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2008年6月28日

冷却塔爆破はNYフィル平壌公演の「恩返し」

 北朝鮮核開発の象徴である原子炉の冷却塔が爆破されました。冷却塔爆破の北朝鮮の狙いについていろいろ憶測されていますが、この爆破は、北朝鮮が米国に打診したのもではなく、逆に米国の働きかけが功を奏して実現したものです。従って、北朝鮮のイニシアチブによるものではなく、米国による演出と言えます。北朝鮮国内では知らせず、米国、日本、韓国のテレビを招いて、爆破シーンを世界に向けて放映させたことからもそのことは明らかです。

 消息筋によると、核問題での成果を急ぐヒル次官補が米国民や議会を宥めるために「目に見える形の進展」として冷却塔の爆破を要望したところ金正日総書記が決断したそうです。米国との関係をさらに進めるうえで、又、北朝鮮の「本気度」をアピールするうえで老朽化し、ほぼ使い道のなくなった冷却塔の爆破が「格好の具」として選択されたようです。

 核施設の解体の一環である冷却塔の爆破は、元来第二段階での約束事項ではなく、次の段階(第三段階)での北朝鮮の義務事項でした。金総書記がそれを早めて承諾したのは、どうやら今年2月にニューヨーク・フィルハーモニックの平壌公演を実現させてくれたことへの「恩返し」のようです。

 金総書記が米国のオーケストラーのピョンヤン公演で「米朝和解」を演出したとすれば、今度はブッシュ大統領が冷却塔の爆破で「核問題の進展」を派手に演出したと言えます。米朝の関係はブッシュ大統領の任期切れが近づけば近づくほどハイペースで進んでいます。

 ブッシュ大統領が米議会に通告したテロ支援国指定解除は北朝鮮の核計画申告に問題がなければ45日後の8月11日には正式に発効されますが、検証の結果、偽りが判明すれば、指定解除は撤回され、北朝鮮に対する制裁は継続されるどころかさらに強化されます。そのようなことから拉致問題の進展なくして、指定解除に反対する人々にとっては「申告の欠陥」が指定解除阻止の唯一の拠り所になっていようです。

 しかし、「同床異夢」にせよ米朝の「共通の思惑」と「あうんの呼吸」を見る限り、申告が米議会によって「不合格」の烙印を押され、不承認となる可能性は低いように思われます。なんと言っても、その最大の理由は、北朝鮮の「申告」が米朝間の度重なる事前協議の末、出されてきたからです。

 昨年末に提出すべき申告が遅れたのは、米国から事前に何度も注文が付けられていたことが原因です。ヒル次官補は一回でパスするよう完全で、正確なものを出すよう北朝鮮に要求していました。申告書の書き方を知らない北朝鮮に対して、米国はソン・キム国務省韓国部長や米国の核の専門家らが何度も訪朝し、北朝鮮側と協議を重ねていました。そして出されたのが今回のおよそ60ページにわたる申告書です。言わば、生徒(北朝鮮)が先生(米国)から答案用紙の書き方を教わって提出したようなものです。多少の不備があったとしても「不合格」となる確率は低いように思われます。

 現に、北朝鮮が申告書を出す前から今回の申告には核爆弾が含まれず、またそれを米国が同意していたことが伝わっていました。また、検証の方法についても、米朝間では事前通告抜きの核施設へのアクセスと調査、サンプリングの収集、北朝鮮技術者へのヒアリング、そして核施設及び運営関連の追加資料及び記録の閲覧で合意しています。

 そこで、これからの展開ですが、北朝鮮はこれまで米国に対して三つの要求をしてきました。敵視政策の撤回の象徴としてのテロ支援国指定の解除と、北朝鮮を攻撃しないことの保障としての平和協定の締結、そして友好関係の証としての国交正常化の3点です。この三つの条件を米国が呑めば、核の全面放棄に応じるというのが北朝鮮側の一貫した立場です。

 ということは、テロ支援国指定が解除されれば、次は平和協定か、国交正常化のどちらかです。しかし、いずれも米朝間で信頼関係が醸成しない限り、実現は困難です。信頼関係とは、北朝鮮が「反米」をやめること、米国が北朝鮮を「敵国」扱いしないことです。その意味では金総書記の「国交が結ばれれば、我々は韓国以上に親米になる」とのオフレコ発言と、ライス国務長官の最近の「米国には永遠の敵はいない」との発言は注目されます。

 クリントン政権最後の年の2000年10月、オルブライト国務長官が訪朝したように次は、ライス国務長官の電撃訪朝もひょっとするとあるかもしれません。

2008年6月23日

再調査はまた「ゼロ回答」?

