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2007年3月14日

マンガマンガ/many rivers to cross.

あと4週もしたら現在住んでいる家を売りに出す準備に追われています。売りに出したからってすぐに買い手がつくわけではなく,買い手がつくまではニュージーランドに引っ越しもできない。そういう宙ぶらりんモードに移行しつつあります。

古本や古着その他、毎日毎日、どっちゃり近所のオプショップに運んでます。しかしまあ,よくここまで溜め込んだものだと我ながら嫌になってしまいます。

んで,そもそも,オーストラリを見切る理由にはいくつかあります。ひとつは水不足。この乾いた大陸にはすでに2千万人以上が暮らし,しかもまだまだ増えそうな勢いです。それだけの人口を賄う水がこの大陸にあるのか。飲み水や生活用水だけでなく,食料生産など間接的な需要を含めて賄えるのか。ここ数年来の干ばつ,水不足は「記録的」、「千年に一度」「異常」など,様々に形容されます。その意味するものはともかく,水がなければ植物の生育も限られ,動物や人間の生存も限られてしまいます。人間にはエネルギー収支のあう形で水を作り出すことはできません。

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(北島北部の渓流)

んで,水を求めたニュージーランドの旅、山紫水明の島国なので川や渓流にたくさん出会いました。しかも,目にする川はどこも、なみなみとした水をたたえています。乾燥した大陸暮らしが長いので、ただ,川に水がふんだんに流れているなんて些細なことにもうっとりしてしまいます。川の基準がまったく違う。オーストラリアでは大河とでも呼べそうな川があちこちにゴロゴロしてます。オーストラリアでは小川のこと、一般にcreekと呼びますが,こちらではstream。なんか、もろに水量の違いが表れているような語感です。オーストラリアのほうはちょろちょろとした感じ,こちらは渓流って感じがします。小川をさすマオリの言葉は「マンガ」。音は日本語の「漫画」に近く,特に北島はマンガだらけ。マンガトキにマンガワラ,マンガトロにマンガパパとくれば笑わざるを得ません。

いろいろな川や,渡しや橋に遭遇しました。

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(これは川ではなく,ホキアンガ湾ですが,クルマを積んだ渡し船)

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(南島クライストチャーチ市内を流れるエイヴォン川を漕ぎ行く小舟)

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(南アルプスの雪解け水を流すクルーサ川。昔のニュー・ジーランド航空のカラーそのままな川の色に見とれてしまいました)

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(NZ版ナイアガラの滝。ははは)

国一番に長いのは、南島、クライストチャーチの南にあるラカイアにかかる全長1.8キロの橋です。南アルプスに端を発する川のひとつでカンタベリー平原の灌漑に使われている川は河口にさしかかり,だらっと広がっています。その平坦な地形を反映し、橋も上るでも下るでもなく淡々としています。となりの鉄橋も同じように淡々と平坦。鉄橋の方も,当然、国一番の長さ。
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(川岸の町、ラカイアの入り口に鎮座するは鮭のデカモノ)

一番幅の広かったのは,たぶん、オークランドのハーバーブリッジでしょう。1959年に開通した橋ですが,シドニーのものと比べると,どっしりとしたパイロンもないし、かなり安っぽい感じがします。もともとクルマ専用の4車線橋という基本設計のおかげでオープン後わずか10年足らずで飽和状態。仕方ないから、両側2車線ずつ、日本で製作したものを船で運んできて,両側にくっつけ8車線にしたってところがこれまたかなり安普請な感じです。石川島播磨が作ったくっつけ部分は「ニッポン・クリッポン」として知られていますが,ぼちぼち、耐用年数に近づき、すでにあちこち亀裂ができたり,ほころびが確認されているようです。

交通量が少ないところでは、反対に橋は縮んでしまいます。山道に差し掛かるとハーフ・ブジッジ(半分橋)なんて標識も出てきます。残り半分はどこにあるのだろうなんて思ったりもしますが、橋ってのは両側に桁のあるものだって認識なのか,山の片側だけに桁のあるところにそんな標識がありました。

