Calendar

2008年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Recent Trackbacks

« 2008年2月 | メイン | 2008年4月 »

2008年3月28日

「圧力」をかけているのはどっち?

 「韓国の新政府は、南北関係の後退、あるいは悪化を憂慮し、北朝鮮を刺激しないような慎重になった感がある」と、前回伝えましたが、韓国閣僚のちょっとした発言が、北朝鮮の反発を買い、韓国の投資で建設され、現在69社の韓国企業が入居し、新たに今後38社が入居を予定している開城工業団地から11人の韓国の職員が27日、追い出されてしまいました。

 「ちょっとした発言」というのは、統一部長官に就任したばかりの金夏中前駐中大使が開城工団の入居者及び入居予定者らとの懇談会での席で「北朝鮮の核問題が妥結しなければ、開城工団の拡大はむずかしい」と述べたことです。韓国政府の立場からすれば極めて当たり前のことを話したまでのことですが、これに北朝鮮側はカチンときたようで、「拡大するつもりがないならば、政府職員を常駐させる必要はない。直ちに出て行ってもらいたい」と対応したということです。

 新聞の見出しでは「韓国が撤収」となっていたので、北朝鮮が核計画の申告をしないことに苛立った李明博政権が実力行使に出たと思いきや、そうではなく、逆に北朝鮮のほうが強硬手段に出たということです。韓国は言葉で「圧力」を加えたのに対して北朝鮮は行動で「圧力」を加えたということです。

 この北朝鮮の突発的な通告に韓国政府が「ならば結構だ。全員引き上げることにしよう。我々の職員を追放して困るのはそっちだ」と毅然と出ると思いきや、そうではありませんでした。当の金夏中長官は「北朝鮮は当局者だけに撤収を要求しただけで開城工団管理委員会など他の部門に足しては一切の言及がなかったので開城工団内の生産の支障はないものと思う」と釈明に追われていました。開城工団の稼動がストップして困るのは、韓国も同じです。なにしろ、2012年に完成すれば、最終的に2千万坪の工業団地となり、韓国経済に年間2、440億円の付加価値をもたらす事業ですから、そう簡単に誤破産とするわけにはいかない事情があります。

 ですからこの日、李明博大統領の主宰の下で外交安保政策会議が開かれ、「今回の措置は南北経済協力の安定的発展に障害となる極めて遺憾なことだ。堂々と原則をもって対処するが、不必要な状況の悪化は防がなくてはならない」との方針を決めています。韓国政府は事態をこれ以上悪化させない方向で腐心しているようです。

 李大統領も「原則を守りながらも接近方法は柔軟な態度で対北関係を持っていかなければならない」と、北朝鮮をこれ以上刺激するのを避けるよう指示したそうです。これに伴い、金夏中長官は28日に予定していた脱北者の定着支援施設「ハナ院」の訪問を急遽取りやめてしまいました。北朝鮮のジャブが効いたのか、言動をトーンダウンさせています。

 今回の件について、韓国メディアの見出しをみると、「北がたった一言に追放措置」「南北関係急冷 新政府の対北政策試験台に」「開城工団経済協力事務所南職員なぜ追放?」と、予想もしなかった北朝鮮の措置に驚きを表していましたが、中にはソウル経済新聞のように「李明博大統領の実用対北政策が重大な岐路」との見出しを掲げた新聞もありました。

 ソウル経済新聞は「北朝鮮が南北経済協力の象徴である開城工団から南側の当局者を追放する物理的手段を講じたことで李明博政権の対北政策は重大な岐路に立たされた。直ちに南北関係が硬直局面に陥るだけでなく、膠着状態にある6か国協議にも悪影響を及ぼすことが予想される。仮に北朝鮮の核問題が急進展した場合は、米国だけを相手として認め、韓国を対話の枠から外す言わば『通米封南』という最悪のシナリオも考えられる」と、その余波を憂慮しています。

 「南北のチキンレース開始 冷却長期化か」とみるメディアもあったように、韓国では来月に総選挙もありますし、また李大統領の訪米も予定されていることから、李明博政権としても「相互主義の原則」を掲げた手前 北朝鮮に一方的に引きずられるわけにもいかず、さりとて、これ以上南北関係を悪化させるわけにもいかず、予想されたこととは言え、最初の試練に直面しました。