 先の北京での日朝公式協議は北朝鮮による拉致問題の再調査と日本による制裁の一部解除で合意していますが、再調査の開始時期と制裁解除のタイミング、そして再調査結果が今後の焦点となりそうです。

 高村正彦外相は20日の記者会見では再調査開始での制裁の一部解除を示唆していましたが、昨日(22日)のテレビ番組では「北朝鮮が調査したものを日本の専門機関を含め、検証できるような対応は作りたい。そこが進まない限り、解除はない」と述べていました。 再調査は日本による検証が前提で、これに北朝鮮が同意しない限り、制裁の一部解除は行わないという意味です。

 次回の日朝協議で再調査のやり方と検証方法について突っ込んだ話し合いが行なわれる見込みですが、その結果、日本側が納得し、北朝鮮が再調査の開始を日本に通告すれば、人的往来の規制、チャーター便の規制、人道的支援関連物資の輸送に限った船舶の入港規制の一部解除が実施されます。

 検証の方法については日本から注文を出すとのことですが、一部で検討されていた日本からの捜査陣の派遣には慎重のようです。主権の届かない、権限も、行動も限られた北朝鮮では十分な調査ができないこと、逆に北朝鮮側に「日本も捜査した結果、拉致被害者は存在しなかったので、これで終わり」と「幕引き」に利用されかねないからです。

 そうなると、現状のままでは再調査は北朝鮮単独となりますが、斎木昭隆アジア大洋州局長は「前回(2004年)のような調査結果を出すならば一部解除の約束は当然キャンセルされる、と北朝鮮側に伝えている」と拉致議連の緊急役員会に出席して説明していました。拉致被害者家族会に対しても「前回とは違う」ことを強調していたところをみると、北朝鮮側が拉致被害者の存在を認め、帰国させることにつながるような再調査結果になるとの期待と感触を持っているようです。

 しかし、北朝鮮側の主張を聞いていると、昨年3月にベトナム・ハノイで開催された作業部会で「被害者の死亡が確認されても問題が解決されたとはいえない」と主張したのに今回の日朝協議では日本側はこの主張を取り下げたとされています。これが事実ならば、おそらく北朝鮮側は「再調査の結果、死亡が確認されれば、拉致問題は解決する」と踏んだようです。北朝鮮の再調査が「死亡」を確認、証明するためのものになる可能性も捨て切れません。

 小泉政権下で拉致問題を手がけた田中均元外務省審議官は昨年5月、ソウルで開かれたセミナーでの講演で「重要なのは、日本の要求が死んだ人を生き返らせろということではなく、拉致失踪事件に関する真相究明にある」と語っていました。

 また、高村外相も昨年10月9日、記者会見で「拉致した人間がもし亡くなったというのなら、それが事実であると認識するような説明責任を果たしてもらわないと納得できない。生存している人がいるとわれわれは思っており、そういう人は帰してもらいたい」と強調していました。さらにその5日後には一歩踏み込んで「(拉致被害者の生存について)はっきりさせるのは北朝鮮の責任だ」と指摘し、はっきりさせるために北朝鮮が拉致被害者の再調査に応じるべきだとの考え方を示していました。

 再調査の結果、「ゼロ回答」ならば、日本政府は経済制裁の解除を取り下げ、元に戻すと国民や拉致被害者家族会に説明しているが、日本政府の「賭け」が吉と出るのか凶と出るのか、米国による北朝鮮へのテロ支援国指定が解除される45日以内には判明するでしょう。

2008年6月20日

日本の時間的猶予は45日間

 ライス米国務長官は18日、北朝鮮が近々核計画関連申告書を6か国協議議長国である中国に提出すると語っています。韓国の首席代表である金塾朝鮮半島平和交渉本部長が「今月末までに申告書が提出されるものと期待している」と言っているところをみると、米韓とも今月中の申告提出があるとみているようです。

 ライス長官によると、申告書の提出とほぼ同時にブッシュ大統領による米議会へのテロ支援国指定解除と敵国通商法による貿易規制措置(経済制裁)解除通達が予想されます。寧辺核施設への現場検証など申告内容を精査・検証した結果、偽りがないと判断されれば通達から45日後には自動的に効力が発生します。申告書に問題があれば、制裁解除はストップします。

 斎木昭隆外務省アジア大洋州局長は19日夜、日米韓3か国首席米首席代表会議出席のため来日中のヒル国務次官補との会談で日本人拉致問題が進展しない限り解除しないよう求めました。しかし、ヒル次官補は「北朝鮮の行動に従って我々も行動する義務を負っている」と述べ、北朝鮮からの申告があれば、米国はテロ支援国家指定を解除する方針を改めて示しました。ということは、日本に残された時間的猶予は45日間ということになります。それまでの間に北朝鮮に拉致被害者の再調査を実施させ、進展とみなすことのできる答えを引き出したいところです。再調査を早期に実施させるには北朝鮮に約束した制裁の一部解除を実行に移さなければなりません。