オーストラリアに比べるとニュージーランドの道路は狭くて、しかも山がち、曲がりくねっています。崖に注意しながらスピードはあまり出さずに運転していると、現地人のドライバーは車間距離をつめてきて,機会があれば,死角のカーブでもびゅんびゅんと追い越していきます。まるで,目の前にクルマがいれば必ず追い越さなければならないとでも思い込んでいるかのようです。交通量が少ないおかげで、あまり事故にもならないようですが。こちらはかなりハラハラします。

まあ、それでも2車線あれば、御の字なのがニュージーランドの道路。ちょっと田舎にさしかかると、国道何号線だというのに1車線で片側通行の橋が頻繁に出てきます。どちらが道を譲るのか橋の優先権を示す標識が現れると,それまで2車線だった道は1車線の橋に収束します。優先権のない側は橋のたもとの停止線に止まり,反対方向から来るクルマに道を譲り,流れが途切れてからスタートします。

旅では空間や時間を未知の人間と共用する機会が増えるだろうとは思っていましたが,橋を共用させられるだろうとは予想していませんでした。

橋のこちら側で停まっていると、向こうからやってくるクルマのドライバーはほとんど例外なく,手を挙げ,「待っててくれてありがとう」ってな表情を見せます。反対にこっちが橋を渡り終えた時、クルマが停まっていれば,自然に会釈しちゃいます。クルマは意識共有の生まれにくい会話媒体ですが、1車線の橋を譲り合うことからコミュニケーションが生まれるようです。

これにもうひとつ輪をかけたオドロキの橋は南島の西岸で遭遇しました。1車線の橋も見飽きた頃で、アラフラ川を渡る橋へのアプローチにさしかかり,1車線橋の優先権を示す標識が現れた時にも別段気にしませんでした。と,今度は踏切の標識が出てきます。
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あれれ,と理解に苦しんでいると,次はここ以外では目にしたことのない標識です。

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タイヤを線路に挟まれないように自転車に注意を呼びかける標識でした。再びあれれと思って、振り返ると鉄道の線路がまっすぐに延びてきて、橋へ向かう道路に合流してきます。なんと、鉄道とクルマ共用,1車線の橋でした。

クルマと鉄道,両刀使いの橋はいくつもあります。シドニーのハーバーブリッジや瀬戸大橋なんかもその例ですが、それらは横に広かったり,縦に長かったりしていて、実際にレールが橋の真ん中を走っていてその上をクルマが往来することはありません。

昔はこういう1車線の鉄橋ってほかにもあったようですが、国鉄の相次ぐ廃線で、現役は近所のタラマカウ川というやはり幅の広い川にかかる橋と2つだけだそう。ラカイア川の2つの最長の橋の間には、1939年までクルマと兼用で使われた木製の鉄橋の橋桁が残っています。

渡ってみると,橋は幅が狭く,トラックやバスは窮屈そうです。橋の表面もかなりガタゴトします。口の悪いドライバーは「世界最長の木琴」などと言うそうです。ガタゴトガタゴト。が、もともと鉄橋だとすれば、それも仕方のないこと。文句は言えません。最大の優先権があるのは鉄道です。

鉄道は原乳の積み出しを主とする貨物輸送だけ、それも日に1往復程度の頻度ですが、列車がくればそこのけそこのけ。2両連結の大型トレーラーや大型バス、自転車からその他諸々,他の交通はすべて道を譲らなければなりません。

たぶん、もともと鉄橋として建てられ,交通の主力がだんだんクルマに移っていき、クルマ用の橋の需要が生まれてきた。しかし,川は長いし、建設費用もままならない。鉄橋は1日に多くても数度使われるだけだ。そうだ、鉄橋を共用しよう。ってな経過でこれらの橋は現在のような姿になったのではないでしょうか。
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今度来る時はぜひ,列車が橋を渡るところを見てみたいものです。たぶん,橋の入り口でいったん停まり,警笛を鳴らし、クルマがすべて通り終わり,安全を確認し、それからのろのろと橋を渡るのではないでしょうか。橋の反対側で貨物列車の通過待ちをするクルマやトラックや自転車の列。想像するだけで楽しくなります。

