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2009年8月24日

北朝鮮はなぜ豹変した

 テポドン・ミサイル発射(4月5日)、核実験(5月25日)、そして7月のミサイルの連射(11発)と、北朝鮮の対米姿勢は強硬一辺倒でしたが、8月になって北朝鮮が態度を豹変させました。

 北朝鮮は、国連安保理の議長声明(4月13日)には「自衛的核抑止力の強化」で対抗するとして、凍結していた核施設を稼動させ、国連の制裁決議(6月13日)にはウラン濃縮作業とプルトニウムの兵器化着手を宣言し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射も辞さないと米国を挑発していました。

 北朝鮮の一連の強硬措置は「オバマ政権はブッシュ前政権と何一つ変わってない」(5月4日の外務省代弁人声明)との認識に基づくものでした。ヒラリー国務長官から「北朝鮮は関心を引こうとする駄々っ子のようだ」と揶揄された際には「彼女は小学校の女子児童のようでもあり、時に、市場に出かける年金受給者のようにも見える」と応酬し、対抗意識を露にしていました。

 韓国に対しても昨年12月1日の開城観光中断と陸路及び鉄道の通過制限に続き、今年1月には過去の政治・軍事関連合意の無効化宣言、そして3月には民間機の北朝鮮上空飛行禁止、軍の通信遮断、開城工業団地訪問の禁止など相次いで強硬な措置を取りました。李明博大統領に対しては昨年4月1日に「李明博逆徒」と罵倒して以来、人身攻撃の手を休めることは一度たりともありませんでした。

 それが、8月になると突如一転し、柔軟な姿勢に転じました。「全面対決も辞さない」としていた米国に対して金正日総書記は、クリントン元大統領の訪朝(8月6日)と引き換えに長期間身柄を拘束していた米人ジャーナリストを解放し、オバマ大統領に対話再開へのメッセージを発信しました。

 また、韓国に対しても、現代グループの玄貞恩会長の訪朝(8月10日)を受け入れ、米人ジャーナリストと同じ時期に身柄を拘束していた現代グループの社員を韓国側に引き渡しました。同時に軍事境界線の陸路及び鉄道通行禁止などの一連の規制措置を一方的に解除し、韓国政府待望の離散家族の再会にも同意しました。

 

 極めつけは、金大中元大統領の死去(8月18日)に際して側近の金基南(キム・ギナム)党書記と金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線部長を弔問団として韓国に派遣したことです。

 弔問団の韓国派遣に合わせて世界各地の北朝鮮の大使館に韓国大使館を訪れ、弔問するよう訓令を出しました。南アフリカを皮切りに海外駐在の北朝鮮大使、公使らが続々と韓国大使館を訪れ、弔意を表しています。南北分断史上、北朝鮮大使館員が韓国大使館を訪れたのはこれが初めてです。

 ソウルに到着した金基南書記率いる弔問団は昨年3月に就任以来「反統一分子」と烙印を押していた玄仁澤統一部長官と、また大統領就任以来1年半も相手にせず、無視し続けてきた李明博大統領を表敬訪問し、金総書記の口頭によるメッセージまで伝達しました。外交慣例上、メッセージが公開されることはありませんが、情報によると、金総書記は「過去のことを水に流し、新たな南北関係を築こう」と呼びかけたそうです。

 会談は当初、10~15分程度の予定でしたが、李大統領は30分も時間を割きました。金総書記のメッセージが重要な内容を含んでいたからかもしれません。その証拠に李大統領と会談した金基南団長は「大変にうまくいった」と上機嫌で、帰国しております。劇的な変化を暗示させるような含みのある発言です。

 北朝鮮の米韓両国に対する対決姿勢の転換が戦術的なものか、それとも戦略的なものか、見極めるにはもう少し時間を要しますが、何と言っても、8月6日のクリントン元大統領との会談が一つの転機になったと言えます。

 金総書記とクリントン元大統領が3時間近く話し合った会談の中身は依然として秘密のベールに隠されています。クリントン元大統領が金総書記に伝えたオバマ大統領のメッセージの内容も、金総書記のオバマ大統領への返書の内容も明らかにされていません。しかし、北朝鮮訪問に同行した、オバマ大統領就任前の政権移行チームの共同議長を務めたポデスタ元大統領首席補佐官は元大統領と金総書記との会談について「興味深い議論をした。「(報告を)どう受け止めるかは現政権次第だ」と意味深長な発言(8月12日)をしていました。

 オバマ大統領は18日にクリントン元大統領から1時間に渡って詳細な報告を受けました。夫である元大統領の報告をヒラリー・クリントン長官が「非常に有益で、北朝鮮で何が起きているかを知る機会になる」とこれまた前向きな発言をしていました。

