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チェルノブイリへようこそ/Greetings from Chernobyl

CNNバニティフェアなどによれば、ウクライナがチェルノブイリ原発を正式に観光地として開放することに決めたそうです。

chernobyl.gif
(バニティフェアより転載)

バロガ非常事態相によれば、これまで立ち入り禁止になっていた、原発周辺の半径30キロ以内が12月21日から開放されるそうです。これまでも夏の間は管理当局公認のガイドによる短時間の観光は可能だったようですが、もっと大々的に客を誘致することを考えているようです。
第4号炉の炉心が溶解し、ヨーロッパだけでなく地球全体に放射能を振りまく史上最悪の原発事故以来、来年4月で25年になります。科学者によれば、再爆発の危険はないようですが、「原発には推定180トンといわれる放射性物質が閉じ込められており、それがどんな状態であるのか未だにはっきりしない」とのこと。
先週日曜にバロガといっしょに一般公開前のチェルノブイリを視察した国連開発プログラムのチーフ、ヘレン・クラーク(元ニュージーランド首相)は「個人的には、こういうことがあったと伝えることは大事であり、悲しいことには違いないが、それを伝えることが大切で、経済的な利益にもなる」と今回の提案を歓迎しています。

ちなみにお値段の方は、カナダの旅行会社によれば、100キロ離れたキエフから日帰り旅行で150ドルくらいとのこと。日本の原発推進派の人はぜひツアーを組み見学にいかれたらいいのではないでしょうか。もう、待ちきれないという人にはエレナという近所のウクライナ人がカワサキの大型バイクで出かけた報告がありますので、ぜひご覧ください。廃墟好きには堪えられない光景が並んでいます。また、緊縮財政のおり、日本政府もウクライナに倣い東海村だとかもんじゅや柏崎などの事故現場を大胆に観光地にしたらいかがでしょう。

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コメント (14)

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

可也、皮肉の来た論説ですが、本当の危険さを国民が知らされていませんね。

恐らく、この事故の回収など出来ない。そこに残された危険が数百年続くことになる。

日本は真実の情報を流さないマスコミしかいない国です。

フリーのジャーナリストが原発は危険だと叫ぶ声を塞ぐ国です。

その,操作されて洗脳された国民の周りに全国で50を超える原子力発電所がある!?

まだ建設中を含め計画が15程あるという。

世界で唯一の被爆国であるのに、その原爆の数千、数万発分の核の危険に背中合わせで平然と暮らす。

我が県にも志賀原発が有り、事故を隠した事件も起きた。

現場が隠したか?上が隠した?かが問題ではない。当然当時、誰かが責任を取ったが、いざチェルノブィリのような事故が発生したら・・・

狭い日本で数分の一が危険地帯となってしまう。誰かが責任を取るなんて話ではなく、そうならない為にも原発自体を無くして行くべきなのではないか?

電気が無くて困るのは判るが、だからと言って原発に頼った付が何れ来る。

当時の政府や官僚、地元自治、建設業が利権という魔物に、国民が背負う未来の危険を見ない振りをして作り続けたのだ。

その関係者や、親族、今も推進している方は是非、現場に行ってくるのを義務付けすれば良いでしょうね。恐らく放射能の危険を肌で感じ、考えが変わると思います。

ウーさんコメントありがとうございます。
もう20年近く前になりますが、自分はエストニアで核の廃棄物(高)が野ざらしになっている場所に難なく迷い込んだ時、同じことを思いました。
安全だ、安全だといっている人たちは一度ここに来たらいい。と。
その前にオーストラリアのカカドゥのレンジャー鉱山を訪ねた時にも、日本の原発で定検から定検を渡り歩いて、被曝を続ける「原発ジプシー」の話を読んだ時にも同じように感じました。

放射能の危険をぜひ、みんな肌で感じ、オール非電化な暮らしを目指してください。

エストニアで核廃棄物の野ざらしですか、、、今はどうなんでしょう、、個人的に独立間もない頃から行ったりしていて、知り合いもいるので何所なのかが非常に気になる。

しかしいつの時代も被害者は弱い立場の人間だ、チェルノブイリの被害が最も酷かったのはベラルーシやウクライナの貧乏な農家の人達だったと思う、汚染されている作物や乳製品が危ないのは解かっていても貧しく安全なものを買うゆとりはなく食べない、というわけにはいかない、その影響は若ければ若いほど大きかった。

