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2006年3月31日

オーストラリア、核拡散へ発進/Nukes au go go!

気候変動について協議するかのように喧伝された「亜太パートナーシップ(APP)」だが、結局は原発推進体制であることは以前、指摘した。

「クリーンで効率的な技術」ってのは原発のことで、原発先進国のアメリカ、日本や韓国、それにウラン資源を売りたいオーストラリアが中国やインドへ原発の開発を迫る、どうやら、それがAPPの構造のようだ」

そして、そのAPP構想が着々と現実化されつつある。皮肉なことに原発をクリーンなエネルギーと世界中を言い包め、原発産業の後押しをするアメリカとオーストラリアはともに京都議定書調印を拒否する環境汚染大国だ。

3月初め、ブッシュ大統領はインドを訪問し、F16やF18の売却だけでなく、技術や燃料の移転に関する原子力協力に合意した。インドには現在15基の原発があり、3,310メガワット(MW)を発電しているが、3年以内にはさらに7基(3,420MW)が完成の予定だ。インドは国内にウラン鉱床はあるものの、量は微々たるもので、それらの原発の燃料確保が急務になる。

ブッシュ大統領のあとを追うようにインドを公式訪問したのは「ブッシュの代官」を気取るハワード首相だ。出発するまではマスコミの質問に、「アメリカが認めたからといって、核拡散防止条約締結国以外ヘのウラン供給はしないというこれまでの方針を変えるつもりはない」と言っていたにもかかわらず、到着するや、掌を返して前言撤回。「インドが、それなりの国際査察を受けれることが前提だが、輸出は検討する」。

3月21日付けのアルジャジーラの報道によれば、ハワード首相はサイクロン・ラリーの見舞いに電話をかけてきたブッシュ大統領と
インドへのウラン販売について協議し、御墨付きをもらったということだ。どちらが言い出しっぺなのかは分からないが、これで核拡散防止条約(NPT)非加盟の核兵器国、インドへのウラン輸出は決まったようだ。たぶん、同じ電話で、もう一方の中国へのウラン輸出についてもブッシュ大統領は了解を求められたに違いない。

オーストラリアは2004年8月から中国へのウラン輸出協議を続けてきた。すでに細部まで交渉が終わり、4月上旬に温家宝首相が訪豪にあわせた発表を待つばかりだ。合意はウランの輸出だけでなく、中国にウラン採掘への参加を認める内容も含まれる予定で、中国マネーがウラン採掘に流れ込むことだろう。

原発推進には地球温暖化や気候変動対策が口実として使われているが3月3日付けのcountercurrents.orgが指摘するように、アメリカやオーストラリアがこれほど熱心なのは、中国やインドを化石燃料獲得競争から押し退けるのが本当の目的ではないだろうか。ブッシュ大統領はニュー・デリーで次のように発言をしている。

「インドの原発が世界の化石燃料需要を抑えることは、私たちの経済的な利益なのです。化石燃料への需要を押さえること、それはアメリカの消費者の利益につながります」

オーストラリアはアメリカのエネルギー戦略の一翼を担い、核拡散に大きく手を染めようとしている。

(とはいうものの、ウランなどの鉱産資源開発は連邦政府ではなく、州政府の管轄。なので、ハワード政権の一存だけでは進まない。現在、州政府はすべて労働党が政権にあるが、ウラン開発政策にはそれぞれの州で違いがある。世界最大のウラン鉱床、ロクスビー・ダウンズのある南オーストラリア州政府のラン首相は連邦政府の積極的な核燃料輸出を支持している。しかし、ウラン資源の豊富な西オーストラリア州やクイーンズランド州は採掘を州法で禁止している。これらの「反核」政策をとる州に連邦政府やウラン業界からの圧力がさらに強まりそうだ。)

2006年3月30日

メキシコのカントレル油田がピーク/ Cantarell peaks.

オイル・ピークの古典ともいえるマシュー・シモンズの「twlilight in the desert(砂漠の黄昏)」をようやっと、読み終えた。ベールに包まれたサウジアラビアのアブラ事情、それに頼りきっている現代社会の構造を克明に記した内容で、なるほど、アメリカの重役たちが先を競って読んでいるってのも納得。

いますぐ日本でも緊急翻訳出版され、どこの図書館にも一冊ってなぐあいで広く読まれなければならない一冊です。

さてはて。

本から目をあげ、あたりを眺め回すと、世界は今まさにオイル・ピークって徴候があちこちに見えます。世界第二の埋蔵量の油田、クウェートの大ブルガンがどうやらピークに達したってことは以前紹介したが、3月16日付けのKnight Ridder Newspapersによれば、メキシコの大油田、カントレルもどうやらピークに達したようだ。

この油田は、1976年以来、日産百万バレル以上の生産をあげる大油田で、メキシコのアブラの6割を生産してきた。しかし、Knight Ridderが入手したメキシコ国営ぺメックス社の内部資料によれば、2004年の日産213万バレルがピークだったようだ。カントレルは昨年、200万バレル/日産を生産したが、今年は6%減の日産190万バレル、2008年には150万バレル(2000年の生産レベル)にまで落ちるだろうと予測されている。

メキシコは日産330万バレルの産油国で、アメリカにとっては第ニの石油供給国である。カントレルがピークに達した影響は小さくない。単純に、わずか2年後には一日あたり50万バレルいまよりも少ない石油でやりくりしなければならないということになるので、中東のアブラ依存がますます高まることは間違いない。

「困った時の中東頼み」で、世界中で大油田がピークを迎えるなか、中東はその減耗量の肩代わりを期待されている。しかし、中東にアブラは残っているのか。ピーク楽観者やピーク否定者の期待は巨大油田、ガワールを中心とするサウジの生産力であり、埋蔵量だ。逆にいえば、ガワール油田がピークに達すれば、もうすがりつくところはない。マシュー・シモンズはガワールなど、サウジの大油田にもピークの徴候が出始めていることを指摘している。世界はそれを知らされていないだけだ。

私たちはオイル・ピークという歴史的な瞬間を生きている。

2006年3月29日

逆巻く嵐は悪魔の爪/As happy as?

「風の爪痕もやがて消えるだろう魔の風は...」

ハリケーンだとか、サイクロン。名前は違っても、大きなのがニュースになるとつい口ずさんでしまうのは、「颱風歌」(作詞:松山猛)。

先週サイクロン・ラリーがクイーンズランド北部を直撃した時も、ニュースの合間に、昔よく聞いたアルバム、「黒船」を引っ張り出して大音量でかけてしまった。

「本日(3/20)早朝、ケアンズ付近にオーストラリア観測史上最大級のサイクロン「ラリー」が上陸!」シドニーの平野美紀さんのサイトが伝えています。まるでゴジラ来襲のような勢いですが、サイクロンは瞬間風速290メートルってなくらい、風が強かったようです。どちらかというと空の大怪獣ラドン、ですね。

この風でなぎ倒されずたずたになったのは家屋や建物やインフラだけでなく、農作物ももちろん、ばたばたと根こそぎにされ大きな被害を出しました。地元選出の代議士によれば、サイクロンの直撃にあったイニスフェイルとタリーで全国の9割近いバナナを生産しているのだそうで、それが壊滅。すでにその影響は全国に波及していて、近所の店でもバナナの値段は倍以上にはね上がっています。これを受け、これまで禁止されているバナナの輸入の是非を巡る議論も再燃しています。

サイクロンの通過したあたりはサトウキビの産地でもあり、そちらの被害もかなりなようで、すでに急騰している砂糖の国際価格をさらに押し上げそうです。オーストラリアでもサトウキビから醸造されるエタノールをブレンドしたガソリンがぼちぼちと出回っていて、いまはガソリンより安く売られていますが、こちらもサイクロンの影響で値上がりは必至でしょう。

ちなみに3月20日付けのブルームバーグは、「オイルより、金より、今、値上がりが見込まれるのは砂糖だ!」と砂糖の国際価格の急騰を取り上げています。急騰の理由は中国の需要増加に加え、市場に出回る砂糖が減ったため。世界第二の砂糖輸出国のタイが旱魃で生産が減ったこと、最大の生産国であるブラジルが4年以内にガソリン車の撤廃を掲げ、年産の半分以上をエタノール生産に振り向けたためだそうです。つまり、砂糖市場は温暖化による異常気象とオイル・ピーク対策のダブルパンチに見回れたということになり、当然ながら、現代社会を反映しています。

エタノールに関しては今日、ふたつおもしろい記事に遭遇。ひとつは、エタノールは持続可能でクリーンな燃料として代用油のひとつに掲げられているが、それを精製するために石炭をじゃんじゃん燃やしたエネルギーが使われていると暴露する記事、Carbon cloud over a green fuelが3月24日付けのクリスチャン・サイエンス・モニター誌に載っています。もうひとつは、シュピーゲル誌の記事で、森林資源からエタノールを精製し、2020年の脱石油化に向けて、国をあげて着々とまい進するスウェーデンの話。(Sweden Plans Wood-fueled Future)。どちらも時間があれば、御一読下さい。

エタノールは植物から作られるという理由だけで、クリーンで持続可能だというわけではなく、逆に温暖化ガスの製造に手を貸すこともある。でも、ちゃんとした文脈で、地元の持続可能な素材を利用すれば代用にはなる。ということです。アブラのように世界中どこでも同じように使える燃料は他に存在せず、そんなものを期待する方が間違い。これまでのような大量生産/大量消費式な考え方はオイル・ピーク後には通用しません。それぞれの場所で、使えるものを使っていく、ということになるでしょう。

今回のサイクロンで大きな被害を受けた地域も、単一作物を大規模な農場で栽培し、何千キロも離れたに大規模流通させるという近代農業生産システムの一部です。このシステムには経済的なメリットはありますが、単一な品種を数少ない場所で生産することを前提とするシステムはひよわでもあります。バナナもサトウキビもいろいろな場所で少しずつ作っていれば、一ケ所がサイクロンなどの被害を受けてもうろたえることはありません。クイーンズランド北部で作られたバナナを国中どこでも、いつでも安い値段で食べられる、そういう便利さは、どんどん高くつくようになります。特にこれから、こんな規模のサイクロン(北半球の人は颱風とかハリケーンと読み替え下さい)がごろごろやってくるようになるんだから、これまでの常識は通用しないでしょう。気候変動を引き起こした張本人である人間は、そのつけは覚悟しておかなければなりません。

そして、ポスト・オイルの文脈から見ると、やはり、石油の代替燃料を大規模生産によるバイオフュールに求めるならば、同じようにひ弱です。食用でもクルマ用でも、植物の生産はすべからく自然に曝されます。もちろん、砂糖やキクイモ、とうもろこしのように人間が食べられる作物をクルマを走らせる燃料に代えてしまうことの是非は問われなければなりませんが、それ以上に、それに頼ろうとすることは、きわめて危険です。

サイクロン襲来のなかにもオイル・ピーク、そして温暖化による異常気象の時代を過ごす現代社会が透けて見えます。

ちなみに前述の平野さんのサイトに次のような警告が載っていて、不謹慎にも笑ってしまいました。ケアンズのメイン・ストリートをワニや毒蛇がしゅるしゅる!したんでしょうか。後日談を聞いてみたい!

