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2007年12月27日

これは困ったぞ/Clean green NZ?

朝はまず、鶏に小麦やり、外に出してやることから一日が始まります。
太陽がずいぶんと南の水平線から、周りの雲を黄金色に染めながら昇ってくる頃。

卵を抱えてから21日目,いくつかまた、雛が孵ったようです。春から,多分,これで打ち止めになるはずですが,なんのかんの40羽近くの雛が孵ったことになる。

羊や牛を食の生産や消費の体系に取り込むのは初めての経験ですが、鶏はこれまでにも飼ったことがあります。雛を孵化して育てた経験もあります。オーストラリアにいたときは、3羽の雄鶏のもと、烏骨鶏やバーナベルダー種やアラカーナ種、30羽近い鶏に囲まれて暮らしていました。

卵製造機械のような種類ではなく,純血好み。毎日毎日産んではくれませんが、その方が自然だと思います。1年に100個,3日に一個も産んでくれたら御の字。

基本的には放し飼いで、朝と夕に小麦を少し,そして冬にはトウモロコシを与え、台所からの残飯やとうのたったレタスやらキャベツがあれば,それを与える。きれいな水と近所の浜で拾ってきた貝殻を砕いたものを補ってやるくらいで,あとは自分たちであちこち、ひっかき、ついばんで、卵を産んでくれます。

いつもいつも、なるべく自家製の出所がはっきりとした素材を与えたいとは思っていても,小麦だとかトウモロコシはいまのところ、どこかから持ち込まざるを得ません。近所の農家から飼料グレードの小麦を手に入れることもありますが,たいていはどこからきたのかわからないものを店で、買うしかありません。あんまり農薬とか使わずに,なるべくフツーに育てられた飼料であることを祈りながら。遺伝子組み換え作物なんかが混じっていないといいのだが。と思いながら。

ニュージーランドはクリーンでグリーンなイメージを売り物に農産物を輸出しているので、遺伝子組み換え作物,簡単には認めないだろうなあと思っていましたが、最近,政府はモンサント社製の除草剤,ラウンドアップに対応するトウモロコシ導入を許可することに決めたそうです。リジン含有の高いLY038は家畜の飼料として認められるのだそうです。

問題が二つ。

この報道でも指摘されていますが、一つは直接的なこと。家畜の飼料用のトウモロコシが「間違って」人間の食用として、加熱されるとガン、糖尿病またはアルツハイマー病を引き起こす恐れがあるといわれています。

もう一つは、間接的な影響で,たとえ、もともとの目的通りに家畜の飼料として使われたにしても,それを食べた家畜の卵や肉は人間の食用になるわけで,食物連鎖による人間への影響です。

鶏を飼って、卵は自給しているつもりでも,鶏を育てるために外からの飼料に頼らざるを得ないとしたら、ちっとも安心できない。

これは困ったぞ。

2007年12月24日

ブラッドフォード曲線/The Bradford Curve.

環境ゲテモノ化時代、ピーク以降の社会では一人一人に利用できるエネルギー量が低下するものとみられています。一人一人の使えるガソリンの量だけでなく,食料から何から,アブラ漬けで生産されるもの,すべての量が減るということです。

先進国では現在当たり前に思われていること,例えば,これまでのようにじゃぶじゃぶとアブラを燃やして食料を生産することはかなわなくなります。これまでのようにハウスでじゃんじゃん重油を燃やして季節外れに生産されたトマトやイチゴを食べるなんてことはかなわなくなります。世界の果てからえっちらおっちら、アブラ漬けで輸送された食料に頼る,なんてことも難しくなるはずです。

日本でも、エネルギー消費の少なかった100年前とかには人口の大半が農業に従事していたはずです。それが現在では1割以下。大半の人間がアブラ漬けの食料に頼っています。アメリカでは産業化以前には3割以上が農業に携わっていたのに,現在では2%くらいだそうです。

そういう歴史的な事実から将来を類推することはできますが,江戸時代にそうだったからといって,必ずしも過去が繰り返すわけではありません。昔の知恵や社会構成は参考にはなるものの,それがそのまま役に立つとは限りません。

エネルギー消費と農業人口,現在ではどうなのでしょうか。消費の少ないところでは農業人口は多くなっているのでしょうか。

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(オイルドラムより)
これはカリフォルニア州のウィルッツの町で,地域経済のローカル化を進めるジェイソン・ブラッドフォードがエネルギー消費と農業人口の割合を国別にグラフにしたものです。

