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2010年4月 1日

金総書記の余命は本当に後3年か!?

 金正日総書記が脳卒中で倒れたのが、一昨年8月。倒れてから初めて金総書記の映像が公開されたのは、最高人民会議が開催された昨年4月9日。686人の代議員が見守る中、金総書記は舞台の袖から登壇したが、一瞬ふらつくなど左足がぎこちなかった。また、やつれ、無表情で、生気も感じられなかった。

 さらに3ヵ月後の7月8日の金日成主席死去1周年追悼式では一段と激痩せし、一回りも小さくなっていた。ひな壇に並んでいた同じ歳の精悍な金英逸(キム・ヨンイル)首相と比べてみると、そのコントラストは一目瞭然だった。隣席の15歳年上の金英南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長のほうがかくしゃくとしていた。金総書紀の表情は膵臓がんにより72歳で死去した「ミッチー」こと渡邉美智雄元副総理の「末期の頃」の表情にダブってさえ見えた。

 こうした外見の様子から、重病説、短命説まで囁かれたが、8月に入ると俄然元気を取り戻し、海外の賓客と相次ぎ会談するなど一転健在ぶりを誇示した。8月4日には北朝鮮に拘束されていた米国人女性記者らの解放のため平壌入りしたクリントン元大統領と3時間にわたって会談。16日には現代グループの玄貞恩(ヒョン・ジョンウン)会長と面談した。

 クリントン元大統領に同行したペンシルベニア医科大学のロジャー・バンド教授は、米政府の依頼に基づき、金総書記の歯、顔色、頭髪、頭皮、発音、手足の動作、体重などについて詳細に観察。その結果、「金総書記の健康状態は非常に良好だ」との診断を下し、オバマ大統領に報告している。

 食事を共にしながら4時間会談した玄会長は、金総書記について「初めて会った時に比べると体重がかなり落ちたようだったが、声には張りがあった。記憶力はまだまだ良さそうで、健康状態は良さそうだった」と韓国政府当局者に語っている。

 金総書記がクリントン元大統領に会う前に長期休養を取った形跡はない。8月4日までの約1ヶ月間の行動を調べると、7月13日、17日、28日、30日と地方視察も含め現地指導を行っていた。また、現代グループの玄会長とは会う3日前まで金総書記は軍部隊の視察や松濤園青年野外劇場などを視察していた。

 その後も、10月には温家宝中国首相、11月には梁光烈中国国防相らと相次いで会談し、健康、健在ぶりをアピールしていた。映像を見る限り、ほぼ以前に戻った感があった。驚いたことに、昨年1年間の公開活動は159回と過去最高だった2005年の131回を大きく上回っていた。

 ところが、今年になって、健康不安説が再燃している。発端は、「産経新聞」の1月28付の記事で、「複数の政府筋」の話として「金総書記は定期的に人工透析を受けている」と報じた。

 同紙は、「人工透析は腎臓機能障害のためで、糖尿病との合併症の可能性が高い」とし、日本政府筋の話として「外国の賓客らに会うのは透析を受けた後で、会談中は大変健康そうにみえると聞いている」と伝えていた。このことに関連して、国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長は2月23日、金総書記が「顔のしみ取りなどを行い、健康に見せようとしている」と国会情報委員会で報告していた。

 続いて韓国の「連合ニュース」(3月2日付)が金総書記の写真を分析した結果、手の色が「2009年4月以降、著しく黒ずんで見える半面、爪の色は健康な人に比べると不透明に白くなっていることが分かった」とし、複数の北朝鮮筋の話として「金総書記は脳卒中からある程度回復したものの、糖尿病などによる慢性の腎不全のために2009年5月から人工透析を始めた」と伝えていた。

 昨年に「キム・ジョンウン後継決定」をスクープした「連合ニュース」は「人工透析をしても正常な腎臓機能の10分の1の機能しか果たせない上、金総書記が高齢という点を考慮すると、金総書記の体内に尿毒素と不必要な水分がたまり続けている状態が、好転するどころか悪化している可能性が大きい」とまで断じた。

 さらに、韓国情報機関の国家情報院の傘下にある国家安保戦略研究所の南成旭(ナム・ソンウック)所長が3月24日、金総書記が慢性腎不全で「2週間に1回人工透析を受けている」と述べたほか、キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)までもが2月に韓国を訪問した際、非公開の懇談会で、金書記の健康状態について「すべての医学的情報を総合すると(余命は)3年程度と考える」と述べていたことが、韓国紙「朝鮮日報」(3月17日付)の報道で判明した。

 糖尿病などによる慢性の腎不全により人工透析を受けているのか、真偽は定かではないが、気になるのは、激痩せぶりである。前出の南成旭所長によると、「金総書記は脳卒中から回復後、発症前86キロだった体重は現在、70~73キロ程度まで落ちた」とのことだ。

