入れる前に、1000万人の日本人が海外で働く時代が来るのではないか、そうでなければ、ものづくりの日本企業はすべて潰れてしまい、日本が作り上げたその文化や技術は消えてなくなってしまうのではないか、との感じもしています。

 中国の問題等確かにあるのでしょうが、だからといってこれ以上アメリカに尻尾を振って生きていくのも、いろんな意味で限界でしょう。
 活路は、東アジア共同体を展開し国境の壁を取り払うこと、地方主権を推進し国家の役割を、人々の手が届きコントロール可能なところに引き戻すこと、以外にないように思われます。
 

@たかおじさん

反論の一つ一つが、ちょとズレてる気がします
坂中さんはガバナンスの話をしているわけであって、
日本人の特性とか、そんな呑気な話をしているわけじゃないでしょう

人口が減少する資源小国で、経済成長が維持できたケースは近代史上一つもありません
マイナス成長する経済で
どう国の運営を維持するか
という問題から
移民を考えることは、ごく当たり前のことですよ

「中国やインドが人口大国だったのに、ナゼこれまで・・・」
という反論ですが、
近代化をしたのが最近だからでは?
だからこそ近代以前の世界では、
インドを一つの国として考えることが困難なのです
ただし中国は例外ですが、
国民国家に近いまとまりをもっていただけ
諸文明圏の中でもトップクラスの経済力を維持していたと思うのですが・・・

「移民だったら中国の人が来る」
という反論ですが
移民審査という枠を坂中さんは語っていたような・・・
グローバリゼーションにおける労働力移動は
それぞれの国が単純に人を輸出するわけではないでしょう
そもそも
近代化した中国の最大の売りは、
莫大な労働人口です
しかも現在の中国は人口抑制政策のために
日本よりも早い少子高齢化社会に突入しかねません
自国の労働力流失を黙って見ているとは思えないのですが・・・

また、「中国やインドが植民地になった理由は・・・」
という反論ですが
何度も言うように、日本が先に近代化に成功したからでは?
極東の島国で資源小国、
という地政的条件がどれほど
日本独自の近代化に有利に働いたか考えた方がよいかと思いますよ?
そもそもアメリカに次ぐ経済大国になれた理由も、
つい最近まで
日本が近代化した国家の中ではアメリカに次ぐ人口(つまり国内市場)をもっていたことが大きいのではないでしょうか

ようするに、たかおじさんさんは
中国やインドの人が嫌いなんだなあ、
としか言いようがない反論をしています

移民の最大の問題は、
被雇用側の労賃が下がり、競争が激しくなることです
これまで組合などによって守られてきた正社員の労働環境を
移民は確実に破壊してしまうでしょう

ま、雇用側が有利になり
みんな派遣のようになる社会だと思えば間違いないと思います
こうした社会像はべつにかまわないのですが、
社会のセイフティネットの整備をどうするか
あまり坂中さんは考えてない、
という反論が何よりも重要でしょう
移民が増加すれば、日本にめったいにないストリートチルドレンといった、セイフティネットからこぼれ落ちる人々の増加も考えられますから・・・

匿名 | 2010年1月 6日 11:34 様

基本的に匿名ではお答えいたしません。論議をされたければ、HNを名乗ってください。

あるいは、私のブログにお出でになってコメントしてください。

 たかおじさんへ
 歴史を観察した場合、中国、インドとも国家としてまとまった場合は世界に冠たる大国で西欧列強は手も足も出ませんでした。近代化が遅れたのは西欧列強の植民地政策による侵略時が中国インドともに国内体制が乱れており、王朝末期の時期と重なったためです。植民地化や国内の混乱が外国の干渉により大きく遅れたわけです。
 2次大戦後中国は国共内戦を経て中国共産党が一党独裁国家としてインドは独立し民主主義の中で政権交代を行いながらまとまり発展へのステップを踏み出しているところではないですか。
 勿論大英帝国がそうであったように永遠の繁栄が続く国家はありません。栄華が続くのも長くても最大で数世紀というのが過去の歴史です。今後は最大でも繁栄の機関はせいぜい1世紀程度となるのではと想像します。
 これは一般的に言われている歴史だと思いますが。貴方の歴史観とは合致しないようです。
 

妹尾 | 2010年1月 6日 19:10 様

> 歴史を観察した場合、中国、インドとも国家としてまとまった場合は世界に冠たる大国で西欧列強は手も足も出ませんでした。近代化が遅れたのは西欧列強の植民地政策による侵略時が中国インドともに国内体制が乱れており、王朝末期の時期と重なったためです。植民地化や国内の混乱が外国の干渉により大きく遅れたわけです。

正にその通り。古代において世界に冠たる文明大国が、欧米に蹂躙されたのは、彼ら自身の内部紛争に乗じられたからです。人口の大小が国力を決めるわけではないと言うことですよ。

> 2次大戦後中国は国共内戦を経て中国共産党が一党独裁国家としてインドは独立し民主主義の中で政権交代を行いながらまとまり発展へのステップを踏み出しているところではないですか。

そのずっと以前に、世界の辺境であったヨーロッパは人口小国同士のせめぎ合いをしながら、同時にインドや中国を蹂躙しつくしたのですが違いますか。人口小国が人口大国を食い尽くした事実はどう考えますか。人口の大きさがなぜ中印を守らなかったのでしょう。

近代になり、ようやく帝国主義の嵐がやみ、欧米が露骨な帝国主義の矛を収めたからこそ、インドも中国も再発展をし始めることが出来たのではありませんか?これも、中印の人口の多さが何か助けになっていましたか。むしろ、妨げになっているようその方が大きいようですよ。

ここの主題は、人口が大きければ国力が増すのかと言うことです。あなたの主張は全てそれを否定していますよ。

> 勿論大英帝国がそうであったように永遠の繁栄が続く国家はありません。栄華が続くのも長くても最大で数世紀というのが過去の歴史です。今後は最大でも繁栄の機関はせいぜい1世紀程度となるのではと想像します。

人口小国のオランダ、スペイン、イギリス、ポルトガルなどが交互に世界を制覇しましたが、その間古代の文明大国、人口大国はどうしていましたか?文明の寿命はその通りでしょう。しかし、そこに人口の多寡が一切関与していなかったのも事実ではないのでしょうか。


> これは一般的に言われている歴史だと思いますが。貴方の歴史観とは合致しないようです。

いいえ、私は一般に言われている歴史に沿って主張しています。

再度ご確認願いたいのですが、古代に於いてすでに文明大国であり人口大国であったインドや中国は、その国土の広さと人口の多さから分裂を繰り返し内部分裂に明け暮れ、欧米に乗じられました。

私の歴史観は以上の通りですが、妹尾様は、人口が多ければ国力が衰退することはなかったはずだ、だから、人口と国土の広大さにより内部分裂を起こした古代文明国家は何かの間違いだとおっしゃいますか?

ただし、私も一方的な人口減少や著しい少子高齢化が問題ではないとは言っていません。やはり対策は講じなければなりませんが、人間を政策の具とする移民受け入れでは解決せず、却って日本を危うくすると言っているのです。

@たかおじさんへ

やっぱり妹尾さんのご指摘とズレてますよ・・・
たとえば
妹尾さんは、近代初頭の諸文明圏の混乱を指摘していますよね?
なのに、それに対し、
「人口小国が人口大国を征服した」
と反論するのは、ちょとズレているんです

そんなことを言い出したら、
有史上の
征服王朝系はすべて
人口小国が人口大国を征服しちゃったことになりますよ?

で、たかおじさんさんの論法だと
ゴート族などの
ゲルマン部族は
ローマ帝国よりも優秀な連中ってことになってしまいます

さて、十字軍のケースや
近代初頭のケースを想起すれば分かりますが、
ヨーロッパの対外侵略行為には
つねにヨーロッパ人口の爆発的増加が背景にあります

「欧米の侵略」に注目するのは結構ですが、
人口小国が云々という論点は思いっきり間違えています
事態は逆で、
人口増加が侵略の誘因になっているんですよ
もちろん
人口の爆発的増加はヨーロッパに限りませんし
中国でも何度も起こっています
しかし
中国(および中国化された征服王朝)が対外侵略に
非常に消極的だった理由は、
よく誤解されている有名なテーゼ、
「四海同胞」
(周り野蛮人ばっかだから、オレたち自身以外にはあんま興味ねえな)
に見られるような、
ナイスな文明人としての誇りがあったからです

また、王朝の栄枯盛衰はべつに
中国やインドに限ったわけではなく、
ヨーロッパの各王朝も同じだったりします
(ローマ帝国を想起してください)

王朝が循環する歴史が壊れたのは
近代的な社会システムが
西ヨーロッパで発生したことが最大の原因なのです

そして、この近代的な社会システム、
ぶっちゃけ資本主義においては
経済成長という観点が不可欠であるために
ガバナンスを論じる際に
人口(国内市場)問題が常に出てくるのですよ

もちろん人口問題を回避するために、
古い産業資本主義ではなく
金融工学的なスタイルの資本主義で
日本のガバナンスを論ずることもできるでしょう

しかし、この手のシティやウォール街的な態度は
あまりこの国では好まれません
そのくせ
移民も好まれません

・・・たかおじさんさんの意見は、
移民に反対する一般的意見に
非常に近いのですが
この手の反対意見からは
日本を一体どうしたいのか、まったく見えてこなかったりしますよ

>とりあえず | 2010年1月 7日 10:33 様


>妹尾さんは、近代初頭の諸文明圏の混乱を指摘していますよね?
>なのに、それに対し、
>「人口小国が人口大国を征服した」
>と反論するのは、ちょとズレているんです

いや、人口の多寡が国力には無関係と言うことでです。近代初頭の諸文明圏の混乱を指摘したのは妹尾様です。私は最初の投稿では不必要なので触れませんでした。単純に、現時点で中国インドがやっと再発展を始めた途上国なのは人口の大きさが国力には関していないとの実例を示したからです。


>征服王朝系はすべて
>人口小国が人口大国を征服しちゃったことになりますよ?

まさか。それを飛躍と言います。古代に於いて、中国インドが大文明国であったことは周知の事実であり彼らが周辺の小規模民族を平らげていったのは事実ですから。
>
>で、たかおじさんさんの論法だと
>ゴート族などの
>ゲルマン部族は
>ローマ帝国よりも優秀な連中ってことになってしまいます

これも主旨の取り違え。人口が少ない方が優秀だとも言っていません。結果として人口小国が人口大国を従えたのだから、人口の多寡と国力は関係がないと言っているんですが、どうしてあなたのような解釈になるんでしょうねぇ。人口が少ない国の方が人口大国より国力が上、と私どこかで書きましたっけ。
>
>さて、十字軍のケースや
>近代初頭のケースを想起すれば分かりますが、
>ヨーロッパの対外侵略行為には
>つねにヨーロッパ人口の爆発的増加が背景にあります

ちなみに、有史以前から、中国インドは他地域に比べ人口大国だったようです。資料は私のブログにありますので、「少子高齢化の暗雲をはね除ける移民1000万人構想」という記事の末尾に点けてあります。確認したければどうぞ。ヨーロッパの人口爆発も、中国インドの当時の人口に比べれば色あせますよ。


>「欧米の侵略」に注目するのは結構ですが、



>人口(国内市場)問題が常に出てくるのですよ

その通りです。その彼らの外部進出のターゲットが、アフリカ、アジア、中南米などと一緒に中国インドだったわけで、中国インドの大きな人口がまったく欧米の侵略の防壁にはならなかったと、私は言っているのですが。つまり、彼らを跳ね返すだけの国力を当時の中国インドが持っていなかったということです。十七世紀ー二十世紀など、ヨーロッパの外部進出が激しかった頃も中国インドは人口大国であり続け、侵略され続けていたのが、人口の多さは国力につながらなかったと私は何度も言っているんですよ。

