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2007年7月11日

そろそろ/a goodbye to this damn nation (damnation).

アルゼンチンでは首都のブエノスアイレスにたぶん1918年以来の雪が降り、パンパスも数センチ程度だそうですが雪に覆われたそうです。そうかと思えば、タラナキが先週竜巻に襲われたばかりのニュー・ジーランドの北島、今週はサイクロン級の雨風がオークランド以北を水浸しにしています。

これでも環境ゲテモノ化時代のまっただ中にいることを疑うなら、役立たずな目も皮膚感覚も耳もきっぱりと削ぎ落とした方がいいでしょう。

そして、原油価格は高騰を続け、需要と供給は逼迫状態が続いています。オイルピークの方も容赦なしで進行中です。これまで楽観的な「予測」ばかりをたれ流してきたIEAも、7月の報告書(これは無料リンクのpdf)で「ちょっと問題が」なんて言い始めてます。衰えたとは言え、曲がりなりにも産油国のイギリスでは大手メディアが大きく取り上げてますが、「アブラの大消費国」日本では相変わら知らんぷり、ですねえ。大丈夫ですか。ほおかむりしていて。今月の参院選とかでピークを争点に取り上げないと間に合いませんよ。

と、人のことばかり心配してもいられない。自分自身で取りかかれるところから取り組まないと。

なんて言いながら、減量を始めたのはかなり以前のような気がしますが、それでもまだまだ、そぎ落とさなければならない贅肉が腰の周りこびりついていて、わずらわしいったら。時間も残されておらず、贅肉の処分に躍起になっています。ひえーっ(と言いながら、明日は夜汽車に乗ってブリスベンへ音楽三昧の週末にでかけます。ああ、待ち遠しい)。

来月引っ越す村には因縁のように引き寄せられていたのかもしれない、って書きましたが、実はこの村とはニュー・ジーランドにでかける前に出会っていたのです。

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(近所の漁港から村はずれ、農場のある丘を見上げる)

去年の末,ばたばたと慌ただしく出発前に書いたブログのエントリーのひとつに、かの国のエネルギー・気候変動担当大臣、デビッド・パーカーのスピーチの訳出がありました。現職の大臣が「ピーク」を口にすることは滅多にない,しかも,それを正面から取り上げることもない。しかも,「ピークは重大だけど,環境変動の方がもっと危急の課題だ」って文脈で取り上げたのでした。そこまで理解している人が適材適所についている。ニュー・ジーランドってすげえなあと思ったものでした。しかも,そんなスピーチが人口300人程度の村で行われたってところにも感動したことを覚えてます。

それがこの村との最初の出会いだったのでした。

もちろん,この時は、まさかブログの上で「人口300人そこそこの村」と表記したこの村に出かけることになるとは夢にも思わず、現地を旅行し始めてからもすっかりと忘れていました。

そのことは、村外れにある物件を見に行って、気にいってからもまったく、脳裏の片隅にも浮かびませんでした。

さて、これはありそうかなって気がしてからも気は許せませんでした。何しろ、引っ越しはこれでおしまい、やりたいと思ってもピーク以降の時代、そんなに簡単にできるわけがない。やり直しはできず、後戻りもできない。あちこち、漂流してきた人生もこれで打ち止め。慎重の上にも慎重にならざるを得ません。骨を埋める場所です。

だから、物件を見に行った翌朝、おじさんに「相棒が数週間後に帰国したあと、もう一度戻ってきて、一週間くらいウーフさせてくれませんか」って、図々しくも申し出たのでした。断られて当然な厚かましい願いを、おじさんたちは二つ返事で快諾してくれました。波長がどこかであってたのかもしれません。

ここはどうしてこういうデザインなんだ。なぜ、この木はここに植えたんだ。なんて、それから一週間、重箱の隅を突っつくように非の打ち所をさがしましたが見つかりません。ウーフなんて言ってもほとんど作業らしいことはほとんどなし。肥料にする海藻を海岸に集めにいったくらいで、あとはあれやこれや、村や近隣の町を案内してくれるのについて回るだけ。あっという間に一週間が過ぎてしまいました。

滞在中、何日目かに政治の話になり、エネルギーの話になり、くだんのデビッド・パーカーが地元選出(先の選挙では選挙区で落選、比例で復活)であることを知りました。ああ、そう言えばあの大臣、去年の暮れにこれこれこういうスピーチをしたねと思い出して尋ねると、ああ、あれは通りを下ったとこにある、村の集会場でだ。そもそも、この村のエネルギーフォーラムが主催した集会でのことだ。ええっ。そうなの。奇遇と言えば奇遇、因縁と言えば因縁を感じました。

呼ばれるようにしてたどり着いたその村に、オーストラリアから環境難民がふたり、あとひと月もしないうちに流れ着きます。

2007年7月10日

長いお別れ・その2/a second long goodbye.