「猛烈な強風を伴ったサイクロン・ラリーの上陸で、ケアンズ近郊の河川が氾濫。これにより、川に生息しているクロコダイル(ワニ)や毒蛇などが流出した恐れが!川に近い場所や海辺、洪水被害地域には近づかないようにしてください。」

2006年3月23日

ガイアの復讐/Revenge of Gaia.

ジム・ラブロックがガイアの復讐/Revenge of Gaiaという近著のプロモーションをかね、英国各地を講演中だそうだ。

アイルランドのキンセールという町の「エネルギー下降タウンプラニング計画」に携わったロブ・ホプキンスのブログには、3月はじめ、ダーティントンで行われたジム・ラブロックの講演を聞きにいった話が載っている。

しょっぱなから「聞く者の人生を変えてしまうほどのデビュー・アルバムを作りながら、それから10年余、目先が定まらず、どうしようもない音楽を大汗かいてやっているバンドを見にいくようなもの」と、手厳しく、しかしきわめて分かりやすい比較。

講演の内容は先日気候変動はすでに手遅れなのか/Too late to act?で紹介したガーディアンの記事に近いもののようです。ガイア仮説の生みの親、地球環境の観察や分析においては優れているかも知れませんが、解決法を編出すことにかけてはあまり長けていないようです。

前述の記事の中でも触れましたが、ラブロックは「需要は増えていくものであり、それを賄うには、っていう議論の展開をします。んで、その答えは原発ってパターン」。ちなみに、ラブロックの「げ」の字に関するポジションですが、新設しろって呼び掛けているんじゃないそうです。これから10年間の間、廃炉予定になっている「げ」の字の廃炉を延期し、そのまま使うべきだとのこと。「げ」の字推進派というより、容認派と呼んだ方がいいかも知れません。もっとも、これはラブロックが英国についてだけ語っているから、という部分を差し引く必要があります。

それにしても、ラブロックの「げ」の字容認の言説は度が過ぎています。核廃棄物は危険かもしれないが、その量は「人々が想像するよりはるかに少ない」、しかも「1950年代には、ロンドンで石炭を燃やしたおかげで、1年に5000人が死んだ」と、危険を矮小化する発言もしたそうです。

同じ頃、南オーストラリア博物館館長、ティム・フラナリーも自著が英国で出版されたのにあわせてイギリス・ツアーをやっていましたが、ラブロック同様、盛んに「げ」の字の連発だったようです。「げ」の字に関して、フラナリーのほうは完璧に推進派。ウラン大国オーストラリアということもあり、フラナリーの「げ」の字に関する発言はウランの輸出が頭にあります。インドや中国で急増するエネルギー需要を賄うため、石炭をじゃんじゃん燃すより、「げ」の字のほうがずっと温暖化を抑えることができる。オーストラリアはそれらの国へウランを積極的に輸出することで、地球全体の温暖化ガス排出を減らすことができる、と。

ラブロックの講演を聞きに出かけたホプキンスも、エネルギー需要を減らそうという頭がない。はなっから、これだけのエネルギーを使わなければならないものと決めてかかり、その上で、こっちとこっち、どっちがいいかと比べている、と批判しています。

エネルギー需要はこれだけある、それを賄うためにこれとこれのどっちがいいのか。石炭よりも「げ」の字のほうがずっといい。という袋小路な二者択一論がフラナリーやラブロックの言い分のようです。「危機は好機」とか「問題の中に解決法がある」なんてこと持ち出すまでもなく、消費を抑えりゃいいじゃん。

ホプキンスは、講演よりもあとの質疑応答のほうがためになった、と報告しています。

ラブロックは、人類は不帰点を通過してしまったので、もう何をやろうが現実的な効き目がない、そして、人間というものは、不吉な予感を感じながらも、危機やショックがあるまで何もしないと言ったそうです。大衆は何も自ら行動しない、だから、人類はもうだめだ。と語ったそうです。

これにはいろいろなレベルからの反論ができます。

まず、そんなにフツーの人間はだめかなあ。政府やリーダーや企業に指図されないと、本当に何もしないのだろうか。人々が予感を行動に積極的に結び付ける社会的な仕組みが欠けているだけなんじゃないか。不吉な予感を行動に移すことを妨げているものがあるんじゃないか。脱石油社会という現実を意識し、人のネットワークを再構築し、積極的な行動を呼び掛けるシステムが欠けているだけじゃないんだろうか。

ラブロックの言うように政府が指導力を発揮し、問題に取り組むことももちろん大切ですが、どれだけ旗を振られても、フツーの人が生活様式を自発的に変えない限り、結局はなんにも変わらない。逆に言えば、それぞれの人間がひとりひとり、行動を起こせば、政府が何もしなくたって、社会は変わるんじゃないでしょうか。フツーの人に過大な期待をしても仕方ないけど、過小評価することもない。そんな気がします。

ラブロックは再生可能エネルギーについて答えを求められ、「田舎は食物を栽培するものであり、都市は生活する場所」という、時代遅れで役にたたない認識を披露し、そのうえで、「田舎に風力タービンを設置するなんてもってのほか。すべての土地は食物の栽培のために必要だ」と発言したそうです。食料の生産が先、ってのは分かりますが、都市は消費者、田舎は生産者ってのは、ラブロックの発想の限界を示しているような気がします。都市でも食物生産のできる条件はあるし、風力タービンと牧畜は共存できないわけじゃない。

また、オイル・ピークと気候変動について、ASPO(ピークオイル研究学会)の代表、キエル・アレケットや学会創立者のコリン・キャンベルは、IPCCが見込んでいるほど、石油と天然ガスは残されていないんじゃないか。IPCCは石油換算で5兆?18兆バレルと見積もっているが、実際は3兆5千億バレルであり、IPCCの気候変動の予測を満たすほど、残ってはいないんじゃないか。そういう報告をしています。オイル・ピーク以後、石炭が再び活用されることも考えられるので、これは重要な問題ですが、意見を求められたラブロックは、すでに引返し不可能な地点を超えてしまったので、重要ではない、と返答したそうです。

ガイア仮説で、かつては革新的なアイデアの先端にいたラブロックですが、もうすっかり、さじを投げてしまったようです。そういう絶望した人に、これからどうしたらいいのか、変動の時代の生き方、処方せんを尋ねるほうが筋違いってことかも知れません。

2006年3月20日

国の色/green and gold.

テレビやラジオは先週メルボルンで始まったコモンウェルス・ゲームズの中継で持ち切り。週末の新聞のスポーツ欄もそれ一色。緑と金(黄色に見えることが多いが金色、だそうな)のユニフォームを着たオーストラリア選手の写真ばかり。もうすっかり、食傷ぎみ。

コモンウェルス・ゲームズというのは、昔イギリスの植民地だった国や地域で作る「コモンウェルス」のスポーツ国際大会で、4年に1度、持ち回りで開かれ、これが18回目。まあ、ミニ・オリンピックですが、アメリカやロシアなどのオリンピック強豪国が含まれず、しかも、インド、パキスタン、南アフリカ、カナダをのぞけば太平洋や西インドの島嶼国家が相手なだけに、オーストラリアの活躍がとくに目立ちます。世界人口の1/3が含まれる「コモンウェルス」の現代的な意味にについては、また稿を改めるとして、今日は「国の色」と呼ばれることもある「緑と金」について。

国旗だとか国花くらいは何となく分かるが、「国の色」ってのはどうなんだろう。日本の「国色」は何なのかよく知りませんが、お隣のニュー・ジーランドの場合は、きわめて明解に黒。ユニフォームはたいてい黒。国際チームの愛称も黒がつくものばかりです。ラグビーのオール・ブラックスはよく知られていますが、クリケットの代表チームははブラック・キャップス(黒帽)。なぜ、黒なのか、その由来はよく知りませんが、たぶん、オール・ブラックスが発端なんじゃないかと推測してます。それにしても、バスケットのトール・ブラックスなんて、ほとんどだじゃれの世界。

ここまで徹底してはいないものの、オーストラリアは緑と金色のコンビネーションをユニフォームにすることが多い。調べてみると、これは国花のアカシアに由来するようで、花(金色)と葉っぱ(みどり)を象徴するのだそうです。正式にはゴールデン・ワトルAcacia pycnanthaが国の花だが、1000種類以上あるといわれるアカシア全体がオーストラリアを象徴する植物だといってもいい。アカシアはオーストラリア人にとってもっともなじみの深い植物で、社会的な意味では、日本の桜に匹敵する。もちろん、春の訪れとともにじわじわと南から上昇してくる「桜前線」は見かけないが、ワトルの花もやはり冬から春にかけ、黄色い花をつけます。pycnanthaとはびっしりと花がつくって意味だから、花が咲く頃には一面、それこそ金色でまことに見事。満開の桜の下で花見、ってな習慣はないが、春の始まる9月1日はワトル・デイとよばれ、花を愛でる習慣があります。

黄色い花を咲かせるアカシアは、大陸でもっとも見かける植物には違いないが、すんなりと国花に決まったわけではありません。大陸に広く分布して入るものの、アカシアはほかの国にもある。それに比べて、例えば、ワラターはオーストラリアだけにしかなく、これこそ国花に相応しい。そういう議論があったりして、正式にゴールデン・ワトルに落ち着いたのは白人オーストラリアが200年を迎えた1988年のことです。9月1日のワトル・デイにしても、最初にビクトリアで提唱されたのは1899年だが正式に制定されるのは1992年のこと。どちらも非公認の歴史がずっと長い。