放射能の影響等を役人は調べたりするが真実を住民には伝えない、都合の悪い事は一切表に出ない、何所の国も同じ、、。

厄介な問題ばかりなのに日本はそれを外国に売り込んで金儲けしようとしている、、それで一体何所が利益を得ているんだか、考えると気が重くなる、、、

自分たち(今は蓮舫の旦那に収まっている区議候補ともうひとり)が行った場所はロシアとの国境に近いナルヴァという町の外れにある高レベル核廃棄物蓄積場です。いやあ、怖いところだった。

記事に対するコメントにまで返事をするリックさんは律儀な方なんですね、まさかとは思いましたがちょっとのぞいてみると古い記事への自分へのコメントにまで返事をくれるなんて、感謝です。

そうでしたか、ナルヴァでしたか、、あの周辺は特に貧しい地域ですからね、、

あそこは一度だけ行った事がありますが、あそこはロシア人ばかりでエストニア語も通じない場合が多く実質殆どロシアですね。

実は私もその昔ナルヴァ近くのコフトラヤルヴェという泥炭?が出る町近くで訳わからない地図にも出ていないような所に車で迷いこんでしまいかなりあせった事がありまして、、今思い返すと核廃棄物も出てきそうな雰囲気の所でした、無事に抜け出せてよかった、、、

自分の知り合いはパルヌという町に集中しているのでその面ではある意味良かった、、何てこといってはまずいですが、、

もう10年以上前ですけれど一般人が立ち入れなかった元ソヴィエト軍跡地の廃墟等になぜか興味津々で行ったりしてたのも実はまずかったのかな~等と今思っています。

現在は解かりませんが、今から思えば10年位前まではけっこうやばそうな所が各地にありましたね、、、

でもチェルノブイリ事故についてよく覚えているエストニア人に聞いた話だと、事故の影響なのかどうかは解からないけど不自然に木の葉が枯れたり、体調不良を訴える人が増えて、ウオッカを沢山飲むと放射性物質が体から抜ける等と変な噂を信じた人達が沢山飲んで更に体調を崩したりとか、不安が不安を呼びパニックになっていたらしい、、、

まぁ真実を伝えたら余計にパニックになっていたかもしれないけれど都合の悪いやばい情報はまず間違いなく市民には知らせませんからね、、菅直人じゃないけど、これこそ正に不条理、、、

最近良く目にするリックさんの記事は自分がかなり興味ある分野といいますか、価値観が似ているといいますか、身近に感じる問題もあったりして特に注目しています。

未来のシナリオのシナリオも読んで見ます。

まつざきさん、コメントありがとうございます。
パルヌもよく行きましたよ。海沿いの保養地。あそこでもリヴィコのウォッカをのみ、ふらふらした記憶があるような、ないような。
チェルノブイリの掃除にはエストニアからもたくさんのニンゲンがかり出されたと聞いていいます。無知なのか義侠心が厚いのか。結構飛び込んでいった人が多いそうです。その影響もあちこちで出ているでしょうね。もちろん、ほど遠くないエストニアのこと故、自然環境への影響も大きいと思います。
はい、これからも、コメントよろしくです。時間がある限り、応えるつもりです。

度々返事感謝です。

パルヌもご存知でしたか、(とは言え今は地球の歩き方とかにも出ていますから日本人も珍しくなくなりましたが、、、)

私もウオッカで何度記憶をなくしたことか、、、、

徐々に西側化しつつあるエストニアを眺めていると何故だか説明できない何ともいえない寂しさを感じてしまったりしています昨今ですが、、、

多分、かつての様な牧歌的といいますか、質素な人々の暮らしがなくなってきているからでしょうか、、、

共産主義の時代は正しい情報が殆ど市民に伝わっていなかったでしょうし、お上に逆らう事はあまり考えられませんから、何所に行くのかも解からずとも駆り出されれば、何も疑わずただ言われるままにチェルノブイリに行っていたのではないかな~、と見聞きした事から想像しています。

