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2008年9月24日

麻生政権で日韓、日朝は?

 自民党総裁の麻生太郎氏が24日総理に選出され、麻生政権がスタートしました。

 中国、韓国は歴史認識問題や領土問題ではタカ派の麻生政権になっても日中、日韓関係が後戻りすることはないと期待を寄せていますが、その一方で麻生総理の言動を相当警戒しているのも事実のようです。

 両国が麻生総理に不安を抱いているのは歯に衣を着せないこれまでの大胆不敵の言動が原因のようです。とりわけ韓国では麻生総理は「韓国人の記憶に残る妄言を口にする政治家として認識される人物」とのレッテルを貼るほど嫌っています。韓国メディアの中には「彼は韓国の歴史を否定する妄言を繰り返しながら、心から謝罪をしたことのない人物だ」と痛烈な批判を展開するメディアもあるほどです。

 2003年5月の東京大学での講演で「創氏改名は朝鮮人が求めたもの、ハングルは日本人が朝鮮人に教えてあげたものであり、義務教育も日本が始めた。正しいことは歴史的事実として認めたほうが良い」と言い放ったことをどうやら問題にしているようです。

 また、中韓両国とも靖国参拝問題では相当ピリピリしています。

 麻生総理は自民党総裁選の最中に行われた外国特派員協会での会見で「総理になったら靖国を参拝するのか」と外国人記者から聞かれた際に他の4候補は「現状では行かない」と慎重な発言をしていましたが、麻生さんだけは「そのことについては『中央公論』に書いてあるので読んでもらいたい」と即答を避けていました。

 しかし、中国も韓国も麻生さんが2005年5月に英国を訪問し、オックスフォード大で講演した際「靖国神社参拝は正しく、今後も続けなければならない。靖国神社の軍人がA級戦犯と決定したのは、日本ではなく、占領軍が決定したものだ。靖国神社参拝を問題にする国は世界で韓国と中国だけだ』と中韓両国を強烈に批判していたことを忘れてはいないようです。靖国問題への麻生総理のスタンスはどちらかと言うと、小泉元総理に近いような気がします。従って、麻生政権になれば福田政権下で沈静化した靖国参拝問題が再燃するのではと中韓両国とも憂慮しています。

 中韓両国が懸念を抱く理由はわからなくもありません。現に麻生総理は外国特派員協会で「中国と韓国との間でいろいろ問題が起きるかもしれない」と述べ、さらに「国益を守るという点では私はタカ派である」と強調していました。実際に麻生さんはかつて拉致問題に非協力的な中韓両国の対応を露骨に批判したことがあります。日本の経済制裁で日朝貿易額が半減したにもかかわらず、中韓両国が北朝鮮との貿易を増やしていることを問題にし「(北朝鮮を)助けているのではないか。何の目的でそんなことをしているのか理解に苦しむ」と不満をぶつけていました。

 靖国問題以上に韓国にとって要注意なのは竹島をめぐる麻生政権の対応のようです。麻生総理は領土問題では「日本の国益」という観点から譲る考えは毛頭ないようです。それどころか、福田政権以上に主張すべきは主張し、相手が嫌がることも言うし、さらにそれを行動にも移すのではないかと思われます。現に2004年1月に韓国が独島(竹島)の切手を発行した際には「日本も竹島を主題にした切手の発行を検討すべきだ」と対抗心を露にしたことがありました。

 当面11月には高校の新学習指導要領解説書が出ます。7月に中学校社会科の新学習指導要領に独島の領有権主張が盛り込まれたことで韓国は猛反発したことはまだ記憶に新しいです。先般竹島を自国の領土とする2008年版防衛白書が日本の閣議で通過した時も韓国政府は即座に「日本政府が即座に是正措置を取るよう要求する」と強く抗議していました。外交通商部だけでなく、国防部までもが駐韓日本大使館の防衛駐在官を呼び、「日本政府の独島領土権主張は植民地時代の侵奪行為を正当化し、韓日関係の未来志向的な発展を妨げる行為だということを日本政府が深く認識するよう再度促す」と抗議しておりました。