さて、シドニーでは今週末,ハーバーブリッジが75周年を迎えます。未だに堂々としたものですが、オークランドのほうはどうするんでしょうねえ。今更4車線の橋に収束することもできず,わずか50年足らずで役に立たなくなるクリッポンに頼ることもできません。もうこれ以上太らすこともできず,もうひとつ橋を建てようか,それともトンネルを掘ろうか。そういう相談なのだそうな。

相変わらず,クルマの数は右肩あがりで増加する,そう思い込んだ対応ばかりで,積極的に鉄道を導入し、クルマの量そのものを減らそうとか、オイルピークの影響でクルマの量は減り、公共交通の需要が増すとか、そういった先見性のある可能性はあまり考慮されていないようです。

2007年3月13日

あめあめふれふれ/gumboots and all.

降水量の多い場所なので,雨の心配もした方がいいかなと思いましたが,彼の地の典型的な服装もそれなりに雨に対処したものであろうし、それなら,それなりの雨具が古物屋にも廉価で出回っているはずだと思い直して,結局,雨の対策はいつもどおり、行き当たりばったりでした。

傘をもつくらいなら,濡れた方がまだまし、傘は持ち歩きません。普段はドライズアボーンというモールスキンの雨避け外套をもっぱら愛用しています。梅雨の日本へ出かけなければならない時でも、雨具に持っていったのは20年近く前にヘルシンキの古物屋で見つけたチェコスロバキア製の帽子だけです。帽子なら日よけ兼用にもなります。

今回も結局これだけにしました。もし、雨具が必要になるほどなら、近所の古着屋でなんか見つかるんじゃないか,雨の文化がかなり発展してんじゃないか。そんな期待もありました。

んで、ニュージーランドに到着してみると,男性,足回りはゴム長靴が基本です。ブーツの場合もありますが,編み上げは少なく,着脱に便利なスリッポンが多い。長靴は雨の日だけかと思えば,晴れている日でもこれを履いてます。農作業とか,晴れててもぐちゃぐちゃすることがあるからなのでしょう。んで、ぐちゃぐちゃして汚れているから,家に上がる時,というか,入る時は長靴を脱ぎます。

ニュージーランドでは長靴を脱ぐ習慣が広まっているからなのか,泊めてもらったところでは,日本のように家のなかで靴を履かないところが多かった。まあ,でも,日本とは着脱の感覚が少し異なるようで,日本でなら靴を脱がないような場面でも脱いでしまう人もいます。スーパーや店の入り口に長靴が並んでいるのも目にしました。あらあら,誰かの忘れ物かしらと思ったら,店内にはソックス姿で買い物する人がいました。長靴の下には毛糸のソックス。夏なんか,蒸れちゃわないかと心配になるような厚手のソックス。雨に強いんだそうです,この組み合わせ。
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格別泥がついて汚れているわけでもないので,習慣なのでしょう。何となくわかる気もしますが。

足下はともかく,ニュージーランドの伝統の雨具っ何なんでしょう。ウーフに泊めてもらったところで、雨模様の空を見上げながら,そう聞くと,スワンドライをもってきて,見せてくれました。創業100何年というスワンドライは国民的なファッションだそう。毛織りのジャケットは、ゆったりとして,フードのついたデザイン。膝上くらいまでの長さがあるので、これならなるほど少々の雨でもへっちゃら。なるほど、雨の多いニュージーランドならではの製品です。新品は250ドル近くしますが、かなり普及しているし、模造品も含めれば,オプショップや古着屋で中古が安く見つかります。自分はレッドクロスのオプショップで5ドルでひとつ、手に入れました。

毛織りのジャケットに長靴,ニュージーランドの雨具はかなり使い出のあるコンビネーションです。

2007年3月11日

サウジのアブラ生産、年率8%の減産/8% decline in the desert kingdom.