2008年3月24日

李明博政権発足1ヶ月

 明日(25日)で李明博政権発足からちょうど1ヶ月です。大統領選挙で圧勝した李明博大統領への支持率はスタート当初は「期待している」が85%ありました。しかし、その後は下落し、「中央日報」の最新世論調査(3月22日付)では、「よくやっている」と答えた人は60.2%と、なんと25%も大幅減少しました。

 支持率が下がった理由については、3人の辞退に繋がった閣僚人事の人選ミス、4月総選挙に向けての党公認をめぐるハンナラ党の内紛、経済成長率を公約の7%から5%台への下方修正、ウォン安によるインフレなどが災いしています。さらに、総理、外相、国防相、統一相の主要ポストに金大中政権―盧武鉉政権に仕えていた人物らを再起用したことへの保守派の不満や、大統領就任から1ヶ月間、南北対話が全く稼動しないことへの革新系の批判なども支持率下落の要因となっているようです。

 当選前と当選後の李大統領の言動から保守派の中には「李大統領は豹変した」と公然と批判する声も聞かれます。特に、日本が熱い関心を寄せている対北朝鮮政策ではそれが顕著に現れています。

 李大統領は選挙期間中、「太陽政策の再検討」を強調していました。核問題が解決しない限り、盧武鉉―金正日首脳会談で合意した南北協力事業への本格的な参入は困難との立場を表明しました。核問題の解決なくして、「開城工業団地も金剛山観光も、拡大するのは難しい」と述べていました。また、前政権下では捕虜・拉致問題で大きな成果を上げられなかったとし、新政権下では人道・経済支援と引き換えに捕虜などの送還を要請すると言っていました。

 特に印象深かったのは、「一方的な譲歩はない。無条件の支援はない」「これからは人権も取り上げる。北朝鮮に対して厳しいことも言う」と発言したことです。この発言で太陽政策の変更を願う韓国内の保守派や日米の太陽政策批判派から拍手喝采を浴びました。

 しかし、この1ヶ月で随分様相が変わりました。外相に起用した柳明恒氏は2月27日、国会外交通商委員会人事公聴会で「南北和解と緊張緩和を追求することは、絶対命題だと考えている」と述べ、「北朝鮮に対する和解協力政策(太陽政策)の基調は変えられない。李明博政権でも和解協力政策は継続しなければならない」と発言しました。太陽政策の根本的な路線修正はないと発言したのです。

 李大統領自身も「金剛山観光と開城工団協力事業は就任後も維持し続ける」「いま北朝鮮経済は苦しく人間の基本権も維持できない状況だ。だから、人道的に支援せざるを得ない。もっとも理想的なことは北朝鮮政権ではなく、住民に直接的な支援をすることだ。しかし、現実的にこれを区分するのは難しい」と述べ、条件なしの人道支援の継続を示唆しました。 また、人権問題でも「(人権問題を)政略的、政治的に利用する考えはない」と、日米と異なり、核や拉致問題解決のための手段に使う考えがないことを重ねて強調しました。

 肝心の韓国人拉致問題では、「われわれが望むのはまず当面、離散家族、第1世代の、歳を取った方々が自由に北朝鮮を往来でき、会えるようにすることだ。その次に、捕虜問題、漁民拉致で、これらもお互いに協力して円満に解決していくことが、私の深い関心事だ」と語り、前政権と同様に離散家族の再会を最優先すると言明していました。拉致問題の解決手段も、日本のように「制裁」や「圧力」を使わず、あくまで「対話」と「説得」そして、「南北協力」を通じて行なうと言っています。

 韓国と北朝鮮は昨年12月の第9回赤十字会談で、南北離散家族を年間400組ずつ面会させることで合意しています。今年6月の南北首脳会談8周年の際には特別再会の合意もしています。しかし、現在は完全に南北赤十字対話が途絶え、関連協議も行われていません。面会実施が不透明な状態になっています。

