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2008年12月30日

2008年を回顧する

 今年(2008年)1年、朝鮮半島を振り返ると、前進したかと思うと、後退するという「一進一退の年」だったというのが正直な印象です。

 昨年(2007年)は、7年ぶりの南北首脳会談の開催、6か国核合意、53年ぶりの南北鉄道連結などの明るいニュースが相次ぎましたが、今年は、韓国の政権交代を機に南北関係が冷え、また、核問題も、6か国で合意した核無能力化が完了しませんでした。

 従って、2月の平壌でのニューヨークフィルハーモニの公演を機に米朝間に信頼関係が醸成されれば、「核問題の進展→テロ支援国指定の解除→日朝交渉で北朝鮮の再調査表明→ライス国務長官の平壌訪問→金永南最高人民会議委員長の訪韓→南北米中の4か国外相会談→4か国による戦争終結宣言→米朝首脳会談→米朝国交正常化というシナリオも全くあり得ないとは言えない」との昨年の予言はテロ支援国指定解除と日朝交渉での北朝鮮の再調査表明まで的中したものの、後は夢物語に終わりました。

 米朝関係は上半期までは比較的に順調でした。北朝鮮は第2段階で約束した核計画の申告を行い、米国はテロ支援国指定解除の手続きを開始しました。6月27日には北朝鮮が核施設無能力化の証として冷却塔を爆破し、米国を喜ばせました。しかし、その後、米国がテロ指定を解除しても、核計画の検証に同意せず、ブッシュ政権下最後の6か国協議も第2段階の完了にメドが付けられませんでした。

 南北関係も、2月の李明博政権の発足でギクシャクし、7月11日に金剛山で発生した北朝鮮軍人による韓国人観光客射殺事件により険悪化し、金剛山観光と開城観光の中断、南北縦断鉄道の全面ストップと、交流と協力が途絶え、その影響は開城工団の規模縮小へと拡大しています。

 また、日朝関係も、6月に日朝協議が9ヶ月ぶりに再開され、8月12日には拉致被害者の再調査開始と制裁の一部解除で合意しましたが、その数日後に金正日総書記が倒れたことや、9月1日に「私の手で拉致問題を解決する」と公言していた福田総理が辞任したことなど、双方の国内事情も重なって、実行に移されませんでした。

 米朝も、南北も、日朝関係も再びこう着状態に陥った感がありますが、来年1月20日に発足するオバマ政権は北朝鮮との直接交渉による事態打開を目指していますし、また韓国の李明博政権も2月25日の政権発足1年を機に南北関係を好転させる方針です。関係修復の手段として両首脳とも、特使の派遣を検討しているようですが、北朝鮮が米国との関係を最優先させていることもあって、おそらく米国の特使派遣が先行するものと予想されます。

 日本は総選挙が終わり、政局が安定するまでは身動きが取れませんが、北朝鮮と米韓との関係が特使派遣で好転するような事態となれば、日本としても何らかの手を打たざるを得ないかもしれません。8月12日の日朝合意が依然として有効ならば、現在継続中の北朝鮮制裁の更新日となる来年4月13日までに何らかの動きが出てくるかもしれません。
 今年は、核や拉致問題、あるいは南北関係以上に注目されたのは、北朝鮮の最高権力者である金正日総書記の病状です。

 金総書記が8月中旬に脳障害で卒倒し、病状に伏せたのはほぼ間違いありません。9月9日の建国60周年、10月10日の労働党創建日、そして10月29日の故朴成哲副主席の国葬にも姿を見せなかったことがその証左となり、10月下旬に金総書記の長男、正男氏から依頼を受け、平壌を訪れたフランスの脳外科医が金総書記を診断したことをほぼ認めことで確定的となりました。

 金総書記が倒れたことで「ポスト金」や後継者問題が急速にクローズアップされ、また韓国では「北朝鮮有事」が真剣に取り沙汰されましたが、その後、金総書記が表舞台に登場したことで、沈静化の方向にあります。