 町村信孝官房長官は19日の衆院拉致問題特別委員会で「再調査の結果が出るまで何も日本側が措置を取らないということではない」と述べ、再調査の結果を待たず制裁の一部解除を実施する意向を明らかにしています。ところが、拉致被害者家族会や救う会は「被害者の帰国が実現しない中での制裁解除は到底受け入れられない」と解除そのものに反対しています。また自民党有志の「北朝鮮外交を慎重に進める会」(会長・山本一太参院議員)も制裁解除そのものには反対していませんが「制裁解除のタイミングは、北朝鮮による拉致問題再調査の内容を見極め、慎重に検討すべきだ」と、「先に制裁を緩めるべきではない」との立場です。制裁の緩和をめぐって三者三様立場が異なっています。

 一方、超党派の拉致議連(会長・平沼赳夫元経済産業相)は今回の日朝合意を認めつつも拉致問題で具体的進展がない場合は(1)一段と制裁を強化する(2)北朝鮮のテロ支援国指定を解除しないよう米国に要請することを政府に求めました。ところが、外務省の幹部は「日本側も納得できる具体的なやり方を示し、さらにそれを始めたときに、初めて『進展』とみなせる」と述べ、再調査の着手そのものを「進展」とみなしています。これまた「進展の定義」をめぐって足並みが乱れています。

 焦点の再調査ですが、斎木アジア大洋州局長は家族会への説明で「今までの再調査とは違う。拉致被害者の帰国につながる調査にする」と伝えています。再調査の方法などに関し「日朝間でなるべく早いタイミングで、われわれの注文を出す折衝をやらなければいけない」と述べています。注文の中身は定かではありませんが、日本側には「拉致被害者の帰国につながる調査」となる妙案があるようです。しかし、再調査を約束した北朝鮮の宋日昊国交正常化交渉担当大使は北京から帰国(14日)する直前、拉致被害者の再調査について「我々が実施すると言ったので、そのまま理解すれば良い」と述べ、北朝鮮主導で進める意向を明らかにしていました。

 北朝鮮による再調査は今回で2度目です。前回は金正日総書記が2004年5月に再訪朝した小泉総理に約束してから結果を日本に通告するまで半年かかりました。しかし、今回はテロ支援国指定解除までに間に合わすならば45日間で再調査の結果を出さなくてはなりません。北朝鮮の核計画申告とブッシュ大統領のテロ指定解除通達と北朝鮮の再調査がほぼ同時に行なわれると仮定した場合、常識では45日間で「拉致被害者の帰国につながる調査」結果が出てくるとはとても考えられません。それでも結果を出すということならば北朝鮮は再調査するまでもなくすでに「回答」を用意しているということです。

 順当に考えれば、北朝鮮による再調査の結果は、米国のテロ支援国指定解除の後ということになるのでしょうが、米国によるテロ支援国指定解除は北朝鮮にとっては解放記念日にあたる8月15日へのプレゼントとなり、北朝鮮による再調査結果はその1ヶ月後の小泉総理訪朝と日朝平壌宣言(9月17日)6周年に向けての「幕引き」とならなければよいのですが。

2008年6月16日

日朝協議で「裏取引」はなかったのか?

 今回の日朝公式協議の「合意」には腑に落ちないことだらけです。
 交渉人の斎木昭隆外務省アジア太平洋州局長は北朝鮮側と制裁の一部解除で妥協したことについて「止まっていたプロセスをもう一度前に進めねばならない。交渉しないことには拉致問題も一歩も前に動かない」とこの妥協に不満な拉致被害者家族会に釈明していました。

 日本政府は「制裁は効いている」「日朝交渉が進展しないで困るのは北朝鮮だ」「日本は焦る必要はない」「日本として焦って(日朝協議)を懇願することはしない」(原口幸市前日朝国交正常化担当大使)と言い続けていただけに制裁強化を期待していた「家族会」は失望を禁じえなかったようです。

 斎木局長は「このままでは日朝は厳しい状況になると(北朝鮮の)上層部が思い、また(北朝鮮への)アメリカの圧力もあった」と説明していましたが、それならば日本側があえて譲歩までして妥協する必要はなかった筈です。よく言われるように北朝鮮側が追い詰められて苦し紛れに出てきたなら今こそ「毅然たる態度」でさらなる譲歩を引き出すのが外交の常道ではないのでしょうか。どう考えても不可解です。

