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2009年1月30日

「金正男」に関する国会論議(2001年5月)

 平壌から北京に入国(09年1月24日)した金正日総書記の長男、金正男氏は、北京空港で日本のメディアに対して自身が「金正男」であること、父親が金総書記であること、また01年5月に日本に偽装パスポートを使って不法入国したことを認めました。 金正男氏については2001年5月1日の不法入国問題との関連で当時国会でも大きく取り上げられました。衆・参両院で野党・ 民主党が政府の曖昧な対応を追及しましたが、身元確認ができないままで終わり、そのため今日までマスコミは金正男氏については「金正男とみられる人物」あるいは「金正男とおぼしき人物」と呼称せざるをえませんでした。「金正男事件」に関する8年前の政府側答弁を整理してみました。

▲いつ報告を受けたのか?
小泉総理:法務省から報告を受けこれは本人確認が非常に難しい問題と思った。そして, 法令に基づいた退去強制という措置が適切と考えた。(衆議院予算委員会5/14)

森山法相:私が最初にこの報告を受けたのは5月1日の7時頃。4人の中の1一人が北朝鮮の金正日総書記の長男であるかもしれないという未確認情報もあるということも加えて報告を受けた。(衆議院予算委員会5/15)

田中外相:私が直接耳にしたのは5月2日の午前中(10時半)で所には5月1日の夜には法務省から第一報があったと聞いている。(衆議院予算委員会5/15) 

▲事前情報はあったのか?
中尾入管局長:金正男と見られる人物が日本に入国するとの事前情報は入手していなかった。(参議院法務委員会5/24)

書上公安調査庁長官:個別の事柄に関する情報の有無,入手の有無等については,公安調査庁の今後の業務の遂行に支障を及ぼすので,答弁は差控えたい。(参議院法務委員会5/24) 

森山法相:金正男ではないかという人物がまじっていることも最初から情報提供されていたが、最終的にその本人であるという確認を取ることができなかった。(5/15衆議院予算委員会) 

中尾入管局長:4人のうち、一人については、金正男氏ではないかとの未確認情報が私どもに寄せられていた。その情報源や情報の相手等については言えない。(5/24参議院法務委員会)

▲なぜ逮捕しなかったのか
中尾入管局長:我々はこの件については5月1日に現地の成田空港支局から現地の千葉県の成田空港警察署に本件の事案発生の通報を済ませている。不法入国事犯についても昨年は120前後の通報をしている。その通報の中から17、8件ぐらいの告発を受けているのが実情でその限りでは, 一応やれることはやったつもりだ。(衆議院法務委員会5/18)

漆間警察庁警備局長:入管当局からの通報により警察として捜査を開始するということは可能であるが, 一般的なこの種事案については, 通常, 入管当局からの告発等によって証拠書類の提供を受け、その上で逮捕するという形になる。本件の処理については、法務省と警察庁との間で様々な意見交換があったが、最終的には法務省が退去強制手続きを取った( 衆議院法務委員会5/18)

▲なぜ強制退去にしたのか
小泉総理:あれこれ人に言う必要もなく、自分の頭の中で予期せぬいろいろな事態を想定して、速やかに適切な処理をどう決断すべきか、法に従って処理するのは一番良いということで、また退去強制手続きを法務省も考えていたので、それがいいと了承した。今でもこれは手際よい適切な措置だと思っている。(5/15衆議院予算委員会) 

森山法相:偽造旅券であるということなので、普通に行うべき法的な措置を進めるよう指示した。5月2日になって関連の省庁、外務省や官邸、警察庁も入って相談した。法務省が前日からとっている措置について説明した。5月2日の2回目の会合で退去強制という法務省の方針が進めることになり、外務省が外務省のチャネルを通じて中国側との調整を行うようになった。(5/15衆議院予算委員会)

中尾入管局長:警察庁も含めて様々な意見があったのは事実だ。最終的には退去強制手続きで退去強制させることになった。(5/24参議院法務委員会)