一時は30羽もいた鶏も徐々に行き先を見つけてやり、ついには一羽もいなくなり、朝も夕も、ちょっと気抜けするくらい、勝手の違う日々になりました。これまでは台所に鶏用のバケツがあったのに、それもなくなり、これまた、ちょっと寂しいくらいに勝手が違います。あっけらかん。

あと、10日もすれば、ネットの接続も切れてしまいます。彼の地へ移動し、新しく接続するまで,ブログの更新もこれまたお休みになりますが、皆様、ご了承ください。そうそう、これまでのメールアドレスも使えなくなりますので、まだ応急の連絡先を知らせていない方、早急にご連絡くださいませ(業務連絡)。

さて、これから引っ越していく村を実際に訪れたのは,もとはといえばその村に魚屋があったからでした。

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(北島,カイタイアの釣り道具店の看板)

南島最大の都会(といっても人口は30万)、クライストチャーチから物件を見ながら南下して、たどり着いたのがオァマルの町でした。人口は1万2千人ほどですが、1860年代に絶頂を迎えるゴールドラッシュの頃からの町で,その頃のカネで贅沢に建てられたライム・ストーン建築の豪壮な建物が、どしんどしんと鎮座する町です。そういう歴史の重厚さが現実に目に見える形で残る町並みってのには目がない方なので、近所に泊まることにしました。

宿のおかみさんから近所の話を聞くと、漁港が近くにあるということでした。そう聞いたら,たちまち,生の魚を手に入れたくなりました。ニュージーランドは島国で,どこの町にも魚屋の一軒や二軒ありそうなものなのに,これがどこにもない。ときどき、スーパーで売っているところもありますが、かなり、いい加減で魚と肉と野菜の区別もほとんどつかない店員が番をしてます。ネイピアの漁港,クライストチャーチの町中には何度でも通いたくなるような魚屋がありましたが,それは例外で、新鮮な魚はなかなか手に入らないのです(小さな魚屋は、かつてはどこの町にもあったのに、スーパーの進出で駆逐されてしまったのだとあとで知りました)。

宿のおかみさんに詳しく尋ねると、さっそく隣村の魚屋に電話してくれ,残っている魚を予約してくれました。その魚屋のある村に引っ越していくだろう、なんて、その時にはちっとも思いませんでした。隣にコンピューター・ショップを構える兄ちゃんが,お隣というだけの脈絡で魚屋の店番をしていて、なかなか、のほほんとしていい感じ。その晩は久しぶりで、タラの一種、ブルー・コッドの新鮮なところにありついたのでした。

村を再び訪れたのは、それからまた二、三日してからでした。

あたりをうろうろし,いくつか物件を眺めた夕方、たまたまのぞいた不動産屋の窓にその村のはずれにある物件が並んでました。土地は15エーカーで,なんとか,手の届きそうな値段です。不動産屋のお兄ちゃん,「ここはちょっと変わっているんだ」とか言いながら、先日空撮した写真を見せてくれました。興味をそそられ,いますぐにも見に出かけたかったのですが、今日はもう遅いから,明日,見に行けるように手配をする。そういうことでした。まだ,午後の4時くらい,しかも夏は日が長いので、まだまだ、見に行けそうな気分でしたが、まあ、ニュージーランドの不動産屋のペースにもすっかり慣れっこになっていて、そういうことですか。じゃあ、また明日。と分かれて、宿に向かったんですが、またぞろ,新鮮な魚が食べたくなってきました。あっ、それじゃ,先日の魚屋に行きましょ。とロゴでぶるんぶるん。

魚屋には先日のコンピューターショップのあんちゃんがいて,あれやこれや、話のついでに,くだんの物件がどの辺りにあるのか,そんな話になりました。そのうち、自ら漁に出る魚屋の店主が奥の方から出てきて,ああ,その物件なら知っている,案内しようか。ってな話になり,それじゃ,周りからだけでも見ておこう。あんまりひどかったら,明日、見に行く予定もキャンセルして、次の町を目指そう。と。魚の代金を払うと,早速ロゴに飛び乗り,魚屋のあんちゃんのトラックのあとを追いました。

