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2006年1月31日

ハマス勝利の意味/A Vote for Clarity

パレスチナ評議会の選挙は予想された通りハマスの勝利に終わりました。「国際社会」の反応はいろいろ報道されている通りですが、オーストラリアではハワード首相が持ち前の従米ぶりを発揮し、ハマスの武装解除、イスラエル承認を求めています。しかし、「国際社会」はイスラエルにたいしてはその行動を改めろとは一言も言いません。

この選挙はどんな意味があるのか、紛争の根底に何があるのか、ハマスがイスラエルを承認することで何かが解決するのか。下記に、エレクトロニック・インティファーダの共同設立人、アリ・アブニマーの分析を訳出します。

なお、最近公開された映画「ルート181」を素材に、そこに「登場する人物たちやその発言から、パレスチナ・イスラエルに横たわっている複雑な問題」を解説する新しいウエッブサイトができました。ルート181から読みとくパレスチナとイスラエルがそれ。「ためらいの言葉や、激高、嘆息の背後にあることを、明るみにだそうとする試み」で、「時間と空間を旅し、この両者の間にある問題を一回洗いざらいにして」います。今回の選挙の結果の底に横たわる現代社会の暗部を照射する渾身のウエッブサイトです。必見の力作。

ーーーーー
Hamas Election Victory: A Vote for Clarity
ハマスの選挙勝利:明晰さを求めた投票


アリ・アブニマー(Ali Abunimah)
エレクトロニック・インティファーダ
2006年1月26日

パレスチナ自治政府評議会選挙におけるハマスの勝利に、誰もが「これからどうなるんだ」と口にする。それにたいする答え、そして、選挙の結果が良かったのか悪かったのか、その判断は誰がその疑問を差し挟んでいるのかによって大きく左右される。

ハマス勝利は予想されてはいたが、勝利の規模は、広く言われるように、「衝撃的」だ。ハマスの劇的な勝因はいくつかあげられるが、パレスチナ運動において何十年も支配的な立場にあり、傲慢にも、自ら、議論の余地のない、正統な指導者とみなすようになったファタハの腐敗、シニシズム、戦略の欠如に対して有権者が幻滅を抱き、嫌気がさしていたこともそのひとつだ。

しかし、選挙の結果はまったくの驚きではなく、最近の出来事がすでに暗示していた。たとえばヨルダン川西岸地区の北部のカルキリア市だ。イスラエルの入植植民地に取り囲まれていたが、コンクリート製の隔離壁に包囲が完成し、カルキリアの5万人の住民はイスラエルが管理する巨大なスラムの囚人にされてしまった。カルキリアの市議会は長い間ファタハの牙城だったが、壁の完成後、昨年行われた市議会選挙で有権者はすべての議席をハマスに与えたのだ。この「カルキリア効果」が占領地全域に波及し、伝えられるところによれば、ハマスは選挙区から選ばれる議席を実質的に独占したようだ。だから、ハマスの勝利は、屈服を強要するイスラエルの努力に対するパレスチナ人の抵抗の決意の表明であり、ファタハに対する不信任なのだ。紛争とは占領と抵抗なのだ、ハマスの勝利は紛争の原点をあぶり出す。

占領下のパレスチナ人にとって、ハマスの勝利がどんな意味をもつのか、まだはっきりしない。選挙の結果に基づき、パレスチナ「政府」が組閣される、というように、まるでパレスチナがすでに独立した主権国家であるかのように扱うことが現在では広く行われている。しかし、政府の最低の義務が国民の生命、自由、財産を保護することにあるならば、パレスチナ自治政府はこれまで、とうてい政府と呼べるような代物ではない。自治政府は誕生した時から、イスラ エル軍が自分達の町のまん中や難民キャンプで行う日常茶飯な殺傷からパレスチナ人を守れなかったし、入植者の植民地として押収される土地を1ドゥナム(訳注:土地の単位、約1000平方メートル)さえ守れなかったし、過去10年、イスラエルが根こそぎにした100万本以上の木の苗木ひとつすら守ることはできなかった。むしろ、パレスチナ自治政府は、パレスチナの抵抗を押しつぶし、占領地域におけるイスラエルの植民地化を恒久化し、安全にするためにイスラエルの肝煎りで作られたのだ。ハマスが自治政府がそんな形で続くことを許さないことは確実だが、イスラエルに対する抵抗運動の一部に変換することができるかどうか、それは定かではない。ハマスはイスラエルに対する一方的な休戦をこの1年間守ってきたが、イスラエル側が休戦に合意するなら、それを継続する意志を示している。優位に立つハマスは、明らかに、そのような申し込みが可能だと信じており、戦術的にも全面的な武装抵抗を再開する時期や方法をはっきりしないでおくほうが有利なことを知っている。

ファタハの影響下にあるパレスチナ自治政府の保安部隊のなかには、ハマスが率いる政府に従おうとしないものがいるかもしれない。自治政府の中に残る数少ない組織が崩壊し、民兵組織に分割されることも予想される。選挙の結果を尊重しないと公言するイスラエルやアメリカは、そのような内部対立を助長することに興味を示すかもしれない。イスラエルは、ハマスの勝利を口実に、これまで以上の抑圧をおこない、西岸地区では、できるだけ多くの土地をできるだけ少ないパレスチナ人人口で収奪するための壁の建設、入植植民地の建設に拍車がかかるだろう。そんな展開になれば、イスラエルとパレスチナのあいだで、暴力的な紛争が劇的にエスカレートする危険性がある。

パレスチナ人の多数は離散し難民や亡命者として暮らしているが、これらの人は紛争解決へのプロセスから次第に除外され、取り残されてきた。イラク人について、アメリカとその同盟国は、国連の援助のもとで、「国外の有権者」が選挙に参加できるよう驚異的な努力をしたにも関わらず、同じ勢力は、パレスチナ難民に声を与えることには関心を示さなかった。パレスチナ難民のほとんどは、ファタハがイスラエルとの和平交渉の課程で自分達の権利を売り払うだろうと思っており、ファタハには、こういう人たちの参政を強く要求する理由はなかった。難民が人口の90パーセントを占めるガザで誕生したハマスが、これらの国外離散者の懸念に明瞭にこたえる政策をとりあげるのかどうか、それはまだわからない。

「国際社会」(と言っても、たいていの場合、それはアメリカ、欧州連合、ロシアとコフィ・アナン国連事務総長の4者のことを指す)にとって、選挙結果は大誤算だった。4者、そして、4者の知的なたわ言のほとんどを生み出す資金豊富なNGOやシンクタンクの一群は、イスラエルの占領を終結させるのではなく、パレスチナ人を「更生する」ことで紛争を解決しようとするアプローチを築き上げてきた。これらの勢力は名目上ニ国家制による解決を約束しながら、イスラエルにたいしては土地の没収や植民地の拡大を止めるように圧力をかけるでもなく、その一方で、ファタハ率いるパレスチナ自治政府を終りのないゲームに引きずり込み、パレスチナ人は自分達が基本的人権を与えられるに相応しいことを証明するためになんでもやらなければならないようにしむけた。この和平交渉産業は昨夏、イスラエルがガザから8000人の入植者を撤退させた時、その戦術を歓迎し、イスラエルが西岸地区にこれまで以上の数の入植者を送り込み、実質的にニ国家制による解決を不可能にしていることについては沈黙した。

このゲームの主な目的は、公正で長続きする平和をもたらすことではなく、4者は地域にとっても世界にとってもたえることのない懸念の的である紛争の解決に何もしていない、という嫌疑に対し予防線を張っておくことだけだ。この4者が真の平和を目指すなら、イスラエルに面と向かい、責任のある行動をとらせることができるが、それをやるだけの政治的な意志に欠けている。ファタハはそのゲームにおいて、囚人であると同時に不可欠なパートナーであり、共犯者であったことはまったく疑いがない。そうでなければ、なぜ、アメリカはここ数ヵ月のあいだにいくつものプロジェク トに何百万ドルも使い、票を金で買うようなことまでして、必死にファタハを支えようとしたのか?また、なぜ、欧州連合は、パレスチナ人がハマスに投票するならば援助を止めると脅迫したのだろうか?ほとんどのパレスチナ人は、交渉に次ぐ交渉、何億ドルもの対外援助にもかかわらず、これまでにない規模の土地が収奪され、自分達が以前にもまして貧しくなり、自由でなくなったことを身をもって知っている。この手の贈収賄と恐喝がパレスチナ人にはまったくきかず、むしろ、逆効果になり、ハマス支持を増やしたのだ。

ハマスの勝利は、紛争の責任をイスラエルの植民地化からパレスチナ内部の病理にそらそうとする企みを根底から覆すものだ。しかし、和平交渉産業は簡単にはあきらめず、今度はハマスに向け「責任のある」行動をとれ、立場を「やわらげろ」と呼び掛ける。それはすべての抵抗をやめ、これまでファタハによって演じられてきたおとなしい共犯者の役を引き受けろということにほかならない。

アメリカはすぐに「イスラエルの承認」をハマスに突き付けたが、それは時計の針を25年戻すようなものだ。当時、PLOを無視して和平交渉から閉め出すための口実として、まったく同じ要求が使われたのだ。しかし、ハマスが見てきたように、PLOはこれらの要求をすべて飲んだのに、イスラエルの占領はすこしも緩まず、アメリカのイスラエル支援も少しも減っていない。ハマスがアメリカの要求を飲むことはまずなさそうで、もし仮にハマスが飲んだとしても、それは多分、占領により悪化する現場の状況に応える新しい抵抗グループを生み出すだけだろう。

2006年1月30日

風の吹くまま/Where streams of whiskey are flowing

1年の計なんて言いながら、農業を学ぼうかなって大学に願書出したら通ってしまった。「エコロジカルな農業」って3年間のコース。「エコロジカルな農業」って「持続可能な発展」と同じくらい、形容矛盾がありそうな気もしますが、まあ、こちらで農業と言うと商業的、工業的な大規模農業を指すんで、それとの対比かなってくらいに受け取ってます。

最後に大学に通ったのは今から20なん年以上前のことなのでちょっと戸惑いがあります。ざ・こもんずのブログで金平さんが最近RCサクセションの久保講堂の録音盤のことを書いてましたが、そのころから通い始めました。RCサクセションは思い出のあるバンドで、久保講堂をやる前かその前の月、渋谷にあった屋根裏というライブハウスで何日間か連続でライブを見に行ったことを憶えています。めちゃくちゃ熱い演奏を反芻しながらシドニーの大学に通い出したのでした。

そう言えば、やはり、ざ・こもんずのブログで高野さんが言及してたアナーキーのデビュー盤を聞いたのも大学に通っている頃で、その頃シドニーで始めたラジオ番組のオープニング・タイトルに「トーキョーズ・バーニング」(ザ・クラッシュの「ロンドンズ・バーニング」のカバー)を使いました。ちなみに、「トーキョーズ・バーニング」という語彙は、95年、終戦50年の節目に東京大空襲を扱うラジオ番組を作った時には、もろタイトルで使わせてもらいました。イタリアの国営放送、RAIのドキュメンタリー賞か何かとったほど気合いを入れた番組でした。

その時は、やりたい科目がなくなり、音楽マネージメントや報道に興味が移っていき、結局卒業しませんでした。今度も、あまり卒業は意識していません。学びたい科目がなくなったり、ほかにおもしろいことが出てくれば、さっさとやめるつもり。

それはともかく。

昨日、大学に出頭してきました。学校は、ここからさらに西へ2、3時間ほどのところ、オレンジという町のはずれにあります。シドニーからは250キロくらい離れた地方都市の北のはずれにあります。もともとは農学校としてスタートしたこじんまりとした学校で、現在は別な地方都市に本拠のある大学の分校のようなもので、学生総数は400人程度。この前通った大学は、この国で一ニを争う規模だったので、それとくらべると、ちいさなな技術訓練校のようです。自分と同じコースを受講する学生の数はなんと6人。そんな数でちゃんとしたコースになるのかいなって、いらぬ心配をしてしまうくらいです。

授業は来月半ばから始まりますが、授業やら何やらが週4日、5日となると、ここから通うわけにもいかず、単身赴任で週末に帰宅ってな生活パターンを考えてます。まあ、前の大学に日本から到着したその足で最初に出頭した時、言葉もろくにしゃべれず、やる科目を決めたり、住むところを確保したり、とにかく大変だったことに比べりゃ、どうってことないかな。なんて気でいます。でも、あの時は、持ち物といってもスーツケースひとつだけで、どこでも安くて転がり込めるところがあればよかったんですが、それなりに歳をくい、あれやこれや、住まいを選ぶ基準もただ、安けりゃいい、どこでもいいってわけにはいきません。