 李明博大統領も独島研究所の開所を記念した懇談会の席で「独島問題は領土問題としてしっかり対処する」と国民に約束したばかりです。従って、11月の高校の新学習指導要領解説書をめぐる麻生政権の対応次第では、日韓関係は再び険悪化することも予想されます。

 韓国が「竹島問題」での安倍政権の対応に注目しているとすれば、北朝鮮もまた「拉致問題」での麻生政権の対応を注視することになりそうです。

 麻生総理は「拉致問題」では安倍元総理同様に「強硬派」とのイメージが強いようです。仮に麻生政権が安倍政権の「圧力路線」に回帰すれば、おそらくが、福田政権下で合意した再調査は反故になるかもしれません。

 しかし、麻生総理は安倍政権下で外相をしていた頃は、結構「柔軟な発言」をしていました。例えば、拉致問題の進展の定義一つとっても北朝鮮が「拉致問題は解決した」という立場から「解決済みではない」と認識を改めれば進展とみなすとの見解を述べる一方で、日本の捜査当局者の参加による再調査を求めるなど意外に現実的な対応をしていました。   

 日朝間では8月に政府間協議が再開され、北朝鮮が拉致被害者の再調査を約束しましたが、これも麻生総理が外相をしていた昨年3月のハノイでの日朝作業部会が起点となっています。こうしてみると、言葉だけの福田政権よりも麻生政権のほうが拉致問題はむしろ前進するのではないかと推測されます。

 麻生政権とすれば、総選挙前か遅くとも選挙期間中にも北朝鮮に再調査を開始させ、「得点」としたいところですが、問題は北朝鮮がそれに応えるのか、それとも総選挙が終わるまで待つのか、微妙なところです。

2008年9月20日

いつまで続く金総書記の「消息不明」

 「金正日総書記が朝鮮人民軍1319部隊を視察した」と、朝鮮中央通信社によって8月14日に視察写真が公開されたのを最後に金総書記はぷっつりと消息を絶っています。姿を現さなくなって昨日(19日)で35日目となりました。

 8月中旬までは猛暑の中、ほぼ連日軍部隊を視察するなど精力的に動き回っていただけに突然の「消息不明」は理解しがたいです。避暑やバカンスが理由だとしても、昨年の場合9月は1日からは部隊視察を始めていました。昨年は、9月1ヶ月の間に部隊視察、工場視察、公演鑑賞さらには訪朝したベトナム、中国要人らとの会談など延べ10回は表に出てきています。それだけに今年は9月になっても、全くといっていいほど音沙汰がないのは極めて不自然です。まして、何の理由もなく年初から準備してきた建国60周年の一大行事を欠席するとはとても理解しがたいです。

 金総書記が1994年に金日成主席死去により権力を継承して以来14年間、長期間にわたって姿を見せなかったケースは過去17回あります。ここ4~5年では、米国によるイラク攻撃開始時の2003年5月からの50日間、ミサイル発射実験があった2006年7月からの40日間、3ヶ月後の核実験の際の25日間という「記録」があります。この場合はいずれもそれなりの理由というか大義名分がありました。例えば、これまでの最長記録は、1994年7月の金主席死去後の87日間ですが、これは喪に伏せていたからだと理解されていました。

 肝心要の建国式典に欠席したことから金総書記の現状について「健在説」「重病説」「回復説」まで様々な憶測が流れていますが、正確なことは何一つ分からないのが実情です。長男の金正男氏が建国記念日の二日後に北朝鮮を出国し、生活拠点のある中国に戻ったことから「回復している」との見方が有力ですが、「重病をカモフラージュするための工作」との冷やかな見方もあります。いずれにしても本人が表に出て、健在ぶりを示さない限り、いつまで経っても「重病説」はついて回ることになります。

 北朝鮮のこれからのスケジュールをみると、10月は1日に金日成総合大学創立62周年、10日に労働党創建63周年、12日に万景台革命学院創立61周年、25日に中国人民解放軍参戦58周年がありますが、労働党創建日以外の式典には過去にも出席していませんので注目に値しません。また、10日の労働党創建日も節目の記念日ではないので現れることはありません。実際に過去2年間は大会も開かれていません。昨年は、63周年を記念してアリラン祭典が2年ぶりに開催されたので観覧に現れただけです。