中国インドの内部事情や、ヨーロッパの内部事情はさしたる要素ではありません。結果として、人口の多さが国力の大小には関係がないと、それだけのことです。


>・・・たかおじさんさんの意見は、
>移民に反対する一般的意見に
>非常に近いのですが
>この手の反対意見からは
>日本を一体どうしたいのか、まったく見えてこなかったりしますよ

少なくとも、政策的に1000万の移住はしてはならないと明確に主張しています。その政策を採ればどうなるか、採らなければどうなるかも書いたつもりですが。

主点は本来自由である人間の意志を刷り込みで固定し、国策の具にする国にこの国を売り渡すなと言うことですが、その国策の具にしている国の事情を実感するかしないかで、この意見に対する反応も変わるでしょうね。ですから、基本条件として、中国の実態が単なる右翼の宣伝なのか、または事実進行している現実から割り出せるものなのかの判断が先でしょう。

皆さんのコメント読ませていただきました。

議論を混乱させないために、いくつか論点を整理した方がいいように思います。

1.まず、
(1)総人口の減少
(2)人口ピラミッド(世代間の人口の比率)
の問題を区別すること。

 議論の冒頭では両方の観点が出てきていたのに、半ばからはもっぱら「総人口と国力」の話になっています。
 「日本で個人が幸せに生活していくこと」という観点からは、総人口や「国力」が減少しても、一人当たりの各種の数値が維持又は向上していれば問題ない可能性がある。もちろん、人口減ないし「国力」低下によって、こうしたパラメーターに悪影響を与えるということが立論できれば、この2つの問題はリンクします。この2つがリンクしない場合でも、人口ピラミッドの歪みが「日本で個人が幸せに生活していくこと」に悪影響を与える可能性について検討する必要があります。

 なお、この議論をするときには、「国力」という概念をある程度、論理的に真偽検証可能な程度に操作化して定義する必要があると思います。そうでないと、イメージ操作の情緒論理、疑似論理になってしまいます。

 もちろん、人口減や「国力」低下の問題についてどのような結論になろうとも、人口ピラミッドの問題により、日本住民の生活が困難に陥るのだから、前段の問題について議論する手間・時間をとる必要はない、というポジションもあり得ます。この場合、「国力」をどう定義するかという問題も、棚上げすることができます。 

2.次に、総人口の減少も人口ピラミッドの歪みも、
(3)出生率対策(少子高齢化傾向の是正)
(4)国際人口移動政策
の2つのファクターによって政策的には対処することになると考えられますので、1.において、「総人口の減少も、人口ピラミッドの歪みも、両者とも悪影響を及ぼすことはない」という結論にならない限り、政策的にこの(3)(4)についてどのように評価すべきか、ということを議論する必要があります。
(3)については、さしあたり次のような論点が考えられるでしょう。
・移民を積極的に受け入れる政策をとらずに、出生率向上策のみを実施した場合、「望ましいレベル」まで出生率を向上させられる見込みはあるのか。
・「望ましいレベル」とは何か。総人口を維持できるレベルなのか、それとも、人口ピラミッドを通常の上向き三角形にするレベルなのか、総人口に占める生産年齢人口の比率をある一定の値にすることなのか。(2つめと3つめはあまり違わないように見えますが、実は、年金支払いを先延ばしする等して、75才とか、80才まで働かなければならない社会にするという「生産年齢の幅の拡大」という政策オプションもなくはないので、厳密には違うことです。ただ、あまり現実味はないのと、これを議論に組み込むとかなり錯綜するので主たる筋には組み込むのはやめた方がいいと思います。現在の国民主権・民主主義のもとでは、まず先に、若者が革命を起こして、日本国籍でも高齢者であれば参政権を行使できないようにするなどしない限り、実現はできないでしょう。)
・「望ましいレベル」に到達できるとして、それにはどのくらいの時間がかかるのか。また、その到達から、懸念されている諸問題(社会保障、生産現場等)に解決インパクトを与えるまでの時間差はどのくらいか。
・「望ましいレベル」に「間に合うタイミング」で到達させるための政策を実施するためのコストをはじめとして、引き替えに犠牲にするものはないのか。あるとしたら、何か。

(4)については、さしあたり次のような論点が考えられるでしょう。
・積極的な移民受入政策に転換することなしに、定住を希望してくる個人に対して、在留許可を与えていく現行のシステムでは、人口減ないし人口ピラミッドの問題を解決することはできないのか。あるいは、問題が生じるのか。
・積極的な移民受入政策に転換する必要があるとしたら、その中身は何か。
・その政策を実施すれば、人口減ないし人口ピラミッド問題について「望ましい状態」を実現できるのか。「望ましい状態」とは何か。(具体的な候補は(3)に準じる。)
・その政策にかかるコスト、犠牲や、懸念事項は何か。
・「望ましい状態」までの到達時間と、到達から諸問題解決インパクトまでのタイムラグ。

 例えば、中国人ばっかりになってしまうんじゃないかという懸念については、現行の在留許可のシステムと、積極的な移民受入政策に転換した場合とで、どちらの方がコントロールしやすいのか、という比較をする議論が伴うでしょう。それ以前に、中国人が反日思想を植え込まれた国内反日分子となっていくから増やしてはならない、という見方がどうなのか、ということもありますが、そうでなくても、確かに特定の民族だけが突出して大きな比率を占める状態は避けた方が良いと考えられますので、対策を議論した方が手っ取り早いでしょう。もちろん、個人の人権を何よりも優先する立場から、現行のシステムであっても移民受入政策であっても、そもそも民族別の人口構成を政策的にコントロールすること自体がナンセンスである、という意見もあり得るでしょうが。

 「国力」と侵略の問題ばかりになると、議論すべき諸問題のうち、ごく一部に偏ることになりますから、議論すべき主たる問題領域全般に目配りしながら議論しませんか。

 連投失礼します。

 一応、論点の整理と、自分自身の意見は分けた方がいいと思ったので、分割して投稿させていただきました。

 そういうおまえはどうなんだ、という突っ込みが必ず入ると思いますので、私自身の基本的スタンスを書かせていただきます。

・総人口の問題を棚上げにしても、人口ピラミッド(社会保障を支える世代と支えられる世代)の歪みを解決しないと、どちらの世代にとっても悲惨な状況になる。まず、地方から地域社会の崩壊が始まり(おそらく、もう既に始まっている)、一部の都市部を除いて、日本全国が限界集落化していく。
また、上記のフロー同士の比率の他に、ストックとしての公的債務の総額と、フローとしての現役世代一人あたりの所得との比率の数値の悪化も防がないと、国債の債務不履行等、破綻国家になる、力のある若者ほど外国に移住してしまう等の破綻シナリオになる可能性が極めて高い。(この「ストック問題」があるので、極端な政策インフレ政策による債務の軽減化(及び世代間の所得移転政策)をとらない限り、総人口もなるべく減らない方がいい。ちなみに、現行の民主主義システムのもとでは政策インフレはなかなかに実現は困難と見る。)
・政策的にコントロールすべき目標変数は、生産年齢人口が総人口に占める割合。
・この人口ピラミッド問題の対策としては、出生率向上策だけでは間に合わない。たとえ今日この瞬間に突然、出生率が3.0になっても、その子たちが働き始めて税金・保険料等を納めてくれるようになるのに、約20年のタイムラグがある。財政、産業等の破綻を防ぐのには、間に合わない。
・したがって、「日本を放棄する」という選択肢をとらないのであれば、移民受入政策への転換しか選択肢はない。好むと好まざるとに関わらず、である。
・移民の積極的受入への転換に伴う諸問題に対処しなければならず、移民受入政策の中身にはそれが盛り込まれるべき。
・コストについてはきちんとした研究による試算を待ちたいが、出生率向上策単独の場合よりも、移民受入政策との政策ミックスの方が有利と見る。少なくとも、出生率向上が効果をあげるまでのタイムラグの間、そのためのコスト増の負担は、即戦力~数年の適応期間で働き手になってくれる移民による生産年齢人口の増加策しかない。

人手不足の国内産業分野と失業のミスマッチ問題や、起業したり研究開発したり技術を受け継いだりする人材が国内だけでは払底しつつある、というような付加的な論点もありますが、骨組みとなるべき部分は上記のような部分だと考えています。


>ゴーゴー夕張 | 2010年1月 7日 14:08様

まとめていただいてありがとうございます。

私も要点は絞りたいのですが、皆さんが質問されるのでつい逸れてしまいました。

人口について一般論

1)人口の大小は国力には関係がない。
2)ある国にとって適切な人口がいくらかははっきりしない。肉体労働がそのまま生産力に結びつく時代ではなく、今は機械が生産効率を上げているので、労働力不足は無関係。3)知的産業は人間が行う必要があるが、それは少ない人口に集中して教育投資を行うことで知的労働の質を高められるし、明らかに一部は機械で置き換えられる。
4)人口が減ることで購買力が減少するわけではない。一人あたりが豊かになれば総額としての購買力は上がる。
5)ただし、限りなく人口が減少して良いものではなく、如何に自然増を図るかは国家の重大な責務である。結局、人口が負担になりすぎず、生産と消費のバランスから国民生活が一番向上する地点が適正人口と言えるのではないか。
6)人口が少ないことでまとまりやすく、国民の質を上げやすく、またインフラ効率も高いと言うメリットがある。
7)人口が多いことで大きな産業を興しやすい。国内で十分に成熟させ、対外的な競争力を持つことが出来る。ただし国内で成熟させられるだけの購買力と消費者のレベルの高さが必要不可欠であり、人口が多すぎれば難しい。

移民政策の是非

1)移民に頼らずに人口ピラミッドの是正が出来るのかは、反対に移民をすれば是正が出来るのかの問題になる。
2)フランスなどは現実に人口の自然増に成功しつつある。フランスはアフリカ系の移民を大量に入れ、結果として国内に不安な要素を招き入れてしまった。価値観や文化の違う大量の移民が入ってくれば、差別意識などとは無関係に必ず起きる問題である。
3)自然に自らの意志で一定基準を満たして移住してくる人間を拒む理由はない。しかし、そこに特定の国の政策、意志が絡んでくるのであれば、警戒しなければならない。
4)中国には日本に政策で反日教育を施した人民を大量に送り込んでくる可能性はあるか。むろん、中国政府は否定するだろうが、現在チベット、トルキスタン、蒙古に起きていること、さらにネパール、ミャンマーに起きている進行中の出来事を見ると、中国の意図は明らかに思える。少なくとも、無いと断定出来ない以上避けるべきである。今冒険をすることで将来取り返しの付かない事態になりかねないからである。
5)現実に中国人は世界中で中国人だけのコロニーを作り、現地となじまず、犯罪の温床になっているとの非難が多い。日本でも最近は池袋に中華街を作る動きに対し、地元では反対が多いが、旧来の住民達との融合を図らないことが理由となっている。

これらについて反論を述べる人は、具体的な根拠、実例を挙げてしていただきたい。マスコミの刷り込みなどとの言いがかりは一切無視します。

 具体的な論拠、実例を必ず求めるということになると、学者のように、意見を言える範囲が非常に狭くなる(結果的に異論・反論の封殺となることにより、お互いにかみ合わない各自の言いっぱなしとなり、建設的な討論の場にならなくなる)ので、その辺はあまり厳格でなくてもいいことにしませんか。論理的に飛躍がないこと、何を前提として、何を論拠としているのか等、他者がトレースできる論理構造がはっきり提示されていれば、とりあえず理性的な議論ができると思います。

 さて、たかおじさんさんのご意見は、私の整理にひきつけさせていただくと、次のようなことになるのかなと思います。

 以下の理由により、移民受入政策を採用すべきではない。
1.政策的にコントロールすべき目標変数は「国力」で、これは人口が減っても、一人当たりの値を向上させることによって維持できる。
2.移民受入政策によって人口ピラミッド問題を解決できるとは思わない。
3.移民受入政策を採用すると、中国(人)に日本を乗っ取られる。