 拉致問題の「解決」という「合言葉」がいつの間にか「進展」「前進」「一歩」とすりかえられ、後退しているのをみると、もしかして追い込まれていたのは北朝鮮ではなく、日本のほうかもしれません。というのも、拉致問題の進展なくしてテロ支援国の指定を解除しないよう訴えてきた日本とすれば米国が北朝鮮に対するテロ支援国の指定を外しても今回の北朝鮮との妥協で少なくとも外交的孤立を回避でき、面目が保たれたからです。

 斎木局長は「北朝鮮は、現在『拉致問題は解決済み』という立場をとっているが、今回はその言葉は出なかった。別室で、『解決済み』を変更し、改めて調査するところまでとりつけた。さらに、再調査ということで、『解決済み』の立場を変えたことでいいかと問い、『いい』という確認をとった」ことを「手柄」として自画自賛していました。

 昨年9月にモンゴルで日朝作業部会が開かれた時は駐米公使に赴いていたので知らなかったのかもしれませんが、当時すでに北朝鮮の宋日昊大使は「解決済み」という言葉を全く使っていませんでした。そのことは交渉相手だった美根慶樹日朝国交正常化担当大使が作業部会後の記者会見で明らかにしています。また当時外相だった町村信考官房長官も「北朝鮮は(協議では)『拉致は解決済み』との言葉を使っていない」と追認していました。

 それなのに、日本政府は1ヶ月後の10月13日に経済制裁のさらなる半年延長を決めております。ところが、今回は一転して「拉致問題は解決済みとの発言は行なわなかった」ことを「一定の前進として評価をする」として町村官房長官は制裁の一部解除を発表しています。どう考えても矛盾しています。

 そもそも宋大使が日朝協議の場でこの常套文句を「禁句」にしたのは、日本側から再三にわたって「拉致被害者家族の心情も考えて使わないように配慮してもらいたい」との要請があったことや麻生太郎外相(当時)が4ヶ月前の昨年5月16日の衆院外務委員会で「北朝鮮は(拉致問題は)解決済みで問題はない」と言っている。『ない』から『ある』に変わるだけでも進展だ」と「進展」の定義を示したからに他なりません。従って、北朝鮮の「態度変更」は「我々は『解決した』と思っているが、日本側が未だ『未解決』と思っているなら納得できるようにもう一度調査に応じよう」というテロ支援国指定解除と日本の世論を宥めるための単なる「戦術転換」に過ぎません。

 町村官房長官はまた「北朝鮮側は拉致問題の解決に向けた具体的行動を今後取るための再調査を実施することを約束した」と「再調査表明」をこれまた「一定の前進」と評価していました。これについても宋大使はすでに7か月前(昨年11月)訪朝した評論家の田原総一郎氏と会った際に「再調査の用意がある」と表明しています。北朝鮮による再調査の意思表明は今回に限ったことではありません。斎木局長がやるべきは、再調査の期限を取り付けることでしたが、今回の合意には明示されませんでした。前回(2004年)とおりならば、再調査開始から結果発表まで半年かかっています。その間に米朝間の話はさらに加速化されることになるでしょう。

 当の斎木局長は「単に調査をするだけではだめだということ。これまでの調査は納得がいかない結果だったことを伝えた。同じことを繰り返すだけではだめで、拉致被害者の帰国につながる調査をすみやかに行うべきと要求した」と家族会に説明していましたが、北朝鮮側がそれにはっきりとどう答えたのか具体的な言及がありませんでした。

 宋大使は昨年10月の共同通信社とのインタビューで確か「これまで我々の調査は悪用されてきた」と不満を述べていた筈です。ならば、万に一つ、再調査の条件として「これっきりにする」とかの「密約」を交わしたりはしなかったでしょうか。通訳を挟んで宋大使と二人きりで別室で「密談」したならばなおさらのことです。かつて外務省は拉致被害者5人を帰国させるにあたって北朝鮮に一旦戻すとの「裏取引」をした「前例」があるだけに心配せざるを得ません。

 それと、もうひとつ不明な点があります。再調査再開の条件としてこれまで北朝鮮は横田めぐみさんのものとして提出した遺骨の返還を要求していましたが、北朝鮮がその条件を取り下げたのかどうかです。町村官房長官は「(今回の協議で)そのような話があったかは聞いていない」と返事していましたが、肝心の斎木局長からは説明がありませんでした。 まさか「返す用意がある」とは言ってないと思いますが、この問題は、中山恭子首相補佐官が4月下旬にソウルを訪問し、韓国政府に拉致問題での協力を要請した際に返還を前向きに検討する意向を表明したとの読売新聞(5月9日付)の報道が波紋を呼んだだけに軽視できない問題です。

 「裏取引」で一番気になるのは日本からの食糧支援です。

 日本政府は昨年秋に北朝鮮が再調査などに応じた場合、水害支援に対する人道支援を秘かに検討していました。しかし、モンゴルでの日朝作業部会で具体的な進展がなかったことから見送った経緯があります。