※退去強制手続きを取られた者の不利益は、5年間日本には入国できない。 

▲4人の旅券について
中尾入管局長:男はパン・シオンで、生年月日は1971年5月10日。連れの女性は、シン・ジョンヒで1971年9月7日。二人は夫婦ということになっている。サングラスをかけた方の女性が、リ・ギョンヒで1968年7月2日生まれとなっている。シン・ジョンヒとは親戚関係だと聞いている。(5/15予算委員会)

 幼児については、旅券上両親の記載はない。氏名については人道上の配慮があって答えられない(5/18衆議院法務委員会)

 パン・シオンについては、4月21日シンガポール入国証印。5月1日シンガポール出国証印。シン・ジョンヒについては、4月21日シンガポール入国証印。5月1日シンガポール出国証印。リ・ギョンヒについては4月29日ドミニカ共和国出国証印があった。(5/15衆議院予算委員会)

▲なぜ、偽造とわかったのか
中尾入管局長:3名のパスポートについては、身分事項ページが全く偽造になっており、明らかに偽造であることが判明した。1名についても,不正取得ということで調べた。本人が旅券に記載してある国籍の人間でないことを認めたので、それ自体偽造であると判断した。(衆議院予算委員会5/15)

横内副大臣:5月2日にドミニカ共和国に対して外務省を通じて旅券を発給したのか外交ルートを通じて事実確認をした。5月15日にドミニカ共和国から「当国としてはそういうものは発給したことはない。それは偽造だ」との回答を得ている。(衆議院法務委員会5/18)

中尾入管局長:金正男と思われる人物の旅券については、身分事項に関するページ全体が精巧に張替えられていた。アジア系の外国人であるにもかかわらず、最近悪用事例が多いということのドミニカ共和国旅券を所持していた上に本件については当該人物とともに4名が団体で上陸したことなどから不審に思い、口頭審理の際に女性がいわゆる朝鮮の言葉を使ったというようなことから偽変造対策室の鑑識に旅券の真偽を確かめたところ、3通の旅券については偽造ということが判明した。( 衆議院法務委員会5/18)

▲過去の上陸記録について
中尾入管局長:(パン・シオンに関して)上陸許可年月日は、平成12年10月3日、12月2日、12月25日。出国証印年月日は、平成12年10月6日、12月9日、12月29日となっている(5/15衆議院予算委員会)

 過去3回の入国歴があるが、当該本人がその旅券で3回日本に出入国したということまでは確認できていない。(参議院法務委員会5/24)  

森山法相:(4回も不法入国罪を犯した疑惑について)その偽造パスポートによって前に3回入国した印があったことはわかっているが、それを使った人がその本人であったかどうかははっきりしていない。(衆議院予算委員会5/28)

▲出入国カードのサインについて
中尾入管局長:(過去3回の出入国カードと今回の出入国カードのサインの)対査を一応やってみたが,同一のものか、判然としない。(参議院法務委員会5/24)

 筆跡鑑定はやっていない。警察等に対しても鑑定は依頼していない。

 本件については、旅券上の記載の名前ではなく旅券の記載以外の名前を申し立ていた。当初,出入国カード上は、パン・シオンで署名していたが、途中事件の関係で,最終的にはパン・シオンという署名ではなかった。口頭審理の放棄の際に本人の方から署名を取って、退去強制手続きは終了するのだが、その時はパン・シオン以外の名前で署名していた。名は言えない。(衆議院予算委員会5/28)

▲なぜ役人が中国まで同行したのか
田中外相:混乱防止のために外務省から人がついていきました、つけましたという報告を受けた(衆議院予算委員会5/15)

槙田アジア太洋州局長:この人物が中国に行くにあたって外務省の職員を派遣したのは、大変なフィーバーの中で不測の事態が起きることを避けなければならなかったからである。外務省の職員3名が行っているが、費用は外務省予算の外国旅費から出ている。2階席を全部借り占め、そのための全額費用を払ってはいない。3名のみの負担をした(衆議院法務委員会5/18)

中尾入管局長:4名とも自費出国で、本人らが所持していた航空券を使って中国に送還されている。(法務省警備官3名が同行したことについて)最終的に入国管理官は送還終了を確認する送還業務を行っている。必要な場合は,入国警備官が同乗して送還先まで同行することもやっている。(参議院法務委員会5/24)