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(海の見える丘の上にある農場)

農場の表まで案内され,魚屋の店主に礼を言って,相棒と二人,柵の外からのぞいていると中から、おじさんが出てきました。物件を外から見にきたというと,中からも見ていけという話になり,それじゃあ,まあ,お言葉に甘えてお邪魔しました。

夕立のあと,沖あいには虹がかかっています。うーん、偶然にしてはなかなか,でき過ぎです。

夕暮れ時,そろそろ晩飯時にもかかわらず,おじさんはそれからたっぷり2時間、案内してくれました。

おじさんは鳥が好きで,鳥の来る場所にしたかったと言うことで,近所では「木男」と呼ばれるほどに、広さは6ヘクタールほどの農場はびっしりと植林されています。丘の上まで木という木を刈り取り牧場にするのがあたりまえなニュー・ジーランドでは、なるほど「ちょっと変わって」ます。

冬には冷たい南極颪が吹く南の斜面には木が植えられ,防風林。しかも,エネルギー下降時代に備えるかのように、燃料用,資材用の木もどっちゃり植えられていて、中にはすでに収穫できそうなほどに育っている木もあります。もちろん果樹やナッツの木もたくさん植えられてます。ポサム対策はどうしているのか、と尋ねると、野菜畑と果樹園は波打ちトタン板の塀で囲われています。なるほど、これじゃ、ポサムも上れない。農場はトラクターなしでも経営できるように設計したそうで、いくつかの小さなパドックに区切られ、動物の移動も簡単にできそうです。2時間ほど農場を歩き回りながら、自分のやろうとしていることと驚くほど似てる。そんな気がして仕方がありませんでした。

その夜は相棒と二人で採点しながら、ほとんど非の打ち所がないのに驚いてしまいました。ほとんど、その気になりながら、でも、こういう時はちょっと、興奮を冷まして見るべきだ。なんて言い聞かせ、明朝、もう一度尋ねてみることにしました。
(続く)

2007年7月 9日

数週でお別れ/a long goodbye.

引っ越しの日へ向けてのカウントダウンが続いてます。あと3週間もすれば、20数年暮らしたオーストラリアにもさようなら。

というわけで、相変わらず、いろんな締め切りに追われながら、あれやこれやに忙殺されてます。これが見納めかとばかり、いろんな場所やいろんな人、都合のつく限り出かけるようにしており、今週末にはブリスベンまで、パンクの元祖、セインツの再結成公演を見に行くつもりです。かつて音楽関係の仕事を一緒にやってた奴とふたり、夜行列車で出かけ、彼の地に暮らすゴー・ビトゥインズの生き残りとも一献する予定です。

その後もアデレードやメルボルンにも足を伸ばし、それやこれやの一切合切にけりをつけ、強力な蹴りを入れ、来月の半ばからニュー・ジーランドの南島で新しい生活を始めることになります。

引っ越していく先は南島の第二の都会、ダニーデンの北80キロくらいのところにある海岸沿いの村外れにある農場です。南緯46度、日本近辺で比較すると稚内よりさらに北になります。

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今年の始め、「骨を埋める場所」をさがしにいって、ここにたどり着きました。因縁、とでもいうのでしょうね。何かに呼ばれていたのかもしれません。見つかるべくして見つかったのではないか、そんな気がして仕方がありません。

ニュー・ジーランドへ出かけてったそもそもの理由は、環境ゲテモノ化時代、オイルピーク時代という未曾有の時代に、ここにいたらヤバい。やっていけないぞ、救命艇となりうる場所を探そう、ということでした。そして、あちこち探しまわり、ある地所が気に入って、購入をきめてみたら、信じられないことに、その村はピークに関し,国のなかでももっとも熱心な運動を展開している場所でした。あちゃ。

いま暮らしている場所はやばいぞ、ピークなどの非常時には耐えられないかもしれない、そんな心配があり、この近くに「非常用の備え」として小川の流れる農場を借金したカネで買ってありました。ところが「千年に一度の干ばつ」のおかげなのか、「救命艇」は無惨にも息も絶え絶え、ひからびた姿をさらしているのを目にして、はっきりと決心しました。ここはだめだ。