意識的な措置なのか,それともピーク後の減耗なのか、その理由はわかりませんが,昨年1年間,サウジアラビアの原油生産が前年に比べ8%の減産であることをスチュワート・スタニフォードが8日付けのオイル・ドラムで報告しています。下記に要点と主要グラフを転載します。

世界最大のガワール油田の減耗やサウジのアブラについては何度かここでも書いていますが,これほど重要なニュースを主要メディアはなぜ,取り上げないのでしょうね。

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(サウジアラビアがスイング生産者であることをやめ,供給サイドの事情で生産んをすることを示すグラフ。すべてのグラフはすべてのグラフはオイルドラムより)

●2004年の第3四半期まで,サウジは余剰生産能力を持つスイング生産者として、市場を沈静化するためなら、すすんで生産量を急激に増減させていた。この時期,サウジの生産量の増減はすべて、需要サイドの要求に基づくものであることが理解できる。
●2002年,世界経済の回復に基づく需要の増加に応えるため,サウジは生産量を増加させた。
●2003年,米国のイラク侵攻の直前から,原油生産は急上昇する。これはサウジが侵攻によるイラクの生産減を肩代わりし,市場を沈静化するために自ら行ったもので、戦闘が静まり,イラクの原油生産が回復するにつれ,サウジの生産は侵攻以前より少し高いレベルに落ち着いた。
●2003年から2004年初頭にかけ,米国、中国などの好景気による需要増を受け,原油価格は上昇する。バレル22ドルから28ドルというOPECの望む価格レベルを大きく上回る価格の急騰に対処するため,サウジは2004年春,生産量を大幅に増加させる。しかし,サウジには日産百万バレルの増産がやっとで、原油価格は沈静化することができない。これ以降,原油価格はOPECの希望価格に戻ることはなく,翌年,希望価格帯自体が廃止された。
●サウジのアブラ生産は微増を続けるが、2004年後半には減少し始める。2004年末以来、サウジには需要サイドの要求に基づく生産調整ができなくなり、それ以後,生産量の変化は供給サイドの事情によるものになった。
●2005年初頭、新油田,カティフ/アブサファが生産を開始し,減少に歯止めがかかる。しかし、日産69万バレルの新油田が加わったというのに,2005年の生産量は平坦で,原油価格の急騰やメキシコ湾を直撃したハリケーンに対応し,生産量を増加させたあとは少しも見えない。

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●2005年後半に始まる生産減は2006年に入ってからも続き、春にハラダ3油田(30万バレル/日産)が生産を開始するまで続く。結局2006年の生産は前年比マイナス8%。この傾向が10年も続けば,サウジの生産は現在の半分になる。

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●ハラダ3の導入は焼け石に水,数ヶ月後にはすっかりもとの減少率に復帰する。


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スタニフォードは最近の別な記事で,サウジの原油採掘用リグの数が急激に増えていることを報告しています。生産を上げようとしゃかりきになっていることが見て取れます。サウジのアブラ生産が去年のような率で減少していくことはないでしょう。

しかし、カティフ/アブサファやハラダ3のような規模の油田では,生産曲線の下降そのものを止めることはできません。せいぜい数ヶ月,下降を遅らせるだけです。サウジ,そして世界の石油生産は限られた数の巨大油田や大油田に頼っており、それらの減耗から生じる穴は、ちょっとやそっとの規模の油田が稼働しても簡単に埋められるものではありません。サウジアラビアにある世界一の巨大油田、ガワールの減耗による生産減を埋められる油田はありません。

ここがピークを理解する重要なポイントのひとつですが、どれだけ設備投資をしようが、探査に金をかけようが、どれだけしっちゃきになっても,ないものは見つからない。掘り出せない。使えないのです。


使えないといえば、サウジのアブラ減産との関連で,ジェフリー・ブラウンが重要な指摘をしています。それは産油国における経済成長です。

アブラ収入の増加で中産階級が増えると,エネルギー消費が増加します。ということはサウジやロシアなどの産油国がアブラを増産しても、国内での消費が増えれば,市場に出回るアブラの相対的な量は減ります。オイルピークによるアブラ生産の絶対量の減耗に加え,世界市場に出回るアブラの量はサウジやロシアなどの国の経済成長にも影響されることになります。

大統領街道/presidential highway.