知らぬが仏と言いますか、あんな所知ってたら誰も行きませんよね、でも誰かがやらなきゃならない、そんな時いつも犠牲になるのは無知で従順な一般市民や立場の弱い人達というのは納得行かないですよね~ホント、、、

どもども。一点だけ。「正しい情報が共産主義時代には伝わっていなかったのではないか」という指摘ですが、たぶん、エストニアはソ連のなかでも最も西側の情報に通じていた場所だったのではないかと思います。ソ連時代にもエストニアの人はフィンランドのメディアを通じて「外」の動きをよく知っていたと言います。ご存知のように隣国フィンランドとは距離も7、80キロほどで、言葉はフィノウグリック、同源の言葉ですから。モスクワもこれだけ近いと妨害できなかったと聞いています。
核の恐ろしさについてもよく知っていたはずで、80年代後半、独立運動の引き金となる運動にも確か、核廃棄物をエストニア領土におくな、という動きが含まれていたように記憶しています。確か、その流れで自分たちもなるヴァを見に行こうなんて言いだしたんだと思います。
飲み過ぎたリヴィコのおかげで記憶は定かじゃありませんが。
タリンやパルヌはまた行ってみたい場所です。

何度も返事をもらい恐縮です。

おっしゃる通り、本当に良くご存知ですね、何だかすごく嬉しいです。

確かにソ連時代もタリン周辺ではフィンランドのテレビを見られる所もあったと聞いています、自分も滞在中ラジオも夜だと外国放送とかも聞けましたし、、なのでエストニア人はある程度外国の情報を得ていたのは間違いないと思います。

確かソ連は伏せていたのにチェルノブイリ事故が発覚したのもスウェーデンで放射線の値が異常だったのがきっかけだったと記憶しています。

タリン周辺に住んでいる、或いは友人が居る人達はきっと西側が伝えている情報を得ていたと思います、ただその情報をどの程度正確にどう捕らえてどう扱っていたのかは親しい友人に聞いた覚えはあるんですが、ちょっとうろ覚えでもう定かじゃありません、しかもそんな話をする時はだいたいきまって酒を飲んでいた時でしたもんで、、、、、

エストニア国内に限れば、自分の解釈ではある程度裕福?(お金はあっても買うものがなかったらしいですけれど、、、)な人はソ連製でも高級なテレビなり、アンテナなり、もしかしたらブースターなんかもあったかもしれません、そんな人達は一生懸命西側の情報を取ろうとしていたのかもしれません、何となく目に浮かびます。

内陸の方だとテレビ放送の受信は厳しかったかもしれませんが、多分ラジオ等で外国語が解かる人間はそれなりに外国の情報を得て理解していた人も居ると思います。

おっしゃるとおりフィンランド語とエストニア語はとてもよく似ています、全く同じ発音のものも少なくないです、ただ意味がまったく違うものがあってまぎらわしいらしいのですが、、なのでフィンランド語を知らないエストニア人には想像は出来るけど完全には分からないらしいです、スラブ系のロシア語とポーランド語みたいなものでしょうか。

後、私は40過ぎの男ですが、私より若い人達は英語、ドイツ語を比較的良く理解するのですが、上に行けば行くほど外国語はロシア語のみで英語は殆ど分かりません、(自分は英語は分かります)なので中高年の人達だけしか周りに居ない時はエストニア語が鍛えられました、、今は殆ど忘れてしまいましたが、、、、、いい思い出です。

いずれにしても自分が前回のコメントで書きたかった情報が伝わっていなかったのではないか云々は、エストニアのみというよりは共産圏全体といいましょうか、かつての社会状況といいましょうか、都市部に住んでいるわけでもない内陸の貧しい人々の事を思い浮かべながら語りました。

事故処理にかり出され被害にあった多くの軍人達が実際にどんな生活をしていて、どんな指揮命令系統下にいたのかは余り詳しくないのでわかりませんが、放射線が危険だと仮に頭では分かってはいても、色も匂いもなにもないから(非常に放射線が強い所は何か匂うらしいですが、、)目の前の危険度に案外無頓着になっていた気がしますし、実際見た映像では超危険なありえない作業を簡単な鉛の防護服を着て作業していた軍人が映っています、彼らにどんな気持ちで作業していたのか聞いてみたいですが、、これらの人々はまず間違いなく大量被爆による影響が出たと思いますし、ソ連もある意味それを黙認したと思います、まぁ軍人とはそういう危険な事をする存在だと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、、、