アカシアは空気中の窒素を固定する働きがあることが知られており、パーマカルチャーだけでなく、アグロフォーレストリーなど多年生植物の役割に注目する人達に奨励されてきました。パーマカルチャーの祖先のひとり、日本のほこる福岡正信も『わら一本の革命』などの著書で、果樹園に肥料木としてアカシアを植えることを奨励しています。実際に窒素化合物を生産するのはリゾビウム属の細菌で、これがアカシアや豆科の植物の根の根粒に住み着くのだそうです。

ちなみに、いわゆる現代農業で使われる合成窒素製品1キロを作るのに1リットルの原油が必要だと言われています。オーストラリアの小麦農場では1ヘクタールあたり、1週間に150キロの窒素肥料が投入されるそうで、150リットルのオイルが畑に播かれていることになります。石油減耗の時代には輸送費だけでなく、肥料も高騰し、それが食料品の価格を押し上げるひとつの原因になることは間違いありません。

そういう時代に入り、窒素固定植物の重要性は、もっともっと再認識されてくるでしょう。固定された窒素をうまく肥料として利用するナッツや果樹を植えることも広まるに違いありません。

しかし、ひとつの場所で役立つ植物が他の場所でも有用だとは限らないことは常に意識する必要があります。たとえば、アカシアは荒れ地でも乾燥地でもどんどん成長し、在来の生態系を変えてしまうほどになることもあります。例えば、福岡の言及したミアンジアイ種(ブラック・ワトル)は簡単に育つ種類であり、重宝する品種で、うちの庭にも何本か植えられています。でも、侵略種専門家グループ(ISSG)によるデータベースによれば、これは「世界最悪侵略種100」のひとつで、移植された場所によっては、その土地固有の植物を駆逐するほどの繁殖ぶりだそうです。特に被害がひどいのが南アフリカ。

この前日本に行った時、里山視察でお目にかかった林将之さんの「このきなんのき」というサイトによれば、やはりアカシアの一種で、うちの庭にも栽培中のメラノキシロン(ブラックウッド)が、岡山に植えられたものが在来の生態を破壊するような勢いで繁殖しているそうです。

減耗時代にはこれまでの化石燃料を多量に使用して生産される人工肥料に代わるものが必要になることは間違いありませんが、だからといって、どこでもアカシアを植えればいいわけではなさそうです。均一な答えが世界中のどこでもあてはまるのは工場やや試験管の中だけのことです。まずは在来種の中に窒素固定する肥料木を求めるべきで、人間の浅知恵で植物や動物を移動させると、とんでもないアンバランスを生態系にもたらすことにもなりかねません。

「緑と金」が表彰台に立ち、オーストラリア国歌がラジオから流れてくるのを小耳にしながら、今日は月の位置もよし、アカシアの種をまた、いくつか播きました。

2006年3月17日

ドラム缶の使い方/correct use of oil drum.

オイル・ピークだ、石油減耗時代だって、おののいているばかりではしかたがない。そういう時代を積極的に迎える方法のひとつは、これから不要になるものをどう創造的に利用するか、考えてみることじゃないだろうか。すくなくとも、そっちのほうがずっと建設的だ。

たとえば石油減耗時代にまっ先にだぶついてくるのはドラム缶じゃないか。石油時代を象徴するドラム缶がゴロゴロと、お役御免になるんじゃないか。そしたら、まず、こいつらの退役後の身の振り方から、考えておくのも悪くない。

一番オーソドックスなのはたぶん、オリジナルな用途を流用し容器として使うことでしょう。ドラム缶ってのはこちらでは44ガロンと言われてますが、アメリカ式のガロンだと55ガロン、200リットル入りが標準です。もともと液体を入れる容器なので、水をためたりするのには適しています。数えてみたら、うちの庭にはドラム缶が9つ、あちこちにゴロゴロしてましたが、そのうちのひとつは、雨漏りのする雨樋の下においてあります。かなり受動的で場当たり的な「装置」ですが、一雨降れば、それでも結構な量の水がたまります。

容器としてドラム缶をとらえれば、なかに入れるものは液体でなくても構いません。ふたがしっかり密閉できるドラム缶なら、穀物や飼料の保存用に使えます。これならネズミも歯がたたない。うちでもいくつかをこの用途に使ってます。

たまった雨水はバケツや柄杓や如雨露で上からくみ出せばいいし、動物のエサや玄米はふたをあけて上から取り出せばいいので、何かをためる容器としてはそのままで十分に機能します。しかし、ちょっとした改修をするだけで、かなり便利になります。近所にはいくつかのドラム缶を雨水タンクとして使っている人もいます。

ひとつのドラム缶が一杯になると、雨水は上のほうにあるパイプから次のドラム缶に流れていく仕掛けで、それが一杯になると次、という具合。ドラム缶ひとつはたかだか200リットルですが、いくつか連結すればちょっとした量になります。で、これらの連結ドラム缶は、ちょっとした高さの台にのっけてあり、最後のドラム缶には底の方に蛇口がついている。重力利用の水道で、蛇口をひねれば水が出る。大規模、エネルギー消費型、「近代的」な暮しとほとんどまったく変わらない便利さです。

空のドラム缶は筏の浮きにもなります。手塚治虫のマンガ、「大洪水時代」のクライマックス、押し寄せてくる津波にビルの上に取り残されたで主人公たちが筏を作る場面があります。ずっと、ドラム缶を使ったんだと思い込んでましたが、しばらくぶりに読み返してみると、浮きに使われたのは木製の風呂桶でした。が、石油減耗時代ならば、ここはドラム缶でしょう。ドラム缶の筏といっても、標高千メートルのこのあたりではせいぜい、湖とか池に浮かべる以外あまり使い道もなさそうですが、地球温暖化で海面の水位が上昇するこの頃のこと、海の近くに暮らしている人はひとつ、ドラム缶で筏を作っておくということも現実的かも知れません。

そういえば、風呂やトイレに入る時に眺める1945年に出版されたHandy farm and home devices and how to make them(農場や家庭の手軽な装置とその作り方)って本にも、ドラム缶を利用したアイデア、工夫がたくさん載ってます。いまから60年前の工夫や発想は参考になることばかり、いらすとも楽しい本です(いくつか、この本のイラストをここで紹介しようと思ったんですが、しばらく使ってなかったスキャナーが死んでました。ので、図版はなし)。

ためた水を使う方法として、この本にはドラム缶のふたに穴をあけて空気ボンプをつける方法が紹介されています。水を入れたドラム缶にふたをしっかり固定し、ポンプで圧力をかければ、快適快適、シャワーになります。このあたりのような冷涼気候だと、太陽熱を利用した温水器なんかと組み合わせないと実際には使わないかも知れません。でも、シャワーなんて、そもそもひとり10リットルから20リットルもあればすんでしまうものだから、200リットル入りのドラム缶を使うってのは大袈裟かなという気もします。

このあたりの使い方になると、ドラム缶は受動的な容器でありながら、積極的な道具に変わってきます。

道具としてのドラム缶でまっ先に思い付くのは、その中で火を燃やすこと。昔たむろした飯場や工事現場なんかでは、半端な屑材がドラム缶の中に投げ込まれ、常時燃やされていたような気がします。屑材を片付けることが主な目的なのか、それとも寒い現場でつかの間、暖をとるのが目的なのか、よく分かりませんでしたが。薪の質が悪かったのか、それともドラム缶で裸火を燃やしてももともとそれほど暖かくならないのか、いくら火に手をかざしても少しも暖まらなかったことを憶えています。

なんて思ってたら、ロブ・ホプキンスのトランジッション・カルチャーというブログが「ドラム缶の正しい使い方」を連載中。アイルランドのキンセールは石油減耗時代へ意識的に下降をはじめた世界で最初の町だが、ホプキンスはこの町が去年採択した「エネルギー下降計画」に大きく加わった人物。それだけに、ホプキンスが紹介する方法は、奥が深い。ドラム缶の底のほうにいくつか穴をあけて、空調用とし、詰めた木を燃やし木炭作りに使うなんてのは、エネルギー下降の時代
を読み切った人のアイデアだ。第二時大戦中にガソリンが不足した時、木炭がクルマの燃料に使われたということが記事の中にもでてくるが、木炭バス、木炭トラックなんてのは減耗時代に復活しそうなアイテムだ。

ドラム缶を筏の浮きにすることはホプキンスもあげている。しかし、違うのはそこからで、その筏を浮かぶ野菜畑にしようと言っている。筏の上に雑草やほし草などを積み上げて床を作り、野菜は筏の下まで伸びた根から直接水を吸収する。うーん、おもしろい。

その他、ホプキンスは採集したコンフリー(ヒメハリソウ)を詰め、ふたをして数カ月、エキスを採集する道具として使うことも提唱しています。コンフリーの効能についてはよく知られており、うちでも、水をはったドラム缶に入れて液肥を作ったことがあります。効果はともかく、匂いが強烈で、手につくと、石鹸で何度洗っても、一週間くらいは残ります。すぐに止めてしまいましたが、ホプキンスの説明するやり方は、水を加えないようで、余り匂いもひどくなさそう。次の機会に試してみようっと。

ホプキンスのブログに共感することが多いのは、「行動」を理念としていることもそうだが、同じような音楽を聞いてきたんじゃないかって思わせるところ。「ドラム缶の正しい使い方」にも、きわめて「実用的」なアイデアだけじゃなく、ドラム缶を楽器にすることも紹介している。エネルギーを使う「音楽の消費者」から「音楽の生産者」へ、というわけだ。喜納昌吉あたりなら「すべてのドラム缶を楽器に」なんて言い出しそうだ。ドラム缶から本格的なスティール・ドラムを作るとなると大変そうだが、生のドラム缶をひっ叩いて音楽ができるってことはあちこちでみている。ホプキンスは、テスト・デパートメントとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの例をあげているが、これらの「インダストリアル」系バンドは意識的にか無意識にか、石油減耗時代を先取りしていたのかもしれない。

こうやってみてくると、核廃棄物を詰め込んでコンクリートづけにするのに使うなんて、かなり安直でダサイ。

ちょっと錆びはじめ、くたびれてきたのは鶏など小動物の小屋として使うこともできます。半分に切って使う人もいますが、うちでは横にして、転がらないようにレンガなどで支えをしてやるだけ。この中にワラを敷いて、簡易鳥小屋の出来上がり。

ドラム缶の独創的な使い方、うちではこんなふうに利用している、とか、おもしろいアイデアがあれば、教えてください。

(ちなみに。液体のアブラを貯蔵し運搬するには容器が必要で、しばらくは木でできた樽が使われたそうです。この樽(バレル)が42米ガロン=約159リットルだったので、いまでも売り買いの単位や量を計ったり、石油価格を示す時はバレルという単位が使われるのだそうです。でも、樽が実際に使われたのは短い時期のようで、小売りや消費者レベルではともかく、すぐにパイプラインだとか鉄道やトラックのタンカーに切り替えられたそうです。なので、石油といえばオイル・ドラムとか、ドラム缶を連想しがちですが、実際はあまり正しくないことになり、減耗時代になってもドラム缶が直接だぶつくということはなさそうです。まあ、象徴、ということで。はい)

2006年3月16日

パンクス・ノット・デッド/Roger is a punk rocker.

