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2009年12月29日

「ジョンウン報道」で朝鮮半島の一年が始まった!1月8日もまた


今年も今日を入れて残り三日となった。今年一年振り返ると、朝鮮半島ではいろいろな出来事があった。

 朝鮮半島10大ニュースとは別途に特筆すべきは、金正日総書記の三男、ジョンウン氏が一躍後継者として急浮上し、その関連記事が増大したことだ。すべては、「金正日総書記が後継者を三男の正雲(ジョンウン)に決めた」との1月16日の韓国連合ニュースの報道から始まった。

 後継者は長男のジョンナム(正男)か次男の正哲(ジョンチョル)のどちらかとみられていただけにビックリ仰天し、当時「『世紀のスクープ』となるのか、それとも『誤報』か、近々解答が出るだろう」と書いたが、どうやら「世紀のスクープ」となったようだ。

 その後、日韓のマスコミが「ジョンウン報道」を競い、その結果、10代の頃、スイスに次兄とともに留学していた事実が明るみに出た。毎日新聞は当時の15~16才の頃の写真をスクープしていた。

 ジョンウン氏は今は、26歳となっている。この10年間、全く表に出てこないため素顔がわからない。依然としてミステリーのままだ。

 洪水のように氾濫する情報や報道の中には虚報や推測記事も数多くあった。そのため偽の写真が誤って流れたこともあった。しかし、写真以外は、確認の取りようがないことから、そのまま検証されず、今日にいたっている。未確認情報の代表的なものは、朝日新聞が6月16日に一面トップで伝えた「『後継』ジョンウン氏が訪中 北朝鮮の金正日総書記の名代、中国の胡主席らと会談」記事だろう。

 「朝日」はこの記事を「世界的スクープ」と自画自賛している。今朝の「朝日」の一面に掲載された「権力監視 変わらぬ使命」の見出しの囲み記事でも筆者である船橋洋一主筆は「特筆すべき」とPRしていた。

 「朝日」以外に「金ジョンウン訪中」を伝えたのは英紙ファイナンシャル・タイムズと日本のNHKだけだ。

 ファイナンシャル・タイムズはおよそ二週間後の6月29日付に「趙明録国防委員会第一副委員長が同行した」と報道し、またNHKは半年経った12月になって「金総書記の特使として訪朝したのは、義弟の張成沢国防委員で、ジョンウン氏が同行した」(4日)と伝えていた。

 北朝鮮の情報収集に奔走している米韓情報当局もワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなど米国のメディアも、北朝鮮ものを得意とする朝鮮日報や中央日報など韓国のメディアも、さらに「ジョンウン後継」をいち早くスクープした連合ニュースも今もって「金ジョンウン訪中」を確認していない。

 中国当局にいたっては「まるで007の小説を読んでいるようだ。今度はどんな続編を書くというのか」(秦剛外務省報道官)と呆れる始末だ。武大偉外務次官も加藤紘一元自民党幹事長に「ジョンウン氏が中国に来たことは一度もない」と全面否定していた。

 「中国から『作り話』と言われた以上、朝日としても黙っていられないだろう。『一大スクープ』が『一大誤報』と言われたに等しいからだ。朝日の信用にかけて、また読者のためにも白黒を付けるべきではないだろうか」と言い続けてきたが、「朝日」はファイナンシャル・タイムズとNHKの報道を転載しただけで、残念ながら独自に裏を取る試みは全く見られなかった。

 「朝日」の記事とそれを追認したファイナンシャル・タイムズの記事とNHKの報道を比較検証すると、共通点は、ジョンウン氏が「6月に訪中した」との一点だけで、それ以外は三者三様食い違っている。

 そこで、長年の「朝日」の購読者としてこの記事が「世界的スクープ」であることを確信できるよう「朝日」に以上の5点を是非解明してもらいたいと思っている。
 
 ①「(義弟の)張成沢国防委員が金総書記の特使として訪中し、ジョンウン氏が随行した」とのNHKの報道は間違いなのか?