 激痩せが肥満防止のための計画的なダイエットによるものか、あるいは疾病による後遺症なのか、判断が分かれるところだ。そのことと関連して一つ注目すべきは、禁煙を止め、再び喫煙しだしたことだ。

 金総書記の喫煙は、昨年4月14日、平壌の中心を流れる大同江の辺で金日成主席生誕97周年を祝う花火大会があり、金英南最高人民会議常任委員長ら幹部と観覧席に勢揃いした際に金総書記のテーブルの前だけに灰皿が置かれていたことから噂になっていた。

 決定的になったのは、昨年9月にロシアの文化使節団を率いて北朝鮮を訪問し、金総書記と面会した音楽家でもある団長のパーベル・オフシャンニコフ氏が「米国のたばこ(マルボロ)を吸っていた」と証言したからだ。

 かつてはヘビースモーカーだった金総書記は2001年に訪中した際に中国の幹部に「健康に悪いので禁煙した」と語っていた。当時、北朝鮮のメディアは「喫煙は心臓を打ち抜く銃と同じだ」との金総書記の言葉を紹介し、国民に禁煙を奨励するほどだった。

 たばこを復活したことについては「太り過ぎないため」の説と、激務による「ストレス軽減のため」の説が交錯しているが、これも判断が分かれるところだ。喫煙以上に気になるのは、これも自制していた酒を飲み始めたことだ。

 「酒量は度量」が口癖の酒豪の金総書記は2000年に訪韓した韓国の林東源国家情報院長に対して「以前はウィスキーやコニャックを随分飲んでいたが、最近は医者の忠告を聞いて、ワインを少し飲んでいるだけ」と語っていた。ところが、昨年1月21日、旧知の王家瑞中国共産党対外連絡部長が訪朝した際に相当に度数の高い北朝鮮産の酒を長時間にわたって飲んでいた。病に倒れてまだ半年も経っていないのに深酒をしていたのである。

 飲酒と喫煙については、金総書記と会食した現代グループの玄会長も「ワインを飲み、タバコを吸っていた」と証言していた。完治し、健康に自信があるからなのか、それとも開き直りによるものか、喫煙復活と同様にこれもまた謎だ

 前出の国家情報院の元世勲院長によると、金総書記は最近、心細くなったのか、家族に大きく依存するようになっているという。

 金総書記の最近の公開活動に最も多く随行しているのは、他ならぬ実妹の金慶喜(キム・ギョンヒ)党軽工業部長である。

 韓国統一部によると、1月初めから3月5日までの金総書記の公開活動は合計34回で、このうち昨年6月6日に農場視察に同行し、約6年ぶりに公開行事に姿を現した金慶喜部長は21回と最多。次に多いのが、金慶喜部長の夫である、義弟の張成沢(チャン・ソンテク)国防委員兼党行政部長で13回。金総書記が一番頼りにしているのが身内の妹夫婦であることは、金総書記が抱える健康不安と何らかの関係があるのではないかとみられている。

 このことと直接関係はないが、金総書記が昨年9月、建国記念日(9日)の記念行事に出席した際に党及び軍幹部らを前に語った次の言葉も真に意味深長だ。

 「米帝ら我々を圧殺しようとする勢力と熾烈な対決戦に必ず勝利し、次の世代により良い社会主義強盛大国を渡すことが首領様(金日成主席)の思想であり、私の信念である。私は今日死んでも、明日死んでも首領様の戦士として私の責任を最後まで果たすつもりだ」

 まるで自分の死を予感するかのような悲壮感が漂った言葉である。穿った見方かもしれないが、本人のみが自らの健康状態、余命を知っているからこそ、三男(ジョンウン)を後継者に定めることができたからこそ、そこまで言えたのかもしれない。

 昨年は、もう一つ、意外なことがあった。7歳の時に死別した母親(金正淑=キム・ジョンスク)の出生地(会寧市)を昨年2月に生まれて初めて訪れ、母親の銅像に献花し、3ヵ月後の5月には咸鏡北道にある母親の革命戦跡地を訪れていたことだ。2001年にロシア訪問の帰途、立ち寄る機会があったにもかかわらず多忙を理由に素通りしたのに昨年は突然赴き、母親を偲んでいた。何か思うところがあったのだろうか。

 今年の金総書記の公開活動をみると、1月は19回と、金正日体制が発足した1998年9月以降、月間で最多を記録したが、2月は12回と急減。そして3月は29日現在、7回と大幅に減っている。7回のうち3回は体に負担の少ない公演観覧であった。

 今年は現地視察が大幅に減った代わりに、公演観覧が増えたことから健康に不安を感じているのではないかとの見方も韓国では出ているが、3月は13日から25日までの間公開活動を休んでいたことから、囁かれている4月訪中に備えて静養を取っていた可能性も多分にある。

 金総書記がどの程度の健康状態にあるのか、訪中し、外部の目にさらされれば、はっきりするだろう。健康不安説を打ち消すことができるのか、それとも増幅されるのか、金総書記の訪中が注目される。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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