205の国について,国連食料農業機関(FAO)のデータをもとに、それぞれの国の総人口に対する農業従事者の人口を割り出し(縦軸),アブラ,ガス,石炭、電気など米エネルギー省EIAのデータをもとに個人のエネルギー消費(横軸)と対比させたものです。

さあ,これから何が見えるか。

もちろん,歴史的な考察同様,断定することは危険です。エネルギーには薪だとか動物の糞など,すべてのエネルギー源がカバーされている訳ではありません。それぞれの国勢調査がどれほど正確なものかわかりません。しかし,傾向は歴史的な考察と同じことを示しています。

低エネルギー社会では,自分の食べる物に自分で責任を持つ人間の数が多い。どうやら,それが来るべき社会のようです。

そんな時代の到来に向け,「帰農」なんかしなくても,少しずつでも自分の食べる物を自分で生産する。足りないものは歩ける範囲の場所で調達する。そんなふうに暮らしたい。たとえ、ピークが「ユダヤの謀略の所産」でゲテモノ化が「原発推進派の謀略」の所産で、どちらも現実にならなくってもちっともかまわない。

だって,そんな暮らし,気持ちいいんだもの。

2007年12月22日

冬は厳しく/winter is hard.

鴨はあまりたくさんはいなかった。
母鴨がパンかごをさかさまにした。
鴨たちはグワッグワッと鳴いて不満そうに見えた。
水は黒かった そしてまもなく凍った。

冬は厳しかった、冬は厳しかった。
お金も銀行の中で凍った。
土曜の夕べの楽しみも
隔週にしかなかった。
アウリス・サリネン(訳:大束省三)

北半球では冬至(ということはつまり,南半球では夏至)の今日,「原油価格高騰」のおかげで寒冷地で灯油券の支給が始まったというニュースを読みました。先日「原油価格高騰」のおかげで小学校の給食の日数が2日減らされることになったというニュースもありました。フィンランド生まれの作曲家じゃありませんが、冬は厳しく、です。

報道は「原油高騰」の理由が何なのかはっきりと言わず,地震や台風と同じように、あたかも一過性のことでもあるかのような扱いです。「原油高騰」が ピークのおかげだとはっきり言及するところはありません。来年になれば,事態は好転し,これまでのように安いアブラをじゃんじゃん燃やして暖をとることができる。のでしょうか。

現在の「原油高騰」が一過性のものでなく,長期的なアブラ減耗時代の始まりであるとすれば,灯油券を配ったり、子供たちの給食の日数を二日減らすとか、そんなことでは追いつきません。長期的な対応が必要になります。「緊急事態」はこれから、いつまでもだらだらと続くとしたら、こんな策じゃ追いつきません。灯油券野必要な人の数は増え,子供たちの給食はもっともっと減らさなければならなくなるかもしれません。そんなことはありえないって?
通常原油の生産は未だに2005年に頂上を極めたまま,です。

アブラに首根っこをつかまれ、ズッポリな社会からアブラが抜けていくとき,最初に影響を受けるのは貧しい国や貧しい人たちです。日本(やアメリカ)のような「金持ち」の国でも弱い部分に向けて、影響が目に見える形で出始めたようです。

原油価格高騰のため、といえば,「いちご、トマト、花卉(かき)など農業用ハウスの暖房燃料などに重油を使用している農家約250戸を対象に、重油購入費を助成」という報道もあります。
個々の農家にとっては大変なことで同情します。しかし、(安い)アブラをじゃぶじゃぶつぎ込んで,季節外れなトマトやいちごをこれからも作っていくことはできるのか。長期的にみれば、ピーク以降の時代,こんな食料生産はとてもやっていけないのではないか。これまでが間違っていたんじゃないか。考えてみる機会だと思います。同様に,(安い)アブラにたよる海外からの食料調達も考えてみるべきでしょう。日本は食料の6割を海外からの輸入に依存しています。これがいつまで続けられるのでしょう。

農水省はクジラ屠殺に税金をつぎ込むより,国民の食を確保するためにやらなければならないことがあるはずです。

冬は厳しく。
いよいよ寒さが厳しくなるかと思われますが,皆様,健康には気をつけてください。

2007年12月21日

乳搾り/the land of milk (and money).