 ②「ジョンウン訪中に(長男の)正男が同行した」(6月19日付)のは事実なのか?ならば、「趙明録国防第一副委員長が(ジョンウン氏に)同行した」とのファイナンシャル・タイムズの記事は間違いなのか?

 ③ファイナンシャル・タイムズは「ジョンウン氏が胡錦濤国家主席と会ったかどうかは明らかではない」としたうえで、関係者の話として「習近平国家副主席や江沢民前主席とは会談した」と報じていたが、習副主席や江前主席と会ったのかどうか、確認してみたのか?

 ④「朝日」は訪中したジョンウン氏と会談した胡主席が「大陸弾道間ミサイル発射などの中止を求め、平和的手段による解決を促した」と書いていたが、北朝鮮はジョンウン氏が帰国して間もない7月2日と4日、合計11発のミサイルを発射している。テポドン・ミサイルではないにしろ、国連決議を無視し、ノドンを含むスカッド・ミサイルの発射実験を行ったことをどう理解すればよいのか? 「朝日」が報じた「胡錦濤・金ジョンウン会談」が事実ならば、胡主席は40歳も年下の若造にコケにされたことになるのでは?

 ⑤「(訪中した当時)労働党組織指導部部長の肩書きだった」というのは本当か? これが事実ならば、「国防委員会指導員」(韓国のファイナンシャル・ニュース、4月26日付)も、「組織指導部相当担当第一副部長」(東亜日報、5月20付)も、「人民軍総政治局秘書」(京郷新聞、6月8日付け)も「労働党組織担当副局長であることが確認された」(中央日報 10月6日付)ことも全部デタラメということになる。

 おそらく、来年も後継者問題、即ち「ジョンウン報道」が中心となるだろう。というのも、来週の1月8日が彼の27歳の誕生日である。もしかすると、党や軍内部で祝賀行事やイベントが隠密裏に行われるかもしれない。

 それよりも前に労働新聞、民主朝鮮、青年同盟機関紙による恒例の新年共同社説で後継問題が触れられるかもしれない。元旦早々から「ジョンウン」が注目されそうだ。

2009年12月22日

ボズワース訪朝で何が話し合われたのか

  
 オバマ大統領の特使としてボズワース特別代表が訪朝してから10日が過ぎた。ボズワース訪朝で米朝間で何が話し合われ、どのような暗黙の合意があったのか、おぼろげに見えてきた。

 当事者のボズワース特別代表は北朝鮮側との会談について「率直に話し合い、非常に有益だった」と語り、また、上司のクリントン長官も「予備協議としては、非常に建設的だった」と評価した。一方の北朝鮮側も「率直で実務的に話し合い、互いの立場への理解が深まった」(外務省報道官)と、ボズワース氏と口を合わせた。

 「率直に、かつ建設的に話し合った」結果、米朝両国は「6か国協議再開の必要性と2005年の6か国協議の共同声明の履行の重要性について共通の理解に達した」(ボズワース氏)ようだ。それでも、6か国協議の即再開の合意には到らなかった。その理由について、クローリー国務次官補は「解決すべきことが残っている」として、これを解決するため「6か国協議関係国と協議しなければならない」と語った。北朝鮮の外務省報道官も「残る相違がある」と認めた上で、「これを埋めるため、今後も引き続き努力する」と、これまた米国とほぼ同じ答えだった。米朝のやりとりを吟味すると、ボズワース氏は6か国協議再開までには「戦略的忍耐が必要である」と語っていたが、忍耐を要するほど6か国協議再開までにはそれほど時間を要さないかもしれない。

 では、解決すべきこと、残る相違とは一体何か?ずばり、北朝鮮が提示した6か国協議再開への前提条件に尽きる。その条件とは、金正日総書記が10月に訪朝した温家宝首相に対して言及した次の言葉の中に集約される。

 「米朝関係が敵対関係から平和的関係へと移行することを条件に6カ国協議を含む多国間協議を行いたい」

 

 北朝鮮はボズワース特別代表との間で平和協定に関する協議を行ったことを明らかにした。この件についてはボズワース氏も「我々は2005年9月の共同声明のすべての要素について議論した」と、否定しなかったどころか、むしろ前向きに話し合ったことを認めている。