 これに対して私の意見をコメントさせていただきます。

1.確かに、例えばGDPを国力の指標として考えれば、一人当たりの生産額=所得(確か近代経済学ではイコールだったような気がする)を、人口減の割合と同じ割合で向上させれば、積は維持されます。しかし、次の問題があると思います。
(1)本当に一人当たりの生産額=所得を、そういう割合で向上させられるのか。
 私は懐疑的です。国際的な価値に換算する際には、ドルという通貨の行方や人民元の自由化のタイミングの影響もありますから、単純ではありませんが、とりあえず(半ば無理矢理)それを捨象して産業の国際競争力という観点から日本の位置を観察すると、どんどん下落してきています。日本のメーカー(下請け、孫請け等の中小企業を含む)は生産現場としても売り込み先市場としても、日本市場よりも海外を重視してきており、どんどん日本列島の空洞化が進んでいます。小売業すら、中国市場に進出していっている。かつての「安くて優秀」な労働力というメリットがなくなり、消費市場としても縮小していく見込みなのですから、企業の行動としては合理的な経営戦略です。だが、こうした対処策の進行によって、日本発の企業には生き残るところは出てくる可能性があるとしても、気がついたら、そうした企業の主たる営業場所は海外、雇用されているのは圧倒的に海外現地の人、税金を納める先も海外現地、、、ということになり、日本列島自体は空洞化するのではないかと懸念します。
(2)もし、一人当たりの生産性を人口減(この場合、世代的な)の割合と同じかそれ以上に向上させられない場合は、総人口や「国力」の問題を棚上げしても、現役世代が上の世代の社会保障や過去の公的債務を支えきれなくなる、という「比率問題」と向き合わなければなりません。たかおじさんさんのお立場では、「一人当たり生産額」(生産性)を向上させれば人数は関係ない、という論理になるのでしょうが、繰り返し同じところに行き着きますが、本当に生産性をそんなに向上させられるのでしょうか。

2.移民受入政策によって人口ピラミッド問題を解決できるか、という点ですが、出生率向上策が効果をあげるまでと、それ以後で位置づけを変えることになると思いますが、今以上日本が地盤沈下してしまう前に、今の段階で積極的な勧誘策をとれば(中国以外の(笑)各国に移民勧誘・受入促進のための出先機関を作る、国内の教育・居住環境等を整備する、世界に向けて移民受入国家宣言をする等)、必要な人数の現役世代の人々(現役世代になる数年前の、高等教育期の人を含む。)に移住してもらうのは現実に可能だと思います。そして、この移住人数そのものが目標コントロール変数なので、結論として「できる」という結論になります。
3.移民受入政策にすると、中国人ばかりになって、日本を乗っ取られる(要旨)というご懸念については、私はむしろ、移民受入政策に転換して、はっきりと各国別の毎年の受入人数を政策的に決めてしまう方がコントロールしやすいと思います。
 現行の個別の在留許可のシステムだと、如何せん、申請数が圧倒的に多ければ、結局は圧倒的に中国人の占める割合が高くならざるを得ません。外国人に対してであっても、また、法務大臣の裁量行為であるといっても、審査においてあまりに極端な差別的取り扱いをすると裁判で負ける可能性がありますから、法的根拠がない限り、行政である入管が国別・民族別に許可数をコントロールすることには限界があるでしょう。むしろ、上記の積極的勧誘策と組み合わせて、中国以外の国からの移住を促進することによって、大国中国の隣にあるという地政学的な位置からは自然な展開である、「移住者の中で中国人の占める割合が圧倒的に多くなる」という事態を避けられる、逆に言うと、それしか方法はないのではないかと思います。
なお、日本の側で心配するほど、中国人は日本に「来てくれない」可能性がどんどん高まる進展となってきています。学歴の高い人、ビジネスの才能のある人は、日本に来るよりも、中国や産油国等で働く方が、はるかに稼ぎやすい、成功しやすいと言われるようになってきています。これは他の国からの移住者についても、少なくとも出稼ぎ・移住先として日本以外の国と比較した際の魅力の低下という点では、同様です。日本にとっての国際的な現実は厳しいもの、というのが客観的な情勢認識ではないでしょうか。日本を愛し、誇りを持つ者にとっては悔しいことですが。。。かつて明治維新、身分制の廃止、国民教育、殖産興業、近代法制整備等によって日本を西洋列強の植民地化から救った人々の出発点は、そういう認めたくない現実を真正面から受け止めるところでした(攘夷から倒幕開国への転換)。

>ゴーゴー夕張 | 2010年1月 7日 17:32 様

1)、2)については、私も無制限な人口減を是としているわけではないので、あくまで適切なレベルと言っています。

何が適切な人口かは、時代により世界情勢により変わるでしょうから、結局わかりません。

積極策を講じて自然増で落ち着くところ、で良いのでは。


>3.移民受入政策にすると、中国人ばかりになって、日本を乗っ取られる(要旨)というご懸念については、私はむしろ、移民受入政策に転換して、はっきりと各国別の毎年の受入人数を政策的に決めてしまう方がコントロールしやすいと思います。


この政策による制限は事実上無理です。

これも説明済みですので、重複は避けます。

>ゴーゴー夕張 さん

なんという論理の展開。納得です。


>たかおじさん 様

横レス失礼します。大変おもしろい議論です。マヌケなことを書いていたらご勘弁を。

>何が適切な人口かは、時代により世界情勢により変わるでしょうから、結局わかりません。
積極策を講じて自然増で落ち着くところ、で良いのでは。<

とおっしゃりますが、ゴーゴー夕張 さんの現状認識

>出生率向上策だけでは間に合わない。たとえ今日この瞬間に突然、出生率が3.0になっても、その子たちが働き始めて税金・保険料等を納めてくれるようになるのに、約20年のタイムラグがある。財政、産業等の破綻を防ぐのには、間に合わない。<

をどうとらえているのでしょうか。当然、出生率が2.0以上になるまでもタイムラグがあるでしょう。それまでは人口が減り続ける。そして、

>本当に一人当たりの生産額=所得を、そういう割合(人口減の割合)で向上させられるのか。<

という懸念があります。移民政策で人口を増加させるのと一人当たりの生産額を向上させるのではどちらが容易かという話ですね。少なくとも一人当たりの生産額=所得が人口減による減少の割合を上回るまでは、適正な人口とは言えないと思います。

そして、現状(自然増)では中国の出身者が圧倒的ですよね。これからも多分変わらない。

>現行の個別の在留許可のシステムだと、如何せん、申請数が圧倒的に多ければ、結局は圧倒的に中国人の占める割合が高くならざるを得ません。<

自然増では逆にあなたの最も懸念する事態に近づいてしまうのでは?正確な数は分かりませんが、現状は中国人の割合が圧倒的なんですよね。安全保障上、様々な国の外国人が適正な比率で居てくれた方が良いのでは?

>法的根拠がない限り、行政である入管が国別・民族別に許可数をコントロールすることには限界があるでしょう。むしろ、上記の積極的勧誘策と組み合わせて、 中国以外の国からの移住を促進することによって、大国中国の隣にあるという地政学的な位置からは自然な展開である、「移住者の中で中国人の占める割合が圧 倒的に多くなる」という事態を避けられる<

と僕も考えます。

>この政策による制限は事実上無理です。
>これも説明済みですので、重複は避けます。

利便性と誤解が生じる可能性から、コピペもしくは書いてある箇所を提示していただけるとありがたいです。

>図南 | 2010年1月 7日 20:26様

>をどうとらえているのでしょうか。当然、出生率が2.0以上になるまでもタイムラグがあるでしょう。それまでは人口が減り続ける。そして、
>
>>本当に一人当たりの生産額=所得を、そういう割合(人口減の割合)で向上させられるのか。<
>
>という懸念があります。移民政策で人口を増加させるのと一人当たりの生産額を向上させるのではどちらが容易かという話ですね。少なくとも一人当たりの生産額=所得が人口減による減少の割合を上回るまでは、適正な人口とは言えないと思います。

その通りですね。しかし、所詮日本人としてて育ち、この国の空気を吸い、この国の水を飲まなければ日本人にはならないのです。ですから、例えば中国で中国人から生まれてすぐに日本に来て、日本人の育てられれば日本人ですよ。増えなければならないのは日本人です。

自然増に任せるとは、たとえアメリカ人でもこの国に来て子供が生まれ、やがて日本人になる過程を踏むなら、一切問題ないということです。その意味で自らの意志でこの国に来た人はいずれ子孫が本当の日本人になるでしょう。

したがって、タイムラグもやむを得ない。もし一時的に人口が3千万になっても、(誰が計算したか、50年後、日本人は居なくなるそうです。ただ、みんながそれに手をこまねいているとは到底思えないのですが)人口ピラミッドが是正され、自然増に転ずるなら由としなければ。

昔は一家族に子供が5,6人、中には10人もいた家はざらにあります。私の父も11人兄弟ですよ。人口とはある機会から爆発的に増えます。

中国終戦時5.5億人、今は人口抑制の一人っ子政策を採っているのに14億人ですよ。インドの増加率はそれよりもすさまじい。

人間の繁殖力は他の霊長類に比べても極めて高く、日本の出生率が異常なのです。だから、採るべき手段はたくさんあるのではないですか。

>そして、現状(自然増)では中国の出身者が圧倒的ですよね。これからも多分変わらない。

だから、自らの意志で来る人を、それなりの審査を経てこの国に迎えることは防ぎようがないのでは?何代も前に日本に来た中国人も韓国人も、その中で自ら日本人になり日本人を育てた人たちを排除するべきではないと言っているつもりなのですが。

>自然増では逆にあなたの最も懸念する事態に近づいてしまうのでは?正確な数は分かりませんが、現状は中国人の割合が圧倒的なんですよね。

私の意図するところを理解していただければ幸いなのですが。

>安全保障上、様々な国の外国人が適正な比率で居てくれた方が良いのでは?

これも自然増で良いと思いますよ。出身国は問題ではありません。本人の意思です。

だから、政策として日本に対する悪意を持ち日本に同化する意志を持たない人間達を入れるのは駄目だと言っているのです。

>利便性と誤解が生じる可能性から、コピペもしくは書いてある箇所を提示していただけるとありがたいです。

私の一番最初の書き込みに

「>移民受け入れ計画は国会の承認事項とし、特定の国の人または民族にかたよった移民の受け入れは行わないことを鉄則とする。

これこそ、世界から不公平と言われるだけのこと。移民の必要性が多い国もあれば少ない国もある。要するに相手次第であり、この相手国の需要を日本の法律で決めるなど出来ない。現実に決めても、それが相手国の不満を生むだけだ。」

とあります。その前後も含めてご参照ください。

<白人が消える?>

数年前、米国人口統計局は「米国に住む非白人(人種的少数派)人口が1億70万人となり、1億人の大台を初めて突破した」と発表した。前年調査の9830万人から2・4%増えたもので、総人口3億人の3人に1人が非白人という状況を迎えた。

ところで1952年にブタペストの欧州ユダヤ教会議で「平和の維持と人種間の緊張を一掃するため、白人と有色人種の結婚を勧める」とし、これによって将来「白色人種は消滅する」だろうと予測している。今回の人口統計はまさに米国の人口構成がユダヤの思うとおりに推移していることを示しているのかも知れない。

米国における人種の混血や移民の増加は米国の活力源でもあると言われている。また日本人はもともと北方と南方の渡来人の混血だとも言われており、それが日本人の優秀性の源になっているのだろう。欧州もEUとして統合されて以来域内の人種交流が活発となっている。

一方、フランスのサルコジ大統領は2005年に起きたアラブ系・アフリカ係移民の若者による大規模な暴動に対し厳しい姿勢をとり、移民の受け入れに対しても厳しい選別を行ってきた。日本でも従来、外国人受け入れについては社会コスト増大を恐れ、特殊技術や技能を有する人材しか国内で働くことを認めてこなかった。

しかし急速に進む高齢化や若年労働力の減少の問題もあり、経済産業省や財界からは単純労働者受け入れ要望も強く、早晩単純労働者入国規制の緩和も実現するだろう。ひょっとすると日本も21世紀の終わり頃には人口の半分は外国人になる可能性も高い。現在、先進国の人口が減っているのも人種交流を進めたいユダヤの深謀遠慮なのだろうか。