▲入国目的は調べたのか
中尾入管局長:観光目的については, 我々の手続きのできる限りの範囲でその辺の目的がどうであったかの調査はしている。国内での滞在先については、この場で答えるのは適当ではない。調査の内容, 方法等に関するので答えられない。また、当該滞在先等の営業やその他、そちらの立場にも配慮せざるを得ない。ホテルに実際予約が入っていたかどうかについても、その辺は調査の中身なので答えられない。報道では大量の円札とドル札とのことだが、そんな大量の円札とか, ドル札ではかったとの感じだ。4人が休暇という観光目的で7日間滞在する場合にふさわしい金額かどうかという観点から言うと、そんなに極めて多いとは思っていなかったので, 偽札かどうかのチェックはしていない。(参議院法務委員会5/24)  

書上公安調査庁長官:(入国の目的が兵器の輸出や代金の回収にあったとの報道等に関心を持っているのかどうかについて)我々がどういうことに関心を持って、どういう調査を進めようとしているかについては先ほどの情報の問題と同様に今後の業務の遂行上、支障が生じるので答弁は差控えたい。

 但し, 関心がないといえば, 嘘になろうかと思う。金正男という人物については、金正日総書記の長男に金正男という人物がいること、あるいはこの金正男氏については朝鮮労働党中央委員会組織指導部の幹部であるとか、あるいはIT事業関係の責任者を努めているとか、あるいは金正日総書記の将来の後継候補と目されているといった情報や報道が伝えられていることは十分に承知しているが、これらが事実稼動かということについては確たる確認ができない状況にある。(参議院法務委員会5/24)

2009年1月15日

いよいよオバマ政権が誕生する

 オバマ政権が1月20日に正式に発足します。世界中の耳目がワシントンでの就任式に集まるものと思われますが、北朝鮮も例外ではありません。オバマ政権は北朝鮮にとっては待ちに待った政権であるが故です。

 米大統領選挙の結果が出るまで平壌を訪問(10月28-11月1日)し、北朝鮮の高官らと意見を交換していた米ジョージア大のパク・ハンシク教授は「北朝鮮はオバマ政権発足を機に米国の関係改善を切に願っていた」と、平壌の雰囲気を伝えていました。

 パク教授が占うように「オバマ政権が発足すれば、半年から1年の間に朝鮮半島に大きな転機が訪れる」のかどうかは未知数ですが、金正日政権からすれば、チャンス到来とばかり対米外交を積極的に展開することになるでしょう。オバマ大統領就任式に金桂寛外務次官を出席させたいと打診したことでも並々ならぬ意気込みが感じられます。

 8年前のクリントン政権最後の年の2000年11月の大統領選挙で、仮に後継者のゴア副大統領が歴史的僅差で負けなかったら、あるいは中東問題が再燃しなかったならば、当時クリントン大統領が訪朝し、米朝首脳会談が実現したと金総書記は残念がっていました。この年の10月23日、オルブライト国務長官が米国の現職閣僚としては初めて訪朝し、金正日総書記とクリントン大統領の訪朝を協議したことは周知の事実です。

 オルブライト氏は「安保と経済支援が保障されれば、金総書記が軍事的に譲歩する準備ができていることが分かった」と断言したうえで、「米国には人命損失の負担を抱えてまで北朝鮮を攻撃できる力がない」とし「結局(交渉を通じ)北朝鮮を『以前よりは脅迫的でない存在』に作るのが最善である」との考えを表明していました。

 しかし、クリントン前大統領は中東問題に追われていたため米大統領としては史上初の訪朝を断念せざるを得ませんでした。クリントン前大統領は、機会ある度に「(オルブライト訪朝結果を基に)北朝鮮に行けば、ミサイル協定を締結できると確信していた」として、「任期中にそれが実現できなかったことが最も悔やまれる」と語っていました。

 民主党から政権を奪ったブッシュ共和党政権はクリントン政権が交わした1994年の「ジュネーブ合意」を「失敗」と規定し、経済制裁の解除にも反対しました。ブッシュ大統領は02年1月28日の一般教書で「北朝鮮は国民を飢えさせながらミサイルと大量殺傷破壊兵器で武装する政権だ。イラン、イラクと並ぶ悪の枢軸国である」と金正日政権に対する嫌悪感を露にし、対決姿勢を鮮明にしました。