 肝心の金総書記の健康状態ですが、11月からは外出が可能となり、1日のサッカー観戦を皮切りに現地視察を再開させています。新義州や慈江道など地方を訪れたことも確認されており、ほぼ通常の活動に戻ったと言えます。最近も平安南道の千里馬製鋼連合企業所を視察(12月25日報道)しており、金総書記の視察は12月に入りこれで10回目と、昨年並みの活動ぶりです。

 但し、公開された動静はいずれも写真に限定されており、動画や映像が配信されていないことから依然として健康不安説が付きまとっています。また、再発説も根強いです。こうしたことから、今後の関心は、動画がいつ公開されるのかに集まっています。それも、国内視察を納めたものではなく、外国要人との接見があるのかどうかに集中しています。

 今から22年前、「北朝鮮でクーデターが発生し、金日成主席が死亡した」との韓国から発信された衝撃的な情報が世界を駆け巡った時、金主席はその3日後、訪朝したモンゴル国家元首を出迎えに空港に姿を現し、世界を嘲笑うかのようにその健在振りを誇示した。

 最高のパーフォマンスを熟考している金総書記が仮に米大統領の特使と会見ということになれば、世界の耳目を集めるには格好の場となるかもしれない。

2008年12月15日

オバマ政権は「6か国」よりも米朝「2か国」を優先

 ブッシュ政権下最後の6カ国協議首席代表会合は、中国までが同意した5か国の核検証文書化に北朝鮮が最後まで抵抗し、応じなかったため合意に至りませんでした。予想とおり、金正日総書記は結局、来月20日にホワイトハウスを去るブッシュ大統領に花をもたせるような「寛大さ」を示しませんでした。「悪の枢軸国」「ならず者」「取るに足りない男」「食卓で行儀なく振舞うガキ」と罵倒され続けてきたことへの「鬱憤払い」かもしれません。もはやクリスマス・プレゼント(今後の譲歩)も「選別」(土壇場の劇的な進展)も期待できそうにもありません。

 北京を舞台にした米朝の最後の交渉は、交渉に臨んだ二人の首席代表の帰国の際の対照的なコメントを聞けば、どちらに軍配が上がったかは、一目瞭然です。ブッシュ大統領に有終の美を飾らせようと最後まで粘り強く交渉したヒル米国務次官補は最後は力尽きたのか、最終日の議長声明の場にも立ち会わず落胆の表情を浮かべながら「もう北朝鮮と2国間協議を行う考えはない」と一言述べ、一足先に北京空港を後にしました。ボスニア、コソボ紛争を調停したタフなネゴシエーターも、北朝鮮の厚い殻をとうとうこじ開けることができませんでした。

 一方の金桂寛外務次官は2日遅れで帰国の途に着きましたが、二度と会うことのないヒル次官補について「精力的で立派な外交官だった」とねぎらいの言葉をかけるほど余裕綽々でした。検証に応じないまま「参加国は10.3合意に明記された通り、寧辺核施設の無力化と重油100万トンに相当する経済、エネルギーの提供を並列的に履行することに同意する」との議長声明を取り付けたわけですから御の字だったのでしょう。

 北朝鮮の対応に失望した米国務省のマコーマック報道官は「検証の枠組みを欠く状況では今後、重油の輸送は継続できない」と述べ、「制裁」として重油支援停止の意向を表明し、この支援停止については「北朝鮮を除く5カ国が一致している」と、北朝鮮への揺さぶりに出ましたが、金桂寛次官から「米国の重油支援は終わっているわけだから、腹いせで言ったのだろう」とあしらわれる始末でした。

 中国首席代表が閉会の際に発表した議長声明には拘束力はないものの、ヒル次官補も同意し、かつ議長声明の発表の場に代理としてソン・キム国務省核担当特使が同席していたわけですから、これを反故にすることは、米国の国際的な信義にかかわるだけに容易ではありません。中国の顔を潰し、かつ北朝鮮が警告しているように無能力化の停滞を招きかねないだけに実行に移せるかどうかは甚だ疑問です。

 現に「5か国も一致している」はずなのに中国はすでに議長声明とおり、検証と切り離して無能力化と重油支援を完了すべきとの立場を表明しています。6か国協議でロシア首席代表を務めたアレクセイ・ボロダフキン外務次官も「ロシアは合意しておらず、5か国が重油供給を停止するとした米国の発表は驚きだ」と述べ、「協議参加国はそれぞれの義務を履行すべきだ」と発言しています。