2008年の米大統領選挙、民主党候補者の名前ではありません。

ニュージーランドでは国道に番号のほか,「塩の道」とか、そういうノリでニックネームがついたものがあります。クリントン〜ゴアは「プレジデンシャル・ハイウェイ(大統領街道)」。地元の人が冗談で言っているんじゃなく,ちゃあんと地図や標識に記載される「公式な」ニックネームです。

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南島のクリントンという村のはずれ、44キロ離れた町,ゴアへ通じる国道の標識です。

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(クリントンの村の入り口では3頭の馬が鋤を引いています)

ゴアとクリントンには「情報ハイウェイ構想」ってのがありましたが、地球の反対側で自分たちの名前がアスファルトのハイウェイの名前の所以になるだろうとは思わなかったことでしょう。しかも、同じ名前の町が近所にあるからってだけで。まあ,安直ですねえ。

でも、「大統領街道」っていうからには,ゴアにも大統領への目があるってことでしょうか。政界通によれば、ゴアがフィットネス・ジム通いを始めれば,出馬の腹を固めた証拠だそうですが,当選の暁には,ここで「プレジデンシャル・マラソン」なんてのをやらないかなあ。

地震に住む/gone to Earthquakes.

肩が上がらない。かかりつけの指圧師のおばさんはちょうどインドへ出かけている。しかも,それに気づくのに2週間もかかってしまった。

ニュー・ジーランドへそもそもでかけることにした理由は、環境ゲテモノ化の時代、オイルピーク時代にオーストラリアはとても心もとない,それで,彼の地に「救命艇」になる場所を見つけるためです。

「救命艇」なる場所が必要になるそもそもの理由やそこに至るまでの経過、「救命艇」の条件について書き出したのですが,とても長くなりそう。なので,実際のニュージーランドの印象,あちこちの角度から眺めた社会のこと,忘れないうちにメモ的に書いときます。

●ニュー・ジーランドで一番気に入ったアドレス。

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真剣に住まいを探しているのに、地名だけに惹かれてしまうこともあります。のほほんと「こんな住所を持ちたい」という地名にあちこちで出会いました。

「お住まいはどちらですか?」と聞かれ,「ああ、あそこの悲嘆山の麓です」とか「嘆きの丘35番地です」とかって言えたらいいなあ。って。

極めつけは「地震」という集落でしょう。近くを通りかかったので,つい寄り道して,「地震通り」をずんずんと行ってしまいました。

ニュー・ジーランドはオーストラリアと違い火山性の国で,あちこちでプレートが交錯しているので年間に1万4000ほどの地震があります。そのうち体感できるものは100から150ということです。先週の日曜にも南島のフィヨードランドを震源にマグニチュード4.5の地震があったそうです。滞在中に体感できるもの経験しませんでしたが、地震の爪痕はあちこちで目にしました。

北島のネイピアはアールデコ建築の残る町で、魚もうまい,果物もうまい,地中海性の気候で住みたくなる場所ですが,美しい建築や町並みは、1931年の大地震でそれまでの町がすっかり破壊されたからだそうです。地震や火山の動きは地球表面の大きな動きなので,予測がしにくいものですが、できれば,活火山やプレートがぐちゃぐちゃ交錯するようなところは避けたいなあ。

なので、まあ、地震にはどこかで出会うだろうと思ってましたが、そんな地名の場所があるとは思ってもいませんでした。南島の東部、ワイタキ川という大河の流域にEarthquakes(地震)という地名を見つけた時はちょっと信じられませんでした。日本にも「新幹線」という地名があるそうですが,同じように地震関係の施設があったのでしょうか。いや,いまでも地震観測所や研究所があるのかもしれない。それとも、群発地震の震源地なのだろうか。街道から「地震通り」へと進みながら,地名のいわれを想像します。

周りは何の変哲もない放牧地がだあっと続きます。家はほとんどありません。ハンドルを握る相棒は未舗装の道をしっかと凝視し,「地震地区地震通り42番地なんて、格好いいアドレスだと思わない?」って尋ねても,まったく反応しません。

結局,「地震地区」にはこれといった集落があるでもなく、研究施設らしきものも見えず,農家が時折,ぽつりぽつりとあるだけでした。「地震通り」の語感にも飽きる頃、ドーッと岩壁が現れます。なんだなんだと停まってみると,クジラの化石が埋まっているそうです。あんまり地震と関係はなさそうでしたが,しっかり観光しました。昔はここまで海だったのでしょうか。地震地区の岩の上から目を凝らしましたが、目の下には平原がどおっと広がるだけで,海はどこにも見えませんでした。

2007年3月 1日

ただいま/good possums are dead ones.