 それから7年経った今、憎きブッシュ政権が退陣し、「大統領に当選した最初の年に(金総書記と)会う用意がある」と、クリントン政権の政策を継承する人物が登場するわけだから北朝鮮にとってはまさに千載一遇のチャンスと言ってよいでしょう。

 「オバマ外交」の政策を立案し、推進するのは副大統領となるジョセフ・バイデン上院議員とヒラリー・クリントン次期国務長官の二人です。
 ブッシュ大統領の右腕であるチェイニー副大統領が圧力政策を主導してきたとすれば、バイデン次期副大統領もヒラリー次期国務長官も対話重視派です。例えば、ハイデン氏は北朝鮮が3年前、ミサイル発射と核実験を強行し、危機が高まった際には「圧迫を強化するだけでは不十分だ」として北朝鮮担当調整官を復活させ、米朝対話の道を模索すべきと主張しました。ブッシュ政権が北朝鮮に圧力政策をとっていた最中の2004年にはホワイトハウスを説得し、ニューヨークの国連本部から25マイル離れた場所への移動が禁じられていた北朝鮮の韓成烈公使のワシントン訪問を実現させました。

 ヒラリー氏も米国外交専門誌「フォーリン・アフェアズ」に寄航した論文「21世紀の安保と機会」の中で「ブッシュ政権が北朝鮮やイランのような敵性国家との対話に反対したのは逆効果をもたらす戦略だった。まじめな政治力を発揮するには敵性国家との交流が必要であり、活発な外交活動はそうした目標を達成するための前提条件である」と敵性国家である北朝鮮との対話を積極的に推進する考えを明らかにしています。1月13日、米上院外交委員会で開かれた公聴会に出席したヒラリー次期国務長官は北朝鮮の核計画放棄に向け「精力的な取り組み」を約束しました。

 問題は核計画の検証問題で対立した米朝の溝と停滞した6か国協議をオバマ政権がいかにさばくかにかかっています。

 オバマ氏は、ウラン濃縮や核拡散の解明を含む「北朝鮮の核兵器計画の完全かつ検証可能な放棄」が引き続き目標となると再三にわたって強調しており、もし北朝鮮が厳格な検証を認めない場合は、「エネルギー支援の停止や解除した制裁の復活、新たな制裁に関して、米国が主導していくべきだ」との考えを持っています。昨年2月には上院外交委員会の場で「北朝鮮に幻想は抱いていない。我々は朝鮮半島の非核化を守るため断固でなければならないし、そのためには譲歩してはならない」とさえ語っています。

 ヒラリー氏も「当選した年には会わないで、外交努力をする。彼らの意図がわかるまでは(米朝)高位級会談をやる考えはない」と慎重な姿勢を崩していません。

 一方北朝鮮もオバマ政権発足を前に外務省を通じて13日、「米国の対北朝鮮政策が転換され、核の脅威が取り除かれなければ、核兵器を放棄することはない」との立場を表明しました。「米国の対朝鮮敵対視政策と核脅威の根源的清算なくしては、100年経とうとわれわれがまず核兵器を放棄することはない」と強調し、国交正常化、平和協定の締結、そして韓国を含めた朝鮮半島の非核化を繰り返し求めていました。

 ブッシュ米大統領は12日、ホワイトハウスでの最後の記者会見で「北朝鮮が関係改善を望むなら、核検証体制を受け入れるべきだ」と核放棄を迫りましたが、「核放棄が先か、関係正常化が先か」との北朝鮮との恒例の綱引きをオバマ政権がいよいよ引き継ぐことになります。

2009年1月11日

2009年 拉致問題の行方

 オバマ政権が発足すれば、核問題は解決に向かい、それに伴い米朝関係も進展すると予測されている。
 米朝が仮に国交正常化に動き出せば、日本の外交懸案である拉致問題や日朝関係はどうなるのだろうか?