昔、バンドのマネージメントをやっていた頃、「マネージャーになるのはベーシスト失格者」がキョーカイの通説だった。「失格」かどうかは分からないが、たしかにまわりを見回すと、以前、バンドでベースを弾いていた者が多かったし、バンドの中でマネージャー的な役割を果たすのはベースの人間が多かった。

昔、一緒にニック・ケイヴやノイバウテンなどのマネージメントをやったロジャー・グリーソンもベースギターからの転向組のひとりだ。70年代後半、シドニーでソウト・クリミナルズ(思想犯)なんて、オーウェルの「1984」から名前をいただいたパンク・バンドでベースを弾いていた。

パンク音楽についてはいくつも定義することができるだろうけど、特定の音楽のジャンルってよりも、やむにやまれぬ性急な態度、自発的な方法論だと思う。当時のギョーカイ・ロックに反発する形で生まれたもので、それまでに「パンク」なんてジャンルがあったんじゃない。金がなくてもコネがなくても、やりたかったらやっちまえ。音楽なんか、金をかけなくたって作れる。音楽をやるってだけで、誰に頭をさげ、こびを売らなくたっていい。レコードもコンサートも、自分でやっちまえ。そんな生き方、やり方のことを指すんだと思っている。バズコックスもワイヤーもフリクションもあぶらだこもパンクだった。

ソウト・クリミナルズの場合も手作りが基本で、録音から、作ったレコードを売ることまで、切り盛りしたのがロジャーだった。インターネットが普及した最近ならともかく、あの頃、隣町の音楽状況を知る経路すらなかった。同じ頃の、各国のシーンと比べてもひけをとらない良質の音楽を演るバンドがごろごろいたのに、ほとんど誰にも気付かれずに潰れていった。そんな時代に、既存のギョーカイに対し、自らの行動で立ち向かっていく。それがパンクだった。

ロジャーはダブルシンク(二重思考)という自主制作レーベルをたちあげ、何枚かのレコードを制作する。レコードにしても、印刷物にしても作ることなんか簡単だが、それを流通させることは生半可なことじゃない。特に土地の広いオーストラリアでは聞き手が見えないことがしばしばある。どこにいるのか分からない。ネットワークもない。作ったレコードをコンサートで配り、コンサートで出かけた町でレコード屋に置いてもらう。もちろん、コンサートのブッキングも自分達でやっった。そのうち、ロジャーは他のバンドのツアーブッキングも手掛けるようになり、新たなレーベルをたちあげ、マネージメントに乗り出し、ベースを弾くよりも、ビジネス活動のほうへ重点を移していった。挙げ句の果て、つい最近まで、マードック系のレコード会社、フェスティバルの社長をしてた。ベース失格者もそこまでいけば大したものだ。

ひさしぶりに話をすると、ソウト・クリミナルズの音源がCDやレコードで再発されたことよりも、オンラインで無料ダウンロードできるようになったことを嬉しそうに話していた。でも、そんなことしたら、金にならないでしょ、って言いかけたけど、考えてみりゃ、連中、最初っから、自分達の音楽をただで流通させることが願いだったんだ。デビュー・シングルも「パンク・レコードに金は払わない」だったっけ。30年近く経って、ようやくテクノロジーがそれに追い付いたってわけだ。

ダウンロードはソウト・クリミナルズのサイトから。

パンク音楽なんてものが生まれてから30年近く経った。いろいろ、あの頃の音源がリマスターされたり、ボックスセット化されている。それはそれでいいことだが、30年前の思いを最新のテクノロジーを使って達成する。パンク精神、健在なり。

再発記念に、しばらくぶりにベースを弾くってことで麓の町まで見に行こうかと思ったけど、あんまりへべれけになると帰りが心配だし、そんなこと心配していたらバンドも楽しめない。ので、やめ。

2006年3月15日

ガマグチヨタカ/tawny frogmouth.

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うちには時々珍しい客がやってきます。

醸造したビールを瓶詰めし、残り滓に小麦粉を混ぜパンを焼き、次のビールの仕込みをし。なんて午後、ふと、ベランダのほうを見るともなしに目をやると、見たこともない鳥が手すりに止まってます。大きさは40センチくらい、全体に茶色がかった鳥です。

調べてみると、トーニー・フロッグマウスという鳥でした。日本語の辞書をあたるとガマグチヨタカ。ガマグチってのはフロッグマウスの直訳のようですが、口がカエルに似ていることからこう呼ばれるそうです。このあたりにもかなり普通にいる鳥ですが、これほど近くで見るのは初めてです。

ヨタカといっても鷹の一種ではありませんが夜行性です。しばしば、形態や習性からふくろうの一種だと思わるようですが、実はカワセミに近いんだそうで、そう言われれば、なるほど、体つきなどワライカワセミなどに似ていないこともありません。

蜥蜴や蛇、ネズミなど目掛け、止まった木の枝から音もたてずに急降下攻撃をかけるんだそうです。ワライカワセミと蛇の格闘は目にしたことがありますが、蛇が地面をしゅらしゅらしているところへ、頭上から鋭い嘴が突然音もなく急降下してきたらたまりません。この時は蛇がかなりのサイズだったんで最初の一撃をしのぎ、その後30分ほどもにらみ合ってましたが、たいていは一撃で勝負あり。

手すりに止まったガマグチヨタカ本人はすっかりカモフラージュされている気分で、うつらうつらしています。近寄っても、見えないだろうと思っているのか、あんまり慌てません。たしかに、これが茶色いユーカリの木などなら保護色になり、カモフラージュになるのでしょうが、緑にペイントされたうちのベランダの手すりの上では、すっかり周囲から浮き上がっていることも気がつかないようです。

かなり、普通に分布している鳥のようですが、この近辺に10年以上暮らすうちの相棒もこんなに近くで見るのは初めてだと言って、ベランダの見える自分の部屋からバードウォッチング。

偶然なのかも知れませんが、ガマグチヨタカがうろつくようになったのは、たぶん、うちで飼う動物の数が増えたこととも関連がありそうな気がします。鶏やアヒルがこぼすエサを目当てにネズミが増え、そのネズミを目当てに蛇やふくろう、ガマグチヨタカなどが増える。そんな関連があるんじゃないか。「風が吹けば桶屋がもうかる」式に生態系は常に変動するものなのです。

2006年3月10日

世界最大の石油会社、ピークを否定/peak denial by Exxon.

世界最大の石油会社のエクソン・モービルが先日、ニューヨークタイムズの社説ページに広告を出した。

キャプションは「オイルピークですって?ご説にもかかわらず、石油生産に頭打ちの徴候はまったくありません」と読めますが、双眼鏡でなければ見えないとでもいうかのように、「頂き」はまだずっとはるか彼方、雲の向こうに隠れています。

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エク
ソンの広告(pdf)より

これをエクソン自身の「2005年版エネルギー見通し報告」のなかの2030年まで石油生産見通しのグラフと比べてみました。

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グラフ
2005年版エネルギー見通し報告(2005 Energy Outlook Report)より

これを見るとエクソンがどれほど中東の埋蔵量をあてにしているか、よくわかる。エクソン社の予測ではOPEC非加盟産油国の生産が2010年頃ピークに達し、それから減少し始めると描かれている。しかし、OPECとなると話は別で、まるでそれが当たり前のような勢いで生産量は上昇していきます。現在、およそ日産3千万バレル(30MBD)が2030 年には47MBDになると見積もられている。

先日紹介したスタニフォードなども言及しているが、「ピーク否定者」があてにするのは中東の石油。ここに世界の石油埋蔵量の2/3が眠ると言われているからだ。

しかし、それは本当にあるのか。

中東各国が自己申告する埋蔵量をここまで楽観的にあてにできるのか、エクソンは説明しません。これについては、埋蔵量を大袈裟に見積もることで利益のあること、そして、事実、たいした油田の発見が報告されないのに埋蔵量の申告だけが軒並み増加したこと、それを示す内部資料がクエートから出ていること、など、これまでにもお伝えした通りです。

不思議なことに、非加盟産油国には「頂き」が迫りつつあることをエクソンは認めながら、同じことがOPEC諸国にはあてはまらないようです。

ロバート・ハーシュはオイル・ピーク問題の影響を緩和するためのレポートで、ピークの影響を抑えるためには「ピークに達する20年前以上から」それに備えて手をうたなければならないと言いました。問題の所在を認めず、何も手をうたなかったらそれこそひどいことになると警告しています。

エクソン社などの石油会社はオイル・ピークでもなんでも、原油の値段が高騰すればぼろ儲けになるわけで、何を言っても構わないのかも知れませんが、この広告を真に受けて、ピーク楽観を決め込んだりしたら、そのつけは払うことを覚悟しておかなければなりません。

初めの一歩は、自分の暮しが石油漬けであることを認め、石油が有限であることを認め、ふたつをあわせると石油漬けの暮しは早晩立ち行かなくなると認めることです。

いくつかのコメントヘの答え/on the road with...

