Calendar

2010年1月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

« 「ジョンウン報道」で朝鮮半島の一年が始まった!1月8日もまた
メイン
北朝鮮女子サッカー選手団の入国賛否をめぐって »

今年の朝鮮半島は、2000年の再現となるか


 今年2010年は、2010年代の元年でもある。時代や歴史を10年単位で捉えると、何よりも最初の年が肝心だ。

 今年は残念ながら初夢を見なかった。実は、10年前の2000年には金正日総書記が金大中大統領との首脳会談を受け入れた初夢を見ていた。それが、何と半年後に正真正銘、正夢となったから驚いた。

 当時見た初夢についてコリア・レポートの2000年1月号(NO.393)の表紙(編集メモ)で次のように記していた。

 「年末から年初にかけて北朝鮮を訪問しました。平壌では金正日総書記、それに対日担当の金容淳書記に会いました。金総書記には金大中大統領から預かった親書を手渡しました。金大統領の親書には南北経済共同体を提唱した真意が書かれていました。驚いたことに金総書記は『金日成主席の遺訓を守る』と述べ、南北経済共同体の設置にも首脳会談の開催にも同意しました。帰国直前に金容淳書記と会い、日朝間の懸案となっている『日本人拉致問題』の解決も求めました。これまた驚いたことに承諾し、直ちに引き合わせてくれました。万事うまくいき、日本に連れて帰ろうとすると、機上でハイジャックにあいました。あの『よど号』の連中らが同乗していたのです。そして今度は『ソウルに行け』と脅すのです。それで目が覚めました」

 日本人拉致問題はそれから2年後に金総書記は認め、一部の被害者を日本に帰したが、南北首脳会談はこの年に電撃的に実現している。

 振り返ると、2000年の年は、朝鮮半島ではいろいろと大きな出来事が起きたが、どれもこれも「吉報」ばかりだった。

 核とミサイルで対決していた米朝間では10月に金正日総書記の側近であるNo.2の趙明録国防委第一副委員長とオルブライト国務長官の間でクロス訪問が実現し、関係改善に向けての米朝共同声明が発表されている。

 南北間では6月に史上初の首脳会談が実現したのを皮切りに、1985年以来15年ぶりに朝鮮戦争で生き別れていた南北離散家族の再会が実現し、そして9月のシドニー五輪では五輪史上初の南北同時行進が実現している。首脳会談の結果、金大中大統領がノーベル平和賞を受賞したのもこの年だ。韓国人としては初のノーベル賞受賞であった。

 外交面では金正日総書記が17年ぶりに中国を訪問し、また7月にはプーチン大統領が旧ソ連時代も含めてロシア最高指導者として初めて訪朝している。北朝鮮が英国やイタリア、スペインなど西欧諸国と関係を正常化したのもこの年からだ。

 日朝間でも大きな前進があった。日朝国交正常化交渉が7年半ぶりに開催され、7月には日朝史上初の外相会談も実現している。2年以上も途絶えていた日本人妻の里帰りも再開した。

 ちなみにその10年前の1990年の年をみると、これまた特筆すべき出来事ばかりだった。

 米韓間で駐韓米軍削減合意(2月)、北朝鮮が朝鮮戦争で行方不明となった米軍兵士の遺骨返還(5月)、南北民間交流の実現(5月)、金日成主席の訪中(9月)、ソ韓国交樹立(9月)、金丸訪朝(9月)、北朝鮮に抑留されていた「第十八富士山」乗組員の帰還(10月)、中韓貿易事務所の相互開設(10月)、南北首相会談実現(10月)、盧泰愚大統領の訪ソ(12月)等等。

 朝鮮半島の和平、緊張緩和の鍵を握っているのは過去も、現在も北朝鮮であることに変わりはない。良くも悪くも、北朝鮮の動向次第で決まると言っても過言でない。そして、その年の北朝鮮の方向性を暗示しているのが、毎年元旦に発表される労働党機関紙・労働新聞など3紙新年共同社説である。

 今年の社説は、米国、韓国では大いに歓迎されている。対決姿勢が消え、対話を前面に打ち出しているからだ。また、軍事色が消え、経済重視を鮮明にしているからだ。

 米国が好感を持っているのは「対話と交渉を通じて朝鮮半島の強固な平和体制を整え、非核化を実現しようとするわれわれの立場は一貫している」と平和協定締結を条件に非核化の意思を表明していることにある。また、韓国も、北朝鮮が李明博政権に対して昨年とは打って変わり「南北関係改善の道を開いていかなければならない」と融和的になっていることを評価している。このため一部では南北首脳会談への期待も高まっている。

 日本への言及はなかったが、朝鮮半島を取り巻く状況、環境が好転すれば、過去の例をみるまでもなく、必然的に日朝関係にも好影響を与えることになる。米朝関係、6か国協議及び拉致問題の進展次第では、日朝首脳会談もあり得るかもしれない。

 今年は、是非2000年の再現を期待したい。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.the-journal.jp/mt/mt-tb.cgi/6438