 昨年12月31日基準で、韓国の離散家族情報統合センターに登録した離散家族の数は12万6787人でしたが、すでに3万3300人が再会を前に亡くなり、現在は約9万3千人が再会の日を待っています。このうち90歳以上の高齢者は3千人もいます。離散家族の問題は、韓国政府にとっては、500人近くの拉致被害者問題より深刻で、重要な問題となっています。これが、北朝鮮に強く出られない最大のネックとなっています。

 大統領就任以来、沈黙を守っていた北朝鮮が3月6日、公式に韓国の新政府を「保守執権勢力」と名指し攻撃したことで韓国政府は、南北関係の後退、あるいは悪化を憂慮し、北朝鮮を刺激しないような慎重になった感があります。

 韓国政府は、北朝鮮が肥料支援(毎年30万~40万トン)を要請してくれば、当初は見返りを要求するとしていましたが、北朝鮮から未だ打診、要請が無いため、韓国自らが「北朝鮮が要請すれば南北対話を通じて人道的に支援できる」と秋波を送る始末です。

2008年3月17日

米朝ジュネーブ協議は、不調?進展?

 先週(13日)ジュネーブで開かれたヒル国務次官補と金桂寛次官による米朝協議の結果を伝えた日韓のメディア論調は実にコントラストでした。

 日本のメディアは「溝埋まらず」「合意得られず」との見出しに見られるようにほとんどが冷めていました。それに比べて、韓国のメディアは「米朝核交渉は有益だった」(ソウル経済新聞)、「ヒル、『核交渉は進展』」(毎日経済新聞)、「金桂寛、『核協議は満足』」(ハンギョレ新聞)、「速度早めた協議、合意はまだ」(東亜日報)、「ヒル『6者協議膠着解決のアイデア提示』」(連合通信)と、近い将来の妥協、合意を暗示していました。

 誤解を恐れずあえて極論を言うならば、北朝鮮への不信が根強い日本のメディアの論調には「絶対うまくいくはずがない」との確信のようなものがあるようです。また、穿った見方ですが、「できたら、交渉が決裂し、米国も日本と一緒に北朝鮮に圧力をかけてもらいたい」との願望も込められているかのようでもあります。

 逆に、韓国のメディアは、その逆で、南北関係を進展させるためにも、また李明博物政権の公約である「非核・開放・3000」の対北政策(核問題が進展すれば、積極的な経済協力を行なう政策)を進める上でも「米朝交渉がまとまってもらいたい」との期待を反映させています。単純な疑問ですが、ジュネーブ協議は失敗したのか、それとも進展したのでしょうか。

 ヒル国務次官補は会談後の会見で「北朝鮮と非常に実質的で有用な協議を行った」「解決できたとは言えないが、一定の進展はあった」と述べています。また6者協議開催についても「含めるべき議題への理解が深まりつつある」と述べています。一方の金次官も「見解の差は狭まった」ことで「(会談には)満足している」と語っていました。両者の発言を接合しますと、妥協、合意に向けて接近しつつあるのではないでしょうか。

  今回合意しなかったことについて、マコーマック米国務省スポークスマンは「ジュネーブ協議は最初からある決定を下すための協議ではなかった」と言っています。その通りで、決定と、合意、そしてその発表は本来6か国協議の場でなされるものです。ですから、今回の米朝協議は、マコーマック報道官が言うように6か国協議再開に向けての事前協議の一環でした。

 ジュネーブ特派員の大方の予想に反して協議が1日で終わったということは、それ以上やる必要性がないからです。双方とも認めるように見解の差があったのは紛れもない事実です。それだからこそ、相手の言い分、提案を持ち帰って、本国と協議、検討した上で調整することになっています。ということは、6か国協議の再開も、時間の問題ではないかと考えられます。

 金桂寛次官は「我々はやることはやった。だからあなた方が最初にやれ」と核計画の申告前にテロ支援国指定の解除が必要であると迫ったようです。これに対して、ヒル次官補から報告を受けたライス国務長官は「米国は義務を履行する準備ができており、北朝鮮もその義務を果たすべき」と核計画の申告を必ずするよう北朝鮮に促しております。「約束対約束」「行動対行動」の原則に基づくならば、同時履行ということになります。