 日本政府は「拉致の話が進まない限り、1円も払うつもりはない」(麻生外相=当時)と言っておきながら、昨年夏水害支援を呼びかけた国際機構に日本赤十字社を通じて3千万円の「寄付」を行なっていました。それだけに「裏取引」があったのではと推測せざるを得ません。まして今回は「一定の前進」(町村官房長官)があっただけにその可能性は捨て切れません。

 人的往来とチャーター便の規制解除それに在日朝鮮人や民間人らによる食糧や医薬品の人道支援物資に限定した北朝鮮船舶の入港許可はそのための「下地」ということならば、輸入の解禁を含む全面的な経済制裁の解除ではなく、北朝鮮にとっては実利の少ないこの程度の解除で手を打った理由もなんとなく説明がつきます。

 米国のシナリオに沿った日朝協議の玉虫色の妥協の結果、拉致問題が今後どう展開するのか、目が離せません。

2008年6月12日

「よど号」ハイジャック犯らの引き渡しは実現するか

 日朝実務者による公式協議では日航機「よど号」ハイジャック犯の引き渡しも焦点の一つになっています。

 日本政府は1970年の事件発生から今日まで「よど号」乗っ取り犯らの日本への引き渡しを求めてきました。しかし、日朝には国交がなく、外交関係がありません。犯人引き渡し協定も存在しません。日本からすると、「よど号」犯らは犯罪人であり逃亡者ですが、北朝鮮からすると、政治亡命者です。従って、日本の引き渡し要求は正当なものであっても現実には実現乏しい要求でした。日本に政治亡命したフジモリ元ペルー大統領を日本政府が「日本国籍を有する日本人」であることを建前にペール政府の引き渡し要求に応じなかったことと変わりありません。

 北朝鮮は当初は「よど号」犯らを北朝鮮が幻想を抱いていた「世界同時革命」の道具として利用してきましたが、今ではテロ支援国指定解除の阻害要因となっていることから重荷となり、むしろ日本への「送還」に積極的です。北朝鮮を3月下旬に訪れた欧州連合(EU)欧州議会のグリン・フォード議員(英労働党)や彼らに同情的な日本の右翼に合わせたりしているのはそのあらわれです。フォード氏をして「日本政府はよど号メンバーとの話し合いに応じるべきだ」と言わしめました。

 望郷の念に駆られたのか「よど号」犯らも真剣に帰国を決意し、帰国の道を模索していますが、問題は、無条件帰国でなく、日本政府との合意に基づく帰国を主張していることにあります。聞くところによると、彼らは、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんにとったのと同様の対応を日本政府に望んでいるらしいです。

 確かにジェンキンスさんもほぼ彼らと同じ頃、赴任していた在韓米軍基地を脱走し、38度戦を越え、北朝鮮に政治亡命しました。米国からすれば、「敵前逃亡」した犯罪人です。帰国すれば、極刑は免れません。しかし、曽我さんの夫という理由で、日本政府はジェンキンスさんの恩赦を米政府に強く求めました。訪朝した小泉総理がジェンキンスさんに会い「アイ・ギャンラティ」と言ったことはまだ記憶に新しいです。

 こうした日本政府の対応をみて、自分らにも「寛大な措置」をというのが彼らの言い分のようです。現状のまま帰国すれば、出国先のカンボジアから連行された仲間の田中被告人(故人)が宣告された懲役12年は避けられないでしょう。小西隆裕と若林盛亮の両容疑者は中心メンバーとしてハイジャックを主導していたことから12年の服役では済まないかもしれません。

 そんなこともあって北朝鮮の金哲虎外務省副局長は昨年9月のモンゴルで開かれた日朝作業部会後の記者会見で「よど号犯と日本政府が協議する問題であるが、そのための場所を用意する準備がある」と表明していました。しかし、無条件引き渡しを要求する日本としては彼らの「条件付帰国」を受け入れるわけにはいかないはずです。この問題が今回の交渉でどう決着付くのか、非常に注目されます。

 ただ不思議なのは、日本側としては「よど号」犯の身柄の引き渡しと拉致問題は直接関係ないとの立場を取っていることです。

 石岡亨さん、有本恵子さん、松木薫さんら欧州から拉致された3人の被害者について日本政府の立場は「我が方の調査により『よど号』犯の拉致への関与は明らかであるにもかかわらず、北朝鮮側は依然としてこれを全面的に否定している」というものです。

 北朝鮮の工作員を含む拉致実行犯は国外移送目的略取容疑などで国際手配中にあります。彼らの引き渡しは、拉致問題解決の三つの条件の一つになっていますし、また彼らを連行し、取調べをすれば、少なくとも欧州から拉致された有本恵子さん、石岡享さん、それに松木薫さんの3人の拉致の真相究明及びその後の安否の解明に繋がるわけですから決して拉致問題とは無関係とは言えないはずです。

2008年6月 8日

斎木さん、北朝鮮は何を言ったのですか?