●「8.12日合意」は生きている
 日朝両国は07年8月12日、拉致被害者の再調査と制裁の一部解除ですでに合意している。
 福田赳夫総理(当時)が9月1日に突如辞意を表明しなければ、北朝鮮は再調査委員会の立ち上げを9月3日に日本に通告し、日本の制裁解除(人的往来とチャーター便の規制解除など)と同時に再調査を開始する予定だった。「8.12合意」では調査結果を「遅くとも秋まで」知らせることになっていたので、本来ならばすでに調査結果が出ていたはずだ。
 しかし、北朝鮮が9月3日に通告してきたのは、「合意を履行する立場に変わりはないが、日本の新政権がどういう考えなのか見極めるまで再調査委員会の立ち上げを差し控えたい」との延期通告だった。
 麻生政権が9月24日に発足し、新任の中曽根弘文外相が「北朝鮮が再調査を開始すれば、制裁を一部解除する」と福田政権下での合意を履行する意思を伝えたものの、北朝鮮は米国のテロ支援国指定解除を外交の最優先課題とし、日本には目もくれなかった。
 結局、日本政府は10月10日、「ボールは向こうにあるが、返答が一切ない。拉致も核も進展が全くない状況で、制裁だけを解くことは難しい」(麻生総理)と、10月13日に期限切れとなる制裁の半年間延長を閣議で決定せざるを得なかった。2006年10月に発動してから4度目の延長である。ところが、その翌日(11日)、米国は日本とは反対にテロ支援国指定を解除した。
 米国の決定に逆行して制裁延長を決めた日本に反発した北朝鮮は「麻生政権がこれらの合意を白紙化した」(労働新聞)と主張し、「日本と懸案を協議し解決することは空虚であり、時間の浪費でしかない」と、再調査する意思のないことをほのめかした。
 北朝鮮が「8.12合意」を反故にしたとも受け止めることができるが、単なる時間の引き延ばしに過ぎない。日本で政権交代があろうがなかろうが、日本国総理が誰になっても、再調査に応じる当初の方針には変わりはない。再調査は米国との約束でもあるし、また拉致問題を終結させるには避けては通れないからだ。

●看板変更を迫られる
 再調査開始の時期は順当ならば、総選挙後の結果を見てからになるが、米大統領選挙と異なり、北朝鮮は日本の政権交代を必ずしも望んでいない。北朝鮮に強硬な民主党よりも自民党政権のほうがベターとみている。従って、今の麻生政権を相手にすることも十分に考えられる。
 麻生政権の対応次第では小泉政権の時のように選挙前、あるいは選挙期間中に再調査を開始することで自民党をバックアップするシナリオも浮上するかもしれない。但し、北朝鮮は「これをもって最後とし、国交正常化に入る」という条件を突きつけるだろう。
 再調査に関する日本の認識は「生存者を発見し、帰国させるためのものである」というものだが、北朝鮮の認識は「生存していれば、必ず見つけ出して、帰国させるが、調査してみなければ生きているのか、死んでいるのかわからないのに調査する前から『生存者を発見する』とは約束できない」と相反するものだ。
 北朝鮮がそもそも再調査に応じることにしたのは07年10月9日に高村正彦外相(当時)が「拉致した人間がもし亡くなったというならば、それが事実であると認識するような説明責任を果たしてもらわないと納得できない」と発言したからである。
 日朝合意後、町村官房長官(当時)は「万が一、生存していない方があるならばそれがどういう状態なのかを調査する。これが再調査の目的であることははっきりしている」と答えていた。
 「拉致被害者の全員生存、全員帰国」という原則から後退し、「仮に亡くなっているならば」と柔軟な対応にシフトした今こそが、決着を付ける機会到来と北朝鮮は判断しているようだ。
 選挙の結果、仮に政権交替が起きた場合は、再調査を中断し、新政権を相手に再交渉し、国交正常化交渉への担保を取り付けることも当然シナリオには含まれている。
 要は、北朝鮮の調査結果だが、あえて調査するまでもなく、北朝鮮はすでに解答用紙(調査結果)を手にしている。後は、そこに数字を書き込み、差し出すだけだ。再びゼロ解答となる可能性もあるが、仮に何人かでも出てきた場合、「拉致問題の解決なくして、国交正常化はない」の看板は「進展があった」として、変更もしくは、外されるかもしれない。◆

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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