いずれ、乳を生産する動物は飼いたいとは思っていたけれど、現実には本をぱらぱらめくるくらい。牛がいいのか、それとも羊にしようか山羊なのかなんてペット選ぶような感覚であれこれ夢想していただけでした。

ニュージーランドは世界市場の3割以上を占める世界最大の乳製品輸出国だから乳製品も安いと思っていました。確かに乳業は輸出総額の2割、GDPの7%を占めるこの国最大の産業で、今年3月までの一年間に85億ドルの外貨を稼ぎ出す輸出産業の筆頭です(ちなみに外貨獲得第二位は木材で36億ドル、肉用子羊が23億ドル、肉牛が18億ドル、キィウィフルーツが8億ドル)。

しかし、引っ越して数ヶ月もしない10月にバターの小売価格が23%,チーズが7.3%,牛乳が3%の上昇。食品価格全体も去年の同時期に比べ3.6%の値上がりです。国連FAOによれば、乳製品の国際価格は前年に比べ100%から200%の値上がりなので、それに比べれば微々たるものですが、この傾向はこれからも続きそうです。それにつれ、自分のところでミルクを生産する必要性もどんどんと高まっていきます。

これで思い出すのはオイル・ピークに関連し,生産と国際市場に出回るアブラの量に関する説です。最近、NY Times(12月9日付け)Wall Street Journal(12月12日付け)など米国主要メディアで取り上げられていますが、ダラスの石油地質学者、ジェフリー・ブラウンが去年あたりから唱えているものです。

(日本語では「ん!」がこの記事を要約しているほか、取り上げています。また、Dr.Kさんのブログでもとりあげられています。)

簡単に言えば、産油国がアブラ景気で潤い、経済発展するにつれ,自国のアブラ消費が増加する。その結果,たとえ生産が増加しても、国際市場に出回るアブラの量は落ち込むというものです。ブラウンはアブラ輸出のトップ5カ国におけるアブラの消費は、これから10年の間に一日あたり500万バレル増加するだろうと予想しています。つまり、10年後にはそれだけのアブラが国際市場から消えてしまうというわけです。

たしかに、インドネシアや英国の例はそれを証明するかのようですが、ことはそれほど単純じゃないでしょう。

アブラ会社は民営であれ、国営であれ、国の外で高く売れるものなら,国内の価格をつり上げるもので、「国際価格」を払えない人は,国の外であろうが中であろうが知ったことじゃない。

ニュージーランドでも、国内消費者のために国最大の企業である乳業会社のフォンテラ社が牛乳や乳製品を安くするなんてことはないでしょう。企業というものはカネの色は選ばず,どこの国のどんな人でもかまわず商品を売りつける。それが使命なのですから。

それが高じると飢餓輸出になります。国内の人間が飢えていようとも輸出して金儲けをする。最近では,ジョージ・モンビオも取り上げていますが、スワジランドの例があります。ひどい干ばつのおかげで国民の4割が飢え、食料援助をあおいでいる。にもかかわらず、主食のキャッサバがバイオ燃料生産に回され、輸出されているのだそうです。10月末、国連人権委員会、食料の権利担当特別報告者ジャン・ジーグラーが口にできる作物をバイオ燃料生産に回すことは「人類に対する罪」だと言いましたが、スワジランドではそれが行われています。

アブラはちょっと,まだ自ら生産してまかなうところまで考えてませんが、乳製品はなんとかなるんじゃないか。うちで消費する分くらい、生産できるんじゃないか。

近所の家畜エージェントに相談すると、羊毛価格の低迷に加え、乳製品価格の高騰のおかげで、このあたりでも羊から牛に切り替える農家が増えており、値段が上がっている、しかも大口取引がほとんどで、一頭だけなんてのはほとんどでてこない。とのことでした。

このあたりで伝統的に羊が飼われてきたのは乾燥していて酪農には不向きだったからです。羊を飼うのがやっとだった場所で、産業としての酪農に切り替えるには、じゃぶじゃぶ水を撒いて牧草を育てなければなりません。灌漑設備などのために巨額の借金をしなければならず、ちょっとやそっとくらい乳製品の価格が上がっても、しばらくは首が回らない農家ばかりだそうです。

こりゃ山羊がいいかな、しかしフェンスを強化しないといけないなあ、なんて考えていたら、家畜エージェントから連絡。珍しいことに手頃な価格で元ペットの乳牛が売りに出たそうで、乳搾りの経験も設備もないのに、早速購入しちゃいました。
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経験がないのは牛の方も一緒。ジェニーと呼ばれ、ペットだったとかで、これまで乳を搾られた経験がないそうですが、うちに到着そうそう子牛を産んで、ぼちぼちと乳を搾られています。まあ、売りに出すわけじゃなし、うちで必要なのは毎日1リットルから2リットルです。柵につないだだけ、露天で、海を見ながら搾ってます。

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2007年12月20日

捕鯨船団に強敵出現(2)/Whales will tear us apart, again.