今、検討しているオプションは大きく分けて三つ。ひとつは大学からクルマで1時間半くらいのところに所有する農場から通うこと。10年ほど前に「いずれ」ってな気分で購入した35ヘクタールほどの農場があります。農場と言っても、去年、友人と建てた掘建て小屋(アウトポスト)があるだけ。雨露はしのげますが、水も下水も電気も電話もなし。なのでそれなりの覚悟がいります。ブログの更新はさらに難しくなります。しかも、ここから通学するとなるとクルマがなければとても無理。家賃はかかりませんが、まず、クルマを買わなければならない。しかも時間とガソリンがかなりかかるオプションです。

ふたつ目はアパートなどを借りることですが、調べてみるとオレンジの家賃は地方都市のくせに結構一人前なので、学生などと一軒、家を借りるシェアハウスになるでしょう。家賃や光熱費はかかるが、交通手段は自転車が使えるし、いろいろなものをシェアすれば環境的なコストは低くなるオプションです。ただ、若い連中と顔を突き合わせて暮らしていけるかどうか。シェアハウスは気のあうやつが見つかればそれなりに楽しいものですが、それなりに面倒臭い部分もある。

もうひとつのオプションは学校の寮。家賃には光熱費も含まれ、環境コスト/経済コストはこれが一番低く、しかも、時間の無駄がないオプション。学生寮というのには、信州から東京に初めて出た時、6ヶ月ほど住んだことがありますが、あんまり馴染めなかった記憶があります。生意気で、あれこれ言われるのが嫌な質なのか、とにかく、そこから出て行きたくてたまらなかった。もちろん、そのころよりは共同生活について修行を積んできたので、あの頃のようなことはないと思いますが、それでも心配。

気持ち的にはふたつ目と三つ目のオプションに傾いています。クルマ社会といわれるオーストラリアで、もう15年以上クルマを所有せずにやってきて、できればこれからもクルマと関わりたくない。これまで、うまいことにクルマ持ちの相棒とひっついたから自分個人でクルマを所有しなかっただけで、それなりに、クルマには世話になってはきたが、これからの石油減耗時代のことを考えると、クルマとは関わりたくない。

最近とても勇気づけられているブログのひとつにサイクルロード(千里の自転車道も一ブログから)があります。cycleroadさんが自転車のりの視点から現代社会を斬るブログです。毎日このブログを読んでいると、そうだ、自転車だって気がどんどんしてきます。

それで、交通手段については、うちからカトゥーンバの駅まで自転車で行き、自転車ごと電車に乗ってオレンジへ、そして、そこからまた自転車という形がいいかなって気になり始めました。こちらでは、よっぽどの混雑時でない限り、電車に自転車と一緒に乗る人を普通に見かけます。オイル・ピーク後の石油減耗時代の交通手段として、自転車と電車のコンビネーションはまずまずだろうと。

もっとも、ここから直通の電車は日に上り下りがそれぞれ1本だけで、あとは途中からバスになるので、自転車は運べるのだろうか、そう思って確認の電話を入れてみました。すると、ここからオレンジへ行く直通電車はスペースが狭いので、ばらして貨物扱いになり、子供料金が必要だとのこと。バス便も同様とのこと。うーん。そうなるとなあ。クルマとかかわりを持つオプションも再浮上しています。

てなわけで、あと2週間もすれば授業が始まるってのに、まだ、住むところは決まっていない。

でもまあ、ポーグス流に言えば、

行くぞ、どこまでも
風が吹くまま
行くぞ、どこまでも
酒が脈々と流れるところなら、どこへでも

ということで、あまり、真剣にはとらえてませんが。
はてさて、どうなることやら。

2006年1月24日

民主主義の幻想/Illusion of democracy

明日に投票が迫ったパレスチナの選挙について、UCLAで英語と比較文学を教えるサリー・マクディシ教授がエレクトロニック・インティファーダに寄稿した記事、「民主主義の幻想」を訳出します。急いで訳したので、いろいろおかしなところがあるかも知れません。御指摘下さい。投票に至るまでの選挙戦や背景、その他パレスチナの現状についてはp-navi infoを御覧下さい。

民主主義の幻想

サリー・マクディシ
エレクトロニック・インティファーダ/2006年1月23日
http://electronicintifada.net/v2/article4411.shtml


投票を許される者のおよそ80パーセントが登録し、パレスチナ議会、132の議席に700人以上 の候補者が立つ激しい選挙戦が展開され、これで水曜日に占領下のパレスチナ人が投票にでかければ、あたかも民主主義が機能していると印象付けるお膳立ては整いつつある。

しかし、まったくバラ色ってわけでもない。

ひとつには、ハマスの候補者が、ライバルでパレスチナ自治政府のマフムド・アッバス議長の与党、ファタハに対し、重要な勝利を収めようとしていることだ。アメリカと欧州連合はパレスチナ自治政府に対し、もし投票の結果、ハマスが入閣するようなことがあれば援助を差し止める脅迫した。そして、イスラエルは、ハマスの参加する政権は相手にしないことを言明している。

ハマスへの高い支持は、パレスチナ人がハマスのかかげるイデオロギーや乱暴なやり方を支持しているということではなく、39年に及ぶイスラエルの軍事占領に辟易とし、ファタハの主導の指導部が、1993年ののオスロ合意で約束された平和と繁栄をひとつももたらしていないことに我慢がならないからだ。

和平交渉が頂点の時でさえ、ヨルダン川西岸地域のうち、パレスチナ人の配下に戻されたのは18パーセント未満だった。そして、それすらも、つながりのない何十の小さな破片に分割されていた。それはファタハの誤りではなく、むしろ、条約義務と国際法の原理を守ろうとせず、占領を止めようとしないイスラエルの責任だ。

しかし、アッバスなどのファタハ指導者は、パレスチナの人々を麻痺させ、惨めさに突き落とすだけのプロセスへの参加に固執し、どんな代案も認めようとしない。こんな状況だから、反ファタハ票はハマスへ流れるのだ。

これは、絶望が生み出した政治的なシニシズムだ。

どの指導者をもっとも信頼するかと尋ねられると、「上記以外」を選ぶパレスチナ人がアッバス支持者の倍以上にもなる。アッバスは一番信頼されているのにもかかわらず。世論調査によれば、もとのパレスチナにイスラム国家建設をかかげるハマスの目的を支持するものは、占領地域に暮らすパレスチナ人の3パーセント足らずに過ぎない。イスラエルとの紛争に、一国家もしくはニ国家制で、平和的な解決を求める人間が3/4を占める。

選挙に関する話はどれも、非常に異常な状況を常態だと感じさせようとするものだ。普通の状態だとされてしまうのは、恒久化する占領だけではない。パレスチナの人々の未来はいまだに定まっていない。そして、2/3のパレスチナ人は占領地を逃れ、難民 キャンプや、国外に離散するか、イスラエルで二等市民として暮らしているため、選挙から締め出されている。この状況はどれも、選挙によっては変わらない。

国民のほとんどに投票権がないという状態で、いったいどんな「国政」選挙が可能なのかという疑問は置くとしても、軍事占領下で生きる人たちは、投票は許されてはいるものの、選挙の課程自体にもいろいろ、問題ばかりだ。

イスラエル軍は占領地区のパレスチナ人に移動の自由を認めておらず、集会どころか投票所へ出かけることさえ、当たり前に許されてはいない。現在、たとえば、西岸地域北部に暮らす80万人のパレスチナ人は自分達の地区から外に出ることを禁止されている。西岸地区の動脈であるルート60のほとんどは、去年の8月以来、パレスチナ人には立入禁止だ。

選挙運動にあたっても、立候補者はイスラエルのチェックポイントやパトロール、ロードブロックにいつも通り苦労させられる。そればかりでなく、昨年の大統領選挙の際、 イスラエルが支持するアッバスだけに行動の自由が与えられたような、政治的な動機に基づく干渉行為のなかを、かき分けなければならない。対立候補は、イスラエルの チェックポイントでしばしば拘留され、肉体的な虐待にさらされることもあった。

イスラエルは最近になって、東エルサレムに暮らすパレスチナ人に投票許可を与えたが、ハマスの候補がそこで選挙運動をしたり、そこの投票用紙にハマスの候補を載せることは禁止したままだ。

もちろん、国際法に従えば東エルサレムは占領地域と見なされており、そもそも、投票を許したり、パレスチナ人が政治的なプロセスに参加することを禁じたり、イスラエルの決めることではない。

全体的に、この選挙を本物の民主的な選挙だと見なすことはとてもできない。パレスチナ人がそれを望んでいないのではない。しかし、人口の1/3が軍事占領下に暮らし、そして残り2/3は投票権が与えられないという状況では、本物の国政選挙の実行は不可能だという忘れてはならない事実、そういうまわりの状況があるからだ。

とは言っても、選ばれても治める国がない政府を選ぶ選挙にまったく目的がないわけではない。やがてパレスチナ人の「国家」建設に至る政治的なプロセスは可能だとする幻想を維持すること、それがこの選挙の目的だ。選挙は、オスロ合意以来、アメリカとイスラエルが押し進め、パレスチナ自治政府が黙認する壮大な作り話、「パレスチナ人による国のない国家」に適合するものだ。

水曜日に投票される選挙はこの虚構をささえるもので、いわゆる和平交渉の将来の鍵をにぎるパレスチナの「改革」と「民主化」というプロセスの一部であるという感覚を補完するものだ。

どっちにしたところで、アメリカは、和平のプロセスはイスラエル人ではなく、すべてパレスチナ人の肩にかかっていると決めたのだ。軍事占領を黙認し、その一方で、占領下に暮らすことをはなっから望みもしなかった人たちに、そんな重荷を背負わせたところで、たぶん、まっとうな結果は出てこないだろう。

しかし、まっとうな結果なんて、最初からどうでもいいんだ。だから、イスラエルのアリエル・シャロン首相のアドバイザー、ドン・ウェイスグラスはこの状況を指して「ホルマリンの瓶」と表現したんだ。ウェイスグラスによれば、政治的プロセスの幻想を維持すれば、「パレスチナ人がフィンランド人に変わるまで」対立は解決しないことを保証する。それは、もちろん、イスラエルにとって好都合だ。この幻想が維持されるかぎり、何もしなくても、1967年に力ずくでもぎ取った地域にしがみついていられるからだ。

2006年1月23日

近代社会は未来人を排除する/Don't send me roses.

友人から現在大阪で進行中の「街の美化」について教えてもらった。今年5月から開催される「世界バラ会議大阪大会」のため、市内の公園で野宿している人たちを追い出しにかかっているそうだ。下記に詳細の書いてある「失業と野宿を考える実行委員会」のビラを転載します。大好きなブログのひとつ、p-navi infoもいろいろな角度から問題点を指摘していますので、御覧下さい。

こういう司法、行政一丸となった「街の美化」が行われるのは何も日本に限ったことじゃない。バルセロナでもシドニーでも長野でもオリンピックの前に野宿者が掃除された。近代文明は数百年前から先住民族を追い立てたように、「国際的なイベント」を口実にして、今、未来人たちを追い立てにかかっているようだ。

昨年の愛知万博の前には名古屋の白川公園で野宿していた人たちが、追い出された。7人を追い出すために動員された人間は600人。凄まじい暴力だと思う。この時追い出しにあたった職員に配付された手引書が「行政代執行とはなにか/
「軍務拒否」の呼びかけ」 (釜パトブログ)
で閲覧できる。役所仕事の有無を言わせぬ徹底的なすさまじさがよくわかる資料だ。

実際、行政代執行による強制排除手続きの現場に出る役人や警官、雇われガードマンたちはたぶん「自分は言われた仕事をやっているだけです」とかなんとか言うに違いない。なんともなさけない。想像力も、自発的な意識のかけらもない。石油減耗、気象変動という大変動時代には、とても頼りになんかできない輩ばかりだ。

「地球博」では環境だとか持続可能性なんて言葉が乱発された。すでに持続可能な暮らし方へとシフトダウンを終えている住人を追い立てて開催された「地球博」ってのは滑稽だと思う。

持続可能な社会については、それ自体がゴールだと考えている人もいるようだが、持続可能な社会なんて、ほおっておいてもやってくる。好むと好まざるに関わらず到達する必然だ。何もしなくても、いずれ、エネルギー減耗時代の果てに降り立つ地点は、持続可能な社会だ。問題はそれがどんな形をとるか、ということだ。未来人を追い出すお役所になんか、任せっきりにしていたら、こっぴどい目にあいそうだ。

なんて思ってたら、ホームレス生活の豊かさを綴るホームレス文化というブログに出会った。みずから公園に移り住み、野宿者相手にカフェを開くisourou1さんが野宿しながら書いている。その中の一節を引用する。

「 ホームレスの生活を壊して、一般的な生活に当てはめて、問題解決というのは、逆ではないかと思う。むしろ、このホームレスの暮らし方、コミュニティのあり方に学んでこそ、一般的な生活の問題が解決されうるのではないか。スローライフ、エコロジー、共生、というのは掛け声だけなのか。ここにそんなことを口にする人はいないが、どれほど実践的か」