後、自分は専門家でも何でも無いのできちんとした具体的なデータがあって書いているわけでは無いのですが、なぜか興味津々といいましょうか今の日本には無い生活に好奇心が湧いていたといいましょうか、かつてのソ連等の共産圏がどんな世界なのだろうか?という気持ちがあって、なぜか惹かれるものがあってちょっとだけ調べたりしていました、、自分でも不思議です。

で、自分が知る限り彼らの市民生活は今の自分が居る立場からは想像できないような情報の統制ややらせ?があって、うまくいっていたかどうかはともかく各地の共産党員が市民同士お互いを疑心暗鬼状態にさせるよう仕向ける為に密告を奨励したり、デマ等流したりして人々を統制しようとしていたとか、かなり不健全な状態だったと何かで読んだか聞いた記憶があります。

で、マス以外のメディアが存在しなかった当時は(ガリ版新聞とか裏情報はあったのかもしれませんけれど、、)、何が真実なのかの検証が難しい、つまり西側のマスメディアのニュースをかじった友人や知人の言う事が口コミで拡散していっても、それが嘘なのか本当なのかが良く分からない、人によりますが厳しい時代でしたからある程度の参考にはしてもそう簡単に情報を鵜呑みにしていなかった気がします。

なので、仮に何らかの真実が目の前にあったとしても当時の状況下ではそれを素直に受け取れたかどうかが疑問に思ってしまうわけです。

で、未だに良く覚えているのは自分のエストニアの友人の物が無い時代の体験で、ある時デンマークからエストニアに流れついた貝?か何かの缶詰があったそうで、その当時はそういった西側のものが大変珍しかったらしく皆に見せて自慢した、何て話です、何だか楽しそうな感じがしてしまうのは自分だけでしょうか、、、

チェルノブイリ事故はなぜか起きた当時から関心があって(事故後死の灰が日本に到達して丁度その時の自分の地元では雨で今日の雨は放射能に汚染されているから濡れると微妙に被爆する何て事も覚えています)自分なりに日本で本等を読んだりして調べたりして、その後まさかエストニアに行くとは思っていなかったのですが、、、

実際に当時の話とかをしてくれる人と触れ合って身近に感じているからなんでしょうけれど、この事故は忘れちゃいけないものだと思うし、25年も前だとは言え、一番多く放出された?セシウム137の半減期は30.2年、今でやっと半分くらい、、、

大量にばら撒かれた放射性物質は一体どうなって、何所に行ってしまったのだろうか?等と今も気になっています。

あくまで想像ですが、おそらく相当数は色々な環境で複雑に植物、動物内を循環しながら一部は土壌(或いは大気圏内)に留まり?後は海に到達していってしまっているのかな~、等と思っていますが、ただ放射性物質の事を言うと大気圏内で核実験をさんざんしてましたからそんなものも含まれるのでしょうね、、、

チェルノブイリの事故に関しては恐らくもう殆どの人は関心がなくなっているものなのでしょうけれど、なぜか自分には身近なものに思え、特に印象的だったのは日本でもついこの間まで放送されていたCBSドキュメント(アメリカの番組でオリジナルは60Minutes)でのチェルノブイリの特集番組、あの放送は結構好きで英語の勉強も兼ねて毎週ビデオにも撮っていたくらいだったんですが、チェルノブイリ事故後の石棺に封じ込まれた4号炉側まで行ってレポートしている記者や何とも寂しい廃墟と化したプリピャチという町が印象的で、、、(廃墟フェチなのかな~、、、)

とにかく、いまだ問題だらけの原発を推進する日本、で、殆ど表には出てこない高濃度に汚染された所等で働く人達の実態、かつてのソ連と一体何所が違うんだか、、、

で、何十年後か操業を終えた施設をどうするのか、ドイツか何所かで安全に解体するのが偉い大変で、しかも莫大な費用が掛かったらしい、へたすると得られた便益よりも大きな損失が出る可能性もあるらしい、一体これで誰が得しているんだか、、、