数日以内には南氷洋に到達し、チョーサ捕鯨を始める予定の日の丸捕鯨船団の前にまたまた強敵が出現した。

シーシェパードの「スティーブ・アーウィン」号が故障し、グリーンピースのエスペランザ号の出発も遅れているが,先月末の選挙で政権の座についたオーストラリアの労働党政権のスミス外相は高精度カメラを備える砕氷船を南氷洋に派遣、日本の捕鯨船団の活動を監視することを発表した。あくまでも監視が目的であり、乗り込む税関の人間は非武装であることをスミス外相は強調している。

オーストラリア政府による監視活動で、日の丸捕鯨船団は、少なくとも、これまでグリーンピースやシーシェパードなど民間の「テロ」団体や「海賊」だけを相手にしていた時のように,誰も見ていないのをいいことに、「密室」で好き勝手なことをして、好き勝手に言い繕うことはできなくなることはまちがいない。

さらにオーストラリアから、やはり今週、南氷洋に生息するミンククジラの頭数を確認する「チーム・ミンキー」が出発した。日の丸政府によれば、ミンククジラは多少収穫したところで絶滅の恐れはないとされている。今期のチョーサ捕鯨でも、935頭のミンククジラ(プラス50頭のナガスクジラ、そしてザトウクジラも50頭)のと殺が予定されている。チーム・ミンキーはオーストラリアの南極基地をベースに低空飛行する飛行機から10人の専門家が数週間かけて、目視で頭数を確認する予定だ。農水省などの主張は船からのチョーサによるもので、その科学的な信憑性はこれまでも疑われてきた。オーストラリア政府は国際司法裁判所への提訴も辞さない構えで,その際には、チーム・ミンキーの集めたデータが秤にかけられる。

ラッド新首相はバリの気候変動サミットで「オーストラリアはクジラの適切な保護に果たさなければならない国際的な義務を重視している」と発言し、税関の巡視船、オセアニック・バイキング号が捕鯨監視活動にまわされるだろうことは今週はじめから、各国のメディアで大々的に報道されていた。

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税関のページより

日の丸捕鯨船団は舳先を戻す時間が与えられたにもかかわらず、日本政府や世論はそれを無駄にしてしまい、結局,オーストラリア政府が正式発表したのを受け,カンボー長官が「今後ともこうした調査捕鯨の必要性は外交チャンネルを通じて、説明していきたいと思います」とこれまでの発言を繰り返すにとどまった。

日の丸チョーサ捕鯨推進に固執する農水省の役人や政治家はシーシェパードやグリーンピースを「テロリスト」だとか「海賊」呼ばわりしてきたが、オーストラリアを「テロ国家」と呼ぶのだろうか。

日本の沿海ならともかく,はるばる南氷洋にまででかけ、世界を敵に回してしてまでチョーサする価値があることなのかどうか、もう一度、国民、ひとりひとりが考えなければならない。

2007年12月19日

ゲテモノ化と罰/climate and punishment

バリでの温暖化対策会議は、米国がこれからも交渉を続けることに合意して幕を下ろしました。メディアの論調はとりあえず、めでたしめでたし。でしたが、それじゃ、悠長すぎるんじゃないかしら。

16日、ロイターはワシントン発でネイチャー・ジオサイエンス誌に発表された研究を引用し、地球海面が国連気候科学者が予測する倍以上に上昇するだろうと報道しています。政府間パネルはこれまで、海面の上昇は今世紀中に最高で80センチほどと見積っていました。これでも大変なものですが、どうやら、すくなくともその倍は覚悟していないといけないようです。
これは地球の気候がいまよりもずっと暖かかった間氷期(約12万4,000年から11万9,000年前)を研究した結果に基づくものだそうで、当時、グリーンランドと南極大陸をおおう氷床が溶解していたおかげで、海面は最高でいまより6メートルも高かったようです。

