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2007年12月31日

今年1年を回顧する

 今年最後の更新となります。今年1年、朝鮮半島を振り返ると、昨年よりは情勢は全般的に好転したのではないかと思われます。

 昨年は北朝鮮の核実験、ミサイル発射実験、国連の制裁決議が10大ニュースの上位を占めましたが、今年は、7年ぶりの南北首脳会談の開催、6か国核合意、53年ぶりの南北鉄道連結などの明るいニュースが相次ぎました。

 こうしたことから南北と米朝、及び国際社会にとっては、「1歩前進の年」と評価できますが、日朝にとっては拉致問題が全く進展しなかったことや経済制裁が緩和されなかったことから今年も「不幸な1年」であったと言えます。それでも政府間交渉が3月にベトナム、9月にモンゴルと、2度開かれた分、昨年よりはましかと思います。

 来年は2月にニューヨークフィルハーモニの平壌公演が予定されております。この公演を機に米朝間に信頼関係が醸成されれば、核問題の進展→テロ支援国指定の解除→日朝交渉で北朝鮮の再調査表明→ライス国務長官の平壌訪問→金永南最高人民会議委員長の訪韓→南北米中の4か国外相会談→4か国による戦争終結宣言→米朝首脳会談→米朝国交正常化というシナリオも全くあり得ないとは言えません。

 しかし、このシナリオには筋書きがありません。一つ歯車が狂えば、すべてアウトです。逆に、もう一つのシナリオが浮上します。デタントから一転して「対決」に回帰するシナリオです。

 回帰する素地はいくらでもあります。米朝双方の根強い相互不信、ブッシュ政権内の保守派の巻き返し、北朝鮮軍部の反発、韓国新政権の北朝鮮政策の大幅修正、進展しない日朝関係等です。

 特に、拉致問題をめぐる日朝関係は、来年も厳しいことが予想されます。仮に日本が北朝鮮に拉致問題の進展を促すため経済制裁の一部を緩和し、その結果、北朝鮮が再調査に応じたとしても、必ずしも日本が求めるような進展や解決は期待できそうにもありません。

 日本政府は拉致問題の解決の手段として「対話」と「圧力」を並立されていますが、残念ながら効果が上がっておりません。イソップ物語でもわかるように「太陽」と「北風」を交互に使って、マントを脱がすことはできないのと同じで、これではいつまでも結果は出せません。

 韓国の李明博次期大統領は北朝鮮に対して「強い説得」と「信頼ある説得」をやると言っています。5年間やって結果を出せなかったわけですから、韓国の政権交代を機に一度、韓国と足並みを揃えて北朝鮮への説得に乗り出して見たらどうでしょうか。拉致被害者の会が求める日韓提携は、日本が韓国の新政権に歩調を合わせれば可能です。来年はなにがなんでも、拉致問題を進展させなければなりません。

2007年12月28日

外務省「「新トリオ」は拉致を解決できるか

 「日本国民の最大関心事」と騒がれた、あるいは「日本外交の最大課題」と位置づけられた拉致問題は、今年も解決をみないまま終わろうとしています。昨年9月に拉致被害者家族会や「救う会」が待望した対北朝鮮強硬派の安倍晋三政権が発足した時は、「拉致問題解決内閣」と称されるほど期待が高まりましたが、結局のところ拉致問題では何の成果も挙げられないまま、政権の座から去ってしまいました。

 その安倍政権の外交を支えてきた谷内正太郎外務次官も今度の人事で退任します。安倍さんと同じく対北朝鮮強硬派で知られる谷内次官は内閣官房副長官補から05年1月に事務方トップの外務次官に就任して以来、拉致問題では陣頭指揮を執ってきましたが、これまた拉致問題では何の業績も残せないまま、外務省を去ることになります。

 谷内次官の後任には藪中三十二外務審議官が就任するそうです。小泉政権下でのアジア太平洋州局長の頃に6カ国協議の首席代表を務めたことで知られています。また、外務審議官のポストには現在6か国協議の首席代表を務めている佐々江賢一郎アジア大洋州局長が、そして佐々江氏の後任には過去に日朝交渉で日本側代表を務めたこともある斎木昭隆駐米公使が昇格、昇進するそうです。

