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2010年1月25日

ボールはどっちにある?6か国協議の行方


 ボズワース北朝鮮担当特別代表の訪朝(12月8-10日)から1ヶ月半が過ぎたが、未だに6か国協議再開のめどが立っていない。

 米朝両国は、ボズワース帰国後、「解決すべきことが残っている」(ローリー米国務次官補)、「残る相違がある」(北朝鮮外務省報道官)ことを認めていたが、予想したとおり、その相違とは、6か国協議復帰への北朝鮮の前提条件にあることが明白となった。また、その前提条件が、1月11日の北朝鮮外務省の声明によって、平和協定会談と国連の制裁解除であることもわかった。

 北朝鮮はこの二つの条件をすでにボズワース訪朝時に米国に示していたが、ボズワース氏は当時、「6か国協議関係国と協議しなければならない」と返答していたが、韓国政府は北朝鮮の「先平和協定、後非核化論議」主張に対し、非核化論議優先の原則を示し、拒否の姿勢を公式に明示した。

 日本政府も岡田克也外相がクリントン米国務長官との日米外相会談(12日)で、北朝鮮の提案について「平和協定の交渉を6カ国協議と違う場でするとすれば、遅延工作の口実にされかねない。気をつけなければいけない」と反対の意向を表明した。日韓両国は韓国の柳明桓外交通商相が来日(16日)した際の外相会談で制裁解除についても「認められない」との点で一致した。制裁解除については「非核化の進展が条件である」と釘を刺した。

 米国もまた、ホワイトハウスのギブズ報道官が11日、6カ国協議再開前には協定交渉に応じない立場を表明し、制裁解除についても「数ヶ月前から6か国協議復帰だけで報酬は与えないことを明白にしてきた」と、断固拒否する考えを明らかにした。

 鍵を握る中国も、姜瑜副報道局長が12日、「現状では6カ国協議の早期再開を望む」と述べ、日米韓3か国と同様に6カ国協議再開を重視する立場を明らかにした。

 中国は、北朝鮮の提案内容が2005年の6か国共同声明に含まれているとの立場から、北朝鮮に6カ国協議に復帰してから同協議の枠内で提案するよう促したが、北朝鮮は11日の声明を撤回するどころか、1週間後の18日に外務省スポークスマンを通じて反論し、再度前提条件の受け入れを迫った。

 北朝鮮の反論は主に3点に集約される。

 ①6か国共同声明には、非核化と関係正常化、エネルギー補償、平和体制樹立の問題が「調和」のもとで実現されなければならないと明示されている。非核化が進捗してこそ、平和体制樹立の問題を議論できるとの合意事項はない。

 ②米国側の事情を考慮して、6か国協議で平和協定締結の論議に先立って非核化の論議を6年以上も優先させた。非核化は前進したが、平和協定締結の論議は開始すらせず、結果的に非核化プロセスは逆転してしまった。平和体制の論議に先立って非核化を進める方式は、失敗に終わった。信頼なくして非核化を推し進めるというのは、基礎なしに家を建てるのと同じである。

 ③制裁の帽子を被ったまま6か国協議に臨むなら、その会談は共同声明に明示されている平等な会談ではなく、「被告」と「判事」の会談になってしまう。これは、われわれの自尊心が絶対に許さない。

 現状のままでの6か国協議への復帰は、10月に訪朝した温家宝首相に対して金正日総書記が示した「米朝関係が敵対関係から平和的関係へと移行することを条件とする」原則に反し、事実上の外交的な屈服を意味することから、北朝鮮としては無条件復帰は国家の体面上、許されないこととみなしている。

 北朝鮮以外の5か国は6カ国協議が再開され、北朝鮮が可視的な非核化措置を取れば、国連安全保障理事会の決議に従い、安保理で制裁の緩和・解除の検討が可能との考えを伝え、また平和協定に関する議論も6カ国協議が再開され非核化プロセスに進展があれば、関係当事国が別途の適切なフォーラムを通じ平和体制の交渉を行えると説得しているが、北朝鮮に応じる気配はない。

 このように「6か国協議復帰と非核化の進捗」を優先とする5か国と「制裁解除と平和協定の論議」を最優先とする北朝鮮との溝は一見深いようにみえるが、決して埋められないものでもない。

 ●平和協定問題の落し所

 北朝鮮の平和協定会談要求については、韓国の柳外交通商部長官は「非核化協議を後回しにする意図がある」と警戒しているが、平和協定が締結されるまでは、非核化を一歩も進めないとの出口論を北朝鮮が展開するならば、妥協は難しいが、北朝鮮の主張は「各当事国が平和協定締結のための交渉に臨み、対座するだけでも信頼の出発点はつくられるであろう」と、6か国協議で、非核化議論と平行して平和協定を論議する場を設けてもらいたいとの入り口論に留めているので、まだ妥協の余地は残されているようだ。