 重油などエネルギー支援の作業部会の議長国である韓国も「重油提供の中断で5カ国が合意したことはない」と、米国の一方的な発表に驚きを示していました。外交通商部の柳明桓長官は「これまでの北朝鮮核無能力化の過程が水の泡になったという見方や6カ国協議の実効性を問題視するのはまだ早い」との見解を示したうえで「われわれが期待する速度で進展してはいないが、寧辺核施設の無能力化やそれに先立つ核施設申告などかなりの進展があったというのが、6カ国の共通の立場」だと、今回の協議については米国とは異なった評価をしていました。拉致問題の未解決を理由に重油支援に加わっていない日本を除いた他の3か国はいずれも米国の「制裁」に同調する考えはないようです。政権交代間近のブッシュ政権にはもはや従わせるだけの影響力がないというのが現状のようです。

 北朝鮮の対応に問題があるにせよ、中国、韓国、ロシアにとっては3者会談(米南北)や4者会談(米中と南北)がかつて霧散したように6か国協議をこのまま解散させるわけにはいかない事情があります。日中韓首脳会談のため来日した温家宝首相は韓国の李明博大統領との首脳会談で「検証問題とエネルギー支援は意見が異なり合意はできなかったが、それなりに進展はあった」と一定の評価をしました。李明博大統領もこれに応えるように「少しずつ前進しているのは事実で、後退はしていない。忍耐心をもって対処しよう」と、日中韓首脳会談の記者会見で表明していました。

 中国は議長国としての面子もありますし、中国を頭越しにした北朝鮮による米国への接近も警戒しています。中国は国際社会が北朝鮮への影響力行使を求めれば求めるほど北朝鮮が北京から距離を置こうとしていることを知っています。北朝鮮が北京での接触を嫌い、ニューヨークや平壌であるいはジュネーブやベルリン、シンガポール、ベトナムなど第三国で米国との接触の場を持ちたがるのは、中国を抜きにした米朝直接交渉に比重を置いているからです。それだけに米朝の調停者として議長国を引き受けた外交大国の中国としては、6か国協議を破綻させたくはないのは当然のことです。

 韓国もまた、韓国の頭越しによる米朝接近を極度に警戒しています。南北対話が全面中断している現状にあって北朝鮮による「通米封南」(米国と交渉して、韓国を孤立させる)戦略を阻止するにはこのまま6か国協議を維持し、韓国の発言権を維持しなければなりません。

 ロシアも6か国協議の場を北東アジアにおける影響力行使の場として捉えています。今度の6か国協議で安全保障の作業部会の議長国として北東アジアの平和および安全のメカニズム作業部会の来年2月のモスクワ開催を提唱したのも、また重油支援の継続をいち早く表明したのも6か国協議維持への強い意欲を表明したものと受け止められます。

 拉致問題の未解決を理由に重油支援をしていないこともあって日本は重油支援の停止については米国の立場に同調していますが、6か国協議の維持の必要性については他の3か国と同じ立場にあると言えます。麻生総理が日中韓首脳会談後の記者会見で「六者会合の枠組の中で緊密に連携していくことが大事である。やはり、三カ国がバラバラではなく、まとまって対応していく、北朝鮮と話をしていくというのが大事である」と語ったのは、拉致問題を核問題とリンクさせている以上、6か国協議の場を拉致問題解決の、日朝接触の重要な場と位置づけているからにほかなりません。

 重油支援の継続への対応について温度差はあるものの6か国の枠を維持するという点では米朝を除く4か国は足並みを揃えていますが、米朝直接交渉の企図から北朝鮮がゴネたことで6か国協議の無能力化がクローズアップされた今、ブッシュ政権から核問題を引き継ぐオバマ政権が今後どのような対応を取るかに6か国協議の存続はかかっています。

 結論を言うなら、ウラン濃縮や核拡散の解明を含む「北朝鮮の核兵器計画の完全かつ検証可能な放棄」を目標とするオバマ政権は6か国の枠を維持しつつも、米朝直接交渉による問題解決に本格的に乗り出すことが予想されます。「2か国」と「6か国」協議を平行させても、先「2か国」後「6か国」と、米朝交渉を最優先させ、問題解決にあたるものと推測されます。