 「米国は義務を履行する準備ができている」ということは、テロ支援国指定を解除するということになります。そうなると、気になるのは、ヒル次官補が米朝協議後外務省の斉木昭隆アジア太平洋州局長にジュネーブから3,4回電話を入れ、その結果、斉木局長が急遽米国に向かい、ヒル次官補と会談することです。

 直接会って、話をしなければならない緊急な案件があるのでしょう。斉木訪米が、米国からジュネーブ協議に関する報告を受けるためなのか、それとも、米国にテロ支援国指定解除に反対する日本政府の立場を伝えることが目的なのか、大いに気になります。

 町村信孝官房長官は15日、拉致被害者家族会との面談で、4月13日に期限を迎える北朝鮮への経済制裁について、「期限までに(拉致問題などで)何らかの進展があれば別だが、拉致問題、6カ国協議、米朝間の状況などをしっかり見据え適切に判断する」と述べていました。延長するとは明言していませんでしたが、その可能性を示唆する発言です。また、高村正彦外相も16日、「拉致問題の進展がない限り、制裁を解除するという選択肢はないだろう」と述べ、制裁の継続を予告しました。

 経済制裁の期限を迎える4月13日まで、核問題の進展の可能性はあっても、拉致問題はどう転んでも進展の可能性はなさそうです。6か国協議の再開と同時に日朝協議も開かれ、北朝鮮が再調査を約束でもすれば、見直しもあり得えるかもしれませんが、おそらく時間切れとなり、経済制裁のさらなる延長ということになるのでしょう。

2008年3月11日

「拉致工作幹部浮上」が意味するもの

 拉致問題が久しぶりにマスコミの俎上に載りました。朝日新聞が11日の一面トップで地村保志夫妻と蓮池薫夫妻の拉致を北朝鮮の工作機関「対外情報調査部」の当時のトップ二人が指示していたとの警察の捜査結果を記事にしたからです。名前も、当時部長だった李完基(イ・ワンギ)と副部長の姜海竜(カン・ヘリョン)と特定されていました。

 日本人拉致にはこれまでにキム・セホ、キム・ナムジン、ハン・グムミョン、チェ・スンチョル、キム・ミョンスク、ユ・スンチョル、シン・グァンスら7人の工作員が関与、もしくは実行したことが明らかにされています。

 金正日総書記は2002年9月17日の日朝首脳会談の席で小泉総理(当時)に「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って行なった」と釈明していましたが、対外情報調査部のNo..1とNo.2が直接指示し、調査部に所属する7人の工作員が実行したということは、日本人拉致は必然的に対外情報調査部の組織ぐるみの犯行という結論に達します。

 しかし、唯一指導体制、体系下の北朝鮮にあって対外情報調査部もまた上層部からの指令、許可なく勝手なことはできません。対外情報調査部を直轄しているのは労働党で、担当者は対南書記です。従って、対外情報調査部を指導する対南担当書記も、少なくとも日本人拉致を承知、もしくは指示していた疑いが浮上してきます。当時、対南担当は空席で、金正日組織・宣伝担当書記が兼ねていたと取り沙汰されています。そうなると、金総書記にも責任が及ぶ可能性が出てくると、韓国のマスコミは指摘しております。

 夫の申相玉監督と共に78年に北朝鮮に拉致され、その後脱出した韓国の女優崔銀姫さんの手記「闇からのこだま」に金総書記(当時書記)と李部長とが一緒に写っている写真が載っていることもその疑いを強める根拠の一つになっています。さらに、もう一つ、問題とされているのは、金総書記に「偽証」の疑いが出ていることです。

 金総書記は小泉総理に対して「私が承知するに至り、これらの事件に関係した責任ある人々は処刑された」と説明していましたが、対外情報調査部の幹部らの関与が明らかになった今、98年に「責任ある人」として処刑されたとされるチャン・ボンリムは「替え玉」ということになります。