ただいま。

出かける前は結構威勢良く何ヶ月かふらふらするつもりでいたんですが,早々に足を洗い、ケツをまくり,数日前に帰還しました。

旅に出る前から抱えていた肩の痛み,おとなしくしていれば自然に治るかなって期待していたんですが、旅行中もずっとつきまとわれ、しかも、所期の目的をほぼ達成したので、惰性でぶらぶらしていても仕方がない。シドニーの港を出発してから2ヶ月ほど,帰ってくることにしました。

ご無沙汰です。

この間にニュー・ジーランドの2つの島、浅く広く,見てきました。そのうちひと月は相棒と一緒にクルマを借り,北の果てから南島の南端まで走りました。石油減耗時代の住処を早急に見つける,気候ゲテモノ化の時代に救命艇として使えるような場所を探すのが目的だというのに,毎日毎日,化石燃料をばんばん燃やして一体何をやっているのだろう,本末転倒もいいところじゃないかと考えることもしばしばありました。ホルムグレン流に言えば「化石燃料の創造的な使い方」、まあ時間も限られていることだし,島々の大枠を把握しないことには適地も見つからない。そんな言い訳をしながら,都会はあっさりと走り抜け,なんでもない町や村に何泊し、あちらからこちら,気がついたら7千キロ近くも走ってました。

戻ってくればオーストラリアでは,やはり「水不足」が深刻化しています。大陸一の大河,マレー・ダーリン川も涸れ,2月19日付け,農業資源経済局(ABARE)の発表によれば,夏作物の生産は昨年比で6割近くの減産(190万トン)とのこと。特に水を大量に必要とする綿花は42%減(25万トン)、米は9割減(10万6千トン)です。とてもじゃない、日本などへ米を安く輸出することなんかできなくなりますね。もともと,オーストラリアは米を作れるような環境ではないことは以前から指摘されていますが、ここにきて、それが一層明らかになりました。記録的に歴史的で未曾有の干ばつのためとはいえ,水がなければ食料は育たないし,バイオ燃料用の植物も育たないことを、あらためて思い知らされます。

折からニュー・サウス.ウエールズでは3年に一度の州議会選がたけなわ。水は州政府の管轄なので,選挙でも大きな争点になっています。今年後半と予想される連邦選挙でも「水」が繰り返し繰り返し議論されることは間違いありません。

昔々、南極などとゴンドワナ大陸を共に構成した仲とはいえ,タスマン海のあっちとこっち,大きな違いです。

もっとも自宅の近辺は不在中にかなり雨が降ったようで,雨水タンクはすべて満杯。3万2千リットルの水がちゃっぷんちゃっぷんしてます。庭も草がぼうぼうに伸び放題。しばらく手を入れなくても大丈夫かなと出かける前には期待していたのですが,いやはやとてもじゃない。日陰を選びながら、毎日毎日,草刈りに没頭しています。しばらく出会わなかった蛇にも早速遭遇。きゃあ。

雑草といえば、ニュージーランドでもエニシダやハリエニシダなどおなじみの連中がばんばん繁殖してました。プランテーションでは、これまたおなじみのラディアタ松やらユーカリなんかが植えられていて,しかも季節も似通っているんで,一見,あまり違和感のない光景でした。しかし、緑のベールを一皮めくるとまったく見たこともないような木や草,シダが茂ってます。何しろ、生息する植物の8割はこちらでしか見かけられないものなのですから、まるでパラレルワールドにさまよい込んだような気分。
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(右手に見えるのがサザン・ラタ。後ろに見えるのはフランツ・ジョセフ氷河)