 また、また会談の形式についても、「6者会談の枠内で行うこともできる」と譲歩しており、かつてのように米朝間に拘っていない。従って、この問題は、非核化協議と並行する形で平和協定に関する関係国の議論を開始することで最終的に折り合いがつく可能性は十分に考えられる。

 問題は制裁解除だ。平和協定の問題よりも難しい。

 北朝鮮は「制裁の帽子を被ったまま6か国会談に臨むなら、その会談は『被告』と『判事』の会談になってしまう。これは、われわれの自尊心が絶対に許さない」と「先制裁解除」を求めている。

 北朝鮮の要求に対してキャンベル米次官補(東アジア・太平洋担当)は19日の会見で、「現時点で制裁を解除したり、国連安全保障理事会決議1874(制裁決議)を再検討するのは望ましくない」と述べ、北朝鮮との間で協議復帰と引き換えに制裁を解除する考えがないことを明らかにした。

 また、ボズワース特別代表は「国連安全保障理事会決議1874はそうした要求に対する答えを盛り込んでいる。北朝鮮が6カ国協議に復帰し、非核化に向けた進展があれば、安保理は制裁内容を変更するための妥当性を検討することになるだろう」と述べ、北朝鮮に対してまずは6か国協議に出て、非核化を履行するよう促した。

 日米韓とも制裁解除の要求については「国連安全保障理事会の決議で定められているように、非核化の進展があってこそ、安保理で(制裁解除を)検討することができる」(柳外交通商部長官)との立場である。

 対北朝鮮制裁は国連が採択、発動したわけだから、制裁解除は国連安保理の同意なくしては不可能だ。

 国連は制裁解除の条件として①これ以上の核実験や弾道ミサイル技術を使用した発射を実施しない②弾道ミサイル計画に関するすべての活動を停止し、この文脈で、ミサイル発射モラトリアム(猶予)に関する既存の約束を再度確認する③安保理の諸決議、特に1718の義務に直ちに全面に従う④NPT脱退宣言を撤回する⑤すべての核兵器と既存の核計画を完全で検証可能かつ後戻りできない形で放棄し、関連する活動を停止する⑥IAEA加盟国の義務とIAEA保障措置協定の条件に従って、行動することを北朝鮮に求めている。

 ところが、北朝鮮は①から⑥まで何一つ順守、履行していない。逆に国連決議に反してミサイルや兵器をコンゴやミャンマー、イランなど国連が制裁を科している国々に輸出しているのが実情である。このような状態での制裁解除は容易ではない。最近も北朝鮮の兵器を積んだグルジア国籍輸送機がタイで「摘発」され、兵器が押収されたばかりだ。この事件一つとっても、制裁は本来強化されることはあっても、解除される状況にはない。

 どう考えても、6か国協議復帰前の制裁解除の可能性は極めて低い。とは言え、北朝鮮が被告人として出るわけにはいかないと「自尊心」にこだわっている以上、また、「制裁という差別と不信の障壁が除去されれば、6者会談そのものも直ちに開かれるだろう」と6か国協議への即復帰を表明している以上、6か国協議再開に向けて何らかの歩みよりも必要なのも事実である。

 ●制裁に関するクリントン長官の発言の変化 
 
 興味深いのは、制裁解除に関するクリントン米国務長官の発言である。クリントン長官は昨年6月13日に国連安保理で制裁決議が採択されたことについて「我々は北朝鮮がテーブルに出ただけで補償は与えない」(7月22日)と言明していた。また、「検証可能で後戻りできない形での完全な非核化に向けた措置をとらない限り制裁は緩めない」(10月21日)と強調していた。

 しかし、今回の条件付きの6か国協議復帰提案については「北朝鮮が6か国協議に復帰すれば適切な制裁の緩和を検討する案が生まれるかもしれない」(7月12日)と微妙な言い回しをしていた。即解除はできないが、復帰すれば緩和には応じても良いと受け止められる発言だ。制裁緩和の範囲にもよるが、北朝鮮が条件のハードルを下げれば、この問題もクリアすることができる。

 北朝鮮の提案を含め6か国協議再開の方策を協議するためキャンベル次官補は2月初旬、日韓中を相次いで訪問することにしているが、21日に米上院で開かれた聴聞会に出席し、北朝鮮の提案に関して「6か国協議復帰が優先」と答えた上で「6か国協議の中で米朝会談を含むすべてのことを議論する準備ができている」と語っていた。

