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« 小沢前幹事長の「普天間発言」と「韓国移転」
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北朝鮮報道に関する「メディアと誤報」の問題 »

拉致問題では「菅=安倍」「小沢=小泉」のねじれ現象


 拉致問題の解決は、菅さんか、小沢さんのどちらになるかわからないが、次の総理の外交手腕、政治決断にかかっている。14日の民主党代表決戦を前に二人の「北朝鮮観」を比較、検証してみよう。

 菅直人総理は革新・市民派出身ということから一般的なイメージとして「親朝派」とみられているようだ。

 訪朝歴はないが、日朝国交正常化推進議員連盟に属しているし、民主党代表当時の1999年には羽田孜最高顧問と一緒に訪朝を検討したこともあった。

  しかし、菅総理は党代表だった2003年の総選挙直前に韓国の刑務所に15年間収監されていた日本人拉致の実行犯の一人である辛光洙(シン・グァンス)長期死刑囚の釈放を金大中大統領に求める嘆願書に社民党の土井たか子党首(当時)らと共に署名したことを自民党から暴露された以降は国民感情を意識してか、一転北朝鮮に厳しい対応を取り始めた。

  この年の衆議院選(11月)では同党の西村真悟氏の応援演説で、サダム・フセイン元大統領の銅像が倒されたのを引き合いに「北朝鮮のあの(故・金日成主席の)銅像が倒れる日が来ると信じている」(神戸新聞、03年10月31日)と発言し、強硬姿勢を前面に打ち出した。この年の11月の小泉総理との党首会談では「北朝鮮をテロ国家に指定し、送金停止の措置を取るべきだ」と迫っていた。

 安倍晋三元総理は幹事長時代の03年10月に札幌市内のセミナーで「日本人の原敕晁さんを拉致した辛光洙を釈放しろと言った菅直人民主党代表がハト派なら、私はタカ派で結構だ」と語ったが、その後の菅さんの北朝鮮関連言動は安倍さん顔負けの「タカ」である。

 言葉だけでなく、総理になってからも、北朝鮮への厳しいスタンスには変わりなく、所信表明演説(6月11日)では韓国哨戒艦沈没事件について触れ「許し難いものであり、韓国を全面的に支持する」と発言し、G8では北朝鮮非難声明の採択に奔走した。また、拉致被害者の家族らとの首相官邸での面会(6月10日)の際には北朝鮮に対する制裁強化も約束している。こうしたことから北朝鮮は総理就任から僅か1ヶ月で労働新聞(7月9日付)を通じ「我々への敵対感を露骨に示している」と名指し批判をした。

 菅総理は民主党代表の2003年に中国の戴秉国外交部部長(現在国務委員)と会談した際に「拉致問題が解決しなければ国交正常化はない」と言明しており、総理になった今もこの原則には変わりがない。

 事実所信表明演説でも「拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的解決を図り、不幸な過去を清算し、国交正常化を追求する。拉致問題では、国の責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国に向けて全力を尽くす」と決意表明しているが、これまた歴代の自民党総理の所信表明を踏襲している。

 唯一違うのは、2004年1月のNHKテレビでの討論番組では「思い切って、金正日総書記を日本に招請したらどうか。招請に応じれば、一つの打開になる」と「金正日招請」という大胆な提案をしたことがあることだ。

 この6年前の提案を除くと、韓国哨戒艦事件で北朝鮮批判の先鋒に立ち、大韓航空機爆破犯である金賢姫元工作員を日本に招請し、日韓併合100周年に際する総理談話で北朝鮮について一言も触れず、無視したことにみられるように基本的には圧力重視で、北朝鮮への対応では強硬派と称された安倍元総理とさほど変わらない。

 小沢一郎前幹事長は、自民党の幹事長時代の1990年に後見人である金丸信副総理に勧められ、一度訪朝(1990年)したことがある。しかし、小沢前幹事長の北朝鮮印象はよくない。特に北朝鮮の核開発には警戒心を露にし、対抗措置を取るよう提言したこともあった。