 しかし、「北朝鮮が厳格な検証を認めない場合、エネルギー支援の停止や解除した制裁の復活、新たな制裁に関して、米国が主導していくべきだ」と言っていることを考えると、オバマ政権になったからといって、サンプル採取を含む検証問題で露呈した米朝の溝がそう簡単に埋まると考えられません。

 さて、オバマ政権がどうするのか、「オバマ対金正日」の「戦い」がいよいよ始まります。

2008年12月 8日

ブッシュ政権下最後の6か国協議

 今日(8日)から10日まで北京で6か国協議首席代表会議が開かれ、核検証に関する合意文書の作成を目指します。核検証方法をめぐる米朝の溝が深いだけに合意が得られるかどうか微妙です。

 第4回6か国協議共同声明(05年9月15日)では「朝鮮半島の検証可能な非核化である」「北朝鮮はすべての核兵器と既存の核兵器を放棄する」ことが盛り込まれています。また、検証のメカニズムについては08年7月10日~12日に開催された首席代表者協議では以下のようなコンセンサスをとりまとめた成果文書が発表されています。

①朝鮮半島の非核化を検証するため、6か国協議の枠組みの中に、検証メカニズムを設置する。

②検証メカニズムは6者の専門家により構成され非核化作業部会に対し責任を負う

③検証メカニズムの検証措置には、施設への訪問、文書の検討、技術者との面談、及び6者が合意するその他の措置が含まれる。

④必要な場合には、検証メカニズムは、IAEAより助言及び支援を受けることができる

⑤検証の具体的な計画及び実施は、非核化作業部会により決定される。

 ここで問題になるのが、検証方法の扱いです。

 米国が要求する検証方法 ①申告以外の施設の検証②事前通告なしの施設への接近、調査、サンプリング(試料)採取②必要な北朝鮮関係者へのヒアリング③すべての各施設及び運営関連の追加資料、記録の閲覧、原子炉活動日誌の提供です。また、検証にあたって、米政府はプルトニウム計画だけでなくウラン濃縮計画も含めたすべての核施設への立ち入りのほか、施設内にある空気や物質の試料採取を求めています。試料採取は、空気中の塵(素粒子)も集めて測定し、未申告活動の痕跡がないか調べるのが目的です。

 ところが、北朝鮮は申告で言及した寧辺をはじめ約10カ所の施設への立ち入りは基本的に認めているものの、大気や土壌のサンプル、試料採取には難色を示しています。その理由について申告書に記した38・5キロのプルトニウムの総量よりも実際には多く抽出していたことが判明するのを恐れているからだと言われています。

 北朝鮮は寧辺の原子炉で生成されたプルトニウム量は全部で38.5kgで、このうち核兵器の製造に26kg、核実験に2kg、そして2kgは廃物化(捨てた)とし、抽出されずに残存している量は7.5kgと説明しています。

 これに対して、米国は1994年まで10㎏前後、2003年25~30kg、03年2月~06年10月までの3年8か月稼動、18~20kgと合計50~60kgを保有しているとみております。2キログラムでは核実験は困難で、北朝鮮は過少申告し、プルトニウムを隠匿しようとしているのではと米国は懐疑的です。従って、北朝鮮の申告が正確かどうかを検証するにはサンプル採集が不可欠です。

 米国のサンプル採取要求に対して北朝鮮は10月にヒル国務次官補が訪朝して合意した米朝の約束にはサンプル採取は含まれていないとして、サンプル採集の文書化に強く反発しています。それでも、金桂寛時間はシンガポールでのヒル次官補との事前接触終了後、この採取問題について「まだ結論は出ておらず、今後検討することにした」と若干含みを持たす発言を示していますが、北朝鮮は強気で、譲歩までして来月で任期が切れるブッシュ政権を相手に合意を急ぐ必要性を感じていないようです。検証カードはオバマ政権を相手に高く売りつけたほうが得策との判断があるようです。

 従って、今回の6か国首席代表協議ではサンプリング採取は、正式文書には盛り込まれないか、盛り込まれたとしても最終段階(破棄)に後送りされるか、あるいは非公開扱いの付属文書の中で処理されるという中度半端の結果になる公算が高いです。