Nasaのデータをもとに、グーグルアースを利用した水没シュミレーション地図は以前にも紹介しましたが、もう一度、貼付けておきます。

2007年12月 8日

捕鯨船団に強敵出現/The croc hunter to the rescue

今年も「調査」捕鯨船団が,クジラをと殺するため、はるばる日本から南氷洋を目指しているが,強敵がその行く手に立ちはだかっている。

昨年も数々の実力行動を展開した反捕鯨団体のシー・シェパードはメルボルンで待機中だが、抗議行動船をこのほど「スティーブ・アーウィン」号と改名すると発表した。

スティーブ・アーウィンは別名クロコダイル・ハンター、昨年9月にエイにさされて死亡してからも,世界の子供たちの間でその人気は衰えていない。

シーシェパードを日本の農水省やクジラ業界、一部メディアは「海賊」だとか「テロリスト」呼ばわりするが、ますます,国際的に孤立していくことは避けられないだろう。例えば「南氷洋でスティーブ・アーウィンが捕鯨中の日新丸に果敢に突入,操業中断に追い込みました」ってな調子で報道されたら、世界の子供たちのどれほどが日新丸につくだろうか。

未亡人のテリは「クジラ保護はスティーブの念願だった。昨年、クジラを守るため、シー・シェパードの抗議行動にどこかで参加できないものかって,その可能性を調べたほど」と語っている。アーウィンの遺志を次ぐものであることは間違いない。

日本の農水省(や狂信的なクジラ・ロビー)は、アーウィンのような保守的な人間を過激な行動に駆り立てようとした意味をしっかりと考えるべきだろう。農水省は今年も国粋的なヒステリックな論調を繰り返し,国際社会の笑い者になるのだろうが、省が代表するはずの日本という国の国益,もっと大きくは日本の国民にとってどれほどのダメージをもたらしているのか、そろそろ本気で問われなければならないだろう。

日本の沿岸ならともかく,南氷洋までわざわざ出かけ、世界を敵に回して意固地になってまでクジラを捕る価値はどこにあるのか。

すくなくともメディアの上で狩人がクロコダイル・ハンターに狩られる前に,捕鯨のもたらす功罪をもう一度問い直してみるべきだろう。

2007年12月 5日

断髪/hair today, gone tomorrow 2007

南緯45度のこの辺りもさすがに12月を迎え,気温が20度をこす日があったりして、肩の辺りまでのびた髪がうっとうしくなってきました。昨年、髪を切ったのは春分のあたり、9月の末だったのでのびるわけですね。

でも,まだまだ,寒い日があるかなってちょっと戸惑いながら,近所の友人にどこか、床屋さん知らない?って聞いたら,小児がん基金への募金を募るキャンペーンを紹介されました。
こういうの、有名人がやったりする話は聞いたことあるけど、こちらでは全国各地,フツーの人も志願して,友人、知人から寄付を募るのだそうで、すでに450万ドル以上の寄付が寄せられています。

というわけで、これまでは何の前触れもなく春めいた日に髪を切ってましたが,今年は公開することにします。この近所の公開断髪は明日のことで,どれだけの寄付が集められるかわかりませんが,賛同される方はぜひ,寄付の方,よろしく。
詳しくは,こちらをご覧ください。

2007年12月 4日

時代にふさわしい暮らし方/what now?

歴史には何年か、時には何十年か後になってから、「あぁ、あれが転換期だったんだな」という瞬間があります。人間というのは日々の所業に忙殺されがちで、その変化があまり急激なものでない場合、そういう瞬間を見逃しがちなものです。日々の雑事にかまけて、大変動の兆候も往々にして見逃してしまいがちです。

今年1年、大変動を告げる警告はいくつも発せられました。希有な時代を示す兆候や報告、警告はその気になりさえすれば、あちこちに散見することができます。現在私たちは、未曾有な時代を生きています。これほどの時代を人類はかつて経験したことはなかったんじゃないでしょうか。そういう時代認識のもとに、それなりの行動を起こすのか、それとも「これまで通り」を決め込み、ほおかむりをしてやり過ごそうとするのか。今ほど、個人1人ひとりの叡智が求められ、行動が問われている時代はありません。

(オーストラリアで発行される日本語月刊誌の草分け「日豪プレス」12月号のエコ・シリーズ最終回への投稿より)

つづきは日豪プレスをご覧ください。

2007年12月 3日

山の下り方/how will you ride the slide?

