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2009年7月22日

北朝鮮はなぜ、沈黙するのか

 北朝鮮が不気味なほど静かです。まるで「借りてきた猫」のようにおとなしいです。

 国連安保理制裁委員会が7月16日に北朝鮮の核とミサイルに深く関与してきた李済善原子力総局長ら5人に対し渡航禁止、海外資産凍結などの制裁を科し、さらに「南川江貿易会社」など5企業・団体にも制裁を適用したにもかかわらず沈黙を保ったままです。4月のテポドン発射、5月の核実験の際に猛反発したのとは対照的です。

 人工衛星(テポドン・ミサイル)発射を国連安保理の議長声明(4月13日)で「二度と発射するな」と批判された際には即日、外務省が「自衛的抑止力を強化する」との声明を発表し、①6か国協議には絶対に出ない②自衛的核抑止力を強化する③核燃料棒を完全に再処理すると宣言し、核無能力化作業を監督していた国際原子力機関の監視団と米国務省の職員を追い出してしまいました。

 また、3年前の安保理決議(1718号)に違反したため安保理制裁委員会が4月24日に国連加盟国に資産凍結を義務付ける北朝鮮企業3社を指定した際にも北朝鮮外務省は即刻、対抗手段として使用済み核燃料棒の再処理開始を宣言しました。

 さらに、国連安保理が核実験への懲罰として制裁決議を採択(6月12日)した時も翌日には①新たに抽出されるプルトニウムをすべて武器化する(使用済燃料棒は総量の3分の1以上が再処理されていた)②ウラニウム濃縮作業に着手する③封鎖(貨物検査)には軍事的に対応するとの強硬な方針を打ち出しました。

 一連の対抗措置について、北朝鮮外務省は「制裁には報復で、対決には全面対決で応じるのが我々の先軍思想の対応方式である」と宣言していました。ならば、今回の国連制裁委員会による原子力関係者らに対する渡航禁止措置を含む追加制裁についても断固たる対抗措置を取らなくてはなりません。韓国の柳明桓外交通商相が制裁委員会の追加制裁を「非常に意味がある」と高く評価していただけに北朝鮮としては本来ならば黙っていられないはずです。しかし、7月21日現在、外務省も、今年になって頻繁に登場する朝鮮人民軍代弁人も、また労働新聞や朝鮮中央通信などのメディアも国連制裁委員会による追加制裁については不思議なことに一言も言及していません。

 唯一、北朝鮮国連代表部の朴徳勲次席大使だけが「どのような制裁が取られてもびくともしない」と反応しましたが、彼の発言は公式のものではなく、韓国の連合ニュースの電話取材に答えたものです。それも、安保理の対北朝鮮制裁対象決定に先立って行なわれたものでした。また、金永南最高人民会議常任委員長がエジプトで開かれた非同盟首脳会議で「6か国協議は永遠に終わった」と発言したことも伝えられていましたが、金委員長の発言もまた、制裁委員会の追加制裁決定の前日(15日)にあったものです。

 北朝鮮が反応しない、あるいはできない理由は幾つか考えられます。

 一つは、これ以上、反発して、中国やロシア、国際社会を敵に回すことは得策ではないと判断したのかもしれません。あるいは、6月中旬に訪中した金英春人民武力相と中国軍首脳との協議で何からの合意があったのかもしれません。

 北朝鮮の思惑とは裏腹にミサイル発射と核実験により北朝鮮はかつてないほど外交孤立を深めました。友好国の中国とロシアからも見放され、またイタリア・サミットに続き、ASEAN(東南アジア諸国連合)でも非難され、国連安保理決議に従うよう勧告されました。

 加えて、米政府によって6月に制裁対象とされた「香港エレクトロニクス」や「南川江貿易」などの貿易会社が国連全加盟国の制裁対象に指定されたことでも明らかなように米国主導の禁輸制裁と国際社会の制裁により「ヒト・モノ・カネ」の流れを封じ込められつつあります。ICBMの発射など挑発をさらにエスカレートさせれば、制裁が一層強化され、現在全国キャンペーン中の経済飛躍を目指す「150日戦闘」に支障を来します。仮にキャンペーンが失敗すれば、後継者問題にも影響を及ぼしかねません。