ちなみに、自分は最近では去年6~7月にエストニアに行きました、リックさんもタリン、パルヌ等へ今度また是非行ってみてください、きっとソ連時代との違いに驚くでしょう。

長々と失礼しました。

まつざきさん、コメントありがとうございます。前のコメントでエストニアで迷い込んだ高濃度放射性廃棄物投棄場の場所をナルヴァといいましたが、一緒に行った人から指摘があり、正しくはシラマエだったそうです。すいません訂正します。
エストニア語については、何年か前に欠いた記事を参照ください。たぶん、フィンランド語との間の互換性の方がもうひとつのいとこハンガリー語よりはましだそうですが、それほどではないのかもしれません。まあ、テレビ映像を見ればある程度、言葉は分からなくても想像ができるという側面はありますが。
80年代の後半、90年代の始めにかけて、「ロックサマー」というコンサートが開かれ、高野孟らと一緒に日本からも有志のバンド(ボガンボスやスカパラ、寿など)をいくつか連れて行きましたが、その時、コピー機を頼まれて持っていったことを覚えています。つまり、共産党支配のもとでは情報の流布は政府のコントロール下にあり、ビラを印刷することも自由にはできなかったのです。
「げ」の字については同感です。ここ10年ほど「げ」の字を温暖化対策として化粧治しすることにはかなりのヤバさを感じてます。実際に廃棄物処理場も、原発現場も、ウラン採掘場も見た人間としては、自分も含めて人間のいい加減さを信用する気にはとてもなれません。
てなところで、これからもよろしく。

本当にどうも、わざわざ訂正のご指摘恐縮です。

ナルヴァではなくシラマエでしたか、、まぁ十数キロ先がナルヴァですからほぼ同じみたいなものですが、、、

記憶は殆ど無いのですが、あの一帯はナルヴァに向かう途中で通ったはずなので恐らくシラマエも一応自分も訪れていると思います、まさか核廃棄物がある(あった)とは夢にも想いませんでしたが、、、

ただリックさんご指摘の後、シラマエを手元にあったちょっと古いオーストラリアの旅ガイドブック「ロンリープラネット、バルト三国版」で調べてみると、サポートミリタリーヌークリアケミカルプラント云々等とあり、そのものズバリですね、恐ろしい、、、、

ちなみに、前にちょっとコメントした自分が行った今でもよく覚えている元ソ連軍施設(潜水艦か何かに関係する施設?)はタリンからそれ程遠くないパルディスキという場所で、その側は今でもエストニアの軍の施設がある所で、一応バラ線がはってあったりして当時も一般人立ち入り禁止だったのかもしれませんが、まぁ無謀?にも入り色々見て回ったりしていました、、記憶がちょっとゴッチャになっている部分もありますが跡地には只の廃墟や残骸等のみだった記憶です。

え?リックさんはエストニア語を勉強されていたんですか??そんな超稀な日本人にお目にかかったのはこれまでで二人目です、、すごいですね、英語~エストニア語の教材でしょうか?

自分もちょっとトライしましたが、、、英語と違ってヨーロッパの言語?は語尾の変化が複雑だったり非常に難しいというのに気がつきました、ちょっとやって直ぐにその難しさにぶち当たり、英語でも精一杯だった自分としてはもっと複雑な言語なんて後何十年あっても使えるようなレベルにはならんだろうな~と挨拶語程度を記憶しただけで諦めました、、、、

しかも自分にはäとか独特の発音のアルファベットを使う単語は発音が殆ど不可能でして、、「ビール」とか「りんご」は確かそんな難しいアルファベットの単語だった気がします、リックさんはそんな単語も発音できるんでしょうか?