 北朝鮮による核施設無能力化などの見返り支援について話し合うための南北実務協議に出席した北朝鮮側代表の玄鶴峰外務省米州局副局長は金総書記の「健康異常説」について、「わが国の物事がうまくいかないことを望む悪人らの詭弁(きべん)」と全面否定していましたが、病気でないならば、部隊視察を再開させ、写真あるいは映像を公開して、良さそうなものだが、それができるような状況にないことだけは確かなようです。

 仮に一部で伝えられているように脳の専門医とされるフランス人医師らがまだ平壌に残っているならば、完全回復にはほど遠く、このまま年内には登場することもなく最悪年越しということ事態も考えられます。

 「健在ぶり」を示すため無理してでも一度は出てくるのか、それとも過去の長期不在記録を更新するのか、北朝鮮の報道からしばらく目が離せません。

2008年9月15日

病状次第で「ポスト金正日」は決まる

 動静が注目されていた「秋夕(チュソク)」と呼ばれる9月14日の旧盆行事に「重病説」が取り沙汰されている金正日総書記は結局姿を現しませんでした。

 労働新聞が14日付けに長文の「正論」を載せ、その中で「私も疲れ、名節の日ぐらいは家族と一緒に休みたいと思うこともあるが、人民や将兵らのことを考えると…….」と思わせぶりの文言があったので、「もしかしたら」と思いましたが、やはり出るに出られない状況にあるのは間違いないようです。脳卒中にせよ、心臓発作にせよ、倒れたのが事実ならば金総書記の病状は予想外に重いということかもしれません。

 これにより「自分で歯を磨ける程度回復した」「手を貸せば立ち上がれる程度。急速に回復している」「言語にはまったく障害がなく、動くことは可能だと把握している」との一連の韓国筋の情報も「三男の正雲が重病に陥ったそのショックで建国記念日は欠席した」などの「怪情報」も単なる「推測」や「ガセ」に過ぎなかったことがわかります。

 平壌に支局を置いている共同通信社は14日の北京発の記事で中国筋の話として①金総書記は8月14日に脳卒中で倒れた②北朝鮮の要請を受け、中国政府が人民解放軍の軍医5人を派遣し、手術を行なった③脳卒中は回復に向かっているが、手足に障害が残っており、相当期間の静養とリハビリ治療が必要であると、伝えていました。

 「共同」の記事の通りならば、「中国人医師5人が1週間前ほど前に北朝鮮入りした」との朝鮮日報の報道を「聞いていない」と否定し、さらには「中朝間は正常な付き合いを保っており、北朝鮮側から金氏の健康に問題があるとは聞いていない」との11日の定例記者会見での中国外務省の姜瑜副報道局長の発言も「嘘」ということになります。

 長期間の静養とリハビリ治療を必要とするならば、10月10日の労働党創建式典への出席もおそらく無理でしょう。

 金総書記の動静は8月13日を最後に途絶えて、今日で1ヶ月過ぎましたが、「長期不在」は、今年は2月16日から29日までの李明博政権発足前後の二週間が最長でした。金総書記が1994年7月に急死した金日成主席から権力を継承してから14年の間、1ヶ月以上公の場に姿を現さなかったことが17回ありましたが、最長は金主席が死去した際の87日でした。この時は父親への喪に服していたということで説明がつきますが、今回の場合は、倒れる直前まで合計で93回、部隊視察などを精力的に行なっていたわけですから、突然の長期間にわたる今回の「消息不明」を内外にどう説明するのか、興味深いです。

 意識がはっきりしていて、言語に問題がなければ、金総書記による「唯一指導体系」には変化はないと思いますが、病床からの執務には自ずから限界があり、まして長期にわたる治療と療養を必要とするならば、回復いかんに関わらず、「金日成時代の金正日のような存在」即ち後継者の育成が急がれます。

