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2009年10月 5日

温家宝訪朝で、6か国協議は?

中国の温家宝首相が10月4日、北朝鮮を公式訪問した。温首相の訪朝は2003年の就任後初めてで、中国の首相としては1991年の李鵬首相以来18年ぶりである。中朝間は2005年10月の胡錦濤主席の訪朝、翌年2006年1月の金正日総書記の訪中以後、3年以上もトップ会談が開かれていない。その意味では中国のNo2の訪朝の意味は極めて大きい。

北朝鮮が温首相の訪中をいかに重視しているからは、金総書記自らが空港で直接出迎えたことに表れている。この10年間、金総書記が自ら空港まで出向いた外国要人はたったの6人しかいない。2000年の韓国の金大中大統領(6月)とロシアのプーチン大統領(7月)、2001年の中国の江沢民主席(9月)と2005年の胡錦濤主席(10月)、2007年の韓国の盧武鉉大統領(10月)とベトナムの最高実力者であるノン・ドク・マイン共産党書記長(10月)だけである。元首以外を直接空港で出迎えるのは初めてで、異例もいえる。

沿道に平壌市民を数十万人も動員して熱烈歓迎する意図は、はからずも温首相の到着声明に代弁されている。温首相は「北朝鮮との善隣友好協調関係を絶え間なく強固発展させることが中国党と政府の確固不動の方針である」と語った。また、今回の訪問が「伝統的な親善強化、善隣友好協調関係の発展を主導するものと確信する」と述べていたが、その思いは、北朝鮮も同じであろう。ミサイル発射や核実験で冷え切った中朝関係を温首相の訪朝を機に修復、好転させ、政治、外交、経済面での支援を仰ぐことにあるのは明らかだ。

温首相の訪朝直前、中国外務省の姜瑜報道官は「経済発展と民生改善のため可能な範囲で無償援助を継続する」との方針を示していたが、温首相が平壌に到着した4日には早くも経済技術協力協定、ソフトウエア産業分野交流協定とは別に経済援助に関する文書も交換されていた。

経済援助の具体的な中身については触れられていないが、無償援助額は過去の相場から2千万~3千万ドルは下らないと推定されている。2005年10月の胡錦濤主席の訪朝時は、2千4百万ドルの援助でガラス工場が建設されている。昨年6月に習近平副主席が訪朝した際には油5千トンと現金1億元が提供されている。ドル換算すると、総額で1千5百万ドル相当の中国からの無償援助だった。


食糧危機が取り沙汰されている北朝鮮は、食糧支援を含む中国の無償援助に大きな期待を寄せているが、外交的な思惑も隠されている。中国の支持を取り付けることによって日米韓による制裁と圧力の包囲網を打破し、国際社会の制裁を回避させる狙いがある。米朝直接交渉への中国の理解と協力を得て、米朝交渉を有利に進めたいとの計算も働いているだろう。

一方、中国の狙いは、たった一点にある。平壌で6日に行われる中朝国交樹立60周年記念の「中朝友好年」閉幕式に出席することが訪朝の主な目的となっているが、山河を接し、世界で最も親中国家である北朝鮮との関係を修復、強化することによって朝鮮半島におけるイニシアチブを回復し、6か国協議の議長国として存在感を国際社会に誇示することにある。

米国は9月29日にスタインバーグ国務副長官を北京に派遣し、習近平国家副主席や武大偉外務次官らとの会談を通じて米国側のメッセージを伝えている。米国の意向も受け、温首相は今回の訪朝で米朝間の、また6か国協議の調停者としての役割を担いたいところである。言わば、温首相にとっては中国の面子と威信のかかった訪朝でもある。

到着声明で「滞在期間中に中朝関係と双方の共通関心事となる問題について率直かつ深みのある意見交換が行ないたい」と述べているように中朝間では核問題が最大の焦点となるだろう。そのことは、温首相に楊潔簾外相や、金総書記とパイプを持つ王家瑞・共産党対外連絡部長、6か国協議議長の武大偉・外務次官らが同行していることからも明らかだ。北朝鮮も温首相到着の日に開かれた中朝首相会談で金英逸首相が「中国とこの問題について緊密に対話し、協力することを希望する」と語っていたことから金総書記との直接会談では相当突っ込んだ話し合いが行われるだろう。