何ヶ月前かに誘われてはじめたブログに、いろいろコメントをいただきありがとうございます。ブログやウエッブが双方向のメディアである、しかも即時のメディアであるってこと、あらためて痛感します。


もらったコメントにはできるだけすばやく返事をするようにしていますが、なにぶん、旧式のマックに旧式なネットスケープという今どき珍しい通信環境ゆえか、時々コメントに対応できないことがあります。ごめんなさい。

いくつか、オーストラリアくんだりまで私に会いに来てもいいかってな質問が来てますので、それにまとめてお答えしときます。

うちはいつでも、基本的に訪問客は歓迎です。忙しくなければ、いつでもおいで下さいませ。近所の方はおいでになる前に連絡を下さい。うちにいるようにします。

(ついでに近所の方へ。先日購入したばかりのカローラ、売りたし、です。とても調子がよく頼りになるクルマです。84年式、白のセダンのしぶさがお分かりで安めなクルマをおさがしの方ご連絡をくださいませ。はい、頼りになるクルマ、です)

遠来の方で宿が必要な場合はうちに泊まっていただいてもいいし、近所には宿がごろごろありますので、手配の手助けはできるかも知れません。シャロムのゴカちゃん(元気ですか?)のように、うちでいろいろあれやこれや手伝っていただき、一宿一飯してもらうウーフなんてのもありです。近所には安いパブからそれなりの景色が楽しめるB&Bまでいろいろあるので、近所までおいでの節は、はい、ぜひお立ち寄りを。

何人かでお出かけということでしたら、うちヘ来ていただいてもあんまりしようがないんで、農場へ何日か泊まり込みで行って、小屋や家を建てたりするという極めてアクション的な滞在も可能です。古タイヤと泥建築とか、ストローベイルとか。いつでも手伝いに来てください。ロードー力支援、大歓迎です。一日、肉体労働のあとは冷たいビールを飲み、星空の下であれこれ語る。うーん、ありだな。これは。星空の下でレイヴなんてのもいいなあ。そしたら作家でdjの清野栄一とかにも絡んでもらおうか。

もしくは、今度の本、「人工社会」で紹介したようなエコビレッジやコハウジング集落を訪ねて回る。そんなツアーなら喜んで御案内します。いろいろ勉強になるでしょう。こちとら、バンドやメディアの付き添いだけじゃなく、フツーの観光客の添乗もやったこともありますから、もう、ツアーの手配なんてお茶の子さいさい。慣れたもの、なんでもお任せ下さい。はい。

でもなけりゃ、「おもしろ大陸」のノリで、オーストラリアあちこち、つまらないものを集団で見て歩くなんてことも考えられる。今気にかかっている「オーストラリア灯台めぐりツアー」なんてのもありかな。横道にそれると、「オーストラリア:自転車道で訪ねる旅」なんてマニアックなのもありで、そしたらブックマークつけてるブログのひとつ、サイクルロードさんにも御参加をいただきましょう。しかし、こういう、一見ばかばかしい一途なノリのツアーって、最近とんとやってないですねえ。あああ、やりてえ。どなたか、御一緒しませんか。

んでもって、このコンセプトを広げていくと行き先はオーストラリアじゃなくてもいいんじゃないか、って気になります。例えば、アイルランドのキンセールって町が世界で初めて「エネルギー下降プラン」を採択して、石油減耗時代へ町をあげて取り組んでいるって話はちょこッとどこかでしましたが、そういうところへ、「高野孟と訪ねる?」ってな調子でツアーする。そんなのもありですな。
「タナカと訪ねるキンセール、XX日ツアー」なんて。参加したい人、いますぅ?いるわけないか。

そしたら行き先はパレスチナでもいいじゃん。あそこにも行きたい場所がたくさんあるし。p-naviのビーさんとかも誘って行こう。うん、だんだん楽しくなってきたぞ。独立から10年余、白夜のエストニアに30万人が集う合唱祭を訪ねる。これなら高野さんも来るかもしれないぞ。キューバの有機社会を訪ねる旅。とか、いろいろありそうだが、誰も参加しないだろうなあ。

てなわけで、想像力まかせにしていると、とてつもないところまで行ってしまうので、相談はくれぐれも具体的に、お願いします。基本的には臨機応変、何でもありな対応です。

2006年3月 9日

ゴー・ゴー・ゴア/Go go Gore.

アル・ゴアが気候変動に関し、2月22日に行った演説の一節がずっと気になっている。

カリフォルニアのモントレイで開かれたTEDという集会での発言だ(この集会自体、デザイナーが「形式と内容」を探る試みってことでかなりおもしろそう。ちなみにゴア以外のスピーカーは持ち時間18分ずつ。4日間で100人の論者が登場したそうな。スピーチの間にはライブ音楽の演奏があったり、テレビ広告が流れたり、との報告がdesign within reachに載っている)。
ゴアのスピーチの概要は、worldchnagingが報告している。

ゴアのスピーチはスライドを見せながら、温暖化の症状を聞いている人に訴える、ってスタイルだったそうです。地球温暖化が現在、ここにあり、科学者で疑うものはひとりもいないってのに、「一般のプレスとなると、53%が温暖化に懐疑的」であるって部分、なるほどなあと思いました。

ゴアのスピーチは5月公開予定の自らも関わる「An Inconvenient Truth(都合の悪いひとつの真実)」というドキュメンタリー映画の前宣伝という趣もあり、はたまた、2年後に迫った米大統領選を意識したものとの読みもある。

ゴアの発言のなかで、いろいろ考えているのは、人間というものはほとんど「気候変動問題なんか存在しない」と否定する立場から、「もう何をやっても無駄、手遅れだ」と絶望へ一気に移動するものだ、ということ。
(原文はTedBlogに)

否定と絶望、問題があるかないか、問題の受け止め方においては両極端だが、行動という観点からすると、このふたつは共通しているということだ。問題がないと思っているうちは、もちろん、人間は何もしない。問題の深刻さに気付いて絶望してしまうと、もう何をやっても手遅れなのだから、何もしない。否定から絶望へ、問題の受け止め方は変わっても、結局なんにも自分では行動しない。ほと
んどの人間が否定から絶望へと一気に移動するというのも、行動をしないという一点では整合がとれているからだろう。問題の大きさが分かれば、誰もが行動を起こすだろうと期待しがちだが、そうとも限らない。絶望してしまい、これまで通り、何もやらないことのほうが多いということだ。温暖化だけでなくオイルピーク問題についても同じことが言えそうです。

ゴアが大統領になれば、環境問題への取り組みが少しはましになるかも知れないが、はたして「否定から絶望」へ動きがちなフツーの人に行動を起こさせることができるだろうか。

2006年3月 6日

フットボール/my footy is not soccer.

夏も終りの3月5日、今年から始まったサッカーのAリーグの決勝戦があった。週末の朝刊には決勝に進出したシドニーのコーチ、リトバルスキ-のインタビューが載っている。週末の新聞はいくつものセクションに分かれて到着するが、そのスポーツ・セクションの表紙だ。去年の今頃も彼のインタビューが載っていたが、それはAリーグと名前を変えたサッカーの全国リーグのシドニー・チームの監督就任に関するもので、わざとらしく、ハーバーブリッジをバックにした写真が載っていた。

個人的にはスポーツはまったくやらないが、観戦するのは好きで、機会があればよくグランドに出かける。夏はクリケット、冬はオーストラリア式フットボールだ。プロの試合だけじゃなく、旅行先とかで草クリケットや草フットボールを眺めるのも好きだ。だから、シーズン最終のAリーグ決勝戦よりも、クリケットの国内リーグ最終ラウンドだとか、そろりそろりとシーズン開始に近付きつつあるオーストラリア式フットボールのほうに目がいってしまう。


サッカーはもちろん世界標準、といってもルールはともかく選手の名前も知らない。リトバルスキーくらいは知っていても、三浦カズなんて、こっちの新聞で読むまで知らなかった。クリケットも旧大英帝国植民地の諸国では人気のあるスポーツ(インドやパキスタンなどでは「国技」クラス)だからたいていの選手の名前は知っている。オーストラリア式のほうは日本でオージーボウルなんてわけのわからない名前で時々忘れた頃に紹介されることがあるくらいで、世界的には極めて稀なスポーツだ。しかし、こちら、ほとんどの選手の名前と顔を知っている。

オーストラリア式フットボールはシーズンオフに一番ルールの近いアイルランド式と折衷ルールで国際試合をかろうじて行えるくらい、他に対戦相手を探すこともできないほど世界的にはマイナーなフットボールだ。しかし、国内での人気は絶大で、オーストラリアでプレイされる4つのフットボール・リーグのなかでは、一番の人気だ。サッカーは、競技人口はともかく、全国リーグとなると4番目のコードに甘んじてきた。人気順には、オーストラリア式(AFL)、ラグビー・リーグ、ラグビー・ユニオンときて、その次がサッカーだ。

つい最近、発表されたオーストラリア式フットボールの2007年から5年間の放映権料からも知ることができる。5年間の放映料は7億8千万ドルだ。1年あたり、1億5千600万ドル、二番目に人気のあるラグビー・リーグのテレビ放映料は現在1年間に1億ドルだ。毎週8試合、22ラウンド、それにファイナルが4ラウンド、合計26週間のシーズンでは、オーストラリア式の放映料は一週間あたり600万ドル、ひと試合あたり75万ドルということになる。サッカーはヨーロッパや南米からの移民のスポーツというイメージが強く、移民の新オーストラリア人を対象とする第二の公共放送テレビ、SBSがもっぱら放映している。

サッカーは去年まで、全国リーグは全国蹴球連盟(NFL)と呼ばれていた。それぞれのチームは民族的な色彩が強かったが、Aリーグ発足にあたり、都市や町ごとに再編された。そして、蹴球といえばどんなコードでも、プレイするのは冬と決まっていたものだが、ほかのコードとの競合をさけるためなのか、それとも北半球にあわせたのか、シーズンも冬から夏に変更されてしまった。(しかもAリーグってネーミング、日本のJリーグの成功に倣ったのはみえみえだが、それにしても安直。韓国のKリーグ、シンガポールのSリーグときてオーストラリアのAリーグ。)