高野氏が酔っぱらい元旦新聞批評で日経の特集について述べていましたが,元気な高齢者に働いてもらう方が,少子化の解決策としてはよっぽど優れていると思います。何のために日本は医療に力を注いできたのか。寝たきり老人からお金を巻き上げるためですか?そうじゃなくて,国民誰もが健康で長生きするためでしょう?
移民を少子高齢化の解決策にするのはどう考えても納得できないです。社会の構造転換を先送りしているにすぎないんじゃないでしょうか。むしろ,移民輸出国の国民生活向上を経済面で支援する(ビジネスっていうことですけど)方が地球の将来にとってずっとましだと思います。

@ゴーゴー夕張さんへ

論点を集約させるのには全面的に賛成です
ま、言い訳になりますが、
べつに国力と人口の問題を
議論のテーマにする気はありませんでした

ただ、ちょと問題のある歴史観で
日本エライ
中国ダメ
ゆえに人口は国力に関係ない
といった形でゼノフォビアの正当化を図る意見には、
ちょと個人的に耐えられなかったのです・・・

とりわけ
「古代に於いて、中国インドが大文明国であったことは周知の事実であり
彼らが周辺の小規模民族を平らげていったのは事実」
といった主張には、
少なくとも古代期はイケイケで侵略的だったのに、
近代期には侵略されまくった
といった、ある種の露骨な錯誤が感じられます
これが、
個人的に耐えられないのです

この手のムチャな歴史観で
ゼノフォビアの正当化を図る意見に対しては
イブン・ハルドゥーン以来の
「文明世界にゃ野蛮人が惹かれて攻め込んでくるんで
どんな文明も
栄枯盛衰が避けられなかったんだよ」
という
近代以前の循環的な歴史観を説明する必要性が、
やはりあるでしょう

そもそも、どうして
秦の時代から万里の長城が建設されたのか、
どうして
火薬や羅針盤、
そして鄭和の艦隊を作り出す建艦技術がありながら
中国は積極的に対外侵略をしなかったのか
どうして
中体西用(和魂洋才の中国版)
というアイデアが昔からありながら
つい最近まで近代化できなかったのか
といった
教科書からでも分かる不思議な史実
つまり、
近代化は当然のことだし、国力があったら侵略する側になる
といった現代的感覚の相対視が
歴史を見るうえで欠かせないと思うのです

こういった中国文明の独自性への視点を放棄し
「あいつら人口いっぱいあるのにダメな国だ」
と考えてしまう人は、
官吏は洋服
平民は和服
という姿に象徴されるような
内的植民地化という
日本の近代化の様相すら確実に見落としてしまうでしょう

(その点、坂中さんの意見に対しゼノフォビアでなく、
「上から目線すぎね?」という形で
ガバナンス視点を批判する人は、
建設的な批判ではありませんが非常に貴重です)

もちろん、ぼくは極端な例ばかり挙げています
とはいえ
例の一つ一つは史実に基づいていますし
いい加減なことは書いていないつもりです
歴史をいい加減に扱って
ゼノフォビアを正当化する内閉しきった意見に対して、
こうした歴史的な反批判も必要かと思い、書き込みました

ま、こうした反批判は
「愛国」的な
ゼノフォビアにとりつかれている人には全く通用しないんですが
若い子も読んでいる可能性もありますから・・・

>とりあえず(制服で一升瓶) | 2010年1月 8日 10:11 殿


>ま、言い訳になりますが、

ですね。

>べつに国力と人口の問題を
>議論のテーマにする気はありませんでした

それは面妖な。坂中氏の主張は、人口が減ると国が衰える、そりゃ大変だ、人間を外から入れよう、ということ。それに対し、人口の多寡は国力には関係がないと私が言ったのであり、勝手にテーマを変えてご不満を述べられてもね。

>ただ、ちょと問題のある歴史観で
>日本エライ
>中国ダメ
>ゆえに人口は国力に関係ない
>といった形でゼノフォビアの正当化を図る意見には、
>ちょと個人的に耐えられなかったのです・・・

そんな強引な解釈をすれば耐えられないでしょうね。

>日本エライ
>中国ダメ
>ゆえに人口は国力に関係ない

この”ゆえに”って私が言ったんですか。記憶にないんですが。言ってたらそれを指摘して反論しなくちゃ。私の言外の言葉をおもんばかって事実としちゃあいかんでしょ。

日本エライ、中国駄目はまあニュアンスが私の表現とは大違いだけれど、目をつぶるとして、”ゆえに”は×ですね。


>とりわけ
>「古代に於いて、中国インドが大文明国であったことは周知の事実であり
>彼らが周辺の小規模民族を平らげていったのは事実」
>といった主張には、
>少なくとも古代期はイケイケで侵略的だったのに、
>近代期には侵略されまくった
>といった、ある種の露骨な錯誤が感じられます
>これが、
>個人的に耐えられないのです

また耐えられないんですか。錯誤を感じるだけではなく、見つけて反論しなくちゃ私も耐えられません。感じるからけしからんといわれてもね。


>この手のムチャな歴史観で
>ゼノフォビアの正当化を図る意見に対しては
>イブン・ハルドゥーン以来の
>「文明世界にゃ野蛮人が惹かれて攻め込んでくるんで
>どんな文明も
>栄枯盛衰が避けられなかったんだよ」
>という
>近代以前の循環的な歴史観を説明する必要性が、
>やはりあるでしょう


人口=国力論では説明する必要はありません。

>そもそも、どうして
>秦の時代から万里の長城が建設されたのか、
>どうして
>火薬や羅針盤、
>そして鄭和の艦隊を作り出す建艦技術がありながら
>中国は積極的に対外侵略をしなかったのか
>どうして
>中体西用(和魂洋才の中国版)
>というアイデアが昔からありながら
>つい最近まで近代化できなかったのか
>といった
>教科書からでも分かる不思議な史実
>つまり、
>近代化は当然のことだし、国力があったら侵略する側になる
>といった現代的感覚の相対視が
>歴史を見るうえで欠かせないと思うのです

思うのは良いんですが、私が最初に挙げたのは歴史ではなく、現在人口大国が途上国のままであるという事実であり、歴史を持ち出してとやかく言いだしたのは私じゃないんですよ。

>
>こういった中国文明の独自性への視点を放棄し
>「あいつら人口いっぱいあるのにダメな国だ」
>と考えてしまう人は、
>官吏は洋服
>平民は和服
>という姿に象徴されるような
>内的植民地化という
>日本の近代化の様相すら確実に見落としてしまうでしょう

救いようが無いなぁ。”人口いっぱいあるのに駄目な国”って、読解力あります?言い換えれば、人口が一杯有れば、本来は立派な国であるはずだってことでしょ。わたし、そんなこと言いましたっけ。

>(その点、坂中さんの意見に対しゼノフォビアでなく、
>「上から目線すぎね?」という形で
>ガバナンス視点を批判する人は、
>建設的な批判ではありませんが非常に貴重です)
>
>もちろん、ぼくは極端な例ばかり挙げています

極端すぎるし、本論からずれてます。

>とはいえ
>例の一つ一つは史実に基づいていますし
>いい加減なことは書いていないつもりです
>歴史をいい加減に扱って
>ゼノフォビアを正当化する内閉しきった意見に対して、
>こうした歴史的な反批判も必要かと思い、書き込みました

それは歴史問題を論じているときに反論すべき事ですね。場所が違います。人口=国力ではない、人口減を補うのに、人為的な移住策は採るべきではない、悪意のある相手に利用される、という論旨に対し、歴史を持ち出して反論してもしょうがないでしょ。


>
>ま、こうした反批判は
>「愛国」的な
>ゼノフォビアにとりつかれている人には全く通用しないんですが
>若い子も読んでいる可能性もありますから・・・

あなたも十分若いですよ。おつむは。決めつけは止めましょうよ。相手が望む答えをしないからゼノフォビアだ、ヘチマだというのはまずいですよ。

乱筆乱文失礼、お正月明けでもう一杯機嫌で書いてますので。

たかおじさん | 2010年1月 7日 21:05 様-----------------

以下引用----------------

私の一番最初の書き込みに

「>移民受け入れ計画は国会の承認事項とし、特定の国の人または民族にかたよった移民の受け入れは行わないことを鉄則とする。

これこそ、世界から不公平と言われるだけのこと。移民の必要性が多い国もあれば少ない国もある。要するに相手次第であり、この相手国の需要を日本の法律で決めるなど出来ない。現実に決めても、それが相手国の不満を生むだけだ。」


とあります。その前後も含めてご参照ください。

---------------------------以上引用

 需要を日本の法律で決めることができないのは あたりまえとして,うけいれわくを きめることには なにも法律上の問題は ないと おもいますがねえ。

 移民をどこから うけいれるかというのは,うけいれる国の政府固有の政策なのであって,それに対して移民おくりだし国が「不公平だ」などといって問題提起したり,国際問題になったりした事例が あるでしょうか。

 たとえば,EU域内では労働力の移動が自由化されていることに対して,EU周辺国が「不公平だ」と いって国際問題化できるのでしょうか。現実には,「それならEUに入れ」ということになるし,実際,加盟申請する国が ふえていますよね。その際,EUではさまざまな条件をつける。一定の民主化や人権の保障なども,その条件のなかに入っている。そういうやりかたで,あけすけにいえば,EUは経済力をつかって自分たちの価値観を浸透させていると言えるのでは。むしろ,移住労働者をうけいれることによって政治やイデオロギー上の,そして,ひょっとしたら軍事に関してまで主導権をにぎっているように,わたしには思えますが,いかがお考えですか?

 わたしは日本語学校で働いてきたから,就学生の受け入れに関する入管政策をカウンターパートのがわから見てきましたけど,けっこう,露骨に国籍や出身地で取り扱いの差別を行っていますよ。かつての研修生なんかも,そうでしょうが,あきらかに国別に受け入れ総量のようなものを決めていて,それにあわせて絞り込みをしている。もちろん,名目上は別の理由をつけて審査をきびしくしたということですが…。

 就労となればビザの審査過程が必ず入るわけで,入管の論理としては,たとえば受け入れ体制の有無といったところで実質的に国別に受け入れ人数を調整することは可能です。政府が主導して,ある国から何人くらいを受け入れるといい,受け入れ先を調整すれば,そのワクが優先されるわけです。そして,自分の国からも受け入れてほしいという国があれば,それを材料に,その国と外交交渉をするということになります。日本にとっては外交のカードが増えるわけで,確かに日本政府は今までそのようなことをしてこなかったかもしれないけれども,ほかの国ではどこでもしているような外交手段をひとつ確保しておくということは,すでに食料や生産現場の多くを中国ぬきに確保できず,中国製品ぬきに生活物資の確保もままならなくなった状況におちいっている日本にとって,国内の大切なものがこれ以上,浸食されないようにしていくためにも,むしろ必要なことなのではないでしょうか。

 もはや“排斥”によっては日本は守れません。中国以上の外交交渉術を身につけるしか,生き残っていけないと,わたしなんかは,おもいますけど。うえの「通りすがり」さんの いうようなことをまともに かんがえるのだったら,中国人以上に,日本は チベットや東トルキスタンやモンゴルの ひとたちを優先的に うけいれれば いいのです。そういう覚悟をもって移民受け入れをしなければ,結局は,日本国内で中国の悪口をいうだけで終わってしまい,何の力も持てないままです。それでは,すこしまえの中国の「愛国教育」と同じレベルです。移民すら受け入れないで中国の民族政策を批判しても,国際的には何の説得力もないということです。

あきづき やすお | 2010年1月 9日 16:19 様
>
> 需要を日本の法律で決めることができないのは あたりまえとして,うけいれわくを きめることには なにも法律上の問題は ないと おもいますがねえ。

もちろん、国内法ですから、作ること自体は問題はないですよ。だから、そう言う法律を作っても実際にはそうならない、と言ってるわけですが。
>
> 移民をどこから うけいれるかというのは,うけいれる国の政府固有の政策なのであって,それに対して移民おくりだし国が「不公平だ」などといって問題提起したり,国際問題になったりした事例が あるでしょうか。

法的に確かにその通り。しかし、人間の要求が法律で納得させられるわけではないと言うことです。

今でもブラジル日系人に対し、日本は受け入れ(移民ではありませんが)に際し、優遇策を持っているはずです。それに対して、手術までして出目を偽って入ってきたブラジル人もいれば、国籍を偽って入ってきている人間も居ます。

相手国にその意志があれば、日本の法律は意に介しませんよ。

> たとえば,


>いかがお考えですか?