ラタの木がちょうど真っ赤な花を咲かせていて,それはそれは見事な眺めでした。ラタは空中高く,他の木の枝のくぼみに芽を出し,それからヤドカリする樹の幹に根をくねくねと地上に降ろしていく寄生樹。やがては寄生した木と混じり合い,区別がつかなくなってしまうものもあります。ぐちゃぐちゃに複雑な混合は実に見事。

寄生と言えば,富士山を一回り小型にしたようなタラナキ山の麓の森も見応えありました。山自体も霊峰って雰囲気を備えてますが,麓の森は降水量が多いからなのか寄生植物がうじゃうじゃ垂れ下がり、すっかりゴブリンの森の様相でした。
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でも、目にしたニュージーランドの樹木で一番感動したのはカウリ。カウリの木は白人入植後、建材用などに乱伐されたおかげで,群生地は北島の西海岸にある保護地など、わずかになってしまいました。あんまり,観光はする予定じゃなかったのですが、通りがかりだからと言いくるめ、樹齢何千年という大樹が茂る林を見てきました。

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圧巻はやはり「森の王」と呼ばれるタネ・マフタ。樹齢2千年以上という木はまるで丸山健二の「争いの樹」の主人公のように、周りの様子,人間の様子を眺めてきたのでしょう、ものすごいオーラを発していました。神木ってのはこういう樹のことを言うのでしょう。神がかったところがあります。いやあ,ものすごい。
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(神々しいタネ・マフタに見いる人たち)

こちらは降水量も多く,土地も肥えているためか、ユーカリやらアカシアなどオーストラリア原産でなじみの深い木もぐんぐんと伸びてました。原産地では見られないように,のびのびとすくすく育ってます。適地で巨木に達しているのをあちこちで目にしました。たとえばユーカリのひとつにアイアンバーク(鉄の樹皮)と呼ばれるものがあります。名前の通り、材質の堅くなる木で、線路の枕木やら農場のフェンス用材などに使われます。ところが、同じ木なのにこちらでは生育が早いため,あまり堅くならない。オーストラリアの過酷な環境では成長が遅く,じっくりと密度がつまり、鉄のような堅さになるのに、こちらではそうならない。同じ種類の木なのに生育環境が異なると,特性も変わってしまう。そんな話も聞きました。

オーストラリア原産の生物がニュージーランドに異常適応し大繁殖している例にはポサムがあります。

この有袋類、生まれ故郷の彼の地では保護獣に指定されているというのに,タスマン海のこちら側では1837年に毛皮用としてもち込まれて以来,大繁殖。現在ではその数,7千万匹と見積もられています。

原生地のオーストラリアにはポサムをエサにする動物がいたり,樹木にも自衛用のとげがあったり、撃退用に毒を出したり、対ポサム用のメカニズムが長年の間に備わっているため、ポサム人口も低く保たれてきました。しかし、数百年前にマオリが犬とネズミを持ち込むまでは四つ足動物がほとんど存在せず、飛べない鳥やら滑空するだけの鳥やら,信じられないような連中が群生する「鳥の国」にポサムの天敵はいません。

しかも原産の樹木には対ポサム用の免疫がないときて、ポサムは大繁殖。人間や羊の数よりも多くなってしまいました。ポサムは一匹あたり、年間で100キロの植生をエサにします。ということは毎日毎日,全国で2万トン以上の森林、果樹などがむしゃむしゃと食べられていることになります。これじゃ,木は殺されちゃうわ,木の実や芽や葉をエサにする鳥もひもじくなる。巣が荒らされ,卵やひながやられちゃうこともあるそうです。

蛇もいない,毒蜘蛛もほとんどいないこの国で、自然の脅威をもろに体現する動物,大害獣として嫌われるのも当然で、ニュージーランドに移り住んで庭いじりをするなら,ポサム対策をどうするか,真剣に考えなければなりません。