 オバマ政権になって6カ国協議は一度も開催されておらず、核安全保障サミットを4月に、核拡散防止条約(NPT)再検討会議を5月に控え、米国としても北朝鮮核問題をこのまま放置できないのが実情である。

 加えて、北朝鮮は昨年4月25日に使用済み核燃料棒の再処理を開始し、6月13日にはプルトニウムの兵器化とウラン濃縮作業に着手し、9月3日には「抽出したプルトニウムの武器化とウラン濃縮試験が最終段階に入った」と宣言した。そして2ヶ月後の11月3日には抽出したプルトニウムの兵器化で「注目に値する成果があった」と発表している。制裁を加えても、北朝鮮の核開発を止められないどころか、逆に拍車をかけているのが現状である。

 北朝鮮は19日の外務省スポークスマンの声明の中で「我々は6か国協議に反対せず、それを遅延させる何の理由もない」と述べる一方で、「各当事国が我々の現実的な提案を受け入れるよう説得するための努力する」と言っている。

 聞き方次第では、時間がかかっても米国など関係諸国が要求を受け入れるまで待つという意味にも受け取れ、逆の意味で核開発の時間稼ぎに使われる恐れもある。

 韓国の柳外交通商部長官は22日定例会見で、6カ国協議について、「旧正月連休(2月13~15日)を前後し再開されるものと期待する。そうした方向で関係国が意見調整を続けている」と述べていたが、ネット上にあるボールを米朝のどちらが先に拾いに行くのか、2月を待ちたい。

2010年1月 6日

北朝鮮女子サッカー選手団の入国賛否をめぐって

  昨晩遅く、TBSラジオ番組の「アクセス」に出演した。北朝鮮女子サッカー選手の日本入国問題を急遽取り上げることになったからだ。スタジオ入りを求められていたが、風邪気味だったので、自宅からの電話出演となった。

 日本政府は昨日(5日)、東京で来月5日から開催される東アジア女子サッカー選手権大会への北朝鮮選手団の入国を認めた。苦慮の末の決断だったらしい。

 前政権の麻生政権がすでに許可していたことと、スポーツであることが許可の理由だ。聞き方次第では、「自民党政権が事前に許可を出していたので仕方がなかった」というふうにも聞こえなくもない。仮に、麻生自民党政権が許可していなかったら、鳩山民主党政権は不許可にしたのだろうか。また、これが、スポーツ行事でなく、文化イベントだったら、果たしてどう対応したのだろうか、興味があった。民主党政権になって何がどう変わるのか、判断材料となるからだ。

 勝手な推測だが、鳩山総理ならば、麻生政権が仮に不許可の方針を出していたならば、それを撤回し、同じように許可を出していただろう。その理由は、3年前の民主党幹事長の時の発言にある。京都で2006年8月に開かれた世界宗教者平和会議世界大会に北朝鮮代表団の入国が安倍政権下で拒まれた際、「平和を考える会だからこそ来られることに意味があった。入国を拒まれるのは極めて残念だった」と語っていたからだ。交流と親善の場でもあるスポーツ大会への参加を拒むことは鳩山さんの信条である「友愛精神」にも相反するからだ。


 番組のナビゲーターから電話口で「日本政府の決定をどう思われますか?」と聞かれたので、「極めて妥当な対応」と答えた。その理由をいくつか挙げた。

 一つは、スポーツに政治を持ち込むべきではないとの持論による。今どき、政治的な理由で、自国で開かれる国際スポーツ大会への参加を拒む国はない。仮に拒否すれば、国際的非難を浴び、日本のイメージの失墜につながるだけだ。北朝鮮の反発や東アジアサッカー連盟の対応次第では、大会返上も強いられるかもしれない。日本で国際競技を開催する資格、そのものを問われることになりかねない。仮に、これが日本、北朝鮮、中国、韓国4か国による東アジア女子サッカー選手権大会ではなく、五輪あるいは、サッカーW杯の開催ならば、どうだろうか?「制裁中」という理由で北朝鮮選手団の入国を拒否できるだろうか? IOCやFIFAから理解と支持を得られるのだろうか?おそらくやれないし、できないだろうし、理解も得られないだろう。

 次に、今大会の主催は東アジアサッカー連盟だが、同連盟はアジアサッカー連盟の一部であり、アジアサッカー連盟は国際サッカー連盟(FIFA)の傘下にある。FIFAはその憲章で「宗教や政治などによる国家、個人、グループへの差別を禁じる」ことやホストであるその国のサッカー連盟に対して「政府など再三者による影響を受けない独立した運営」を定めている。