引っ越し先はオーストラリア国内を、まず、あちこち検討しました。しかし、どこもかしこも似たような状態です。このまま、ここにいたらやばい。うかうかしていたら、乾いた大陸の上でアブラ切れになり、ひからびてしまうぞ。どうしよう。隣のニュージーランドはどうだろう。そんな危機感を抱いて、やってきたのでした。

この村にたどり着いたのは、そうして、北島の北端から始めた旅も6週目、オーストラリアを出る前に目星をつけた場所を中心に、いろいろな物件を見てまわりましたが、なかなかこれという場所にであえず、こりゃ、もうだめかな。表示は日本語、ラジオも日本向けのまま、ホンダのロゴって中古車の中で、最初から計画を練り直さないといけないかな、なんて話が出始めた頃でした。

気候ゲテモノ化時代やオイルピーク時代に望ましい住まいの条件はいくつかあります。

自然の条件として、水が手に入ること、これは重要です。水がなければ、人間も動物も植物も育ちません。とは言え、ゲテモノ化時代のこと、これまでの数字はあくまでも参考にすぎません。まあ、それを参考にしつつ、雨を作り出す森林の近くが望ましい、アルプスに源を発する大河のそばもいいかな。というくらいです。

大地の力はもっと、頼りになるかもしれません。ゲテモノ化時代に降水量や気候の変化は予測できませんが、土地の持つ肥沃さはとりあえず不変です。

ゲテモノ化時代の海面上昇を考慮すると、あんまり、海岸に近い低地は避けたい気がします。そして、ニュージーランドは日本のような地震国であり、温泉とか火山はありがたいけど、地震プレートの集合する巣のような場所は避けたいなあ。

人工の条件としては交通インフラが重要です。どんなにすばらしいパラダイスのような場所でも,クルマに移動や物流を頼らなければならないような場所はアウト。問題外です。ピーク以降の時代に、クルマに物流を頼る店は営業が難しくなり、そんな店に食料を頼る暮らしは先細ることが目に見えてます。とても暮らしていけません。自分が出かけることよりも、食料などの物資がどうやって自分のところに届くのか、そういう意味で交通インフラは重要です。

じゃかすかとクルマが使える時代が終息していく時、頼りになるのは鉄道や港湾です。

現在稼働中の鉄道路線や港湾がベストです。鉄道なら旅客と貨物,両方が走っていればいいのですが、とりあえず、貨物だけでもまあオーケー。ピーク以降の早い時期に旅客サービスも復活することでしょう。その次は、廃線になっているものの,線路などのインフラは撤去されずに残っている,そういう場所。鉄道が再び必要になるとき,まず、復活するのはインフラの残る場所です。

船についても同様で,現在港湾設備があり、稼働している場所がベストです。特にニュー・ジーランドや日本などの島国では、沿海航路がエネルギー下降時代の物流の主力になるだろうと思います。港、そして、いまは使われていないが,かつて港として使われた場所、自然条件が整った場所などがピーク以降の時代「交通の要所」として、再び復活することでしょう。

家の場所としては、これら、鉄道の駅や港湾などの「交通の要所」から遠くても30キロくらいの地点がのぞましいのではないでしょうか。ピーク以降の時代、食料などのモノが届くとすれば、こういう場所になります。まあ,このくらいの距離なら、自転車でえっちらおっちら、何とかなる距離です。それ以上になるとつらい。図書館や大学などの高等教育機関,古本屋にレコード屋,なんていう、知的なポイントがこのくらいの距離にあるとありがたい。これらは、あるといいなあという施設ですが、郵便局,銀行,店,医者などは必要な条件で、それよりももっと近いところ、1キロから5キロ、歩いていける場所にあるのが望ましいです。歩いていける距離にあるといい。

ってな条件を満たす場所で、しかも、農場とうちを売却した金で買える範囲で、自分たちの食料を賄えるほどの生産ができそうな場所をさがして回りました。

相棒も私も、事態は深刻化する、しかも、今年の夏あたりから加速するだろうと言う読みでは一致してますから、一刻の猶予もならないなんてことはわかりきっている。そういう時代の勢いというか、時の流れ、性急さを加味しながら、見て回る物件、訪ねた場所を採点しながら、ロゴをびゅんびゅんと飛ばしていきました。
(続く)

