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2008年2月21日

「韓国の統一部長官がライス長官になる日」

 韓国の政権交代により、外交通商部への統廃合を検討されていた統一部の存続が決まったようです。とは言うものの、統一部の組織と機能は大幅に縮小されるのは間違いありません。また、長官には南柱洪(ナム・ジュホン)京畿大学教授が就任するようです。

 今年56歳の南長官は英国(ロンドン大学)、米国(ハーバード大)で学び、帰国後韓国国防大学院で教鞭を取りました。金泳三政権で国家安全企画部安保統一補佐官を務めた後、民主平和統一諮問会議事務処長、統一部の統一教育審議委員などを歴任するなど自他共に認める北朝鮮通です。但し、対北強硬派として知られ、一部では「韓国のネオコン」と称されています。このため統一民主党や親北団体からは「南長官になれば、南北関係が再び緊張し、朝鮮半島の平和定着に影響を及ぼす」と、長官就任に反対しています。

 当の南柱洪氏は対北強硬論者とみなされていることを意識してか「多くの人が私のことをネオコンと呼んでいるようだが、そのような理念的な用語は使うべきではない。理論と実体、理想と現実はバランスを取らなくてはならない」と不快感を露にしていました。また、「私は、太陽政策の精神を批判したことはない。国益を守る上では最善を尽くすという次元から太陽政策の方法論を批判したに過ぎない。金剛山観光開発、開城工団の開発には反対しない。但し、核問題が解決しない状態で先行すべきではないというのが私の立場だ」と防戦に大わらわです。

 さらに、2年前に「統一はない」との題目の本を出版したことで「統一部長官にはふさわしくない」とクレームを付けられていることについて「本の趣旨は『早期の統一』はないが、『正しい統一』はすべきだと言おうとしたまでのことだ」と弁明していました。そして「北朝鮮の非核と開放、そして北朝鮮国民の一人当たり所得(現在500ドル)を3千ドルに引き上げるという大統領の構想を忠実に実行し、与えるものは与え、得るものは得る。これが私の基本方針である」と強調しました。

 「韓国のネオコン」はボルドン元駐国連米大使に象徴されるようなネオコンではないようですが、親米派の南長官になればスタート当初は①太陽政策を検討し、北朝鮮の変化と改革を促す政策にシフトする②一方的な対北支援よりも、相互主義に乗っ取った支援政策を取る③南北関係よりも米韓関係を重視することになるかもしれません。しかし、政策の変更によって、結果が出ない場合は、再び、「太陽政策」に回帰するかもしれません。

 政権を奪還したハンナラ党は過去10年を「失われた10年」と呼んでいますが、10年前の金泳三政権は発足当初は「民族は同盟よりも優る」と、対米関係よりも南北関係を重視する政策を打ち出しました。ところが思うようにいかないと、一転して北朝鮮を「壊れたヘリコプターのようなものだ」と称し、北風政策に転換しました。それもまた失敗すると、水面下で金日成主席との南北首脳会談をしかけました。対北政策がくるくると変わりました。

 統一部長官である限りにおいては、南北関係で成果を挙げなくてはなりません。成果とは南北関係をさらに前進させることです。そのためにはパートナーである北朝鮮の同意、協力が不可欠です。北朝鮮が南長官の流儀を受け入れれば良いのですが、反発することはあっても受け入れることは考えられません。結局、最後は南柱洪長官もスタート当初は対北強硬派だったライス米国務長官の二の舞になるのではないでしょうか。

2008年2月 7日

米情報長官の発言を読む

 米CIAなどあらゆる情報機関を統括しているマコネル米国家情報長官が上院特別委員会に提出した北朝鮮関連報告書と同委員会の聴聞会(5日)で行なった「北朝鮮発言」は解釈の仕方によってはどのようにも受け止めることができます。

 まず、問題の高濃縮ウランによる核開発と核拡散活動について同長官は「我々は北朝鮮がどちらにも関与を続けていると信じている」(朝日新聞)と述べています。また、北朝鮮の核放棄有無については「金正日総書記が6カ国協議で合意した完全非核化の責務を果たすかどうかは依然、不透明だ」(産経新聞)あるいは「「確信が持てない」(読売新聞)と語っています。さらに報告書では「情報機関は北朝鮮が少なくとも過去にウラン濃縮能力を追求したと見ており、その努力が今も続いているという中程度の確信を持っている」(朝日新聞)と指摘していました。

 ウラン濃縮疑惑については「中程度の確信」に基づいて「信じている」ということのようです。韓国の連合通信はこの「中程度の確信」を「ある程度の確信」と訳していました。「確固たる確信」も「絶対的な確信」もまだ持っていないようです。
 また、核拡散については連合通信によると、同長官は「北朝鮮はすでに幾つかの中東諸国やイランに弾道ミサイルを売却したので我々は北朝鮮が核兵器も海外に拡散したかもしれないと憂慮している」と言ったそうです。

 「拡散したかもしれない」が日本のメディアでは「拡散する可能性を懸念している」と伝えられていました。ミサイルを売却しているわけですから、核を移転したとしても不自然でもないし、また、これからやるかもしれないとの不信を米国が抱くのは当然でしょう。しかし、どちらにしても仮定の話か、将来の話であって、現在「核拡散をやっている」と断定しているわけではありません。ですから「~と信じている」との表現を使ったのでしょう。換言するならば、北朝鮮に対して「疑惑を解明しなければならない」あるいは「これからは拡散させてはならない」という風にも聞こえます。

 北朝鮮の核放棄についても「不透明」で「確信が持てない」と言うのは当然な話で、だからこそ北朝鮮は「確信が持てるよう、非核化の義務を履行しなければならない」との注文を付けたとも言えます。

 このマコネル米国家情報長官の発言からしてブッシュ政権は北朝鮮との交渉をそれほど悲観的に捉えてないことが読み取れます。その根拠の一つが、日本のメディアが報じなかった北朝鮮のこれまでの主張をあたかも正当化するような次のような発言です。

 「北朝鮮は自らの核能力を戦争抑止手段か外交的圧力手段とみなしているようだ。北朝鮮は核兵器の使用をある限定された状況下でしか考慮してない。米国も北朝鮮当局が軍事的な敗北に直面するか、統制権を失いかねない危機に直面しない限り、米軍や米本土に向けて核兵器の使用を企図するとはみなしていない」

 この発言は、戦争の脅威の除去、即ち平和協定が締結され、外交目的である国交正常化が実現し、金正日体制が安定すれば、北朝鮮の核は無用になるということを暗示しているようでもあります。北朝鮮に見返りを出して、核を放棄させるとのブッシュ政権の強い意向が代弁されています。

 先に訪朝した米国務省のソン・キム朝鮮部長は帰国後、北朝鮮の核計画申告問題に関して、「(北朝鮮側との協議で)着実な進展があった」と語っていました。また、核関連施設の無能力化作業については11箇所のうち8箇所が終了し、残り3箇所も3月までには終了するそうです。核計画の申告で進展があり、核施設の無能力化が完了すれば、事態は進展します。

 現在米国は、米大統領予備選の真っ只中にあります。大統領選挙が近づけば近づくほどブッシュ大統領はレイムダックに入ります。それでも、ブッシュ政権の対応次第では北朝鮮が動くかもしれません。金正日総書記が政権末期の盧武鉉大統領を相手に大統領選挙2ヶ月前に南北首脳会談をやったように、米朝間でも「劇的な変化」が生まれる可能性は十分にあります。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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