ホームレスや野宿者は意識的にか無意識にか、すでにエネルギー減耗時代へ向けて歩み出している未来人だ。じゃかすか石油や原子力に頼る生活をしている連中よりずっと未来を先取りしている。エネルギー集約的な近代文明は、ガイアの視点からすればずっと好ましい暮らしをしていた先住民を追い立てたが、いままた、膨大なエネルギーを浪費して、未来人を追い立てにかかっている。

すでに「地球にやさしい」生活へダウンシフトした未来人たちから暮らしぶりを学び、彼らの営む「エコビレッジ」の実践から学ぶべきだと思う。

(転載開始)
2006年1月5日、大阪市西区の靱(うつぼ)公園・中央区の大阪城公園で暮らす約30名の野宿者に対し、大阪市は行政代執行による強制排除手続きを開始しました。

 当事者・支援者によるたびかさなる抗議行動にもかかわらず、大阪市は強硬な姿勢を崩さず、現時点では1月23日の戒告期限以降、数日以内にも強制排除が行われる可能性がきわめて高い状況です。

 もし行政代執行が行われれば、昨年1月24日に職員・ガードマン600名以上を動員して行われた名古屋・白川公園での排除につづき、ホームレス特措法施行後2回目(大阪では初)の強制排除となります。1月16日、仙台市も榴岡(つつじがおか)公園のテントに対し行政代執行の手続きを開始しており、今後暴力的排除が全国で繰り返されていくおそれがあります。

 ちょうど10年前、大きな社会的共感を生んだ新宿ダンボール村の強制撤去反対闘争以降、政府は国としての「ホームレス対策」を開始し、現在では自立支援センター・公園シェルターなどの施設(大阪・名古屋など各地)や、期間限定で低家賃アパートをあっせんする「ホームレス地域生活移行支援事業」(東京)などがつくられています。

 しかし、これらの施策は居住環境・条件などにおいて問題が多いほか、「自助努力」の名のもとに野宿の最大の原因である失業についての国の責任を隠蔽し(その背後には、市場原理と競争主義を至上のものとし、失業と貧困を世界中で拡大していく新自由主義グローバリゼーションがあります)、問題を「自己責任」として野宿者個人へと投げ返していく性格のものであり、とうてい根本的解決策たりえないものです。

 そしてこれら施策の主目的は「公園適正化」、つまり路上・テントからの野宿者一掃におかれ、施策を受け皿とした「排除の嵐」が特措法制定以降、まさに全国化しつつあるのです。

 このような状況に抗すべく、わたしたち「失業と野宿を考える実行委員会」はホームレス特措法制定の動きに反対する取り組みの中、大阪の野宿者運動体・支援団体により結成され、これまで活動をつづけてきました。

 わたしたちは、排除でも収容でもなく、野宿者・失業者に対する仕事の保障と生活保護の無差別適用を求めるとともに、失業によって野宿に追い込まれた人々が路上・公園で生きていく権利は、けっして奪われてはならないものであると考えます。

 昨年5月11日、扇町公園のテント村に住む山内さんは大阪市に対し、公園での住民登録をもとめる裁判を起こしました。たんに住民票の問題にかぎらず、「住所がない」ことにより野宿者が受けている差別を明らかにしていく取り組みとしてたたかわれたこの裁判の判決が、1月27日に大阪地裁で言い渡されます。(裁判の経緯・経過については以下をお読みください)
http://kamapat.seesaa.net/article/8036084.html

 今回、山内さんのたたかいについて報告するとともに、靱・大阪城での強制排除にともに反対し、路上・公園で生き抜いていく権利をも奪い去ろうとする行政に抗し、広く連帯を呼びかけていくための取り組みとして、以下の集会を企画しました。

 ぜひとも、多くの方の参加をお待ちしています。

======================
追い出し許すな!野宿者に生きる権利を!
靱・大阪城公園での強制排除反対/公園で住民登録を!山内さん裁判報告集会

2006年1月27日(金)14時30分?
エルおおさか5階視聴覚室にて
※同日、13時15分より大阪地方裁判所1007号法廷にて山内さん裁判判決。ぜひ傍聴を!

・原告の山内さん、永嶋弁護士より報告
・靱・大阪城公園の仲間より報告とアピール
・追い出し・排除とたたかう各地の仲間からの報告

<会場への行き方>
地下鉄谷町線・京阪電鉄「天満橋」駅から西へ300m
大阪市中央区北浜東3-14 tel: 06-6942-0001
地図:http://mic.e-osaka.ne.jp/l-osaka/access.htm

<問い合わせ>
釜ヶ崎パトロールの会
06-6374-2233/090-9700-0296
kamapat@infoseek.jp

<主催>
失業と野宿を考える実行委員会
06-6647-8278(TEL/FAX)
(釜ヶ崎医療連絡会議気付)

(転載終わり)

2006年1月22日

気候変動はすでに手遅れなのか/Too late to act?

地球はそれなりの意志を持つとするガイア説の言い出しっぺである環境科学者のラブロックの言説はずっと注目されてきました。1月16日付けの英国インデペンデント紙への寄稿では、人間が引き起こした気候変動はすでに戻れないところまできてしまったという絶望的な意見を述べています。非常に重大な警告を含む記事なので、「地球は長ければ10万年も続く熱病に患かろうとしている」と題された記事を下記に訳出します。
なお、温暖化、気象変動に関して、環境NGOでの経験豊富な小倉正さんが温暖化いろいろというブログで逐一、世界の動きを追っています。小倉さんは今回紹介したラブロックの意見について、科学者のメッセージはいかにあるべきかまた、環境NGOのメッセージはいかにあるべきか、そして、温暖化対策としての原発問題をどうとらえたらいいのか、などについて意見や感想を述べあうフォーラムも設置されています。

ラブロックの発言に絶望してしまうのか、それとも奮い立たされるのか。地球を熱病から救うため、食事のレベルや生活水準はどこまで落とす覚悟があるのか、など、何でも構いません。意見をおよせ下さい。間に合うのかどうか、行動のための討論を始めましょう。

ーーー
若い婦人警官が自分の仕事のもたらす使命感に大喜びしているところを想像してみてください。次に、その警官が、行方不明の子供が近くの森で殺されて見つかったと家族に告げなければならない場面を想像してください。任命されたばかりの若い医師でもいいでしょう。活発な腫瘍が転移して広がっていることが検査でわかったと患者に告げなければならない場面を想像してください。医者や警官なら、惨い真実を告げられて、なかには無為に否定しようとする人もいますが、たいていの人は威厳をもってそれを受け入れるということを承知しています。

反応がどうであれ、悪い知らせをもたらす任務に慣れてしまうということはめったになく、その任務をほとほと嫌悪する人もいます。私たちは死刑を宣告するすさまじい責任を裁判官から取り除きましたが、裁判官には、少なくとも、死刑を宣告することを道徳的に正当化することがしばしば許されていました。医者や警官には、義務から逃れる術がありません。

この文は、同じ理由で、これまででもっとも書きづらいものです。私のガイア論は地球がひとつの生物であるかのように振舞うということですが、生き物は何でもそうですが、健康なこともあれば、病気にかかるることもあります。ガイアのおかげで、私はこの惑星の医者を任じてきました。私は自分の任務を軽々しくは考えていません。そして、今、私自身、悪い知らせを告げなければなりません。

世界中にある気候観測所は病院における病理学研究室のようなもので、地球の健康状態を報告します。気候の専門家は、地球が重態であり、これから10万年続くかもしれない熱病にかかろうとしていると診断しています。私は地球家族の一員として、地球の親密な一部として、これを読んでいる人や文明が重大な危機にあることを告げなければなりません。

私たちの惑星は、動物と同じように、誕生から30億年以上のほとんどのあいだ、ほかの生物が住めるように自らの健康を保ってきました。運が悪いことに、私たちが汚染を始めたのは、ちょうど太陽が過熱する時代でした。ガイアは私たちのおかげで熱病にかかり、すぐに、状態が悪化して昏睡状態に陥ることでしょう。ガイアが熱病にかかって昏睡状態に陥ることは以前にもありましたが、その時は回復に10万年以上かかりました。これは私たちの責任であり、そのつけも私たちが払わなければなりません。21世紀が深まるに連れ、温帯では8℃、熱帯では5℃、気温が上がるでしょう。熱帯ではほとんどの土地が低木の薮と砂漠に変わり、すでに食料生産のために切り開かれている地表の4割の土地に加え、これらの土地は温度調節の用をなさなくなるでしょう。

奇妙なことですが、地球温暖化は、北半球のエアゾール汚染が日光を宇宙に向け反射するおかげで、抑制されています。しかし、この「グローバル・ディミング(地球漸暗化/薄暮化)」は一時的なものであり、数日のあいだに煙のようになくなってしまい、私たちは地球規模の温室の熱にさらされることでしょう。私たちは煙によってかろうじて冷やされた虚構の気候のなかに暮らしており、今世紀が終わるまでに10億人以上が死に、かろうじて我慢できる気候の残る北極圏で何組かのカップルがほそぼそと生き残っているだけでしょう。

地球が自らの気候や構成を調整することを理解せずに、人間は自分達にそれができるかのように勘違いし、自らの手でそれをやろうとするへまをしでかしました。そのおかげで、人間は自らを最もひどい奴隷制に突き落としました。地球のかじ取りを気取るなら、大気や海洋、地表を生物が住めるように保つ責任があります。それをガイアは人間にこれほど手酷く扱われるまで、私たちのために気前よくやってくれたことですが、人間の手には負えない任務であることがすぐにわかるでしょう。

それがどれほど不可能なことであるのか、自分自身の体温がどう調節され、血液の成分が調節されるのか、考えてみてください。腎臓疾患のある人は御存じのように、毎日毎日、水や塩、タンパク質の摂取の調整に砕身しなければなりません。透析による技術的な治療は助けにはなりますが、健常な腎臓の代わりにはなりません。


私の新刊、「ガイアの復讐」はこれらの考えを追求するものですが、科学が地球の本質を認識するのに何故こんなに時間がかかったのかと読者は疑問に思うかも知れません。その理由は、ダーウィンの提示した考え方が非常に優れており、しかも明確であり、それを理解するのにこれだけの時間がかかってしまったからだと思います。ダーウィンの時代には、大気と海洋の化学についてほとんど知られていませんでした。有機体は環境に順応すると同様に、まわりの環境を変えるのかどうか、彼の時代にはそんなことを疑う理由はほとんどなかったでしょう。もし当時、生命と環境の密接な関係が知られていれば、進化というものが有機体だけではなく、惑星の表面全体にも及ぶということをダーウィンは見抜いたに違いありません。そうであれば、私たちは地球をまるで生物のように見なしたはずで、自分達の腹を満たしたり、家の調度のためだけに、地球の皮膚である森林や海洋の生態系を使ったり、空気を汚すことはできないと悟ったかもかもしれません。それらの生態系は地球という生き物の一部であるから、手を触れないでおこう、そう本能的に悟ったかも知れません。

さて、私たちはどうしたらいいのでしょう。まず最初に、変化のすさまじいペースを自覚し、残された時間がほとんどないことを肝に命じなければなりません。そして、それぞれの社会や国は手に残された資源をうまく使って、文明を長もちさせる方法を探らなければなりません。文明というものはエネルギー集約的であり、スイッチをオフにすれば墜落してしまいます。ですから、動力に頼りながら降下していく安全策が必要になります。英国諸島についていえば、私たちは自分達だけのことではなく、人類すべてについて考えるのに慣れています。環境の変化はグローバルですが、その結果について、私たちはここ、イギリスで立ち向わなければなりません。

残念ながら、私たちの国はまるでひとつの大都会であるかのようにまで、都市化してしまい、農地や林はわずかな面積しか残されていません。我々の暮らしは世界との貿易に依存しています。しかし、気候変動のおかげで、食料や燃料を定期的に手に入れることはできなくなります。

私たちの食事のレベルを第二次世界大戦当時に落とせば、国民を養うだけの食料は生産できるでしょうが、バイオ燃料用だとか、風力発電用の土地が余分にあると考えるのは滑稽です。私どもは生き残るために最善をつくすでしょうが、悲しいことに、アメリカや経済発展途上の中国やインドなど、温暖化ガスの主な生産国が期限以内にそれを削減するとは思えません。最悪事態が起こり、生き残る者は物凄い気候に順応しなければならないでしょう。

恐らく最も悲しいことは、人間と同等かそれ以上のものをガイアも失うということです。野生の生命体や生態系が絶滅するだけでなく、人間の文明という貴重な資源も惑星は失います。人間はただ病原であるだけではありません。人間は知性とコミュニケーションを通し、惑星の神経系を成しています。私たちを通して、ガイアは宇宙から自分の姿を眺めることができ、宇宙における自分の場所を知り始めるのです。