 ボズワース氏が言及した6か国協議共同声明には核放棄への見返りとして米国が北朝鮮に対して核兵器又は通常兵器による攻撃又は侵略を行う意図を有しないこと、また、米国が北朝鮮の主権を尊重し、平和共存すること、及び国交を正常化するための措置を取ることが約束されている。また、「適当な時期に、北朝鮮への軽水炉提供問題について議論を行う」ことも約束している。

 ボズワース氏は「6者会談が開かれさえすれば、また非核化の論議が推進すれば、朝鮮半島の平和体制を論議する準備ができている」と語ったとされるがどうやら平和協定の問題では6か国協議と平行して、朝鮮戦争の当事国である中国と韓国を加えた4か国間で論議することで合意に達したようだ。

 北朝鮮の非核化問題は6か国協議の場で、平和協定の問題は4か国協議の場で話し合うようだが、6か国協議の一部として4か国協議が行なわれるのか、それとも6か国協議とは切り離して行われるのかは不明だ。どちらにしても平行に行われるのは間違いなさそうだ。

 米朝の関係正常化についても、米国側から6か国協議への復帰と北朝鮮の非核化の進展を条件に平壌に連絡事務所を開設することが提案された模様だ。米国は、北朝鮮の非核化の進捗と合わせて、利益代表部に格上げし、最終的に大使館級の外交関係を樹立する考えのようだが、速やかな国交正常化を希望する北朝鮮がこの案を受け入れるかどうかは微妙だ。クリントン政権の時も国交正常化への前段階として連絡事務所の提案があったが、北朝鮮は難色を示していた。

 また、ボズワース氏が「共同声明のすべての要素というのは朝鮮半島の非核化だけでなく、平和体制や6か国当事国間の関係正常化、さらには経済支援も含まれる」と語っているところをみると、軽水炉の提供以外にも経済支援の打診もあったようだ。

 経済支援との関連で注目されるのは、6か国協議ボイコットの直接的な要因となった「人工衛星」(テポドン・ミサイル)問題への米国の対応だ。北朝鮮が国連の非難決議に反発した最大の理由は「人工衛星発射の権利を奪われた」ことにある。北朝鮮は今でもこの問題では「我々の自主的な宇宙利用権利を引き続き行使する」と譲らない。

 北朝鮮は「人工衛星」についてはかつてクリントン政権時代に米国が北朝鮮に代わって打ち上げること、またテポドン・ミサイルについては「3年間で30億ドル相当の経済支援をすれば、開発や実験を中止する」と提案し、実際にクリントン政権と合意した経緯がある。オバマ政権に対しても同様の提案をした可能性が考えられる。

 問題は北朝鮮が要求している国連の経済制裁の解除である。米国は6か国協議復帰だけで制裁は解除しないとの立場だ。まして、コンゴやミャンマー、イランなど米国が問題にしている国々への武器輸出を国連の制裁決議に反し、続けている状態での制裁解除は米国としては容易には呑めない。

 一方、北朝鮮はブッシュ政権下でその存在を否認していたウラン濃縮問題でオバマ政権と協議することに同意したようだ。ブッシュ政権で合意した共同声明の履行が遅滞し、6か国協議が停滞した原因の一つが濃縮ウランに関する議論や検証を拒んだことにある。

 皮肉なことに、北朝鮮が核実験への国連安保理の制裁措置に反発し、6月13日にウラン濃縮作業の着手を宣言し、9月には国連安保理への書簡で「ウラン濃縮試験が成功裏に行われ、最終段階に入った」と公言したことが幸いしたようだ。北朝鮮がウラン濃縮開発を認めたに等しいからだ。

 さらに、米朝間で「共同声明のすべての要素について話し合った」(ボズワース氏)ならば、米国からは6か国協議問題以外に共同声明で約束したNPT(核不拡散条約)及びIAEA(国際原子力機構)への早期復帰を北朝鮮側に要求したことも十分考えられる。