 そもそもチャン・ボンリムは日本人拉致事件が頻発した77年から80年までの間は、対外情報調査部には在職していませんでした。その期間は人民武力部偵察局で翻訳室長をしており、対外情報部に副部長として異動したのは89年からで、従ってこの時期の日本人拉致には関わっていないことになります。また、拉致事件との関連で処分(懲役15年)されたとされるもう一人、キム・ソンチョルは、対外連絡部の人間で、対外情報調査部には属していませんでした。

 朝日新聞は「指示に関わった幹部の存在が浮かんだことで、北朝鮮が二人の現在の消息や、金総書記と二人の関係についてどう説明するかなどが今後の日朝交渉の焦点となる」と書いていましたが、「拉致問題は終わった」との立場を取る北朝鮮が弁明するはずもなく、また「誰が指示したか、私にはわからない」と高村外相が野党議員の質問(07年12月5日の国会で)を交わしたところをみると、外務省も本気になって金総書記との関係を追及する気はなさそうです。結局のところ、73年に発生した金大中拉致事件と同じように最終的な責任の所在はうやむやになってしまうのではないでしょうか。

2008年3月 6日

「テロ指定」と「経済制裁」解除の行方

 核問題は膠着状態に陥り、6か国協議再開の見通しも立っていません。今月中に6か国協議が再開され、核計画の全面申告問題で進展、もしくは何らかの合意が見られなければ4月に発表される米国務省国際テロ活動報告書で北朝鮮は引き続きテロ支援国に指定されることになります。ケーシー米国務省副報道官は3日の記者会見で現時点では北朝鮮の同指定解除はないとの見通しを示していました。

 北朝鮮に対する日本の経済制裁も4月13日に見直しの期限を迎えます。それまでに日朝協議が再開され、北朝鮮が再調査に応じるなど、何らかの進展がなければ、これまた日本の経済制裁も解除されず、さらに半年間延長されることになります。

 米国も、日本も「解除」をちらつかせながら、北朝鮮に譲歩を、あるいは誠意を迫っていますが、思うようにいきません。北朝鮮が乗ってこないためいつまでたっても解除できないでいます。ある意味では、一種のジレンマに陥っています。

 それでも、米国にはまだチャンスがあります。ケーシー報道官は北朝鮮が核計画の申告など米国の要求に応じた場合、テロ報告書と関係なく解除に踏み切ることもあり得るとの認識を示していました。

 米国のテロ支援国指定解除の手続きは立法事項ではなく、行政の裁量事項なので、ブッシュ大統領が決断すれば、解除はいつでも可能となります。但し、ブッシュ大統領は議会に対して解除理由について説明しなければなりません。解除するならば、テロ支援国指定解除発効希望日の45日前には議会に対して①北朝鮮は過去半年間国際テロ支援活動をしなかった②北朝鮮が今後国際テロ支援をしないことを確約したことを記した報告書を提出しなければなりません。

 ヒル国務次官補と金桂寛次官との仕切り直しの協議が月末までに北京で予定されているようですが、6か国協議が再開され、懸案の濃縮ウランの核開発問題とシリアへの核拡散問題で妥協が成立すれば、日本人拉致問題に縛られることなく、米国は国際テロ活動報告書から北朝鮮を除外することになります。そうなれば、日本政府は苦しい立場に立たされます。米国がテロ支援国指定解除とセットになっている制裁解除にも踏み切れば、日本だけが効き目のない経済制裁をいつまでも続けるわけにはいかなくなるからです。

 日本としては経済制裁解除のための名分が何としてでも欲しいところですが、どうやらその名分とは、北朝鮮による「再調査」ということになるのでしょう。しかし、テロ支援国指定が解除されれば、北朝鮮は一層強気に出てきます。「再調査」に言及しない可能性も考えられます。また、米国の説得に応じて「再調査」に同意したからといって、拉致問題が進展、解決するわけではありません。

 いずれにせよ、6か国協議が再開されれば、自動的に日朝作業部会が開かれます。日本政府の本音としては「再調査」を条件に経済制裁解除に踏み切りたいところですが、逆に北朝鮮は経済制裁の解除が先決だと主張しています。

 核問題が進展した場合、どう対応するのか、福田政権にとっては頭の痛い問題です。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.