 3人とも、拉致問題をめぐる北朝鮮との交渉では中心的な役割を担ってきたことからメディアは「任期中の『拉致問題決着』を目指す福田首相が、対北朝鮮政策を最重視した布陣とみられる」(毎日新聞)「外務省の主要ポストに北朝鮮問題に精通した人材を配置することで、拉致問題をはじめとする懸案の解決に本格的に取り組む狙いがある」(朝日新聞)と分析しておりました。読売にいたっては「藪中氏はアジア大洋州局長を務め、拉致問題など対北朝鮮交渉の最前線で尽力した実績が評価された」と書いていました。

 いずれも北朝鮮との交渉経験が豊富なことは紛れもない事実です。しかし、これまでに拉致問題で一体どのような「実績」や「業績」があったのでしょうか。金正日政権に拉致を認め、謝罪させ、少なくとも5人を取り戻したのは、3人ではなく、彼らの上司であった田中均外務審議官(当時)でした。「売国奴」扱いされながらも、「憂国」のため5人の家族を帰国させるため訪朝し、そのレールを引いたのも田中審議官でした。

 田中氏は結局、家族会や「救う会」から猛烈な非難を浴び、一部メディアから「売国奴」扱いされ、右翼からは命まで狙われ始末でした。最後は、次官になれず外務省を去りました。実に損な役割を演じることになりました。そのような前任者を見れば、誰も火中の栗を拾いたがらないものです。誰が好き好んで、君子危うきに近寄りますか。ですからその後、北朝鮮との交渉では「テーブルを叩いてきた」「声を荒げた」「席を立った」と、家族会や「救う会」に報告さえすれば批判されないで済むとの風潮が生まれました。その結果、「拉致問題進展ゼロ」の状態が3年も続いています。

 対話による解決にシフトした福田政権の下で「新トリオ」による外交・交渉手腕が問われることになりますが、金正日政権の打倒なくして、拉致問題の解決はないとの立場から妥協を許さず、さらに制裁と圧力の強化を求める家族会との狭間でどうやっていくのか、興味津々です。家族会や「救う会」から信頼と支持を得てきた「三羽烏」がまさか「変節」することはないと思いますが、「毅然たる外交」という名のこれまでの路線をこれからも貫くのかどうか、見守る必要があります。

2007年12月22日

李明博圧勝で「BBK疑惑」の行方は?

 韓国大統領選挙は野党・ハンンラの李明博候補が当選したことで、国民の次の関心は李次期大統領の「BBK嫌疑」(株価操作疑惑)との関連で与党が17日に強行採決して可決した特別検事法を盧武鉉大統領が受け入れるのか、拒否権を発動するのかにあるようです。

 ハンナラ党は与党の鄭東泳候補に得票率でほぼダブルスコアの差(48.7%対26.1%)(530万票差)を付けて大勝したことで国民の審判は下ったとして、盧大統領に拒否権の行使を求めていますが、盧大統領はどうやら特別検察官による疑惑追及を黙認するようです。

 特別検事導入法の公布期限は来年1月1日で、特別検事任命期限は1月11日までです。準備期間は7日で、捜査期間は本捜査30日と1次延長10日を合わせ最長40日間となるので延長期間を入れても捜査は遅くても2月27日までには終了します。

 最高裁長官から推薦される3人の候補から大統領が指名する特別検察官は検察から独立して捜査を行います。5人の検察官と40人の捜査員を使って、調査を行います。捜査の結果、疑惑が深まれば、召還もあり得ます。

 大統領は、在任中は刑事訴追されないことが憲法で保障されていますが、就任前には適応されません。従って、召還、さらには「黒」となれば、起訴されることもありえます。但し、逮捕の可能性はゼロに近いです。起訴されたとしても、在宅起訴で、身柄拘束という事態は考えられません。証拠隠滅も逃亡の恐れもないわけですから裁判所が令状を出すはずがありません。

 起訴され、裁判で「有罪」となった場合は、「公職者就任法」では当選無効となり、大統領職を失しますが、あくまで最高裁で有罪が確定した場合のことです。1審、2審で有罪となっても無効とはなりません。最高裁の判決が出るまでには最低で6ヶ月かかりますので、来年2月25日の就任前までには決着が付きません。起訴されたままでも大統領に就任すれば、その瞬間、憲法に基づき起訴も裁判も停止されることになります。