 また、民主党代表だった09年4月には北朝鮮のテポドンミサイル発射について「北朝鮮は絶対的な独裁制の下、人権はもとより国民の生活も確保できない政治体制にある。そのような国が弾道弾や核をカードにして、もてあそぶことは絶対に許してはいけない」と激しく批判していた。

 しかし、朝日新聞の9月4日付の2面の「分析 菅流と小沢流の遠近」という見出しの記事で、菅さんは「外国人の地方参政権には賛成」するなど「リベラル」で、小沢さんは「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先させるべきだ」に賛成で「保守色が強い」と書かれていたが、むしろ菅総理よりは「リベラル」である。

 「外国人参政権」では賛成どころか、積極的な推進派であることは周知の事実である。また、北朝鮮問題でも基本的には制裁よりも対話重視派である。

 新生党代表幹事時代(1993年)は「核疑惑が解消されれば、日朝国交交渉の最も大きな障害が取り除かれるので、そうなれば、日本は北朝鮮と情報交換と人的交流をしながら、北朝鮮の生活水準を高めるための必要な協力はする」(韓国・東亜日報、93年12月29日付)と語っていた。

 また、今年1月3日付の産経新聞記事によると、拉致問題の打開をめぐり複数の民主党関係者が昨年夏以降、数回にわたって中国で北朝鮮側と極秘に接触し、拉致被害者の行方を確認するよう要求していたとのことだが、秘密接触の一つのルートは、小沢一郎幹事長に近いとされる人物である。

 幹事長だった昨年11月には韓国民主党の丁世均(チョン・セギュン)代表との会談で小沢氏は「個人的見解だと前置きし、『拉致問題の解決にこだわらず、日本と北朝鮮の関係改善について結論を出すべきだと考えている』と応じた」「『日本は拉致問題の解決に拘束されず(束縛を受けず)、日朝関係改善問題に結論を出さなければならない』と語った」と、朝鮮日報や中央日報など韓国の複数のメディア(11月13日)が一斉に伝えていた。

 韓国メディアの報道について会談に同席した民主党国際局長の藤田幸久参院議員は「実際には『拉致問題ばかりでなく、さまざまな観点から(日朝の)関係改善についてきちんとした対応をすべきだ』と小沢氏は述べた」と補足していたが、小沢発言が事実ならば、拉致問題解決の方策は、どちらかと言うと、小泉純一郎元総理の考え方に近い。

 総理を辞めた日朝平壌宣言の立役者である小泉さんは福田政権下の08年4月10日、当時盟友だった山崎拓自民党前副総裁らと懇談した際「日朝国交正常化の実現には首相が決着をつけるしかない。自分はもう行くつもりはなく、行くのは首相だ」と述べ、拉致問題解決のために思い切って国交正常化する以外ないとの主旨の発言をオフレコで行っていた。

 このオフレコには続きがあって小泉さんは「福田総理が行くべきだ」と促しながらその一方で「でも福田政権ではできないだろう。もっと強い政権でないと」と述べたと言われている。

 自分の手で拉致問題の全面解決も国交正常化も果たせなかったが、小泉さんは自他共に認める日朝国交正常化の推進論者である。

  一度目の訪朝の2002年9月17日の日朝首脳会談後の記者会見で「日本は正常化交渉に真剣に取り組む用意がある。私は、北朝鮮のような近い国との間で懸念を払拭し、互いに脅威を与えない、協調的な関係を構築することが、日本の国益に資するものであり、政府の責務として考えている」と述べていた。

 また、2年後の2度目の訪朝後の国会答弁(2004年5月22日)でも「私の一番重視している点はいかに日朝の不正常な関係を正常化するか、これにある」と語っていた。

 さらに、2005年の年頭記者会見でも「私は今の北朝鮮と日本の敵対関係を友好関係にすることが北朝鮮のみならず、朝鮮半島、世界の平和のために必要だと思っている観点から、できれば北朝鮮と日本との今の不正常な関係を正常化していきたいといつでも思っている」と、日朝国交正常化実現に最後まで執念を燃やしていた。