ピーク文化もかなり底辺が広がってきましたが、このトゥーンもそのひとつ。

CartoonBrewより。

2007年12月 2日

お椀舟/coracle chronicle

うちから30キロほどの場所に人口1万2千人の町があります。この辺の行政の中心で、ちょっとした商店街があり、スーパーや動物関係の店、金物屋、市役所などもここにあります。1870年代のゴールドラッシュの頃にできた町で、近所で産出するホワイトストーン作りの建物がドシーン,ドシーンと鎮座する、それなりに豪勢な町です(実は最初にここを訪れたときに、古い銀行やらの建物に結構うっとりと見とれ、滞在を延ばしたのでした)。

うちからはクルマで20分ほど、アブラ代が往復でなんのかんの10ドルくらい(クルマのメンテ代とかそういうのは含まれておらず、単純なガソリン料金)です。まあ、たいていの買い物はここで済ませます。着いてしばらくは2、3日に一回、この町にでかけてましたが、だんだん、ストックがたまり、今では2週間に一度、買い物に出かけるくらいですむようになりました。あんまり出かけないので、でかければあれもこれも、図書館から本を借りたり、銀行に出かけたり、知人を尋ねたり、何でもすませるようにしています。これがなんとか、ひと月に一度くらいで済ませられるようになるのが理想で、そうすれば、いまの10倍くらいになってもなんとか、やっていけるだろうと踏んでます。

ただ、心配なのは結構アーティストや職人など、かなり面白い人間がいるので、それらの人間に会うために出かけなくっちゃならないかなあということです。今日も、ほとんどほかに用事もないのに、この町に出かけました「お椀舟レース」があったからです。
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クルミを半分に割ったようなお椀舟、日本やベトナムでもありましたが、この辺の連中が参考にするのは、アイルランドやスコットランド、ウェールズのもの。それぞれ手作りで素材や形もいろいろ。

この町、ペニー・ファージングと呼ばれる前輪の大きな自転車が走ったり、休日には蒸気機関車が走ったりと、ビクトリア時代の町並みにあった活動が盛んで、それが観光の目玉にもなっています。アーティストや職人たちの中には、ピーク時代を意識した上で、「伝統」へ向かう連中もいます。日本でいえばオイル・ピークだから、江戸時代の技術を見直そうってな乗りでしょうか。知り合いの木工職人は電動工具など、いっさい使わず、人力だけで籠や鋤などの道具を作り上げます。

すでに「脱石油時代」を既に生きている連中が、手作りのお椀のような小舟を持ち寄り、速さを競い、お互いの舟を転覆させ合う。小さな浜は笑い声があふれてました。参加したのは10隻ほどですが、この「お椀舟レース」、どんどん、盛んになりそうな気がします。だって「適正技術」であり、おもしろいんだもん。

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(本日の勝者、マイクが柳のかごのようなお椀舟をこぐ。これを作るのに一週間かかったそう。)

レースのあと、今日の勝者、普段は柳でかごを作るマイクがうちへ寄って、裏にある池で自作の舟に乗せてもらいました。なかなか、思うように舟を進めることができず、くるくるくるくる、回ってばかりでしたが、だんだん、櫂の使い方がわかってくるとおもしろい。思うような方向にもだんだん進めるようになります。でも、ちょっと強い風が吹くと、もう、木の葉のように風まかせ。これは仕方がありませんね。逆らえない。岸辺から「どこへ行くつもりなの」なあんて笑い声がきこえても、どうしようもない。
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この池で魚を養殖しようというアイデアはありましたが、収穫をどうしようかとあれこれ考えてましたが、丸いお椀舟がどうやら解決策のようです。早速、作り方を習い、池に浮かべ、一寸法師のまねごとをするつもり。

2007年12月 1日

それから/Kia Ora

新しい場所にたどり着いて、1、2ヶ月もすれば落ち着くだろう、書き出せるだろうなんて思ってました。

如何に別な国とは言え、英連邦の同胞、南十字星を国旗にいただく隣国のこと、多少は違いがあるにしても、そのくらいでなんとか、いつもの暮らしのペースに戻るだろうと思ってました。7ヘクタールの農場に暮らすなんて初めてのことだとは言え、これまでの庭いじりやパーマカルチャーの経験から、何とかなるだろうと高をくくってました。

いやあ、甘い甘い。ブログどころか、私信にもちゃんと返事ができないうちに、もう、夏にさしかかろうとしています。皆様、ご無沙汰をお詫びします。

7月末に、それまで暮らしていた海抜千メートルのうちをあとに、オーストラリア大陸の内部をこれが見納めとばかりに二週間ほど旅してから、8月半ばにはニュージーランドの南島に到着しました。
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(8月の夕陽)