2007年7月 1日

催し物案内

切り貼り転載,催し物案内です。
自分が見たことのあるのは6の「エンド・オブ・サバービア(都市近郊暮らしの終焉)」というオイルピークの古典作品だけですが、これだけでも出かける価値があります。「米国の郊外の生活はいかに?」なんて、他人事じゃなく「アブラ漬けの現代人すべての生活はいかに?」です。近所の方は隣近所お誘い合わせてお出かけください。

ーー転載ーー

第4回東京平和映画祭のお知らせ


7月7日(土)に開かれる今年の東京平和映画祭。テーマは、「食、農業、エネルギー」「戦争と平和」「過去から未来へ」。
明日からの考え方、生き方のヒントが満載。安い参加費で8本も見られて超お得です。(2、3本見れば元は十分とれます!)

(この2,3日、予約が急増していますので、なるべくサイト上でご予約ください。)

◆上映映画:
1.『食の未来』(D.ガルシア監督・2004年・90分):
  米国の遺伝子組み換え作物による食品支配の現状が分かる
2.『サルー・ハバナ』(井坂泰成監督・2006年・33分):
  都市有機農業で自給に成功したキューバをレポート
3.『戦争をしない国 日本』(片桐直樹監督・2006年・90分):
  憲法9条をめぐる今日に至る経過を克明にレポート
4.『軍需工場は、今』(小林アツシ監督・2005年・41分):
  日本の軍需工場で働く人々の現実が分かる
5.『911スペシャル』(きくちゆみ解説&映像・2007年・60分):
  911同時多発事件の真相とは? 映像と解説で綴る
6.『エンド・オブ・サバービア』(G.グリーン監督・2007年・80分):
  オイルピークとは何か?米国の郊外の生活はいかに?
7.『懐かしい未来』(ジョン・ベイジ監督・2004年・55分):
  ラダックの伝統的な文化から学び未来へとつなげるヒント
8.『地域から始まる未来』(レンダー・ワード監督・2004年・25分):
  グローバリゼーションのあり方を問う

◆日時:2007年7月7日(土)開場9:30 開催時間10:00〜21:00
 
◆会場:国立オリンピック記念青少年総合センター・
      カルチャー棟 大ホール(757名)
      渋谷区代々木神園町3-1 
      <アクセス>小田急線参宮橋駅下車徒歩7分
      http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
◆参加費:29歳以下 会員1,500円・一般2,500円
       30歳以上 会員2,500円・一般3,500円
 ●一般チケット:チケットぴあ各店、電子チケットぴあにて
好評発売中!
           [P -コード:552-982]
 ●サイトでも、当日会場でも、『東京ピースフィルム倶楽部』に入会と同時にチケットを会員価格で購入可!
◆託児サービスあり。要事前予約。takuji at peacefilm.net
◆主催:「東京ピースフィルム倶楽部」
★【問合せ先】事務局:浅野 TEL:090-4459-3020
mail:info at peacefilm.net
ーーー転載終わりーーー

Profile

リック・タナカ(Rick Tanaka)

-----<経歴>-----

信州松本出身。
1980年、シドニーに漂着。
大学中退後、ラジオやテレビ、ウエッブ、雑誌、ニューズレターなどで執筆、制作、コンテンツ制作、翻訳/通訳、音楽マネージメントなどで活動。
1997年、それまで15年暮らしたシドニーから標高千メートルの高原の町カトゥーンバに引っ越し、執筆・メディア活動と並行しながら、消費を抑え生産する楽農生活に突入する。
2007年、大陸の東南に浮かぶ島にある人口300人の村に移住、オイル・ピークと環境ゲテモノ化時代に備える暮らし、近隣社会の構築を模索中。

BookMarks

-----<訳書>-----


『未来のシナリオ』
2010年12月、農文協

-----<著書>-----


『人工社会』
2006年3月、幻冬舎


『楽農パラダイス』
2003年、東京書籍


『おもしろ大陸オーストラリア』
2000年、光文社知恵の森文庫

-----<共著>-----


『Okinawa Dreams Ok』
1997年、Die Gestalten Verlag


『Higher than Heaven:Japan, war and everything』
1995年、Private Guy International

-----<訳書>-----


『沖縄ポップカルチャー』
2000年7月、東京書籍

『首相暗殺』
ロバート・カッツ著、集英社

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