 日朝非公式協議が6月7日、北京で約2時間40分開かれ、11、12日に再度協議を行なうことであっけなく終了しました。次回は公式協議となりますが、今回同様に斎木昭隆外務省アジア大洋州局長と宋日昊国交正常化交渉担当大使が出席するようです。同じ顔ぶれならば北京に残ってそのまま協議を継続すればよいものを、仕切りなおしとは、おかしな話です。双方とも相手の提案を一旦持ち帰って、政府の判断を仰がなければならない事情があるならばいざしらず、そうでないならば、公式協議が開かれてもあまり期待できそうにもありません。

 協議終了後、斎木局長は「率直で真剣な協議ができた。次につながる意味で良かったと思う」と公式協議再開を「成果」と強調していましたが、公式協議の再開は既定事実だったわけですからたいした成果でもありません。むしろほとんど「中身」がなかったことは、別れ際の斎木局長の無愛想な表情からも読み取れます。

 会談時間は2時間40分とのことですが、双方の通訳の時間を省くとたったの1時間20分です。7か月ぶりの非公式協議の割には1時間20分のやりとりは短すぎます。通常ならばこの種の外交交渉は2回、双方の大使館で交互に行なわれるものです。それが、今回は日本大使館での1回で終了してしまいました。二日間の協議を想定していた日本側は肩透かしを食らった感があります。このことは、北朝鮮が日朝協議に多くの期待を掛けていないことへの裏返しともいえなくもありません。

 斎木局長の説明では、日本側が拉致問題の重要性を訴え、具体的な対応を求めたのに対して宋大使は明確な態度は示さず、意見を述べなかったそうですが、それも何となく頷けます。北朝鮮側からすれば、日朝協議は「日本との協議を開始した」「米国の顔を立てて日本との協議に応じた」との単なるアリバイづくりに過ぎないからです。

 斎木局長は「宋大使は熱心にメモを取り一生懸命聞いていた」とのことですが、「一生懸命聞いていた」とはとても信じられません。宋大使からすれば、毎回耳にタコができるほど日本側から同じことを聞かされているわけですから、聞き飽きているはずです。斎木氏の説法が終わるのをただひたすら待っていただけのことだと思います。

 「北朝鮮の常套句である『拉致問題は解決済み』との発言はなかった」ことを「配慮」あるいは「肯定的変化」と捉えているメディアもありますが、昨年9月のモンゴルでの日朝作業部会でも北朝鮮は「拉致は解決済み」との言葉は一切使っていませんでした。そのことは交渉に当たった美根慶樹日朝国交交渉担当大使も「『拉致は解決済み』との言葉は使っていなかった」と記者団に語っていました。にもかかわらず、その後、金英南最高人民会議常任委員長は訪朝した共同通信社社長らとの会見で「拉致問題は解決済み」と北朝鮮の原則を繰り返していました。「金英南発言」からして北朝鮮の立場が何一つ変わっていないことがわかります。

 また、斎木局長の説明では「会合は重要だが、会合をただ重ねるだけではなく前進を図ることが大事だと述べると、宋大使はこれに同意した」と、あたかも宋大使が拉致問題を前進させることに同意したかのような印象が伝わっていますが、そうならば一定の成果であり、大歓迎です。しかし、実際は、「日朝関係の前進を図る必要がある」という北朝鮮なりの認識で合意したわけで、拉致問題を進展させることにOkしたわけではなさそうです。

 そもそも「日朝関係の前進を図る必要がある」との合意自体は何の成果でもありません。なぜならば、モンゴルでの作業部会ですでに同じような認識の共有を確認しているからです。にもかかわらず、今日まで「前進」「進展」ができないのはひとえに「拉致問題」での認識の不一致、対立が原因だからではないでしょうか。

 日朝協議に関する報道でいつもアンバランスなのは、北朝鮮が日本の主張にどう答えたのか、何を主張したのか、ほとんど伝わらないことです。まさか2時間40分も黙りとおしたわけでもあるまいし。

 日本側の主張は斎木局長にあえて聞かなくてもわかっているわけですから、読者が知りたいのは、先方の主張です。仮にそれが途方のないものであっても、先方の言い分がわからないと、拉致問題の進めようがありません。

2008年6月 6日

日朝協議再開へ、それで制裁は?