 もう一つ、鮮明になったことは、「我々は北朝鮮に関係改善の道は開かれていると話してきた。そこには核兵器開発の中止や挑発行為を行わないことが含まれる」とオバマ大統領がNBCテレビのインタビュー(8月5日)で述べたことを北朝鮮が実行に移そうとしていることです。そして、オバマ大統領がクリントン元大統領から報告を受けた翌日に北朝鮮国連駐在の金明吉公使らがニューメキシコ市を訪れ、リチャードソン知事との会談(8月19日)を許されたことです。北朝鮮の国連駐在外交官は米国務省の許可がなければ、ニューヨークからは出られません。

 金正日総書記は2000年6月と10月に相次いで訪朝した金大中大統領とオルブライト国務長官に対して米朝が平和協定を結び、関係を正常化し、パートナシップを結べば、核を放棄し、反米を止めると自ら口にしていました。今回も、おそらくクリントン元大統領に同様の発言をした可能性も考えられます。

 北朝鮮は来月16日に現在キャンペーン中の「150日戦闘」を終了します。有力後継者である三男・正雲(ジョンウン)氏が主導しているとされるこの運動を成功裏に収めることが最大の課題です。北朝鮮としては対米、対韓関係でも大きな成果を挙げることで有終の美を飾りたいとの強い思いがあります。「150日戦闘」の成否は後継者の擁立に直結するからです。

 クローリー米国務次官補(広報担当)は8月20日、韓国、日本、中国、ロシアの利害を犠牲にする米朝対話は受け入れることはできないとし、米朝直接対話は6カ国協議の枠内で可能だとする従来の立場を改めて強調していましたが、オバマ政権が北朝鮮との直接交渉の必要性を感じていることは歴然としています。従って、6か国協議に先駆けての2者協議、あるいは6か国協議再開に向けての2者協議という大義名分の下で北朝鮮との協議に入ることも十分に考えられます。

 北朝鮮もまた、米国との直接交渉の環境つくりとして、米国が働きかけていた韓国との関係修復に乗り出したのではないでしょうか。米朝直接交渉を開始するには米朝両国とも韓国の理解を得る必要があります。クリントン政権当時の1994年6月、核問題解決のためクリントン大統領の特使として訪朝したカーター元大統領の要請に応え、金日成主席が金泳三大統領(当時)との首脳会談に同意したケースと同じです。

 カーター元大統領の訪朝を機に米朝、南北対話が開始したのと同じく、来月には米朝及び南北対話が並行して始まるかもしれません。米国が配慮している日本に対しても反発を和らげるため選挙が終わり、新政権が発足すれば、北朝鮮から拉致被害者の再調査開始のための交渉を求めてくることでしょう。

 オバマ大統領及び李明博大統領への金総書記のメッセージの中身が何か、6か国協議の議長である武大衛中国外務次官の訪朝(17-21日)結果と合わせて、来月にはその全容が明らかになるかもしれません。

 
 

2009年8月 7日

日本に必要な国益重視の太っ腹外交

 日本の外交懸案は山積している。イラク、アフガン支援をめぐる米国との関係、尖閣諸島の領有権及びガス田開発をめぐる中国との関係、北方領土問題が焦点のロシアとの関係、さらには竹島問題や歴史認識問題でもめる隣国・韓国との関係など、日本を取り巻くこれら国々との将来にわたる良好な関係の維持は日本の平和、安全・繁栄にとって不可欠である。

 無論、これら4か国以外にも原油の15%前後を輸入しているイランやパレスチナ・イスラエル問題なども日本の外交にとって重要なウエイトを占めているが、最も身近な北朝鮮との問題が戦後から64年経っても、未解決のままにあることは汚点である。

 まして、三十数年前から拉致されていた日本人被害者の問題を今日に至っても依然として解決できないばかりか、敵対関係にある北朝鮮に核の保有とミサイルの配備を許してしまったのは、日本外交の落ち度でもあり、失点でもある。北朝鮮の核とミサイルが日本国民の生命と安全と財産を脅かす深刻な問題だからである。

 北朝鮮の核問題をめぐって仮に湾岸戦争のような事態が発生し、劣勢に立たされた北朝鮮が万に一つ、手にしているプルトニウム型の核爆弾を1,200万人の東京に投下した場合、死者50万人、負傷者300万~500万人というとてつもない人的被害が発生するとみられている。それほど危険なものが日本の裏庭にあるのを承知しながら、取り除けなかったのは無策と言うほかない。

 被爆国であるはずの日本は国際社会が憂慮する核問題よりも12人の安否不明の拉致被害者の問題を最優先課題として取り組んできたのは紛れもない事実である。ところが、国民の最大関心事である拉致問題も、小泉訪朝以後何ら進展のないままこう着状態が続いている。

 拉致被害者家族の絶大な期待を集めて誕生した安倍政権下でも、「私の手で拉致問題を解決する」とタンカを切った福田政権下でも、そして「一刻の猶予もない」と解決に向けて決意表明した麻生政権下でも、解決はおろか、進展さえみられないのが現状である。結局のところ、時間だけが浪費し、気が付けば、2002年の小泉訪朝から7年の歳月が経ってしまった。