 小泉さんのオフレコ発言の本音は「国交正常化交渉の過程で拉致問題を解決する」にあるようだ。これ即ち、「拉致問題の解決なくして、国交正常化はない」との政策を修正し、国交正常化を優先させて総理が訪朝しない限り、拉致問題の解決は無理で、それをやれるのは「もっと強い政権」すなわち、小沢さんのような「豪腕」でないとダメとも聞こえなくもない。

 「日本は拉致問題の解決に拘束されず(束縛を受けず)、日朝関係改善問題に結論を出さなければならない」と小沢さんが考えているならば、同じ年の小泉さんと共通しており、拉致問題の解決策をめぐっては菅さんが安倍さんで、小沢さんが小泉さんということになる。

 事実、経済制裁についても「韓国や中国が経済的に支援しているなかにあって日本だけが経済制裁して効果があるとは思えない」(06年3月6日)と言っていた小泉さん同様に小沢さんもほぼ同じ時期に「日本が単独でやっても全く意味がない」と(『論座』06年9月号)と言っていた。

  「菅=安倍、小沢=小泉」とはこれまたねじれ現象である。

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小泉構造改革は最悪です。
しかし、私は小泉元首相の北朝鮮との電撃的な国交正常化は非常に高く評価しています。
ただ、あの時「絶対アメリカが怒る」と思いましたが、予想通りマスコミを使って日朝間を引き裂く工作が始まったと思っています。
今までテレビ新聞などは「拉致被害者」についてそれほど語ってはいませんでしたが、それがいっせいに「拉致問題解決が最優先」というキャンペーンが始まった。
その言葉を批判することは難しく、やがて大勢は「拉致解決優先」となっていった。
そして、苦労して得た「日朝国交正常化」の果実は手からこぼれていった。
日朝の国交正常化交渉のおかげで拉致問題が進展したというのに。
以後、小泉さんはアメリカのしもべに・・・
そして拉致問題は迷走を始めたようになっていきました。

阿部&管、小泉&小沢にかかわらず考えるとき、拉致家族の言い分はともかく、非情みたいだがこれに拘束されずに、日朝国交回復を
推進すべきだと思う。
しかしアメリカがこれを許さないだろう。ペンタゴンと軍需産業は
世界に緊張があれればあるほどGood for you!である。
最近のコーラン焼却の騒ぎもアラブ諸国との緊張をいやがうえにも高める。黒幕は?

韓国は北に対して継続して一応物資援助など行っていますね。このあたり日本は堅過ぎて断絶みたいな格好になるのかもしれませんね。将来韓国語や中国語くらいは多少勉強して韓国や北朝鮮人、中国人政治家と多少でもコミニュケーションができる程の日本人政治家がでてくるようになったほうがいいのでは。
しかし外交交渉や問題解決の為の交流を持つことと、韓国などとの政治色の強い法案例えば「参政権」など権利を付与する事は別問題だろうと思っています。これはいくらリベラルと言っても、それは単に無知だとしか言いようがないように思います、一度現地に留学するかあるは居住すべきで、韓国人や中国人と同じ目線で客観的に日本という国および日本人を見たほうが良いと思いますね。普通の在日の方々に問題があるわけではないでしょうが、韓国や中国が放置しておくわけないでしょうからね。

管さんと小沢さんのいままでの発言をまとめてあるのですが、これだけではもの足りません。
ならば、閉塞してる日朝関係をどのようにすべきか、朝鮮問題の専門家として今の民主党政権の対北朝鮮外交に何を望むのか、辺さんの提言も載せるべきです。
外務省出身で朝鮮問題を自身のブログで論じてる”初老のトクさん”が本日から北朝鮮を初訪問して北朝鮮の生の情報(党代表者会議も含めて)を取材してくるといいます。
このような能動的な行動は日朝関係の改善にも役立つことだと思います。

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Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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