EUは移民問題ではなくその加盟もかなり問題があるようで、現時点ではトルコとの軋轢が起きています。また、同じEU内でも経済が破綻に貧している国から、堅調に経済を保っている国がありますが、同じ通貨を使っているために結果として経済破綻をしている国の負担を経済に余裕ある国がおわされていることから、内部でかなりきしみが出ています。ドイツがEUを脱退するのも秒読みだとの観測があります。どうなるかは私には分かりませんが。

これは経済問題ですが、先に私が書いたように世界中の内戦は殆どが民族対立です。それに対する対策は、いかがお考えですか。相手に意図的な悪意がある場合、自然に民族対立はなくなるとでもお考えですか。

軍事的に有利になるとは、一枚岩になっての話です。内部紛争が起きれば、軍事的な面でかなり悲惨なことになりますよ。互い巨大な軍事力で内戦をするわけですから。

> けっこう,露骨に国籍や出身地で取り扱いの差別を行っていますよ。かつての研修生なんかも,そうでしょうが,あきらかに国別に受け入れ総量のようなものを決めていて,それにあわせて絞り込みをしている。もちろん,名目上は別の理由をつけて審査をきびしくしたということですが…。

それだけ問題が大きくなったと言うことですね。日本国内法での審査基準一つでも実際にはそう言う摩擦が起きる。

>日本にとっては外交のカードが増えるわけで,確かに日本政府は今までそのようなことをしてこなかったかもしれないけれども,ほかの国ではどこでもしているような外交手段をひとつ確保しておくということは,

つまり切実な人間一人一人の問題を無視し、人間を国策の材料に使うと言うことですね。それが、多くの人間の不満を高め、大きな問題を生むと言っているのですが。

>すでに食料や生産現場の多くを中国ぬきに確保できず,中国製品ぬきに生活物資の確保もままならなくなった状況におちいっている日本にとって,

その根拠は?単なるコストの問題であり、中国が無くなれば国産も出来るし、またすでに東南アジアやインド、中南米などにシフトしていますよ。去年、日本の投資額が中国よりもインドにより大きくなった事をご存知ありませんか?
急速に中国からインド、ベトナムなどに日本の投資がシフトしているのをご存知ありませんか。チャイナリスクが現実に認識されてきたからですよ。それを引き留めるために、中国は微笑外交に切り替えたんです。


中国は、不法な手段で欧米や日本から盗んだ技術を使って新幹線や様々な工業品を大量に作り、輸出することで日本や欧米の市場を奪っています。また安い中国製品で確かに日本や欧米の雇用が失われています。このような面には触れないのですか?

> もはや“排斥”によっては日本は守れません。中国以上の外交交渉術を身につけるしか,生き残っていけないと,わたしなんかは,おもいますけど。

犯罪者に対する手段は、用心すること、信用しないこと。それしかないんですよ。

>うえの「通りすがり」さんの いうようなことをまともに かんがえるのだったら,中国人以上に,日本は チベットや東トルキスタンやモンゴルの ひとたちを優先的に うけいれれば いいのです。

そうすると、中国人が入ってきますよね。

>そういう覚悟をもって移民受け入れをしなければ,

覚悟の方法が違いますね。最後まで日本の主権を守る覚悟をすべきではないのですか。

>結局は,日本国内で中国の悪口をいうだけで終わってしまい,何の力も持てないままです。それでは,すこしまえの中国の「愛国教育」と同じレベルです。移民すら受け入れないで中国の民族政策を批判しても,国際的には何の説得力もないということです。

国際的に説得力があるから、中国は世界中で排斥されているのではありませんか。

最近の記事ですが、

ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0108&f=national_0108_026.shtml

「中国人を追い出せ!」、欧州で高まる中国バッシング
【社会ニュース】 2010/01/08(金) 22:42

  ポーランドのメディアが6日に「ポーランドにいる中国人を追い払うべきだ」とする文章を掲載し、中国は「不正な手段」をもって欧州の建設市場に進出しているとし、今後さらに多くの中国人が建設プロジェクトを請け負うようになればポーランド企業およびポーランド人に大きな影響が出るだろうと指摘した。環球網が報じた。

以下略

この種の報道は増えこそすれ減る兆しはありません。中国が集中的に投資しているアフリカでも近年は中国人排斥が激しくなっています。なぜなのか考えましょう。

>たかおじさん 様

よろんずでは生意気失礼しました。今後はこういう各論を議論すべきと思います。

さて、

あなたのご意見に疑問を投げかけましたが、僕も移民政策を積極的に賛成はできません。できれば日本人だけで何とかしたい。論理的に考えると、ゴーゴー夕張さんを否定できないので、移民政策は今のところ是となるのですが、感情的になってしまうのですよね。街で見かけたヤクザまがいのクレーマー外国人の姿が頭をよぎってしまう。

理由は後述しますが、正直、あなたのご意見に論理性は感じられません。あくまで感情的なご意見だと思います。共感できる部分はあります。

近所の舌足らずなおじいさんおばあさんと日本語が未熟で何考えているか分からない外国人が口論している図を思い浮かべると、和を尊ぶ日本人と自己主張の激しい外国人とは調和できるのかと考えてしまいます。

僕の周りにはたどたどしい日本語を話すけどめちゃめちゃ優秀な中国人とか、控えめで気配り重視の韓国人とか愛すべき外国人も居ます。でもいい人もいれば悪い人もいる。悪い方を考えてしまいます。

しかし、感情はどうあれプラス面を見つめ論理的に事を判断すべきと思います。マイナス面には覚悟を持って臨む。改善の努力をする。それが社会の活力を生むと思います。ある程度のリスクを冒さなければ何も為し得ない。


で、論理的でないと言った理由ですが、(蛇足とは思いますが)

国力増加の見通しも減った時の対処もないのに人口が減るのは仕方ないだの、受け入れ制限は不公平だ、と言われると「感情的」だなと考えてしまいます。

移民政策というのは人口ピラミッドの補正、人口増加を狙った政策ではありますが、

>異なる民族がまじわることで、新たな文化と創造力とエネルギーを生み出し、日本を生き生きした国にしようというものだ。<

という成長戦略ですよね。一石数鳥を狙った政策です。かつての多民族融合のローマ帝国のイメージでしょうか。メインは成長。同時に日本人の人口を増やす努力をするのは言うまでもありません。複数の政策の中のあくまで一つです。

そして現状は、様々な要因から長期的な停滞(もしくは衰退)傾向にあるという認識です。成長しなくても仕方なし(達観)、そのうち自然回復する(楽観)、と言われてしまうと精神論になってしまうので、もう何も話すことはなくなります。

そんなこと言っていない、移民政策以外にも策はある、というご意見もあるとは思いますが、移民政策より効果的な策はなかなか見つからないと思います。リスクへの対処が可能ならば上策を退ける理由はありません。

目前に少子高齢化社会と巨額の借金が存在します。働けど働けど幸福になれない希望なき社会になってしまう懸念があります。人口が減れば減るほど重くのしかかります。このままだと、幸福を感じるには一粒のお米に感謝する高度な精神性が要求されるでしょう。(ある程度は必要と思いますが)

話がかみ合わないようですが、移民政策って相手政府に国民を何万人かくださいってお願いすることではないですよね?あくまで、移民1人1人の自由意思で来てもらう。これを相手国政府がコントロールするというなら自然増だって同じこと。違います?ゴーゴー夕張さんは「積極的な勧誘策」と表現している。

日本に行きたい、住みたいと思っていただけるように「アメ」を用意する、日本に移住しやすい環境を整える政策ではないんですかね。観光事業に近いものと考えます。その際に特定国出身者に偏らないように制限をかけるなどの「ムチ」も当然用意しますよというのが基本。それは不公平と文句を言われる筋合いはないと思います。

50年で1000万人(人口の1割)ということは、年間20万人ペース。中国人枠は1万人にしますか?5万人にしますか?いずれにせよ、中国人全員が悪人というわけでもないし、人口の5分の1が中国人になるなど過大な心配だと思います。

以上、無駄に長い下手な説明で申し訳ありませんでした。要はゴーゴー夕張さんのご意見に対する反論が成立してませんよ、と言いたいわけです。(一言で十分だった?)

P.S.
すみません、直近の投稿は流し読み程度です。問題なしと判断しましたけど、反論の重複が生じたら申し訳ありません。

>図南 | 2010年1月 9日 17:28 さん

>すみません、直近の投稿は流し読み程度です。問題なしと判断しましたけど、反論の重複が生じたら申し訳ありません。

重複は却ってわかりにくくなります。十分に以前の私のレスを読んで、その上で質問をされてはどうですか。

とくに今回の質問は直前のあきづきやすおさんへのレスとかなり重複します。

また、私のブログにも関連記事がたくさんあります。中国関連などお読みいただければ私が何を言いたいのか、なぜ日本の思い通りにならないのか書いてあります。

たかおじさん | 2010年1月 9日 17:13 様

 お返事どうも。

 最初に わたしが疑問に感じた部分に もどりましょう。

> もちろん、国内法ですから、作ること
> 自体は問題はないですよ。だから、そ
> う言う法律を作っても実際にはそうな
> らない、と言ってるわけですが。

 そうだったんですか。

 でも,わたしが実際に みてきた範囲内では,実際に そうなってましたよ。入管が中国をしめつけていた時期は,みごとに中国人の留学生は はいれなくなりましたけどね。もちろん,ヤミで日本語学校に はいるなんてことも,できませんよね。

 それとも,正規の就労ビザとなると,就学生・留学生や研修生のコントロールとは ちがうという ご主張なんでしょうかね。移民として はいるには,煩雑な てつづきが必要だし,入国して すぐに永住権が あたえられるということは あまり かんがえにくいので,入管が いれなければ はいってこないと おもいますけど。逆に,不法入国であれば,いまはもう観光で はいることだって できるようになってるんだから,いまと おなじことじゃありませんか。

> 法的に確かにその通り。しかし、人間
> の要求が法律で納得させられるわけで
> はないと言うことです。
>
> 今でもブラジル日系人に対し、日本は
> 受け入れ(移民ではありませんが)に
> 際し、優遇策を持っているはずです。
> それに対して、手術までして出目を
> 偽って入ってきたブラジル人もいれ
> ば、国籍を偽って入ってきている人間
> も居ます。
>
> 相手国にその意志があれば、日本の
> 法律は意に介しませんよ。

 「法律を意に介しない ひとは,法律を意に介しないだろう」というのは トートロジーで あたりまえのことです。「日系人」というような厳密な検証の困難な基準をつくるから そこをごまかそうという ひとが ありわれるのであって,国籍をごまかすというのは それとは くらべものにならないくらい困難なことだと おもいますけどね。
 たとえば,日本がインドネシア政府との協定で労働力をうけいれようとしたときに,日本政府とインドネシア政府の両方をあざむいて,インドネシアに潜入した中国人が日本に はいってくるというわけですか? そんな ややこしくて ばれやすいことをしなくても,別の手段で いくらでも入国できるし,してますよ。それに,移民を前提に はいってきたら逆に入国後も永住権をとるまで管理される状態が つづくから,かえって きびしいことになると おもいますけど。