人間は地球の疾患ではなく、地球の心であるべきです。私たちは人間のニーズや権利だけを考えるのをやめ、生きている惑星、地球を痛めつけてきたこと、ガイアとの和解が必要なことを勇気を持って直視するべきです。うちひしがれ、残虐な軍閥に率いられる烏合の衆になる前に、まだ交渉する力があるうちに、それをしなければなりません。特に、我々が肝に命じなければならないのは、人間は地球の一部であり、まさに地球が我々の家だということです。

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コメント
ガイアのラブロック博士、今回の記事、そして「ガイアの復讐」と題された2月2日発売の新著もたぶんそうだと思いますが、気候変動はすでにどうしようもないところまできてしまった、とかなり絶望的なトーンです。大雪に、大雨、旱魃、台風にハリケーン、永久凍土は溶け出し、ガイア自体が変動に対応し始めているような徴候があちこちに出ています。その結果、「今世紀が終わるまでには10億人以上が死に、かろうじて我慢できる気候が残る北極圏で何組かのカップルがほそぼそと生き残っているだけでしょう」。

ガイアが熱病に冒されている、だから解決策として、ってところで原発を持ち出して、ここのところすっかり「原発推進派」にその言説が利用されることの多かったラブロックですが、この記事ではげの字も出てきません。新著のほうではどうなんでしょう。ラブロックの言説でいつも気になるのは、「需要は増えていくものであり、それを賄うには」、っていう議論の展開です。んで、その答えは原発ってパターン。「需要を押さえろ」とか「贅沢は敵だ(笑)」なんて言わない。

今回の記事では「げ」の字の代わりに「私たちの食事のレベルを第二次世界大戦当時に落とせば、国民を養うだけの食料は生産できるだろう」と、生活のレベルを落とすことを示唆してます。そして、「バイオ燃料用だとか、風力発電用の土地」は余分にあるわけではない。そう言っています。これは大きな救いです。

イギリスで第二次大戦って言えば、国民が一丸になって、ナチドイツの攻撃に耐え、勝った、そういう意味があります。そこまで落とさなければならないけど、やればこの前のように勝てる、そんな意味が第二次大戦にこめられているのかも知れません。ただ、大戦は60年以上前に終わったことで、ふた世代以上経って、その記憶がどれだけ残っているのか、疑問です。飽食の時代を経験した現代の英国民がそこまでできるのかどうか。それじゃあ、北欧諸国やアイスランド、カナダやグリーンランドの土地を買い漁ろう、ってな方向へ行く人が多いんじゃないかって心配です。

ラブロックの絶望的な記事への反応を見ると、普段は「環境汚染はこんなにひどいんだ」ということの多い環境団体の連中が「いやいや、まだ、それほどひどくはない、まだ絶望するには早すぎる。できることはある」と言っていたりして、不謹慎には違いありませんが、おもしろい。ラブロックの意見は現実的なのかも知れませんが、人々を悲観的にしてしまい、もう何をやっても手後れなんだと諦めさせてしまうことにもなりかねません。

2006年1月21日

水増しされたクウェートの原油埋蔵量/Kuwait reverses its oil reserves.

20日付けロンドン発のロイター電は、業界紙、Petroleum
Intelligence Weekly (PIW)を引用し、クウェートの原油埋蔵量が2倍も水増しされていたことを報告している。PIWはかなり信頼のおける業界紙のようだが、購読するのに一番安いオプションでも年間2000ドルもするんで、原文は確認していない。

クウェートの埋蔵量については12月1日付けの記事でも言及した。

(引用開始)
11月10日、日産200万バレルの生産が可能だろうといわれてきたクウェート南部の大ブルガン油田は、実際は、それよりもかなり低い170万バレルが限界だと国営クウェート石油会社(KOC)のファローク・アル・ザンキ会長はブルームバーグに対し、発言している。

ブルガン油田はサウジアラビアのガワール油田に次いで世界第二の推定埋蔵量といわれる油田で、2004年の日産平均は135万バレルで、現在は130万から170万バレルの原油生産だが、「この油田はすでに使い果たしてしまい、日産200万、190万とがんばってみたが、170万バレルが精一杯だということが分かった」とザンキ会長は発言している。
大ブルガン油田が170万バレルでピークに達したことは、約550億バレル(約965億バレルと推定されるクウェート全体の半分以上)といわれてきた埋蔵量そのものも怪しいことになる。同じ週にIEAはこの油田から2020年になっても日産164万バレル、2030年にも153万バレルが可能だという予測を発表したが、それらの数字も、もはや希望的観測にすぎない。
(引用終わり)

ロイターの引用する業界紙によれば国営クウェート石油国営クウェート石油会社の内部資料によれば、クウェートに残された埋蔵量は確認、未確認を含め480億バレルだとしている。クウェートの公式発表は確認、推定、予想埋蔵量を区別しないが、内部資料によれば、480億バレルのうち確認埋蔵量はその半分の240億バレル(そのうち150億バレルが大ブルガン油田)に過ぎない。

この数字は「1997年末には965億バレルで世界合計のおよそ10%」(大使館ウエッブサイト)とも「973億バーレル(2004年末現在)」(日本の外務省サイト)とも言われてきたクウェートの原油埋蔵量の半分であり、確認埋蔵量に限れば、1/4だ。

まさにピーク論者、特にマシュ-・シモンズやコリン・キャンベルなどが指摘してきた中東諸国の「埋蔵量」が生産割当て制のために水増し申告されているのではないかという疑惑を裏付けることになる。1983年にロンドンのOPEC会議で合意された生産割当制は、加盟国はそれぞれ「埋蔵量」に応じた生産を許されるというもので、「埋蔵量」が多いところほど、たくさんの石油を生産できるシステムであり、それを担保にして金を借りることもできる。ピーク論者が問題にするのは「埋蔵量」は申告制であり、誰も確認していないことだ。

イラクが83年に297億バレルから翌年、400億バレルに「埋蔵量」を増やしたことに端を発し、90年にサウジアラビアが前年の1700億バレルから一挙に2580億バレルに「埋蔵量」を引き上げるまで、特に新しい油田発見の報告はないのにOPEC各国の「埋蔵量」は劇的に上昇した。クウェートの「埋蔵量」は84年の639億バレルから翌年には900億バレルに上昇した。しかも、OPEC諸国は毎年毎年何十億バレルを生産しているというのに、「埋蔵量」は当時の報告から減るどころか、むしろ、増えてさえいる。ピーク否定論者の多くは、これら人工的に水増しされた数字を拠り所にしている。(それぞれの国の「埋蔵量」の増加についてはASPOのページに詳しいデータが掲載されている。)

さて、現在、クウェートに残るとされる480億バレルの真偽について、PIWの報告に対し、クウェート当局者はコメントを控えているそうだが、ひとつ、おもしろい数字がある。「埋蔵量」が急増する前の639億バレルと480億バレルとの差は約160億バレルだが、これは、この20年ほどのあいだにクウェートが生産した原油の量とほぼ一致する。

クウェートの「埋蔵量」の水増しが事実ならば、世界があてにする原油の500億バレルが最初から存在しなかったことになる。そして、水増しはクウェートだけに留まらない。OPEC諸国全体ではこの水増しは7000億バレルほどに上る。

オイル・ピークが来るか来ないかなどと安穏と論議している時間はすでに過ぎてしまったようだ。

2006年1月17日

ブログ初心者の告白/confession of an untrained blogger

こもんずブログの末席に加えてもらい、あれやこれや書きはじめてから勉強することばかりだ。
まずは国境なきレポーター (Reporters Without Borders/Reporterssans Frontieres)が作成した「効果的なブロガー、サイバー空間における反抗者になるためのハンドブック」にざっと目を通した。
ブログ作りの先達や読者の方々からも、いろいろなアドバイスをいただいている。ありがたいことだと思う。これからも気のついたことはどんどん知らせてほしい。ブログについて、技術的なことはまったく無知なので、こもんずの技術担当、森川さんを頼りにしてしまう部分が多い。しかし、書き手にできることもたくさんある。他人に読んでもらおうと思ったら、書き手もそれなりの努力をしないといけないと思う。

書くことなんて何でも同じだ、誰だってできる、そういう気持ちは大切だけど、その一方で、それぞれのメディアの特徴はしっかりと把握しておくべきだと思う。それぞれの作り方や限界も意識しておきたい。たとえば、テレビとラジオは電波媒体でありながら大きく違う。紙媒体でも本と新聞、週刊誌では違う。だから、ブログもほかの媒体とは当然違う。印刷媒体を使ったことがあるってだけで、ブログでもちゃんと効果的に意思疎通ができるとは限らない。それぞれの媒体の特徴を理解することは大切だ。

ブログを書く際、たとえば、ダイアルアップ環境の読者を考えて、写真はなるべく軽くするとか、あまり使わないようにしたら、とか。たくさんの人に読んでもらおうと思ったら、自分のところの環境だけを基準にしてはだめだということも教えてもらった。特に目の見えない人のことも考えたら、って教えてくれたのはp-navi infoというブログを書いているビーさん。資本主義社会ではとかく五体満足な人だけを対象にしがちだが、歯はぼろぼろと抜け落ちるわ、脚力も聴力も疑わしくなり、視力も落ちてきているだけに他人事じゃない。

以下、ビーさんのところの技術担当さんがブログ設立の時にまとめたブログやメールを書く時の基本的な作法、「視覚障害の人を考えてウェブを作る」より、許可を得て転載する。肝に銘じていきたいと思う。

(以下引用)
視覚障害者の多くが、文章を音声で読みあげるソフトを利用しています。
そのことを前提に文章を書いてください。

(以下の記述は、Webサイト用の文章だけではなく、メールなどを書く際にも概ね当てはまります。)
1. 記号やスペースを多用しない
記号やスペースは、記号の名称を読み上げられることがあるので、できるだけ使わないでください。また、ソフトや設定によっては、記号が全く無視されることもありますので、記号がなくても理解できるような書き方を心がけてください。
レイアウトのために、スペースを使うのも避けてください。「スペース、スペース、スペースノ」と読み上げられたり「スペース10個」などと個数を伝えたりすることがあります。

2. 単語の途中で改行したり、単語の間にスペースを入れない
単語の途中に改行やスペースが入ると、読み上げソフトはそれを単語と認識できません。よって、その単語に漢字が使われていると読みがおかしくなる可能性があります。「国 連」というように真中にスペースを入れると「クニレン」と読まれるかもしれません。「国(改行)連」も同様です。

3. アルファベットは、大文字と小文字を使い分ける
アルファベットは、大文字が連続する場合、そのアルファベット名が読み上げられます。「ISM」は「アイ・エス・エム」となります。よって、ネコを「CAT」と書いても「シー・エー・ティ」となってしまいます。大文字と小文字の使い分けに注意してください。

4. リンク先は、わかりやすく書く
リンク先を指定するときに、ここ や こちら などとすると、ただそれを読み上げられても(あるいは、目視できたとしても)意図するところが伝わらず、せっかく紹介したリンクを辿ってもらえないかもしれません。また、「ここ」や「こちら」が複数ある場合は、どの「ここ」がどのサイトを指すのかの混乱し、再利用性も下がります。特に、それが読み上げられた場合は、判別性が著しく下がります。面倒でも、パレスチナ・ナビ などと、リンク先の内容を必ず書くようにして下さい。

5. 聞いてわかる文章を書く
ただ読み聞かされただけで理解できる文章を書くということに留意して下さい。特に、引用文と自分の文章の境界は曖昧になりがちなので、引用文の始めと終りがはっきりと認識できるような文章を書くか、境界部分に(以下引用)(引用終り)などと書くよう心がけて下さい。"」" は、「鈎括弧閉じ」などと読み上げられるので、鈎括弧をうまく利用するのもひとつの手だと思います。また、文字の色や大きさの違いなどを使った強調や区分けの表現は、それが見えなくても意味や内容が伝わるように注意して下さい。
(引用終り)

2006年1月16日

1年の計/Tabula rasa

年があらたまるとって、あんまりあらたまることはしない方だけど、また、いちから何でも始められるような気分になるのはありがたいことで、だから、忘れないうちに今年、というか、これから12ヶ月のあいだにやりたいこと、取っ掛かりたいことをメモしておこうと思う。

●行きたい場所:キンセール
ここ何年か、気分的にもエネルギー消費の点からも、飛行機に乗って旅をすることが億劫になっていましたが、今、ひとつ、とても行ってみたい町があります。それはキンセールというアイルランドの田舎町。コーク州/県の中心都市のコーク市から南25キロほどのところにある海岸沿いの古い歴史を持つ町です。現在は保養地として知られ、観光業が産業の中心だそうですが、特に保養に行きたいというわけじゃありません。