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猛スピードで走るクルマの犠牲になり、路上にくたばる動物をロードキルと呼びますが、オーストラリアではもっぱらカンガルーやワラビ,ウォンバットなどでポサムはほとんど見かけません。これがニュージーランドとなると,ウサギやハリネズミと一緒にポサムがクルマにはねられ,ごろごろと道路に頓死しています。

ポサム対策のひとつの方向はフェンスで囲うことです。農場や果樹園ではポサム用の柵を施しています。しかし,国立公園や林となるとそうもいかず,たくさんの毒餌や罠が仕掛けられています。北島で泊めてもらった家の果樹園にも何カ所か、罠がしかけられていました。農民は猟銃をもち、ポサム狩りにも出かけるそうですが、滞在中,ちょうど毒餌を撒くというので,作業につきあいました。

急斜面,原生樹木のおい茂る林のなか、よく見ると、あちこちの樹木にむしゃむしゃとポサムに食べられたあとがあります。ポサムの通り道を確認すると,そこにシアン、青酸化合物の毒薬をピーナッツバターに混ぜて置いていきます。この毒薬,人間や他の動物にも効果があるだけに,購入するにはライセンスが必要ですが、かなり簡単に手に入るようです。それほど,ポサム駆除に手が足りないという台所事情なのでしょうか。最後にポサムをおびき寄せるため,カレー粉を周囲に撒きます。カレーの臭いに目がないのだそうです。

で、つかまえたり殺したポサムをどうするか。たいていのところではそのまま,死骸を腐らせているようですが,毒殺したものはともかく,銃殺したものは犬のエサになります。中国では食用にするということですが,この国ではまだ,ポサム料理は開発されていません。料理はともかく,もともと,毛皮用に導入されただけに,ポサムの毛皮を買い取る業者もおり、皮をはぐ専門の器械なんてのも売られています。値段の方は皮はぎ器ではいだ毛皮は一匹あたり6ドル,手ではいだものは4ドルくらいで引き取るそう。銃殺した皮には傷が残るため,毒殺されたものより値段は安くなるとのこと。

毛皮製品だけでなく,この毛皮と羊毛を混ぜた素材で編んだセーターや帽子なんかも見かけました。それなりに人気はあるようですが,もっともっと小遣い稼ぎにポサムをつかまえる,そういう人が増えればポサムの数は減らすことができるかもしれません。もっとも、毛皮産業の最盛期でも年間の捕獲数は2千万匹。ポサムは毎年毎年出産するので,とても追いつきません。

もっとも、衣料の値段が急騰し,近場で簡単に手に入るポサムを着るしかない。そんな状況になれば,現在は大害獣と見なされるポサムも貴重な資源に見えることでしょう。そうなれば別ですが,現在のところは,これといった決め手となる対策がないようです。

さてはて、ポサム対策に頭を悩めなければならないような住処は見つかったのでしょうか。
それはまた,別の機会に。

Profile

リック・タナカ(Rick Tanaka)

-----<経歴>-----

信州松本出身。
1980年、シドニーに漂着。
大学中退後、ラジオやテレビ、ウエッブ、雑誌、ニューズレターなどで執筆、制作、コンテンツ制作、翻訳/通訳、音楽マネージメントなどで活動。
1997年、それまで15年暮らしたシドニーから標高千メートルの高原の町カトゥーンバに引っ越し、執筆・メディア活動と並行しながら、消費を抑え生産する楽農生活に突入する。
2007年、大陸の東南に浮かぶ島にある人口300人の村に移住、オイル・ピークと環境ゲテモノ化時代に備える暮らし、近隣社会の構築を模索中。

BookMarks

-----<訳書>-----


『未来のシナリオ』
2010年12月、農文協

-----<著書>-----


『人工社会』
2006年3月、幻冬舎


『楽農パラダイス』
2003年、東京書籍


『おもしろ大陸オーストラリア』
2000年、光文社知恵の森文庫

-----<共著>-----


『Okinawa Dreams Ok』
1997年、Die Gestalten Verlag


『Higher than Heaven:Japan, war and everything』
1995年、Private Guy International

-----<訳書>-----


『沖縄ポップカルチャー』
2000年7月、東京書籍

『首相暗殺』
ロバート・カッツ著、集英社

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