 米国が主導したNPT体制の維持のためオバマ大統領としては来年5月にニューヨークで開かれるNPT再検討会議までには北朝鮮の復帰を取り付けたいところである。「核のない地球、世界」を公約したオバマ大統領とすれば、来年のNPT再検討会議は、核兵器廃絶への展望を切り開く重要な会議となる。北朝鮮の参加はその成否の鍵を握っているといっても過言ではない。この問題で北朝鮮がどのような言質を与えたのか、注目される。

 米政府は最近になってオバマ大統領の金正日総書記宛のメッセージをボズワース氏が持参したことを認めた。米国が認めるや北朝鮮も直ちにその事実を追認した。米朝間はまるでキャッチボールをやっているようでもある。

 メッセージの中身は明らかにされてないが、ボズワース氏によると「北朝鮮が非核化目標に向けて動く準備が出来ていれば、現在または過去とは全く異なる自らの未来のビジョンを目にするであろう」との内容になっている。

 北朝鮮にとっての未来のビジョンが何か、来年、その全容が見えてくるかもしれない。

2009年12月 7日

ボズワース訪朝と米朝交渉の展望

 米国のスチーブン・ボズワース特別代表(北朝鮮政策担当)が8日から訪朝する。オバマ政権発足以来、米朝で公式会談が開かれるのは初めてのことである。当初は1泊2日の予定と言われていた。それが一日延長され、2泊3日の平壌滞在となる。平壌滞在が北朝鮮の政治宣伝に利用されないため用件が済み次第、即座に帰国すると伝えられていたが、なぜ、一日延長したのか、国務省の説明はない。

 訪朝の目的については2005年9月の6か国協議「共同声明」で北朝鮮が合意した不可逆的な非核化の確約を取り付け、6か国協議に復帰させることにあると言われている。今回のボズワース訪問による米朝対話はあくまで6か国協議の枠内で行なわれると、米政府は内外に説明している。

 当の訪問者であるボズワース特別代表自身も12月3日、「どこまでも6カ国協議が基本的な論議の枠組みだ」とし、訪朝目的は6か国協議の再開にあると強調している。「6か国協議なく広範囲な米朝対話を行うことはない」とまで言い切っている。

 しかし、6か国協議は核問題解決の手段であって、目的ではない。ヒラリー国務長官は長官就任前の人事聴聞会の席で「「北朝鮮の核拡散を阻止するため至急に行動するし、そのため6者会談と2者直接外交を推進する」と述べていた。これが、今も変わらぬオバマ政権の基本的な方針である。

 ソン・キム6か国協議首席代表以下国務省及び国防省、さらにはホワイトハウスの関係者まで引き連れて、2泊3日も平壌に滞在するわけだから、6か国協議への復帰説得だけが目的だとは考えにくい。まして、会談の相手に金正日総書記の外交ブレーンである姜錫柱第一次官を指名している。このようにみると、ボズワース氏の目的は6か国協議再開の同意を取り付けるのではなく、6か国協議での議題を含め米朝全般に関する話し合いにあるとみられる。6か国協議そのものは、ボズワース氏の訪朝を待たず、再開で事実上、合意をみているのではないだろうか。

 今回のボズワース特別代表の訪朝は、形式上は北朝鮮の招請によるものだが、最終的にはオバマ大統領の政治決断によるものである。そのことは、訪問先の韓国での米韓首脳会談(11月19日)後に自らが発表したことからでも明らかだ。

 決断の背景には訪朝したクリントン元大統領を通じて伝達された金総書記の「伝言」があったものと推察される。クリントン元大統領が伝えたオバマ大統領のメッセージ同様に金総書記の伝言の中身も全く明らかにされていない。

 このようにみると、ボズワース氏の訪朝は米朝首脳によるメッセージの交換によって実現したと言えなくもない。となると、今回のボズワース氏の訪朝は、必然的にオバマ大統領の特使としての性格を帯びてくる。特使ならば、オバマ大統領の口頭か、文書によるメッセージを持参している可能性も高い。

 