昨年暮れ、この町はオイルピーク問題に関心を持つ人たちのあいだで一躍有名になりました。ピークを読み込んだ「エネルギー下降計画」を町当局が正式に政策に取り入れられたからです。行政がオイル・ピークに正面から受け止め、下降への道筋を探るってのは、世界でもここが初めてです。

The Party's OverやPowerdown などの著書があるピーク問題の論客のひとり、リチャード・ハインバーグはキンセールの「エネルギー下降計画」が世界中の自治体で叩き台にされるべき、きわめて重要なものだと評価しています。ハインバーグ自身、カリフォルニア州セバトポル市で減耗時代に備える政策作り、「パワーダウン計画」に関与していますが、これもキンセールの「計画」に触発されたものだということです。

この下降計画はネットでも公開されているので追々紹介していきたい、そう思ってますが、でも、やっぱりこういうのは「計画」作りに関わった人たちだとか、町当局との折衝とかに力を尽くした人たち、町長だとか行政側の人などに直接会って、話を聞いてみたい。また、町の様子や地元の人の取り組みかただとか、そういうところを観察してみたい。
エネルギー下降時代へ世界で初めて歩を進めた町に、ぜひ、見学や取材に行ってみたい。ジェット燃料をばんばん使って地球の向こうまで行く価値、大ありだと思う。

●書きたい本
何冊か、書きたい本があります。
一冊は拙著「楽農パラダイス」の続編のようなもの。構想としては、石油減耗時代の文化としてのパーマカルチャーについて、もっとディープに探ってみたい。脱石油時代の暮らしへの道しるべとなるような本を考えています。
もう一冊はオーストラリアの灯台を訪ねて回る本。これは拙著「おもしろ大陸」の続編みたいな位置になりますが、灯台、といってもかなり数が多いんで、xx年以前に建てられたもの、そしてサンダーバード1号より高いものなど、いい加減な基準で選び、それらを基点に大陸を海岸沿いにぐるりとまわり、この国を素描してみたい。安いガソリンがなくなる前に、この大陸を路上から、もう一度見ておきたい。

●翻訳出版したい本
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昨年はじめに荒翻訳が終わっているデビッド・ホルムグレンの「パーマカルチャー」という大作、これをなんとか、日本で出版させたい。パーマカルチャーをオイルピーク以後の時代にしっかりと位置付けた本で、ピーク以降の暮らしの参考書として世界中で読まれている本です。ちなみに、前述、キンセールの「エネルギー下降計画」を策定した人たちも大いにこの本を参考にしています。

ずっと翻訳したいと思いながら、机の上に置かれっぱなしになっているのが清野栄一の「デッドエンドスカイ」。清野とはかれこれ20年近く前になりますが、三崎町にあったインサイダーの事務所でプラプラしていた時にばったり出会って以来の付き合いです。それから、あちこちで遭遇して、去年は山の上に訪ねてきてくれました。その時昨年出版された2冊の小説「オール・トゥモロウズ・パーティ」と「テクノフォビア」をもらいましたが、とてもおもしろかった。さらりと読めるのに、独特のうねりがあり、読後にいろいろな思いを喚起させる小説を書く作家です。かなり触発されました。
今年はデッドエンドを何章か仮翻訳し、出版社を見つける。そんな作業に取りかかりたいと思っています。英語で世界に紹介されるべき日本の作家だと思います。


●脚力利用の適正技術開発
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(脚力利用のフードプロセッサー。
写真はフンボルト大学CCATのサイトより)

脚力の利用というと自転車、交通が普通なのですが、脚力を利用した道具を作成してみたい。使い古しの自転車などを流用し、脚力を交通手段以外に使う道具を作ってみたい。自転車を発電に使うということは誰でも考えるようで、やっている人もいますが、今ある電気製品を使えるという利点はあっても、あんまり効率はよくないようです。たとえば、ジューサーやミキサーを5分間とか回すために、1時間くらいこがないと必要な電力がたまらない。しかも、バッテリーはどう廃棄するのがいいのか、決断できておらず、抱え込むことにはまだ、ちょっと抵抗があります。
だから、ベダルの力を電気に変えて、それから使うのではなく、直接の動力源として臼だとかフードプロセッサーなんかまわす。そんなのを作ってみたいと思ってます。これなら、ジューサーを5分回すためには5分こぐだけですみます。できれば、揚水用のポンプや洗濯機なんかにも応用してみたい。インターネットを覗くとグアテマラや、カリフォルニアのフンボルト大学とかでそういうことに取り組んでいる人たちがいるようで、写真は見られるんだけど、細かいところがよくわからず、ずっと「今後の課題」のままでした。これも、今年は何とかしたい。

●貧者の建築
IMG_0183.JPG copy
昨年は波打ちトタンとフォークリフト用のパレットを使って、小屋をひとつ建てました。まだまだ改良の余地はありますが、現在の地球上でたいていどこでも手にはいる材料、ほとんどが廃材、しかも大工の経験なしでも建てられるってことで、ある程度世界的に汎用な「貧者の建築」デザインのひとつじゃないかと思っています。
どこかの国の趣味人たちのように、海外で流行りだからってだけで、わざわざ藁をベールに束ねる器械を輸入してストローベールを建築に使うような余裕は、貧者にはありません。身の回りにふんだんにあり、現代社会に見捨てられている材料を使い、雨風をしのげればそれでいいのです。なるべく安く、早く建てられ、しかも建てた後の手入れがいらない、簡単にできること、それが貧者の建築に要求されることです。
今年、素材として使ってみたいのは船積み用のコンテナ、そして古タイヤなどで、それら、現代社会の廃材がどれほど使えるのか、試してみるつもりです。
また、壁についてはある程度理解ができたんで、今年は「屋根」について、もう少し考えてみたい気がしています。というか、泥だとか、ストローベイルだとか、あれやこれや言っても、屋根になるとほとんど似たようなものばかり。なんで、今、興味があるのは屋根のない建築。といっても、青天井ではなく、ドームです。
泥を詰めた古タイヤでドームが建てられないかな、なんて思い描いてます。

●語学習得
20年くらい前に英語を学んで以来、新しい言葉の習得に取り組んでこなかったんですが、今年はひとつ、エストニア語を学びたい。別にエストニア語じゃなくてもいいんですが、あんまり使う人のいない言語を習いたい、そんなふうに思ってます。
今から10年以上も前、まだ独立回復する前のエストニアによく出かけていた頃、習おうかなと考えたこともありましたが、その時は、たかだか百万人くらいしか使わわない言語だからやめとこうと、結局手をつけませんでした。いまは、逆に、たかだか百万にくらいしか使わない言語だから、やろうというように考え方が変わってきています。英語が世界語としてどこでも通用する言葉になりつつあるのはある面、ありがたいんだけど、なんか、世界中に広がるマクドナルドみたいで。


●農業の勉強
これまであれやこれや手探り、経験主義で庭いじりをしてきましたが、そろそろ、学校に入ってしっかり勉強するべきかな、もしくはどこか、農場へでも住み込んでみっちり修行する、なんてことも考えてます。
これは今年どうのこうのなのかどうか分かりませんが。
最近、オーストラリアでも都会から田舎へ移住する人が増えてますが、その楽観主義には、ちょっと、うーんってな気にもなります。百姓たちが失敗し、廃業に追い込まれた土地を買ったり、借りたりして、土いじりをしたこともない人たちが、生計をたてられると思っている。庭いじりなんか習わなくたってできる、そういう態度が間違いだとは思わないし、奨励されるべきですが、その一方で、知
らないことを謙虚に習っていくことも大切なんじゃないか、という気持ちもあります。なんだって、誰だってできるという楽観的な気分、オレだってできるぜって、てなパンクな精神は今でも心の拠り所ですが、その一方で、知らないことを謙虚に学びぶことも必要かな。と。


なんて思ったら、すでに1月もすでに半分終わり、ってことは1/24が終わっ
てしまったってことだ。なのにまだ、何も手をつけていない。あらあら。この調
子じゃ、どれだけ達成できるのか分からないけど、まあ、気楽におちゃらけなが
ら、がんばってみるつもり。

2006年1月15日

エネルギー下降時代の文化/culture of descent

オイル・ピークがくるぞってだけで、頭を抱えて途方に暮れるのもいいけど。「危機は好機」って、インサイダーの新年号にも書いてあった。パーマカルチャー流に言えば、問題の解決方法は問題の中にあるってことになる。

オイル・ピークに警鐘を鳴らす論客の中には、これが世界の終わりだ、という色調の言説をする人もいる。そこまでいかなくともオイル・ピーク以後の暮らし方について、ピークの専門家は悲観的な想像をしがちだ。それもあってか、ピークを意識した人のなかには自宅を要塞化して、食料や燃料をため込んでいる人もいるそうだ。都市じゃ不安だってんで、田舎へ土地を求めていく人もいる。

でも、考えてみりゃ、オイル・ピークがくるぞ、きたぞって説明する人のほとんどは地質学者とか石油会社で働いていたとか、そういう石油のほうの専門家であって(でなけりゃ、あんまり、説得力もないだろうけど)、ピーク以降の暮らし方の専門家じゃないんだよね。そういう人たちにピーク以後の社会について尋ねる方が間違っているのかもしれない。魚屋に行って、じゃがいもの美味しいのありますかって尋ねるようなもので、専門が違うんだ。

ピーク以降の社会認識で、識者のあいだで共通しているのは、右肩上がりの時代に有効だった考え方、価値観、文化、道具はこれからの時代に使い物にならないということ。オイル・ピークというエネルギー生産の頂上へ上り詰めるまでは有効だった産業文化(インダストリアル・カルチャー)も、山頂に到達し、これから下山しようとする時には役にたたなくなる。下山の時代には下山のための道具、知恵、文化でなくてはやっていけない、産業文化に替わるものでなければ使えないってことは容易に理解できるだろう。

インダストリアル・カルチャーに替わって、下山時代に主流となる文化のひとつはパーマカルチャーだ、というのは創始者のひとり、デビッド・ホルムグレンだ。脱石油時代の生活について、系統的にしっかりした発言をしたり、世界のあちこちで行われている取り組みの中心にはパーマカルチャーに影響を受けた人間が多い。それらの取り組みについては追ってメモしていくつもりだが、なぜ、パーマな連中が世界中でオイル・ピークに素早く反応しているのか、といえば、そもそもパーマカルチャーが近代的な文明の終焉、化石燃料に依存する社会の終焉、石油減耗時代に対応する意識だからだ。


D&SinJapan.jpg
(2004年の日本講演ツアー中に越後門出和紙の名人、小林康生を訪ねた時のスナップ。左からデビッドのかみさん、スー・デネット、デビッド・ホルムグレン、風来坊、小林さん。http://www.holmgren.com.au/より。)

ホルムグレンは近著の中で、ピークに到達した人類のいる場所をこんなふうに表現している。

「人類はエネルギー生産の頂点に上り詰めた。見晴しはいいけれど、危険もいっぱいな山頂とから、安全な場所へ下っていくのは賢明で魅力的なことだ。

ここまで上ってくるのは並み大抵のことではなく、幾多の犠牲をともなった。一歩一歩上っていく度に新しい視界や可能性が開け、わくわくしたものだ。

いくつか偽の頂点はあったが、現在、目の前に広がる360度のパノラマを前に、最高地に辿り着いたことは間違いはない。霧の向こうに、まだ高い頂きがあるという人もいるが、天候は悪化し始めている。...