コメント (7)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

事務局様

都合の良いコメントしか受け付けない坂中英徳の投稿を禁止して下さい。

私が思うここ数年の南北関係は、盧泰愚大統領以後、北の軍事的行動のちの、南の経済的融和政策、双方の人的文化的交流などによって少なからず相互関係を深め、双方の発言土台を築いてきたように感じますね。
もっとも大韓民国の憲法では、国軍は自国防衛の為の軍であり、祖国統一は平和的に指向するものですから、北の軍事行動に対し南も発言こそ強弁である事もあったが、韓国が境界線進入、領海侵犯などはありえなかったでしょう、結果的に南が受け身的になることで築ける関係である事をMH,MB氏らが理解した上で継承し、北とは和平路線である事を強調しながら今に到っているのでしょう。
拡大解釈でしょうけど、核開発=軍事行動からなる一連の対米交渉や温首相の訪朝などは、過去の南北関係の拡大版だと受け止めている方が、韓国人の中にいらっしゃるのも事実です。

ミサイルを発射した意味が南進か対日軍事作戦であるか否かはKCIAによる相当な裏付けが無い限り韓国メディアは、日本のメディアのように大騒ぎする事はないでしょうが。
隣国に存在しておいて、一時の日本メディアの騒ぎぶりは当然労働党も理解しているわけでしょうから、「日本個別交渉相手に値せず」はある意味北朝鮮側の当然の主張なのでしょう。独自性ある北朝鮮との外交交渉や拉致問題を軍事力の裏付けや独自の情報網なしに望む事は、結局「他国と連携して」となる、さらに日朝単独交渉を望むとなると、現在においては米国依存や中韓へ取り次ぎ依頼をせざるを得ないし、タダではない。
6ヶ国協議再開が日朝交渉のキッカケになれば幸いです。

今年もよろしくお願い致します。

辺さん

初めて投稿いたします。
2002年に5人の拉致被害者が帰国して、さらに2年後ジェンキンス氏と曽我さんの娘さんたちが第3国経由で帰国してからこの事件は一切進展がありません。外務省も公安も彼らからかなりの事情聴取をして相当量の情報を持っている。それが一向に表に出てこないことが問題を複雑にしているように思えます。当然北に不利な証言が日本のマスコミに漏れてひとり歩きすれば、まだ北にいる拉致被害者の身に危険が生じる。ここまでわかっていて、政府の動きが見えないので田原発言もあったように思います。羽毛田氏といい、藤崎氏といいもちろん官僚に舐められている最終責任者は総理ですが、外務大臣と外務省の動きが悪過ぎます。なんで暮れはロシアで今トルコなんでしょうか?

坂中英徳さんのブログにコメントが投稿できないのはシステム上の問題です。現在、調査&対応中ですのでいましばらくお待ち下さい。近日中に投稿が出来るようになると思います。

なお、これまで何度も述べてきていることですが、THE JOURNALでは記事に対する批判的な意見を削除することはありません。削除対象は下記のリンクにあるように、最低限の社会的マナーが守られていない投稿に限っています(ブロガーには削除権限はありません)。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

削除は、記事に対する賛成・反対の意見にかかわらず、定期的に行っています。極力コメントの削除はしないようにしてはいますが、ある程度の管理を入れないと匿名掲示板のようになってしまいますので、ご理解・ご了承いただけますようお願いいたします。

前にも書いたけど、この人の論説はどうしてこんなに中身が無いんだろう。

日本政府が
・攻撃的軍事力を持たない
ということで、持ち札が少ないため打つ手が見つからないことはわかる。
この人の場合は更に
・北朝鮮を対等な国家として扱わないければいけない
・北朝鮮の犯罪行為、約束違反について非難してはいけない
という縛りがこの人の思考回路にあるらしいため、言ってることがとんちんかん。

2000年(米朝共同声明、南北融和)なんて、その裏で北朝鮮がどういう動きをしてたか今となってはすべて明らかなのに、何が「吉報」なんだか。

必要以上に北朝鮮を敵視するのは何の益も無いので止めたほうがいいと思うが、必要以上に北朝鮮を擁護する立場の言説と言うのはかなり有害だと思う。

この人が”ピョン・ジンイル”という名前を持っていなければ、歯牙にもかけられない凡庸なプロバガンダだと思う。

下記の記事は韓国ですか。
しっかり考えているんだな。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132597&servcode=400
法務部は対象者の両手の人差し指の指紋をスキャナーで認識し、顔を撮影した後、法律違反の外国人の指紋・顔情報データベースと対照し、犯罪経歴者や不法入国者に対しては入国を拒否する方針だ。このため不法滞留など国内で犯罪経歴がある外国人23万人の指紋と43万人の顔の情報を確保した。
--------------------------
デッカイ国って維持するのが偉い大変で、リーダーシップとやらを、誇示するための「カリスマ性のある実力行使」であるところの、戦争やら、武力の行使をやり続けないことには、国としてのまとまりに欠けるから、周辺諸国は当たり前に、怖いよね。
国としてのまとまりと、歩調合せのスパイスに、国の上の方では、何時も目を光らせて実力行使相手を物色してるし
行動にになって現れてる。
それが内であろうが外であろうがかまわないなんて、
だから始末が悪すぎて見るに耐えないよね。

小じんまりと小さい国が平和だよね。
でも、経済力がないと、それ自体が武器であり、それしかないからやられずに話し合いの手段としての武器になるから、
経済力が重要だし頼りだよね。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

※[投稿]ボタンをクリックしてから投稿が完了するまで数十秒かかる場合がございますので、2度押しせずに画面が切り替わるまでお待ちください。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.