 今朝の朝日新聞(15日)は「核の実験 誰に」にとの見出しの記事の中で「新実力者3人組」として玄哲海、朴在京、李明秀の3人の軍幹部の名前を挙げていましたが、3人はそれぞれ核とは無縁の組織、宣伝、行政が担当なので、見当外れです。あえて挙げるならば、注目すべきは元軍参謀総長で現在党作戦部長の呉克烈大将と人民軍総参謀部作戦局長の金明国大将の二人です。「朝日」が指摘する3人が「後継者」とはとても考えられません。

 金総書記が病床のままならば、正男、正哲、正雲の3人の息子のうち一人を後継者に指名するか、あるいは、息子が後継者になるまでのワン・ポイントとして義弟の張成澤党行政部長を使うか、それとも長老の金永南最高人民会議常任委員長を立てて、院政を敷くかの三つの選択肢が考えられます。しかし、再起不能ということならば、党と国防委員会による二頭体制か、一気に軍が実験を握る可能性も十分に考えられます。

 「ポスト金正日」は、金総書記の病状次第ですが、回復しているかどうかを見極めるバロメーターは停滞している米国との核交渉が動き始めるかどうかにかかっているようです。

2008年9月12日

14日の「秋夕」に出てくるのか

 建国60周年観閲式への金正日総書記の欠席の予兆は、この日、故金日成主席の遺体が安置されている錦寿山記念宮殿(主席宮殿)への参拝を取り止めたことからありました。党・軍幹部らを引き連れての金総書記の言わば父親への「墓参り」は50周年の時も、55周年の時も、建国記念日の9月9日0時を期して行なわれてきました。これ一つとっても、金総書記に「異変」が生じていたことは十分に推測がつきます。

 金総書記の「異変」について、韓国の情報機関、国家情報院(国情院)は10日の国会情報委員会で①先月14日以降に循環器系に異常が生じ倒れ、手術を受けた。②集中治療の結果、病状はかなり好転している。③意識もあり、意思疎通もできるし、動くこともできる。④一部言語障害と体の一部に麻痺の症状はあるが、半身不随の状態ではない。⑤病名については、脳卒中または脳いっ血、脳出血なのか特定できない。⑥中国とフランスなど外国の医師が治療にあたっている、と報告していました。

 韓国政府は10日夜に緊急安保関係閣僚会議で金総書記は「脳血管疾患による発作から回復中であり、現在は深刻な状況ではない」と結論付けました。北朝鮮のNO.2の金永南最高人民会議常任委員長も訪朝中の共同通信社社長との会見の席で「問題はない」と語ったそうです。朝鮮語の「問題はない」という意味は「たいしたことではない」あるいは「心配はいらない」というふうに受け止められますが、国情院の情報と金委員長の発言とおりならば、現在は重体ではなく、回復に向かっているということになります。

 金総書記がいつ手術を受けたかによって回復具合も異なってきますが、9月1日に訪朝したラオス首相に会わなかったことから、8月中、それも、13日までは部隊を視察していたので、計算すると、14日から31日の間に倒れ、手術を受けたのは間違いありません。14日ならば、建国記念日の9月9日まで26日、31日ならば、9日しか経っていなかったということです。

 金永南委員長が言うように本当に「問題がない」ならば、多少無理してでも観閲式に出てしかるべきだが、一説によると、当日、正規軍による閲兵式を午後に引き延ばしたのは金総書記の出席の可能性を最後まで探っていたからだと言われています。その傍証として、閲兵式や軍事パレードに参加する軍人らは直前までピョヤン郊外に待機していたとの韓国情報があります。結局、最高司令官の出席は無理だということになって、人民軍による閲兵式が取り止め、急遽民兵の行進に取って代わったというのです。これが事実ならば、金総書記はほぼ回復しているということになります。

 しかし、解せないのは、建国記念には行なわれるはずのない中央報告大会が前日の8日に金総書記を除く幹部らの出席の下に行なわれたことです。中央大会では金英一総理が報告していましたが、記念報告は通常は人民軍総参謀長が閲兵式で行なうものです。ということは、7日までには9日の慣例の正規軍による閲兵式の中止が決まっていたということになります。やはり、無理してでも出られる状態ではなかったことだけは確かなようです。