山頂で景色を楽しみ、戯れる時間は残されていない。日がまだ高く、天気がいいうちに、眺めの良さを利用し、降りる道筋を見極めるべきだ」
(Permaculture: principles and pathways beyond sustainability)

下降の道筋を照らすのがパーマカルチャーである、ホルムグレンはそう言っている。

パーマカルチャーというのは70年代に、ホルムグレンがビル・モリソンとタスマニアで考案したもので、一般には有機農法のひとつだとか、「持続可能な生き方」などと紹介されている。パーマカルチャーは、世間的には「パーマネント・アグリカルチャー」を短縮した造語として知られていて、日本語だと「永続的な耕作」だとか「永続的な農業」なんて説明されることもある。

確かに1978年に出版された『パーマカルチャー・ワン』という本を見ると、その副題は「パーマネント・アグリカルチャー・フォー・ヒューマン・セトルメンツ(人間の生活のための永続的な農業)」とある。本の中でもパーマカルチャーは「人間の利用のために動物、そして多年生および自家更新する植物を組みあわせたシステムであり、常に進化するシステム」だと説明されている。

日本語に翻訳されている唯一の本『パーマカルチャー入門』(農文協)に収録されるモリソンの定義は、「人間にとっての恒久的持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系」だ。

まあ、オープンソースであり、色々な解釈が可能なので、これらはどれもそれなりにあたっているが、本質を激しく突いているとは言えないような気がする。パーマカルチャーの大きな特徴は時代認識であり、それがハードなコアだからだ。パーマカルチャーの世界観からすれば、明日は今日と違うのだ。変動を見越した時代認識をもともと持っていない有機農法やバイオダイナミックス、自然農法などとの違いはそこにある。パーマカルチャーは最初から大きな社会変化を前提としたものであり、そういう時代認識、将来のとらえ方において、単なる農法や庭いじりのすすめなどと異っているのだ。

パーマカルチャーは減耗時代を積極的に賢く暮らす方法と読み替えてもいいかも知れません。だから、都市のアパート暮しでもパーマカルチャーは実践することができるのです。ホルムグレンがパーマカルチャーは石油減耗時代の文化(=永続的な文化、パーマネント・カルチャー)だと自信を持って言い切るのは、オイル・ピークの到来をすでに読み込んでいるからであり、世界各地でパーマな連中がピーク以降の社会のあり方について、草の根で取り組んでいるのもそういう本質的なところに理由があるようです。

2006年1月13日

緑の党、オイル・ピークを政策に/Greens take on Oil Peak

ああ、やっときた。
暑い夏の1日、待ち望むのは南からの涼風だ。涼風前線の動きをレーダーで追いながら、早くこい早くこいって、1日過ごす。ラジオからは前線の動きが刻々と聞こえてくる。30度台半ばまであがった気温も、前線がやってきて涼しい風が吹き込むと、1時間のあいだに10度も下がるんだから、待望する気持ちが分かるだろう。
ああ、やっときた。予定より何時間か遅れたけど、やっときた。

ボブ・ブラウン上院議員率いる緑の党がようやく、オイル・ピークを政策に取り上げたことを知人から知らされた。で、党のサイトを覗いてみると、あるある。

おとなり、ニュー・ジーランドでは緑の党が党首のジャネット・フィッツシモンズを中心に早くからこの問題に取り組んでいて、それもあり、ニュー・ジーランド移住の思いが掻き立てられていたので、ちょっと遅いなあという気もしますが、政府も野党も取り上げていないので、ずっとまし。

たとえば、交通政策について、緑の党は、現在、公共交通の運賃にかかっている消費税の廃止を掲げています。消費税がかからなくなれば運賃は少し安くなるが、いずれは、公共交通の無料化まで検討されなければならないだろうと思う。そのほか、これまで高速道路建築に使われている金を鉄道に回すことなどが掲げられている。オーストラリアのように広大な国では、石油減耗時代には、人間の交通もそうですが、物流が大きな影響を受けるはずです。そういうことを見越して、鉄道輸送網のインフラ整備を急ぐべきです。また、自動車産業に与えられてきた税制の優遇措置を自転車産業の育成に当てる、もしくは自転車交通網の整備に当てることなども課題になるでしょう。社会全体を石油依存から脱出させ、減耗時代に対処させるためには、税金の使い道を賢明に選んでいく、そういうふうな政策の変更が必要になります。

まあ、何でもそうですが、国政レベルがどう動こうが、ピーク問題には個人個人がそれぞれ対処しなければならない部分が大きいと思います。例えば、交通のことでいえば、「今日は渋滞がひどいね、役所はなにやっているんだろう」ってな反応をするドライバーばかりだと渋滞はひどくなるばかりでしょう。自分が「渋滞」の一部であり、自分が「渋滞」を作り出しているということ、そして、自分がクルマを運転しないことで「渋滞緩和」に貢献できるということに気がつかない。やろうとしない。

社会がどこまでクルマ(とそれを走らせるガソリン)中毒になっているかを示す世論調査の結果が最近のエネルギーブレティンに載っています。この調査はアイルランドの首都ダブリンでクルマで通勤する人、622人を対象にした世論調査です。この結果はアイルランド特有というよりも、いわゆる先進国に共通するものだと思います。その調査似よれば、62%はクルマ以外の通勤は難しい。50%は、公共交通がどれだけ改善されてもクルマ通勤をやめる気はないと解答しています。また、価格がどこまであがれば、クルマの使用を止めるかという質問に、29%の人が「ガソリンの値段がどれだけあがってもクルマを止めるつもりはない」と答えています。つまり、強情なのか、無知なのか、自分の行動パターンを変えるつもりはないという人が3割近くいる。しかも、公共交通はヒッピーか、さもなければ脱落者や負け組の使うものだ、そんな意識を持つ人が半分近くいる。こういう大衆の意識は政策の変換に大きなブレーキになるだろう。

オイル・ピーク以後の暮らし方でも新しいテクノロジーがなんとかしてくれる、とか、政府や企業が何とかしてくれるってな調子で、他人任せにするばかりだと、本当の解決にはならないような気がします。社会はひとりひとりの人間が集まったものであり、ひとりひとりが暮らし方を変えれば、本当の社会変化につながります。政府や政党がオイルピークに取り組むこと自体は大歓迎で、日本などでも政党がどんどん積極的に取り組むべきだと思います。しかし、ひとりひとりが石油漬けの暮らしから脱却する覚悟を決め、できるところから自発的に取りかかっていくことも同じように大切で、不可欠なことです。

2006年1月 9日

捕鯨船、故意にグリーンピース船に衝突?/Down among the dead whales.

今朝、朝刊を見ると日本の捕鯨船団の母船、日新丸がグリーンピースの監視船アークティック・サンライズ号にぶつかってきたというニュースが大きく載っている。

日本では共同電で各地の新聞に配信されている。共同電は、船団を出している日本鯨類研究所の説明として「グリーンピース側の船が日新丸の右舷と後部に計2回ぶつかってきた」としているが、「日新丸が故意にぶつかってきた」とするオーストラリアの新聞報道とは大きく食い違っている。

ちょうど、衝突がおきた時、抗議船団のリーダー、シェイン・ラトンベリーはジ・エイジ紙(メルボルン)との衛星電話インタビューの最中だったから、状況描写は臨場感溢れたもので、こういうのを読むと、鯨研発表/共同電があやしく感じられてしまうのも無理からぬ話。

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ジ・エイジ紙掲載の写真

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こちらは、系列のシドニー・モーニング・ヘラルド紙に載った写真


以下、
ジ・エイジ紙
からの抜粋
ーーー
日新丸は僚船に鯨肉を積み移して、300メートルほど離れた地点から、ラトンベリーの乗り組む船の方へ向かってきた。日新丸は左舷から向かってきたが、国際海事法ではグリーンピースの船に進路保持の権利がある。

「こっちの船に向けて直角に突っ込んでくる。串刺しにするつもりだ」

AS号の船長はなんども警笛を鳴らし、無線で日新丸に航路の変更をよびかける。日新丸も警笛を鳴らしてくる。

AS号の船長は舳先を右に曲げたので、ふたつの船は平行になるように思えた。しかし、日新丸の船首はどんどん近付いてくる。

「こっちに向きを変えた、ぶつけてくるぞ。ちきしょう、ひどいことになる。船長がみんな、踏ん張れって言ってる」

特徴ある金属的なうなりが電話から聞こえてくる。

「舳先にぶつけられた。船首のマストが曲がってしまった。もう一度、ぶつけてくるぞ」

その衝撃で船尾が押されてたAS号は大型船の船体に押しあたる。

「こんどは水砲で水を浴びせかけてきている。おれたちはびしょぬれだ」

静かになり、日新丸は去っていったようだ。無線からはすでに海に入っていたゴムボートからの声が飛び込んでくる。「脇が1.5メートルほど、でかくへこんでる」

ーーー
衝突事件の前に、ゴムボートに乗ったグリーンピースの活動家が貯蔵船の脇に「鯨肉」ってペンキで描いたことがきっかけだとか、もっと過激な戦術を主張するシーシェバードという団体の船と間違えたのではないか、とか、いろいろ憶測が飛び交っているが、どうせ、誰も見てないだろうから、邪魔する連中を懲らしめてやろう、ってなことを日新丸がやったんでなければいいですけど。

左舷の船は道を譲らなければならないってのが海上交通のルールなんだそうで、「右舷にぶつけられた」って鯨研は説明しているけど、航路をあけなけりゃならないのは左のほうにいた日新丸のほうなのではないでしょうか。しかも衝突後、水を浴びせかけている。報道されるとおりだとしたら、かなり大人気ない行為だという印象を与えます。

日本側(というか、鯨研/水産庁/農水省、ですね)は、グリーンピースの船を、アメリカ政府のNaval Intelligence Civil Maritime Analysis Departmentに海賊だから、追跡してくれって泣きついているそうですけど、こんなことやるんじゃ、どっちが海賊なのか、わからない。

鯨研/水産庁/農水省は、これも「陰謀だ」とか「グリーンピースは売名行為のため、わざとインタビューをしている時にぶつかってきたんだろう」などと言い出すに違いないけど、アークティック・サンライズ号は949トン、日新丸は8030トン、サイズが10倍近く違う船でしょ。

百歩譲って、現在行われている捕鯨が科学的なもので、日本の科学者の主張が100%正しいとしても、それを政府主導でごりごりに押し進めることが「国益」に適うのか。国際的な立場にどんな影響を与えるのか、そろそろ、冷静に考えた方がいいのではないでしょうか。

捕鯨に関しては、ただでさえ、農水省/水産庁の役人のごう慢な態度、貧しい国に援助を与え国際捕鯨委員会の票を買い漁るやり方が報道されており、「醜い日本人」というイメージが広まっている。オーストラリアの保守勢力は、日本の国連安保理事会入りなど、国際的に発言力を増していこうとする姿勢を基本的には支持しているが、ごう慢で大人気ない態度を続けていると、そういう勢力すら離反させかねないでしょう。

2006年1月 7日

亜太パートナーシップは「時間の浪費」/Real waste of time, mate.

オーストラリアは156 カ国と欧州共同体(2005年11月の時点)が批准する京都議定書を先進国の中ではアメリカとともに批准していない。「経済成長を阻害する数値目標や期限設定は有効ではない」というのがハワード政権が批准を拒否する理由だ。キャンベル連邦環境大臣は、制限や目標数値、罰則に基づく「京都」は意味がない、2013年以降の温室効果ガス削減目標を協議することも「時間の浪費」と批判を繰り返してきた。

「京都」を批判し、批准は拒否するが、温暖化に対してなにもやっていないと見られるのはまずい、というわけか、これまた「京都」拒否派のブッシュ政権と組み、去年7月末に打ち上げられたのが「クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パートナーシップ」(Asia-Pacific Partnership for Clean Development and Climate)。それが11日からシドニーで開かれる初の閣僚会議で正式に発足する。(この会議に参加の予定だったライス国務長官はシャロン・イスラエル首相が危篤状態のため、7日から予定されていたインドネシア/オーストラリア訪問をキャンセルした。)

もともと、モントリオールで「京都」締約国会議が開かれるのを睨んだのか、発足は11月に予定されていたが、米国がカトリーナなど自然災害で手一杯だったので、1月にずれ込んだもの。まあ、ハリケーンや台風の異常発生も「温暖化」の影響だろうから、皮肉。参加国はエネルギー消費大国で「京都」拒否組みの米豪のほか、中国、インド、韓国、日本。
(なお、背景については、下記のサイトが詳しい)
京都議定
書の次のステップ

温暖化いろいろ

業情報研究所

モントリオールの
COP11の報告書
によれば(41ページ)、「亜太パートナーシップ(APP)」参加6カ国の政府および産業界の代表が、それぞれの取り組みを報告するワークショップが会場内で開かれたれたそうで、しかも、その主宰が日本原子力産業会議。うーん、APPの輪郭がくっきりと見えてくる。パートナーシップは「クリーンで効率的な技術」の開発、普及、途上国(=中国とインド)への移転を通して温暖化に取り組むということをうたっているが、「クリーンで効率的な技術」ってのは原発のことで、原発先進国のアメリカ、日本や韓国、それにウラン資源を売りたいオーストラリアが中国やインドへ原発の開発を迫る、どうやら、それがAPPの構造のようだ。

オーストラリアは未曾有の旱魃に首根っこをつかまれたままで、水不足が深刻化している。こんな形で温暖化が目に見える形で噴出しているのに、見てみぬふりをされちゃ困るけど、その解決策が、たかだか数十年、電力を生むだけで、あとに途方も無い期間環境を汚染し続ける廃棄物を残す原発ってのもねえ。こんなことのために税金が使われ、閣僚が集まって会議をする。これこそ「時間の浪費」ではないだろうか。

2006年1月 5日

第二の石油時代の幕開け/the dawn of the Second Age of Oil

ピークについて、コリン・キャンベルがコンパクトにまとめた文章を先月末に見かけたので、下記に訳出します。

キャンベルは元BPの地質学者で1998 年に「サイエンティフィック・アメリカン」論文で世界的なオイル・ピークの到来が近いと警鐘を鳴らした人物。オイル・ピーク調査学会(ASPO)の設立者であり、ピーク論者の中では長老格。彼はピーク以後の時代を第二の石油時代と呼んでいます。