金総書記は9月に胡総書記の特使として訪朝した外交担当の戴秉国国務委員に「核問題を解決するため、多国間または二国間協議に参加したい」と「多国間協議」に前向きな姿勢を明らかにしていたが、必ずしも「多国間」が6か国を指すものではなかったことは、楊潔簾外相は9月29日に上海で開かれた日韓中外相会談に出席した韓国の柳明恒外相に「現時点では6か国協議再開の可能性は少ない」と悲観的な見通しを語っていたことからも明らかだ。

また、最近では、9月下旬に訪朝した米国のスタンフォード大のジョン・ルイス教授ら米国の北朝鮮専門家一行らに対して北朝鮮外務省は「6者会談は終わった。復帰する考えはない」と念を押していたことでもわかるように北朝鮮を翻意させるのは容易なことではない。

事実、前座の首相会談の場では金英逸首相は「我が国は多者間又は両者対話を通じて非核化目標を実現することを放棄したことはない」と述べたものの、6か国協議という言葉は用いてなかった。温首相としては強力な「援助カード」を使って、金総書記から6か国協議復帰の言質を取り付けたいところである。それもこれも、すべては金総書記の胸中にある。

金総書記から6か国協議復帰への「念書」を取るには、何よりも中国が国連安保理で拒否権を発動せず、日米と一緒に北朝鮮非難、制裁決議に同調したことで生じた北朝鮮の反発、不信を解消することが最優先となるだろう。信頼関係を再構築する他ない。

北朝鮮は6か国協議について「6か国協議は我々の平和的科学技術(人工衛星)開発まで妨害し、正常な経済発展までも抑制しようとする場に転落した」と非難し、「結局、我々を武装解除させ、なにもできないようにさせたうえで自分らが投げ与えるパンくずで延命させようとするのが他の参加国らの下心である」と「他の参加国」との表現を用い、中国にも不満をぶつけていた。

また、7月27日の外務省声明では他の5か国は「安保理常任理事国であるし、米国の軍事同盟国である。唯一我が国だけが、非同盟国だった」と、6か国協議が「1対5の場」であると、不均衡を問題にしていた。もはや6か国協議の場では中国は北朝鮮にとって味方ではないとの認識だ。国連による非難決議が採択された際には中国を「米国にへつらう追随勢力」との烙印を押していたほどだ。

中国が同調した国連安保理の決議についても労働新聞(7月9日付)は「大国はやっても小国はやってはならないとの大国的見解も、小国は大国に無条件服従しなければならないとの支配的論理も認めないし、受け入れないのが我が人民だ」と強調し、全面拒否する姿勢を貫いていた。さらに北朝鮮の朴吉淵外務次官は9月28日の国連総会での一般演説で安全保障理事会を「ますます傲慢で、国際的な不平等を押しつけるようになってきている」と非難し、「核抑止力を持つことに対する制裁は不公平かつ不平等なもので、断じて受け入れられない」と不満を口にしたばかりだ。

このように北朝鮮の原則的な立場は一貫しているが、180度変えることのできる人物は他ならぬ金総書記しかいない。面子が保たれ、大義名分があれば、6か国協議復帰を決断する可能性もなくはない。ここが潮時と判断すれば、売りと判断すれば、中国の顔を立てて、手の平を返すこともあり得る。米朝2者から直ちに6か国に入るのか、3、ないしは4か国を挟んで、6者に移行するのか、どちらにしても6か国協議の復活は十分に考えられる。

中国とすれば、10日に北京で開催される日中韓首脳会談を前に北朝鮮の6か国協議復帰という大きな外交的成果を手にしたいところだ。そのための手土産が経済援助だけなのか、それとも、他に「隠し球」があるのか。

温首相の訪朝は、ボズワース北朝鮮担当特別代表の平壌派遣の時期を決定するものとみられているだけに、その成り行きに最も注目しているのは米国かもしれない。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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