 金総書記の容態については現在、米国など世界の耳目が集まっています。一部には重態説から死亡説まで流れています。また、金総書記が大事な行事に姿を現さなかったことから「異変」に気づいた国民の間に動揺が広がる可能性もあります。重態でなければ、「疑惑」を払拭するためにも早期に健在ぶりをアピールする必要性があります。国内を統治する上でも、また対外関係上、長引かせるのは得策ではありません。

 明後日14日は朝鮮半島では「秋夕」(チュソク)を迎えます。旧暦の8月15日にあたり、日本に例えるとお盆の日です。朝鮮半島では南北共通して旧正月と並んで大変意味のある日です。

 過去3年間、「秋夕」の日に金総書記は表に現れています。05年は牡丹峰劇場視察、06年は人民軍交響楽団の公演鑑賞、そして去年は軍部隊を視察しています。例年通りならば、まして本当に回復して、問題がなければ世界を「あっと」言わすことが得意の金総書記にとっては明後日は絶好の機会だと思います。それでも、出られないとなると、やはり「重い状態」にあるということになります。

 出てくるのかどうか、14日に注目したいです。

2008年9月 7日

核封印解除した北朝鮮の「本気度」を占う

 北朝鮮は米国が8月11日に履行すべきテロ支援国指定解除を先送りしたことに反発して、3日後の14日に対抗措置として核施設の無能力化作業を中断しました。「核計画の検証に応じるまでは解除しない」との米国に対して「解除しなければ、無能力化はやらない」と、北朝鮮が応酬したわけです。2年前の金融制裁解除をめぐるパターンの再現です。

 無能力化作業の中断は米国に事前通告されていましたが、米国や日本、韓国など6か国関係国は事態を静観することを申し合わせ、この事実を伏せていました。圧力をかけているはずの米国が逆に圧力をかけられているというのでは様にならないからでしょう。

 北朝鮮もまだブッシュ政権に未練があるのでしょうか、北朝鮮もまた、22日からのニューヨークでの米朝実務者協議での米国の譲歩に一抹の望みを託し、26日まで公表を控えていました。ところが、米国が検証問題で譲歩しなかったことから堪忍袋の尾が切れたのか26日に外務省報道官を通じて無能力化作業中断の事実を公表してしまいました。それどころか、「寧辺核施設などを近く原状回復する措置を考慮することになる」と、さらなる「脅し」をかけました。

 この北朝鮮の対応を米国務省のウッド副報道官は検証手順をめぐる交渉を有利に運ぶための「いつもの駆け引き」とみなし、韓国もまた、「米国をはじめ他の当事国を圧迫し、核検証体系交渉で譲歩を得ようという典型的な戦術」(6か国首席代表の金塾朝鮮半島平和交渉本部長)と、この時点ではまだまだ余裕のあるところを見せていました。

 ところが、9月に入ると、米FOXテレビ(電子版)は2日、複数の米政府当局者の話として、「北朝鮮が寧辺の核施設の原状回復作業に乗り出した」と伝えました。米国務省のマコーマック報道官は9月3日、北朝鮮が寧辺の核施設の無能力化措置に伴い取り外した設備類を「保管施設から移動させた」事実を認めながらも、「核施設の再建に着手したとはまだ即断できない」との見解を示しました。この時点でも米国は抗議の意を表すための「象徴的なジェスチャー」との見方を変えていませんでした。

 北朝鮮が核施設無能力化の「即時中断」を発表した8月26日以後も、寧辺には米国や国際原子力機関(IAEA)の専門家が残っていることから「設備類は元の核施設に搬入されたものの直ちに原状回復を行うというよりは、当面は米国の専門家たちに搬入や設置作業を見せつけて米国にテロ支援国家指定解除を迫る狙いがあるようだ」との見方が支配的でした。

 しかしその一方で、ブッシュ政権は北朝鮮の相次ぐ強硬な態度に懸念を抱いたのか、翌日の4日、6カ国協議の首席代表のヒル国務次官補とソン・キム6カ国協議担当特使を急遽北京に派遣しました。日本からも、韓国からも首席代代表が駆けつけ、5日には日米韓3か国の首席代表会議が開かれました。日本の首席代表である斎木昭隆外務省アジア太平洋州局長によると、「北朝鮮の一連の動きは戦術的なものとみており、過剰に反応するという状況にはない」との認識で一致し、北朝鮮に対して改めて核無能力化の再開と核計画検証方法の受け入れを迫りました。ヒル次官補は「検証がない申告というのはあり得ない」と、米国としては検証問題で譲歩する意思のないことを強調しました。