 与党の大統合民主新党は「あわよくば」と考えているのかもしれませんが、3人の特別検察官候補がいずれも検察出身ということを考えた場合、検察が5日に「白」と発表した疑惑を「黒」と逆転させることはないでしょう。仮に、そんなことになれば、検察の権威が失墜し、法治国家としての体をなさなくなります。また、50%近い国民の支持を受けた人物を「黒」とした場合、ハンナラ党支持者を中心に暴動が起きるかもしれません。この「BBK疑惑」は結局「大山鳴動して鼠一匹出ず」ということで終わるでしょう。

2007年12月17日

政権交代で歴史は繰り返されるのか

 日曜のサンデープロジェクトが新聞のテレビ欄で「韓国燃ゆ!大統領選で政権交代か」との予告を出していましたが、これほど盛り上がらない韓国の大統領選挙はかつてありませんでした。少なくとも、国民投票による直接選挙に移行した1987年から2002年までの過去4回の選挙に比べると、内外の関心度は比べものにならないほど低いです。それも当然で、投票を待たずして、ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補に決まったも同然だからです。

 直前の各紙の世論調査を見ますと、朝鮮日報では李明博候補の支持率が45.4%。2位の与党=大統合民主新党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)候補が17.5%、続いて無所属の李会昌(イ・フェチャン)候補の13.6%となっています。中央日報では、李明博候補が44.7%、鄭東泳候補が15.7%、李会昌候補が13,1%で、中道候補の李明博候補が圧倒的に有利です。絶対にあり得ないシナリオですが、仮に2位の左派候補と3位の右派候補が連合したとしても、ほど遠く、追いつきません。

 李明博氏への支持は、選挙前、それも昨年から続いています。慶尚道出身候補としては全羅道でも過去最高の支持を得ており、また、今回は最大の労働組合の韓国労組からも支持を取り付けています。日本に例えますと、民主党支持母体の連合が自民党支持に回るようなもので、これでは鄭候補に勝ち目はありません。前回、与党候補の盧武鉉大統領を支持した20~30代も今回は野党候補の李明博候補支持に回っています。

 投票日を3日後に控えた昨日、最後のテレビ討論会で他候補は一斉に李明博候補を攻撃していました。李明博氏の株価操作疑惑を追及し、「国民をだまして、どうやって国を導くというのか」(鄭候補)「真っ赤な嘘をつく人がどうして国家指導者になろうとするのか」(李会昌候補)と、李明博氏に立候補辞退を迫っていました。無駄な抵抗のような気がします。

 むしろ、これからの関心は、来年2月に発足する李明博政権が政治報復をするかどうかです。韓国は、後任の大統領が前任者を裁くという「慣例」があります。
 盧泰愚政権下で盟友の全斗煥前大統領が山寺に追われ、金泳三政権下では盧泰愚前、全斗煥元大統領が逮捕され、無期懲役及び死刑を宣告されました。また、金大中政権下では金泳三前大統領の次男が逮捕され、刑務所に送られました。

 来年は、韓国最大財閥サムソングループの不正資金疑惑(サムソングループによる政界・官界ロビー工作疑惑)がマグマのように噴出するかもしれません。すでにサムスングループ不正資金疑惑関連の特別検事も任命されています。
 盧武鉉大統領も2002年の大統領選挙資金との関連と「当選祝い金」の疑いがかけられております。賄賂を授受したのかどうか、特別検事が捜査し、真相を解明します。黒ということになれば、逮捕という最悪の事態も想定されます。
 また、金大中元大統領にも2000年の南北主脳会談の際に北朝鮮側に支払ったとされる莫大な裏金疑惑があります。

 李明博候補を担ぐハンナラ党は「失われた10年」を合言葉に、金大中―盧武鉉と2代続いた左派政権の「不正」を徹底的に暴くと息巻いていますが、来年4月に予定されている総選挙で国会の過半数を占めて、それが初めて可能となります。大統領選挙よりも、注目すべきは、むしろ来年の総選挙のようです。

2007年12月11日

ブッシュの「ラブレター」に金正日は?