 EUの政策の評価については,特に論じるつもりはありません。いいたいことは,国家や地域別に,どこから どのような ひとを受け入れるかは受け入れ国が恣意的に決定できるし,しても よいことだということです。これについて,

> それだけ問題が大きくなったと言う
> ことですね。日本国内法での審査基準
> 一つでも実際にはそう言う摩擦が
> 起きる。

とコメントをもらいましたが,わたしは どこにも「摩擦が起きた」とは かいていません。「そう言う」が何をさしているか不明です。わたしが言ったことは,入管は恣意的に入国審査をしてきたし,しているけれども,摩擦は起きていないということなんです。それが いいかどうかは別問題です。事実として そうだと言っているんです。

> つまり切実な人間一人一人の問題を
> 無視し、人間を国策の材料に使うと
> 言うことですね。それが、多くの
> 人間の不満を高め、大きな問題を
> 生むと言っているのですが。

とのことですが,これも あたっていません。たかおじさん様が おっしゃるように移民を受け入れないのも,逆に,受け入れるのも,国益や外交戦略を考えての判断であるのには変わりありません。受け入れるという意見に対してだけ,ことさら人間を無視しているような言い方をするのはおかしいでしょう。
 さらに,わたしは,「人間一人一人の問題」を大切にすることと国家戦略が一致するような原則をたてて,その原則のもとに『恣意的』に選別を行って受け入れることが,長期的に日本が世界でイニシアティブをとるために必要なことだという立場から発言しているつもりです。以下は,おそらく たかおじさん様も同意されることではないかと思うのですが,「人間一人一人の問題」を大切にすることは,「どの国からも平等に移民を受け入れる」ということとは まったく ちがいます。むしろ,「人間一人一人の問題」を大切にするためには選別が必要なのです。ただし,そのためには,その選別の根拠となる思想を明らかにして,世界に向けての姿勢としてアピールするということが必要不可欠です。

 以下,その具体的な方策についての論点は議論が拡散するのでコメントをひかえます。まずは,

 どこから どのような人材を受け入れるかは戦略的に考えていいことだし,戦略的に選別して受け入れることは可能だし,人権うんぬんのことを考慮したとしても そうするのが望ましいことだ

…という論点に関してのみ反論させていただきました。

> あきづき やすお | 2010年1月 9日 23:39 様

> どこから どのような人材を受け入れるかは戦略的に考えていいことだし,戦略的に選別して受け入れることは可能だし,人権うんぬんのことを考慮したとしても そうするのが望ましいことだ

>…という論点に関してのみ反論させていただきました。

で、私も要点をまとめて。

有能な人材を国外に求めることはこの移民計画とは全くの別物です。別に日本国籍をとらなくても、仕事が終わったら返ればいいだろうし、そのために高額な報酬も必要になるのだろうし。

どのような法律を作ろうと、悪意でそれを利用する個人はどこにでも居ます。でも国家ぐるみでやる相手に手を貸すことはないと言うことですよ。

確かに、自然増でも実際は防ぎようがないのでしょうが、それを助長することはないでしょう。そして、自然増で問題が耐えがたい状態になる前に、締め出しを法整備でとる必要もあります。

香港返還の時イギリスは露骨にやりましたしね。

だから、移民計画は決して国益に叶わない言うことです。

まあ、根本的には中国の悪意をどれだけ理解するかですが。

ただし、中国韓国人を差別しろと言うこととはまるで違うんですが、どうもその辺を誤解されているようですしね。

 たかおじさん | 2010年1月10日 00:06 さま

 わたしが論点をしぼって かいたことについては有効な反論が ないように おもいました。

 それとは別の論点について主張をまとめられていますが,いままで のべてきたこととはトーンが ちがったり,はじめて だされた論拠も あるように感じました。

> 有能な人材を国外に求めることはこの移民計画とは全くの別物です。

 「有能な」の意味が はっきりしませんが,坂中さんが想定しているのが,現在の入管法で,日本人が代わってすることが困難な職種の従事者のわくで認めている就労資格とは別ワクであることは確かでしょう。そのことはここで発言したほぼ全員の共通の了解になっていると思います。

> どのような法律を作ろうと、悪意で
> それを利用する個人はどこにでも
> 居ます。でも国家ぐるみでやる相手に
> 手を貸すことはないと言うことですよ。

 何をもって「国家ぐるみ」というのか,わたしは納得していません。
 たとえばODAを使って中国に工場を作らせ,そこに日本企業が入っていくというようなことがあれば,日本は「国家ぐるみ」で中国に進出したという言い方もできるでしょうけど(…それが中国の利益になる,ならないは別問題…),仮に,日本にきた中国人がゲットーを形成したとしても,それだけで中国の国家ぐるみとは言えないでしょう(…それが日本の損害になる,ならないは別問題…)。
 紹介された記事をよみましたが,移民の問題というよりはグローバル化による経済摩擦にちかいもののような印象をうけました。かつて日本企業も米国などでさんざんたたかれたパターンで,中国でなくてもある国の企業が外国に経済進出していけば常に起こりうることではないかと思います。

> 確かに、自然増でも実際は防ぎようが
> ないのでしょうが、それを助長する
> ことはないでしょう。そして、自然
> 増で問題が耐えがたい状態になる前
> に、締め出しを法整備でとる必要も
> あります。

 いったん日本国籍をとった人から出自を理由に国籍を剥奪することはできませんよ。国籍法上,外国籍の取得がない限り日本国籍が喪失するということはないし,第一,憲法にも違反するでしょう。

> 香港返還の時イギリスは露骨にやりましたしね。

 くわしくは知りませんが,もともと「英国籍」と「英国国籍海外属領」との区別をもっていたということなのではありませんか。その是非はともかく,あとから「英国籍」を剥奪したわけではないですよね。
 ちなみに,1951年に日本政府が在日朝鮮人の日本国籍を剥奪したのは選択権をまったく認めない一方的な措置でした。その時点での朝鮮籍は日本が国交をもつ国家をうらづけに持たない,いわば無国籍の記号となったのであり,すくなくとも形式的には(おおくの朝鮮人は日本国籍の保持をのぞまなかったと推定されるとしても,一人一人の意思を確認したわけではなかったという点で)日本国が棄民を実行したということを否定できないと思います。(わたしは上に憲法違反だと書きましたが,そのことと,この国籍解釈がGHQの占領が解かれる直前にされたということとは関係があると考えます。)英国は,そのようなことは していませんよね。いったん英国領内にみとめた市民権を事後的に取り消したというような事例があるのなら,ご教示ください。

> だから、移民計画は決して国益に叶わない言うことです。

 これは,国内事情との比較衡量でかんがえるしかないと おもいます。

 あとになって日本が ますます たちゆかなくなってから なしくずし的に移民をいれるとか,あるいは逆に,でかせぎをしに行かなくてはならなくなるくらいなら,いまから少しずつ舵を切っておいたほうがいいというのが,坂中さんの意見でしょう。

 日本の貿易相手国が中国からベトナムやインドにシフトしたとしても,問題が なくなるわけではありません。自給率が ひくければ あいかわらず,どこかから食糧をかわなければならないし,第一,日本の農村を復興するためには すでに外国人の農業従事者の存在を無視できなくなりつつあります。そのへんのことをよく かんがえて判断するしかないのでは。正直いって,わたしには よく わかりません。ただ,いったん必要があって日本が うけいれた人が希望するのであれば,特別なマイナス材料がないかぎり,引き続き安定して居住することができ,ゆくゆくは国籍もとれるようにするということは,大切なことだろうと思っています。日本の社会のなかで,出自が違ううえに,いずれ帰る人だとしか思われていないのでは,まともに活躍することも,社会に貢献することも,したくても できないだろうと思うからです。


> まあ、根本的には中国の悪意をどれだけ理解するかですが。
>
> ただし、中国韓国人を差別しろと言うこととはまるで違うんですが、どうもその辺を誤解されているようですしね。 

 まえの投稿までに述べたように,計画的に移民計画を進めれば,中国人の総数をコントロールすることは可能です。すでに中国人はたくさん入っているので,坂中さんがいうように「人種や民族のバランス」を考慮して,少なくしか割り当てない,あるいは,すでに入国している中国人の事情を観察しながら永住希望者に順次,国籍をあたえていくとすることも できます。また,中国領内外の少数民族出身者を優先して日本に居住させるというようなことを政策としてとることだって,その気があれば可能です。

 最後の部分について,「差別」ということをどう理解されているのか わかりませんので,コメントは できませんが,たかおじさんさまの主張をきちんと理解したうえで,たかおじさんさまが「差別」とは おもっていないものが ほかの ひとには「差別」として とらえられるということは ありうるので,これだけを一方的に主張されても意味のある議論にはならないだろうと おもいます。

> あきづき やすお | 2010年1月10日 12:34 様

それこそ、論点を絞った方がよいですね。

1)日本国の法律でどう決めようと、それを守るつもりのない個人、国家には役に立たない。

2)中国にどのような意図があるか、それを知るには、中国の歴史、価値観、政策、現実にいま周辺国や世界で何をしているかを見るべきでしょう。

それこそここに書ききれるものではありません。

中国をどう捉えるかがキーだというのはそのためです。

中国については私のブログにあります。

一度お読みになってはいかがでしょうか。それを読んで、私が故無き憎悪や差別意識を中国、中国人に対して持っている、と感じられるなら、それ以上の論議は無用です。

わたしは中国の国家としての悪意について論じているのであり、中国の歴史、国家、国民に対しては別に悪感情は持っていません。むしろ親近感を持っています。だからこそ、中国について学んだわけですから。

それに、私が全てを知っているわけではないし、知っていることを全て書いているわけでもありません。

ご自分で、中国の悪意を否定する資料を示していただければ、そして私の主張が間違っていると私に納得させていただけるなら、もちろん、私はここに挙げた私の主張を撤回します。

 たかおじさんさん、図南さん、とりあえず(制服で一升瓶)さん、私の投稿へのコメントありがとうございます。

 今日は3点書き込ませていただきます。

1.移民受入の国別・民族別割り当て
2.いわゆる「高度人材」の獲得と移民受入政策の関係
3.国籍と民族の問題

1.移民受入の国別・民族別の割り当ての問題については、私もあきづきさんと同じように、受入国の側が決めることについて国際的に問題になることは基本的にないはずと思います。
 調べてみると、アメリカでも下記のような「永住権抽選プログラム」(DVプログラム)という割り当てをやっていますね。

http://www.us-imin.net/DV.htmlより
――――――――――
現在、米国ではある一定の国からの移民が大幅に増加しており、移民の出身国のバランスに不均衡が生じています。そのため、米国政府は移民のバランスを取るために、移民数が比較的少ない国からの移民を促進させるためのDVプログラムと呼ばれる抽選による永住権給与プログラムを施行しています。「DV」とは、Diversity (多様化)Visa の略で、移民多様化を意味します。DVプログラムの目的は、米国の移民多様化を図るため、家族関係あるいは雇用関係で永住権が申請できない人でも、少数移民国で生まれた人には抽選で永住権を与えようということを目的としたプログラムです。ちなみに、米国国務省の発表によると、DV-2010プログラムの日本を母国とした当選者は302人でした。
―――――――――――

 これに対して、例えば日本から、特に「少なすぎる!」という文句が出たりはしていませんよね。
 計画通りには行かない、というたかおじさんさんのもう1つのご意見については、適格な希望者の数が受入目標数より多ければ機能するはずです。あまり日本が魅力を失ってからでは、希望者数が目標数を割り込む可能性は確かにありますが、、、ですから、早く決断する必要があります。