 その直後、FOXテレビは「北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)によって寧辺の核施設に施された封印を解除した」と報じました。複数の米高官の話として伝えたもので、米高官は同テレビに対し「北朝鮮が施設の再構築に乗り出したのは間違いない」と指摘し、「パイプやバルブを取り付け、封印を解除している」と語ったそうです。明らかに核施設の復旧作業の一環で、「核施設の再建に着手したとはまだ即断できない」との二日前のマコーマック報道官の「淡い期待」は吹っ飛んでしまいました。ヒル次官補は米国出発前の4日「実際に無能力化に逆行する動きはない」と楽観していましたが、北朝鮮はあざ笑うかのようにそれから僅か2日で無能力化に逆行するどころか、第一段階の合意事項である封印を解いてしまったわけです。

 北朝鮮が米国の期待に反して北京に6か国首席代表の金桂寛次官を派遣し、検証問題で米国との間で接点を見出そうとはしなかったこと、さらには短期間で無能力化作業の中断→現状回復→封印解除とエスカレートさせたのは米国から譲歩を引き出すための「瀬戸際戦術」には違いありませんが、同時にブッシュ政権が妥協しない場合に備えた布石といえます。北朝鮮は明らかに二段構え、三段構えで、米国と事を構える作戦のようです。

 北朝鮮からすれば、ブッシュ大統領が検証問題で譲歩すれば、10月30日まで無能力化及び申告を終わらせ、次の3段階に進む用意はあるようです。しかし、ブッシュ大統領には大統領選挙を2ヶ月後に控えてマケイン候補に不利になるような安易な妥協はできないとの読みも北朝鮮側にあるようです。ならば、「死に体」のブッシュ大統領よりも米朝首脳会談など直接交渉で核問題の解決を主張している民主党のオバマ候補を相手に再交渉するのが得策ですし、仮に北朝鮮の意に反して、6か国合意の破棄を示唆するなど圧力重視の強硬派のマケイン候補が当選した場合の「備え」にもなります。

 クリントン政権下でのジュネーブ合意の裏で北朝鮮が濃縮ウランの核開発の誘惑に取り付かれたのはブッシュ大統領候補を担ぐ共和党が外交公約としてジュネーブ合意の見直しだけでなく、武力制裁の検討を盛り込んだ強硬な対北姿勢を打ち出したことと密接に関係しています。来る11月の大統領選挙でマケイン候補の勝利を期する共和党が1日から始まった党大会で北朝鮮に対して強硬な姿勢を打ち出したこと、またマケイン候補自らも6か国協議の実質的破棄を口にしたことを考えると、北朝鮮の一連の行動は、万一に備えた保険と言えなくもありません。

 ヒル次官補は北朝鮮へのテロ支援国家指定について「核計核申告への検証手段が確保できれば、直ちに解除する用意がある」とこれ以上事態を悪化させないよう北朝鮮に自重を促していましたが、北朝鮮の過去の言動を検証する限り、こと核に限っては「有言実行」です。例えば、2002年12月、ブッシュ政権が濃縮ウランの開発を理由に重油支援をストップした際には2週間の間に核凍結解除→施設の稼動→建設の即時再開を宣言し、核施設の封印と監視カメラを撤去させ、IAEAの査察官を追放しました。

 ブッシュ政権が検証問題で譲歩し、早期にテロ支援国指定を解除しなければ、北朝鮮に常駐している米国務省関係者及びIAEAの監視者らが追放されるのも時間の問題となるでしょう。

 「ボールは北朝鮮側にある」と言ってきた米国が北朝鮮から投げ返されたボールをどう打ち返すのか、これは、ブッシュ大統領と金正日総書記の最後のチキンレースとなりそうです。

2008年9月 2日

福田総理辞任で再調査の行方は?