原文はアイルランド、ダブリンに本拠を置くカルティヴェイトという雑誌のために書かれたもの。カルティヴェイトのサイトを覗いてみると、石油ピーク以後の暮らしを創造的に探っていこうとする団体のようで、雑誌はそういう時代の暮らし方を模索する活動の一環のようだ。本部にはパーマカルチャー式の庭があり、カフェがあったり、情報センター、スペースとしての役割も果たしているようだ。

こういう動きって、これまでにあるような「オシャレな流行り」とは区別しておきたい。現在いる場所、時代を歴史的に、エネルギー使用という観点からしっかり把握しているからだ。例えばオイル・ピークという時代認識をしないで、パーマカルチャーだとか、持続可能だとか騒いでもしかたがない。特に日本のように、何でもかんでも、外の流行を有り難がる人がいる場所ではパーマカルチャーさえ「オシャレな流行り」になりがち。テッド・トレイナーが「パーマカルチャーを文脈抜きで広めることになんか、意味はない、むしろ有害ですらある」とそのあたりを指摘している。その問題や、ピーク以後の生き方のひとつとしてのパーマカルチャーについてはまた後日、あらためて。


ショックが待ち構えている
IN FOR A SHOCK
コリン・キャンベル
原文

石油というものは、掘り出され精製される前に発見されなければならないわけで、油田の発見と石油生産とのあいだには時間差があるというのが道理です。それでは油田発見の記録ってのはなんでしょう。そんなもの、いろいろな公式発表から見つかるんじゃないか、そう思うでしょう。ところが、それは、ものすごい混乱と誤報に満ちているのです。石油会社は厳しい証券取引所の規則に適合するように、発見より少なめな報告をしてきました。中東諸国のなかにはOPECの生産割当てを得るため、競って誇張した報告をする国もあります。さらに混乱に拍車をかけるのは、油はいくつかのカテゴリーに分けられていますが、その定義がまちまちなことで、それぞれが異なる早さで減耗しています。しかし、幸いなことに、世界最大の石油会社の幹部が、油田の発見に遡り埋蔵量の見直しを行った石油業界のデータを発表してくれました。(Longwell H, 2002, Energy World3/2).
(訳注:ハリー・J・ロングウェルはエクソン・モービル社の副社長)

その文書が伝えるのは、この40年間、最大で最良の油田を求め、世界中を血眼になって捜しまわったにもかかわらず、すばらしいテクノロジーの進歩と地質学的知識の進歩があったにもかかわらず、油田探査の経費のほとんどは必要経費として落とせるという幸せな経済環境にありながら、油田の発見は容赦なく減退しているということです。

油はきわめて稀な地質学的条件のもとで形成されました。今日生産される石油のほとんどは、ふたつの短い時期、9000万年前および1億5000万年前に、極端な温暖化が起こり、そのとき異常繁殖した藻が形成したものです。結果として生産された有機物質が大陸移動の際に生まれた裂け目に埋められ、油に変換されたのです。石油の分布図を見れば、油田のある地域は特定の地質状態の場所に固まっていて、それぞれのあいだには広大な不毛な大地が広がっています。大油田のすべてはすでに発見されており、これからは、現在生産中の油田の近所に、規模の小さなものが見つかるということにならざるを得ません。

いわゆる「従来型の通常の原油」がこれまでもっとも使われてきたもので、これからもずっと主流をなします。およそ945gb(ギガ・バレル=10億バレル)がこれまでに生産されました。これまで発見されている油田に残る量は775gb、そして、これまでの傾向から判断して、130gbがまだ、これから発見されることを待っています。

それぞれの国や世界全体における石油生産は、油田の発見から始まり、ひとつかそれ以上の頂点を極め、やがて、幕を閉じるものです。上の見積りに従えば、生産が頭打ちになり、やがて訪れる枯渇に向け減少し始める地点、石油減耗の中間地点に、世界は非常に近いことがわかります。重油、タール、深海油田、極地油田、液化ガスなど、その他の種類の油はエネルギー下降の一時しのぎにはなりますが、ピーク自体に多くの影響力をあたえないでしょう。

天然ガスは植物の残りと深く埋められた石油がオーバーヒートされた結果、生成されたものです。天然ガスは石油より広い地域に分布していますが、液体ではなく、気体なので時間の経過とともにに鉱床から流出します。通常、生産は供給のパイプラインシステムの容量に左右されるので、天然ガスは頂点を迎えるのではなく、停滞期が長く続くパターンをとるでしょう。そして、アメリカやイギリスが経験したように採収効率が突然急落し終結する傾向があります。

石油価格はここ数年上昇しており、現在は記録的なレベルに達しています。 簡単に説明すれば、世界は長期的な減耗へ向かう生産の中間点を通過しつつあるということです。需要は供給能力を超え始めています。大きな埋蔵量を持つ中東諸国は巨大油田の劣化、衰退を相殺するかのように、全力を挙げたフル生産にはいってます。

端的にいえば、人類は石油時代の第一部の終わりにさしかかったということです。それは150年続き、石油生産の拡大と軌を一にするように、産業や輸送、商業、農業は急速な発展を遂げ、人口は6倍に増えました。明日の成長が今日の負債を帳消しにするという信頼を担保に、銀行は自ら保有する預金高以上の貸し付けを行い「金融資本」も拡大しました。実際、世界を動かしているのは、石油を主とする
安いエネルギー供給なのですが、私たちは、世界は金の力で回っていると思うようになりました。石油時代の第二部は今、まさに明けようとしています。第二の石油時代の特徴は石油の衰退であり、金融資本をはじめとして、石油に頼るすべてが衰退することです。

石油のように重要な資源がしっかりと代替の見込みもなく減耗し始めることは、人類の歴史でも初めてのことなので、未曾有の断絶がおこることになります。したがって、転換期は、ことによると、かなりの緊張をともなう時期になり、株式市場の暴落と激しいインフレーションがおこることもあり、成長という担保を失った余剰金融資本が失われることになります。石油時代の第一部に適当であった経済構造と、それに対応する政治構造は、自然の課する状況に適応する構造にとって替わられるでしょう。

次のような要素は、今すぐにでも国政レベルの政策に取り入れることができるものです。

●ピークに関して、一般を対象とした啓蒙活動。
●世界的な減耗率(年間2-3%)に従い、石油の輸入を減らしていく。
●今とてつもないレベルになっている無駄を削る。
●波や潮力、風力、太陽力、水力、バイオマスなど再生可能エネルギーの導入を可能な限り進める。
●市場を地域に分割し、地域社会の開発を促す。
●新しい住宅の建築や農業政策を通し、持続性への回帰を奨励する。

要するに、社会の再構築が火急であり、そのためにはあたらしい目的、考え方、態度を見つけなければなりません。

アイルランドも変遷の圧力から逃れることはできません。しかし、アイルランドには強みもあります。ケルトのタイガーと呼ばれる経済バブルは、おそらく金融破綻で崩壊するでしょう。特に危ないのは電力の供給です。40%近くを主にイギリスから輸入した天然ガスからの発電に頼っています。はげしい上昇傾向から判断すれば、イギリス自身、来年には天然ガスの純輸入国になります。アイルランドの石油需要は、一人当りではかなりな量になりますが、国全体として世界的にくらべれば小さなもので、政府の支援があれば、民間会社が積極的になれば確保できないことはない量です。人口がそれほど多くなく、アイルランドが島国であることは自然のフロンティアになります。大西洋から吹く風と波が給養した緑の野は、自然と協力し、自信をもつ社会に持続可能な未来をもたらします。そうは言っても、健全で新たな政策を政府が実行に移すことは大きなチャレンジであり、難しさを過小評価するべきではありません。

オイル・ピークに関し米議会で公聴会/Oil Peak vs the Congress

ちょっと、時間が経ってしまいましたが、ワシントンで12月7日に開かれたエネルギーと大気の質に関する小委員会でオイル・ピークに関する公聴会の報告を。この件についてはsgwさんが温暖化いろいろでも言及されていますので、そちらも御覧下さい。

いろいろ、議論するべき事項が山積み状態のなか、議会で取り上げられたということだけでも、アメリカ社会がオイル・ピーク問題にに真剣になりつつあることがわかります。もちろん、だからといって、即、行動に直結するわけではありませんが、議会では超党派のグループが結成され、そろりそろりとではありますが、政治レベルでの取り組みが始まりつつあります。

公聴会の口火を切ったのは、3月以来、下院でこの問題について、すでに14のスピーチをしており、先頃ピーク対応決議を提案し、そもそも、この公聴会をしかけたロスコー・バートレット議員(共和党/メリーランド)。バートレット議員はガチガチの保守だが、アメリカのオイルピークが1970年に訪れるだろうとしたシェル・オイル社の地質学者キング・ハバートの引用からはじめ、問題の深刻さを説明した。

それに続いたのは、先日下院に超党派の9人の議員で結成されたピーク・オイル・コーカスのメンバー、トム・ユーダル議員(民主党/ニューメキシコ)。ちなみにこのグループの残りの顔ぶれはジェームス・マクガヴァン(民主党/マサチューセッツ)、バーン・エーラース(共和党/ミシガン)、マーク・ユーダル(民主党/コロラド)、ラウル・グリハルバ(民主党/アリゾナ)、ウェイン・ギルクリスト(共和党/メリーランド)、ジム・モラン(民主党/ヴァージニア)、デニス・モア(民主党/カンサス)。

ユーダル議員は、原爆を作り出したマンハッタン計画や、人間を月に送ったアポロ計画に匹敵する規模のオイル・ピーク対策を打ち出すよう、アメリカ政府に求めた。

ASPO(ピークオイル研究学会)の代表で、ウプサラ大学(スウェーデン)で放射科学を教えるキエル・アレクレット教授は、「他国に正当なシェアを認めるなら、世界の5%の人口のアメリカが、世界で生産される石油の25%を消費し続けることは許されない」と発言し、オイルピーク問題には世界的な対処が必要で、そのためにはアメリカなどの先進国がリーダ-シップをとるべきだと付け加えた。

エネルギー省の要請でオイルピーク問題から生じる影響を緩和するためのレポートを作成したSAIC社の上級エネルギープログラムアドバイザーのロバート・ハーシュは、問題の影響を最小限にするためには、今から最大の努力をしなければならないと強調した。

「ピークに達するのがいつなのかわからないというだけで、それに到達するまで何も準備しないでいたら、世界は適切な液体燃料を確保できない状態に直面するでしょう。ピークに達する20年以上前から計画を立てていれば、深刻な状態を回避できる可能性がある 」

公聴会には、ピーク否定の楽観論者も招かれ、ロバート・エッサー(ケンブリッジ・エネルギー調査協会)が「石油はいますぐにも、中期的にも枯渇しない。石油生産は、これから30年から40年、波打ちながら高原状態を続ける」と発言した。

それぞれの発言はグローバル・パブリック・メディアのアーカイヴで閲覧/聴取可能。


世界第二の原油輸入量をほこる日本や、減耗時代への備えにまったく無頓着な資源大国オーストラリアにはピークを真剣に取り上げる議員すらいないので、それだけでもうらやましくなってしまう。

2006年1月 2日

いまだに少数民族を抱えることのできない悲劇的な大国/Kuidas laeb?