2.いわゆる高度人材の獲得の問題と、移民受入政策の関係ですが、これはもろに結びついています。
 坂中氏の主張においても、私の考え方でも、従来の「高度人材」より幅を広くするものですが、当然、従来の「高度人材」にあたる職業に就く人々も包含されます。
 そして、既に高学歴になった人を欧米や産油国と給与の高さで取り合うのではなく、高卒ぐらいの若者に大学・大学院進学の機会を提供し、広く潜在的な層を掘り起こす方が、相手国にとって「人材流出」としての痛手は小さくて済みます。日本で高等教育を受けた後、帰国して本国に直接貢献する人も出てくると思いますが、これはむしろ逆に人材を育ててもらった形になりますから、相手国にとってプラスになりますし、こうした人々は親日家になって両国のつなぎ手になってくれるでしょう。また、日本で働いて家族に送金する人、両国の貿易・経済協力で貢献する人など、日本で働き定住する人も、日本と出身国の両方に貢献してくれるでしょう。
 今のように、移民受入が政策になっておらず、永住権や国籍だけを個別審査で付与するシステムしかないと、移民、定住に伴う社会的支援環境がないので、いわゆる高度人材にとっても魅力に欠けることになります。特に子どもを育てる環境を考えると、定住先としては魅力が落ちると思います。

3.上記の子どものことともからみますが、国籍と民族の関係について、少し切り込み方を変えて、政治哲学的な方向から述べてみたいと思います。
 近代的な移民での「民族」は、半ば以上、近代国民国家=民族国家(nation state)が成立したことにより、人為的に成立させられたものだと言っていいと思います。もちろん、一目で違いがわかる人種の違いというものはその前からあるわけですが、今の日本人の中にはそういうレベルでのさまざまな血統の人々が入り交じっているというのはDNAの分析などでわかっているそうです。
(NHKスペシャルの下のシリーズ、面白かったです。
日本人 はるかな旅
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090112270130212/)

 アメリカやカナダ、オーストラリアのように移民国家として成立した国家は、国籍法の原理に出生地主義が入り、民族国家ではなく、言わば「市民国家」となりますが、血統主義(オンリー)の国籍法の国では、多くの場合、国籍=(特定)民族となります。移民受入国は国内の統合のために出生地主義にし、送り出し国は(出て行った移民との関係を維持したいためと説明されることがありますが)血統主義にする傾向があるとも言われます。
 さて、では、日本が移民受入に転換した場合、日本の国籍法と出生地主義の関係をどうする、です。
 子どもは生まれてくるとき、自分の責任で場所と親を選べません。ところが、その国の正式のメンバーシップ・ステイタスを出生時に権利として取得することができるかどうかが、親の国籍で左右されるとなると、本人の責任によらない事由で差別することになり、私はこれは現憲法14条「法の下の平等」との関係でも疑義がある制度だと思います。(ちょっと脱線しますが、誰が主権者の範囲に入るか、ということを下位の法規に委任してしまっている(=10条)今の憲法のつくりで、立憲主義的憲法として穴がないのか、という点も疑問です。)
 他方、日本人という民族は、もはや日本語と日本料理ぐらいしか民族としてのアイデンティティのよりどころをもっていない状態にあります。もはやここまで来ると、日本民族が民族として成り立つ最後のよりどころは、日本国籍しかないという状態かもしれません。
 すると、日本の国籍法に出生地主義を入れて、日本を民族国家から市民国家に完全に転換しきってしまうと、日本人のアイデンティテイが崩壊することを危惧する向きが出てきてもおかしくないことになります。
 そこで私は、日本にも、EUのように、国籍保有者よりも広い範囲を包含する「市民権」制度を導入し、こちらに出生地主義の原理を入れたらどうかと思うのです。(昔からの「市民権」は、国家が「対人高権」を主張できる人々(いわゆる国民)のなかで、政治に参加できる人にだけ与える、絞り込みの制度でしたが、私が提唱するものは拡大するものです。)
 この市民権を有している非国籍保有者は、国政参政権と一部の国家公務員に就任する権利を除いて、地方参政権も含めて、権利と義務を日本国籍保有者と同じにします。
 こうすることによって、「日本人」(正確には日本民族)のアイデンティティのよりどころとしての民族国家日本と、実生活上の帰属先としての市民国家日本との二重構造が実現します。
 もちろん、日本の国籍を取得したい人には、下の名前(に近い発音)を日本の文字で表記した名前での国籍取得を多いにやってもらい、「××系日本国民」になってもらう。
 他方、ルーツ意識の帰属先を確認するために、(祖先の)出身国の国籍を維持したい人(出身国の国籍法がそれを許せば、の話なのですが)は、それもできる。
 どちらを選んだ場合でも、本人の帰属意識は、ルーツ国と日本とに重層化されることになります。
 今後、グローバリゼーションがどんどん進行していくのは止めようがないと思います。人の移動と定住は増えていきます。1世については、出生国と扱いが異なるのは本人の選択の結果だからまだいいとして、定住先で生まれた2世については、生まれた時から差別するのは正義に反すると言わざるを得なくなってくると思います。昔のように人の移動がごく例外的だった時代はそこまで言えなかったとしても、グローバリゼーションの進行に伴って、そうなって来ると思います。
 もし、国籍と拡大市民権の二重構造にすることができない場合は、国籍法に出生地主義を入れるべきでしょう。これは、移民受入政策に転換した場合は当然そうだとして、転換していない現在の趨勢でも、外国人集住都市などが直面している諸課題(特に子どもの義務教育)を考えると、避けて通れない道じゃないかと思います。
 グローバリゼーションの進行に伴い、国家が民族国家と市民国家の二重性格となり、個人の帰属意識が重層化するのは、大きな歴史の流れの視点からは必然と見ます。
 「増やすべきは日本人」という、たかおじさんさんのご意見に対する私の、少しとっぴな、しかし、至って真剣なレスポンスです。

P.S.
 現在の「日本人」=日本国籍者の中にも、アイヌや沖縄の人々のように、ヤマトと異なる民族の人々がいますし、名前を下の名前風にすることによって自分のルーツを表明したまま日本国籍をとっている人々いますが、上記では現在の「日本人」の範囲をそのまま採用しています。

 すみません、上記の文章のなかの下記の部分、訂正です。

近代的な移民での「民族」は
     ↓
近代的な意味での「民族」は

すいません。

みなさんの、日本側がコントロール出来るという意見には、中国の悪意の本当の意味が視野に入ってませんので、わたしの反論コメントは意味がありません。

たとえは良くないけれど、玄関から黙ってはいっ来る人間は居ないはずだし、そんな人間は警察に捕まえてもらえばいいじゃんという日本の平和な社会を基準にして考えては、私の主張は成り立たないんですよ

例え本人が日本に敵意を持っていなくても家族を国家に人質に取られていれば家族の命を守ろうとするでしょう

普段普通に暮らしている日本の中国人が、どのような組織建てをされているかは、オリンピックの時の聖火リレー騒ぎでも分かろうというもの。

法律は、守る気のある人間、国家には有効だけれど、そんなものは何とも考えない国家や人間には意味がないんですよ。なにしろ、中国の日本駐在大使が堂々と日本で嘘をつく国ですから。そして、日本のマスコミはそれを指摘しませんしね。

長くなるが、下記を引用する。

「2005年11月24日、駐日中国大使として初めて東京有楽町の外国特派員協会で会見した王毅氏の発言を聴くと、日本を貶める虚偽の宣伝、情報の歪曲は、現在に至るまで中国政府不変の政策であることが明白だ。

近代史上、日本は中国にも米国にも、旧ソ連にも、度々情報戦で敗れ、国益を損ねてきたが、それは、決して過去のことではなく、現在も同様なのだ。満席の記者を沸かせた王大使の記者会見は、情報操作を苦手とする日本の不利と悲劇を見せつけた。

内外の記者200名以上を前に王大使はゆっくりした日本語で、歴史問題から東シナ海の資源開発問題まで、巧みに事実関係を歪曲した。幾つもの虚偽を、日本人記者も含めて誰ひとり、追及した者はいなかった。日本国は「世界中のメディア」の前で、またもや悪者とされたのだ。一例が靖国神社問題だ。

中国は寛容な国家だが、“A級戦犯”合祀の靖国神社への“最高指導者”の参拝は受け容れ難いとして、「中国の立場ですね、継続性のあるもので、変わっておりません。1985年、このことですね、A級戦犯が祀られていることが公になってから我々も反対の立場を貫いてきております」と大使は述べた。

“A級戦犯合祀が公になった85年以来”、“一貫して反対”してきたと言うのだ。だが、事実は全く違う。


外敵は「ソ連」から「日本」へ

靖国神社への“A級戦犯”合祀が大きく新聞で報じられたのは1979年4月19日、春の例大祭直前である。時の首相・大平正芳は記者団から、後日の6月5日には、参議院内閣委員会から、質問を受け、いずれも広く報道された。したがって、“A級戦犯合祀”が公にされたのは85年ではなく、79年4月である。

一方、中国政府が靖国問題で日本に注文をつけたのは1985年9月7日、彭真全人代常務委員長が長田裕二氏を団長とする自民党田中派の訪中団に、首相の公式参拝は日中関係に「不利なこと」だからやめた方がよいと「強く警告した」のが初めてである(『靖国公式参拝の総括』板垣正著 展転社)。

それ以前の中国は「反対態度を貫」くどころか、“A級戦犯”合祀や首相の参拝に触れもせず、逆に日本に軍事大国になれと要求した。典型例が1980年4月末からの中曽根康弘氏の訪中だ。氏は中国人民解放軍ナンバー2の副参謀総長・伍修権に会った。伍は日本は軍事力を強化する必要があると強調、軍事予算をGNP比1%にとどめずに2%に倍増せよと要求、大きく報道された。

その前年の5月16日、時事通信の田久保忠衛氏は最高実力者、鄧小平に取材したが、鄧は、中国の周りはすべてソ連の軍事的な脅威にさらされており、日本も中国と共に立ち上がって軍事的に協力すべきだと述べた。これも大きく報道された。

鄧小平発言も伍修権発言も、“A級戦犯”の靖国合祀が公にされた後である。以降も中国政府は大平、鈴木善幸、中曽根歴代三首相の参拝については、85年9月まで一言も批判しなかった。鄧小平発言からも明らかなように、当時の中国が最も恐れたのは旧ソ連の軍事的脅威で、その脅威に備えるために、むしろ日本も軍事大国になれと促したのだ。

ちなみに、中国は1978年締結の日中平和友好条約を機に、日本から多額のODAを受け取り始めた。同条約に旧ソ連を念頭に置いた反覇権条項を入れ、二重、三重にソ連に備えようとした。79年1月1日に米国と国交を樹立。日米中の対ソ連合の形を整えた。そのことは、当時の中国の国益にかなっていた。

1985年9月に靖国批判に転じたのは、中国がソ連脅威を言いたてなくとも、81年1月に就任したレーガン大統領がソ連を悪の帝国と非難し、ソ連自身、80年代前半に顕著に力を衰えさせたことが背景にある。もはやソ連を恐れなくてもよい状況になったとき、中国の外なる敵が日本になっただけのはなしだ。

大使は「国と国の付き合い」では、「約束をお互いに守る必要があります」と述べた。であれば、日中両国は1972年の国交樹立時に共同声明で相互内政不干渉を誓約している。その約束を守って中国こそ即時、内政干渉をやめるべきだ。


嘘に嘘を重ねる中国の手法

王大使はB、C級の戦犯について「我々はいわゆるB級、C級戦犯ですね、全部釈放し、日本に帰らせたのです」と述べた。

中国各地にB、C級戦犯として拘束され、命を奪われた日本兵は171名にのぼる。拘留中の病死者もいるが、圧倒的多数は処刑された。「全部釈放し」たとは、どういう意味か。

大使はまた、「反日教育はありません」と言う。中国が長年、愛国主義教育に名を借りた反日教育を実施してきたことは、度々小欄でも具体的事例を取り上げてきた。反日教育否定の大使発言も虚偽である。

東シナ海の資源開発問題でも、日本の主張する中間線は「もうすでに交渉を通じてお互いに認め合うラインではないのです」と断言した。中間線を認めないのは中国のみで、日本ではない。「お互いに」の表現は虚偽である。