もしそうならエストニア人もビックリですね。

ちなみに、「コラディ、クゥラット」等という悪い言葉は直ぐに覚えましたが、ははは

ハンガリー語とエストニア語がどの程度似ているのかはきいたことが無いので何ともいえませんが、多分リックさんの言うとおりだと思います。

自分が初めてエストニア含むバルト三国を強く意識し他初めての出来事はソ連軍がラトビアとリトアニアに民主化運動鎮圧?か何かで武力介入した時です、丁度一度目の湾岸戦争の時なので余り報道されていませんでしたけど、、、

で、リックさんがおっしゃる通りその武力介入の時に確かにエストニアではなぜか血の日曜日?と呼ばれた流血の惨劇は起きなかったですね、でも当時の状況だと起きても不思議ではなかったでしょうけれど、、何故起きなかったのかは解かりませんし、幸いだったといえばそうですが、、、ラトヴィア、リトアニア両方の事件現場に事件後だいぶ経った後に行きましたが、弾痕があるビルが残っていましたし、テレビ塔は博物館になっていて、戦車に踏み潰されて死んだ若い女性までいたなんて、ホント酷い話です、、、、

いずれにしても、大国に対抗して独立を勝ち取るという事がどれだけ大変なことだったのか、今の満ち足りた?日本に生きる自分等には到底想像も出来ないことでしょう。

だから北方領土にしても、尖閣諸島にしても、竹島のことにしても大部分の日本人はそれ程関心を示さないんでしょうね、、、、、、

そういった虐げられてきた人々の葛藤や戦い等を映画とか何かにして色んな人が知るべきなんじゃなかろうか、なんて自分は思いますが、、、

ソ連時代にエストニアでロックコンサートですか、へぇ~、知りませんでした、、自分もソ連時代にモスクワで珍しいロックコンサートをしているニュースを見た記憶はありますが、、、ゴルバチョフのグラスノスチ政策?以降は西側のものも結構入っていたんですね、そう言えば、40代後半の自分の友人の一人も70~80年代ロックやポップスが大好きで、自分とも趣味が合うので良く一緒に聞いたりしていましたが、考えてみるとソ連時代に西側の音楽も手に入っていたという事なんですかね~、、、(多分話はしていると思いますが、記憶が定かじゃありません)

リックさんの経歴の所を見ると、音楽マネージメントという紹介があって、その関係でエストニアの「ロックサマー」に日本の有志バンドと参加されたのだと思いますが、残念ながら自分はそれ程音楽には詳しい方ではなく、日本のロックやポップというよりは洋楽の方が好きでしたし、(アナーキーなんてのは中学の頃好きでしたが、、)特に誰かというよりはラジオで流れていたその当時の?はやり音楽を聴いていた感じです。

実はエストニアの友人の内何人かはプロ?のフォークソングバンドのミュージシャンのメンバーで、エストニアでは結構長く活動している有名で人気のあるバンドで(だった?)エストニア人はパーティーとかでフォークダンス等踊りを踊るのが大好きな人たちなのはご存知だと思いますが、そんな時にぴったりの音楽を演奏する人達で、自分もかなり気に入っていて今でも時々日本でも聞いていますが、もしかしたらリックさんも知っているかな~、、、バンド名は非常に長い名前で、略して「VLY」と英語では呼んでいます。

まぁやらないと思いますが、バニラニンジャじゃないけど個人的には日本でも案外いけるんじゃないかな~なんて思っています、相撲のバルトも大関になってエストニアも徐々に知名度も上がっていますし、、、

でも、リックさんがまさかこんなにエストニアに詳しい人だったとはビックリしました、恐らく専門的な事はリックさんのほうが詳しいと思います、自分のエストニアの知識と言えば幾つかの本を読んだくらいで、後は実際に行って慣れた、という感じでしょうか。

リックさんがおっしゃるとおり、エストニア人は自分達の文化とか民族にかなり誇りを持っています、純粋なエストニア人?は100万も満たないくらいでその辺りは危機感を持っているのかもしれません、だから政府も日本の子供手当ての様な支援をしてて、若いお母さんは相当助かっているらしいです。

リーマンショック以降エストニアも当然影響を受けて、自分の友人達の中にも貧しい連中もいて、当然かれらは失業したり、更には追い詰められた挙句?薬物中毒になって死んでしまったりして、、何とかならんものかな~等と思っている昨今ですが、やるかどうかは彼ら次第ですが、リックさんが進めるパーマカルチャーも一つの選択肢でしょうね(田舎の人間はずっとそんな暮らしでしょうけれど、、)