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(11月の夕陽)

前任者から14頭の羊と3羽の鶏とともに生産システムを引き継いでから、それこそ無我夢中です。いっぱしの極道を気取ったことはあっても、羊を追いかける牧童をやるとは夢にも思ってませんでした。

ちょうど春の出産シーズンで、到着するや、ぼこぼこと子羊が生まれ、何のかんので18頭の子羊がシステムに加わりました。羊の出産自体は何の手間もいらず、朝、見回りにいってみると,あらあら、子羊がまた生まれらあってな感じ。でも、春になって牧草が茂り出すまでは毎日毎日、干し草を配って回り、草が茂り出せば茂り出したで、一カ所のパドックの草だけが短くならないよう、あちらからこちら、羊を移動させ、それはそれで大変なことです。前任者がしっかりしたフェンスを残してくれたおかげで、新参牧童にもなんとか、手に追えないことはありませんが、それでも、何のかんの気がついてみると一日が終わっていたりします。何しろ、これまで本格的に四つ足動物の面倒を見たことはあまりありません。

春が来れば来たで、牧草が伸びてくるので、毎朝、干し草を配って回る作業からは解放されますが、今度は電気柵がショートしないよう、回りの草を刈り取らなければなりません。前任者は除草剤を使っていましたが、新参者はできれば使いたくないので、それなりに大変です。しかも、できればアブラも使いたくないので、鎌を片手草刈りをしてます。刈ったところは、段ボールや新聞を濡らして敷き詰め、その上にカーペットを敷く,そんな方法を試してます。果たして、どれほど効果があることやら。

春になれば、夏野菜の種まきもあります。前は種取りをして、自分のところで何年も育てた種のストックがあったのですが、もちろん、引っ越し前にすべて破棄しました。まったく白紙からのスタートで、種を手に入れなければなりません。近所の人がわけてくれたり、種会社から買い入れたり、それはそれで一苦労。しかも、これまでの経験がほとんどまったく役に立たない気候,土地です。近所の人にいろいろ尋ねて回り、何をいつ頃、植えたらいいのか、撒いたらいいのか,学ぶことばかりです。

トマトやなす、キュウリなどは、温室でないと結実しないそうで、幸い、前任者が温室を残していってくれましたが、これまで温室でモノを育てた経験がないんで、毎日毎日、期待と不安で過ごしています。

そんなこんな、慣れない土地で戸惑ってますが、その合間にふっと空を見上げると、息をのまされてばかりです。いやあ、本当にものすごい。海抜60メートル、浜が目と鼻の先な丘に引っ越して、毎朝、東の海から上る朝日にも圧倒されっぱなし。
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(9月の朝日)

これからも忙しい日が続くと思いますが、うちの周りのこと、南島のこと、ニュージーランドのこと、そして、世界のことについて、書き始めます。また、どうぞ、よろしく。

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(10月の朝日)

Profile

リック・タナカ(Rick Tanaka)

-----<経歴>-----

信州松本出身。
1980年、シドニーに漂着。
大学中退後、ラジオやテレビ、ウエッブ、雑誌、ニューズレターなどで執筆、制作、コンテンツ制作、翻訳/通訳、音楽マネージメントなどで活動。
1997年、それまで15年暮らしたシドニーから標高千メートルの高原の町カトゥーンバに引っ越し、執筆・メディア活動と並行しながら、消費を抑え生産する楽農生活に突入する。
2007年、大陸の東南に浮かぶ島にある人口300人の村に移住、オイル・ピークと環境ゲテモノ化時代に備える暮らし、近隣社会の構築を模索中。

BookMarks

-----<訳書>-----


『未来のシナリオ』
2010年12月、農文協

-----<著書>-----


『人工社会』
2006年3月、幻冬舎


『楽農パラダイス』
2003年、東京書籍


『おもしろ大陸オーストラリア』
2000年、光文社知恵の森文庫

-----<共著>-----


『Okinawa Dreams Ok』
1997年、Die Gestalten Verlag


『Higher than Heaven:Japan, war and everything』
1995年、Private Guy International

-----<訳書>-----


『沖縄ポップカルチャー』
2000年7月、東京書籍

『首相暗殺』
ロバート・カッツ著、集英社

→ブック・こもんず←

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