 検証と同時に無能力化も今回の協議の焦点の一つになります。

 北朝鮮は07年2月13日の米朝合意に基づき、同年7月14日から寧辺にある核施設の稼動を中断し、11月1日からは無能力化作業を開始しました。そして08年6月26日に核計画申告書を提出しました。8月26日に米国がテロ支援国指定解除作業を米議会に通告するや27日には原子炉冷却塔を爆破しました。

 無能力化については5メガワット実験用原子炉、放射化学実験室(再処理施設)、核燃料棒製造施設など寧辺にある核施設に対する11の無能力化工程のうち8工程が終了。残りの三つは、原子炉内の使用済み燃料棒の取り出し、未使用燃料棒の処理(海外搬出)、原子炉制御棒クドン措置の除去などで、現在は9工程目の使用済み核燃料棒の抜き作業がスローテンポながら行なわれており、8千本のうち60%にあたる4,800本が取り除かれています。原子炉炉心から使用済み燃料棒を取り出すと、元に戻すには1年はかかるといわれています。しかし、この作業も、他の5か国の北朝鮮への重油(100万トン)の支援が遅れていることを理由にはかどっていません。

 本来ならば、核施設と申告・無能力化と北朝鮮へのエネルギー支援を含む「第2段階」は10月末に完了するはずでしたが、結局ブッシュ政権下では時間切れとなり、いずれも次のオバマ政権に委ねることになりそうです。

2008年12月 1日

オールストップの南北関係

 北朝鮮は11月24日の通告とおり、12月1日から軍事境界線での陸路・鉄道の通行を制限、遮断しました。この結果、金剛山観光に続き、開城観光も中断し、南北の列車往来も全面ストップしました。12月1日からは1日19回あった南北出入りも3回に制限され、1回の通行人員と車両も500人から250人に、200台から150台に制限されることになりました。南北の経済協力の象徴である開城工業団地でも韓国側常駐員は半減し、前途が不安視されています。

 北朝鮮の一連の強硬措置は「核の解決なくして開城工団事業の拡大は困難」との金夏中統一部長官の3月19日の発言に端を発し、金泰栄合参議長の「先制攻撃発言」(3月27日)でピークに達しました。4月1日には李明博大統領の「非核・開放・3000」政策を猛烈に批判し、李大統領への個人攻撃を始めました4月3日には韓国軍の38度線通過を不許可という実力行使に出ました。

 その後、韓国の歴史教科書の「北朝鮮主敵論」の復活、前政権が調印した南北共同宣言の否定や金剛山観光客射殺事件の発生、女スパイ事件の摘発、金正日政権打倒ビラ等を問題視し、南北の交流・協力の中断を予告していました。そして、11月6日の「自由民主主義体制で統一するのが最終目標である」との李大統領の発言で、怒りは頂点に達し、今回の措置となったようです。

 北朝鮮の「南北関係遮断措置」によって、中断に追い込まれた金剛山観光と開城観光、操業の危機に瀕している開城工業団地の現状、中断した南北往来鉄道の状況や南北の経済交流の現状を整理してみることにします。

 ①金剛山観光(1998年11月開始、2008年7月11日中断)
 1998年11月18日、海路による観光が開始。2003年から陸路観光に。2008年3月からマイカーによる観光も可能となりました。
 ※日帰りー9千9百円(日本円)、1泊2日―1万8千円、2泊3日―2万3千~2万4千円。観光客一人当たり、一定額の観光料金を北朝鮮側に支払うことになっており、2泊3日の場合の観光料金は80ドルです。
 観光客は1998年が1万人だったのが、2007年には35万人に達しました。今年は7月11日に韓国人女性観光客射殺事件が発生し、観光が全面ストップしましたが、事件が発生するまで約20万人でした。08年の目標は55万人でした。過去10年間で延べ195万人が観光しました。
 北朝鮮から金剛山観光開発独占権を取得した現代グループはこれまで9千832億ウォン(6億5千621億ドル)を金剛山観光開発につぎ込んできました。この他に韓国観光公社などの外部投資が1億2千691万ドルあります。
 金剛山観光業は2004年まで赤字続きでしたが、2005年から黒字に転じ、07年の売上げは3千億ウォン(100億ウォンの営業利益)ありました。
 韓国人観光客射殺事件発生後も現代の職員25人を含め194人のスタッフが常駐していましたが、12月1日以降は、常駐者はさらに100人未満に減らされ、車両も150台未満に制限されることになりました。
 金剛山観光の中断で現代の損失額は800億ウォン(55億円)と推定されています。北朝鮮も観光収入が途絶えることで、経済的損失は大きいものがあります。
 北朝鮮は昨年、金剛山観光料として2、038万ドルの外貨収入がありました。今年も上半期分(約20万人分)の観光代金として1,074万ドルを受け取っています。