英語が「世界共通語」になりつつある。だから、猫も杓子も英語を学ぶ。世界中の人がある程度の意思疎通をできるようになる、という意味で「共通語」の存在はありがたい。しかし、その一方で、少数の人しか話さない言葉が死に絶えていくのは気にかかる。

日本でも東京中心の「標準語」が学校教育やテレビやラジオなど、電波メディアの影響で全国津々浦々にまで広がっている。それはそれでいいことだ。しかし、その一方、地方独特の「方言」が駆逐されていく。子供のころ、テレビらラジオで聞く言葉が「かっこよく」て、自分の身の回りで方言を喋る大人を「遅れている」、「田舎臭い」と思ったものだ。学校でも、「標準語」が知らず知らずのうちに奨励されてたような気がする。

昔、日本に暮らしていた時、土方の仕事で飯場に寝泊まりすると、地方からやってきた人たちの会話がまったくわからず、面喰らったことがある。同じ日本人だと思ったのに、話している言葉がまったくわからない。そうかと思えば、自分の育った場所では当たり前に使われていた言葉のいくつかを、ほかの地方の人は理解できずにきょとんとしていたことも憶えている。「ぼけたリンゴ」とか、「ずくなしのごた息子で、せつないことばかりしていた」なんて、標準語でどう表現するのだろう。

「標準語」が内包する帝国主義的な力を実感するようになったのは80年代に、帝国の周縁地方である沖縄やエストニアへ行くようになってからだ。人口150万人のエストニアは「ロシア同化政策」のおかげでロシア語が公用語、教育もロシア語で行われ、しかもロシア語しかしゃべれない人の移民が続き、エストニア語人口のほうが少なくなりかけていた。エストニアの独立運動はソ連の政治的な
支配を脱することだったが、それは自らの言葉、文化を守る文化的な運動でもあった。

それもあってか、独立を達成してからも、エストニアは少数民族の自立援助に熱心で、例えばドゥダーエフ大統領に率いられたチェチェン独立運動には早い時期から支持を表明していた。ドゥダーエフは、かつてタルトゥの駐留ソ連爆撃機軍の指揮官だった時にエストニア民衆戦線から独立闘争の方法を学んだからだとも言われていた。エストニアがチェチェンに連帯を示したのも、ドゥダーエフが武
力で独立運動を潰そうとしなかったことへのお返しだとも言われている。後にモスクワに叛旗を翻すドゥダーエフがエストニア駐留中にモスクワの命令に背いたのかどうか、わからないが、確かに、ラトビアやリトアニアのように「流血の惨事」は少なかったような気がする。

チェチェニアへの支持を含め、エストニアやエストニア人の行為はモスクワ、ロシア政府の側から見れば「内政干渉」や「分離工作」ととられるようだ。昨年5月には、エストニアなどの提案で欧州議会がマリにおける「ロシア化」を糾弾する決議をしたが、これもロシア政府は内政干渉だとはねつけている。

年末のエコノミスト誌に、エストニアがロシア国内のフィノ・ウゴール語を喋る民族に支援を与えていて、それをロシア政府が快く思っていないという記事が載っていた。

フィノ・ウゴール語は中央アジアに端を発する民族の言葉で、この系統にはエストニアのほか、国としてはハンガリーとフィンランド(スオミ)がある。エストニアとスオミのあいだでは会話も可能だと聞いているが、ハンガリーまで含めると共通の語源に基づく単語は200くらいしか見つからないそうだ。エコノミストの記事によれば、そのうち、55は魚に関するもので、15はトナカイに関する単語だってのがおもしろい。3つの国の人に共通して理解できる文章は「生きた魚は水の中を泳ぐ」くらいだそうな。

ロシア内では、フィノ・ウゴール系の言葉を母語とする人たちは2002年の国勢調査によれば270万人(前回の89年調査から60万人減)でカレリア、モルダビア、ウドムルト、コミ、マリなどの共和国に暮らしている。これらの場所では、ソ連崩壊直後こそ、圧力が少し弱まったものの、かつてエストニアで行われていたような「ロシア化」が進行しており、それぞれの母語を話す人は老化し、年々数が減っている。出版物も限られ、ラジオやテレビで言葉が聞かれる機会もほとんどない。しかも、公文書はキリル文字を使わなければならないという言語法の改訂があった。実際に言語を操れる人口となると、国勢調査よりさらに少ない、200万人以下という見積りもある。現地でロシア化に対抗して、言語(や民族のアイデンティティ)の保存に関わる人たちにとって「主権回復したエストニアは奇跡であり、フィンランドはうらやましい超大国」(エコノミスト誌)なのだ。

エストニアにあるSoome-Ugri Rahvaste Infokeskusというフィノ・ウゴール民族ウエッブによれば、すでに絶滅したり、絶滅に瀕している言語もある。ヴォ-シャンという言葉はエストニア語にかなり近い言葉だそうだが(エストニア人は数日でその言葉をマスターできるそうだ)、これを喋る人口はフィンランド湾近辺のいくつかの村に、20人しか残っていないそうだ。

フィノ・ウゴール系の言語保存にもっとも熱心なのはエストニアだ。去年8月には第4回フィノ・ウゴール民族世界大会が首都のタリンで開催された。99年からそれらの自治共和国からエストニアに学生を招き、勇気づけ、勉強させようという奨学生プログラムがあり、これまでに100人以上がタリンなどで学んだそうだ。しかし、このプログラムに参加した半数がエストニアに居残ることを決め、帰ったものの中にはロシア式のシステムに再び溶け込むことができないものが多いという問題があり、現在は、もっと年齢の高い高校卒業生を対象とした奨学生プログラムが検討されている。エストニアはこの奨学生資金に300万クローネ(約2300万円)を用立てているが、経済規模が格段に大きなフィンランドはそれと同額程度、ハンガリーにいたってはほとんどかかわっていないそうだ。ハンガリーにとってはフィノ・ウゴール系といっても、かなり離れているせいか、それともロシアを無用に刺激したくないという政治的配慮が働いているのか、保存運動にはあまり関心がないようだ。逆にエストニアには、あの時独立していなかったら、自分達もこうなっていたかもしれない、そんな思いがまだ、鮮明にあるのかもしれない。

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<エコノミスト誌より>

フィノ・ウゴール系民族の自治共和国は、近隣のタタールスタンとともに、1917年から18年、短い間ではあったがイデル・ウラルという独立国だったこともあるが、現状では、ロシアが何かの理由で分裂でもしない限り、エストニア式の独立はまず、不可能だろう。だから、エストニアが肩入れするような、地道な「文化活動」を続けていくしかない。

ロシア政府は、もちろん「保安上の理由」を掲げ、外国から資金援助を受ける国内団体の取締強化に躍起だが、エコノミストの記事によれば、プーチン政権に近いウエッブサイト、news12.ruはマリ支援団体を名指ししている(この同じサイトは最近のパリ暴動はエストニア人国粋主義者が煽った、と非難している)。ロシア政府は、いまだにエストニアの独立やその後の経済繁栄を快く思っていないと言われてもしかたがない。

帝国中央の言葉を強引に押し付けようとするのは、きわめて前世紀的な行為であるということにモスクワ政府はいまだに気付いていないようだ。どんどん同質化する21世紀世界では、異質を抱える太っ腹なことが大国の資質、なんてことにロシア政府はいまだに気付いていないようだ。

何年も前から学ぼうと思っているエストニア語、今年こそは取りかかるぞ、と新年の計。

ずくなしのごた息子、新年の戯言/Head uut aastat!

2006年が開け、そろりそろりと起き出して、日陰にある温度計を見れば35度を指している。どうりで、暑いわけだ。標高千メートの高原でこの気温ならと、ラジオをつけると麓のシドニーでは44度とか45度。暑いぜ、これは。平均より20度とかも上回っているそうだ。

こんな日はタオルを水で湿らせ、首にまく。うちにはエアコンも扇風機もないけど、こんな暑い日でも、少量の水を湿したタオルが一本あれば、頭にのせたり、首にまいたり、かなり凌げるものだ。もっと暑くなれば、洗面器に水を張り、足をつける。水とタオル一本あれば、かなりの暑さでも凌げるものだ。

こんな日は本能的にブッシュ・ファイヤーが気になってしまう。もちろん、トータル・ファイヤー・バンが出ていて、屋外での裸火はすべて禁止されている。バーベキューとかももちろんだめ、キャンプに行っていたらキャンプファイヤーなんてのもだめ。とにかく、屋外での火はなんでもだめ。

音楽とかドキュメンタリーは聞くけど、情報源としては普段、あんまり顧みることがないのに、こういう時、一番頼りになるのはラジオだ。と思いながら、ラジオをつけると、聞こえてくるのはブッシュ・ファイヤーのニュースばかり。ブッシュって聞けば、普段はアメリカの大統領のことをまず考えるけど、この時期、ブッシュといえば薮のことで、ブッシュ・ファイヤーってのは山火事のことだ。

今日、火の手があがっているシドニーの北部と南部。ビクトリアでも火が燃え盛っている。ボラの消防団に動員がかかり、ヘリタンカーなんていう山火事消火専門のヘリコプターなどが動員され、消火作業が続いている。ラジオからは消防団本部や道路情報センター、気象観測当局などから、現状から、道路の状況、避難先の情報などが逐一流れてくる。トークバックだから、遮断された道路で立ち往生している人、火の手が自宅から100メートルまで迫った人の声も流れてくる。ぱちぱちなんて生易しい音じゃなく、ぐぉーっていう火の手のあがる音が背後から聞こえてる。ラジオってのはつくづく瞬時性の媒体だ。

幸い、今のところうちのまわりでは火の手はあがっていない。でも、ラジオからの報告はとても他人事のようには聞こえない。何年か前に出版された「楽農パラダイス」にも書いたが、山火事がかなり近くまで迫ったことがある。重要な書類とかの荷物をまとめ、飼っている鶏とともに、近所だけどより安全そうな友人や親類のところへ非難させたこともある。強風に煽られた山火事のたてる音は今でも耳に残っているし、何日も立ち篭めた煙のにおいも簡単には忘れられない。気温があがり、風の強い日は気が気じゃない。いつ、火の手があがり、襲い掛かってきても不思議じゃない。

空を見上げながら、庭を歩くとカサカサと枯れた草や落ち葉が足許で音をたてる。鶏たちは、日陰で暑さに耐えている。日中、何度か水くれしてやる。鶏はもともと熱帯の出身だというのに、裏庭で鶏を飼う時の一番の大敵は夏の暑さだそうだ。突然の暑さが原因で何羽も鶏をなくした友人もいる。だから、こんな日は朝と夕に野菜に水をやるほか、何時間かに一度、鶏の囲いの周辺に水くれして回ることになる。この前、雨が降ったのはいつのことだろう、なんて考えながら。

いくつか、枯れそうになっている木にも水をくれる。無駄かもしれないけど、止められない。うちには雨水タンクが4つあり、あわせて3万リットルを貯蔵できるけれど、残りは1万リットルを切った。だんだん、心細くなってくる。

コンピュータの前に座り、気象レーダーを見ると、南から涼風前線がこっちへ向かっているようだ。風速100メートル以上の南風前線だ。もう何時間かすると、このあたりにも到着するはずだ。南風がやってくれば、気温も10度くらい下がるだろう。でも、あんまり水分は含まれていないようだ。ということは、山火事が燃え盛る場所では逆に火に油、じゃなく、空気を注ぐことになりかねない。火事が燃えているところに強風がふくと、方向があちこち変わり、しかも火の手は早くなる。何年か前に、このあたりでも強い南風で火勢が増し、いくつかの火事がひとつの巨大な火焔前線になったことがある。それはそれは恐いものだ。

こんな時、消防当局なんかあてにできない。もちろん、当局や個々の消防員が手を抜いているとか、装備が不十分だとか、そういうことじゃない。自然が燃えようとする時、人間の消防力ではどうすることもできないのだ。消防にできることは、延焼を食い止めること、火の手が家屋や居住地に及ばないようにすることくらいで、とても燃え盛る火を消すことなんてできない。都市の住宅火災とはわけが違う。山火事が迫った時、頼りになるのは自分だけで、自分で判断をしなけりゃならない。消防が何とかしてくれる、なんて甘く考えていたらこっぴどい目にあう。

今日、燃え盛る火の原因はまだ分かっていない。放火、という可能性は十分あるそうだ。だが、これらは「放火」と呼ばれ、「?系テロ」なんてくくられることはない。政府や警備当局は認めたがらないが、オーストラリアでテロを計画するなら、都市の建物だとか原発だとか、そんなものをわざわざ標的にする必要はない。飛行機を乗っ取ったり、爆弾を用意する必要もない。今日のような日和にマッチ箱ひとつもって、ブッシュへでかけりゃそれでいい。風力と風向きによっては、百ヘクタール以上が1時間で灰になる。これほど危険が少なく、効果的な戦術がほかにあるだろうか。こればっかりは、新しく制定された対テロ法でいくら激しく取り締まったってどうにもならない。オーストラリアはぜい弱な脇腹を
露呈しながら、また新しい年が始まった。

今年はどこへ行くのか、なにをやるのか、まったく白紙で未定。それだけにわくわくぞくぞくしてしまう。何はとりあえず、今年もよろしく。てなことで。

Profile

リック・タナカ(Rick Tanaka)

-----<経歴>-----

信州松本出身。
1980年、シドニーに漂着。
大学中退後、ラジオやテレビ、ウエッブ、雑誌、ニューズレターなどで執筆、制作、コンテンツ制作、翻訳/通訳、音楽マネージメントなどで活動。
1997年、それまで15年暮らしたシドニーから標高千メートルの高原の町カトゥーンバに引っ越し、執筆・メディア活動と並行しながら、消費を抑え生産する楽農生活に突入する。
2007年、大陸の東南に浮かぶ島にある人口300人の村に移住、オイル・ピークと環境ゲテモノ化時代に備える暮らし、近隣社会の構築を模索中。

BookMarks

-----<訳書>-----


『未来のシナリオ』
2010年12月、農文協

-----<著書>-----


『人工社会』
2006年3月、幻冬舎


『楽農パラダイス』
2003年、東京書籍


『おもしろ大陸オーストラリア』
2000年、光文社知恵の森文庫

-----<共著>-----


『Okinawa Dreams Ok』
1997年、Die Gestalten Verlag


『Higher than Heaven:Japan, war and everything』
1995年、Private Guy International

-----<訳書>-----


『沖縄ポップカルチャー』
2000年7月、東京書籍

『首相暗殺』
ロバート・カッツ著、集英社

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