 予想したとおり、どうやら北朝鮮は米国の顔を立てて、日本との協議に応じるようです。早ければ、明日の土曜日(7日)にも第3国で非公式協議が行なわれます。ところが、今朝の「朝日」によると、非公式協議ではなく、昨年9月以来中断していた日朝作業部会が開かれるとのことです。

 聞くところによると、日本側は6か国協議首席代表の斎木昭隆外務省アジア大洋州局長が出席するようですが、北朝鮮側は、首席代表の金桂寛外務次官でなく、日朝作業部会代表の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使が出席するようです。日朝作業部会ならば、同格の日本側のパートナ、美根慶樹・日朝国交正常化交渉担当大使を派遣するのが筋ではないでしょうか。先に非公式協議、後に日朝作業部会開催ならば、わかりますが、いずれにしても、非公式であれ、作業部会であれ、北朝鮮は宋日昊大使が出てくるわけです。

 米国のテロ支援国家指定解除が避けられない状況にあって日本とすれば、今回の日朝協議で安否不明の拉致被害者の調査再開の道筋を付けたいところです。一方の北朝鮮は再調査の前提条件として①経済制裁の撤回②朝鮮総連中央本部の競売中止③過去の清算の開始の3点を求めています。これに対して日本は北朝鮮が拉致問題で「進展」がない限り、制裁解除には応じられないとしています。進展とは、中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)の言葉を借りるならば「日朝双方が拉致被害者を帰国させるという認識を共有し具体的なステップを踏み始めること」です。仮に「よど号」ハイジャック犯の日本への引導話があったとしても、「進展」とみなさないというのが日本政府の立場です。

 ところが、驚いたことに、町村信孝官房長官は5月4日の参院拉致問題等特別委員会で核問題の進展によっては、制裁解除もありうるとの認識を示したそうです。町村長官が4月11日の制裁延長の閣議決定の際に「北朝鮮側が拉致、核、ミサイルといった諸懸案の解決に向けた具体的な行動を取る場合にはいつでも、諸般の情勢を総合的に勘案して、その一部又は全部を終了することができる」と発言したことに関する共産党の山下芳生議員の質問への返答で曖昧な認識を示したようです。

 山下議員が制裁解除の具体的判断条件を質した際に核・拉致・ミサイルの三つの問題について触れた町村長官は「一つだけが大きく進んで、一つが残った場合とか、あるいは三つが少しずつ進んだ場合」など、「いろんな組み合わせがあると思う」と発言したようです。このことを捉え、共産党機関紙「赤旗」は「必ずしも拉致を含むすべての問題での進展を制裁解除の条件としているわけではないことを示唆した」と伝えたわけです。

 仮に「赤旗」の解釈とおりならば、核だけでなく、拉致問題でも北朝鮮が「具体的な対応」をこれまで取らなかったことから日本政府は制裁を発動及び2度も延長したわけですから180度の方針転換ということになります。

 一昨年10月11日、日本政府は北朝鮮の核実験実施発表を契機に①すべての北朝鮮籍船の入港を禁止する②北朝鮮からのすべての品目の輸入を禁止する③北朝鮮籍を有する者の入国は、特別の事情がない限り認めないとの3つの制裁を発動しました。一部緩和ということになれば、この三つのうち何を解除するのでしょうか。③が無難なところですが、これだけでは、おそらく北朝鮮が納得しないでしょう。

 「毅然たる外交」上、先には制裁を解除できないという原則に立てば、制裁解除以外の誘引策として、核問題の進展を理由としたエネルギー支援への参加、人道支援を表向きとした食糧支援の再開、あるいは過去の清算の一環としての北朝鮮内の原爆被爆者への支援など様々なケースが想定されますが、どれも事はそう簡単ではありません。

 第一に、米国に対して拉致問題の進展、解決なくしてテロ支援国家指定の解除をしないよう求めてきたことと矛盾します。「解除反対」のための対米ロビー外交を展開してきた政府だけでなく、国会も昨年12月5日衆議院拉致問題特別委員会で米国の「北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除」の動きに反対する決議を採択し、数日前(5月3日)には超党派の国会議員による「拉致議連」の平沼赳夫会長が米国大使館にシーファー駐日大使を訪ね、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除しないよう求めたばかりです。

 第二に、「拉致問題の進展なくして制裁を解除しない」「拉致問題の解決なくして国交正常化はしない」との「毅然たる外交」を放棄しての妥協には拉致被害者家族会だけでなくマスコミや世論からの反発も予想されます。ただでさえ政権基盤が脆弱な福田政権にとっては大変なリスクを背負うことになります。

 第三に、制裁の緩和や解除、エネルギーの供給や食糧の人道支援に踏み切ったとしても拉致問題で国民が期待しているような進展、あるいは解決に繋がるような「具体的な成果」が北朝鮮から得られる保証がどこにもないことです。逆に、北朝鮮による「再再調査」(3度目の調査)の結果、むしろ「ジ・エンド」(幕引き)となる可能性が高いような気がします。