 次に、即効性のある対抗カードが見当たらないのが原因かもしれません。

 北朝鮮が米国を威嚇できるカードはミサイルと核の二枚しかありません。ミサイルは失敗に終わったとされる4月5日のテポドンからまだ3ヶ月しか経っておらず、また核実験についても5月25日の二度目の実験から2ヶ月も経過していません。大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射するにしても、初の発射実験だけに失敗は許されません。従って、直ちに発射、実験というわけにはいかないという見方も成り立ちます。

 三つ目に、7月4日のノドン・ミサイルを含む7発の発射実験で北朝鮮が予定していた一連の軍事発射訓練が終了し、それなりの結果を得たことで、緊張を沈静化させ、米国との対話に乗り出したのではないかとの見方です。

 ホワイトハウスのゲリー・サイモア核非拡散担当補佐官は「北朝鮮はどうやら交渉の場に戻ろうとしているようだ」との見通しを述べていましたが、その根拠として①国連の制裁決議への北朝鮮の反応が意外と穏健だった②7月4日のミサイル7連発も予想されたICBMは含まれず、米国にとってそれほど憂慮するものではなかった③禁輸武器を搭載し、ミャンマーに向かっていたとみられていた北朝鮮の貨物船「カンナム号」も事をあら立てずに帰還したことなどを挙げていました。

 確かに北朝鮮のミサイル発射と核実験、それに伴う国連の非難、制裁決議により高まっていた緊張状態が現在は一時的に小康状態に置かれています。米韓連合軍が核実験直後にレベルアップしていた警戒態勢(ウォッチコン)のレベルを2~3に下げたのもICBM発射や核実験の兆候がないからもしれません。

 米朝は対立していても、ニューヨークの国連代表部間に対話のチャネルがあります。また、北朝鮮に身柄を拘束されている二人の米人ジャーナリストの釈放をめぐる交渉も水面下で行なわれています。二人は、12年の教化労働刑を宣告されましたが、最近訪朝したパク・カンシク米ジョージア大教授によれば、判決後も二人は収容されず、平壌のホテルに滞在しているようです。

 米国も北朝鮮の挑発にはそれなりの代償を支払わせ、さらに核とミサイル開発に必要な経済及び物質的手段を断ち切るための制裁を強化しながらも、その一方で、「北朝鮮が達成しようとする商業的連携と開発機会のための唯一の道が朝鮮半島の非核化であることを悟り、責任ある方式で行動してくるため門を開いていることを強調しておきたい」(オバマ大統領)と交渉による解決の道を模索していることです。とは言うものの「挑発する度に報酬を手にしていた悪習を断ち切る」と宣言したオバマ政権から歩み寄る気配はなさそうです。

 今月中旬に日韓中を歴訪した米国のキャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は「北朝鮮が後戻りのできない核廃棄を決定するならば、北朝鮮が求める代価を包括的に提供する用意がある」と呼びかけました。包括的代価とは、北朝鮮が求める平和協定の締結と国交正常化、それに経済制裁の解除及び支援を指します。4年前の9月に6か国協議で合意した共同声明の原点に戻り、北朝鮮に核放棄を迫るという考えのようです。

 米国は実質的に北朝鮮に「孤立を深めるのか、それとも繁栄の道を選ぶのか」の二者択一を迫っています。

 北朝鮮を国際的に包囲したオバマ政権は「ボールは北朝鮮側にある」と強気です。さて、そのボールを金正日政権はどう打ち返すのか、7月27日の休戦記念日(北朝鮮は戦勝記念日)を機に返球があるのか、興味津々です。

2009年7月 2日

辺真一:後継者問題と今後の北朝鮮の対応

 金正日総書紀の後継者は本当に三男の雲正(ジョンウン、25歳)氏に確定したのだろうか?

 「正雲決定」を裏付ける北朝鮮の公式報道はない。韓国政府も依然として「確認できない」との立場だ。しかし、日韓のマスコミは「後継者は正雲」との新聞辞令を出している。選挙に例えるならば、開票前に「当確」を打ったようなものだ。

>>続きは「THE JOURNAL×Infoseekニュース」で

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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