 この憲章に従えば、ホスト役の日本サッカー協会は政府の「介入」を排除しなければならない。仮に、予選を勝ち上がって、本大会への出場を決めた北朝鮮の女子選手団の入国が政府によって妨害されれば、憲章違反となり、日本サッカー協会がFIFAの制裁対象となる。日本サッカー協会は2018年及び2022年のワールドカップの日本誘致に乗り出しているが、開催地は今年12月のFIFAの理事会で決まる。一歩誤れば、日本の招致活動にも悪影響を及ぼしかねない。

 日本人は「北朝鮮」となると「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」とばかり、条件反射的に感情的になり、時にはエキセントリックになりがちだが、冷静に考えて欲しい。予選を勝ち抜いてきた北朝鮮女子チームは何も好き好んでアウエーの、それも「反北」の真っ只中にある日本に来て、本戦をやりたがっているわけではない。東アジアサッカー連盟の理事会で日本開催が決定したためにその決定に指示に従い、ホスト役の日本サッカー協会から招請されたので、日本に来ようとしているわけだ。にもかかわらず、入国を認めないとなると、それは抗議するのは当然ではないだろうか。日本が同じ立場に立たされたら、日本人も黙ってはいないだろう。

 三つ目に、入国を拒んだからと言って、拉致問題の解決に繋がるわけではない。逆に北朝鮮の反発を招き、解決の道がさらに遠のくだけだ。「核問題解決のための6か国協議開催に障害になりかねない」として、米国、中国、ロシア、そして韓国などからも賛同は得られないだろう。

 四つ目に、日本独自の制裁で日本政府は北朝鮮との人的交流を規制しているが、現在の国連の制裁対象には人的往来、交流までは含まれていない。米国や韓国をはじめ国際社会は北朝鮮に対して経済制裁を科しながらも、李根外務省対米局長の訪米や金基南党書記などの訪韓を受け入れるなど人的往来は継続している。昨年後半から米朝及び南北の関係が改善の方向に向かっているのは人的交流の賜物である。

 最後に、「ピンポン外交」という言葉があるようにこれを機に日朝をとりまく環境が好転すれば、日朝協議再開につながることもあり得る。凍結したままとなっている一昨年8月の日朝合意が復活し、北朝鮮による拉致被害者安否調査への道も開かれるかもわからない。政治的に対立している時こそ、人的、文化的交流を重ね、意思の疎通を図り、信頼を醸成することが大事だ。拉致問題の解決は最終的には対話と交渉しかない。対話と交渉とは簡単な話が、相手と会って、話し合うことである。人的交流を拒絶しながら、その一方で北朝鮮に対話と交渉を促すのはあまりにも矛盾していると言わざるを得ない。

 幸い、番組視聴者のアンケートでは、65%が今回の政府の決定を支持していた。このまま何事もなく、無事開催してもらいたいものだが、どっこいこ事はそう簡単ではない。

 北朝鮮の選手団には当然体育省の役員も同行してくるはずだ。2006年9月に横浜で開かれたシンクロナイズドスウィミングワールドカップでは北朝鮮選手団13人のうち3人が「政府関係者の可能性がある」との理由でビザを発給しなかったことから、北朝鮮が反発し、最終的に不参加となった経緯がある。

 また、その一ヶ月前に大阪で開かれた東アジア卓球選手権大会では「選手の身辺安全問題」を理由に北朝鮮が土壇場で参加を断念したケースもあった。

 仮に、日本政府が全員の入国を認めない場合、あるいは入国しても、一部反対派の抗議活動次第では身の危険を感じた北朝鮮選手団が「身辺の安全問題」を理由に途中帰国してしまうケースも考えられる。不祥事があれば、大変なことだ。

 アルカイダーによるテロの恐怖が囁かれているイエメンで岡田ジャパンは今日、イエメンを相手に戦う。日本選手団の心理的負担、重圧は半端ではないと思う。日本とイエメンの治安状況及び警備体制は天と地の差はあるが、国の違いはあっても、選手の立場に立てば、精神状態は同じかもしれない。

 日本政府も、日本サッカー協会も入国を認めた以上、日本の国際的威信をかけて安全な大会開催に努めてもらいたい。

2010年1月 4日

今年の朝鮮半島は、2000年の再現となるか


 今年2010年は、2010年代の元年でもある。時代や歴史を10年単位で捉えると、何よりも最初の年が肝心だ。

 今年は残念ながら初夢を見なかった。実は、10年前の2000年には金正日総書記が金大中大統領との首脳会談を受け入れた初夢を見ていた。それが、何と半年後に正真正銘、正夢となったから驚いた。