又長くなってしまいました、、、

では失礼します。

まつざきさん、パルディスキィの元ソ連海軍の基地は自分もテレビの取材で高野たちと一緒に行きました。確か、スカパラの連中も一緒に行ったはず。ミサイルのサイロとかあって、結構迫力でした。ここには原潜がいて、その原子炉が放置されているという情報もありました。確かめる術はありませんでしたが、ソ連ならあり得ることでしょう。
自分が最後にエストニアに行ったのは94年のことでもう、かなり前のことです。あの頃知っていた連中はみんな政府の大臣など、お偉いさんになってしまいました。いつかまた行ってみたい気もしますが、まあ、それはそれは。それではまた。

度々返事どうも有り難うございます、パルディスキまでご存知でしたか、、しかも取材で訪れていたとはさすがです、そういった所があるよと聞いて自分はただただ好奇心のみで見にいっただけでしたが、、、

で、パルディスキに実際に原潜があったのかどうかは自分にも解かりませんが、でもおっしゃるとおり当時のソ連はミッションとして東はオホーツク海、西はバレンツ海に戦略潜水艦を配備していましたし、当時そこは米国、つまりNATOの戦略としては米国に報復攻撃をさせない?為に常に見張っていた最重要地域ですから、そこが仮に叩かれても平気なように戦略潜水艦等をエストニア等に分散して配備していてもおかしくないですよね。

エストニアの大きな2つの島ヒーウマーとサーレマーにもソ連の戦略的な基地があって、そこにも単なる好奇心のみでただ見に行っただけの自分ですが、エストニア人にとってははた迷惑な話ですよね、、お前らじゃ頼りないから俺が守ってやる、みないな言いがかりつけて無理やり進入してきて占拠ですからね、、、いつだって庶民の権利なんて虫けらのように踏みにじられてしまっている、、、今の日本の沖縄の基地問題にもつながりますね。

しかし、人間の欲というのは実に厄介で難しいですね、、、国内外で起きている問題などを考えると、大抵行きつくのは人間の際限なき利己的なグリード、、、、

あまり良く知りませんでしたが、そう言った意味で自分はパーマカルチャーという考え方?に共感しています、リックさんの著書も読んでみたくなりました。

チェルノブイリとは直接関係はないかもしれないけれど核廃棄物の問題からエストニアの話が発展し、こんなレアな話が出来るとは夢にも想いませんでした、何度も返事を頂き本当に嬉しかったです、エストニアに関しては自分はいくらでも語れてしまいますが、それではきりが無いのでとりあえずエストニアに関してはこの辺で。

リックさんは今オーストラリアに住んでいると理解していますが、日本に居る人間にはあまり無い視点やみなが見落としがちな事、忘れてしまっている事、でも大事な事等を指摘してくれていると思いますのでこれからの記事も楽しみにしています。

Profile

リック・タナカ(Rick Tanaka)

-----<経歴>-----

信州松本出身。
1980年、シドニーに漂着。
大学中退後、ラジオやテレビ、ウエッブ、雑誌、ニューズレターなどで執筆、制作、コンテンツ制作、翻訳/通訳、音楽マネージメントなどで活動。
1997年、それまで15年暮らしたシドニーから標高千メートルの高原の町カトゥーンバに引っ越し、執筆・メディア活動と並行しながら、消費を抑え生産する楽農生活に突入する。
2007年、大陸の東南に浮かぶ島にある人口300人の村に移住、オイル・ピークと環境ゲテモノ化時代に備える暮らし、近隣社会の構築を模索中。

BookMarks

-----<訳書>-----


『未来のシナリオ』
2010年12月、農文協

-----<著書>-----


『人工社会』
2006年3月、幻冬舎


『楽農パラダイス』
2003年、東京書籍


『おもしろ大陸オーストラリア』
2000年、光文社知恵の森文庫

-----<共著>-----


『Okinawa Dreams Ok』
1997年、Die Gestalten Verlag


『Higher than Heaven:Japan, war and everything』
1995年、Private Guy International

-----<訳書>-----


『沖縄ポップカルチャー』
2000年7月、東京書籍

『首相暗殺』
ロバート・カッツ著、集英社

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