 過去のケースをみると、1999年5月にウイリアム・ペリー政策調整官が大統領特使として訪朝しているが、その際に金正日総書記宛のクリントン大統領の親書を持参し、金永南最高人民会議常任委員長を通じて伝達している。翌年の2000年10月には米国の閣僚としては初めてメルリン・オルブライト国務長官が訪朝し、平壌滞在中に金総書記と二度にわたって会談している。その結果、オルブライト訪朝直後の10月12日にワシントンで①北朝鮮が長距離ミサイルを発射しない②両国が過去の敵対関係から脱し、新たな関係を樹立する③自主権の相互尊重と内政不干渉の原則を確認することが盛り込まれた米朝共同コミュニケが発表されている。前例からして、今回も発表はなくても、何らかの非公式の合意を見るかもしれない。

 ブッシュ前政権下でも、2002年10月にジェームス・ケリー国務次官補が、2007年6月にはクリストファー・ヒル国務次官補が訪朝しているが、二人ともブッシュ大統領の親書は携えてはなかった。当然、金総書記との面会も実現していない。

 特別代表であるボズワース氏は、元国防長官のペリー氏やオルブライト国務長官に比べれば格下だが、この二人の国務次官補よりは格上の存在である。それだけに金総書記との面会が実現するかどうかは微妙だ。米政府の要人で後にも先にも金総書記との会談が実現したのは、オルブライト国務長官と、今年8月に訪朝し、オバマ大統領の「口頭メッセージ」を伝えたクリントン元大統領の二人だけである。元国防長官のペリー氏ですら会えずに、帰国している。

 しかし、上述したようにボズワース特別代表がクリントン大統領の特使として訪朝するならば、仮に金総書記が相手でなくても、側近の姜錫柱第一次官との間で核問題を中心とした米朝間の懸案全般について突っ込んだ話し合いが行なわれるだろう。米朝双方ともおよそ1年ぶりに再開される今回の交渉を突破口に米国の懸案である核とミサイル問題と、北朝鮮の課題である休戦協定と国交正常化について真剣に議論する意思があるからだ。

 クリントン国務長官はボズワース訪朝に関連し、先月19日「北朝鮮が検証可能な方式で非核化を進めれば米朝関係正常化と停戦協定に代わる平和協定の締結、経済支援などを検討できる」との考えを示していた。「米国の立場から、北朝鮮が数年にわたり提起し続けてきた問題、すなわち関係正常化、停戦協定に代わる平和協定、経済支援などを検討することになり、これらすべてに対する論議の扉が開かれている」と、北朝鮮にシグナルを送っていた。

 米朝の交渉過程で北朝鮮が核放棄を確約すれば、クリントン長官の訪朝や米朝首脳会談までのタイムスケジュールまで話し合われることもあり得る。オバマ大統領も、クリントン長官も金総書記と会談の用意があることを表明していたからである。

 オバマ大統領は予備選挙期間中の一昨年7月、「大統領になれば、首脳間の対話にも積極的に、かつ無条件応じる」と述べ、核問題の早期解決のために金総書記と会談する用意があることを明らかにしていた。ヒラリー長官も今年1月、議会の批准聴聞会の席で「平壌などを訪問して、北朝鮮の外相と会談する用意があるか」との質問に「大統領と同じで米国の国益になるならば私が選択する時期と場所でいかなる外国指導者とも会う用意がある」と語っていた。

 米国は「6か国協議復帰への見返りはない、条件は呑まない」「休戦協定と国交正常化の問題は6か国協議の中の米朝セクションで話し合うべき問題である」と強気の立場にあるが、北朝鮮もまた、金総書記が10月に訪朝した中国の温家宝首相を通じて明らかにしたように「米朝協議での進展なくして、6か国協議には無条件復帰しない」と強固である。また「敵対関係の解消なくして、一方的な核放棄はない」というのが、一貫した要求である。

 米朝協議が今回で終了せず、2回、3回と続いたとしても、「核のない地球」を目指すことを宣言し、その目標達成のために来年5月に米国で開催予定の核不拡散体制の再検討会議を控えているオバマ政権としては、最終的には6か国協議の再開と北朝鮮の核放棄、朝鮮半島の非核化の確約を取り付けるため一定の譲歩をせざるを得ないのではないだろうか。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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