 ②開城観光(2007年12月開始。2008年11月28日中断)
 開城は李朝時代の首都で、南北の軍事境界線に近くソウル中心部から北へ約70キロ、バスで約2時間行った所にあります。月曜日を除いて、週に6日間実施され、日帰り観光として人気がありました。観光客の数は2008年11月14日時点で11万人突破しました。
 ※日帰りコースー1万8千百円(日本円)ですが、観光料金として北朝鮮側に100ドル支払われます。1日平均300~400人が訪れますが、外国人もこれまで2,600人が訪問しています。しかし、北朝鮮の通告により、11月28日を最後に開城観光は中断しました。
 北朝鮮の通告に従い、現代は常駐職員68人だけを残し、後は全員撤退させました。

 ③開城工業団地(2003年着工。2005年操業開始)
 韓国は工団開発のためこれまでに1兆5千億ウォンを投じてきました。(鉄道や道路などインフラ整備への韓国政府の投資が1兆ウォン相当、民間企業の設備投資が5千億ウォン)
 現在87企業が入居し、これまで非武装地帯を毎日1千人の人員と600台の車両がソウル-開城を往来していました。また工団では韓国側1,236人、北朝鮮側33,688人が作業しています。韓国側協力取引業者は3,100社で、協力業者の雇用人員は16万人に上ります
 2005年1月-08年9月現在累計で4億5千990万ドル生産(このうち輸出額は8千7百万ドル)しています。
 ※05-1,490万ドル、06-7,373万ドル、07年―1億8千万ドル
 87企業による賃加工生産額は2,500億ウォンで、これを韓国で商品化した場合、1庁6700億ウォンの経済効果が生まれます。
 仮に開城工団が完全に閉鎖された場合、北朝鮮側の年間外貨収入損失額は420億ウォン(米ドルで2,800万ドル)に達しますが、韓国側は5千億ウォン以上の投資額を損失するばかりか、現在建築中の工場が完成した場合に創出される2兆4千9百ウォン相当の経済的効果を失うことになります。(現代経済研究院の統計)

 ④南北鉄道連結(2000年着工、2007年5月試験運行)
 ▲京義線(南の?山―北の開城間の27.3km)56年ぶり開通
 ※京義線(釜山―?山―開城―新義州―丹東―中国大陸鉄道)
 ▲東海線(北の金剛山―南の猪津(チェジン)の25.5km)57年ぶり
 ※東海線(釜山―江陵―猪津―金剛山―ハッサンーシベリア横断鉄道)(列車は5両編成。試験運転なので時速10~20km。京義線は1時間30分要する)
 韓国が投じた鉄道連結費用の総工費=5,454億ウォン。※そのうち北朝鮮の鉄道復旧支援金は全体の3分の1=1,809億ウォン。
 月曜から金曜まで週5回運行されてきた京義線鉄道は、11月28日を最後に運行が中断しました。

 ⑤南北貿易(1989年間接貿易開始)
 第3国を経由した間接貿易がスタートした1989年時の貿易量は1,872万ドル。
 船舶を利用した海上輸送による直接貿易が始まった2000年4月時点での南北貿易額は4億3千万ドルと急増しました。
 2007年の南北貿易額は17億9千万ドルで、南北貿易は直接貿易により7年間で4倍以上伸びました。
 ※京義線が正常化すれば、5年後の南北貿易量は約5倍(85億ドル)に跳ね上がること予想されていました。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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