 ブッシュ大統領が訪朝したヒル国務次官補を通じて金正日総書記に親書を送ったとのニュースは大きな波紋を呼んでいます。

 米国の大統領が、北朝鮮の最高指導者に公式に親書を伝達したのは、前任者のクリントン大統領に続き、これが2度目です。いや、正確に言うと、3度目となります。

 1度目は、1994年10月20日です。ジュネーブでの米朝核合意前日、金総書記に「私はすべての職権を行使し、DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)に提供される軽水炉発電所対象の資金保障と建設のための措置を推進し、1号基軽水炉発電所が完成するまでDPRKに提供される代替エネルギー保障に必要な資金造成とその履行のための措置を推進することを貴殿に確認する」という内容の書簡を出していました。

 2度目は、2000年10月23日で、今回のヒル次官補同様に訪朝したオルブライト国務長官を通じて伝達されています。米閣僚として史上初めて訪朝したオルブライト国務長官が持参した大統領親書についてパウチャー国務省報道官(当時)は「米朝関係のさらなる発展を期待するもの」と説明し、今回同様に中身は公開しませんでした。

 このクリントン大統領からの2度目の手紙については、金総書記が手放しで喜んでいたそうです。その時までお抱え料理人として仕えていた藤本健二氏は「将軍は、幹部たちを集めて大宴会を催し、『クリントンから手紙をもらったぞ!』と言って、何度も乾杯を繰り返していた」と証言しています。

 今回のブッシュ大統領の親書も中身は公開されていませんが、北朝鮮がいち早く報道したところをみると、内容的には申し分なかったのではないかと想像されます。金正日氏のことを「ならず者」「テーブルでマナー悪く振舞うガキ」「暴君」「独裁者」と言いたい放題罵倒してきたブッシュ大統領が外交礼儀上とはいえ、「親愛なる」という敬称を付けて呼称したわけですから、「してやったり」との思いかもしれません。

 問題は、金総書記からの返書です。ブッシュ大統領は、返書を期待しているようです。ヒル次官補自身は帰国時には返書を携えていなかったようです。常識的に考えれば、米朝パイプを重視する北朝鮮は中国や韓国など第三国を介してではなく、金桂寛次官もしくは、特使を直接訪米させ、伝達することになると思われます。「クリスマスプレゼント」になるのか、「お年玉」となるのか、いずれにしても時間の問題のようです。

 奇遇にも、10日付の米紙ニューヨーク・タイムズによると、米朝間では米国の名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルが金総書記の誕生日から10日後の2月26日に平壌で公演を行うことで合意しました。ブッシュ大統領からの金総書記への「バースデー・プレゼント」となるのかどうかわかりませんが、訪朝団は、マスコミも含め250人規模になる見込みで、最大の文化使節団となりそうです。米中関係正常化はピンポン外交で始まりましたが、米朝は音楽交流からスタートしそうです。

 金総書記は、2度目のクリントン大統領の親書を見て、「日本はさぞかし驚いているだろうな」と、笑っていたそうだが、それもその筈で、翌月の11月、後継者のゴアー副大統領が大統領選挙で共和党のブッシュ候補に敗れたことで流れたものの、クリントン大統領の電撃訪朝が計画されていたからです。歴史は繰り返されるのか、日本にとって来年は要注意です。

2007年12月 6日

6か国協議延期の原因

 数日前、あるテレビ番組の取材で、朝鮮半島の今年を象徴する一字をフリップに書くように言われた時、迷わず「六」と、書きました。「六カ国協議」を指してのことです。朝鮮半島の今年は、6か国協議で始まり、6か国協議で終わると思ったからです。

 2月に再開され、米国の金融制裁の解除→北朝鮮の核施設の封印と凍結→5か国の重油支援→核施設の無能力化と進み、今日から再会される6か国協議で第2段階の最後の核計画申告が行なわれるはずでした。

 しかし、本日から開催予定の6か国協議は延期されることになりました。ケーシー米国務省副報道官は4日の記者会見で、年内開催に向けて「中国が日程調整に努めている」と述べていましたが、年内に開催されるかどうかは微妙な情勢となりました。

 その原因は、核計画の申告をめぐる米朝間の対立があったようです。訪朝(12月3-5日)を終え北京に戻ったヒル次官補は5日、金桂寛次官との会談で核計画申告の内容をめぐって相違が残り、合意が得られなかったことを明らかにしていました。ということは、米国がウラン濃縮計画や核拡散活動、抽出プルトニウムの量、核爆弾、起爆装置などすべての申告、即ち「完全な申告」を求めたことに北朝鮮が強く反発していると読み取れます。