 横田めぐみさん以下安否不明拉致被害者の「全員生存」及び「全員帰国」そして「拉致被害者は政府認定者以外にまだ大勢いる」との立場から、国際社会に向けて、また国民に向けて、さらに北朝鮮に対して「解決」を主張し続けてきた日本政府にとって今更その逆の結果を受け入れるわけにはいかないでしょう。

 「拉致問題」は交渉が再開されたとしても、あるいは経済制裁が継続、強化されたとしても、日本が期待している「解決」と、北朝鮮が求めている「解決」との溝があまりにも深すぎて、これを埋めることは残念ながら至難と言わざるを得ません。

2008年6月 2日

「日本受け」の李大統領は四面楚歌

 「経済大統領」「最高経営者」として華々しく政権をスターとさせた李明博大統領が大統領就任から3ヶ月そこそこしか経ってないのにはや政権末期のような症状に陥っています。訪中を終え、30日に帰国した李明博大統領を国民は大規模の集会、デモで「熱烈歓迎」しました。

 米国産牛肉輸入に反対して5月中旬から始まったソウル市民の「キャンドル集会」は31日には警察の統計で5~7万人が参加し、かつてない大規模の反政府集会に発展しました。「キャンドル集会」は地方にも拡散し、31日には全国主要都市100ヶ所で行なわれました。今月27日からの4日連続の数万人に上る抗議集会は、全斗煥政権の退陣を求めたあの1987年の「民主化抗争」以来の出来事です。

 訪米(4月)の際にブッシュ政権に約束した米国産牛肉輸入解禁の決定に端を発した国民の怒りは、李大統領が5月22日に国民向けに謝罪をしたにもかかわらず沈静化するどころか、原油の高騰、物価上昇への不満も加わって「米国産牛肉輸入反対」「米国と再交渉」という要求から「李明博は退陣せよ」にエスカレートし、「反政府集会」の性格を帯びてきました。ヒトラーに真似た李大統領の絵が「独裁打倒!」のスローガンと共に描かれたプラカードが登場したことがそのことを物語っています。

 今の李大統領には48.7の高い得票率と530万票という圧倒的な票差で当選した当時の面影も威信もありません。政権発足時にあった75.2%の支持率はこの3ヶ月間で50%以上も減らし、20%台まで落ち込んでしまったわけですから当然と言えば当然です。「京郷新聞」が世論調査機関の現代リサーチに委託し、5月31日にアンケート調査を実施したところ国民の李大統領への評価は19.8%しかありませんでした。鳴り物入りの朝鮮半島運河構想も公共機関の民営化も不思議なことに支持が得られていませんでした。

 ソウルでの31日の集会は1万3千人の戦闘警察を動員してデモ隊による青瓦台(大統領官邸)への行進を何とか阻止しましたが、鎮圧に警察特攻隊を出動させたことで逆に市民の怒りを増幅する結果となりました。

 李大統領は、事態の収拾のため所管の一部閣僚の入れ替えや大統領補佐官らの更迭などを検討しているようですが、この程度の対応策では離反する民心を引き止めるのは容易ではないとみられています。さりとて、米国とのFTA(自由貿易協定)締結で経済浮揚を目指す李政権としては米国との再交渉は現実的には難しく、まさに米国と国民との板挟みにあっています。

 「内閣総辞職」を求め院外闘争に打って出た野党・統合民主党は言うに及ばず、同じ保守基盤の自由先進党の李会昌総裁までが1日、「誰も国民と喧嘩しては勝てない。6月4日に予告されている米産牛肉の解禁を直ちに中止し、米国と再交渉すべきだ。受け入れられなければ強力な行動に出る」と脅かされる始末です。さらにはこのままでは6月4日の国会議員補欠選挙に影響しかねないと政権与党のハンナラ党からも「造反」の動きが出ており、李大統領は完全に四面楚歌の状態にあります。

 国会議席299議席のうちハンナラ党が過半数以上の153議席を占める現在の国会勢力からして李大統領が2004年4月に側近の不祥事や経済政策の失敗、さらには大統領自身の公選挙法違反を理由に国会で弾劾訴追され、大統領職務停止に追い込まれた盧武鉉前大統領の二の舞になることはないと思いますが、これといった起死回生の「切り札」も「打開策」も見当たらないだけに李大統領としては「暴風雨」が過ぎ去るのをただひたすら待つほかないようです。

 「政治素人」「アマチュア大統領」などと揶揄され始めただけでなく、早くも「ノ・ムヒョン(盧武鉉)が懐かしい」という声が聞かれるほどの国民の「李明博離れ現象」を李大統領がどう食い止め、信頼を勝ち取るのか、もうしばらく見守りたいものです。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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