新チームでスタートした夏のAリーグ、人気は上々、今日の決勝戦もグランドはファンで一杯だ。今年はワールドカップもあるし、サッカー人気はますます盛り上がってくるだろう。すでにラグビー・ユニオンを抜いて、第三のコードになったとする向きもある。もともと、ヨーロッパのリーグでプレイする者が何人もいて、それなりにプレイヤーの水準は高いようで、人気がでても不思議ではない。

それはそれで結構なことだが、季節外れなことともに、ひとつ、どうしても我慢できないことがある。新リーグ創設にともなって、「サッカー」を改称しようとする動きだ。全国選抜チームはサッカールーズ(サッカー+カンガルー)と呼ばれてきた。日本語でもサッカーが普通で、こちらでも長い間、サッカーと呼ばれてきたのに、それをフットボールと呼び変えよういう動きが進んでいる。新聞やラジオの報道もそれに従い、フットボールへ呼び変える傾向がある。これには、どうしても納得ができない。

世界標準だからというのがサッカーをフットボールと言い換えようとする人たちの言い分だ(しかし、アメリカやカナダ、アイルランドなどでも、フットボールといえば独特の球技を指し、サッカーはサッカーであるようだから「世界標準」と言うのもどうだろうか)。そして、それが例え「標準」だったにしても、なぜ、それに合わせなければならないのか。

これまで、オーストラリアではフットボールという言葉は、いくつもの異なるコードを傘のように含む言葉として使われてきた。たとえば、ビクトリアとかタスマニア、南オーストラリア、西オーストラリア、そして北部特別地域でフットボールや、その短縮である「フッティ」といえば、間違いなくオーストラリア式のことを指す。それらの地域で「フットボール」という言葉からサッカーを連想する人はほとんどいないだろう。同じように、ニュー・サウス・ウエールズやクイーンズランドでは、「フットボール」といえばラグビー・リーグを連想する人が多いはずだ。

サッカーはグローバル化時代の「世界標準」スポーツってな乗りでこられると、それだけで反発してしまう。グローバル化の時代だから世界共通のルールで競い合うのもおもしろいけど、世界のほとんどの人が首をかしげる風変わりなルールのフットボールのほうがあってもいいし、そっちのほうがずっと興奮する。(あんまりサッカーには詳しくないのですが、ボールを3つくらい同時に使うとか、ゴールをいまの2倍の幅に広げるとか、少なくともオフサイドをなくす。そうするとサッカーはもっとおもしろくなるんじゃないか、そんな気がします。オーストラリア式フットボールの興奮に比べたら、それでも足りないって気がします。個人的に。はい。)

2006年3月 5日

いままさにピーク/peak oil is with us now.

3月2日付けのニューヨークタイムス紙に論説委員のひとりで、1996年にピューリツァー賞を受賞したロバートB・センプルJrによる「The End of Oil」という長文記事が載っており、かなり詳細にオイル・ピークを解説し、「ほぼ間違いない」と結論しています。

元の記事は有料ですが、原文はこの記事でも紹介されているEnergy Bulletinのサイト、NY Times: The end of oilに掲載されています。ピークに関してはいくつか、毎日チェックするサイトがありますが、Energy Bulletinもそのひとつです。ピークに興味のある人はぜひ覗いてみてください。

NYTの記事はピーク初心者向けにも分かりやすいように、ハバートの分析方法から始まり、ディフェイスの説、マット・シモンズのサウジ埋蔵量懐疑説など、このブログでもすでに紹介したひとびとの言葉が紹介されています。新技術などに過大な期待をかけ、時期については楽観的すぎるものの、タイムズのようなメインストリームの媒体がピークについて「ほぼ間違いない」としていることには価値があると思います。

この記事を受け、EBの記事「US Congressmen distribute NY Times op-ed piece to House colleagues」によれば、翌日、やはりこのブログでも取り上げたロスコー・バートレットとトム・ユダールらピーク・オイル議員連盟が記事の写しを米議会の全議員に配り、連盟への参加、そして「マーシャル・プランやアポロ計画に匹敵する規模のピーク対策」を訴える決議への賛意を募りました。
(参照記事:オイル・ピークに関し米議会で公聴会/Oil Peak vs the Congress

「ブッシュ大統領が2006年の一般教書演説で「石油中毒」を治療しなければならないと言ったのは、主に国家安全保障の観点からでした。我々が中毒から抜けなければならない大事な理由がもうふたつありますが、大統領はそれらに言及しませんでした。どちらも、少なくとも、国家安全保障と同じくらいに火急な問題です。

ひとつは地球温暖化です。ふたつ目の理由は、それと同じくらいに私たちを脅かし、しかもつい最近になるまで、問題に見合うだけの注意を得てこなかったことです。100年以上のあいだ、我々に驚異的な経済成長を続けさせてくれた安く豊富な石油の時代、それが、気付かないうちに終焉しようとしているのです」
(ピーク・オイル議員連盟)

このタイムズの社説が「ほぼ間違いない」とした意義は認めるものの、ピークの時期がまだ(ほんのちょっとだけど)先のことだとする結論には反論も出ています。

これまで目にしたうち、もっともまとまっているのは、タイムズの記事で言及されはしなかったものの、ピークイストには人気のあるブログ、the Oil Drumのスチュワート・スタニフォードのものです。以下に、オイル・ドラムのブロッグから、彼の論点をグラフつきで抄訳します。原文は300以上のコメントが付いており、開くのに時間がかかります。また、急ぎの翻訳なのでおかしなところがあるかも知れません。意見、御指摘、よろしく。

原文:Why peak oil is probably about now

●OPECの埋蔵量は過大に見積もられている
OPECの生産当ては確認埋蔵量に基づいており、埋蔵量を誇張する誘因になっている。特定の大油田が発見されていないというのに、埋蔵量は大きく飛躍した。これらの国の埋蔵量の増加はあまりに信じがたく、虚偽申告ではないかと思われる。そして、そろそろ、そのぼろが出始めているのかもしれない。最近になって、クウェートの埋蔵量は言われている量の半分にも満たないことを示す内部資
料をPetroleum Intelligence Weeklyは報告した。
(参照記事:水増しされたクウェートの原油埋蔵量/Kuwait reverses its oil reserves.

ここが要めだというのは、世界に残るとされる石油埋蔵量の2/3がOPECにあるからです。そして、オイル・ピークは10年以上後のことであるとするシナリオのすべてがOPECの増産を見込んでいるからです。

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グラフ:OPECの確認埋蔵量の推移
単位:10億バレル(=ギガバレルGb)
1バレルは42米ガロン。
出典ソース:BP社の世界エネルギー統計レビュー。

●世界生産は、2004年後半に頭打ち
現時点で、生産は2004年後半以降、小刻みに揺れながらも平坦になってきている。現時点における生産のピークは2005年5月だった。石油価格の上昇にともない、増産への追い風があったにもかかわらず、だ。この理由として、精製キャパの不足がしばしばあげられてきた。しかし、それが事実ならば、精製しにくい重油は安くなっていいはずなのに、値段は下がっていない。

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グラフ:月毎の日産平均石油生産量の推移
液体のみと思われる。グラフはゼロスケーリングされていない。
データ:IEA、EIA。 IEAの生ラインは毎月初めに出る数字。IEAの修正済みライン
は実際の生産に基づき月毎に修正した数字で、翌月に発表される。

●OPEC、そして非OPEC産油国ともに頭打ち状態

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グラフ:OPECとOPEC非加盟国について、これまでに最も生産の高かった月(OPEC非加盟の産油国の場合2005年5月、OPEC諸国は2005年9月)に対する毎日の産油量を月毎に平均したものとの比較。液体のみと思われる。グラフはゼロ・スケーリングされていない。
データ:EIA。


●既存の油田は非常に高い率で衰退する

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グラフ:上場する上位10国際石油会社の日産平均生産量の推移
データ:ペトロリアム・レビュー

多大な努力を投入しているいるにもかかわらず、メジャー国際石油資本は、ここしばらく、石油の増産をできないでいます(子会社を通じ、復活するロシア油田に接近することに成功したBPは注目に値する例外)。

エクソンの生産を分析すると、問題が浮かび上がってきます。同社の既存油田での生産は年率6%から14%、場所により違いはあるものの、明らかに減退しています。毎年、新しく生産の開始される油田は現在生産中の油田の減退を相殺するだけです。このことから、同社がピークに達したか、あるいはピークに接近していることがわかります。つい最近の数字ですが、2005年に同社は生産中の油田の減退分をほとんど補いませんでした。同社がその代わりに新たに開発したと申告したエネルギー埋蔵量のほとんどすべてはカタールの天然ガスです。シェルの場合はもっと深刻で、2005年に減退分の埋め合わせができたのは現生産の60%から70%だけ、2004年には19%だけしか新しい油田で置き換えることができませんでした。

OPECの状況もそれほど変わりません。米EIAによると、サウジアラビアは毎年5%から12%の生産減を続けています。新しい生産を始めなければ、現状レベルの維持もまかりならないのです。同様に、イランの生産は、毎年8%から13%の減少が見込まれています。

これが私にとっては、世界のオイル・ピークが近いことを示す最も説得力のある理由です。毎年生産レベルを維持するため、減退分を補うのに必要な新たな生産は莫大な量になります。アメリカがオイル・ピークに達した時、これが大きな兆候でした。割当てがすべて取り除かれ(テキサスでは割当てシステムによる産油管理が続いた)、増産のために多大な努力が払われたにもかかわらず、生産は再び上向きになることはありませんでした。注目すべきは、昨年、OPECはすべてを増産に注ぎ込んでいる、事実上割当て制がないかのような発言を何人もののOPECの職員があちこちでしていることです。

●ハバート曲線はオイル・ピークを示す

埋蔵量のデータは往々にして当てにすることができないので、オイル・ピーク論者はハバートが編出した方法、生産統計から推定する方法を好みます。このやり方には元データに基づく誤差があり、すべての国に適用できるわけではありませんが、アメリカについては、石油が1970年代に生産ピークに達するだろうと正しく予測しました。ハバートの方法を世界に適用すると、現在ピークにさしかかっていることがわかります。ディフェイス教授の有名な「2005年感謝祭=世界オイル・ピーク」予測の基礎です。私自身の分析によれば、世界オイル・ピークが訪れるのは2007年5月(誤差4.5年)です(したがって、ディフェイス教授の予測も私の誤差範囲の中に入ります。ディフェイス教授は誤差を考慮しませんが、それぞれの生産統計の間には違いがあり、それにより、はじき出される答えも違ってくるものです)。
(参照記事:ハッピー・オイル・ピーク・デイ!?/Happy Oil Peak Day!?