 当時見た初夢についてコリア・レポートの2000年1月号(NO.393)の表紙(編集メモ)で次のように記していた。

 「年末から年初にかけて北朝鮮を訪問しました。平壌では金正日総書記、それに対日担当の金容淳書記に会いました。金総書記には金大中大統領から預かった親書を手渡しました。金大統領の親書には南北経済共同体を提唱した真意が書かれていました。驚いたことに金総書記は『金日成主席の遺訓を守る』と述べ、南北経済共同体の設置にも首脳会談の開催にも同意しました。帰国直前に金容淳書記と会い、日朝間の懸案となっている『日本人拉致問題』の解決も求めました。これまた驚いたことに承諾し、直ちに引き合わせてくれました。万事うまくいき、日本に連れて帰ろうとすると、機上でハイジャックにあいました。あの『よど号』の連中らが同乗していたのです。そして今度は『ソウルに行け』と脅すのです。それで目が覚めました」

 日本人拉致問題はそれから2年後に金総書記は認め、一部の被害者を日本に帰したが、南北首脳会談はこの年に電撃的に実現している。

 振り返ると、2000年の年は、朝鮮半島ではいろいろと大きな出来事が起きたが、どれもこれも「吉報」ばかりだった。

 核とミサイルで対決していた米朝間では10月に金正日総書記の側近であるNo.2の趙明録国防委第一副委員長とオルブライト国務長官の間でクロス訪問が実現し、関係改善に向けての米朝共同声明が発表されている。

 南北間では6月に史上初の首脳会談が実現したのを皮切りに、1985年以来15年ぶりに朝鮮戦争で生き別れていた南北離散家族の再会が実現し、そして9月のシドニー五輪では五輪史上初の南北同時行進が実現している。首脳会談の結果、金大中大統領がノーベル平和賞を受賞したのもこの年だ。韓国人としては初のノーベル賞受賞であった。

 外交面では金正日総書記が17年ぶりに中国を訪問し、また7月にはプーチン大統領が旧ソ連時代も含めてロシア最高指導者として初めて訪朝している。北朝鮮が英国やイタリア、スペインなど西欧諸国と関係を正常化したのもこの年からだ。

 日朝間でも大きな前進があった。日朝国交正常化交渉が7年半ぶりに開催され、7月には日朝史上初の外相会談も実現している。2年以上も途絶えていた日本人妻の里帰りも再開した。

 ちなみにその10年前の1990年の年をみると、これまた特筆すべき出来事ばかりだった。

 米韓間で駐韓米軍削減合意(2月)、北朝鮮が朝鮮戦争で行方不明となった米軍兵士の遺骨返還(5月)、南北民間交流の実現(5月)、金日成主席の訪中(9月)、ソ韓国交樹立(9月)、金丸訪朝(9月)、北朝鮮に抑留されていた「第十八富士山」乗組員の帰還(10月)、中韓貿易事務所の相互開設(10月)、南北首相会談実現(10月)、盧泰愚大統領の訪ソ(12月)等等。

 朝鮮半島の和平、緊張緩和の鍵を握っているのは過去も、現在も北朝鮮であることに変わりはない。良くも悪くも、北朝鮮の動向次第で決まると言っても過言でない。そして、その年の北朝鮮の方向性を暗示しているのが、毎年元旦に発表される労働党機関紙・労働新聞など3紙新年共同社説である。

 今年の社説は、米国、韓国では大いに歓迎されている。対決姿勢が消え、対話を前面に打ち出しているからだ。また、軍事色が消え、経済重視を鮮明にしているからだ。

 米国が好感を持っているのは「対話と交渉を通じて朝鮮半島の強固な平和体制を整え、非核化を実現しようとするわれわれの立場は一貫している」と平和協定締結を条件に非核化の意思を表明していることにある。また、韓国も、北朝鮮が李明博政権に対して昨年とは打って変わり「南北関係改善の道を開いていかなければならない」と融和的になっていることを評価している。このため一部では南北首脳会談への期待も高まっている。

 日本への言及はなかったが、朝鮮半島を取り巻く状況、環境が好転すれば、過去の例をみるまでもなく、必然的に日朝関係にも好影響を与えることになる。米朝関係、6か国協議及び拉致問題の進展次第では、日朝首脳会談もあり得るかもしれない。

 今年は、是非2000年の再現を期待したい。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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