大使は日中は競合ではなく相互補完関係にあるとも語った。が、この夏、中国は日本の国連安保理常任理事国入りに断固反対し、猛烈に働きかけてアジア諸国に日本の常任理事国入りへの支持を断じて許さなかった。11月の東アジア首脳会談では、中国が日本をおさえて覇権確立を目指して熾烈な鍔迫り合いを演じた。靖国神社はその目的達成のための材料のひとつである。靖国問題を日本の歴史認識の“悪質さ”の象徴に仕立てあげ、これを国際問題とすることによって、アジア、ひいては国際社会での日本の地位を貶めたいのが中国だ。

中国のあからさまな意図の前に、日本はすでに守勢に立たされている。日本語の講演にもかかわらず、日本人記者の誰ひとり、大使の嘘を正せなかったこと自体、現時点での敗北だ。中国に対するのみならず、国際社会に日本の立場と主張をきちんと伝える情報発信機能の確立を国家の緊急課題としなければ、日本は再び情報戦に敗れ、国益を損なうであろう。」

「」内は櫻井良子氏のブログより引用。櫻井氏を右翼と決めつけるのは自由だが、記事内容は当時のメディアなどで裏を取ってある。

つまり、中国は嘘つき国家であり、国策として日本を敵視し、そのための手段を選らない国、そのために自国民の命も利用する国との、基本の認識がないなら、水掛け論ですね。

だから、中国にはそんな悪意はない、中国の周辺国に対する行為は嘘だ、中国の反日的姿勢策は嘘だと根拠を挙げて反論することから始めなくては、その先のことをいくら言い合っても無意味ですよ。

 坂中氏の新しい文章がエントリされましたので、移民政策全体についての本論はそちらでやりましょう。
http://www.the-journal.jp/contents/sakanaka/2010/01/post.html

 中国をどう評価するか、という話は、移民政策を検討する上で、重要ではあるが、一部を構成する要素ですので、中国問題はここのスレで継続、という形でトピックを棲み分けした方が良いと思います。(そうでないと、移民政策全体についての議論がどこでもできなくなってしまうので)

 さて、中国問題ですが、私も地政学的に中国との関係で日本がどのように生き延びていくのか、という問題意識は共有しています。中国自身はもちろん、朝鮮も日本も東南アジアも、華夷秩序の歴史を背負っていて、日本や朝鮮はそれに対するコンプレックスで逆の極端に走ったりもする。この当たりは、内田樹さんの「日本辺境論」がとても興味深くまとめてくれています。
 その警戒心を共有した上で、今のままの推移でいいのか、という問題を提起したいと思います。
 入管統計のグラフが下記にありますが、
http://www.moj.go.jp/PRESS/090710-1/090710-3.pdf
平成16年か17年当たり(ごめんなさい、数字確認してなくて)で、韓国・朝鮮籍よりも中国籍の登録者の方が多くなって第一位になっているんですよね。都市部ではもっと早くこの逆転が起こりました。
 たかおじさんさんの立論だと、この人々(ここから永住権をとったり、日本人の配偶者等になったり、日本国籍になったりする人たちも出てくる)は、潜在的に中国政府の手先として日本に対する破壊工作(?)をする先鋒になる人々だ、という論理になるのではないかと思います。北京オリンピックの際の例をあげておられるところから見ても、たかおじさんさんも現在いる中国人をそういうものとして評価しているのだと思われます。
 となると、「現在のままでいい」というのではなく、「中国人に対してはもっと厳しくして閉め出せ」、という主張にならないと論理的な整合性がないように思います。
 遡ると、「個人の意思で日本で定住しようとする人」というのと「中国政府の手下として日本に送り込まれてくる人」というのを、制度的にどのように見分けるのか、ということもわかりません。疑い出せば、日本人と結婚する中国人も、中国政府の意向をうけて日本人の結婚相手を探した結果だ、という具合に、いくらでも「中国政府の陰謀」ということに論理を組み立てることは可能で、結局のところ、「疑わしきはすべて排除するために、潔白なものも全部排除する潔癖システム」か、「疑わしきがある程度混じり込んでも大丈夫な堅牢なシステム」のどちらかに腹をくくるしかないんじゃないでしょうか。
 私は、全人口のうち、どのくらいを移民1世にし、さらにそのうちのどのくらいを、国別・民族別の構成に割り振るのか、決めてしまうのが一番現実的で堅牢なシステムじゃないかと思います。仮に、移民全体を総人口の1割、中国からの1世をさらにそのうちの1割と決めてしまえば、人口の1%に収まります。そして、他の国籍・民族の1世が外国人人口の9割を占める形になります。現在は、中国籍の人が登録者数の約3割ですね。旧植民地出身者が含まれている韓国朝鮮籍の人々を除外して比較すると、中国籍の人たちが他に比べて突出しています。
 政策をもたないまま、出される申請に対してただ個別に在留許可を出している現行のシステムよりも、上限数(割合)をコントロールするシステムに切り替えた方が安心できると思いますが、たかおじさんさんは、論理的帰結としては「潔癖システム」(今よりも中国人はもっと締め出し。究極的に突き詰めると、一人も許可せず、今いる人も帰ってもらう。)支持ということになるのでしょうか。それとも、「個人の意思で日本に定住することを選択した中国人」と、「中国政府の意を受けた中国人」とを見分ける方法をお持ちなんでしょうか。この見分け方法がない限り、論理的帰結としては(1)潔癖システム、(2)堅牢システムのどちらかしか選択肢はなくて、「今のシステムのままでいい」という結論にはならないように思うのですが。そして、潔癖システムの方を採用すると、本当に日本が好きだから日本に住みたいという人、日本人と本当に愛し合って結婚した人などもすべて在留継続を拒絶するという、個人の人権を否定するシステムになると思います。そうなると、日本側は中国政府を批判する倫理的資格を失うことになると思いますが、どうなんでしょう。それに、それこそ外交問題になるのは必至ですよね。実際には採用不可能だと思いますが。だとすれば、結局のところ選択肢は1つしか残らないのではないでしょういか。

>ゴーゴー夕張 | 2010年1月10日 19:14 様

取り急ぎ。

根本的な誤認がありますので、この論法は意味を為さないと思われます。

>たかおじさんさんの立論だと、この人々(ここから永住権をとったり、日本人の配偶者等になったり、日本国籍になったりする人たちも出てくる)は、潜在的に中国政府の手先として日本に対する破壊工作(?)をする先鋒になる人々だ、という論理になるのではないかと思います。

全く違います。私はそんなことは思っておりませんから。

 たかおじさんさん、全く意外なお答えで驚いております。

 そうすると、移民受入政策の場合と、現在の制度とで、中国政府の、中国から日本に来る人々への態度が異なるはずだと推論なさっていることになりますが、その根拠はなんでしょう?

今の制度のもとでも、中国政府がその気になれば、日本に介入するために、日本に来ている(送り込む)中国人を操ろうとするはずだ、という論理の方が、たかおじさんさんのこれまでの立論を拝読していた者からは納得がいくものなのですが。

>ゴーゴー夕張 | 2010年1月10日 22:44 様

>全く意外なお答えで驚いております。

驚くことはありませんよ。むろん、今の状態で入ってくる中国人にも居るでしょうね。だから、それが大問題になったらそれなりの手段を講じなくてはならない、と言っているでしょ。本当は今すでに手段を執らなくてはならないんでしょうけれど。

でも、何も積極的に中国のたくらみに手を貸すことはないと言っているんですがね。

坂中氏は、私が別トピで書いているように、私のような懸念を持っている者に対し、正面から説明をしていないんですよ。

とうぜん、移民政策には反対もあるんだから、なぜ反対なのかを知り、それに対する説明もするべきでしょ。ヨーロッパの例は多少挙げているけれど、別に、私が初めて中国がらみで反対した訳じゃないですよ。

そして、別トピでも坂中氏は移民政策万歳ばかりで、このような疑念には全く触れていませんよ。

 お答えを見て安心?しました。やっぱり、そうですよね。

引用
―――――――――――――
驚くことはありませんよ。むろん、今の状態で入ってくる中国人にも居るでしょうね。だから、それが大問題になったらそれなりの手段を講じなくてはならない、と言っているでしょ。本当は今すでに手段を執らなくてはならないんでしょうけれど。
―――――――――――――

ということは、やっぱり論理的には、中国政府が家族を人質にとったりして、日本に来ている中国人を操る可能性があることについては、移民受入政策に転換せずに今の制度のままでも、同じ危険性があり、本当は今の制度のもとでも、対抗する「手段を執らなくてならない」、という結論になるということですよね。
 で、手段としては、「何も積極的に中国のたくらみに手を貸すことはない」から、移民受入政策によるコントロール(堅牢システム)の選択はしない、とのこと。
 今のままでも危ない、移民受入政策もダメ、となると、論理的厳密性を優先すれば、消去法で潔癖システムを選択して、閉め出し政策を採るべしという論理的帰結になりますね。

 坂中氏については、他の皆さんもご指摘ですが、

「それを確固とした移民政策を打ち立てて達成する。受け入れ態勢と移民の社会適応の進捗状況を勘案のうえ、年次受け入れ計画を立て、秩序正しく入れていく。その場合、移民受け入れ計画は国会の承認事項とし、特定の国の人または民族にかたよった移民の受け入れは行わないことを鉄則とする。

 国民を代表する国会が移民政策の決定に関与するのは当然だ。世界各国の国民・民族を公平に入れる移民政策をとれば、外交上・安全保障上の利益にかなうだけでなく、多民族の国民統合を比較的容易に成し遂げられるだろう。」

という部分が、ご懸念の趣旨に対する答えとして提示されている部分でしょう。これ以上踏み込んで、「中国」とか名指しで書いていたら、ちょっと啓発用の文章としては下品になっていたんじゃないでしょうか。
 他の、治安悪化の恐れとか、そういう論点についても、教育がきちんと提供され、職業に就けていれば大丈夫、ということを提唱していますよね。読解の仕方にもよりますが、もともとの文章の中でそれなりに対処策や答えは(先取り的に)提示されているように思いますよ。

 私はパンフレット読んだのでわかるのですが、坂中氏は既に発行されているパンフレットを分載しているだけで、レスポンスじゃありません。パンフは移民政策研究所のサイトでダウンロードできますよ。まあ、レスが欲しいという希望はあると思いますが、先方が意図的にザ・ジャーナルでの意見を無視しているというほどのことでもないと思いますよ。

>ゴーゴー夕張 | 2010年1月10日 23:32 様

あはは

>先方が意図的にザ・ジャーナルでの意見を無視しているというほどのことでもないと思いますよ。

まさか、彼の主張の中に入れておくべき、と言うだけのこと。彼が、ここを覗いて、私にレスをしないのがけしからんって?

どこのパンフレットであろうと、それは同じですよ、元記事に網羅し説くべきですな。

まあ、おおつきあい、いただきありがとうございました。

なんどご返事をしても焦点がずれてゆくようなので、ここらで失礼します。

もし、私のブログの掲示板やコメント欄で続けるのであればおつきあいいたしますよ。

突然訪問します失礼しました。あなたのブログはとてもすばらしいです、本当に感心しました!

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Profile

坂中英徳(さかなか・ひでのり)

-----<経歴>-----

1945年生まれ。
慶応大学法学研究科修士課程修了。
70年に法務省入省。
東京入国管理局長を最後に05年に退職し、外国人政策研究所を設立。
法務省在職時から現在まで、在日韓国・朝鮮人の法的地位問題など一貫して在日外国人問題、外国人政策と取り組み、そのキャリアは35年以上に及ぶ。
その経験と見識に基づき、今後50年間で1000万人の移民を受け入れる「日本型移民国家構想」を提唱している。
現在、移民政策研究所所長・人道移民支援センター長。

BookMarks

-----<著書>-----


『出入国管理及び難民認定法逐条解説』
2007年2月、日本加除出版


『入管戦記』
2005年3月、講談社


『日本の外国人政策の構想』
2004年12月、日本加除出版

『今後の出入国管理行政のあり方について』
1989年1月、日本加除出版

→ブック・こもんず←



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