●少なくともひとつの大石油会社警告を発している
シェブロンは「私たちに加わりませんか」という広告キャンペーンを実施している。より多くの石油を見つけ、より多くの石油を生産するのがしんどくなり、発見するよりはるかに多くの量の石油を世界が消費しており、そろそろ節約しませんか、とシェブロンは警告している。自分達の主力商品をがふんだんにあるなら、いったいなぜ、節約しましょうなんて呼び掛けるのだろうか。

●原油価格の高騰
ここ1年間、原油価格はおよそ60ドルで推移してきたが、主要なオイルショック時を別にすれば、これまでで最も高い。高いだけでなく、価格は不安定で、配給が脅かされるというどんな徴候にも1日のあいだに、数パーセントの幅で反応する。石油価格は現在のところ高値止まりで、需要を少なくとも当分の間押さえており、株も上がっています。これは市場がびくびくとして、より多くの石油を必要としている徴候です。

●サウジアラビアの余力を示す証拠は全くない
サウジアラビアはこれまで、(唯一)生産に余力のある国だと考えられてきた。しかし、生産統計からそれを裏付けることはできない。サウジが報告する生産は1年間を通じて平坦であり、2005年9月のハリケーン被害に対応して増産したあとは少しも見られない。マニファ油田に余剰生産力があったことも考えられるが、そこのアブラはバナディアム含有が多く精製が簡単ではないはずだ。

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グラフ:サウジアラビアとロシアの日産石油平均の月別グラフ。液体。グラフはゼロ・スケーリングされていない。
データ:EIA表1.1

●既存の産油レベルを維持することの地政学的なリスク、気候変動のリスク
サウジアラビアの石油施設に対する自爆攻撃、それともイラン緊張なのか、ナイジェリアの反逆、イラクの抵抗、またはハリケーン、こうしたつまらない問題が、より大きな問題に変質しようとしています。これらの例のひとつでも、すでに需給がひっ迫する原油供給を脅かすなら、影響は何年もに及ぶオイルショックになる可能性があり、その影響は大規模で、何年にも及ぶでしょう。

●結論
ひとつの証拠すら決定的とは言えないのですが、それにも関わらず、全体像は、石油の生産が世界的なピークに達し、これ以上生産が増えることはないと思わせるに十分です。このまま、2005年5月が産油量で、これまでの最高の記録を維持するのか、それとも2006年、2007年のある月、それをすこしだけ上回る石油が生産されるのかどうか、それはわかりません。しかし、既存油田における生産の減退を相殺するだけの新しい生産をこれからも生み出しつづけることができるのか、私には疑問です。それは、毎年毎年、年が代わるごとに繰り返さなければならず、だんだん、大変になるのです。

2006年3月 3日

退学/my trial and terror

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はっ。
これまでの人生もかなりずっこけだらけで、自分でも呆れてしまうほどで、それから考えれば、まあ。何週間か前、大学に入学し新しい生活をはじめたと思ったら早々、退学です。あーあっ。これで3度目。だから、学歴は相変わらず、高卒(大学中退)のまま。
あーあっ。

授業に出たのはわずか2週間足らず。やはり、基本的に高卒を対象とした授業は、予想してはいたものの、なんとも退屈。新しく学ばなかったことがまったくないわけじゃないし、高卒の連中との会話はとっても楽しかったし、刺激されることもたくさんあった。んでも、時代認識が違い過ぎて、オイルピーク後の社会に暮らしているという切迫感がないし、それにあわせるにはこちらが性急すぎるようだ。「行動」を説くのに、実際、行動していない連中にあわせているだけの時間は残されていない。
などなど。

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なれない運転をたくさんしたせいか、すばらしい夕日を眺めた翌朝、農場で目を覚ましたら腕が上がらなくて。学校に行かないで、一日、図書館から借りてきた本を読みふけりながら、そんな気になりました。

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宿題は書こうと思えば簡単に書けますが、教師が読むか読まないか、その程度の読者を相手にそれなりの時間をかけてやることに意味があるのか。それよりも、知っていることを実行することのほうが重要なんじゃないか。知識を限られた読者向けにまとめるのではなく、いま、やりたいのは知らないことを教わりたいのだ。

たとえば、履修した課目のひとつに「農業における植物」というのがあります。
最初の課題は植物をひとつ選び、レポートをまとめる。普通は農作されている植物を選ぶのですが、ひとつ、アカシアについてやろうと思いました。ミモザともよばれ、アフリカなどにも原生種がありますが、アカシアはオーストラリアに1000種類くらいある、いわば、大陸を代表する植物です。薮のように生えるものから30メートル40メートル近くまで育つものまで、いろいろな種類がいろいろな気候に生えています。ふんだんにあるせいか、あまり研究対象にならないようで、それを取り入れた国や地域、アフリカや中国でのほうが原産地より研究が盛んなようです。

この木は窒素固定をすることから、オルタナ系農業では昔から重要視されされており、自然農法の福岡正信もこれを果樹園に植えることを薦めています。いわゆる肥料木です。石油減耗時代にこれまでアブラに頼ってきた窒素をどこから調達するのか、そいういう歴史認識からしてもますます重要視される植物だろう。

もちろん、木としての有用性はいうまでもありません。天然のソーラーパネル(!)といわれるくらい、太陽光を栄養に代える力で木に優るものはありません。生きている間は木陰を作り、防風、防火の役割を果たし、棘のあるものは天然の柵になります。アカシアのなかには、先住民族のアボリジニが種を粉に挽いて食用にするものもある。

伐採してからは、建材や家具の用材になるし、燃料になる。

てなわけで、結論は、生態的な農業を営むなら、地元に生えるアカシアを観察し、使用目的にあうものを選びだし、移植したり、種をとって栽培し、必要とする場所に植える。または、使用目的から地元の気候にあいそうなものを選び、それを植える。ことが重要なのではないか。

って、そこまで考えた時、それなら、やっちゃおう。レポートを書くより、外に出て、アカシアを観察し、種を集めよう。そうやって集めて、すでに播いた種から芽が出て、育っている木を移植しよう。すでに移植した木の手入れをしよう。そっちのほうが重要だ。いま、知りたいのはほかにまだ、どんな種類があり、そのうち、どれがここの気候にあうのか。そういうことであり、アカシアの重要性を説くことでもなければ、それを誰かに納得させるためじゃない。

そこまで考えて、あっ、こりゃだめだ。そう思いました。腕の痛みも慣れぬことをやるものじゃない、そんな啓示かなって受け止めちゃう。やりたくもないことを我慢して過ごすのに人生は短すぎる。

一学期はともかく、次からはレベルが上がる、つまり、ちょっとの間辛抱したらってアドバイスをしてくれる人もいました。でも、その代償に過ごす退屈な時間が長過ぎる。我慢の代償が大きすぎる。


そんなわけで、とりあえず、大学は中退しました。

てなわけで学生は中断、また無職で自由人にもどり、あれやこれや思い悩み、試行錯誤を繰り返し、格闘、奮戦することにします。

あーあっ。

新刊のお知らせ/new release info

えーっと、去年書いた本が3月10日に発売されるそうです。
3月10日ってのは60年以上前になりますが、東京大空襲のあった日で、それについてラジオ・ドキュメンタリーを10年以上前に作ったんで、それなりに思い入れのある日付けです。

本は空襲にはほとんど関係なく、「人工社会」です。あんまり何のことか、分かりにくいかもしれないので、下記にちょいと紹介しておきます。機会があれば近所の本屋や図書館でぱらぱらして、感想や御意見をお聞かせ下さい。

また、これに興味を持って、紙や電波、ウエッブサイトにブログなどの媒体で紹介していただける方はご連絡下さい。何冊か、宣伝/書評用があるはずです。

てなわけで、ここより宣伝。

人間は社会の中に生まれ落とされます。それはたいていの場合、なし崩しになんとはなしに出来上がった社会の場合がほとんどです。都市計画なんてのはバンドエイド、応急処置な場合がほとんど、社会のデザインも後追いビートになりがちです。

これとは反対にある種の計画、理念、意図を持って作られる社会があります。人工社会です。人類「最初」の出来合いの社会の枠の外に共同生活を始める実験は、哲学者ピタゴラスが南イタリアで紀元前525年に作ったホマコエイオン(Homakoeion)という社会だとされています。主知主義、神秘主義を唱え、男女の平等と菜食主義が特徴のコミューンだったそうです。同じころ、インドでは仏の教えに従う人たちが出来合いの「世俗」を離れ、アシュラムに集い、修業しながら共同生活をおくるようになります。紀元前2世紀には 禁欲と財産共有を特色とするユダヤ教の一派、エッセネ派の共同社会が死海周辺地域で生まれ、その後各地に似たような宗教的な共同社会が生まれる走りとなります。最近では60年代の終わりから70年代にかけて、対抗文化とかヒッピーの流れで、あちこちにコミューンと呼ばれる共同体社会が生まれました。こうした人工社会、最近ではインテンショナル・コミュニティ(意図的な社会)とひとくくりされ、あちこちで集落が生まれ、議論が深まってきています。

オーストラリアは「先進国」のひとつで、ここ数年、周囲の心配を他所にそれなりの経済成長を続けてきた。たしかに周りを見回すと、「便利で豊か」な社会が広がっている。でも、それでみんな幸せになったのかと、ひと皮めくってみると、「ここではないどこか」に理想郷を待望する気分が広く社会に充満していて驚いてしまう。裕福で便利な社会ではない、「別な場所」や共同体を待望する空気が社会の底を流れている。徴候はあちこちにあり、出来合いの産業化社会への代替、対抗として意図的なコミュニティがあちこちで生まれている。エコ・ビレッジだったり、コハウジングだったり、コミューンだったり。オーストラリアのあちこちで人工社会の実験が進んでいます。