 福田康夫総理が突如辞意を表明しました。「私の手で拉致問題を解決する」との決意を表明していた福田総理の辞任は拉致問題に少なからぬ影響を与えそうです。当面、8月の北京での日朝協議で拉致被害者の再調査を約束した北朝鮮がどう出るのか、担当部署の外務省も拉致被害者家族も気がきではないでしょう。

 米国がテロ支援国指定を解除しなかったことに反発して、北朝鮮が8月26日に核無能力化作業の中断を発表した際には、日本政府は「直接的にリンクする話ではない」(町村信孝官房長官)と冷静さを装ったものの、北朝鮮が日本との協議再開に応じ、再調査で承諾したのは、米国との関係を進展させることにあっただけに米朝関係の悪化は、本来ならば日朝関係にも悪影響を及ぼす恐れがありました。

 しかし、現実にはこの問題だけで北朝鮮が日朝合意を反故にすることはできません。約束を破ったのは米国であって、日本ではないからです。テロ支援国指定解除問題は米国と北朝鮮の約束事で、日朝間の約束事項ではありません。従って、北朝鮮が米国の約束不履行を口実に日朝合意をキャンセルというわけにはいきません。

 但し、北朝鮮にその気がなければ、日朝合意をサボタージュできる格好の口実はあります。例えば、中山恭子拉致担当相の発言です。

 周知のように北京での日朝協議では、斎木昭隆外務省アジア太平洋州局長が北朝鮮に再調査開始と同時に日本が制裁の一部(人的往来とチャーター便の乗り入れの規制)解除を行なうことを約束し、合意しています。ところが、所管の中山拉致問題担当相は8月24日に富山で「北朝鮮が調査を開始して、即(日本が)制裁解除するということにはならない。調査の中身がはっきりしない限り、通報を受け入れて制裁を解除することはあってはならない」と政府の方針とは異なる発言をしていました。従って、北朝鮮に日朝合意を履行する意思がなければ「中山発言」を口実に再調査をやらない、あるいは遅らせることも可能です。

 そうした事態を憂慮したからこそ、外務省は北朝鮮に正確なメッセージを伝えるために藪中三十二外務次官が直ちに再調査委員会が立ち上がれば、制裁の一部を解除する意向を表明したのに続き、高村正彦外相までもが29日の閣議後の記者会見で「調査委員会が設置され、再調査開始が確認されればわれわれも約束したことをやる」と強調したのではないでしょうか。

 その結果、日本経済新聞(8月30日付)も報じていたように北朝鮮は調査委員会の体制や調査開始日を9月上旬にも日本側に伝えることになっていましたが、その矢先に福田総理が退陣となれば、北朝鮮が再考し、次の総理が誕生するまで調査開始を遅らせることも十分に考えられます。

 「拉致問題は解決済み」との立場に固執していた北朝鮮が日本政府の求めに応じ、拉致被害者の再調査に同意したのは、福田総理が対話による解決を重視する姿勢を示したことも一つの理由でした。福田総理の肝いりで超党派による日朝国交正常化推進議員連盟ができたこともあって福田政権を相手に交渉し、国交正常化を実現しようとの判断が北朝鮮に働いたものと思われます。先の日朝協議で、過去の再調査内容を白紙に戻し、生存者を発見するための再調査を日本が要求したのを北朝鮮が拒否したにもかかわらず、それでも合意を見たのは福田総理の意向によるところが大きいです。

 日朝合意の陣頭指揮を取った福田総理が退陣となると、次の総理が誰になるのかを見守り、次期政権が発足するまでは北朝鮮は再調査開始を躊躇うかもしれません。換言するならば、調査の終了時期については「可能な限り秋まで」と約束はしていても、開始時期については期日を約束をしていないことから次期総理の北朝鮮問題、拉致問題での考えが明らかになるまでは様子見を決め込むことも考えられます。

 次期総理は自民党の総裁選で選出されることになりますが、新たな総理が誕生するまでに2週間以上かかるので、そうなれば北朝鮮の再調査開始は9月中旬以降に延びることになります。

 北朝鮮が9月上旬までに再調査を開始するのか、それとも9月中旬以降になるのか、北朝鮮の出方が注目されます。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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