 これまでの北朝鮮側の主張を検証する限り、北朝鮮が難色を示しているのはおそらく一般的に言われるようなウラン濃縮計画やシリアへの核協力ではなく、使用済核燃料棒から抽出したプルトニウムの量及び核爆弾の正確な申告ではないでしょうか。

 米国は北朝鮮がこれまでに3段階の再処理を得て50キロ以上のプルトニウムを所持もしくは、それに相応する数の核爆弾を保有しているとみなしています。第一段階は、クリントン政権下での94年のジュネーブ合意までの間の10kg、第二段階はブッシュ政権登場後に封印を解除し、再処理した8千本の使用済燃料棒からの25~30kg、そして2003年2月から核施設の稼動が停止されるまでの2006年10月までの3年8か月間の18~20kgのプルトニウムが抽出されています。北朝鮮がこれらすべてを核爆弾化させているならば数にして二桁、すなわち10~12個保有している計算となります。

 北朝鮮は、第二段階の8千本の使用済燃料棒からプルトニウムを抽出し、さらに核爆弾を完成したこと、さらには第三段階のプロセスも認めていますが、第一段階については、過去に否認していました。クリントン政権下でプルトニウムの有無が問題にされた時、米国やIAEA(国際原子力機関)に対して「実験用に90グラム程度抽出しただけ」いうのが北朝鮮のこれまでの説明でした。

 また、北朝鮮が1992年に旧ソ連(ウクライナ?)から65kgのプルトニウムを密輸していたとの情報もあります。米国の代表的な軍事・安保シンクタンクのランド研究所のブルース・バーネット専任研究員は2005年6月、「ロシアのKGB情報」を基に暴露していました。こうした疑惑も解明されなければなりません。

 北朝鮮がこの機に及んで核計画申告への躊躇いを見せているのは、最初から計算済みなのか、あるいは焦るブッシュ政権から譲歩を引き出すためのじらし戦術なのか、いずれわかりますが、当然のごとく、10月の6カ国協議の合意文書に盛り込まれた北朝鮮の核施設の無能力化と核計画の申告の年内履行実現は難しくなりました。

Profile

辺 真一(ぴょん・じんいる)

-----<経歴>-----

1947年東京生まれ。
明治学院大学(英文科)卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。
1980年 北朝鮮取材訪問。
1982年 朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊。現編集長。
1985年 「神戸ユニバシアード」で南北共同応援団結成。統一応援旗を製作。
1986年 テレビ、ラジオで評論活動を開始。
1991年 南北国連同時加盟記念祝賀宴を東京で開催。北朝鮮への名古屋からの民間直行便開設に助力。
1992年 韓国取材開始。(以後今日まで二十数回に及ぶ)
1998年 ラジオ短波「アジアニュース」パーソナリティー。
1999年 参議院朝鮮問題調査会の参考人。
2003年 海上保安庁政策アドバイザー。
2003年 沖縄大学客員教授。
現在、コリア・レポート編集長、日本ペンクラブ会員。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「辺真一のコリア・レポート」

-----<著作>-----


『「金正日」の真実』
小学館、2003年1月


『金正日「延命工作」全情報』
小学館、2002年11月


『強者としての在日』
ザ・マサダ、2000年11月


『「北朝鮮」知識人からの内部告発』
三笠書房、2000年1月


『北朝鮮亡命730日ドキュメント』
小学館、1999年6月


『北朝鮮100の新常識』
ザ・マサダ、1999年5月

『ビジネスマンのための韓国人と上手につきあう法』
ジャパン・ミックス、1997年12月

『朝鮮半島Xデー』
DHC、1994年8月

『表裏の朝鮮半島』
天山出版、1992年4月

-----<共著>-----


『読売 VS 朝日 社説対決 北朝鮮問題』
中央公論新社、2002年12月

『韓国経済ハンドブック』
全日出版、2002年3月

『一触即発の38度線』
飛鳥新社、1988年7月

-----<訳書>-----


『北朝鮮が核を発射する日』
PHP研究所、2004年12月

『凍れる河を超えて(上)』
講談社、2000年6月

『凍れる河を超えて(下)』
講談社、2000年6月

『私が韓国をキライになった48の理由』
ザ・マサダ、1998年9月

『潜航指令』
ザ・マサダ、1998年7月

『生きたい!』
ザ・マサダ、1997年7月


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