エコハ・ビレッジは本当に環境負荷の少ない社会であり、21世紀の社会一般のモデルとなりうるものなのか。パーマカルチャー式なエコビレッジって、どんなものなのか。コハウジングの現場は隣人同士が面倒を見合う昔ながらの価値を備えた社会なのか。個人の自由、共同社会の利益の境目はどこに引かれるべきなのか。共同社会の意志決定過程はどれ程「民主的」なのか。これらの試みは所詮、中産階級の現実逃避主義で、何年かしたら失敗せざるを得ないものなのか。失敗したら投げだせばいい、無い物ねだりの空想主義なのか。これらの小規模社会での実験が社会全体に適用できるものなのか。一般社会はこれらの共同社会をどうとらえているのか。理想社会の主義主張と相容れない「他者」との折り合いはどうつけるのか。これらの共同体暮らしは時代に逆行するものなのか、それとも新世紀的な暮らしなのか。
などなど。

そんなこと、いろいろ調べているうち、それらの現場を訪ねてみたくなりました。

はっきりとした答えはどこにも見つからないかも知れません。その一方で、自分の波長に合う場所が見つかれば、そこに引っ越しても構わないと思う。今暮らす場所は悪くはないが、自宅の裏の墓場にホネを埋めようと思うほどの入れ込みも未練もない。また、ふらふらとどこかへ流れていくのもそれはそれで、いいんじゃないかと思う。

実験の現場や、夢の轍の跡を訪ね、他人と一緒に暮らすことについて考え、その実体がどんなものか考えてみる。理想と現実、計画と現実の間にはどのくらいのギャップがあるのだろうか。

てな視点、気分で、各地に現存する共同体や理想郷、そして史跡を訪ね、ユートピアとの距離を探り、垣間見える現代オーストラリア社会を素描した私的な旅行記です。

2006年3月 2日

米軍は世界最大の石油消費者/the World's biggest user.

アメリカの人口が5%なのに、世界で生産される石油の1/4を消費している、ってことは以前から指摘されている。ブッシュ大統領が一般教書演説で「石油中毒」と表現した状態だ。

中毒者ってのはいろいろ見てきているし、自分でも中毒症状について、少しは経験がある。ヤクやブツを手に入れるためなら、なりふりかまわずになるのが中毒症状。それがもっとも重要なことになる。アメリカの石油(プラス天然ガス)中毒の先兵である米軍が世界一の石油消費者であること、すっかり油漬けであること示す記事が2月26日付けのSohbet Karbuzのブログに載っているので、下記に訳出します。

しかし、米軍もここまで油漬けだと、石油減耗の時代には社会一般同様、おろおろせざるを得ないってことで、オキナワ、中東などで噴出する防衛問題や軍事問題を理解するにもオイルピークという時代背景から読み込む必要があるのではないか、そんな気がします。はい。


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米軍の石油消費

原題:The US military Oil Consumption
by Sohbet Karbuz
原文

●国内だけでなく世界中の役所のなかで、もっとも大量の石油を消費するのは米国防省

「軍の燃料消費のおかげで、国防省は国内随一、最大の石油の消費者である」[1]
「航空機、軍艦、軍事車両や軍事施設のおかげで、国防省は国内でもずば抜けた最大の石油消費者だ」[2]
米軍の防衛エネルギー支援センター(DESC)の2004年版ファクトブック(Defense Energy Support Center Fact Book 2004)によれば、2004年度に軍が使用したエネルギーは1億4400万バレルに増加した。これは平時の平均使用量をおよそ4000万バレル上回る。

ところで、1億4400万バレルというのは1日あたりにすると39万5千バレル、つまり、ギリシャのエネルギー消費にほぼ匹敵する。

●米軍は、世界最大の石油の購入者

防衛兵站庁(Defense Logistic Agency)の広報誌、ディメンションズの1999年年鑑版によれば、DESCは「軽油製品の世界最大の購入者です。DESCは35億ドルの年間予算で、毎年、ほぼ1億バレルの石油製品を購入します。これだけあれば1,000台の車が地球を4620周することができます」。

予算は、それから数年のあいだにかなり膨張した。2004年度、国防省がエネルギーの購入に使った金額は82億ドルに上る。

「2005年度に、DESCは85億ドルの予算で、およそ1億2800万バレルの燃料を買う予定です。国防省の購入する石油製品のほぼ70パーセントを占めるのはジェット燃料だ」とG. J.ギルモアは米軍情報サービス(American Forces InformationService News Article)に書いている。[3]

これでもまだ足りないという者もいる。国防次官オフィスからの報告書は次のように述べた。「国防省の石油消費は、国策の中でももっとも優先度の高い事項によるものであり、国防省への燃料供給に対し根本的な制限がつけられるということは、これから何十年も、ありえることではない」[4]

●米軍兵士は、これまで戦場に立ったどんな兵士より高エネルギー消費

「軍の計算によれば、イラクにおける3週間の戦闘で、4000万ガロンの燃料が消費された。それは、第一次世界大戦において連合軍が4年間に消費したガソリンの量に匹敵する」[1]

アトランティック・マンスリー誌2005年5月号の記事で、ロバート・ブライスは比較をもうひとつ挙げている。「パットン将軍指揮下の第三軍は、兵隊がおよそ40万人で、1日あたり、およそ 40万ガロンのガソリンを消費した。今日、ペンタゴンがイラクに展開する兵隊の数はその約1/3だが、1日あたりの燃料消費はその4倍以上にのぼる」。


●米軍の海外における石油消費と世界の石油需要

防衛兵站庁のウェブサイトによると、2005年11月現在で、「不朽の自由作戦」(2001年10月にアフガニスタンで始まる対テロ戦)のために21億ガロン以上の燃料が使われた。

前掲のアトランティック・マンスリー誌の記事で、ロ バート・ブライスは「米軍は、現在イラクで1日につきおよそ170万ガロンの燃料を使っている。150,000人の兵士ひとりひとりが、毎日毎日、およそ9ガロンの燃料を消費していることになる。そして、その数字は上昇中だ」と書いている。つまり、毎日毎日、4万バレルの石油がイラクで米軍によって消費されているということになる。

ちょっと待てよ、この数字にはおかしなところがある。防衛兵站庁のスポークスマン、ラナ・ハンプトンの数字と比較してみよう。米軍情報サービス(AmericanForces Information Service News Article)への寄稿でハンプトンは、アフガニスタン、イラクその他での活動を継続するため、米軍は毎月1000万から1100万バレルの燃料を使用していると書いている。一日あたりに換算すると、33万から
36万バレルということになる。

これは、湾岸戦争において使われた石油の倍以上の量だ。

ランド・コーポレーションの報告によれば、「1990年8月10日から1991年5月31日にかけて行われた砂漠の盾、砂漠の嵐作戦で、米中央軍が消費した燃料は18億8000万ガロンだった」[5]。すなわち4480万バレル、一日あたりに換算すると15万バレルを使ったことになる。砂漠の盾、砂漠の嵐作戦が295日だったことに留意せよ。

さらに、「砂漠の盾、砂漠の嵐作戦の間、バーレーン、エジプト、オマーンとカタールは供給した石油に支払いを求めたが、サウジアラビアとUAEは(15億ガロン)を無償で供給した」と、ランド・コーポレーションの報告書は付け加えている。

サウジアラビアとUAEは、その石油を輸出として処理したのだろうか。米国は輸入として報告したのだろうか。それは、サウジアラビアとUAEでは、国内消費として計算されたのだろうか。それとも米国の消費と勘定されたのだろうか。

残念ながら、それら質問の答えはすべて、いいえ、だ。

それだけの量がたしかに生産されたはずなのに。

国際的な石油統計に関する私の経験からすると、国外に展開する米軍の石油消費は「世界の需要量」の中に消えてしまうようだ。ということは、世界の需要は少なくとも、その分だけ過小に見積もられていることになる。

一日およそ35万バレルの石油がうやむやに見過ごされてしまうことは、重要なことだろうか。


[1] Presentation by American Petroleum Institute President and CEO Red
Cavaney held at the USAF/API Awards Banquet ミ Arlington, Virginia, July
15, 2004. See also National Defense Magazine article in 2002.

[2] E. C. Aldbridge and D. M. Etter testimony before the U.S. Senate
Armed Services Committee on June 5, 2001.

[3] American Forces Information Service News Article by G. J. Gilmore,
DoD Has Enough Petroleum Products for Anti-Terror War, August 11, 2005.
The article is posted also on DCmilitary

[4] More Capable Warfighting Through Reduced Fuel Burden, Office of the
Under Secretary of Defense for Acquisition, Technology and Logistics,
The Defense Science Board Task Force on Improving Fuel Efficiency of
Weapons Platforms, January 2001,

[5] J.P. Stucker, J.F. Schank and B. Dombey-Moore, Assessment of DoD
Fuel Standardisation Policies, Rand Corporation, 1994.

Profile

リック・タナカ(Rick Tanaka)

-----<経歴>-----

信州松本出身。
1980年、シドニーに漂着。
大学中退後、ラジオやテレビ、ウエッブ、雑誌、ニューズレターなどで執筆、制作、コンテンツ制作、翻訳/通訳、音楽マネージメントなどで活動。
1997年、それまで15年暮らしたシドニーから標高千メートルの高原の町カトゥーンバに引っ越し、執筆・メディア活動と並行しながら、消費を抑え生産する楽農生活に突入する。
2007年、大陸の東南に浮かぶ島にある人口300人の村に移住、オイル・ピークと環境ゲテモノ化時代に備える暮らし、近隣社会の構築を模索中。

BookMarks

-----<訳書>-----


『未来のシナリオ』
2010年12月、農文協

-----<著書>-----


『人工社会』
2006年3月、幻冬舎


『楽農パラダイス』
2003年、東京書籍


『おもしろ大陸オーストラリア』
2000年、光文社知恵の森文庫

-----<共著>-----


『Okinawa Dreams Ok』
1997年、Die Gestalten Verlag


『Higher than Heaven:Japan, war and everything』
1995年、Private Guy International

-----<訳書>-----


『沖縄ポップカルチャー』
2000年7月、東京書籍

『首相暗殺』
ロバート・カッツ著、集英社

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