 北朝鮮が米国を交渉相手としていたので核とミサイルの問題については日本に交渉の権限がなかったことから責めるのは酷かもしれないが、せめて拉致問題だけは日本独自で解決しなければならなかった。

 過去を問うても仕方がないが、今後のために総括は必要だ。反省と教訓の上で北朝鮮外交を推し進めなければならないからだ。周知のように自民党の対北朝鮮外交の手法は小泉政権以来「対話と圧力」である。ところが、自民党のマニフェストをみると、北朝鮮については
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①「拉致問題の進展がなければ、北朝鮮への経済支援は行なわない」ことを前提に外国政府及び国連や国際開発金融機関などの国際機関に対して積極的な働きかけを行なう
②北朝鮮が核開発及び弾道ミサイル関連活動を全に断念するよう我が国は輸出禁止などの対北朝鮮措置を継続するとともに、安保理決議に基づいた行動を米国や関係各国と一致して取り組む
③先の国会で廃案となった貨物検査特別法案につき、安保理決議1874等を踏まえ、次期国会で成立させる
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★自民党・政策BANK=http://www.jimin.jp/sen_syu45/seisaku/pdf/2009_bank.pdf

と「圧力」と「制裁」の「断固とした対応」が列挙されているだけで「対話」の必要性については一言も言及されていない。

 核と拉致問題の解決の先に何があるのかも国民に示されていない。小泉総理の遺産である「日朝平壌宣言」の精神も継承されていない。中国や韓国など近隣諸国に対しては「関係を増進するため積極的な外交を展開する」としているのに対して北朝鮮については受動的と言わざるを得ない。

 北朝鮮に金融制裁を掛けながらも、その一方でこう着した核問題の打開のため、クリントン元大統領を平壌に派遣し、金正日総書記への説得を試みたオバマ政権の積極的で大胆な北朝鮮外交とは大違いだ。

 米国が電撃的な外交をできるのは、米朝間に鋭く対立しながらも意思疎通を図るニューヨークチャネルがあるからだ。しかし、日朝間には東京チャネルも、北京チャネルもないのが現状だ。

 米国は北朝鮮の真意を探るため、時には北朝鮮を説得するため元政府高官や議員、さらに学者や民間人らの訪朝を容認している。しかし、日本ではそれすら許されない。拉致問題解決のため「ミスターX」と接触した外交官は「売国奴」扱いされる始末だからだ。これがトラウマとなり、「二元外交だ」「北朝鮮に誤ったメッセージを与えかねない」「北朝鮮に取り込まれる」との批判を恐れ、政治家を含め誰も平壌に乗り込んで、談判しようとしない。「君子危うきに近寄らず」とばかり、誰も火中の栗を拾いたがらない。このような状態では、いつまで経っても「国家の威信をかけ、拉致被害者全員の帰国を実現させる」(自民党マニフェスト)ことは不可能だ。

 残念ながら民主党の対北朝鮮政策も自民党のそれとは大差はない。
「核実験とミサイルの発射は日本と世界の安全、平和に対する明らかな絶対に容認できない」とした上で、「北朝鮮の大量破壊兵器とミサイルの開発、保有、配備を放棄させるため米国、韓国、中国、ロシアなど国際社会と協力しながら、国連安保理決議に基づき貨物検査を実施し、北朝鮮に対する追加制裁を含む断固たる措置を取る」としている。これは、自民党政権が今やっていることだ。

 また、拉致問題では「我が国への主権侵害でもあり重大な人権侵害であるので、国家の責任のもと解決に向けて全力を尽くす」との決意表明をしているが、政権交代すれば、民主党政権になれば、自民党政権下で解決できなかったことがどうして可能なのか、触れられていない。

 二大政党の米国は民主党と共和党の間で、外交の手法や北朝鮮問題の解決策をめぐっては大きな違いがあった。しかし、経済分野とは異なり、外交面では自民と民主の間では「格差」がないのが現状だ。朝日新聞の世論調査(8月3日付)が景気対策では民主党に期待しながらも外交・防衛問題では自民党への期待が高かったことがそのことを物語っている。
 
 北朝鮮と言う国の体質上、トップ外交でしか解決策はない。クリントン・金正日会談でも証明されたように現実には独裁者の金正日総書紀が首を縦に振らなければ、人質は解放されないし、核とミサイルも止まらない。現に小泉総理が二度訪朝し、首脳会談に臨んだからこそ、一部被害者とその家族の帰国が実現した。また、ミサイルの発射も停止した。

 選挙の結果、自民党政権が継続しようが、民主党政権にとって変わろうが、次の総理は、トップ会談による拉致問題の解決、そして資源宝庫の北朝鮮との早期国交正常化を目指してもらいたい。日本にとって必要なのは国益を重視した大胆かつ太っ腹外交である。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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